連載小説
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オトナモドキ

 友達たちの所にリリを返してから、礼慈は教室に誰も来ていない内から登校するようになった。

 昼には高等部を出て慣れない学食で持ち込んだ弁当を食べ、放課後には帰宅部と競うように学園を早足で出てはその足で繁華街にあるゲームセンターへ赴いて日がとっぷり暮れるまで時を過ごす。

 諮問会が終わって文化祭の出し物が出揃うまで生徒会での仕事が無くなってしまったために若干手持ち無沙汰というか、張り合いが無くなってしまったが、それ以外はリリと出会う前の生活に回帰していた。

 いや、変化はあった。それも重大な。

 これまで肌身離さず持ち歩いていた酒を持ち歩かなくなった。
 酒が無くても自分は大丈夫だと、そう思えるようになったのだ。
 これは良い変化だと。そう思う。

   ●

 そんな、回帰というよりも健康寄りに改善した生活が続いて数日。店に来ていた顔見知りの客に挨拶をしつつ住居に上がろうとした礼慈は、厨房から顔を出した礼美に呼び止められた。

「遅かったわね礼慈。リリちゃんが来てたよ?」
「……そう?」

 一日過ごして少し疲労感を覚えていた体が彼女の名を聞くだけで軽くなる。
 友達と遊んだ後にわざわざ寄ってくれたのだろうか。


「上で待ってもらっていたけど、ちょっと前に今日はもう帰るって言って帰っちゃった。
 昨日も来てたのにあなたは帰って来るの遅かったし。生徒会の仕事が忙しいの?」
「いや、特に何もないよ。仕事も暇な時期。前話したように、今はリリが友達と仲直りしたばかりでけっこう繊細なタイミングだから邪魔しないようにしてるだけ」

 二日も連続してリリが会いに来てくれていたという事実だけで頬が緩んでしまいそうになる。
 必然、リリに会いたくなってしまうが、ここはまだ少し我慢しておくべきだろう。

(自制……自制)

「まあ、リリちゃんがしばらく来なくなるとは言われてはいたけれど……」
「うん。そっちで忙しくしてると思ったからこっちに来ててちょっと意外だった。いくら学園近くの街で、母親のエキドナが常に守っているようなものだといっても夜遅くにあの子一人は危ないな。もし明日も来たら、リリにはあまりこっちのことは気にしなくてもいいって伝えといて」
「それは礼慈が直接会って言えば……いえ、確かに遅くなったらちょっと心配だし、来てたらずっと家に居てもらうようにして、礼慈が送っていけばいいんじゃない?」

 意味ありげな笑みを見せる礼美に礼慈は苦笑する。

「最近は夜は冷えてくるし、魔物とはいってもあれだけ小さい子を夜歩かせるのはあまりよくないだろう。俺もしばらくは遅くなるつもりだから少しの間、やっぱりリリには早めに帰るように言っておいて」
「それは、いいけど……なんだったらリリちゃんにお泊りしてもらって私が他所に出かけてもいいのよ?」
「いや……それは、リリの父親の心証が良くないよ」

 ネハシュや他の姉たちの後押しはあるとはいえ、リリの父親をないがしろにするのは避けたい。

 礼慈は「よろしく」と念押しして住居部に引き上げた。
 階段を上り切って住居に繋がる扉を開けると、甘い香りが鼻に香る。
 テーブルの上にリリたちが作ったらしいクッキーが置いてあった。
 礼美のために持って来てくれたのだろう。
 バターと柑橘系のピールが混ざった匂いが鼻腔を楽しませる。そんな華やかな香りの中に、礼慈を待っていたのだろうリリを感じて、礼慈は窓を開けた。

 冷たい風に顔を打たせて逃げるように自室に行き、ベッドに倒れ込む。
 長いため息をついた礼慈は、枕に顔を埋めながら呻いた。

(……まるで禁断症状みたいだな)

 変化は、もう一つあった。

 礼慈は生活の中で、常にリリのことを考えるようになっていた。
 ほとんど四六時中、リリのことが頭の中にある。今もあの妖精のような少女がどのような表情で友達と過ごして、家で家族とどのような会話をしているのだろうと自然に妄想を始めていた。

(リリと離れられないのはまずいだろう。これじゃあこれまでと変わらなくなってしまう)

 これではだめだと、押し寄せる煩悩を洗い流すために浴室に向かった。

   ●

 YOU LOSE の文字が浮かぶ画面を見て礼慈は唸る。
 今日は生徒会室に居ても本当にやることがなくなってしまったので図書館で本を読んでいたのだが、頭が集中しきらずにそれにも身が入らなかった。
 小等部やサバト関係の娘たちの中に金髪が居るとつい気が削がれてしまうので学内に居ることを諦め、繁華街へ出向いた結果、彼は最終的にゲームセンターに身を置いていた。
 そこでも楽しんでいるとはいえず、格闘ゲームをしていた手はいつの間にか止まっている。
 タコ殴りにされたフルプレートの老騎士キャラが、金髪のロリキャラにどこかへお持ち帰りされる画面でゲームが終了してコンティニューするかどうかの選択画面が出た。
 目を閉じて眉間を揉み込み一息つく。

 金髪ロリのキャラは決してリリに似ていたわけではない。ただ、彼女を想起させるものを見てしまうとつい思考が彼女へと引っ張られてしまう。
 何事につけてもリリのことを想ってしまうのだ。その頻度、というか思考への侵食度合いは時間がすぎるごとに増えていて、もはや病的と言える状況だった。
 このまま連コインした所で、金を無駄に消費するだけなのは明らかだ。
 いっそ秘密基地に行って運動がてら残りの掃除をやってしまうことも考えるが、それをするのは何故かためらわれた。

(そうこうしてるうちにまた汚れるな)

 それを仕方のないことと、どこか期待しているように思いながら、礼慈は続けて数枚の硬貨を店に寄付した。

   ●

 ゲームセンターが閉店するまでいくつかのゲームをハシゴした礼慈は、少しちかちかする目をしばたたきながら自宅一階店舗の扉を開けて、その異様と呼べる空気に困惑した。
 普段ならば今時分が最も客の多い時間帯にもかかわらず、店内には客の姿はほとんど無かった。
 であると同時に不思議と店内は閑古鳥が鳴いているというような気配でもなかった。
 カウンター席に座った珍しい客が発する鮮烈な存在感が、独特な雰囲気で店内を満たしていたのだ。
 そんな客はリリのものよりも豪奢、と表現できる金髪を優雅に掻き上げて紅い瞳で鋭く礼慈を射抜いた。

「遅いお帰りだな」
「会長? なんでまた……お一人ですか?」

 ルアナ・フロレスクは礼慈の言葉には答えず、単刀直入に要件を口にした。

「リリ嬢が家出したそうだ」

 礼慈は言われたことの意味が理解できずに、鸚鵡返ししていた。

「……は? 家出?」
「ああ。どうやら昨夜から家に帰っていないらしい」

 ルアナの冷徹な言葉に、礼慈は絶句した。
 混乱している礼慈を憐れむように、ルアナは続けた。

「小等部の教師や私のような動かせる人員が居る家のものが学園から駅周辺まで捜しまわっているのだが、見つからん。ネハシュ様も捜していらっしゃるようだがあの方でもリリ嬢の行方を掴むことはできないようだ。
 初めは、ネハシュ様の魔法での探知を逃れる魔法をリリ嬢が使っているということは鳴滝が近くに居るということだからと安心していたらしいのだがな。教頭ちゃまが気を利かせて鳴滝とリリの欠席の処理をしておくと私のもとに連絡が来ておかしいと判明した。
 鳴滝は登校している。どうやら勘違いが起きているようだと先方に伝えて、家出が明らかになったわけだ。鳴滝、君は彼女の失踪の理由と行き先に心当たりはないか?」

 無意識にだが、リリはネハシュの探知をかい潜る魔法を使える。それはネハシュに聞いたことがあったし、学園でも認識阻害の魔法として問題になっていた。その魔法が使われる際に常に礼慈は近くに居た。だからこそネハシュは当初リリが礼慈と居ると判断したのだろう。
 だが、今回は違う。

(事件に巻き込まれた? ……いや)

 その場合、例の魔法が発動する理由がない。ならばネハシュがリリの居場所をつかめないわけがない。
 無意識とはいえ、これまで魔法はリリの意思を汲んで発動していた。つまり、リリは自分から姿を消したということになる。だが、

「自分から姿を消していたとして、心当たりなんて……」

 現在リリはそれまで悩まされていた問題からも一時的とはいえ逃れられているはずだ。
 また湧き上がるであろう記憶喪失という問題も協力して対処する流れになっていた。全てが解決されたわけではないが、これまでより少しは未来が明るく感じられるような状態だったはずだ。それで、とうして彼女が家出なんてしてしまったのか、礼慈には解らなかった。

(一時的な対処はかえって逆効果だったのか……?)

 思考の沼の中に沈みかけていると声がかけられた。

「なぜだか分からないのか?」
「分かりません」

 ルアナは肩をすくめた。そうして彼女は先程から纏っている厳しい雰囲気そのままに言葉を紡いだ。

「子どもたちに聞いた。鳴滝、君はリリ嬢が健全な学園生活に戻れるように取り計らったそうだな」
「その通り……いえ、そのつもりです」
「そして、その後リリ嬢から身を隠すようになった。そうだな?
 あの子は鳴滝。君に会うために昼や放課後に高等部の敷地をさまよっていたよ」
「え」

 気付かなかった。いや、礼慈の方からリリに遭遇してしまわないように気を付けていたのだから、連絡手段がない彼女が礼慈に会おうとするならば歩き回るしかないのだが、

「リリが俺を探していた……?」
「徘徊するモノたちの保護は私の管轄なので捕まえて話を聞いてみたところでは、友達と仲直りができたことと、そうしてくれた君に感謝しているということを聞いてな。他にはおかしな兆候はみられなかったと、そう思ったのだが、その実思いつめていたのかもしれないな」

 さて、本題だ。とルアナは糾すように重々しく言葉を作った。

「何故リリ嬢から身を隠すようなことをした? 君はあえて行動パターンも変えていただろう。言い逃れは許さない」

 礼慈の行動のせいでリリは思いつめた。そうルアナは糾しているのだと理解して、礼慈は用意のある言葉を返した。

「リリは、俺さえ居てくれたらいいって言ったんです。成長しなくていいとも……。
 それではあちらの世界に帰らずにこの世界にあの子が残った意味が無くなってしまいます。だから、リリが元通り、俺と出会う前の学園生活に戻れるようにしました。あの子に会わないようにしたのも、その一環でした」

 ルアナは“やっぱり”みたいな呆れた顔をした。

「あのな、鳴滝。知っているだろうが、そもそも魔物というのは個人主義な生き物なのだ」
「わかります。ですが、リリについてもそうですが、俺も――」

 ルアナは視線で礼慈を黙らせた。

「君については後。まずはリリ嬢の思慕についてだ。
 いいか? 個人主義である魔物だが、いざ“これは”という相手を見つけると二人で一個の生命であるかのような入れ込み方をするようになる。
 それほどに魔物にとって好いた相手というのは大きな存在なのだ。
 リリ嬢が鳴滝に言った言葉はそれだけリリ嬢の想いが深いということだ。それを突き放すのはリリ嬢にとっては半身を抉られるようなものだと同じ魔物として断言できる。
 記憶障害で友達と距離を置かざるを得なくなった時よりもその衝撃は大きいぞ。鳴滝とてそんな結果は不本意ではないのか?」
「それは……不本意です。でも……」

 言葉が途切れる。
 リリの想いは理解していた。消えてしまう記憶の中で、彼女は何度も好いていると言ってくれた。
 そして礼慈もそれに応えたのだ。
 だから、彼女には幸せになってほしくて、そうなるように行動してきた。そのつもりだったが、

(リリを避けたのは……)

「なにより、君も相当入れ込んでいるだろう。今更リリ嬢を他人に委ねることができるのか?」

 礼慈は首を横に振った。その上でうめき声のように言葉を絞り出す。

「……駄目なんです。俺は、リリに依存しかかってます」
「ふむ? ……では次は君の古い常識に絡められた頭についてだな。話すといい」

 ルアナの促しに礼慈は頷いた。

「リリと過ごして、自分でも信じられないくらいに惹かれました。
 あの子が俺のような大人になりたいなんて言い出したりしてくれて嬉しかったし、同時に実際にはそんな大した物でもない自分を晒すのをためらいもしました。
 けど、あの子が俺に近づくためと言ってお酒を飲んだりしたので――会長は知ってると思いますが、あの子には俺が学園に入る前のことを全て話して、俺は大人なんかじゃないって伝えたんです。けど、それでもあの子はこんな俺を素敵だと言って、そして求めてくれたんです。
 あれから、俺はお酒がなくても不安になることはなくなりました」

 ただ、

「その代わり、リリが欲しくて仕方がないんです」

 常に近くで、自分の目に映る所に居てほしいと。そして体の奥から湧き上がってくるマグマのように粘着質で熱い欲求を全てあの子に吐き出してしまいたいと、焦燥交じりに礼慈は感じ、何とかそれを押しとどめていた。だがそれは時間が過ぎるごとに圧力を増していくようで今はもう、ともすればリリの幻すら見えてしまいそうなほどに膨れ上がっていた。

「それが、俺は怖いんです」

 そう、これではまるで、

「リリを新しい依存先にしているだけみたいで」

 リリと会いたくてたまらず、彼女と会えないことがまるで生命の危機に繋がっているかのように恐ろしい。このどうしようもない不安感は、酒を飲み始めた頃と同じような感じがする。

「孤立して参っていたあの子のためと言って弱みにつけ込んで、賢しらな大人のフリをしてあの子を騙して体の関係を結んで味をしめた俺は、彼女を新しい依存先にしようとしている。そんな気がしているんです」

 酒の軛からは逃れたと思ったが、ただ単により快感を得られる方向に流れただけなのではないか。そういう思考がどうしても拭えなかった。そしてそれは、リリの純粋無垢な想いに対する裏切りに感じられ、

「だから、あの子とは一旦距離を置くことにしました。
 友達の輪の中に戻ったあの子には元の生活に戻ってほしかったし、俺も、一度リリとは離れて、あの子みたいな子供に依存しないような、あの子に尊敬してもらえる兄として、自分を立て直そうと思っていたんです」

 結果、わずか数日会わないだけで薬の禁断症状のようになっている。あんな小さな子に依存せずにはいられない自分に嫌悪を得るだけの期間だった。

「今、もうあの子に会ったら理性も何もなく襲い掛かってしまいそうで、そんな自分をリリに見せたくなくて、会うに会えないんです」

 そう言ってうな垂れる。
 
「なるほど、話は分かった。
 カッコつけたかったわけだ。可愛い所があるじゃないか」
「いえ、そういうものでは。格好というか、人として当然持っておくべき自制心から何から全部消し飛んでリリを犯して傷つけてしまうかもしれないんですって」

 表情を和らげたルアナに自分の危険性を言って聞かせようとしていると、彼女は少し考えるような間を置いて一つ頷いた。

「誤解を正しておこう。
 鳴滝。君は依存することを忌避しているようだが、対象が私たち魔物であるというのならば、それはまったく問題ないことだ。
 依存して、溺れてしまうがいい。生徒会には教師を拉致ってズブズブに依存しまくったウィル・オ・ウィスプが居るだろう。私たちの中ではそう珍しいものでもないのだ。
 加えて、私の見立てではいきなり君が襲い掛かったとしてもリリ嬢が君に幻滅するようなことはないし、あの子の方でももっと君と触れ合いたがっているだろうさ。もはや君の精なしでは生きてはいけないだろうからな」
「え……?」
「我々はそういう生き物だ。知らないわけではあるまい?」
「いえ、でも性交が終わるごとに記憶も無くなってるし、処女にも戻ってるんですよ? そういう意味での接触を求めるなんて、何かの要因で発情しないとないんじゃないですか?」

 ルアナは首を振る。

「あの子は君の味を覚えた。魂に刻まれたそれは記憶の有無程度で喪失するようなものではない。心当たりはないか?」

 ある。
 まぐわいを繰り返すたびにリリの体は礼慈に馴染むようになっていった。
 好きと何度も好意を訴えてくれていたのもそうだろう。
 記憶が消えようともリリの中に残っているものが確かにあった。

(それに、この前、もっと一緒に居てくれって言ってたな……)

 聞いて、約束していながらそれを違えてしまった。
 リリの為と言いつつ、抑えのきかない自分のために、リリが、そして自分も望まない結果を作ってしまっていた。
 礼慈の様子から何を察したものか。ルアナが囃すように高調子に言った。

「さあ、あの子はもう君なしでは生きていけない身体になってしまったぞ。依存だな。そしてそうさせたのは君だ。
 かく言う君もあの子に魂まで魅了されているようだが、どうだ? そして、どうする?」
「どうもこうも……」

 ここまで自分という卑小な人間とリリという魔物の少女への理解が成っておきながらリリを遠ざけたままでおく選択はありえなかった。

「怒ってるかもしれませんけど、謝って、許してもらいます。もう、自分からも逃げません。どうしようもない自分を許してもらいに行ってきます」
「分かっているじゃないか“お兄さま”。
 そう、それでいいんだ。だいたい! この世界の人間はグダグダと悩み過ぎだ。我々が来たからにはもっと本能で生きていい」
「それは正直どうかと思いますけど……そうですね。カッコつけていた、というより、リリの近くに居られる理由を、自分に納得できる形で作ろうとしていたんだろうと思います。それでリリを傷つけて、ほんと馬鹿なことをしました」
「泣いていたリリ嬢に手を差し伸べた時点で君はリリ嬢と悠久を過ごす資格を得ている――強制的にな。すでに得ているものを求めているとうちの会計が二重徴収だとかなんとか怒るぞ」
「あー、赤殿先輩には黙っていてください……しかし、ありがたい話ですね。自分が価値ある人間に思えてしまいます」
「忘れたのか? お前は私が再三顔を出して生徒会に引き入れた逸材だぞ? それくらいの価値はある」

 ルアナは立ち上がった。

「さて、初めてできた彼女との付き合い方に困っていた後輩への助言も済んだことだし、リリ嬢を捜しに行くとしようか。特別に我が家の力を貸そう」
「タダだぞ?」と付け加えるルアナに、礼慈は挙手し、
「会長。その前にいくつか質問してもいいですか?」

「? 聞こう」
「ネハシュさんの魔法をすり抜けているそれは、どういった類の魔法なのか分かりますか?」
「いや……鳴滝。君は把握しているのか?」

 ルアナの答えに、頭の中にあった憶測を真剣に考慮する。

「学園の裏山は調べましたか?」
「いや……いや、そういえば、捜索範囲に含まれてすらいなかった……。小等部の女児が好き好んで入る場所ではないだろうが学園の近くだというのに……妙だな。意識から外れていた……?」

 そうか、と得心した様子のルアナに、礼慈もまた確信を得て言った。

「実は ……もしリリが俺のことをまだ慕ってくれているのなら、居そうな場所に心当たりがあります。なので会長。貴女の家の力は借りるにおよびません」
「ああ、うん。なるほど分かった。仕方がない。私が直々に送って行こう。裏山のどこだ?」
「いえ、だめなんです。教えることはできませんから。ここは俺一人で行きます」
「なぜだ?」

 礼慈は少し考えて口元に指を添えた。

「ヒミツ、だからです」
「ああ……。うむ、私は君たちの痴話喧嘩に彩りを添える道化というわけだな?」
「いえ、そういうわけでは」
「構わん構わん。そう思わせておけ。なので、酒類の持ち込みを通す背景としての生徒会所属の意味がなくなったとしても、この私をピエロにしたという借りで生徒会に所属してくれると助かる」
「そこは大丈夫ですよ。あの子と出会えたのは生徒会の仕事のおかげですから。少なくとも貴女の任期中は微力を尽くさせてもらいます」

   ●

 それ以上詳しいことは聞かず、「ではよし」とルアナは席を立った。

「私は退散するとしよう。無用に事を大きくすることもない。アスデル家には私が話して捜索は打ち切ってもらうようにしておく」
「あ、いえ、そちらには自分で言いに行きますから」

 ルアナは少し不満そうな顔をした。「なんだなんだ、後輩の一大決心に私は噛ませてくれないのか」

 世話を焼きたくて仕方がないらしい上役に苦笑して、礼慈は言う。

「ご家族への説明はどう考えたって俺がやるべきことでしょう。それに、先程頂いた叱咤激励が何よりの手助けですよ」

 これは本心からの言葉だ。それをルアナも察したのか「そうか……」と仕方なさそうに、

「ではまあ、うまく事が運ぶように祈らせてもらうとしようか。
 ああ、それと、子作り休学の手配はこちらでしておく。学園のことについては気にせずにいておいて構わん」
「いえ、そこまでするようなことにはならないと思いますよ」
「鳴滝。先輩の言うことだ。これについては素直に聞いておくがいい」
「……じゃあ、必要になったらその辺り、よろしくお願いします」
「うむ、任されよう」

 当初の威圧的な様からは大きく変わって、どことなく満足したように店から出ていくルアナを見送り、礼慈は厨房の方へ目を向けた。

「書き入れ時に店を占領してごめん」
「会長様の家の子たちが食材は平らげていってくれてるから大したことないわよ。でも、あんなにアンデッドの娘たちがきたのは初めてだからびっくりしちゃったわ」

 厨房の奥から現れた礼美は合掌して頭を下げた。

「こっちこそごめんね。お話、全部聞いちゃった」
「それは別にいい」

 どちらかと言えば聞いておいて欲しかったことだ。
 その中でも特に大事なことを、礼慈は改めて母親の顔を見ながら口にする。

「母さん。俺は好きな女の子ができたよ」
「ええ、ほっとしているわ。けれど……ちょっと驚きました……いえ、礼慈に私たちが強いていた状況を考えれば当然の好みなのかもしれないわね」
「確かに大人は少し苦手ではあったけど別に、昔のことがあったからああいう子を好きになったんじゃない」

 かと言って、自分に天然でそちらの性的な趣味があったのかと思うと、それはそれで認めがたいものがある。過去のことは、きっかけと、その程度には影響しているものと考えておく。
 それ以上に、出会ってから不思議と歯車が噛み合ったような居心地の良さがあったのが大きい。これが決め手だろう。ルアナの言葉を借りれば、それこそ、

「運命? みたいなものだったんだろう」
「ふふ」

 礼美が口元を抑えて控えめに笑う。
 礼慈は気恥ずかしくなって目を逸しつつ、


「似合わないことを言ってるのは分かってるから」
「ごめんなさい。でも、いい子に育ってくれたのがうれしくって」
「……」

 半目を向けると、礼美はとりなすように愛想笑いをして、

「あ、ほ、ほら、リリちゃんも可愛らしいし、礼慈が好きになっちゃうのも分かるわ」

「まあ、いいけど」と絞り出してから、礼慈は続ける。

「リリは可愛いのもあるけど、あれで見た目より成熟した考え方ができていると思うよ。そういう所にも好意をもった」

 成熟――大人びた思考ができる。というよりもより根幹の部分で彼女は聡いと感じることがままある。特に他者への気配りにその特性は発揮されていて、礼慈だけではなく、礼美もそのことには気づいていたのだろう。

「だから昔のことを話したんだろ?」
「ええ、それ以外にも、礼慈のお嫁さんになる子なら私がしてしまった過ちを知っておいてもらいたかったということもあるけどね」
「もう昔のことだから、これからはそういうの、あんまり言いふらさないでくれ」

 それは礼美にとっての贖罪のための行為なのだろう。
 そうせずにはいられない衝動を理解しつつ、だが礼慈はその自傷を止めるよう心底願った。
 礼美は目を伏せ、

「こうしてあなたが前に進むことができても、まだ枷は外れたわけではないから、私はあなたに償い続けなければいけないわ。今回のことだって、昔のことが無ければ依存なんて考えにならなかったと思うもの」
「それなら俺は何度でも許す。そもそも依存云々は魔物にとっては割と普通にあることで、今回のはそのあたりの理解が浅かった俺が格好つけようとして空回っただけだってさっき会長に言われただろ。母さんは気にしすぎだ」

 これまで何度も行われた謝罪と許しをまた交わす。きっと、自分と母はこれからもこれを呆れ返るほど続けていくことになるのだろう。
 ただ、

「こんなにしんみりした気持ちでこんなこと言い合えるのも、これが最後かもしれないな」
「え?」
「リリがきっと俺たちを励ましてくれるだろうから」

 あの子はそういう娘だ。
 そう思っていると、礼美が両手をあわせてこちらを拝んだ。

「ごちそうさま。本当に好きなのね」

 指摘されて初めてああ、これがのろけている奴らの気持ちかと思う。そうしながら、話を逸らす方便としてはっきりと言っていなかったから今回こんな感じになってしまったことだし、と改めて自分の中にある礼美に対する懸念を言葉にして訴えておく。

「まあ、だから、もし俺のためにとか考えてどっかに雲隠れしようとか思ってるならそんなものは必要ない。俺もリリも、そんなの求めてないから。というか、そんな理由で居なくなったらリリが悲しむ」
「あらら……そんなに心配される程あからさまだったかしら?」

 以前は自分が姿を消すと考えていることを認めなかった礼美が、言葉の裏で肯定した。
 隠しておく必要もなくなったということだ。それはもう姿を消すから、という考え方もできるが、今の礼美の明るい口調からはそういう意図は汲み取れない。

「分かった。孫ももしかしたら早くできるかもしれないものね。お母さんの次はおばあちゃんしなくちゃいけないし、いなくなったりはしないわ」

 礼美の言葉は、礼慈の中の形が定まらないままに胸中にあった不安のもやを消して行った。軽くなった心が、その余力をリリの方へと向けていき、彼の思考は幼い少女のことでより満たされた。
 早く彼女に会いたいと急く心をなんとか制御しながら、礼慈は母親に言った。

「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい。朝帰りでも構わないからね」
「……分かった」

 短い挨拶はこれからも積み重なることを当然の前提としているようで、どこか頼もしさを感じながら礼慈は足早に家を飛び出した。

   ●

 走ってきて上がった呼吸を整えて、礼慈は見上げるほどの塀に向かって堂々と呼びかけた。

「ネハシュさん。礼慈です。リリのことで伺いました」

 数秒。

『いらっしゃい』

 娘が行方不明になっているにしては落ち着いた声が返って、塀が観音開きに開いた。
 門前払いにされることも考えていた礼慈は、少しほっとしながら玄関まで早足で向かう。
 玄関ポーチに辿り着くと、これもまた大きく豪奢な扉が開かれた。

 ホールでは待ち構えていたかのようにネハシュが、エメラルドの蛇体を巻いて泰然と佇んでいた。
 十中八九リリが家出をした件に深く関わっているであろう礼慈を前にしても特に大きく感情を動かした様子もなく口元を軽く緩めて迎える彼女からは、礼慈程度では心中を推しはかることはできない。
 あまりに平静な様子に、礼慈は糾弾される決意を固めて来ていて力み過ぎていたがために、話を切り出すタイミングを逸してしまった。
 挨拶の言葉も出ないままに棒立ちしていると、ネハシュの方で気付いてくれたのか、ふわりと歓待の笑みを浮かべ、

「よくいらっしゃいましたね」

 それで、ようやく喉奥に凝った言葉を発することができるようになった。

「すみません。そうするべきだと思ったので」

 ネハシュは笑みを深くした。

「用向きは私たちの娘の件、ということでしたね。行方不明になってしまったあの子について、何か言うことはありますか?」
「俺の考えが甘くてこんなことになってしまったと思っています。それについては謝罪させてください」

 リリは家で学園でのことをよく話すと以前言っていた。詳細は言わずとも、礼慈が何を誤ってしまったのかは察されていることだろう。
 では、この言葉はどう受け止められるのだろう、と思いながら続きを口にする。

「これからリリを迎えに行きます。なのでネハシュさんたち家族の方には心配しないでおいてもらいたいと伝えに来ました」

 ネハシュは「そうですか」と頷いて姿勢を崩した。

「では、安心して待たせていただきましょう」

 それはまるで客を迎えるものから身内の帰りを迎えるような挙措の変化で、礼慈は報いる言葉を返すことができなかった。
 言葉を探しあぐねている礼慈に優しい声がかかる。

「礼慈君のような男の子があの子のよい人になってくれたことは、私も、あの子のお姉ちゃんたちも大変喜ばしいことだと思っています」

「ですけれど……」とネハシュは頬に手を当てる。

「どうしても、一言もの申したいって人が居るのね」
「それは」
「まあ、俺だな」

 背後からの声に振り返ってみると、ラザロスが居た。
 彼は物音一つ立てずに玄関ポーチを一足で飛び越えて礼慈に迫り、至近の位置で睨みをきかせた。

「うちの娘が姿を消しちまった原因だけどよ。お前さんが悪いっつーことでいいんだよな。あいつをそんなにさせておいてお前、何今更迎えに行くなんて言ってんだ? その資格ってヤツがお前にはあるのか?」

 言われた言葉が胸に響く。が、それらを受け容れて、礼慈は応じた。

「それは、分かりません」
「ハッ」

 嘲笑混じりに何かを言おうとしたラザロスに「ですが」と礼慈は繋げる。

「今、ネハシュさんにも他の誰にも見つけることができないリリが、俺と彼女のヒミツの場所に居るのなら、それはリリが俺のことをまだ慕ってくれているという何よりの証で……そして、それがあの子とやり直していいという資格の証明であると俺は考えます」
「で、うちの娘の純真なところにつけ込んでまただまくらかすってか?」
「いえ、もう騙すのはやめにしようと、そう決めましたから。俺は飾らずにあの子と向き合います」

 ラザロスは礼慈の胸元を掴んで引き寄せた。

「これまで騙してたってのは否定しねえんだな?」
「ええ、恥ずかしながらラザロスさんの言う通り、俺はそんな人間ではないのにリリが尊敬してくれるお兄様であろうとしていました。本当は今こうしてあなたの前に立っていることすらこんなにも怖いのに、滑稽でしょう。でも、こんな格好悪い俺を晒して、それでもリリは俺をお兄様と呼んでくれました」

 そんな彼女の気持ちを置き去りに独善にかまけてしまった自分のふがいなさに苦いものを感じる。
 それでも誰にも何も言わずにリリが姿を消したのは自分に見つけてもらうためだろうと、礼慈は信じていた。
 ならば、

「リリが俺に甘えてくれているように、俺の方もリリに素直になろうと思います」

 リリに甘える、と言えないのはまだ自分を守ってるということだろうか。
 ラザロスはしばらく至近距離で礼慈の目を見つめ、やがて胸元を放り出した。

「ケッ、いいツラの皮しやがってよ。……別に滑稽じゃねえよ。今のお前は俺の次くらいにカッコいいから安心しとけ」

 指をビシっと突き付けてラザロスは言うと、ズシズシ音を立てながら家の中に消えて行った。
 その肩が少し落ちて見えたのは気のせいではないのだろう。
 そっとその背を叩いて夫を見送った後、ネハシュが言う。

「覚悟を決めた男の子の表情。本当に立派ですよ」

「いえ、あの、すみません。謝らなくてはいけないことは実はまだあって、
 俺、勝手にリリの体質のことをリリの友達に話してしまっていました」
「聞いています。それがあの子にとって一番だと礼慈君が考えてそうしたのなら、それは私の決定に優先して当然です」

 ネハシュの許しに、礼慈は何ともいえない複雑な表情になる。
 リリを友達の輪に返す。この世界をできるだけ広く視てもらいたい。どちらも礼慈が望んだことに間違いないが、裏にはリリに依存しない自分を作る足掛かりとしての意味もあった。
 そのことまで包み隠さず言おうとした礼慈の言葉の出掛りを、ネハシュが先んじて潰す。

「さて、いつまでも礼慈君を引き留めていてはリリに怒られてしまいますね」

 全て見透かされているのだろうと観念し、ただ頭を下げた。

 ネハシュが言う。

「行ってらっしゃい。そして、娘のことをよろしくお願いします」

   ●

 その声に押されて、礼慈はアスデル邸を後にした。
 彼の足は迷うことなく進んでいく。本当に彼にはリリが居る場所が分かっているのだ。

(私にも、他の誰にも分からなかったのに、やっぱり番うって素敵なことですね)

 これで二人は大丈夫だろう。
 数日前の夕食時。また友達と遊べるようになったことを喜んでいた娘の顔が日を追うごとに曇っていったことから、自分のあずかり知らないところで二人の間で何かのすれ違いがおきているのだろうと理解していたが、余計な手を出さなくてよかった。

 二人共互いを慮っているのが前提にあるのだから、中途半端に手を出すとそれぞれ――どうやら今回の場合は礼慈だけのようだが――本当の原因を晒すことなく仲直りをしてしまって病巣を取り除くことはできなかっただろう。完全に食い違ってしまった今、二人は彼らだけの答えを出す。
 それはもしかしたら必要のない通過儀礼なのかもしれないが、元武闘派の自分としては、食い違って、ぶつかって、もう一度手を繋ぎ合わせた時に得られるものがあると信じている。

(私たちの娘がまた一人巣立っていく……。
 私があの子にしていたことはほとんど必要なくなるのね)

 探知の魔法を弾いているのは、ネハシュの過剰気味の保護はもう要らないとリリの無意識が親離れを宣言しているということか。
 喜ばしい。
 オトナへの階段を駆け上るであろう末娘を想いながら、寂しそうにしている夫を慰めてあげなくてはとネハシュはリビングに顔を向ける。
 リビングの扉からこちらを覗き込んでいる他の娘たちと目が合った。

 特に大変な星のもとに生まれた妹がその苦労を報われるのはもはや目前と悟ったのか、彼女らの瞳には暖かいものが湛えられている。そんな彼女らへ、ネハシュは肘を立てて口元の笑みを隠し、

「一番下の妹がこうして旦那さまを見つけてきたのだから、次はあなたたちの番ですよ。がんばりなさい」
「ん ワかってる」

 スイの返事に他が同意する。
 元々はリリの体質のことを考えてのこちらの世界への移住だったが、彼女たちは彼女たちでこの世界で生活して築いた関係がある。もうしばらくは学園施設の行く末も含めて見守らせてもらうことになるだろう。

「それで、お母様。リリとレイジ君が帰ってきたらどうするの? やっぱり盛大にパーティー?」
「イーネイーネ!」

 テルジュが嬉しそうに乗り気を示す。

 言葉にすることで問題が解決したという認識が家族内で共有され、リリの行方が分からなくなってから、にわかに立ち込めていた緊の空気が完全に拭い去られる。
 そのままパーティーの準備を始めそうな娘たちにネハシュは「待ってね」と声をかける。

「善は急げって言うぜ?」

 いつの間にか混ざっていたラザロスの張り切りようは空元気だろうか。
 今夜は空元気も吸い出して何も思わず眠れるくらいに愛してあげなければと思いつつ、ネハシュは言う。

「二人が帰ってくるのはもしかしたらしばらく後のことになるかもしれませんからね。二人が戻ってきたら、改めて日時を調整してパーティーを企画する、とした方が良いですよ」
「そんなにヤっちゃうの?」

 ジェーンが「きゃ」っと可愛らしく言うのをルイが引き取る。

「それはそうですよお姉様。大好きな彼と会うのを何日もお預けされていたような状態でのレイジ君からの素直に甘える発言よ?」
「あー、ちょっと羨ましいかも」
「そうねー。あ、パーティー用の服作らなくっちゃ」
「ルイおネエサマ ワタシ テツダう」
「お願いね。スイ」

 わいわいと娘たちが別方向に盛り上がり始める声を聞きながら、ネハシュは今は一人さびしくしているだろう末娘に改めて祝福とエールを送った。

19/09/29 00:17更新 / コン
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■作者メッセージ
後一回で本編終了とエピローグでございます。
お付き合いよろしくです。

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