2.マルタン受難
女勇者カーラ・マルタン。
反魔物国エルタニンが所持する最大戦力です。しかし、事実エルタニンは彼女の扱いに困っていました。
彼女は根っからの勇者であると同時に、根っからの武人でした。エルタニンにとって不幸だったのは、彼女が初陣であの竜に出会ってしまったことです。強大な力を持った赤い竜と剣を交えた彼女は、彼の竜は打ち倒さなければならないものであり、打ち倒すまでは他の魔物に手を出さないという誓いを立ててしまったのでした。
それから、彼女は何度も何度も赤の竜と戦います。
いくら赤の竜が強大だとはいえ、こちらから手を出さなければ大人しくしていてはくれます。
本当は竜は放っておいて眠っていてもらって、他の魔物を討伐しに行かせたいのですが、彼女は従いません。エルタニンの最大戦力である彼女に力ずくで命令を聴かせられるような人物もいません。
困りつつも、実際に赤の竜と戦えるような勇者は彼女しかいないので、最大戦力を動かせないことは残念ですが、赤の竜を倒してくれたら儲け物として黙認しているのでした。
深紅の天災ヴェルメリオ。
深紅の体躯をは巨大。吐き出す炎のブレスは天を燃やし、地を焦がし、海を消す、とまで言われた古い竜です。
古い竜とはいえ、もちろん彼女も魔物娘に変わっています。だから、彼女が人を襲うことはあり得ません。カーラとの戦いも初めはただ鬱陶しい人間くらいにしか思ってはいませんでした。いくら人間の中では強いとはいえ、彼女にとっては赤子の手をひねるよりも簡単に退けることができました。挑まれては返り討ちにして、虫の居所が悪かった時には勇者の治癒力でも2ヶ月はかかる大怪我を追わせてことさえあります。
それでも、彼女はやって来て。前よりも強くなっていて、竜に挑みました。
叩けば叩くほど強くなって返ってくる。初めは尾の一振りで事足りたものも、次には避けられて爪を使い、次には牙を使わなくてはいけない。
彼女が強くなるということは竜にとっては危険なことのはずなのに、いつしか竜は彼女が強くなることに喜びを見出していました。
竜の力の前では、人間どころか魔物ですら敵ではありません。よほど強いものでなければ、竜に近づこうというものはいませんでした。
それなのに彼女は真っ直ぐに竜を見て、真っ直ぐに竜に向かってくるのでした。
その目は何度うち倒されても諦めることを知らず、いつも力強く輝いていました。その目が好きで竜は彼女を気に入っていました。
幾度も重ねた戦闘で、とうとう彼女の力は竜に匹敵するようになってきました。
三日三晩戦い続けたこともあります。それでも、決着はつきませんでした。
もしかしたら、お互いにこの関係がずっと続けばいいと思っていた部分もあったかもしれません。
しかし、そんな竜と勇者の戦いは、紛れ込んだブレイブという異物によって終わりを告げることになってしまうのでした。
◆
打ち合わされる剣と爪。命をかけて、己の全力を出して戦いを繰り広げる竜と女勇者。
それはいつもと変わらない死闘のはずであったのですが、今回はブレイブが紛れ込んでしまいました。
正直なところ、カーラもヴェルメリオも気が気ではありませんでした。
お互いに本気ではあるのですが、幼い少年であるブレイブに怪我をさせてはまずいという気持ちがちらつきます。
ブレイブを見つけたヴェルメリオが避難させようとしたのですが、カーラはブレイブが襲われると思ってしまったのでしょう。ブレイブの盾になって、戦闘を始めてしまうことになったのでした。今回は戦闘を切り上げても良いものですが、お互いにプライドが邪魔をして自分から先に戦闘をやめることができません。
ブレイブが身につけている鎧がリビングアーマーだということに二人はおそらく気付いているので、よほどひどいことにならないとはお互いに思ってもいるのでしょう。
そんな竜と勇者の物語をブレイブは相変わらずキラキラした目で見ています。
気付いていないですが、ブレイブ君がいることは邪魔なんです、危険なんです。
ブレイブがいるせいで距離をとっての魔法もブレスも使えず、ひたすらに剣と爪で撃ち合っていたからでしょう。今回の戦いの終わりがいつもより早く近づいてきていました。
毎回彼女たちよりも先に武器が壊れて戦いが終わるのです。
カーラの剣が甲高い音と共に砕け散りました。
戦いの終わり、キラキラと宙に舞って落ちていく銀の粒が鐘の音のように告げます。
少しほっとするカーラとヴェルメリオ。
次は邪魔の入らないところで。
女勇者と竜は、視線で言葉を交わして別れようとします。
風が穏やかに投げれ、カーラの黒髪を揺らします。
そこに、空気の読めない邪魔者が、
「これを使ってください!」
リビングアーマーの力を借りてカースドソードを投擲しました。
もちろん彼は善意で投げています。地獄への道は善意で舗装されている、というヤツですね。
猛スピードで女勇者に迫るカースドソード。
弾くための剣はもうありません。それでもそんなもの避ければいいだけです。
でも、相手が悪かった。
「頑張ってください、おねぇさん!」
にこっ、と屈託のない笑みでブレイブ君が笑ったのです。
ズギュウゥゥゥンッ!
ズギュウゥゥゥンッ!
ズギュウゥゥゥンッ!(エコー)
ずるい、そんな顔でおねぇさんなんて言われてしまったら、受け止めないわけには行かないでしょう!
カーラもそう思ってしまったのでしょうか、剣を受け止めてしまいました。
その体で、ズップリと。彼女の胸の真ん中に剣が根元まで刺さっています。完全に心臓を貫いてますよね、アレ。
カースドソードがズップリ刺さってしまったなんてもう、響きも含めて勇者としては致命傷ですね。ブレイブ、グッジョブです!
ヴェルメリオが目の前で起こった信じられないことに、目を見開いて口を開けています。
竜があっ気に取られた顔なんて始めて見ました。写真に撮っておけば後でネタにできそうです。
そんな中、ブレイブは自分がやってしまったとんでもないことにおたおたと慌てふためくばかりでした。
◆
カースドソードは歓喜に打ち震える。
剣先から、皮膚を破り、肉を裂き、骨を断ち、心の臓に突き入っていく感触。
肉の柔らかさも骨の固さも、脈打つ心臓を穿つ耽美な感触を超えることはできない。
刀身に染み入る血液の甘美な味はこの身を沸き立たせる。
何よりも心を昂らせるのはこの極上の肉体ならば、至上の快楽を味わえるという期待。
カーラの血を全身で浴びたカースドソードは脈動する。
刀身に浮かび上がる紅い筋が吸い込んだカーラの血液を巡らせる。鋼の体に巡った血潮はやがて魔力となって溢れ出す。
カーラの傷口から失われた赤い血の代わりに黒い魔力が流れ込んでいく。彼女の体内に残っていた血液と混ざり合い、彼女の血管を通して全身へと巡っていく。
血管に入り込んだ魔力は劇烈な媚薬である。
意識のない彼女の躯を容赦なく苛んでいく。時折快楽に耐えかねて、ビクビクと跳ねる痙攣を起こす体の中を魔力が駆け巡る。
体の芯から彼女を作り変える。血液から汲み上げられた魔力は細胞の一つ一つに行き渡り、骨を肉を皮を、内臓も髪も、分泌される体液すらも魔のソレへと変質させていく。
カーラに意識が無いのは幸いかもしれない。心を勇者として保ったまま、人の身を終えられるのだから。
快感を伴いながら無理矢理内側から作り変えられていく感覚は、勇者といえども人の身では耐えきれまい。
やがてカースドソードの漆黒の刀身が溶けていく。
溶けた鋼はカーラの胸の内に流れ込み、血管と繋がって心臓を形作る。
そうして、貫かれたはずの胸の傷が塞がると、カースドソードと同じ色の漆黒の宝石が乳房の間に嵌っていた。
カーラの切れ長の目が開く。
ただでさえ端正な顔立ちであったのに、今はえもいわれぬような魔性の艶を帯びている。
深く引き込まれてしまうような、どうしようもなく惹きこまれてしまうような淵が覗いていた。
ヴェルメリオは戦慄を禁じ得なかった。人の身で竜に届かんとするほどの力をもった彼女がカースドソードとして生まれ変わってしまった。
その力はいかほどのものなのか。自分を超える力を手にしてしまったのだろうか。
艶やかに濡れた唇が開く、
「とても晴れ晴れとした気分だ。手を伸ばせば天に届き、足を下せば地も砕けそう。そして、この手の平に太陽だって掴めるだろう」
カーラがヴェルメリオを流し見て、挑発的に笑う。
言うじゃないか。
ヴェルメリオはぞろりと牙を剥き出しにして笑ってしまった。
自分を超える可能性をもったものを目の前にして、感じたことのない感覚が背中に取り付いている。
これが、恐怖か。
初めて味わう感覚をヴェルメリオは大いに歓迎した。
これならば、本気を出せる。今までとは比べ物にならないほどの歓喜を熱を情動を味わうことができる。
そうだ、それこそが私の望みだったはずだ。全身と全霊を以って、相対できるもの。ようやく彼女を得た。
ヴェルメリオは本当に久方ぶりに人の形態を取った。
人の形になるのはいつぶりか。魔王が代替わりしてすぐの時期以外に人型になったことはない。
何せ、強すぎる。
魔物娘となったこの身であれば、手加減を間違えても相手を殺すことはない。
しかし、さらに強大になった自身の力は更なる退屈をももたらした。相手の力量も読めない輩も近づくようになるし、時折男を求めて下腹部が疼くのが何よりもいただけなかった。だから、普段は竜の姿でいることにしたのだ。
そうすれば、竜の姿に怯えぬ強者とだけ戦うことができるし、魔物娘ではなく戦の中の武人としていられるから。
そのヴェルメリオが人の姿を取った。
カーラを自らの好敵手と認めたのだ。
「始めましょうか、好敵手(とも)よ」
竜が人の口で告げた。
◆
頑なに竜の姿でいた深紅の天災が、人の姿を取りました。
彼女の人型を見るのは初めてです。
紅の長髪は首のあたりで一度束ねられてから腰の辺りまで伸び、竜の時の深紅の鱗のように艶やかで輝いています。ドラゴンの時の迫力は鳴りを潜め、顔立ちは涼やかな美形で知的な感じさえ伺わせます。
通常のドラゴンの人型のように鱗だけで体を覆っているわけではなく、体を鎧で覆って槍を持っています。鎧は機能性を重視したシンプルなものですが、不必要なものを極限まで削り取ったその姿は一種の造形美でした。
実際の体の方も、凹凸がなくて、必要なものがなくて、ってなんでもありません。
ぱっと見、ヅカです。ヅカ!
男装の麗人、格好良さに満ち満ちています。
ヴェルメリオは槍を構えて、カーラに向き合います。
ですが、カーラはあらぬ方を向いたままです。
「どうしました? その身に溶けたカースドソードを出せるはずでしょう。構えなさい」
ヴェルメリオが訝しげに問いかけますが、カーラから帰ってきた答えに耳を疑いました。
「すまないが、私には貴女と戦うよりも先にしなくてはならないことができた」
今までヴェルメリオを倒すためだけに強くなってきたようなカーラにとって、ヴェルメリオとの戦い以上に大切なことなどないはず。
なのに、
「少年、もう一度おねぇさんと呼んでくれないか!」
上下を反転して宙を蹴り、弾丸のようにカーラがブレイブに向かって飛び出しました。
耳を疑う言葉にヴェルメリオは自身の正気を疑ってしまいます。
しかし、離れていくカーラの後ろ姿が嫌が応にもこれが現実なのだと教えてくれています。
「フザっけるなぁ、貴様ぁ!」
竜の翼を大きく羽ばたかせて、ヴェルメリオが急いで追いかけます。
ブレイブの危機です。
リビングアーマーはすでに逃走を始めていました。
まだ自分たちもブレイブとしていないのに、捕まえられてしまえばカースドソードと化したカーラは決して放してはくれないでしょう。
リビングアーマーは状況についていけていないブレイブを包んだまま必死に走ります。
あまりの速度にすでに目を回しているブレイブを、服となって巻き付いている一反木綿が優しく撫でさすって回復魔法をかけています。
さわさわ、さわさわ。役得です。
「止まれ、リビングアーマー。私に少年をよこすのだ!」
カースドソードとなったカーラは流石に速くすぐに追いつかれてしまいます。
カーラの右手はいつの間にか真っ黒な鎧に覆われて手首から先が、黒くて大きくて太い、ゲフン、真っ黒な大剣に変わっています。大剣を振り上げてリビングアーマーに迫ります。
「止まるのは貴女です」
振り降ろされた大剣を赤い槍が弾きました。そして、ヴェルメリオはそのまま槍を振るいます。
四方八方、あらゆる角度から放たれる槍の連撃に、カーラは見事に対応してみせました。
剣では無く鎧で。カーラの体の至る所から鎧が展開されて、盾のように形を変えて槍を防いだのでした。
ヴェルメリオは思わず舌打ちしてしまいます。
「カースドソードが血に溶けたのならそんな芸当も出来るというわけですか」
厄介な、と端正な顔をしかめます。
「そんな顔をしたら、少年に怖がられてしまうぞ」
カーラが楽しそうに笑います。
変わり果てたカーラの姿にヴェルメリオは大きく失望しました。
やっと望んでいた相手を見つけたと思ったのに。
「わかりました。もう武人だったカーラはいないのですね。ならば、ここで完膚なきまでに叩きのめすとしましょう」
ヴェルメリオが槍を構えなおします。
「いいぞ。やってみろ」
カーラが口角を大きく吊り上げて応えます。
「少年。この女は私が止めるので、あなたは逃げてください。出来るだけ遠くに」
ブレイブは頷いて、走り出します。
「ああ。少年。早く邪魔者を倒して追いかけるから待っているといい。私はお前を必ず見つけ出す」
カーラの宣言を背に受けながら、ブレイブは必死で足を動かします。
そうして、リビングアーマーと一反木綿の助けもあって休みも取らずに走り続けた結果、一晩でエルタニンにたどり着いたのでした。
反魔物国エルタニンが所持する最大戦力です。しかし、事実エルタニンは彼女の扱いに困っていました。
彼女は根っからの勇者であると同時に、根っからの武人でした。エルタニンにとって不幸だったのは、彼女が初陣であの竜に出会ってしまったことです。強大な力を持った赤い竜と剣を交えた彼女は、彼の竜は打ち倒さなければならないものであり、打ち倒すまでは他の魔物に手を出さないという誓いを立ててしまったのでした。
それから、彼女は何度も何度も赤の竜と戦います。
いくら赤の竜が強大だとはいえ、こちらから手を出さなければ大人しくしていてはくれます。
本当は竜は放っておいて眠っていてもらって、他の魔物を討伐しに行かせたいのですが、彼女は従いません。エルタニンの最大戦力である彼女に力ずくで命令を聴かせられるような人物もいません。
困りつつも、実際に赤の竜と戦えるような勇者は彼女しかいないので、最大戦力を動かせないことは残念ですが、赤の竜を倒してくれたら儲け物として黙認しているのでした。
深紅の天災ヴェルメリオ。
深紅の体躯をは巨大。吐き出す炎のブレスは天を燃やし、地を焦がし、海を消す、とまで言われた古い竜です。
古い竜とはいえ、もちろん彼女も魔物娘に変わっています。だから、彼女が人を襲うことはあり得ません。カーラとの戦いも初めはただ鬱陶しい人間くらいにしか思ってはいませんでした。いくら人間の中では強いとはいえ、彼女にとっては赤子の手をひねるよりも簡単に退けることができました。挑まれては返り討ちにして、虫の居所が悪かった時には勇者の治癒力でも2ヶ月はかかる大怪我を追わせてことさえあります。
それでも、彼女はやって来て。前よりも強くなっていて、竜に挑みました。
叩けば叩くほど強くなって返ってくる。初めは尾の一振りで事足りたものも、次には避けられて爪を使い、次には牙を使わなくてはいけない。
彼女が強くなるということは竜にとっては危険なことのはずなのに、いつしか竜は彼女が強くなることに喜びを見出していました。
竜の力の前では、人間どころか魔物ですら敵ではありません。よほど強いものでなければ、竜に近づこうというものはいませんでした。
それなのに彼女は真っ直ぐに竜を見て、真っ直ぐに竜に向かってくるのでした。
その目は何度うち倒されても諦めることを知らず、いつも力強く輝いていました。その目が好きで竜は彼女を気に入っていました。
幾度も重ねた戦闘で、とうとう彼女の力は竜に匹敵するようになってきました。
三日三晩戦い続けたこともあります。それでも、決着はつきませんでした。
もしかしたら、お互いにこの関係がずっと続けばいいと思っていた部分もあったかもしれません。
しかし、そんな竜と勇者の戦いは、紛れ込んだブレイブという異物によって終わりを告げることになってしまうのでした。
◆
打ち合わされる剣と爪。命をかけて、己の全力を出して戦いを繰り広げる竜と女勇者。
それはいつもと変わらない死闘のはずであったのですが、今回はブレイブが紛れ込んでしまいました。
正直なところ、カーラもヴェルメリオも気が気ではありませんでした。
お互いに本気ではあるのですが、幼い少年であるブレイブに怪我をさせてはまずいという気持ちがちらつきます。
ブレイブを見つけたヴェルメリオが避難させようとしたのですが、カーラはブレイブが襲われると思ってしまったのでしょう。ブレイブの盾になって、戦闘を始めてしまうことになったのでした。今回は戦闘を切り上げても良いものですが、お互いにプライドが邪魔をして自分から先に戦闘をやめることができません。
ブレイブが身につけている鎧がリビングアーマーだということに二人はおそらく気付いているので、よほどひどいことにならないとはお互いに思ってもいるのでしょう。
そんな竜と勇者の物語をブレイブは相変わらずキラキラした目で見ています。
気付いていないですが、ブレイブ君がいることは邪魔なんです、危険なんです。
ブレイブがいるせいで距離をとっての魔法もブレスも使えず、ひたすらに剣と爪で撃ち合っていたからでしょう。今回の戦いの終わりがいつもより早く近づいてきていました。
毎回彼女たちよりも先に武器が壊れて戦いが終わるのです。
カーラの剣が甲高い音と共に砕け散りました。
戦いの終わり、キラキラと宙に舞って落ちていく銀の粒が鐘の音のように告げます。
少しほっとするカーラとヴェルメリオ。
次は邪魔の入らないところで。
女勇者と竜は、視線で言葉を交わして別れようとします。
風が穏やかに投げれ、カーラの黒髪を揺らします。
そこに、空気の読めない邪魔者が、
「これを使ってください!」
リビングアーマーの力を借りてカースドソードを投擲しました。
もちろん彼は善意で投げています。地獄への道は善意で舗装されている、というヤツですね。
猛スピードで女勇者に迫るカースドソード。
弾くための剣はもうありません。それでもそんなもの避ければいいだけです。
でも、相手が悪かった。
「頑張ってください、おねぇさん!」
にこっ、と屈託のない笑みでブレイブ君が笑ったのです。
ズギュウゥゥゥンッ!
ズギュウゥゥゥンッ!
ズギュウゥゥゥンッ!(エコー)
ずるい、そんな顔でおねぇさんなんて言われてしまったら、受け止めないわけには行かないでしょう!
カーラもそう思ってしまったのでしょうか、剣を受け止めてしまいました。
その体で、ズップリと。彼女の胸の真ん中に剣が根元まで刺さっています。完全に心臓を貫いてますよね、アレ。
カースドソードがズップリ刺さってしまったなんてもう、響きも含めて勇者としては致命傷ですね。ブレイブ、グッジョブです!
ヴェルメリオが目の前で起こった信じられないことに、目を見開いて口を開けています。
竜があっ気に取られた顔なんて始めて見ました。写真に撮っておけば後でネタにできそうです。
そんな中、ブレイブは自分がやってしまったとんでもないことにおたおたと慌てふためくばかりでした。
◆
カースドソードは歓喜に打ち震える。
剣先から、皮膚を破り、肉を裂き、骨を断ち、心の臓に突き入っていく感触。
肉の柔らかさも骨の固さも、脈打つ心臓を穿つ耽美な感触を超えることはできない。
刀身に染み入る血液の甘美な味はこの身を沸き立たせる。
何よりも心を昂らせるのはこの極上の肉体ならば、至上の快楽を味わえるという期待。
カーラの血を全身で浴びたカースドソードは脈動する。
刀身に浮かび上がる紅い筋が吸い込んだカーラの血液を巡らせる。鋼の体に巡った血潮はやがて魔力となって溢れ出す。
カーラの傷口から失われた赤い血の代わりに黒い魔力が流れ込んでいく。彼女の体内に残っていた血液と混ざり合い、彼女の血管を通して全身へと巡っていく。
血管に入り込んだ魔力は劇烈な媚薬である。
意識のない彼女の躯を容赦なく苛んでいく。時折快楽に耐えかねて、ビクビクと跳ねる痙攣を起こす体の中を魔力が駆け巡る。
体の芯から彼女を作り変える。血液から汲み上げられた魔力は細胞の一つ一つに行き渡り、骨を肉を皮を、内臓も髪も、分泌される体液すらも魔のソレへと変質させていく。
カーラに意識が無いのは幸いかもしれない。心を勇者として保ったまま、人の身を終えられるのだから。
快感を伴いながら無理矢理内側から作り変えられていく感覚は、勇者といえども人の身では耐えきれまい。
やがてカースドソードの漆黒の刀身が溶けていく。
溶けた鋼はカーラの胸の内に流れ込み、血管と繋がって心臓を形作る。
そうして、貫かれたはずの胸の傷が塞がると、カースドソードと同じ色の漆黒の宝石が乳房の間に嵌っていた。
カーラの切れ長の目が開く。
ただでさえ端正な顔立ちであったのに、今はえもいわれぬような魔性の艶を帯びている。
深く引き込まれてしまうような、どうしようもなく惹きこまれてしまうような淵が覗いていた。
ヴェルメリオは戦慄を禁じ得なかった。人の身で竜に届かんとするほどの力をもった彼女がカースドソードとして生まれ変わってしまった。
その力はいかほどのものなのか。自分を超える力を手にしてしまったのだろうか。
艶やかに濡れた唇が開く、
「とても晴れ晴れとした気分だ。手を伸ばせば天に届き、足を下せば地も砕けそう。そして、この手の平に太陽だって掴めるだろう」
カーラがヴェルメリオを流し見て、挑発的に笑う。
言うじゃないか。
ヴェルメリオはぞろりと牙を剥き出しにして笑ってしまった。
自分を超える可能性をもったものを目の前にして、感じたことのない感覚が背中に取り付いている。
これが、恐怖か。
初めて味わう感覚をヴェルメリオは大いに歓迎した。
これならば、本気を出せる。今までとは比べ物にならないほどの歓喜を熱を情動を味わうことができる。
そうだ、それこそが私の望みだったはずだ。全身と全霊を以って、相対できるもの。ようやく彼女を得た。
ヴェルメリオは本当に久方ぶりに人の形態を取った。
人の形になるのはいつぶりか。魔王が代替わりしてすぐの時期以外に人型になったことはない。
何せ、強すぎる。
魔物娘となったこの身であれば、手加減を間違えても相手を殺すことはない。
しかし、さらに強大になった自身の力は更なる退屈をももたらした。相手の力量も読めない輩も近づくようになるし、時折男を求めて下腹部が疼くのが何よりもいただけなかった。だから、普段は竜の姿でいることにしたのだ。
そうすれば、竜の姿に怯えぬ強者とだけ戦うことができるし、魔物娘ではなく戦の中の武人としていられるから。
そのヴェルメリオが人の姿を取った。
カーラを自らの好敵手と認めたのだ。
「始めましょうか、好敵手(とも)よ」
竜が人の口で告げた。
◆
頑なに竜の姿でいた深紅の天災が、人の姿を取りました。
彼女の人型を見るのは初めてです。
紅の長髪は首のあたりで一度束ねられてから腰の辺りまで伸び、竜の時の深紅の鱗のように艶やかで輝いています。ドラゴンの時の迫力は鳴りを潜め、顔立ちは涼やかな美形で知的な感じさえ伺わせます。
通常のドラゴンの人型のように鱗だけで体を覆っているわけではなく、体を鎧で覆って槍を持っています。鎧は機能性を重視したシンプルなものですが、不必要なものを極限まで削り取ったその姿は一種の造形美でした。
実際の体の方も、凹凸がなくて、必要なものがなくて、ってなんでもありません。
ぱっと見、ヅカです。ヅカ!
男装の麗人、格好良さに満ち満ちています。
ヴェルメリオは槍を構えて、カーラに向き合います。
ですが、カーラはあらぬ方を向いたままです。
「どうしました? その身に溶けたカースドソードを出せるはずでしょう。構えなさい」
ヴェルメリオが訝しげに問いかけますが、カーラから帰ってきた答えに耳を疑いました。
「すまないが、私には貴女と戦うよりも先にしなくてはならないことができた」
今までヴェルメリオを倒すためだけに強くなってきたようなカーラにとって、ヴェルメリオとの戦い以上に大切なことなどないはず。
なのに、
「少年、もう一度おねぇさんと呼んでくれないか!」
上下を反転して宙を蹴り、弾丸のようにカーラがブレイブに向かって飛び出しました。
耳を疑う言葉にヴェルメリオは自身の正気を疑ってしまいます。
しかし、離れていくカーラの後ろ姿が嫌が応にもこれが現実なのだと教えてくれています。
「フザっけるなぁ、貴様ぁ!」
竜の翼を大きく羽ばたかせて、ヴェルメリオが急いで追いかけます。
ブレイブの危機です。
リビングアーマーはすでに逃走を始めていました。
まだ自分たちもブレイブとしていないのに、捕まえられてしまえばカースドソードと化したカーラは決して放してはくれないでしょう。
リビングアーマーは状況についていけていないブレイブを包んだまま必死に走ります。
あまりの速度にすでに目を回しているブレイブを、服となって巻き付いている一反木綿が優しく撫でさすって回復魔法をかけています。
さわさわ、さわさわ。役得です。
「止まれ、リビングアーマー。私に少年をよこすのだ!」
カースドソードとなったカーラは流石に速くすぐに追いつかれてしまいます。
カーラの右手はいつの間にか真っ黒な鎧に覆われて手首から先が、黒くて大きくて太い、ゲフン、真っ黒な大剣に変わっています。大剣を振り上げてリビングアーマーに迫ります。
「止まるのは貴女です」
振り降ろされた大剣を赤い槍が弾きました。そして、ヴェルメリオはそのまま槍を振るいます。
四方八方、あらゆる角度から放たれる槍の連撃に、カーラは見事に対応してみせました。
剣では無く鎧で。カーラの体の至る所から鎧が展開されて、盾のように形を変えて槍を防いだのでした。
ヴェルメリオは思わず舌打ちしてしまいます。
「カースドソードが血に溶けたのならそんな芸当も出来るというわけですか」
厄介な、と端正な顔をしかめます。
「そんな顔をしたら、少年に怖がられてしまうぞ」
カーラが楽しそうに笑います。
変わり果てたカーラの姿にヴェルメリオは大きく失望しました。
やっと望んでいた相手を見つけたと思ったのに。
「わかりました。もう武人だったカーラはいないのですね。ならば、ここで完膚なきまでに叩きのめすとしましょう」
ヴェルメリオが槍を構えなおします。
「いいぞ。やってみろ」
カーラが口角を大きく吊り上げて応えます。
「少年。この女は私が止めるので、あなたは逃げてください。出来るだけ遠くに」
ブレイブは頷いて、走り出します。
「ああ。少年。早く邪魔者を倒して追いかけるから待っているといい。私はお前を必ず見つけ出す」
カーラの宣言を背に受けながら、ブレイブは必死で足を動かします。
そうして、リビングアーマーと一反木綿の助けもあって休みも取らずに走り続けた結果、一晩でエルタニンにたどり着いたのでした。
16/05/04 21:44更新 / ルピナス
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