連載小説
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リリムと遺跡の秘宝(中編)
少し前まで晴れていたはずの空は、いつの間にか曇天になっていた。
これから出かける身としては喜ばしくない状況だ。
「どうしたの?」
思っていたことが顔に出ていたのか、パン屋から出てきたミリアが怪訝そうに尋ねてきた。
「いや、天気がよくないなと思ってな」
「私としては、天気よりも空気の方がよくないと思うわ」
「空気?」
ミリアの言葉の意味が分からない。
生まれた時からこの街に住んでいるロイドだが、空気がよくないと思ったことはないし、誰かがそう言っているのを聞いたこともない。
「そう、空気。星によって引き寄せられた人達が、本来の街の空気を嫌なものに塗り潰してしまっている。この街に住むあなたなら、それをより感じるんじゃないかしら?」
ああ、そういうことかと納得する。
「確かにな。ここ数週間で、この街はすっかり変わったと言っていい。それも」
「欲望と悪意、権謀術数が渦巻く魔都。この天気でさえ街並みは綺麗に見えるのに、空気のせいで台無し。姉さんが嫌がるわけだわ」
フードの下で、ミリアはため息をついた。
言おうとしたことを言われ、ロイドもため息をつく。
ミリアの言ったように、この街は噂のせいで魔都と呼ばれるに相応しい空気になってしまった。
それでも、そんな疫病神みたいな噂に頼らざるを得ないのだから、ロイドの状況も大概だが。
「まあ、愚痴ったって仕方ない。それより先を急ごう」
「ええ、そうね」
大事なのは街の空気ではなく、リィナ。
それに、もしロイドが星を手に入れれば、この騒ぎだって収束するはずだ。
そう前向きに考え、今は先を急ぐべき。
ミリアもなにか考えているのか、それ以上は特にしゃべらず、二人は無言で街を後にする。
会話が再開されたのは、街から大分離れてからだった。
「ここから遺跡までは、どれくらいの距離なの?」
退屈な行程に飽きたのか、ミリアが唐突に話を振ってきた。
「そこまで遠くはない。天気次第だが、この調子でいけば二日後には着くはずだ」
幸い、まだ雨は降っていないが、いつ降りだしてもおかしくない空模様だ。
できることなら、雨の中の行軍は勘弁願いたい。
「そう。じゃ、早めによさそうな休憩場所を見つけましょ。慣れない旅は色々と疲れるものだから」
そう言うミリアの声に、疲れている感じはしない。
魔物だからか、体力はかなりあるようだ。
「その意見には賛成だ。しかし、お前は野宿なんかでいいのか?」
「どういう意味かしら?」
「いや、リリムって魔物の王女だろ?ふかふかのベッド以外で寝られるのかと思ってな」
一般市民の思考で考える王族や貴族はそんなもの。
魔物の王女も大差なさそうなので、ロイドはそう言ってみた。
「あら、それって偏見よ。確かに貴族や王族はそういうものだけど、私は特に気にしないわね」
「ああ、あれか。その気になれば、いつでも転移魔法で戻れるからか」
かなり高度な魔法らしいが、リリムなら使えておかしくない。
つまり、帰ろうと思えば一瞬で帰れるわけだ。
「転移魔法だって魔力を使うのよ?ベッドで寝たい、なんて理由で使う気にはなれないわ。もっとも、使った分の魔力を補充できるなら、話は別だけど」
話の雲行きが怪しくなってきた。
嫌な予感がしてミリアへ視線をやると、顔が覗けるくらいにフードが上げられている。
そして見えた素顔には、妖艶な雰囲気が満ち溢れていた。
「ねえ、ロイド君。私と交わってみる?あなたが精をくれるなら、街からここへの往復くらいは簡単なのだけど」
誘惑とはきっとこういうことを言うのだろう。
相手がリリムだからか、思わず頷きたくなる衝動に駆られるが、寸前のところでそれは止められた。
「……俺にはリィナがいるんだ。浮気なんかするか。転移魔法を使ってくれるって言うなら、行き先を遺跡にしてくれ。その方が時間を短縮できる」
吐き捨てるように言うと、ミリアは楽しそうに笑った。
「恋人がいるだけあって、さすがにこんなおふざけの誘い文句には乗らないみたいね。それと、遺跡への転移は色々と厄介だろうからやめておくわ」
「厄介?」
「ええ。多くの人が求める星は遺跡にある。なら、その遺跡は確実に見張られていると考えた方がいいわ。そんな所にいきなり転移したらどうなるか。言わなくても分かるでしょ?」
ロイドは頭をかいた。
ミリアの言うように、遺跡は間違いなく見張られているはずだ。
それは蜘蛛の糸のようなもので、迂闊に触れれば巣の主に知らせることになる。
つまり、星を求める張本人にだ。
そうなれば、間違いなく子飼いの傭兵や兵士を大勢引き連れて押し寄せてくるに違いない。
そんな状況になれば、厄介ではすまない。
「確かにな。しかし、遺跡が見張られてるとしたら、俺達も侵入するのは難しそうだ。なにか考えはあるか?」
「実際に状況を見てみないことには、なんとも言えないわね。でも、街で集めてみた情報から考えると、どの勢力も本格的に動き出しているわけではないから、今ならなんとかなりそうだわ」
「動いてないのか?」
情報をろくに集めずに飛び出してきたロイドはその辺のことが分からないので、ミリアが教えてくれるのはありがたい。
「動いてないというより、動けないのよ。お互いに牽制し合ってね」
少し呆れたように、ミリアはそう語った。
「なんで牽制なんかしてるんだ?さっさと動かないと星を奪われるかもしれないのに」
お互いに睨み合うより、さっさと星を手に入れればいいと思うのは間違いだろうか?
「言ったでしょ、動けないと。彼らは巨人のようなものよ。人が大勢集まると様々なことができるようになるけど、代わりにその動きを隠すことは難しくなる。下手に動けば必ず相手にばれるわ。だからお互いに牽制しているのよ」
なんでもないことを話すような口ぶりだからか、妙に説得力がある。
「つまり、連中が動く前に手を打つ必要があるということか」
「そう。そして私達は彼らと違って少人数だから、動きを把握されにくいという利点があるわ。だから巨人のように堂々と動く必要はない。鼠みたいに、こそこそと小さな抜け穴を行きましょ」
鼠という表現は、一庶民のロイドにはぴったりの言い方だ。
なにも巨人を倒す必要などないのだ。
星を手に入れる。
その目的さえ果たせればいいのだから。
そのためには、あらゆるものを利用するしかない。
それがリリムであってもだ。
「…じゃあ、今日は早めに休むか」
内心を隠しての言葉に、ミリアは頷く。
「それがいいと思うわ」
それからは会話もなく、それでいて気まずいという空気でもないまま道程を進み、あっという間に夜になった。
街と街が街道で繋がっている以上、そこを通る人は必ずいる。
そういった人達は間違いなく街道沿いで野宿をするので、一夜を過ごすために利用されたと見られる場所がいくつもあった。
そんな野宿の跡地の一つで、ロイド達も夜を過ごすことにした。
昼からの曇り空は相変わらずのようで、月はもちろん、星一つ見えない。
そのせいか、夜の闇が食事の空気まで暗く塗り潰しているように感じられた。
「今更だが、リリムでもそんなパンを食べるんだな」
たき火にくべた薪が爆ぜる音しかない空気が嫌で、それを少しでも払拭しようと、他愛もない会話をたき火の向かい側にいるミリアに向ける。
「私が上等でもないパンを口にするのはおかしい?」
ロイドが言いたいことはきっちりと把握しているらしく、ミリアからは楽しそうな声が返ってきた。
「安い食べ物なんて口にしないかと思ってた」
「ふふ、まあ貴族や王族みたいに気位の高い人はそうかもね。でも、それはあくまで人の話。私達魔物からすれば、食べ物の良し悪しなんて些細なことよ。例え最高級の料理であっても、精の前では霞んでしまうのだから」
そこで言葉を区切ると、ミリアはすっと立ち上がり、静かにロイドの傍へと歩いてきた。
なにをする気だとロイドがその顔を見上げると、ミリアはにっこり笑ってロイドの隣りに腰を下ろした。
すぐ傍に座ったからか、ミリアの花を思わせる甘い香りが鼻腔を刺激し、ロイドの体が強張る。
「だからね、デザートを食べさせてもらってもいいかしら?」
会話の流れから、ミリアの言うデザートがなにを指すのか分からないほどロイドも馬鹿ではない。
もちろん向こうも本気で欲しがっているわけではないのが丸分かりだが、そんなお遊びの言葉でもこちらの心を動揺させるから腹が立つ。
「…馬鹿なこと言ってる暇があるなら、さっさと食べて寝ろ」
ぶすったれた顔でそう言うと、体をずらしてミリアとの間にきっかり一人分ほどの隙間を空け、距離を取る。
こうでもしないと、変なことをされかねない。
「あなたの意向に沿えるような会話をしたつもりだけど、お気に召さなかったかしら?」
ロイドがなにを思ったか把握していた口ぶりだが、こちらを向いているミリアは実に腹の立つ笑顔を浮かべていた。
つまり、最後の言葉はわざと。
街で問い詰めた時もそうだが、こいつは他人をからかうのが好きらしい。
そんなヤツに付き合うのは時間と体力の無駄。
頭がそう結論を出し、食べかけのパンを一息に詰め込む。
「寝る」
素っ気ないくらい短い言葉を独り言のように告げると、ロイドはミリアに背を向けて横になった。
途端に感じる倦怠感。
どうやら思っていたよりも体は疲れているらしい。
休みたいという体の欲求に従い、瞳を閉じる。
後は眠りに落ちるだけだったが、それより先にミリアの声が耳に届いた。
「ねえ、ロイド君。あなたは、なぜ星を求めるの?」
さっきまでとは、まるで違う声だった。
そこにからかいやおふざけの感じはなく、真面目な声音。
だからというわけではないが、返事はしておいた。
「…その理由は知ってるだろ」
リィナのため。
それはミリアも分かっているはずだ。
「ええ、もちろん。でも、彼女を助けたいだけなら、その方法が星である必要はないはずよ」
だから星を探すのはやめろと言われているように感じたのは、気のせいだろうか?
「医者、魔物、薬。可能性があるものにはもうすがってる。でも、駄目だった。一番可能性のあった魔物でも、リィナの病気は治すのが難しいみたいでな。上位魔族でもなければ、魔物化以外での治療は難しいみたいだった」
相変わらずの体勢で、ロイドはそう答える。
なんとなくだが、声を荒げたり、体を起こしたりしたら、この羽毛のような空気が壊れてしまうような気がした。
「彼女は、魔物化を拒んだの?」
「ああ。人として生まれた以上は、人として死にたいって言ってな。正直、俺もおばさんも呆れてたけど、本人の意思は尊重しようってことで、魔物化による治療はなしになった」
現在でも、そう言ったリィナの考えが理解ができない。
死んでしまうより、魔物になって生きたほうがよほどいいはず。
そう説得したこともあったが、結局は無駄だった。
「実はな、一月くらい前までは、あいつも今よりよっぽど元気だったんだ。だから、焦らずにゆっくり治していくって笑いながら言ってた。けど、ここ最近で急に悪化して…」
そして余命僅かという宣告。
そこへ降って湧いたような星の噂。
偶然が重なっただけと言われればそれまでだが、ロイドには最高のタイミングで用意された奇跡に思えてしまうのだ。
だから星は必ず存在する。そう確信している。
「そして今に至るというわけね…」
どこか感慨深そうな声とため息。
それがなにを意味するのか分からないが、語るべきことは語った。
ミリアもロイドがこれ以上話す気はないと察したのだろう。
「…おしゃべりはここまでにしておきましょうか。明日も歩くようだしね」
「そうだな」
「おやすみ、ロイド君」
「…ああ」
短いやり取りを交わすと、ロイドはそっと目を閉じた。
時は進み、たき火の炎がすっかり消えたころ、曇っていた空が一時的に晴れた。
雲のカーテンが開けた空では、光り輝く月が星とともに大地を照らしていく。
その明かりは二人をも照らし、それを眩しく思ったのか、ミリアがそっと体を起こした。
彼女はそのまま立ち上がると、そっとフードを外して夜空を見上げる。
「星に願いを、とはよく言ったものね」
そう呟き、皮肉めいた笑みを浮かべながら、視線をロイドへと向けた。
「星は誰の手も届かない夜空で光り輝くもの。何者かによって作られ、手にすることができるようになった星に、人の願いを叶えるだけの力はあるのかしらね?」
諭すような言葉に返事をする者は深い眠りについている。
それを確認すると、ミリアはすぐ傍の空間を歪ませ、そこに消えていった。


翌朝。
まだ辺りが暗いうちに起きると、手早く朝食を済ませた。
時間は惜しく、先は長いのだ。
「それで、今日も街道をひたすら進むということでいいのかしら?」
「ああ。遺跡は街道から伸びた脇道を進み、その先の森の中にある。今日は森の手前くらいまで行くのが目標だな」
そして明日には遺跡に到着する。
理想の予定としてはそんなところだ。
「そう。じゃあ、すぐに出発しましょ」
なぜかやる気だが、それで困るわけでもないので、ロイドも口は挟まず立ち上がる。
そこからは、ひたすら街道を進んだ。
幸運なのか、それとも偶然か、ロイド達は大した問題もなく道程を進み、日が暮れる頃には当初の予定通り、森へ続く脇道との分岐点まで至ることができた。
「この先を進めば、明日には遺跡だ」
視線の先には、鬱蒼とした森。
その森を進んだ先に、目的地の遺跡がある。
「今日はここで野宿だな。明日の朝早くに出発すれば、昼前には到着だ」
今後の予定をざっと説明しつつ、野宿の準備に取り掛かろうとする。
だが、ミリアはそれに応じなかった。
「いいえ、もう少し進みましょう。ここは色々とまずいわ」
言うだけ言うと、軽快な足取りで街道を進んで行ってしまう。
「お、おい!待てよ!」
つられるように後を追うが、ミリアの歩行速度はかなりのもので、ようやく追いついた時には森への分かれ道がかなり遠ざかってからだった。
「ここまでくればいいかしら」
「おい、説明してくれ」
時間を無駄にできないことは承知のはずなのに、わざわざ遺跡から遠ざかる理由が分からない。
「あなたは、もう少し頭を使うべきだわ」
返ってきたのは少し呆れたような言葉だった。
「お前は一言も二言も説明が足りないけどな」
即座に言い返してやると、フードを外してその美貌を露わにする。
そして花のような笑みを向けてきた。
「遺跡周辺は、間違いなく見張られていると考えていいわ。つまり、あの森までは、他の勢力の監視がある。その森へと続く分岐点でのん気に野宿をしてたら、彼らにどう思われるかしら?」
そう言われて、ロイドは不満の言葉をぐっと飲み込んだ。
言われてみれば、確かにそうだ。
分かれ道の真ん中で野宿などしてたら、明日には遺跡に向かいますよと宣伝しているようなものではないか。
考えてみればすぐに思いつくものだが、そんなことも分からなかったロイドは、自分が思っている以上に気が急いているらしい。
「あなたはこう考えたんでしょ。少しでも早く遺跡へ行って星を手に入れたい。そのためにも、なるべく遺跡に近い場所で野宿をしたいと」
思っていたことを言い当てられ、ロイドは言葉を詰まらせる。
相変わらず呆れた顔を浮かべているのが腹立たしいが、反論はできそうにない。
「急がば回れ。恋人を助けたいという気持ちは分かるけど、安易な行動は最悪の事態を招きかねないわよ?」
「……悪かったよ」
顔は向けず、それだけ言っておいた。
「じゃあ、野宿の準備はお願いね」
言うだけ言うと、ミリアはくるりと踵を返す。
「お願いって、お前はどこに行くつもりだ?」
「偵察よ。日が完全に沈む頃には戻るわ」
言ったと同時にミリアの傍の空間が歪み、そのままそこへ消えてしまった。
そのほとんどが一瞬の出来事だったので、声をかける暇もなかった。
一人で偵察など大丈夫かと思ったが、散歩でも行くような感じだったので多分問題ないはず。
なにより、ミリアはリリムだ。大概のことなら一人でどうにか出来るのだろう。
そう思うと、野宿の準備しか出来ない自分が途端に情けなくなってくる。
「とりあえず、準備するか……」
卑屈な考えは他所にやり、言われた通りに野宿の準備を始める。
一心不乱に薪や枯れ葉を集め、それらは日が完全に落ちる頃にはたき火の炎となって燃え上がっていた。
後はミリアが帰ってくるのを待つだけだ。
ぱちぱちと音を立てている炎をぼんやりと眺めていると、見計らったかのように眠気が襲ってくる。
睡魔の誘いに何度も抵抗するが、一日歩き続けた体がついに根負けし、意識を手放してしまった。
それからどれだけ眠ったのかは分からないが、ハッと気がつくと辺りは暗く、完全に夜になっていることを告げていた。
慌てて辺りを見回すが、どこにもミリアの姿はない。
日が沈む頃には戻ると言っていたはずだが、もしかして何かあったのだろうか?
頭をそんな考えがよぎる。
「まさかな……」
ミリアに限ってそれはない。
即座に浮かんだ考えを否定するが、ではミリアが戻ってこないのはなぜだという疑問が残る。
そもそも、戻ってこない状況とは一体どんな時だ?
考えれるのはミリアの身に何かあったという可能性だが、これを除くと後は―。
「っ」
一番嫌な可能性があったことに、ロイドは顔を歪めた。
戻ってこれないのではなく、戻ってくる気がないのだとしたら?
さっきとは違い、それはないと否定することができない。
ミリアの目的は星の調査。
その役に立たないなら、切り捨てられてもおかしくはない。
それ以前に、星の調査自体が本当かも怪しい。
一度芽生えた猜疑心は思考を支配し、そうとしか考えられなくなる。
不信が積もりに積もった頃だ。
ミリアが唐突に戻ってきた。
「ただいま」
声のした方角を向けば、相変わらずローブで身を包んだミリアの姿があった。
「……遅かったな」
嫌みを隠すことなく、ロイドはそう告げる。
「監視の目が予想以上に厳しくてね。遅くなったのは謝るわ」
対するミリアはそう言って苦笑を浮かべただけ。
たったそれだけなのに、ミリアに対する猜疑心が薄らいでいく。
これもリリムだからだろうか?
「話を続けるけど、監視が厳しいわ。森の中はもちろん、その上空にもハーピーの監視があったから、遺跡に行くとすれば森から。それも夜にね」
「森からなら、行けそうなのか?」
「可能性があるとすればね。ハーピーを撃退して空からという選択もあるけど、あまり現実的じゃないわね。そもそも、同じ魔物に手荒な真似はしたくないし」
空からは駄目。
つまり、森から進むという選択に絞られたわけだ。
「さて、遺跡付近についてはこんなところよ。で、本題はここから」
ここから?
まだ問題があるのかと顔を向ければ、真剣な目で見つめ返された。
「なにかあるのか?」
「ええ。と言っても、たまたま聞こえた話なんだけどね。それは遺跡の内部についてよ」
「罠があるとは俺も聞いている。そういうことか?」
内部について問題があるとすれば、それくらいなはず。
ミリアが真剣な顔をするくらいだから、厄介な罠でもあるのだろうか?
「いいえ、罠ではないわ。聞こえたのは、入る度に内部の構造が変化するということよ。ロイド君はどう?そんな話を聞いたかしら?」
その問いに、当然のように首を横に振る。
入る度に内部の構造が変化する?
現実的に考えれば、そんなことはあるはずがない。
だが、仮にそれが事実なら、未だに誰も星が入手できていないのも頷ける。
これなら、まだこちらにもチャンスはありそうだ。
「行って確かめるしかない、か……。ロイド君、明日の夜と今夜。遺跡に向かうならどっちがいい?」
「今夜」
迷わず即答していた。
リィナの命がかかっている以上、向かうなら早いほうがいい。
「愚問だったわね。じゃ、心と体の準備はいいかしら?」
「ああ」
引っ張り出していた毛布を袋にねじ込むと、荷物をまとめて立ち上がる。
「森までは転移魔法で行くわ。さあ、どうぞ」
ミリアが右手を突き出すと、先程と同じように空間が歪む。
決して少なくなくない恐怖心を隠すようにそこへ歩を進めると、一息に踏み込んだ。
その瞬間に目をつぶってしまったが、いつまでもそうしているわけにもいかず、ゆっくりと開いていく。
そして目にしたのは、辺り一面の木々。
夜ということもあり、視界が悪いことこの上ない。
「一応目星は付けておいたけど、この辺りは大丈夫そうね」
「わかるのか?」
「まあ、なんとなくね。それより、遺跡はこっちよ」
辺りを一通り見回したミリアは迷うことなく進もうとする。
「ちょっと待て。こっちもなにも、これじゃ分からないだろう。責めて方角を言え」
「そうね、北はあっちだから、ここからだと遺跡は南西になるわね」
ミリアの言葉を聞きつつ、荷物の中からコンパスを取り出す。
針は間違いなく北を指しているので、異常はなさそうだ。
「大丈夫そうだな」
「あら、準備がいいわね」
ロイドの手元を覗き込んだミリアが感心したように言うが、旅をするならこれくらいは常識である。
「普通だ普通。ほら、さっさと行くぞ」
「そうね。所々に罠があったから、辺りには十分に気をつけてね」
静かにうなずくと、そっと南西に向かって歩き出す。
目が慣れてきたことと、枝葉の隙間から差し込む月光のおかげでなんとか歩いていくことができるが、視界の悪さを解消してくれるほどではなく、何度も木の根や植物に足を捕られた。
それに加えて罠にも気をつけなければいけないということで、嫌でも緊張感が高まる。
あちこちに神経を張り巡らせながらの行軍はあっという間に時間の感覚を奪い、心の余裕を削いでいった。
こんな非日常的な行為に慣れていないロイドの消耗は早く、辺りへの気配りがどうしても途切れがちになってしまう。
そして、ついに恐れていた事態が起こってしまった。
よく注意したつもりだったが、一歩踏み出した瞬間、足元に違和感を感じ、少し離れた場所でからからと何かがぶつかる音がした。
「くっ、悪い!」
「謝るのは後。急いで離れるわよ」
ロイドが踏んだのは侵入者を知らせる罠のようで、森の中に乾いた音が響く。
この罠を仕掛けた者は間違いなく音が聞こえる位置にいるはずだから、すぐにやってくるに違いない。
そうなる前にこの場を離れなくては。
だが、一度罠にかかってしまったことで、ロイドの集中力は完全に途切れてしまったらしい。
ミリアの後を追おうとして、再び足元に感じる違和感。
それに呼応するように、からからと不気味な音が奏でられる。
「くそ、あちこちに!」
「急いで!早くこっちに」
ミリアが言いかけた言葉はそこで途切れた。
一つの黒い影が、すごい早さで二人の間に飛び込んできたのだ。
「逃がさんぞ」
「ふふ、ネズミさんみーつけた♪」
鋭い声が聞こえたと思ったら、遅れて更に別の女性の声。
よりにもよって二人も呼び寄せてしまったらしい。
「魔物かよ……!」
先に姿を現したのがリザードマンで、遅れてきたのがアルラウネ。
人相手ならどうにかなると思っていたが、魔物となると勝手が違ってくる。
「どこの者だか知らんが大人しくしろ。そうすれば、危害は加えん」
「そういうこと。ま、捕まえはするけどね」
当然といえば当然の対応。
だが、大人しく捕まるつもりもない。
二人が話している最中に走り出そうとするロイドだったが、一歩も動かないうちに剣が突きつけられた。
それはほとんど一瞬の出来事。
「動くな。痛い思いをしたくなければな」
一瞬のうちに距離を詰めたリザードマンがすぐ傍で鋭い目を向けていた。
「あなたも大人しくした方が身のためだよ?」
アルラウネが楽しそうな笑顔を向けた先では、ミリアが静かにため息をついていた。
「ミリア……」
ロイドにはお手上げなこの状況、縋れるのはミリアしかいない。
そのミリアは微動だにせず、静かに言い放った。
「やれやれ。同族が二人も相手とは、困ったわね」
「あ、お仲間?でも大人しく―」
「ロイド君。少し目を閉じていることをお勧めするわ。変な気分になりたくなければね」
アルラウネの言葉を遮るように言うと、ミリアの体が蜃気楼のように揺らめいた。
「動くな!連れがどうなっても―」
ミリアの妙な動きを察知したのか、リザードマンはロイドを捕らえようと手を伸ばしてくる。
だが、ロイドの目の前でそれは現れた。
空間の一部がぐにゃりと歪み、そこから黒い鎖が出てきてリザードマンの腕を絡めとったのだ。
「なっ、なんだ、これは!?」
突然の事態に戸惑うリザードマンを尻目に、あちこちの空間が次々に歪み、そこから同じように黒い鎖が伸びてきて彼女の手足を拘束し、吊るし上げていく。
「ちょ、ちょっと!あなたなにしてるのよ!?」
目の前の光景が誰の手によるものかは明らか。
だからこそアルラウネはその者へと戸惑いの視線を向けるが、そこにミリアの姿はなかった。
「あ、あれ?一体、どこに……」
慌てて辺りを見回そうとするが、そんな彼女の背後にミリアは現れ、そっと羽交い絞めにした。
「ひっ……」
「さっきのあなたの言葉をそのまま返すわ。大人しくしていた方が身のためよ。いいわね?」
相変わらずの声だったが、アルラウネには脅しに聞こえたらしい。
無言で何度も頷いた。
「ふふ、いい子ね。じゃ、ちょっとだけあなたの体を利用させてもらうわ」
背後から抱きしめる格好のまま、ミリアは右手だけをアルラウネの顔の前に移動させる。
「な、なにを……」
震える声で尋ねるアルラウネの前で、ミリアの人差し指が青い光を帯びる。
「どこまで抗えるかしらね?」
少し楽しそうな笑みとともにアルラウネの腹に指が触れると、彼女は途端に嬌声を上げた。
「ひゃあああああ!」
「あら、まだ触ったただけよ?お楽しみはこれから」
くすりと笑い、ミリアは指をアルラウネの胸へと滑らせていく。
「ひっ、だ、だめ!おっぱいはやめ、ん♪やんっ!や、やめ、乳首はだめぇぇ♪」
……どうやらあの魔法?には、快感を与える効果があるらしい。
ミリアが目を閉じていろと言ったのをようやく納得する。
確かにこれは、なんというか、色々と妙な気分にさせられる。
「お、おい!やめろ!」
鎖に完全に拘束されて吊るし上げられたリザードマンが身を捩りながら抗議するが、ミリアはそれを一瞥して屈託のない笑顔を向けた。
「ああ、あなただけ仲間はずれにするつもりはないから安心していいわ」
それは拷問宣告のようなものだったのだろう。
がちゃがちゃと鎖を鳴らしてなんとか拘束を逃れようとしていたリザードマンの動きがぴたりと止まる。
「なっ、私も……?」
「待っててね、もうすぐ仕上げにするから」
にこりと笑う様が、ロイドには悪魔に見えた。
目の前で繰り広げられる淫らな行いのせいで、愚息はすっかりその気になっている。
できれば目を閉じて気を静めたいのだが、絶え間なく響く嬌声がそれを許してくれない。
ミリアの愛撫を直接味わっているアルラウネもそうだが、ロイドにとってもこれは拷問だった。
「ま、待って!そこは、そこはだめぇ♪」
見れば、指がアルラウネの下腹部を撫でていた。
「子宮を刺激される気分はどう?」
既に蕩けきった表情のアルラウネを見れば、そんなこと聞かずとも分かるはずなのに、ミリアは満面の笑みで語りかける。
「ひぁっ、だ、だめ、イくから!イっちゃうからぁ〜!!」
叫ぶと同時にびくびくと痙攣し、アルラウネの動きが止まる。
どうやら絶頂に達したらしい。
アルラウネがすっかり大人しくなると、ミリアは彼女の花の中へと手を入れ、そこから琥珀色の粘液をすくい出した。
蜂蜜のようなそれを満足そうに見つめると、視線をリザードマンに向ける。
「待たせてごめんなさいね。さあ、あなたの番よ」
「ま、待て…!それでなにをするつもりだ…!」
矛先が自分に向いたからだろう。
その顔には脂汗が浮かんできている。
しかしミリアは答えず、笑顔のままで彼女に歩み寄り、その口元にすくった蜜を近づけた。
「ま、まさか…!おいやめろ!それは薄めてないアルラウネの蜜だぞ!?そんなの口にしたら……!!」
何をされるのかようやく理解したリザードマンは必至に拘束を解こうとするが、鎖はびくともしない。
「ふふ、特濃の蜜を堪能させてあげる。ほら、暴れちゃダメよ」
蜜を持っていない左手に先程と同様の光が宿り、リザードマンのむき出しの腹部を撫でた。
「んあああああ♪や、やめ、ひあっ!」
ミリアの左手が腹で円を描く度、リザードマンの口から色っぽい声が漏れる。
鋭かった目が緩み、その頬が朱に染まっていく。
だが、それでも抵抗の意思はあったらしい。
「こ、このぉ!」
唯一拘束を逃れていた尻尾がミリアの顔目がけて払われた。
攻撃とも呼べないような動きだったが、抵抗できるとは思ってなかったのか、ミリアは尻尾を避けきれず、フードをかすめた。
結果としてフードが外され、その素顔を見たリザードマンが絶望したような声を上げた。
「リリムだと……」
「ふふっ、まだ抵抗できるなんて、頑張るわね」
赤い瞳に嗜虐的な色が宿ると同時に指が再び動きだし、踊るように腹部を撫でていく。
「あっ、や、だめ!子宮、子宮がおかしくなっちゃうからぁ!」
なんとか指から逃れようと身をひねるが、快感が体を支配しつつあるからか、その抵抗は儚いものだった。
「じゃ、そろそろ終わりにしましょうか」
腹部を滑っていた左手がリザードマンの頭に添えられ、半開きになった口に蜜が流し込まれていく。
「んくっ……」
散々子宮を刺激されて吐き出す力もなくなったのか、リザードマンは口に入れられた蜜をすんなり嚥下する。
ミリアはそれを見届けると、今度はアルラウネに近寄って同じように蜜を口に流し込んだ。
「ロイド君、こっちに来て」
言われるがままにミリアの傍に行くと、頭をぼんやりさせるような甘い香りがする。
「あら、このままじゃまずいわね」
ロイドの様子を見たミリアは、左手だけにつけていた黒い手袋を外して投げ捨てる。
「これでよし。じゃあ、解放してあげるわ」
ロイドを自分の背後に押しやると、指を鳴らした。
それに合わせて黒い鎖が霧のように消えていき、リザードマンが解放される。
「あう、子宮が疼く…」
「うう、私も…」
二人は完全に発情した表情で下腹部を押さえながら辺りを見回し始めた。
「じゃあ、精で満たしてもらえばいいんじゃないかしら?監視していたのだから、男のいる場所は知っているでしょ?」
二人がそうなった原因を作った張本人は、しれっとそんなことを言う。
「くうっ!駄目だ、もう我慢できん…!」
「男、どこかに男は!?体が火照って、もう…!」
昂ぶる感情が完全に頭を支配したらしく、目の前にいるロイドは見えていないのか、二人はいそいそと暗い森に消えていった。
「ふふ、良い夜を」
見送るミリアに、悪いことをしたという様子は微塵もない。
今更だが、こいつが味方で本当によかったと改めて思う。
「その、助かった…」
「どういたしまして。それより、あなたからいい匂いがするのだけど?」
ミリアの視線がロイドの下半身、もっと言えば、ある部分に向けられる。
そこは未だにテントが出来ており、ズボンの下からその存在を強調していた。
「あらあら、そんなに大きくしてどうしたの?一度抜いてあげましょうか?」
「誰のせいだよ!それより、あいつらを逃がしてよかったのか?」
そう、こんな事態になっているのも、全てミリアのせい。
あんな背徳的な光景を見せつけられて、なにも反応しない男の方が異常というものである。
ロイドは心の中でそう言い訳しつつ、話題を逸らす。
「彼女達には網を引っかき回してもらうから。私達はその過程でできた穴を抜けていきましょ」
「つまり、発情したあの二人に騒ぎを起こしてもらうと?」
「そういうこと。さ、先を急ぎましょ。今なら罠を踏んでも、この辺りの見張りは来ないはずだから」
それはつまり、普通に歩くことができるということ。
これ以上神経を尖らせなくてもいいのは、ロイドにとってかなり重要だ。
「それは助かるな。だが、油断せずに行こう」
先はまだ長い。
そう気を引き締め、暗い森へと再び歩を進めたのだった。


辺りが明るくなりはじめた頃だった。
あれから誰にも遭遇することなく森を進んでいたロイド達は、ついに遺跡が目視できる位置に到着した。
「なんとかここまで来れたな」
「そうね。だからこそ不思議だわ。この辺りまでくれば、付近に偵察の人がいると思ったのだけど」
ぐるりと辺りを見回したミリアは納得いかなそうに首をひねる。
辺りに誰もいない点についてはロイドも同意見だが、いないのなら好都合。
このまま遺跡に侵入するだけである。
「いないほうがいいだろ。それより、いよいよだ」
正直、夜の行軍で体はかなり疲れていたが、ようやくここまで来た。
もうひと踏ん張りだと自分を鼓舞し、ロイドは森を出ようとする。
だが、遺跡の入り口に顔を向けた瞬間、ロイドは体が硬直した。
「どうしたの?」
ミリアが怪訝そうに尋ねてくるが、ロイドの視線はそこに釘付けにされたままだ。
「入り口の脇に人がいるんだ。しかも、あの旗は……!」
遠目からでも分かる緑の生地。
そしてそこには金の斧が刺繍されている。
それだけで、ロイドは全てを悟った。
分からないのはミリアだけだ。
「どうしたの?あの旗に何か意味が?」
「この辺りを治めるゲーテベルク公のものだ。くそっ、この辺りに見張りがいないのはそいういうことか…!」
土地を所有するということは、そこに在るもの全てが所有物となる。
当然、なんの価値もない遺跡とて例外ではない。
「……つまり、あれはその貴族の私兵というわけね?」
詳しい説明をせずともミリアは状況を理解したらしい。
遺跡の入り口に立つ二人の兵士をつまらそうな目で眺めた。
「そうだ。入り口に立ってるってことは、封鎖してるんだろう」
ここに来て最悪の事態だ。
これで無理に押し入ろうとすれば、それだけで犯罪になる。
「それは困ったわね。他に入り口は?」
「ないな。見ての通り、あそこだけだ」
「そう。じゃあ、正面突破ね」
今までの説明を台無しにする発言である。
「なんでそうなるんだ!言っただろ、ベルク公はこの辺りを治める貴族だぞ!?その私兵を張り倒すつもりか!?」
そんなことをすればベルク公に喧嘩を売るのと変わらない。
相手は権力者だ。
もし捕まれば、問答無用で即死刑ということも十分にあり得る。
「穏やかな正面突破だから大丈夫よ。あなたは私についてくるだけでいいわ。その際は、無言で堂々としていてね」
言葉だけでは、なにをする気なのかさっぱり分からない。
ロイドにできることといえば、変な方法ではありませんようにと願うだけである。
だが、そんなロイドの願いを裏切るかのようにミリアはひょいと森から出てしまう。
それがあまりにも自然すぎて、ロイドは一瞬思考が止まった。
頭が活動を再開したのはミリアに目で合図されてからだ。
「っ」
慌ててその後ろについて行くが、正直不安しかない。
穏やかな正面突破と言っていたが、説得でもするつもりなのだろうか?
「ん?交代の時間にはまだ早いはずだが、どうかしたのか?」
お互いに顔が見えるくらいまで近づくと、兵士の一人がまるで知り合いのように声をかけてきた。
それに対して、ミリアはさも当然のようにこう言う。
「ベルク公の命により、再び調査に参りました。中の様子は?」
まるで自分達がベルク公により派遣された調査員のような口ぶりだ。
口上としてはいいかもしれないが、かたや旅装姿のロイドと、フードで顔を隠し、ローブに身を包んだミリアではいくらなんでも説得力がない。
ないと思ったのだが、兵士の反応に変化はなかった。
「相変わらずだ。扉を開ける度に別世界。正直、気味が悪い。お前達も災難だな。ここを再び調査とは」
同情のような目で見られ、ロイドはますます分からなくなる。
彼らは自分達を誰だと思っているんだ?
「ここの見張りも大概だと思います」
「違いない。はあ、さっさと交代して一杯やりたいものだ」
ミリアの返事にくっくと笑う兵士。
そこにこちらを疑っている様子は微塵もない。
「もう少しの辛抱ですよ。では、私達はこれで。あ、交代の者には、私達が内部に入ることは伝えてありますので」
「了解した。では、気をつけていくようにな」
恐ろしいことに、気遣いの言葉まで頂戴してしまった。
ミリアはミリアで軽く会釈すると、当然のように二人の兵士の間を通り、入り口の扉を開ける。
なんらかの石で出来ていると思われる重厚そうな扉は見かけに反してすんなり開き、その内部が隙間から見えた。
聞いた話では摩訶不思議な内部のようだが、ミリアがためらうことなく入って行くので、ロイドも事前に言われた通りに無言で堂々と後に続いた。
いよいよだ。
なにがあっても星を見つけて持ち帰る。
決意を新たに踏み込んだ内部は、予想に反して普通だった。
所々欠けた壁や柱、薄汚れた床石、隙間から無理矢理生えている雑草。
しかし、見かけは普通でも内部に漂う空気というか雰囲気が明らかに違う。
なんというか、異質なのだ。
ここは人のいるべき場所ではない。
本能が強くそう呼びかけてくる。
「おいミリア。お前から見て、ここはどうなんだ?」
内面から湧き上がってくる恐怖を振り払うように話を振る。
この空間で黙っていると、気が狂ってしまいそうに感じるのだ。
「私の意見も恐らくはあなたが感じたことと同じよ。少なくとも、ここに財宝目当てに入るのはお勧めできないわね」
「お前から見ても危険そうか?」
「ええ。それも、とびきりと言っていいくらいにね。この異質な空間では何が起きても不思議じゃない。さすがの私でも対応できないかもしれないわ」
らしくない発言だ。
つまりはそれくらい危険ということなのだろう。
「お前でさえそうなのなら、星はまだ誰の手にも入ってない可能性が高いってことになるよな?」
「ここが異常であると分かっての発言とは思えないわね。欲しいものが星から自分の命になりかねないわよ?」
確かにそうかもしれない。
だが、ロイドにはリィナのためという退けない理由がある。
「じゃあ、星を諦めておめおめ引き返せと?それでは自分の身可愛さに、リィナを見殺しにするということだろう」
誰かのため、という言い訳は強い。
それが恋人のためなら尚更だ。
「……意思は変わらないみたいね。いいわ、そこまで言うなら先に進みましょう」
呆れたような目で見られたが、同時に少し笑みがこぼれたのは、ロイドならそう言うと予想していたからかもしれない。
どちらにしても、この内部もミリアが同行してくれるのは心強い。
そう思っているからか、つい本音が漏れてしまった。
「ミリア、もしもの時は頼りにしていいか?」
「繰り返すけど、私でも対応できるか分からないわ。だから、予想外の事態が起きた場合は自己責任よ」
そう言いつつ振り向いた顔には、実に悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
何度か見せたそれは、今の状況ではとても頼もしい。
「分かった、自己責任な。じゃ、行くぞ。リィナのためにも、早く星を手に入れないとな」
大分落ち着きを取り戻したロイドは、ようやく本来の目的に向かって歩き出す。
「旧時代の遺跡、か。どう見ても、人の手に負える場所じゃないわね。念のために手を組んでおいてよかったわ……」
再度を辺りを見回したミリアが小さな声で呟いた言葉は、ロイドの耳に届くことはなかった。


入り口からは今のところ一本道だった。
少しずつ地下へと向かっているようだが、特に障害になるようなことはなく、異様な空気を除けば普通の遺跡。
「そういえば、入り口に入る時は一体なにをしたんだ?」
目の前の通路はさして広くもないが、取り立てて罠があるようにも見えない。ひとまず安全だと判断したロイドは、さっきから黙っているミリアにそう尋ねた。
「ああ、あれはちょっとした幻術よ。彼らには、私達がベルク公の私兵に見えてたでしょうね」
だからあんな対応だったわけか。
なんの用意もしないままに森を出て行った時は驚いたが、あの時には既に魔法を使っていたわけだ。
「さすがリリム、と言うべきか。それとも、お前がすごいだけなのか?」
「あら、いつになく殊勝ね。彼女の前ではいつもこんな感じなのかしら?」
人がせっかく素直に認めてやったというのにこの返事。
幻術といい、こいつは人を茶化したり弄ぶのが大好きらしい。
「はあ。お前と話してると疲れる」
うんざりしながらついたため息は、古めかしい扉を開いた瞬間に消えた。
一体なんのためなのかは分からないが、かなりの広さと高さを持つ部屋だった。
部屋というよりは空間と言ったほうがいいかもしれない。
天井は遥か上空で、ロイド達が立っている位置からは距離があるらしく、先へと進むための通路がかなり小さく見える。
だが、ロイドが絶句したのは部屋そのものではなく、悪魔を模した石像があちこちに設置してあったからだ。
目算できないほどのそれらは不規則に置かれていたが、揃ってこちらに顔を向けていた。
「なんというか、趣味の悪い部屋だな……」
「そうね。とりあえず、辺りに気を配ることは忘れないで。ここは石像の展示場というわけではないでしょうから」
ミリアの注意を受けて、ロイドは恐る恐る部屋に入る。
すぐ近くにある石像が襲いかかってくるんじゃないかと想像したが、不気味なだけで、少しも動きはしなかった。
緊張感が高まるなか、石像と石像の間を慎重に部屋を進んでいくが、やはりなにも起きない。
気味の悪い静寂に耐えながら、部屋の中央辺りまで来た時だった。
ヒビが入るような音が聞こえた。
「……おい、今の音が聞こえたか?」
「残念ながら聞こえたわ」
揃って足を止めて辺りを見回すなか、その音は再び聞こえた。
「ものすごく嫌な予感がするんだが」
「そういう時は大概当たるものよ」
ミリアがそう言った時だった。
ロイドはついに音の発生源を捉えた。一つの石像が小刻みに震え、ゆっくりと動き出していたのだ。
「おいミリア、あれ!」
動き出した石像に視線が釘付けになっていると、そいつはその背にある悪魔らしい翼を羽ばたかせて空中に浮かび上がった。
「ガーゴイル……?」
それを見たミリアが訝しそうに呟く。
「待てよ、ガーゴイルも魔物だろ!あれもそうだっていうのかよ!?」
ガーゴイルはロイドも知っている。
だが、目の前にいるそれは、ロイドの知っているガーゴイルとは似ても似つかない。
「なぜ旧時代の姿のままなの?世代交代をした当時ならまだしも、これだけの年月が経った今、母様の魔力から逃れることはできないはずなのに……」
訝しむミリアだが、ガーゴイルは待つ気はないらしい。
滑空するように飛来してきた。
「おい、来たぞ!」
「分かってるわ」
ガーゴイルの狙いはロイドのようで、石の腕を振りかざしながら切り裂こうと迫ってくる。
だが、ロイドとガーゴイルの間にミリアが体を滑り込ませ、いつの間にか手にした剣でその腕を防いでいた。
「荒事なしではすまなそうね……」
ため息混じりに剣で押し返すと、力負けしたのか、ガーゴイルの体が空中に投げだされる。
しかし、くるりと一回転して体勢を立て直し、再び急襲してきた。
「悪いけど、人に害なす存在を見逃すわけにはいかないわ。だから」
ガーゴイルとの距離はかなりあったにも関わらず、ミリアの剣がすごい早さで払われた。
直後、ガーゴイルが空中でぴたりと動きを止める。
そしてずるりとその下半身が切れて落ちた。
「さよなら」
一瞬で勝負は決まっていた。
下半身を失ったことでバランスを保てなくなったのか、ガーゴイルは金切り声の断末魔を上げながら落下していく。
だが、床に落ちる直前に、その体から赤い波のようなものが放たれた。
それは波紋となって部屋全体に広がっていく。
「?」
なにをしたのか分からなかったのは、ほんの数秒だけ。
すぐにヒビが入る音が聞こえてきたのだ。
しかも、今度はあちこちから。
次はどの石像だと探す必要もない。
少なくとも、ロイドの目に映る石像は全て動き出し始めていた。
「おいミリア、これは……!」
「さすがに物量に差がありすぎるわね。ロイド君、走って」
言われるより先に走り出していた。
いくらなんでも、これは完全に手に負えない。
ミリアも同じなのか、ロイドの少し先を跳ぶように走っている。
その進行ルートにもガーゴイルは無数にいるのだが、ミリアがその横をすり抜けたと同時に切り裂かれていく。
その際に剣を振っているところは全く見えないので、ガーゴイルが勝手にばらばらになっているように感じるくらいだ。
それでも、数の暴力は恐ろしかった。
当然だが、ガーゴイルはロイドも狙ってくるのだ。
そしてロイドは、一匹のガーゴイルがすぐ後ろまで迫っていることに全く気付いていなかった。
すぐ傍から感じる邪悪な気配に寒気を感じ、振り向いた時には目の前でガーゴイルが腕を振り下ろそうとしていた。
「うわぁぁっ!!」
防げるとは思わえないが、咄嗟に頭をかばおうとする。
だが、ロイドの背後から伸びてきた黒い鎖がガーゴイルを拘束するほうが早かった。
鎖の大元へと目をやれば、こちらに左手を突き出しているミリアがいた。
ミリアが左手で引っ張るような動作をすると、拘束されたガーゴイルがすごい勢いで引き寄せられていく。
そして剣が一閃し、ガーゴイルは鎖ごと真っ二つにされる。
「今よ、急いで!」
弾けるように体が動き、通路の方へと走り出す。
ミリアまでの距離が近づくと、彼女は再び左手を突き出した。
そして目にも止まらぬ早さで伸びてくる黒い鎖。
しかしそれはなぜかロイドを絡めとった。
「!?」
いきなりの事態に声も出ない。
「少し乱暴だけど、我慢して」
声と同時に体が浮いたと思ったら、急に視界が目まぐるしく変化した。
気がつけば、ロイドは鎖によって通路へと投げ込まれていた。
ごろごろと通路を転がり、軽く背中を打った痛みに顔をしかめる。
「ミリアっ!!」
部屋の方角へ視線をやったロイドは目を見開いた。
「嘘だろ……」
部屋の色が変わっていた。そう見えるくらいに、どこもかしこもガーゴイルだらけだ。
そんな部屋にミリアが一人、取り残されたように立っていた。
「あいつ!」
慌てて戻ろうとするが、部屋への入り口には既に多くのガーゴイルが押し寄せてきていた。
その勢いのまま、通路に侵入しようとしてくるが、通路に入る直前で次々に床に引き寄せられるかのように倒れていく。
「行かせないわ」
自分に向かってくるガーゴイルの相手をしながら、こちらを見向きもせずにミリアが左手を向けていた。
かなり強力な魔法らしく、倒れたガーゴイル達もろとも床が陥没していく。
そして、それは起きた。
魔法の威力が床から部屋全体に伝わったのか、通路付近の壁や天井の一部が崩れ落ちてきたのだ。
ロイドは慌ててその場から飛び退いた。
間髪いれずにそこへ壁や天井の残骸が降り注ぎ、ガーゴイル達を押し潰していく。
「ミリア!」
部屋への入り口が残骸で塞がれていくなか、その隙間から見えるミリアがこちらを向いてなにかを言った気がした。
だが、その隙間もすぐになくなってしまう。
崩落した瓦礫の山の向こうで、ミリアは無事なのだろうか?
そこまで考えてから、ハッとする。
なぜ自分はミリアの心配をしているのだ、と。
ロイドが心配すべきは、今も病に苦しむリィナのはずだ。
そのためにここまで来た。
ミリアはその協力者なだけ。
ここでお別れなら、それでいい。
……そう考えられたなら、どれほど楽だっただろうか。
「くそっ……」
部屋への入り口を塞いだ瓦礫を忌々しそうに眺めながら、ロイドはそう吐き捨てた。
無数のガーゴイル達が相手ではいくらリリムでもどうなるか分からない。
数の暴力は、時に強大な敵をも打ち倒すのだ。
できることなら、すぐに瓦礫を退けてミリアの手助けに行きたいが、仮にそうすることができたとしてもロイドがなにかの役に立てるとは思えない。
なら、自分に出来ることは―。
振り向けば、どこに続いているかも分からない通路。
「……」
進むしかない。
リィナのために。
ただそれだけのために、ここまで来たのだから。
後ろ髪を引かれる思いだが、それでも優先しなければならないのは星を手に入れること。
「無事でいろよ……」
瓦礫の向こうのミリアの無事を祈りながら、ロイドは通路を歩き出した。
12/04/17 23:51更新 / エンプティ
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■作者メッセージ
どうもエンプティでございます。
読む時に気付いたと思いますが、今回はまだ中編です。
よって、かなり中途半端なところで終わっています。
というのも、相変わらず書きたいことを書いていたら文章が肥大化したため、今回は中編を組み込んでみました。
お待たせした上に完結しておらず、申し訳ありません。お詫びというわけではありませんが、後編も遅くとも二週間以内には公開する予定です。
全く関係はありませんが、前編を書き終えてしばらくした頃、インフルなエンザにかかりまして、一週間近く寝込んでおりましたw
それでも起きている間はあれこれと文章を考え、いい表現もいくつか思いついたというのに、いざ治って書こうしたら、全く忘れているという体たらく。
メモって大事だなと痛感した次第でしたw
さてどうでもいい作者の身の上話が終わったところで、今回はこの辺で。
また次回でお会いしましょう。

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