礼慈が寝たままのリリを背負ってアスデル家に送り届けると、ネハシュが出迎えた。
　彼女は肩から窺く幼い寝顔に微笑して、

「あらあら、リリったら寝ちゃったのかしら？ ごめんね礼慈君」
「いえ……や、俺の方こそこんな遅くまでリリを引っ張り回してしまってすみません」
「この子がそうしてほしいと望んだのでしょう？　私がこの子の居場所を探れないということは、そういうことですから。ああ、安心してね。学園への認識阻害の魔法についての説明は私の方からもしておきました。
元々解かれてからはじめてそれと認識できるような魔法ですから、お楽しみ中に邪魔が入るようなことはなかったでしょうけれど。でも、これで両親からも学園からも公認の仲ですよ」

“お楽しみ”の内容を言わないのは武士の情けなのか、もう性的接触を持っていることは告げてある以上はそんな当たり前のことは敢えて言うまでもないという魔物の常識なのか。ともあれ、

「ありがとうございます」
「私が説明に赴いた時にはもう礼慈君の所の生徒会長さんがほとんど話をつけてしまっていたので、私は『たしかにその魔法は娘とその旦那様の愛の所業です』と追認しただけなんですよ」

　ネハシュはリリの頬をつつき、

「ああもうこの子ったらこんなに幸せそうな顔をして……礼慈君こそ、この子が無理言って引き止めていなかったかしら？」
「俺もリリと居たいって望んでましたから」
「あらあら。もうこの子はすっかり礼慈君の子ね」

『うわああああああああん！』
『父上?!　しっかり！　――――ここは私が介抱せねば……！』

　立ち話をしている玄関の天井から男の絶叫と、ちょっと嬉しそうに慌てた若い女の声が降ってきた。
　心持ち跳ねるようなステップで足音が天井を家の奥へと移動していくのを聞きながら（盗賊とクノイチ……隠密とは……）と思いを馳せる。

「……あの」

　困惑を隠しきれない礼慈にネハシュは重々しく頷いた。

「大丈夫です。ちゃんと慰めますから。娘には負けられないですものね」

　変わらない物腰に、けれど気圧される何かを感じながら礼慈が相槌を打つと、スイが奥から現れた。
　彼女は会釈すると、スライムの体から双腕を形成して差し伸べてきて、

「リリ　ワタシが　ウけトる」
「すみません」

　背中のリリを彼女の手に下ろすと、腕は大きく膨らんでリリが体を伸ばして寝られるベッドになった。
　スライム体に心地よさそうに浮いているリリを眺めていると、スイが首を傾け、

「ワタシで　ネてみたい？」
「いや、それは遠慮しておきます」

　少し興味はあるが、リリと一緒にあのベッドで寝たら、何か引き返せないことになりそうな気がする。
　両手を突き出して丁重に断ると、スイはもう一つ腕を作って伸ばしてきてリリのランドセルを受け取り、

「レイジなら　カンゲイしたのに」

　クスクスと何か企みがあるかのように不審な笑いを見せるスイに曖昧な笑みを返していると、奥からまた一人。ジェーンと名乗ったリリの姉が現れた。

「お母さまー、お父様が被娘強奪１２連敗記念祝賀会（仮）とかやりだそうとしてるんだけど止めなくていいの……ってあら、レイジ君じゃないこんばんはー。リリと“仲良く”してくれてありがとうね？」

　サキュバスらしというか、持たせた含みを一切隠さない言い方をした彼女はウインク一つ。

「そうそう。ルイがお好みの衣装があればなんでも作るって言ってたわ。リリったらスモックとかスク水とか犯罪級に可愛いんだから。したいプレイがあったらいつでもリクエストしてよ」
「えーあー……」

　衣服の話からプレイの趣向にまで一息に飛んだ話題に付いていけず一瞬フリーズした後、スモックやスク水のリリを想像して本当に犯罪的な絵面になることを理解する。

「あ、早速何かリクエストがあるの？」
「いえ……」

　アスデル家の空気に飲まれかかっていると、助け船が出た。

「ふふ、リリに着せる衣装に悩んでいるのかしら？　それとも、なにか気になることが他にあるのかしら？」
「すみません。後者で」

　ジェーンに話の腰を折ってすまないと謝りつつ、

「少し、母と話をしようと思っています」
「なら、私たちこそ引き止めるわけにはいきませんね。いってらっしゃい。今度はじっくりお茶でも飲んでいってくださいね」
「はい。失礼します」

　みなまで語らずとも「イッてらっしゃい」「またねー」と心よく送り出してくれるリリの姉たちに会釈して、最後にネハシュに頭を下げると、その頭を撫でられた。

「娘は当然のことですが、息子が増えるというのも、何度経験しても嬉しいものですね」
「精進します」

　この家の人たちの縁者になる。ということを考えてそんな言葉を返すと、きょとんとした三人が顔を見合わせた。

「――ふふ、あまり気負わずに、ね。人の子はそういう所があるわ」
「努力します」

　ネハシュは眉尻を下げた。

「そうね。きっとそういうところも魅力なのね」
「分かるー」
「トウサマ　とは　ベツの　ミリョク」

　彼女らの言葉にどう返しても可愛がられてしまいそうでムズムズするような、据わりの悪い気持ちになる。
　最後にもう一度頭を下げ、礼慈はそそくさと家路についた。

　　　●

　団体で来ていたという客はもう帰ったのか、店舗の方に人影が見当たらなかったので、礼慈はそちらから家に入った。
　その姿を認めた礼美が片付けをしていた手を止めて「お帰りなさい」と少し慣れない風情で言う。

「湯冷めしなかった？」
「長風呂でのぼせかけてたのが冷めただけだから大丈夫」
「あら、のぼせかけたのはお風呂のせいなのかしら？」
「え？」
「随分と熱く愛し合っていたみたいだから」

「あっつあつ」と笑みの母に気まずい汗が湧いてくるのを感じながら礼慈は問う。

「もしかして……聞こえてたりした？」
「お客さんたちの声でお店の中では聞こえなかったけど、外の食料庫に予備の食材を取りに行った時に少し、ね」
「あー、うん。なんというか……」
「リリちゃん。可愛らしく鳴いちゃって、礼慈もすっかり立派な男性よね」

　そこはかとなく誇らしげに言ってもらっておいて申し訳ないが、あんな小さな子と性交していた声がもろに聞こえていた。というのは礼慈としては今後は気を付けようと思う反省案件だ。

（……いや、まあ、元々リリとヤってること自体はバレてたし）

　それを直接聞かれて率直な感想をもらっているだけだ。

（……うん。きついッ）

　精神的に堪える。が、事後に記憶が消えるとはいえあの場では双方合意があった上でのことでもある。行為自体に負い目を感じる必要は無いと言い聞かせつつ、礼慈は切り出す。

「……それで、ちょっと話、いい？」
「ええ、いいわよ」

　こうして店の方から帰ってきているという所からいろいろと見通されているのだろう。礼美の返事からそう感じながら、締まらない感じになってしまった空気を仕切り直すようにため息を一つ入れて、礼慈は口を開く。

「――リリと話をした。それで母さんに対して似たようなことを俺もリリも感じてて、それに関して母さんにちゃんと伝えておこうと思うことがあるからきいてくれ」
「何かしら。聞かせてちょうだい」

　ちょっと緊張した顔の礼美。
　礼慈はそれに対して思うところをはっきりと告げた。

「母さんはもっと自分のことを優先していい」
「……それは、今でもそうしているつもりだけど？　こうしてお店を自由にやらせてもらってるわ」
「これだけお客さんの入りがあるなら従業員を雇うのもありなんじゃないか？」
「そうするには私の体がまだまだ元気過ぎるのよ」

　そう言ってはぐらかすように笑う礼美。そんな母に思うところはあっても踏み込まないのがこれまでだった。しかし今回は違う。

「その身軽さが、いつか全部置いて消えていってしまいそうで怖いんだよ」

　礼美は一瞬目を見開き、それから首を傾げた。

「うーん。そうかしら？」
「母さんが本心から全部置いて居なくなるならそれはそれでいいんだ。それでどうにもならないほど俺もたぶん弱くないし、孤独でもない。だけど、昔のことを負い目に思って俺の前から消えればいいなんて考えていたらと思うと納得がいかなくてさ」

　礼美の顔から笑顔が消えた。
　リリが感じていたことは当たらずとも遠からずだったのだと、その表情から確信に近い思いを得る。

「言ったところで、母さんにそんなことないからと言われたら本心はどうあれ確かめようなんてないんだけど、まあ言っておきたかったんだよ。それだけ――あ、それと」

　礼慈はついで、とばかりに折りに触れて何度か伝えようと思っていたことを今こそ告げた。

「学園でのことで、訊ききたいこととかあるなら別に俺に直接訊いてくれても全然構わないから。もう反抗期って感じでもないし」
「え、あ……ええ。……ええ。そうね。分かったわ。ちょっと、うん。私も考え直さないといけないかもって思う」

　動揺しているらしい礼美に、礼慈はもう一件重要事項を差し込んだ。

「あ、それと、しばらくリリはこっちに来ないだろうから寂しがらないように」
「あら、ケンカ……は無いわよね。何かするの？」
「うん。まあ――――」

　早速向こうからも深く踏み込んでくれるようになった。それを手応えとして嬉しく思いながら、礼慈は考えていることを礼美に言った。
　礼美は「あら」と呟き、それから苦笑気味に、

「男の子ね……がんばって」
「男の子というか……元々そういうつもりだったのを果たすってだけだ」
「ほら、やっぱり」

　クスクス笑う礼美に困惑しながら、礼慈は母との間に流れる空気が少し変わったと気付いた。
　少し、心の距離が近づいたような気がする。

　それに伴い、過去を振り返ったばかりだからだろうか、それともリリとしていることがバレているからだろうか。少し照れくさいような、むず痒く落ち着かないような思いが湧いてきた。
　なんとなくソワソワして目が合わせづらくなるが、きっと、悪いことではないのだろう。リリはそんな変化をもたらしてくれた。だから、今度は自分がリリに変化をもたらす。そして彼女が好きでいてくれるのにふさわしい自分になるのだ。

■作者メッセージ
アリスという名前が日本で言う花子さん的な古風な名前だよっていうのを聞いたので
アリスちゃんにちょっと赤い吊りスカートと白のブラウスとか着てみてもらいたい今日この頃。皆さまいかがお過ごしでしょうか。

暑いので水分補給しっかりしていきましょう。
そんな感じで、また次回もお願いします。