なかなおり
礼慈はいつもよりかなり早くに学園に来ていた。
巨大な正門をくぐる生徒もまばらな中、各学校に繋がる校門まで早足で通り抜けていく。
その足が向くのは高等部ではない。歩調を緩めた彼の前にあったのは小等部の校門だった。
そこに居る四つの人影に、礼慈は出来るだけ穏やかな表情で挨拶をする。
「――早くに来てもらってすまないな」
「なに、かまわない。他でもないリリのことであるのだからな」
同年代ではがっしりした方だが、まだ子供っぽさが残る小等部のドラゴン少女が大物の器を感じさせる鷹揚さで応じた。
彼女を先頭に、他の三人が頭を下げる。
彼女たちは礼慈がリリと出会ったあの日、リリを囲って心配していた子たちだった。
「リリちゃん、昨日も一昨日もお昼はお外に出ていたっぽいけどぉ、もしかしてぇ」
先端がハート型になった尻尾の少女が訊ねてくる。
「高等部に来ているよ」
「ああ、やはりそうですよね! ほら、その、魔力の質も変わりましたし」
狐耳の少女が頬を赤くして言う。その言葉を考えると、リリがそういうコトに及んでいるということを彼女らは察しているのだろう。
(小等部でこれ……魔物はほんとに早熟だ)
カルチャーショックを受けていると、人間の少女が確認してきた。
「それって、お兄さん、リリちゃんの彼氏ってこと?」
人間の女児相手に高等部の人間が小等部の子の彼氏だと答えて大丈夫なのか。少し考えながらままよ、と頷くと少女たちは色めき立つ。
「ほう、それで、そんな方が私たちにいったいなんの用なのだ?」
ドラゴン娘の声が少し上ずっている。
やっぱり魔物としてはそういうコトに興味あるのだろうかと思いながら、彼女らに教頭ちゃまを通して渡りをつけた理由を話す。
「リリが君たちとの付き合いが悪くなってしまった理由についてだ」
●
ネハシュを通して正門で待っているようにと言付けておいたリリの背後から、礼慈は声をかけた。
「リリ」
「あ、お兄さま――」
リリの言葉が止まる。
礼慈の後ろには彼に連れられて少女たちが付いてきていた。
「……ぁ」
申し訳なさそうな顔になったリリが逃げるそぶりを見せたので、礼慈は先に脇を掴んでそのまま彼女を道の端まで連行した。
そんな礼慈とリリをきゃあきゃあと追ってくる四人を待って、礼慈は口を開いた。
「勝手なことをしてすまないけど、この子たちにはリリがどういった話をすると記憶が消えてしまうのかを話した」
余計なこととは思う。ネハシュもその時はよくてもこれから成長していく過程でこの場に居ない誰かから必ず性に関する話題が出て、そのたびにこのことを話さなければいけなくなる言っていた。そして、そういった話題がリリから記憶を失わせると知った子たちがリリを敬遠してしまって素の会話ができなくなったり、もしかしたらリリがコミュニティから隔離されてしまうといった危惧があるとも。
だが、リリは今困っていて、家族や礼慈くらいしか頼るものがない状態だ。
こちらの世界に居たいと言った彼女が、礼慈さえ居てくれればいいと、昨日言った。
それは嬉しいことだが、リリの弱みにつけこむようにして自分の存在をリリの中で大きくするというのは自分が酒に寄りかかっていたのと同じことだ。
彼女は今。これでいいのだと自分に言い聞かせて世界を狭くしている。これでは向こうの世界に連れて行って匿おうとしたネハシュとやっていることは変わらない。
せっかくこちらの世界に居ようと思ってもらえたのならば、リリにはこちらに居たからこそ見られたものを味わってもらいたいのだ。
それが、今においてはここに居る友人たちだと思う。
リリは礼慈が友人たちに彼女が理解し得ない記憶喪失の理由を話したことを、「そうなんですね」と納得して、友人たちに頭を下げた。
「あの、わたし、いきなりきおくが無くなってしまうようになってしまって、わけがわからなくて、もしかしたらわたしが知らないところでわたしが何かしてしまったんじゃないかと思ったらこわくて泣いちゃって……だからみんなからはなれるしかないって思っていたの……そんな時にレイジお兄さまと出会えたんです。
お兄さまといると楽しくて、それで、お兄さまといた時にきおくが消えてしまっても、わたし、こわくないっていうか……わすれちゃったゆめを、楽しかったなって思い出すような感じで思えて、お兄さまはお母さまからわたしのきおくが消えてしまう理由を聞いてもいっしょにいてくれるって言ってくれて、それに安心して、でもみんなに心配をかけたままだったってわたし、知ってたのに、そのままにしてしまっていました。ごめんなさいっ!」
リリはリリで溜めこんでいるものがあったのだろう。言い訳と謝罪を一気呵成に連ねる彼女に、少女たちは顔を見合わせる。代表としてドラゴン娘が何か言おうとするが、それを制してハート尻尾の娘――おそらくサキュバスだろう少女が言う。
「私たちからするとぉ、ステキな男の人と出会ったらひとまず友達はおいておいてその人と関係を深めるって当然のことなのよね。でぇ、友達としてはそれを応援するの。だから、心配は心配だったけれど、その心配の種がきっかけになってそっちのおにーさんに出会えていい仲になったんなら、私達はほっといてもらってもぜんぜんおっけーなのねぇ」
「進展具合はなんとなく分かるしな」
「あの日の殿方が好い人になっていた、というのは少し驚きでしたけれど」
ドラゴンと狐の娘が言い、人間の少女が「おめでとう」と締める。
ドライというか、優先順位が明確なのは魔物らしい。人間の女の子までそちらの影響を受けている辺り、カルチャーショックというよりもジェネレーションギャップなのだろう。自分たち人間は環境によって成長する生き物なのだなと改めて思う。
「しかし、なんだな。話を聞いてみれば、リリのそれはそんなに難しい条件ではないではないか。私としてはこれからもリリとは良い友で居たいと思うのだ。そちらの彼との時間を奪わない程度にまた仲良くしていきたいと思うのだが」
実際のところ彼女たちにとって猥談をしないことがどれだけのハードルなのかは分からないが、そう言ってくれるのはありがたいと思っていると、サキュバスの子が発言者のドラゴン娘を指で突つく。
「ちょっとターちゃん。リィちゃんと遊べなくなって一番寂しそうにしてたの知ってるんだからぁ。もっと遊びたいよぉって言って泣き付いてもいいのよ?」
「何を言うか!」
「ふふ〜ん。私はぁ、そうね、おにーさんとも一緒に遊びたいかもっ」
そう言って抱き付いてくるサキュバス娘。
以外に胸がある。とかこの子たちの中に居ても、というより居るからこそ、リリはいろいろと小さい。とか思っていると、リリがサキュバス娘を礼慈から引き剥がした。
そうして右腕にしがみ付き、
「レーラちゃん、あの、お兄さまはわたしのお兄さまです……っなので、あの、半分こでおねがいします」
レーラと呼ばれたサキュバス娘は、身を離して口元に手を添えた。
「ま、なんて可愛らしい!」
「からかわないであげてね」
人間の少女がそう窘め、リリに言う。
「皆待ってたよ。また遊ぼうね」
「ゆかりちゃん……ありがとうね」
和解というか、お互いの理解は進んだようだ。
完全にこれまで通り、とはさすがにいかないだろうが、これでリリがまた友達の輪の中に戻れるならばよい。
「さて――じゃあ、そろそろリィちゃんにはこのおにーさんを紹介してもらおうかな」
「いや、それはもう俺が……」
リリと会う前に説明したことだ。ここでリリに説明を求めたとしても、記憶を欠落させている彼女では礼慈の説明以上の詳細な説明は望めない。
そう説明しようとした礼慈の空いた左手に、狐の尻尾がぽんぽんと当たる。
『皆、リリちゃんの口からお話を聞きたいんですよ』
念話をしつつ微笑みかけてくる狐娘に分かったと頷いて口を閉じた礼慈の左腕にレーラが纏わりついてきた。
「でぇ? どうなの? どうなの?」
その動作と発言に引き寄せられるようにして視線が右腕の方に集まる。
リリは興味津々の視線を受けつつも果敢に息を吸い、
「え、えと……お兄さまとは、わたしが泣いてしまったあの日、学校が終わった後にまた公園でお会いして――」
質問に対して誠実に答えようとする為か、リリは結論をいきなり出すことをせずに礼慈との再会からこれまでを、彼女の記憶が残っているままに話した。
それを聞く少女たちは、纏わりついていたレーラもそっと距離を置き、揃って真剣に傾聴していた。皆その話に感じ入っているのか、どこか夢見るような笑みを浮かべている。
そんなリリの思い出話が全て終わったタイミングで、ゆかりという人間の少女がこう訊ねた。
「それで、リリちゃん的には礼慈お兄さんってどういう関係の人なのかな?」
「え……あの……」
結論を言っていないことにそこで気付いたのか、リリが慌てて、ちらっと礼慈を横目で伺ってくる。
話を聞いていた礼慈は、昨日行為に及ぶ前に二人でし合った告白の言葉が彼女の記憶の中からは消えてしまっていると理解していた。その状態では二人の関係の定義は難しいだろう。
なら、と礼慈はリリを混乱させないため、事のあらましを知っている彼女たちに対して敢えてこう言う。
「君たちにも負けないくらいに仲の良い友達だよ」
リリは目を細めて、はい、と頷いた。
「わたしたちは大事なお友達です」
その返答に、礼慈から話を聞いていた少女たちは納得がいかないような。それでいて眼前の事実をじっくりと反芻して飲み込んでいくような間を空けた。
そうして、
「これからは友達以上を識っていけると佳いですね」
「うむ。我らも負けないし、応援するとも」
狐娘とドラゴン娘が告げた激励と言祝ぎにレーラが頬を膨らませる。
「もー。コリンちゃんもターちゃんも固すぎぃ。ね、ユカちゃん」
「えっと、私は、お兄さんもリリちゃんも応援してます……。あの、お兄さんには、初めて会った時に恐がっちゃってあの……ごめんなさい」
「ああ……この顔でそう思われるのには慣れてるから気にしないでくれ。すまないな。いきなりこんな面見せて」
「もー固ぁい! せっかくリィちゃんこんなに可愛いんだし、おにーさんはワイルドだけどオラオラ系じゃなくてちょっと私好みだしぃ。……ね、おにーさん、やっぱり私たちと仲良くしない?」
「それは妙案ですね。コリンも賛成です。歓迎しますよお兄さん」
レーラとコリンが左腕に二人揃って飛び付いてきて、本気かどうかよく分からない流し目を向けられる。なんと答えようかと迷っていると、リリが右腕に抱き着く力を強めた。
「あ、あの……っ! レイジお兄さまはわたしのお兄さまなので」
「ええ、ふふ。分かっていますよ」
「んーふふふ、分かってる、分かってるよ」
礼慈から離れてリリに抱き着く狐とサキュバスを、少し羨ましそうにターちゃんと呼ばれたドラゴン娘が見ている。と、予鈴が鳴った。
気が付けば正門までの通りはのんびり気味に登校してくる生徒たちでごった返していた。
そんな中で、正門に入らず、道の脇に避けて込み入った話をしているらしいと見て取れる礼慈たちにはそれなりの視線が注がれていた。
「そろそろ教室行かなきゃ」
「だな」
誰ともなく言って、少女たちは礼慈に頭を下げた。
礼慈が密度を増す視線に居心地の悪さを感じつつ、気にするなと手を振ると、彼女たちはランドセルを弾ませて正門に向かった。
そんな彼女たちに着いていったものかどうか迷ったのだろう。リリが礼慈と彼女たちの間で視線をさ迷わせて遅れると、ターちゃんが振り向き手を伸ばした。
その手を掴むのをリリが躊躇っているのを見て、礼慈は「大丈夫」と背を押してやる。
手をつないで正門を通り過ぎていく一塊の少女たちを見送りながら、礼慈は少しばかりラザロスの気持ちが分かるような気がした。
●
放課後、礼慈は追い立てられるような心持ちで仕事を探しに生徒会室に訪れていた。
急ぎの仕事が無いため、生徒会室には当然誰も居ない。
静かさを少し物足りなく感じながら、諮問会にかけなくても通りそうな文化祭企画を選って、必要になる資材と魔法の発注の都合をつけて発注書を仮組みしておく。
それも手早く終えてしまった礼慈は、これからどうしようかと思いながら校門に向かった。
と、そこにはリリと、その友達たちが居た。
お昼も放課後も特に会う約束はしていない。友達たちがリリをいろいろ連れまわすだろうと思っていたので顔を合わせることもないだろうと思っていたところに待ち構えていたので少し驚いた。
「小等部は授業が終わってからけっこう経つんじゃないか?」
「いいのいいの。私たちもちょうどできあがったところだったんだから。ね」
「は、はい」
レーラに言われたリリが、後ろ手に持っていた可愛くデコレーションされた袋を差し出した。
「あの、これ……」
ファンシーなそれを受け取る。軽い袋からはリリと公園で再会した時にもらったようクッキーと同じ柑橘系の香りが漂っていた。
「開けてください」とコリンがそっと促す。中にはやはりクッキーが入っており、
「もらっても?」
「はい、みんなで作ったクッキーです。前喜んでくれたからってリリちゃんが推してくれたフレーバーですよ」
「レイジお兄さんがリリちゃんとまた遊べるようにしてくれたから、その御礼です」
「本当に感謝する」
ゆかりとコリンの言葉をターちゃんが受けて礼を言われる。彼女らの表情に憂いは無い。
ということは、
「記憶は消えなかったということだな」
「はい」
リリが嬉しそうに頷く。
「それで、これから皆で遊ぼうってなってってぇ。おにーさんもどうですぅ?」
レーラの誘いに、いや、と礼慈は首を振った。
「せっかく久しぶりに皆で遊べるんだろ? 俺はリリを独り占めしてたし、その分君たちだけで楽しんでくるといいよ」
「遠慮することはないんだぞ? リリがこの学園に居続けているのも貴方の存在あってこそと聞いた。我々としては感謝の念に堪えん」
ターちゃんの言葉に「高等部が小等部の子に対して持つプライドってもんだよ」と返す。
それで納得したのかどうなのかは分からないが、少女たちは誘うのは諦めたようだった。
「お兄さま……」
「大丈夫だから行っておいで」
少し不安そうにするリリにそう言って、夕陽に金色を輝かせる頭を撫でてやる。
少し頭を傾けて大人しく撫でられる彼女を不意に抱きしめたい衝動に駆られながら、礼慈は肩を掴んで友達の方にリリを向けてやった。
「――じゃあ、楽しんできな」
欲情しかけた自分に冷や汗をかきながら、できるだけ爽やかな笑顔の形に表情を歪めた礼慈は、気持ちよく少女たちを送り出した。
巨大な正門をくぐる生徒もまばらな中、各学校に繋がる校門まで早足で通り抜けていく。
その足が向くのは高等部ではない。歩調を緩めた彼の前にあったのは小等部の校門だった。
そこに居る四つの人影に、礼慈は出来るだけ穏やかな表情で挨拶をする。
「――早くに来てもらってすまないな」
「なに、かまわない。他でもないリリのことであるのだからな」
同年代ではがっしりした方だが、まだ子供っぽさが残る小等部のドラゴン少女が大物の器を感じさせる鷹揚さで応じた。
彼女を先頭に、他の三人が頭を下げる。
彼女たちは礼慈がリリと出会ったあの日、リリを囲って心配していた子たちだった。
「リリちゃん、昨日も一昨日もお昼はお外に出ていたっぽいけどぉ、もしかしてぇ」
先端がハート型になった尻尾の少女が訊ねてくる。
「高等部に来ているよ」
「ああ、やはりそうですよね! ほら、その、魔力の質も変わりましたし」
狐耳の少女が頬を赤くして言う。その言葉を考えると、リリがそういうコトに及んでいるということを彼女らは察しているのだろう。
(小等部でこれ……魔物はほんとに早熟だ)
カルチャーショックを受けていると、人間の少女が確認してきた。
「それって、お兄さん、リリちゃんの彼氏ってこと?」
人間の女児相手に高等部の人間が小等部の子の彼氏だと答えて大丈夫なのか。少し考えながらままよ、と頷くと少女たちは色めき立つ。
「ほう、それで、そんな方が私たちにいったいなんの用なのだ?」
ドラゴン娘の声が少し上ずっている。
やっぱり魔物としてはそういうコトに興味あるのだろうかと思いながら、彼女らに教頭ちゃまを通して渡りをつけた理由を話す。
「リリが君たちとの付き合いが悪くなってしまった理由についてだ」
●
ネハシュを通して正門で待っているようにと言付けておいたリリの背後から、礼慈は声をかけた。
「リリ」
「あ、お兄さま――」
リリの言葉が止まる。
礼慈の後ろには彼に連れられて少女たちが付いてきていた。
「……ぁ」
申し訳なさそうな顔になったリリが逃げるそぶりを見せたので、礼慈は先に脇を掴んでそのまま彼女を道の端まで連行した。
そんな礼慈とリリをきゃあきゃあと追ってくる四人を待って、礼慈は口を開いた。
「勝手なことをしてすまないけど、この子たちにはリリがどういった話をすると記憶が消えてしまうのかを話した」
余計なこととは思う。ネハシュもその時はよくてもこれから成長していく過程でこの場に居ない誰かから必ず性に関する話題が出て、そのたびにこのことを話さなければいけなくなる言っていた。そして、そういった話題がリリから記憶を失わせると知った子たちがリリを敬遠してしまって素の会話ができなくなったり、もしかしたらリリがコミュニティから隔離されてしまうといった危惧があるとも。
だが、リリは今困っていて、家族や礼慈くらいしか頼るものがない状態だ。
こちらの世界に居たいと言った彼女が、礼慈さえ居てくれればいいと、昨日言った。
それは嬉しいことだが、リリの弱みにつけこむようにして自分の存在をリリの中で大きくするというのは自分が酒に寄りかかっていたのと同じことだ。
彼女は今。これでいいのだと自分に言い聞かせて世界を狭くしている。これでは向こうの世界に連れて行って匿おうとしたネハシュとやっていることは変わらない。
せっかくこちらの世界に居ようと思ってもらえたのならば、リリにはこちらに居たからこそ見られたものを味わってもらいたいのだ。
それが、今においてはここに居る友人たちだと思う。
リリは礼慈が友人たちに彼女が理解し得ない記憶喪失の理由を話したことを、「そうなんですね」と納得して、友人たちに頭を下げた。
「あの、わたし、いきなりきおくが無くなってしまうようになってしまって、わけがわからなくて、もしかしたらわたしが知らないところでわたしが何かしてしまったんじゃないかと思ったらこわくて泣いちゃって……だからみんなからはなれるしかないって思っていたの……そんな時にレイジお兄さまと出会えたんです。
お兄さまといると楽しくて、それで、お兄さまといた時にきおくが消えてしまっても、わたし、こわくないっていうか……わすれちゃったゆめを、楽しかったなって思い出すような感じで思えて、お兄さまはお母さまからわたしのきおくが消えてしまう理由を聞いてもいっしょにいてくれるって言ってくれて、それに安心して、でもみんなに心配をかけたままだったってわたし、知ってたのに、そのままにしてしまっていました。ごめんなさいっ!」
リリはリリで溜めこんでいるものがあったのだろう。言い訳と謝罪を一気呵成に連ねる彼女に、少女たちは顔を見合わせる。代表としてドラゴン娘が何か言おうとするが、それを制してハート尻尾の娘――おそらくサキュバスだろう少女が言う。
「私たちからするとぉ、ステキな男の人と出会ったらひとまず友達はおいておいてその人と関係を深めるって当然のことなのよね。でぇ、友達としてはそれを応援するの。だから、心配は心配だったけれど、その心配の種がきっかけになってそっちのおにーさんに出会えていい仲になったんなら、私達はほっといてもらってもぜんぜんおっけーなのねぇ」
「進展具合はなんとなく分かるしな」
「あの日の殿方が好い人になっていた、というのは少し驚きでしたけれど」
ドラゴンと狐の娘が言い、人間の少女が「おめでとう」と締める。
ドライというか、優先順位が明確なのは魔物らしい。人間の女の子までそちらの影響を受けている辺り、カルチャーショックというよりもジェネレーションギャップなのだろう。自分たち人間は環境によって成長する生き物なのだなと改めて思う。
「しかし、なんだな。話を聞いてみれば、リリのそれはそんなに難しい条件ではないではないか。私としてはこれからもリリとは良い友で居たいと思うのだ。そちらの彼との時間を奪わない程度にまた仲良くしていきたいと思うのだが」
実際のところ彼女たちにとって猥談をしないことがどれだけのハードルなのかは分からないが、そう言ってくれるのはありがたいと思っていると、サキュバスの子が発言者のドラゴン娘を指で突つく。
「ちょっとターちゃん。リィちゃんと遊べなくなって一番寂しそうにしてたの知ってるんだからぁ。もっと遊びたいよぉって言って泣き付いてもいいのよ?」
「何を言うか!」
「ふふ〜ん。私はぁ、そうね、おにーさんとも一緒に遊びたいかもっ」
そう言って抱き付いてくるサキュバス娘。
以外に胸がある。とかこの子たちの中に居ても、というより居るからこそ、リリはいろいろと小さい。とか思っていると、リリがサキュバス娘を礼慈から引き剥がした。
そうして右腕にしがみ付き、
「レーラちゃん、あの、お兄さまはわたしのお兄さまです……っなので、あの、半分こでおねがいします」
レーラと呼ばれたサキュバス娘は、身を離して口元に手を添えた。
「ま、なんて可愛らしい!」
「からかわないであげてね」
人間の少女がそう窘め、リリに言う。
「皆待ってたよ。また遊ぼうね」
「ゆかりちゃん……ありがとうね」
和解というか、お互いの理解は進んだようだ。
完全にこれまで通り、とはさすがにいかないだろうが、これでリリがまた友達の輪の中に戻れるならばよい。
「さて――じゃあ、そろそろリィちゃんにはこのおにーさんを紹介してもらおうかな」
「いや、それはもう俺が……」
リリと会う前に説明したことだ。ここでリリに説明を求めたとしても、記憶を欠落させている彼女では礼慈の説明以上の詳細な説明は望めない。
そう説明しようとした礼慈の空いた左手に、狐の尻尾がぽんぽんと当たる。
『皆、リリちゃんの口からお話を聞きたいんですよ』
念話をしつつ微笑みかけてくる狐娘に分かったと頷いて口を閉じた礼慈の左腕にレーラが纏わりついてきた。
「でぇ? どうなの? どうなの?」
その動作と発言に引き寄せられるようにして視線が右腕の方に集まる。
リリは興味津々の視線を受けつつも果敢に息を吸い、
「え、えと……お兄さまとは、わたしが泣いてしまったあの日、学校が終わった後にまた公園でお会いして――」
質問に対して誠実に答えようとする為か、リリは結論をいきなり出すことをせずに礼慈との再会からこれまでを、彼女の記憶が残っているままに話した。
それを聞く少女たちは、纏わりついていたレーラもそっと距離を置き、揃って真剣に傾聴していた。皆その話に感じ入っているのか、どこか夢見るような笑みを浮かべている。
そんなリリの思い出話が全て終わったタイミングで、ゆかりという人間の少女がこう訊ねた。
「それで、リリちゃん的には礼慈お兄さんってどういう関係の人なのかな?」
「え……あの……」
結論を言っていないことにそこで気付いたのか、リリが慌てて、ちらっと礼慈を横目で伺ってくる。
話を聞いていた礼慈は、昨日行為に及ぶ前に二人でし合った告白の言葉が彼女の記憶の中からは消えてしまっていると理解していた。その状態では二人の関係の定義は難しいだろう。
なら、と礼慈はリリを混乱させないため、事のあらましを知っている彼女たちに対して敢えてこう言う。
「君たちにも負けないくらいに仲の良い友達だよ」
リリは目を細めて、はい、と頷いた。
「わたしたちは大事なお友達です」
その返答に、礼慈から話を聞いていた少女たちは納得がいかないような。それでいて眼前の事実をじっくりと反芻して飲み込んでいくような間を空けた。
そうして、
「これからは友達以上を識っていけると佳いですね」
「うむ。我らも負けないし、応援するとも」
狐娘とドラゴン娘が告げた激励と言祝ぎにレーラが頬を膨らませる。
「もー。コリンちゃんもターちゃんも固すぎぃ。ね、ユカちゃん」
「えっと、私は、お兄さんもリリちゃんも応援してます……。あの、お兄さんには、初めて会った時に恐がっちゃってあの……ごめんなさい」
「ああ……この顔でそう思われるのには慣れてるから気にしないでくれ。すまないな。いきなりこんな面見せて」
「もー固ぁい! せっかくリィちゃんこんなに可愛いんだし、おにーさんはワイルドだけどオラオラ系じゃなくてちょっと私好みだしぃ。……ね、おにーさん、やっぱり私たちと仲良くしない?」
「それは妙案ですね。コリンも賛成です。歓迎しますよお兄さん」
レーラとコリンが左腕に二人揃って飛び付いてきて、本気かどうかよく分からない流し目を向けられる。なんと答えようかと迷っていると、リリが右腕に抱き着く力を強めた。
「あ、あの……っ! レイジお兄さまはわたしのお兄さまなので」
「ええ、ふふ。分かっていますよ」
「んーふふふ、分かってる、分かってるよ」
礼慈から離れてリリに抱き着く狐とサキュバスを、少し羨ましそうにターちゃんと呼ばれたドラゴン娘が見ている。と、予鈴が鳴った。
気が付けば正門までの通りはのんびり気味に登校してくる生徒たちでごった返していた。
そんな中で、正門に入らず、道の脇に避けて込み入った話をしているらしいと見て取れる礼慈たちにはそれなりの視線が注がれていた。
「そろそろ教室行かなきゃ」
「だな」
誰ともなく言って、少女たちは礼慈に頭を下げた。
礼慈が密度を増す視線に居心地の悪さを感じつつ、気にするなと手を振ると、彼女たちはランドセルを弾ませて正門に向かった。
そんな彼女たちに着いていったものかどうか迷ったのだろう。リリが礼慈と彼女たちの間で視線をさ迷わせて遅れると、ターちゃんが振り向き手を伸ばした。
その手を掴むのをリリが躊躇っているのを見て、礼慈は「大丈夫」と背を押してやる。
手をつないで正門を通り過ぎていく一塊の少女たちを見送りながら、礼慈は少しばかりラザロスの気持ちが分かるような気がした。
●
放課後、礼慈は追い立てられるような心持ちで仕事を探しに生徒会室に訪れていた。
急ぎの仕事が無いため、生徒会室には当然誰も居ない。
静かさを少し物足りなく感じながら、諮問会にかけなくても通りそうな文化祭企画を選って、必要になる資材と魔法の発注の都合をつけて発注書を仮組みしておく。
それも手早く終えてしまった礼慈は、これからどうしようかと思いながら校門に向かった。
と、そこにはリリと、その友達たちが居た。
お昼も放課後も特に会う約束はしていない。友達たちがリリをいろいろ連れまわすだろうと思っていたので顔を合わせることもないだろうと思っていたところに待ち構えていたので少し驚いた。
「小等部は授業が終わってからけっこう経つんじゃないか?」
「いいのいいの。私たちもちょうどできあがったところだったんだから。ね」
「は、はい」
レーラに言われたリリが、後ろ手に持っていた可愛くデコレーションされた袋を差し出した。
「あの、これ……」
ファンシーなそれを受け取る。軽い袋からはリリと公園で再会した時にもらったようクッキーと同じ柑橘系の香りが漂っていた。
「開けてください」とコリンがそっと促す。中にはやはりクッキーが入っており、
「もらっても?」
「はい、みんなで作ったクッキーです。前喜んでくれたからってリリちゃんが推してくれたフレーバーですよ」
「レイジお兄さんがリリちゃんとまた遊べるようにしてくれたから、その御礼です」
「本当に感謝する」
ゆかりとコリンの言葉をターちゃんが受けて礼を言われる。彼女らの表情に憂いは無い。
ということは、
「記憶は消えなかったということだな」
「はい」
リリが嬉しそうに頷く。
「それで、これから皆で遊ぼうってなってってぇ。おにーさんもどうですぅ?」
レーラの誘いに、いや、と礼慈は首を振った。
「せっかく久しぶりに皆で遊べるんだろ? 俺はリリを独り占めしてたし、その分君たちだけで楽しんでくるといいよ」
「遠慮することはないんだぞ? リリがこの学園に居続けているのも貴方の存在あってこそと聞いた。我々としては感謝の念に堪えん」
ターちゃんの言葉に「高等部が小等部の子に対して持つプライドってもんだよ」と返す。
それで納得したのかどうなのかは分からないが、少女たちは誘うのは諦めたようだった。
「お兄さま……」
「大丈夫だから行っておいで」
少し不安そうにするリリにそう言って、夕陽に金色を輝かせる頭を撫でてやる。
少し頭を傾けて大人しく撫でられる彼女を不意に抱きしめたい衝動に駆られながら、礼慈は肩を掴んで友達の方にリリを向けてやった。
「――じゃあ、楽しんできな」
欲情しかけた自分に冷や汗をかきながら、できるだけ爽やかな笑顔の形に表情を歪めた礼慈は、気持ちよく少女たちを送り出した。
19/08/16 21:35更新 / コン
戻る
次へ