連載小説
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リリムと遺跡の秘宝(後編)
ガーゴイル達の部屋から大分離れた時だった。
不意に、巨大な地震が発生した。
あまりの揺れに、立っているのがやっとなほどだ。
体感でしかないが、震源は自分の来た方角。
つまり、あの部屋。
また天井や壁が崩れたのかもしれない。
「ミリア……!」
一人残してきてしまった連れは無事だろうか。
心配だが、彼女の無事を確認する術はなく、またそんな余裕もない。
ここからはロイド一人で進まなくてはならないのだ。
空気に呑まれないよう自分の頬を強めに叩くと、変哲のない通路を慎重に進んで行く。
通路の果てに待っていたのは緩やかなカーブを描いた螺旋階段だった。
一段一段に等間隔で黒い円が描かれているが、近くで見ても汚れかなにかにしか見えない。
とりあえず、気にしなくてもよさそうだ。
そう思って上り始めたのだが、なかなか終わりが見えてこない。
「まさか、無限に続くわけじゃないよな?」
ため息をつきながら次の段を踏む。
すると、風を切るような音とともに、ロイドの前にいきなり槍が現れた。
「っ!!」
あまりにも唐突な出来事に、体がびくりと硬直する。
恐る恐る槍の発生源へと目をやると、槍は黒い円から飛び出てきていた。
よく見れば、この段だけは黒い円の中心に目立たない穴がある。
もしあのまま進んでいたら、ロイドは間違いなく槍に貫かれていたはずだ。
長い階段を上らせ、辟易してくる頃を見計らっての罠。
よく助かったものだと、長い息をついた。
「心臓に悪い……」
一定時間で引っ込む仕組みになっているらしく、なにも貫けなかった槍が静かに穴の中に戻っていく。
それを見届けると、罠の段は踏まないように飛ばして次の段に足を伸ばした。
しかし、その次は再び罠の段のようで、円に穴がある。
どうやらここからは罠と普通の段が入り混じっているらしく、注意しないとくし刺しになってしまう。
一段上っては次の円を凝視し、安全かを確認する。
どれだけそうしながら上ってきただろうか。
次の段はどっちだと思いながら目を向けるが、そこに黒円がないと気付いて顔を上げると、そこにはようやく通路があった。
その先には新たな部屋。
それを見たロイドの口からは大きなため息が漏れる。
とりあえず、難関を一つ突破だ。
酷使した神経を休めながら通路を進むと、砂の匂いが鼻についた。
それは勘違いなどではなく、次の部屋から漂ってきたようだ。
その証拠に、次の部屋は床が全て白い砂によって覆い尽くされていた。
全体を見渡せるほどの小部屋であり、先へ進む道もすぐに辿り着ける位置にある。
一見すれば、床が砂なだけの小部屋。
しかし、最初の部屋でガーゴイルに襲われたことを考えると、この部屋にも魔物がいる可能性は大いにある。
「お次はなにが出てくるんだ……?」
部屋全体を見回しても隠れられそうな場所はない。あるとすれば砂の中だが、地中に潜るような魔物がいただろうか?
親魔物派の領土に住んでこそいるが、全ての魔物を知っているわけではないし、なにより、この遺跡には旧時代の魔物がいるようなのだ。
現在の魔物ならまだしも、旧時代の魔物となると想像もつかない。
なら、いっそのこと駆け抜けてしまおうか?
それも悪くない選択肢のように思えたが、つい今上ってきたばかりの階段を思い出し、その考えは捨てた。
ぎりっと歯から音がするくらいに噛みしめると、恐る恐る部屋への一歩を踏み出すが、特になにかが襲いかかってくることはなかった。
柔らかい砂の感触を足裏に感じながら、慎重に部屋の出口を目指す。
出口までは僅かな距離でしかないのだが、いつ襲われるか分からないという不安から、やけに遠く感じる。
背中には嫌な汗が流れ、上着が張り付いて気持ち悪い。
加えて、砂を踏む音しかしないこともロイドの不安を煽る。
自分の鼓動がうるさいくらいに聞こえるなか、ロイドは確実に出口に近づいていく。
このままなにも起こってくれるなよ。
そう念じながら進んだおかげか、無事に出口へと到着する。
だが、それを喜ぶことはできなかった。
最初は暗いだけだと思った。
だが、そうではなかった。
部屋から先、通路に当たる部分は床が存在していなかった。
それでもロイドのいる位置からかなり下、向かい側の壁にぽっかりと通路らしきものがある。
しかし、そこに至る道が存在していないのだ。
所々に足場のようなものが浮かんではいるが、それに乗っても大丈夫なのかは分からない。
それ以外は底の見えない闇。
「なんなんだよ、これ……」
ほとんど呆然としてしまう。
謎の部屋を抜けたと思ったら、今度はこの通路だ。
一か八かで足場へ飛び移ろうにも、一番近い足場まではかなり距離がある。
それ以外では少し下の方にもあるが、人一人立つのがやっとしかないような足場にうまく着地できるかは怪しい。
どう見ても、人の進める通路ではない。
頭がそう結論を出した。
「くそっ!!ここまでだっていうのかよ!?」
悔しくて、八つ当たりのように砂を蹴っていた。
舞い上がった砂の一部は通路にも拡散し、重力に従って落下していく。
そこでおかしなことが起こった。
ほとんどが底なしの奈落へと落ちていくなか、一部の砂が落下せずに空中に留まっているのだ。
「?」
まさかとは思うが、宙に浮く砂ということはないだろう。もしそうなら、他の砂も浮いているはずだ。
疑問に思うまま、ロイドは手近な砂に手を伸ばしてみた。
「これは……!」
砂の下に、全く別の感触があった。
それを強めに叩いてみるが、石を殴ったような感じだ。
疑問が確信に変わる。
ここには見えない床が存在している。
そう判断したロイドは白い砂を両手ですくうと、一番近い足場目がけて放り投げた。
暗い空間に白い砂が降り注ぎ、足場に至る見えない道が砂によって白く彩られていく。
それは、人一人ならなんとか通れるくらいの幅を持った道。
「そういうことか!」
仕組みが分かればやることは簡単だ。
再び砂をすくうと、道があると思われる場所に撒いていく。
ひたすらそれを繰り返していくと、砂によって最初の足場までの道が見えるようになった。
後はこの道がきちんと進めるか確かめるだけだ。
砂が撒いてあるとはいえ、実物が見えないというのはやはり怖いもので、ロイドはそっと足を踏み出す。
見えない道が人の体重に耐えられるか不安だったが、勇気を振り絞って乗ってみても変化はない。
「ふう……」
盛大なため息が漏れるが、安心するのは無事にここを突破してからだ。
額に浮かんだ汗を袖で拭うと、砂をすくっては撒く作業に戻る。
それだけなら単調な作業だが、進むにつれてそうも言えなくなってくる。
最初の足場からは緩やかな下り坂な上に、それが嫌らしく曲がりくねっているのだ。
加えて道が細いことも往復を困難にする。
なにしろ手すりなんて上等なものはないのだ。
一歩踏み外せば一瞬にしてあの世行き。
こんな状況だから、ロイドの作業ペースが遅くなるのも仕方なかった。
かなりの時間をかけ、なんとか見えない床の通路を突破した途端に腰が抜けた。
「はあ……」
なにも言えず、口からは疲労がたっぷり混じったため息しか出ない。
壁に寄りかかり、目を閉じるとそのまま眠ってしまいそうになる。
そういえば、昨夜から一睡もしていない。
いくらロイドが若いといっても、これだけ神経やら体を酷使すれば疲労も溜まる。
少しだけ眠ろうという誘惑が鎌首をもたげるが、それを打ち消すようにリィナの笑顔が思い浮かんだ。
その陽だまりのような笑顔に、閉じていた目が開く。
「そうだな、お前が頑張ってるのに、俺だけ楽するのはおかしいよな」
自然と口元が綻んでしまう。
やっぱり、リィナが大切なのだ。
それを再確認したロイドはすぐに立ち上がると、歩き出した。
なんだか体が軽くなった気がする。
ようは気の持ちようなのだろう。
思い出した恋人の笑顔だけでこれだけ体が軽くなるのだから、男とは単純な生き物だ。
自分に呆れながら、ロイドは静かな通路を進んだのだった。


しばらく歩き続けていると、小さな部屋に到着した。
今までほとんど一本道だったが、ここに来て初めて行き先が二つあった。
一つはロイドの正面。もう一つは右手だ。
造りからすれば正面の通路が進行方向に感じるが、右手にある鉄製の扉も気になる。
片方は罠だろうか?
ふと思ったが、その可能性は十分にある。
さてどうしたものかと足を止めた時だった。
鉄製の扉が音を立てて開いたのだ。
そして部屋に入ってきた者を見て、ロイドは思わず叫んでいた。
「ミリア!」
それで気付いたらしい。
フードに隠された顔がこちらを向いた。
「あら」
変わらずのローブ姿だが、怪我をしている様子はない。
「よかった、無事だったか」
傍に駆け寄って安堵のため息をつくと、まるで子供をあやすように頭を撫でられた。
「あなたこそ。私が迎えに行くつもりだったのに、よく無事にここまで来られたわね」
「なんとかな。だから、頭を撫でるのはやめろ」
そう、本当になんとか。
ほとんど偶然だが、思い返せばよく無事だったものだ。
「ふふ、お互いの無事を確認したことだし、先に行きましょうか。体感でしかないけど、そろそろ深部だと思うわ」
「そうだといいな」
深部に行けば、星がある。
これでリィナを助けられる。
「やる気が出たみたいね。じゃ、行きましょ」
「ああ」
ミリアが来てくれたなら、ここから先はほとんど安泰だ。
一緒に行動する相手として、これほど頼りになるやつはそうそういない。
文字通り百人力。いや、リリムなら万はいくかもしれない。
それくらい、ロイドはミリアのことを買っている。
もちろん、そう言ってはやらないが。
無事にミリアと合流できた以上、後はひたすら進むだけだ。
しかし、先程の一帯が山場だったのか、進めど進めど普通の遺跡で、罠や魔物が出てくる気配がまるでなかった。
これはいよいよ最深部が近いのかもしれない。
期待に胸を膨らませながら、一際立派な扉を開く。
その先は最初のガーゴイル部屋程ではないが、なかなかの広さを誇る部屋だった。
そんな部屋の奥、ロイド達から見て正面に巨大な石造りの人形がぽつんと立っている。
見たところガーゴイルの石像はないので、ここはそこまで危険な部屋でもなさそうだ。
「ここも大丈夫そうだな。先を急ごう」
部屋には罠もなさそうだし問題ない。
そう判断し、一歩踏み入れた。
「あ、駄目―」
ミリアの声が聞こえたのは、ガコンとなにかが嵌まるような音と同時だった。
「え?」
ロイドの踏んだ床が僅かに沈み、それに呼応するように奥にあった人形が動き出した。
「な、罠!?」
「どうやらそうみたい。しかも、今度は旧時代のゴーレムね」
二人の視線の先では、ゴーレムが地鳴りを起こしながら一歩ずつこちらに近づいてくる。
しかし、完全には近づいてこないようで、部屋の中央辺りで動きを止めた。
「な、なんだ?」
「通路の番人といったところかしら。恐らく、中央より先に進まなければ襲われないと思うわ」
つまり、ゴーレムの立っている位置までは安全ということか。
「なるほど。しかしどうする?通路はゴーレムの後ろだぞ」
中央より先はゴーレムによって封鎖されてしまっている。
「そうね。こんな所でもたついている時間はないし、かわいそうだけど倒させてもらいましょう」
「倒すってあれをか?」
そんなことをするくらいなら隙を突いて突破した方がよさそうだが、「任せて」と言ってミリアは行ってしまった。
「さて、私と踊りましょうか」
ゴーレムの前に立つと、ミリアは躊躇うことなく一歩前へ出る。
次の瞬間、巨体に似合わない早さでミリアのいた位置へ極太の腕が振り下ろされていた。その衝撃は床を伝ってロイドの立つ位置まで届く。
「嘘だろ……」
ミリアが避けた様子はなかった。
ということは、ミリアは……。
しかし、呆然とするロイドの眼前で、ゴーレムの片足が不意に氷に覆われた。
それだけでなく、まるで体全体を侵食するようにゴーレムの体が凍っていく。
「こんなところかしら」
何事もなかったかのようにゴーレムの背後から姿を現すミリア。当然のように無傷である。
それを発見したゴーレムは腕を振り上げる。
しかし、もう決着はついていた。
その大木のような腕を振り上げたまま、ゴーレムの体が完全に凍りついた。
氷像と化したゴーレムを見上げ、ミリアは事もなげに言う。
「踊り相手としてはいまいちだったわね」
どこか不満げに聞こえたのは、気のせいだろうか。
「なんというか、お前はなんでも有りだな……」
「褒め言葉と受け取っておくわ。さ、行きましょ」
ゴーレムを退けると、ミリアは軽い足取りで先に行ってしまう。
「あ、おい!」
すたすたと進むミリアに続いて通路に入ると、そこは遺跡というよりは洞窟だった。
地面だけが舗装された洞窟とでも言えばいいのだろうか。
「急に洞窟になったな。これ、遺跡を出てないか?」
「どうかしら。それより、あれを見て」
カーブを曲がった先でミリアが足を止め、言われた通りに前方を見ると、直進する道と左に曲がる道に分かれていた。
ミリアはそのうちの左側を指さし、そこから綺麗な光が放たれていて、洞窟の天井や壁を照らしているのだ。
「まさか、星か!?」
ついにやった。
ついにここまでたどり着いたのだ。後は星を手に入れてリィナの元へ帰るだけだ。
「行こう。お前も星を調査するんだろ?」
逸る気持ちが抑えられず、ミリアを急かしてしまう。
「あらあら、急に元気になったわね」
そんなロイドに対してミリアは苦笑しているのか、呆れた声が返ってきた。
「元気にもなるさ。これでリィナは助かるんだ。ほら、早く行くぞ」
感情が昂ぶっていたせいかもしれない。
洞窟という密閉空間で、それはよく聞こえた。
左側ではなく、ロイド達の正面の道からはっきりと響く足音。
こつこつという定期的な音に、ロイドの呼吸が一瞬止まった。
洞窟に反響する足音は、まるで杭のように二人をその場に縫い付ける。
ロイド達は先程のゴーレムのように固まったまま、前方の道を見つめていた。
そして、その足音の主が現れた時、ロイドは目を見開いて「え……」と呟いていた。
現れた人物は見慣れた灰色のローブを纏っていた。
その顔はフードで隠されているが、素顔など見なくてもそれが誰かくらいは分かる。
だからこそ信じられなかった。
「ミリア……?」
そう、ロイド達の正面から来たのはミリアだった。
これも、遺跡の仕業なのだろうか?
ロイドが困惑するなか、正面から来たミリアも動きを止めた。
「ロイド君、無事だったのね。それと……」
そのミリアはロイドを見てホッとしたように表情を和らげるが、視線がロイドの背後に向けられた途端、目が見開かれ、顔を驚きのものに変えた。
「ロイド君、すぐにこっちに来て。あなたの後ろにいるのは……あなたがミリアだと思っているその人は……!」
真剣な声が聞こえたと同時に、不意に柔らかいなにかがロイドの視界を隠した。
「え?」
急に感じる眠気。
それに抗うことはできず、体がぐらりと揺らいだ。
「ミリ、ア……」
その名を呼ぶも、どちらのミリアに向けたものなのかは分からない。
分かるのは、後ろにいるミリアがロイドになにかしたということだけだ。
だからか、ふらふらと正面にいるミリアの元へと歩み寄るが、辿り着く前にロイドの意識は途切れ、そのまま倒れてしまう。
「そう睨まないで。彼には少し眠ってもらっただけよ」
ロイドを眠らせた『ミリア』は楽しそうな声でそう言った。
「ロイド君の心配なんてしてないわ。それより、なぜここにいるの―、セラ姉さん」
フードを外したミリアが問いかけると、相対した『ミリア』の姿が霧散し、やがてリリムの装束を纏ったセラへと変化した。
「さあ、なんでかしらね?」
楽しそうな笑みのまま、セラは小首をかしげる。
「もう一度問うわ。なぜ、姉さんがここにいるの?」
「あなたが心配だったから、と言ったら納得してくれるかしら?」
「いいえ。もしそうなら、初めから一緒に行動したはずよ。だから、姉さんがここにいるのは全く別の理由」
妹の指摘に、セラは笑みを強める。
「ふふ、そう。私がここにいるのは、あなたに伝えることがあるからよ」
「伝えること?」
「星の調査だけどね。あれ、もうしなくていいわ」
突然の中止宣告。
急な展開に、ミリアは即座に問い返していた。
「どういうこと?」
対するセラは、穏やかに笑う。
まるで、昨日の夕食はおいしかったとでも言うように。
「星なんて存在していないのよ。全てはあなたをここに導くためのピースにすぎないわ」
衝撃の一言だった。
だからこそ、ミリアの顔から感情が消えていく。
「…なぜ、そんなことを?」
「見たいから、とでも言えばいいかしら。様々な役者達が織り成す物語をあなたが解決する。そんな物語をね。だからこそ、あなたがここへ向かうよう仕向けたのだけど、同伴者を連れてくるとは思わなかったわ。しかも、分断までされるし。さすがの私も焦ったわ。貴重な男をこんな場所で死なせるわけにはいかないし、あなたも合流は当分先になりそうだったから、私が保護しておいたのよ。もっとも、あの罠の通路を突破してくるとは思わなかったけど」
過ぎたこととはいえ、セラは胸を撫で下ろす仕草をする。
ミリアはそんな姉を冷やかな目で見つめた。
「見たい、というだけで多くの人を危険にさらすような真似をしたの?」
「この遺跡の内部は、あなたが入った時だけ危険になるよう仕掛けをしておいたの。他の人が入ったところで害のない迷宮になるだけよ。だから、危険はないわ」
セラの言葉で、ミリアの頭の中の仮説が確信へと変わった。
「つまり、全て姉さんが仕組んだ。あのガーゴイルの群れも、姉さんが作り出した幻ね?」
セラはなんでもないことのように笑った。
その雰囲気は、つい数日前、ミリアと食事をした時となんら変わりはない。
「物語を造るのはパズルみたいなものよ。星という、核となるピースを一つ用意するだけで、人、意志、行動、他のピースは互いに噛み合い、一つの絵となっていく。そうして隙間が埋まっていけば、あなたというピースが嵌まる場所もおのずと決まる。いくらリリムであっても、舞台に上げられ、役割まで貰ってしまっては、それに従うしかないでしょ?」
否定の言葉はない。それが全てを物語る。
「姉さん一人が楽しむために、これだけの騒ぎを起こしたの?」
「その答えはまだ言えないわね。なぜなら、私が用意した舞台はまだ終わっていないもの」
不意にセラから魔力が放たれ、それはあっという間に洞窟を見覚えのある街へと変化させた。
「これは、ロイド君の…」
「フレオの街。素敵な街並みでしょ?もっとも、ここは私が作り出した幻想の街だけど」
セラが変化させたのは、ロイドの故郷であるあの街。
変化した風景を一瞥すると、ミリアは改めてセラを見た。
「そう、その魔法を使って遺跡の内部を変化させていたわけね」
「その通り。この魔法は世界とは断絶された空間を作り出すものでね。いわば結界空間のようなものよ。だから、外の世界へ転移することはできないわ。できるのはこの空間内だけ。ああ、彼は洞窟に置いてきたわ。姉妹水入らずの時間を邪魔されたくはないもの」
言われてみれば、確かにロイドの姿はなかった。
「で?私をここに閉じ込めて、姉さんはなにをするつもりなの?」
「言ったでしょ、舞台はまだ終わっていないと。だから仕上げといきましょうか。私も、物語を彩る役者の一人なのだから」
セラがそっと右手を突き出すと、吸い寄せられるかのように影がその手に集まっていき、漆黒の三叉槍となった。
「私と対峙するためだけに、こんな大掛かりな舞台を作ったの?」
「さあ、どうかしら。一つ言わせてもらうと、舞台は大詰めよ。主役である魔王の娘は黒幕と対峙した。これだけ分かりやすい流れを用意すれば、後は分かるでしょ?」
ミリアの表情が曇り、ため息をつく。
それと同時に無言でするするとローブを脱ぎ去り、虚空から愛用の剣を取り出した。
その様子を見て、セラは嬉しそうに笑う。
「その剣、使ってくれてるのね。嬉しいわ」
「ええ、大事に使っているわ。姉さんがくれた物だもの。もっとも、この剣を姉さんに向ける日が来るとは思わなかったけど」
言い終わると同時に漆黒の翼がミリアの背に現れる。
「ふふ、いつ見ても素敵な翼ね。それと合わせて剣を構えた姿は、本当に惚れ惚れするわ」
笑みは崩さず、セラも槍を構える。
「さて、準備もできたみたいだし、ラストダンスを始めましょうか。この空間にはお母様の目も届かないのだから、仲良く姉妹喧嘩といきましょう。さあミリア、私に見せて。私があの城を出て行った後に磨き上げたあなたの力を」
言ったと同時にセラの姿が景色に溶け込むように霧散し、ミリアの前に三人のセラが現れる。
三人それぞれが槍を振り、ミリアもまた剣を振る。
剣と槍が恐ろしい早さで交差するが、剣の方が僅かに速度で勝った。
三人のセラがいとも簡単に切り裂かれるなか、ミリアの背後に二人のセラが現れる。
「一振りで幻影を消滅させるとは大したものね。でも、本物の私を捉えないと意味ないわよ?」
そう言いつつ、襲いかかる二人のセラ。
「ええ、分かっているわ」
その左手に愛剣を模した魔力の剣を作り出して二人のセラを斬り払うと、体を半回転させて背後から迫っていた突きを弾いた。
「さすが、いい反応ね」
いつの間にか姿を現した本物のセラは薄い笑みを浮かべ、即座に二撃目の突きを放つ。
だが、人では捉えられない程の速度を持った突きは、一際大きい音とともに弾かれた。
姉妹の紅色の目が合い、即座にお互いの武器が払われる。
一度では終わらず何度も。
攻撃は最大の防御とばかりに剣と槍の応酬が続くが、両者ともにかすらせもしない。
いつまでも続きそうなやり取りだったが、それは唐突に終わりを告げた。
お互いに武器を振りかぶり、そのままぶつけ合うと静止する。
剣と槍を競り合わせたまま、ミリアはそこで初めて表情を緩めた。
「てっきり姉さんは魔法主体かと思っていたけど、ここまで接近戦もできるとはね。正直驚いたわ」
「驚いたのは私も同じよ。両手に剣とは器用ね。それもセリエルに習ったのかしら?」
「剣が両手だけとは限らないわよ、姉さん」
力を込めてこう着状態を打開すると、二人はその場から距離を取った。
そしてミリアは思いがけない行動に出た。
左手に持った魔力の剣を空へと放り投げたのだ。
それは回転しながら魔力を分散させ、まき散らされた魔力は全て同じ剣の形になっていく。そして、その剣先がセラに向けられた。
「今度は捌けるかしら?」
ミリアが風のように斬り込み、遅れて無数の魔力の剣がそれに続く。
迎え撃つセラは同じように氷の槍を幾つも作り出すと、剣目がけて撃ち出していく。
成人男性の腕程の大きさがある氷槍が矢の如く向かってくるのをミリアは紙一重で避け、魔力の剣もその一本一本が意思を持っているかのように避けていく。
「本当に器用ね」
セラは苦笑顔で呟き、ミリアの疾風のような早さの剣を屈んで避けると、遅れてくる魔力の剣に向かって槍を一薙ぎした。
リリムの腕力を持って振られた槍は真空波を放ち、向かってくる魔力の剣を次々に砕いていく。
それでも全てを砕くことはできず、破壊できなかった剣が生き物のようにセラに迫った。
ミリアも魔力の剣とは逆方向からセラを攻め、挟撃する。
片や無数の魔力の剣、そしてもう片方は恐ろしい早さで剣を振るうリリム。
上位の魔物であっても捌くのは困難だろうその攻めを前にして、セラは初めて顔を曇らせた。
「これはちょっと困るわ……」
しかし顔を曇らせたのは一瞬だけで、すぐに手にした三叉槍を地面に突き刺した。それを合図に、セラの周囲の地面から全く同じ三叉槍が次々に突き出して魔力の剣を破壊していく。
「!」
突如目の前に現れた無数の槍にミリアは虚を衝かれたが、怯まずに辺り一面に生えた槍を跳躍して飛び越え、セラに斬りかかる。
全く躊躇いの動きだったが、ミリアならそうすると分かっていたのか、宙から向かってくるミリア目がけてセラは瞬速の突きを無数に放つ。
だが、放たれた突きがミリアを捉える前にその姿が消え、セラの隣りに現れた。同時に剣が煌めき、高速の斬撃がセラに向かう。
そして響いたのは、金属同士がぶつかる音だ。
「完全に隙をついたと思ったのだけど」
「転移魔法からの動きが早いわね。さすがに冷や汗をかいたわ」
ほんの一瞬にうちに攻防が入れ変わるが、お互いに無傷。
当たればただではすまないというのに、うっすらと笑みを浮かべるくらいだ。
「相手にしてみると、思っていたより槍というのは厄介ね。姉さんが教えようとするわけだわ」
「ふふ、今からでも遅くはないわよ?」
武器を組み合ったまま、二人はしばし見つめ合う。
先に動いたのはセラで、辺りを槍に囲まれたその場から転移魔法で距離を取った。
「とはいえ、さすがにこのまま続けていると押し切られそうだから、戦法を変えることにするわ」
溢れだす紫の魔力。
それを纏ったまま、翼も使わずにセラの体が浮かび上がっていく。
夕陽が照らすなか、セラは竜巻にでも乗ったかのようにくるくると螺旋を描きながら上昇し、街のどの建物よりも高い位置に移動する。
そして自分の右肩を抱くように体を捻った。
「最初の一回はサービスよ。きちんと避けてね」
遥か下、街の広場から見上げるミリア目がけてセラは左手を払う。
ミリアから見れば、それは水の槍のようだった。
セラの人差し指から放たれたそれは、水の線となって広場の地面をなぞり、抉っていく。
ミリアはそれをすれすれでかわすものの、セラが放ったその魔法はそれだけではなかった。
一拍の間を空けて、抉られた場所から爆発するように水壁が噴き出したのだ。
当然、ミリアの横の抉られた地面からも、轟音とともに辺りのものを消し飛ばすように水壁が出現する。
「っ!」
直撃こそ避けたものの、ミリアの体がまるでボールのように吹き飛んでいく。
それでもぶつかって止まるより先に体勢を立て直し、粉塵と水飛沫で曇る視界のなか、セラに目を向けた。
「大した魔法ね。姉さんも国を陥落させるつもりなのかしら?」
「そんなことには興味ないわね。それより、次は連続でいくわ。避けきれるかしら?」
オーケストラの指揮者のように、その手が何度も振られていく。
放たれる水の線があらゆるものを抉り、水壁が辺りを吹き飛ばして幻想の街を廃墟に変えていくなか、ミリアはそれをかわし続けた。
だが、水壁は噴き出す勢いがなくなるまでは残り続けるという嫌らしい障害となって徐々に逃げ道を奪い、やがてミリアは四方を囲まれてしまう。
上空から見れば、それは水壁の牢獄に等しかった。
「どうしたの?まさか、このまま終わりということはないでしょう?」
立ち上る水壁によってミリアの姿は見えないが、逃げ場はない以上、セラには正確な位置を知る必要などなく、水壁に囲まれている中央目がけ、指を払えばいいだけだ。
しかし、指先に集った魔力を放つことはなかった。
正面の水壁の一部が細く破れて、藍色の真空波のようなものがすごい早さで向かってきたのだ。
「!」
正確に向かってきたそれをさけつつ、視線を飛んできた方へ向ければ、剣を振った体勢のミリアの姿があった。
「飛ぶ斬撃とは恐れいるわ。もうセリエルと大差ないみたいね……」
セラが素直に驚くなか、ミリアは立て続けに剣を振る。
幾重にも放たれた藍色の刃が飛んでいく様は、光が生み出した芸術にも見える。
再び攻守が逆転し、セラは飛んでくる刃を無駄のない動きで避けていく。
「剣技もいいけど、魔法も見せてほしいわね」
かわし際に左手が払われ、水線が放たれる。
それは向かってくる刃を砕き、剣を振ろうとしていたミリアに直撃した。
少なくとも、セラにはそう見えていた。
「!?」
しかし、抉った地面から水壁が噴き上がった時、そこにミリアの姿はなく、黒い羽が数枚、落ち葉のように宙を舞っているだけだった。
「これは……!」
セラは咄嗟に体を捻り、迫っていた剣を間一髪で防ぐ。
一瞬のうちにミリアが転移魔法で接近していたのだ。
「見事な幻術魔法ね。さすがの私も引っかかったわ」
「お褒めに与るとは光栄ね。でも、この魔法を私に教えたのは姉さんじゃない」
「ええ、そうね。良い女は何事もそつなくこなせるべきよ。だから、私があの城で学び得た知識や魔法は全てあなたに教えたわ。あなたが素敵な女性へ成長するよう願ってね」
笑みを浮かべたまま、セラの目が真っ直ぐにミリアを見つめる。
「だからこそ分かっているはずよ。私が教えた魔法では、私は倒せない。使うなら、私の知らない魔法にしないとね」
それがなければ、この勝負に決着はない。
目だけでそう語ると、ミリアがぽつりと呟いた。
「……さっきの魔法、あれは私の知らない魔法だったわ。そして、普通の魔法でもなかった。見たところ、水と風。昔、姉さんが言ってた複合魔法を完成させたのかしら?」
「あなたに話したのはまだ仮説の段階だったけど、それを覚えているなんてさすがね。さて、あなたの予想は正解よ。水竜の息吹、あれはここ最近になって開発した水と風の複合魔法。でも、不完全なのよ。やっぱり二つの属性を掛け合わせるのは難しいわ。比率がどちらかに偏ってしまうもの」
「それだけじゃないでしょ。あの魔法、かなりの威力みたいだけど、一定の距離を放出しないと最大威力にならないのでしょう?だから、姉さんは距離を取った。一度見せれば、迂闊に近づけないという心理的な作用も期待して。でも、本当のところは接近戦が泣き所だった」
転移魔法で逃げる隙を与えないよう、ミリアの剣が高速で走る。
全てを斬砕しそうな連撃だ。
並みの魔物であればこれだけで勝負が決まるような攻撃を、セラは悉く捌いていく。
「この短時間でそこまで見破られるとはね。でも」
力を込めて槍が払われ、早さを優先した剣撃を弾き飛ばした。
「っ!」
打ち負けたミリアが僅かに怯む。
その隙を逃すセラではなかった。
「零距離で使えないわけじゃないわ」
槍を払った右腕の脇下、隠された左手の人指し指から瞬時に水の線が伸びる。
避ける暇もなかったミリアにそれが直撃し、水飛沫が派手に四散した。
手応えあり。
そう実感したセラが放つのを止めると、飛沫の向こう側に両翼で体を覆ったミリアがいた。
「でしょうね」
黒翼が覆っていた体に傷はなく、翼そのものも無傷。
思わずセラの口からため息が漏れていた。
「本当に羨ましい翼ね。美しいだけでなく、あなたを守る堅牢な盾にもなる。でも、いくら威力が落ちるとはいえ、無傷だとさすがにショックだわ」
「姉さん、そろそろ魔力を消費するだけの不毛な舞台は終わりにしましょ」
ミリアから溢れ出す藍色の魔力。
次の瞬間、それは藍の閃光となって消えた。
目では追えない早さで移動され、セラはかすかに感じた気配の方へ反射的に槍を薙ぐ。
遅れて追いついた視界が切り裂かれた妹の姿を捉え、それが幻影であると更に遅れて頭が気付く。
本物は?と頭が自問するが、答えは自分の頭上まで迫っていた。
「くっ!」
落下するように斬りつけてきたミリアの膂力はすさまじく、両手で防いでも勢いを殺しきれず、そのまま叩き落とされてしまう。
「早すぎるわね……!」
やっとの思いで体勢を立て直し、すぐにミリアの姿を視認しようと上空へ顔を向け、そしてセラは唖然とした。
空に妹の姿はなく、あるのは吹雪の如く舞う無数の黒い羽。
「これは……」
それは幻想的で、どこか破滅的な光景。
幻術だと分かっても思わず目を奪われるが、一秒にも満たない間に目の前にミリアが現れ、目は嫌でもそちらに向く。
煌めきを纏って横一文字に振られる剣。
ぎりぎりのところで槍を盾にして防ぐことこそできたが、衝撃までは殺しきれず、セラの体を軽々と吹き飛ばした。
あまりの威力に顔をしかめるが、足元で身を屈めながら上半身を捻ったミリアを目が捉え、更に顔が歪む。
そして追撃の斬り上げが放たれた。
上半身のバネによって生み出された力が威力を倍加し、その衝撃は防御したセラを軽々と上空へ打ち上げた。
「さすがにまずいわね…」
状況は芳しくない。
だから、これ以上の追撃を避けるために、翼を羽ばたかせて強引に持ち直した。
「ふう…。ほんと、末恐ろしい妹ね。怒涛の攻めだったけど、もう終わりかしら?」
かなりひやっとさせられるものもあったが、それでもセラはまだ傷を負っていない。逆にいえば、ミリアは攻めきれていないのだ。
しかし、ミリアは追撃する様子もないまま、地上から見上げるだけだった。
「ええ、終わりよ。勘違いしているみたいだけど、今の斬り上げは姉さんをそこに移動させるためだけに放ったものだから」
「え……?」
空中に移動させる?
言っている意味が分からず、訝しんだ時だった。
急に寒気を感じ、振り向いた先にそれはあった。
「なに、これは…?」
「忘却の月。姉さんが教えてくれた理論を基に、私が作り上げた複合魔法よ」
そこにあったのは、小さな小屋ほどの黒い球体。
その表面を赤黒い稲妻が走り、不気味な放電音を発している。
だが、問題はそんな見かけ上のものではなかった。
リリムが寒気を感じた。
生き物としての本能が、あれには近づくなと警告している。
だからセラは無意識のうちに転移魔法で距離を取っていた。
だが、なにも変わってはいなかった。
確かに距離を取ったはずなのに、球体との位置関係はまるで変化していないのだ。
「!?」
「忘却の月は重力と雷の複合魔法。雷のような性質を持った重力球よ。一度発動すれば、雷が対象を察知し、重力によって定めた対象に引き寄せられ、同時に対象を引き寄せる。言ってしまえば、対象となった姉さんは避雷針のようなものよ。だから、例え転移魔法でも逃れることはできないわ」
これも複合魔法。
見たところ、重力の方に比率が偏っているが、それでも完成度はセラの水竜の息吹より高いと一目で分かる。
これも才能なのだろう。
目前まで迫った黒球に、セラはそう悟った。
ため息が漏れ、舞台の主役へと苦笑を向ける。
「やっぱりあなたは特別よ。才能の違いに嫉妬すら感じるわ……」
そして、セラは月へと呑み込まれた。
セラを内部へと取り込んだ黒球は動きを止め、僅かに膨張した後に灰のように消えていく。
そこから解放されたセラは羽ばたく力もないのか、矢で射られた鳥のように真っ逆さまに落下する。
ミリアはその体をしっかりと抱き止めた。
「まだやる?セラ姉さん」
姉に意識があるのを確認すると、ミリアはそっと語りかけた。
腕の中の姉はぐったりして、もう戦意はないに等しい。
だから、その問いはほとんど無意味といえた。
「意地悪を言わないで…?重力と雷の奔流にさらされたのよ…、私でなかったら、いえ、相手がリリムでもなければ消し飛んでいるわ……」
塗り替えられていた街の景色が消え、元の洞窟へと戻っていく。
さすがに今の状態では魔法を維持できなくなったのだろう。
「……じゃあ、もう満足かしら?」
ミリアが苦笑を浮かべ、つられたようにセラも笑う。
「ええ。痛みはもちろん、体の感覚すらないわ…。文字通り忘却ね…。忘却の月、見事な魔法だったわ…。それだけにずるいわね、あんなすごい魔法を隠しているなんて」
「姉さんが思うほどすごい魔法じゃないわ。結局のところ、あれも複合魔法としては不完全よ。月が最大になるまで時間がかかるし、そうならないと対象を追尾する雷の性質が発揮されないもの。それより、教えて。多くの人を巻き込んでまで、なぜ姉さんはこんなことをしたの?」
ミリアにとっては最大の疑問。
それに対してセラは、他愛ないことのように小さく笑う。
「あなたのためよ……」
「私の?」
意味が分からず困惑するミリアに、セラは優しい笑みを向けながら言葉を続けた。
「生まれつき特別である者。私達姉妹の誰よりも力に恵まれた存在。それがあなたよ。でも、自覚しなければ、力は無意識の元に埋もれてしまう。それなのに、夫を見つけるわけでもなく、あなたは世界をフラフラするだけ。そんな日々を過ごすうちに、あなたのその力が他の姉妹と同程度にまで落ちてしまうのを惜しいと思うのは、姉として当然でしょう…?」
だから、こんな舞台を用意した。
きちんとその力を維持し、磨いているか。
それができていないなら、リハビリのために。
そのために、自分自身をも舞台の役者として組み込んだのだろう。
全てを理解したミリアの口から、疲れたようなため息が漏れた。
「……言ったはずよ、私は特別でもなんでもないわ。それで、自分の身で確認してみてどうだったの?」
「ほんと、いつになっても認めようとしないわね…。あなたの問いに答えると、文句なしよ。強くなったわね、あの頃よりずっと……」
満足そうに目を閉じるセラ。
その頭の中では、懐かしい日々が再生されているのかもしれない。
「姉さんのおかげよ」
「違うわ。あなたが努力した結果よ」
思い出に浸っていたセラが目を開け、ミリアと目が合った。
そこにあったのは、感謝の色。
なぜそんな目をしているのか分からず、セラは思わず言葉を詰まらせる。
「それこそ違うわ。あの城で、姉さんは私に色々なことを教えてくれた。姉さんは私に様々なものを与えてくれた。だから、姉さんは私の居場所だった」
セラの目がこれ以上ないくらいに見開かれる。
そんなセラを少し照れたような笑みで見つめながら、ミリアは言葉を紡ぐ。
「幼い私が憧れたのは、こうなりたいと願ったのは、セリエルでも、城にいる屈強な人達でもない。セラ姉さん、あなたよ」
ミリアの言葉が終わったと同時に、セラの目に涙が浮かぶ。
そして、目を閉じた瞬間に涙がこぼれた。それが合図だったかのように、次々に雫が頬を伝う。
「ずるいわね……、いつからそんなずるいことを言うようになったのかしら……?」
泣き笑いの表情になり、セラはそっとミリアを見つめた。
「ねえ、ミリア。私が一つ上の姉でよかった……?」
「結婚して城を離れた今でも、こうして想ってくれている。大好きよ、セラ姉さん。他の姉妹の誰よりも」
セラの口から満足そうなため息が漏れた。
舞台は終わり、残すは閉幕のみ。
セラの様子から、それは明白だ。
だから、ミリアは城までセラを送ろうと空間を歪ませる。
「待って。あの子は?一緒にいたようだけど、なぜ連れてきたの?」
セラの視線の先には、眠らされて倒れたロイドの姿。
「重い病の恋人がいてね。それを助けたくて、ここまで来たのよ」
「それは、悪いことをしたわね……。城に戻ったら、病気に詳しい者を寄越すわ」
「大丈夫よ、手は打ってあるから。姉さんは療養することに集中すればいいわ」
ミリアが説明すると、セラはそれ以上食い下がろうとはしなかった。
「そう、さすがね。ああ、街の騒ぎの方は私が後始末をするから。自分で火を付けた以上は、自分で消さないとね」
ミリアに抱きかかえられたまま、セラは呆れたように笑う。
「じゃあ、行くわね」
姉妹の姿が歪んだ空間へと消えていく。
一人のリリムによって描かれた舞台が終わった瞬間だった。


しばらくしてミリアだけが戻ってくると、寝たままのロイドを起こしにかかった。
「ロイド君、起きて」
何度か揺すると、小さく呻いてロイドは目を覚ました。
「ミリア…?俺は……」
ゆっくりと体を起こしたところで、唐突に辺りを見回す。
「そうだ、あの偽物は!?」
「彼女なら、真実を伝えて帰ったわ」
「真実…?」
意味が分からず、ロイドは立ち上がって通路を曲がる。
その先は、ただの空洞だった。
ぽっかりとした空間があり、そこから伸びる道の向こうでは外の景色が見えるだけ。
眠らされる前に見た光はどこにもなく、星なるものは見当たらない。
「おい、どういうことだよ、これ……」
「見ての通りよ。星は存在していなかった。ただの噂にすぎなかったのよ」
ミリアの言葉は途中からほとんど聞こえなかった。
星がなければ、リィナを助けられない。
星がない以上、今までの自分の苦労は全て無駄。
頭に絶望の二文字が浮かぶ。
「なんでだよ……。星がなかったら、リィナはどうなるんだよ……。このまま、病気で死ぬしかないって言うのかよ!?」
叫びながら、悔しくて涙が零れる。
リィナを助けられる。きっと星は存在する。
そう信じてここまで来たのに、この現実はあんまりだ。
「泣いたところで、ない物はない。それが現実よ。だから、ここにいるだけ時間の無駄。さあ、帰りましょう。彼女の家まで送るわ」
いつの間にか背後に来ていたミリアがそっと肩に手を置く。
事情を知られているだけに慰めの言葉はなく、その気遣いが今は辛い。
だから、ロイドは泣きながら頷くしかなかった。
ミリアが右手をかざし、その部分だけ空間が歪む。
そこを潜れば、リィナの家の前だった。
「さあ、行きましょう。彼女が待ってるわ」
背中を押されて家に入るよう促されるが、どんな顔をして会えばいいのか分からない。
会ったところで、なにを言えばいいのかも分からない。
星なんてなかったとは口が裂けても言えない。
まるで自分の葬式にでも参加するようにリィナの部屋の部屋の前に立つと、その扉をノックする。
「どうぞ」
すぐに返ってきた声から察するに、今日も調子がいいようだ。
それだけに、ロイドの気は重い。
責めてそれを顔には出さないようにしようと強引に袖で涙を拭い、無理矢理笑顔を作ると、扉を開ける。
そして、作り笑顔のまま固まった。
リィナは腰に枕を当てて、体を起こしていたのだ。
ほんの数日前とは比べ物にならないほどに顔色も良い。
そんなリィナのベッドの隣り、いつもロイドが座っている椅子に見知らぬ少女が座って本を読んでいた。
どう見てもサキュバスの少女はロイドを一瞥すると、全く興味を示さず読書に戻る。
だからというわけでもないが、迎えてくれたのはやはりリィナだった。
「あ、ロイド。お帰り」
「リィナ……?お前、寝てなくてもいいのか?」
そこへミリアが遅れて入ってきた。
「お待たせ、ルカ。どう、彼女の具合は?」
名前を呼ばれ、少女は再び本から顔を上げた。
今度ははっきりと見えるその顔。
少女なだけあり、魔物といっても美しいというよりは可愛いという方がしっくりくる。
だが、顔とは裏腹に、その口からは驚くほど素っ気ない言葉が漏れた。
「見れば分かるでしょ。アタシを誰だと思ってんのよ?」
「頼りになる可愛い友達。いいえ、もう親友かしら?」
「なっ…!」
がたっと音がするくらいに勢いよく椅子から立ち上がり、ルカはくるりと背中を向けた。
なぜかその耳が赤い気がする。
ロイドには何がなんだかさっぱり分からないが、ミリアはくすっと笑い、リィナへと歩み寄る。
「最後に会った時とは比べ物にならないくらい顔色がよくなったわね。そのせいか、前より綺麗になった気がするわ」
以前にもそうしたように、ミリアはそっとリィナの頬を撫でる。
「ミリアさんも、本来はそういう姿だったんですね。天使みたい」
リィナの視線の先には、見事な黒い翼。
今更だが、それはロイドも気になっていた。
あの偽物に眠らされて意識を失う直前に見た時はローブ姿だったはずだが、なにかあったのだろうか。
二人の視線が自分の翼に集中していることに気付いたのか、ミリアも翼へと目を向ける。
「ああ、これ。ふふ、そういえば遺跡の最深部からはずっと出したままだったわね」
そっとその翼を一撫ですると、まるで煙のように消えていく。
背中から綺麗さっぱり翼が消えると、おなじみのローブをどこからともなく取り出して身に纏う。
一連の動作をぼんやりと眺めていたロイドだが、重大なことを訊いていないことに気付いた。
「お、おいミリア!一体どうなってる!?リィナになにかしたのか!?」
「あら、今更な質問ね」
呆れたように笑われ、リィナもつられて笑う。
なんだか馬鹿にされている気がする。
「ミリアさんは、私の病気を治せる人を紹介してくれたんだよ。そっちにいるルカさんをね。で、ルカさんが作ってくれた薬を飲んだら、一日でこんなに良くなっちゃった」
ロイドの表情から内心を呼んだのか、リィナがなだめるように説明し、ロイドは視線をルカに向ける。
「なによ?」
目が合った途端につまらなそうな顔をされた。
「リィナの病気は治るのか?」
「アタシが作った薬をちゃんと飲めば、きちんと治るわよ」
「だって」
リィナが悪戯っぽく笑うが、ロイドの頭の中を治るという言葉が駆け巡る。
つまり、リィナは助かる?
それは、これ以上苦しむこともないわけで―。
それが分かった瞬間、ルカの手を取っていた。
「ありがとう……!リィナを助けてくれて、本当にありがとう……!!」
少女らしい小さな手を両手で包み、祈るように感謝の言葉を述べる。
だが。
「ちょ、ちょっと!気安く触るんじゃないわよ!!」
思いっきり手を払われた。
それだけでなく、ロイドの前から逃げるようにミリアの隣りへと移動までされた。
訳が分からないが、なぜかルカの頬が赤い。
「言っとくけど、あんた達のためじゃないから!ミリアの頼みってだけだから!そこんとこ勘違いすんじゃないわよ!?」
すごい勢いでまくし立てられた言葉もロイドには理解できない。
どう考えてもリィナのために薬を作ってくれたようにしか思えないが、なにか意図でもあるのだろうか。
ロイドが困惑するなか、ミリアが解説するように口を挟む。
「素直じゃないのよ、この子」
そう言って、隣りのルカの頭を撫でた。
「ちょっと!頭撫でないでよ!」
鬱陶しそうに手を払うも、そこまで嫌そうな顔はしていない。
だからか、猫同士がじゃれ合っているように感じる。
「待ってくれ。薬を用意してくれたっていうなら、なんでもっと早くに言ってくれなかったんだ?」
星以外にリィナを治す方法を知っていたなら、初めからそう言ってくれれば、ロイドはあんな遺跡に行かなくてもすんだ。
そう考えると、ミリアがなぜそれを教えてくれなかったのかが分からない。
ところが、ロイドが疑問をぶつけると、ミリアは寝小便をしてしまった我が子を見るような目で微笑んだ。
「教えてあげようと思ったからよ」
「教える?なにを?」
すぐに返事を返しても、ミリアは答えず、窓際へと移動する。
そして振り向いた。
「世界は残酷で、現実は優しくない」
「っ!それは……」
言い返せない。
星がないと知った時、ロイドは確かに絶望した。
噂を信じて行動した結果があれだ。
「私があなたと一緒に行動したのは、それを教えるためよ。だから敢えて言わなかった。おかげでいい経験になったでしょ?」
「苦い経験の間違いだろ」
全てが自分の思い通りにはいかない。
確かに今回の出来事でそれは実感させられた。
だが、言われっぱなしはおもしろくない。
責めてもの意地で、ロイドはそう言い返してみる。
「ふふ、良薬は苦いものよ」
しかし、あっさりいなされた。
リィナが苦笑しているのは、用意してもらった薬が本当に苦いのかもしれない。
何にしても、ロイドが言うべきことは一つしかない。
「ありがとう。俺が無事なのも、リィナが助かったのも全てお前のおかげだ」
「彼女を助けたのは私じゃないわ。お礼ならルカに言って」
「アタシはあんたに頼まれたから作っただけよ。だから、礼を言われるのはあんたでしょ」
二人して手柄を譲り合うが、ロイド達から見ればどちらも恩人である。
だから言った。
「じゃあ、二人に言わせてくれ。ありがとう。本当に感謝している」
ロイドがそう言っても、ミリアは微笑んだだけ。
その笑みは、絵に描いて飾っておきたいと思えるくらいに綺麗だった。
「さて、彼女といちゃいちゃする時間を邪魔しても悪いし、私達はこのへんで失礼するわ」
帰り際を察したのだろう。
一足早くルカが部屋の扉へと向かう。
「薬は二週間分作ったから、一週間は飲み続けなさい。そこから様子見て、まだ症状が出るようだったら、残りを飲むこと。いいわね?」
リィナをびしっと指差し、ルカはそう告げると部屋から出て行った。
後を追うようにミリアも続き、部屋を出たところでぴたりと止まる。
そしてこちらを見た。
「じゃあね、二人とも。あなた達に、良き日々が多くありますように」
去り際の一言とともに、静かに扉が閉まる。
圧倒的な存在感を放つリリムは、こうして部屋から姿を消した。
「いい人達だったね」
「ああ。正直、世話になりっぱなしだったな。そういえば、叔母さんは?」
「買い物に行ってる。今夜は私の快調祝いにご馳走だって。当然だけど、ロイドも人数に含まれてるから、お腹は空かしといてね」
「そっか」
心からしこりが取れたロイドは、素直に笑う。
元気なリィナと一緒の食事など、どれだけ久しぶりかも分からない。
それを思うと、今夜が楽しみだ。
「ね、ロイド。お母さんが帰ってくるまで、一体どんなことをしてきたのか聞かせてくれない?」
せがむように言われては、話さざるを得ない。
そういえば、こうして下らないおしゃべりをするのも久しぶりだ。
「いいけど、俺は大して活躍してないから、おもしろいかは分からないぞ?」
「いいよ。ロイドがどんなに頑張ったか知りたいから」
わくわくしているリィナにやれやれと思いながら、ロイドは語り始める。
「そうだな。じゃあ、この家を出た時から始めようか。あの後、俺はな……」



「で、あんたは何してきたのよ?」
「どういう意味かしら?」
「とぼけんじゃないわよ。あんたの魔力、大分減ってるわ。つまり、それだけのことが遺跡であったってことでしょ?」
大して語ったわけでもないのに、これだけのことを察するあたり、さすがはルカだ。
「そうね。舞台でダンスをしてきたから、とでも言えばいいかしら」
嘘は言ってない。
同時に真実も語ってないが、ルカは気にしないだろう。
「ま、そうやってはぐらかすんだろうとは思ってたけど」
案の定、返ってきたのはさほど気にしていないというもの。
不思議とそれが可笑しくて、つい忍び笑いをしてしまう。
「そんなことよりルカ。せっかく見知らぬ街に来たんだし、少しぶらついていかない?なにかおいしい料理でも食べて帰りましょ」
少し強引な話題の切り替え方だったが、ルカは特になにも言わず、視線だけが別のところを向いた。
「……仕方ないわね。アタシもそこまで暇じゃないけど、せっかくだから付き合ってあげるわよ」
さっきは素直じゃないと言ったが、最近はそうでもないらしい。
少なくとも、誘えば乗ってくれる。
それが素直に嬉しい。
「じゃあ、行きましょ。適当に街を回って、それから料理を食べに行く感じでいいかしら?」
「ええ、それでいいわ」
のんびりとした雰囲気のまま、緩やかに歩き出した。
緊張感溢れる空気も嫌いではないが、やはりこういう陽だまりのような空気の方が好きだ。
それを共有してくれる相手がいると、尚良い。
霞む記憶の中で、こうして姉と一緒によく街を歩いていた気がする。
見上げた姉の横顔は、優しげで素敵な笑顔。
頭の中で懐かしい過去を思い出しつつ、他愛のない話をしながら、人魔入り乱れる街を私とルカも歩いていく。
少し雲が多めの青空の下、穏やかな午後の時間だった。
13/01/15 14:10更新 / エンプティ
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■作者メッセージ
お待たせしました、後編になります。
久しぶりにバトルを書きましたが、前より難しく感じましたね。
よって分かりにくいところがあるかもしれません。
勢いのままに書いてしまったので、伏線の回収を忘れてる部分があったらどうぞご指摘下さい。修正致します。
ちなみに、リリム姉妹が使った技や魔法は様々なゲームが元ネタだったり。
さて、今回がガチンコバトルだったので、次回はほのぼのなお話になります。
ではまた、次のお話でお会いしましょう。

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