浮球(バルーン)の輪を抜けるとヘザーの視界に細い路地の入り口が見えた。
両側を背の高い建物に挟まれた狭い路地である。
その路地の建物の間には洗濯物を干す為に使われているのであろうロープが何本も張り巡らされていた。ここは城下町コースの名物の難所、通称蜘蛛の巣横丁である。


「現在のトップは期待の新星！　本大会初出場のタウンゼント選手です！
いやー、ネマさん。タウンゼント選手はここまで素晴らしい飛行ですねー」
「うむ、スピード、コントロールともに申し分ない見事な飛行じゃ！」
　実況のアニーの言葉に解説のネマが満足気に頷いた。

「あの泣き虫の小娘が随分腕を上げたものじゃて…」
　バフォメットは拡声用の魔具から口元を外し、優しげな笑みを浮かべる。

「？　何か言いましたか？　ネマさん？」
　その呟きが聞き取れなかったらしいアニーがきょとんとした視線を向けてきた。
「いや、何でもないぞ。それより、レースはここからが本番じゃ！」
「はい、その通りです！」
　ネマの言葉にセイレーンの娘は我に返り、実況を続ける。

「これから選手たちが挑むのは本レース最難関との呼び声も高い蜘蛛の巣横丁！
果たして、ここを選手たちはどうくぐり抜けて行くのか！？」


　ヘザーはスカイボードへと注ぎ込む魔力をコントロールし、少しだけ速度を緩めた。
同時にチラリと視線を左側へと走らせる。
視線の先に道幅の広い、ゆったりと右にカーブした通りがあった。

　次のチェックポイントは正面に見える蜘蛛の巣横丁を通り抜けた場所にある。
そして、少し大回りになるが左の広い通りもチェックポイントに通じていた。

　大雑把に平面図で表わすとコースはちょうど半円を描く形になっている。
半円の円周にあたる部分が左の通りであり、直径にあたる部分が細い路地であった。
見ての通り、迂回すれば安全ではあるがタイムロスを招き、直進するなら狭い路地を潜り抜けなければならない。では建物の上空を越えていけば…と考えるだろうが、そう簡単にはいかない理由がある。

　城下町の南東部にあたるこの区画には様々な職人たちの工房が軒を連ねている。
　工房と住居が一体となったこの辺りの建物は背の高いものが多く。
そして何より、工房の煙突から絶え間なく吐き出される毒々しい色合いの排煙が空を覆っていた。
魔物やその伴侶が経営する工房から出る煙が只の煙な筈は無い。
　雑多な魔力を帯びた煙を吸い込めば、どんな愉快な副作用があるか分からない。
排煙の中を飛ぶ事はあまりにも無謀な事だ。

　ヘザーは一瞬だけ目を伏せた後、視線を真正面へと向けた。

　リードはある。
でもここで日和見して勝てる程、レースは甘くはない。

　少女はそっとゴーグルに触れると、迷う事無く細い路地へと突入した。
（兄やん…力を貸して…！）
　彼女の意思に反応して、ヘザーの身体の中で魔力が渦を巻く。

　熱く。激しく。
　鋭く。繊細に。

　それは少女が愛する男性(ひと)から貰った"チカラ"。
彼女が夢へと羽ばたいていく為の"魔法"。

　スカイボードがふわりと横に跳ね上がり、ヘザーは横倒しの姿勢を取った。
風の中で赤いミニスカートとふわりと舞う。
　彼女はその姿勢を保ったまま、(主観的には)左右に動いて、ロープをかわす(客観的には上下の動きだ)。
次々と現れるロープをかすめるようにひたすらにかわして、彼女は突き進んだ。


「トップのタウンゼント選手！　迷わず蜘蛛の巣横丁に飛び込んだ！」
　幻影投射用の映像幕にリズミカルな飛行でロープをかわしていくヘザーの姿がアップになった。
「これはスゴイ！　まるで宙を自在に舞う鳥のように次々とロープをかわしていく！」

「…横倒しに飛ぶとは、あやつ中々考えよったのう」
　ヘザーの飛び方を目にしたネマは感心したように漏らした。
「と言いますと？」
「…通常の姿勢のままでは足元のボードによって下方向が死角となってしまうからのう。
普通に上下にかわせば、死角に入ったロープに接触する恐れがある。
あやつが横倒しに飛んでいるのはその死角を無くす為じゃ」
「なるほど！　これはファインプレーですね！」

＃＃＃＃＃＃＃＃＃＃

　トップのヘザーに遅れる事、少し。
後続の二位集団も蜘蛛の巣横丁に差し掛かっていた。
流石にここまで熾烈な二位争いを繰り広げてきた実力者というべきか、どの選手も迂回せずに細い路地へと飛び込んでいった。
　選手たちは通りの名前の由来である蜘蛛の巣の如く張り巡らされたロープをそれぞれのやり方でかわしながら前へと進んでいく。
少しでも気を抜けば、ロープに接触してしまう。どの選手も飛ぶ事に集中していた。

　そこに隙があった。

　ロープをかわそうと大きく方向転換した選手の傍らを黒い烈風が吹き抜けた。
紫がかった黒髪を揺らし、飛び出したのは紺色の飛行服に身を包んだ魔女リーリャ。
　彼女は一瞬の隙を突き、次々と前方の選手を抜き去っていく。
その猛烈な追い上げに気づいた上位の選手たちはたちまち警戒を強め、進路をブロックしようとした。元々狭い路地である。ブロックするのも容易い。

――それが並の相手であれば。

　壁際をすり抜けようとしたリーリャを相手は自分の飛行魔法の力場で阻もうと幅寄せした。
行く手を塞がれた少女は減速するしかない――。

　だがしかし、リーリャは魚が水中で身を翻すように一瞬で方向転換し、相手の逆を突く。
相手はその動きについていけず、壁際に押しやられ、進路を譲った形となった。

「兄さんが作ったヴォジャノーイの力…甘くみないで」
　一歩間違えれば、ロープに接触するか、あるいは壁に激突する危険もあった。
それでもリーリャは勝負出た。
自らの力と愛する男性(ひと)から貰った魔具(チカラ)を信じて。


「おおっと！　ここでバランニコフ選手が飛び出してきたぁっ！」
　薄暗い路地の中を銀の魔力を放ち、人魚のように泳ぎ抜ける少女の姿に歓声が上がった。
「次々と上位の選手を追い抜き、一気に２位へと大躍進っ！！」


　蜘蛛の巣横丁を出て、チェックポイントを抜けると視界が一気に開けた。
　先頭を飛ぶのは赤い飛行服の魔女。
その直ぐ後ろを黒髪の魔女が飛んでいるのが見えた。

「トップはあそこですか」
　２位集団の先頭を飛びながら、ゾフィーアが冷静に呟く。
リーリャの追い上げによる混乱を利用して、ゾフィーアもちゃっかり順位を上げていた。

　白い飛行服の少女は華麗なコーナリングで市街を抜けつつ、じりじりと広がるトップとの差に歯噛みした。加速とトップスピードではあの２人には敵わない。
　けれど、総合的な実力では２人にも決して劣ってはいない。そんな自負が彼女の内にある。

「追いついて見せますわ…必ず…！」
　闘志を込めて呟く。
「うむ、その心意気だ…！」

　いきなり話しかけられて、驚いて振り向くと隣に緑髪の魔女とその使い魔が並んでいた。
「！？　いつの間に！？」
「それに関しては回想シーンをどうぞっ！」
「どうぞっ！」
　２人揃って喜色満面にそう答えた。

＃＃＃＃＃＃＃＃＃＃

　少し時間を遡る――。

　なんやかんやあり、緑髪の魔女マイとその使い魔も蜘蛛の巣横丁の前に辿り着いていた。
「お兄ちゃん、どうするのー？　広い方飛ぶー？」
　狭い路地に突っ込んでロープや壁にぶつかる者。素直に通りを迂回する者。
マイたちが属する下位集団ではトップ争いに絡めない選手たちが思い思いにレースを楽しんでいる。
「いや、裏道を使う」
　使い魔である裸の青年はニヤリと笑い、横丁の右隣の建物へ少女を誘導した。
「ウラミチって、道なんかないよー？」
　マイたちの目の前には建物の壁があった。
「道が無ければ作ればいいじゃなーい！　マイたん、ドリルモードだ！」
「りょかい！　ドリルっ！！」
　青年の言葉に応えて、少女は飛行魔法の力場を円錐状に変形させた。
その頂点が向いているのは勿論、進行方向である正面の壁。
「突貫っ！」
　可愛らしい掛け声とともに壁を粉砕してマイが家の中へと突っ込んだ。

　道が無ければ作ればいい。
それは先人たちも考えてきた方法。
だが、ぶっちゃけ。効率の悪いやり方だった。
　力場で障害を破壊する事は大量の魔力を消費する。
体力的にも魔力的にも優れた方法とは言えない。

　しかし、マイたちの飛行スタイルはスタミナ重視。
そして――。

「事前の調査によれば、この集合住宅には横丁に平行して長い廊下がある。
破壊すればいいのは外壁だけだっ！」
「いくよーっ！」
といいつつ、部屋の反対側にあった扉を破壊して廊下に突き抜ける。

　そんな２人を部屋の中でナニやらヤっていったカップルが唖然とした表情で見送った。

＃＃＃＃＃＃＃＃＃＃

「こうしてマイたちは勝ったのでした。めでたしめでたし」
「いや、勝ってもないし。終わってもありませんから」
　箒を操りつつ、ゾフィーアは器用にこめかみを押さえてツッコんだ。
呆れた彼女の隣で兄妹はパァっと顔を輝かせた。
「やっぱりいいね！　ツッコミがあると！」
「水を得たナニというか、アレだな！」

「デタラメだけど、侮れないというか…何というか…」
　マイたちの厄介さをゾフィーアは改めて思い知らされた。
彼女は溜息をつくと気を取り直して視線を前方に向ける。

　そこにはまばらになった建物と、その向こう広がる青々と茂った森が見える。

間もなく、次なる難関に差しかかろうとしていた。

■作者メッセージ
現在の順位
１位：ヘザー　　　進行値35
２位：リーリャ　　進行値34
３位：ゾフィーア　進行値24
３位：マイ　　　　進行値24