連載小説
[TOP][目次]
リリムとありし日々(番外編)
森に囲まれた城は今日も静かに存在していた。
そんな城の一室、かなりの広さを誇るその部屋に天蓋付きの豪華なベッドが一つ。
そこに、一人のリリムが美しい寝顔を晒しながら横たわっていた。
その様子はキスで自分を起こしてくれる王子様を待つ眠り姫のようだが、残念なことに彼女を起こしたのは無粋な扉のノック音だった。
「入っていいわ」
声が届いたらしく、扉を開けて一人の青年が部屋へ入ってきた。
後ろ手で扉を閉めると、青年はそっとベッドへ近づき、彼女の顔を見つめる。
「起きているみたいだね。大怪我をしたと聞いたけど、具合はどうだい?セラ」
「できれば、あなたのキスで目覚めさせてほしかったところね。具合は見ての通りよ」
そう言ってセラは苦笑する。
「やれやれ。旅行から帰ってきたと思ったら、君が大怪我を負って寝ていると聞いて急いで来たんだが、思ったより元気そうで安心したよ」
「ふふ。じゃあ、安心したところで」
「うおっ!?」
セラにかけられていたシーツがふわりと浮かび、セラは青年をベッドへと引き倒した。
遅れてシーツが落ち、まるで最初からそうしていたかのように青年はセラの隣りに寝かされる羽目になる。
「夫婦の語らいといきましょうか」
「……セラ、君、実はもう全快しているんじゃないか?」
「いいえ、全く。実は動くのもかなり辛いのよ。今の私は…そうね、人の小娘と同じくらいかしら」
「そうか……」
どこか残念そうにため息をつく青年。
「その様子だと、旅行は有意義だったかしら?」
対するセラはくすくすと笑いながら、彼の鼻に人差し指を当てる。
「はあ、君は意地悪だ。なにせ、「妹と水入らずで話したいから、しばらく旅行に行ってきて」なんだから。しかも、その旅行先が性欲を高めるような場所ばかりだし。おかげで、大分溜まってるよ」
「そうなの?どれどれ」
彼の鼻へ当てられていた手がシーツの下に潜り、青年の股へ向かう。
そしてすぐにお目当てのモノに行きついた。
「あら、なにもしてないのにこんなにしちゃって。効果は抜群ね。他の皆はどうだった?」
「同じだよ。今頃、奥さんとしっぽりヤってるんじゃないかな。これなら、絶対に孕ませられるって喜んでたくらいだし。僕も早くセラに搾ってもらいたいと思ったのに、君がそんな状態なんだもの」
「ふふっ、まあこれは私も想定外だったから。本来の予定では、妹に僅差で負けて、性欲を昂らせて帰ってきたあなたに慰めてもらう計画だったんだけどね」
どこまで本当かわからない計画を暴露するセラに、青年は苦笑する。
「ねえ、セラ。今回のこと、一体どこまでが君の思い描いた絵図だったんだい?」
「全部よ」
あっさりとセラはそう告げた。
「全部?」
「ええ。舞台はあの子が活躍して終わる。そういう物語にしたから。あの子に負けることはわかっていたから、それも含めて今回の物語を作ったわ。そして、妹に負けた私は愛しい夫に慰めてもらう。言ってしまえば、今こうしてあなたといちゃいちゃするのが、今回の計画の終着点よ。まあ、最後の最後で予定が狂ったけどね」
そう言うセラは清々しささえ感じられるような笑顔だ。
「思い通りに事が運ばなかった割に、楽しそうだね。お気に入りの街を気まぐれに巻き込んだ甲斐はあったということかな」
少し棘のある言葉に、今度はセラが苦笑する。
「気まぐれ……そうね、確かに気まぐれだわ。あの土地で権力を持つ人達はね。でも、あそこに住む人達以外はそれがわからない」
「セラ?」
苦笑が嘲笑へと代わっていた。
「ここからは、あの子には言わなかった話。あそこの街並みは美しい。でも、その水面下では、権力者同士のつまらない争いが絶えずあるのよ。今までは、それがぎりぎり表に出てこなかっただけ。知らないだけで、その板挟みになって苦しむ人は大勢いた」
「じゃあ、君の本当の目的は……」
全てを察したらしい青年が口を挟むと、セラは呆れたように笑った。
「自分達の気まぐれな発言で振り回される人がいるのに、そんなことは全く気にしていない。あの土地で権力を持つ人は皆そうなの。だから、同じ気まぐれでお灸を据えてあげようと思ってね。下の人達は上の命令だったからという言い訳ができるけど、指示を出した権力者達はそうはいかない。噂に踊らされた道化として笑われるわけね」
一部の者に普段の横暴のツケを払わせる。
それが、セラの隠された目的だったわけだ。
「そういうことか」
「まあ、それはおまけの同時処理みたいなものね。一番の目的はミリアよ。そっちに関しては嬉しい誤算だったけどね」
真面目に語っていた雰囲気がころっと変わった。
「嬉しい誤算か。それくらい、妹の力が強大になっていたと?」
「ええ。だから、今回の結果は満足よ」
セラが本当に満足そうだからか、青年も表情を緩め、苦笑する。
「わからないな。君のことだから、なんだかんだで手を抜いたんじゃないのかい?」
「いいえ。あの勝負、私はそれなりに本気だったわ。あの子がどこまで本気だったかは怪しいけど」
目を閉じて軽く笑うのは、セラの頭の中であの日の出来事が駆け巡っているからだろう。
「素人の意見だけど、同じリリムでそこまで差が出るものなのかい?」
青年の問いに、セラを閉じていた目を開けた。
「何度も言ってるじゃない。あの子は特別だから」
「ミリア、だったよね。姿は、まあ特別といった感じではあったけど」
うろ覚えなのか、青年は視線をさ迷わせる。
そんな彼の耳を、セラは軽く甘噛みした。
「ちょ、セラ!?」
「可愛い義妹のことを覚えていなかった罰よ♪」
「そんなこと言われても、会った回数は片手で数えられる程度だし、君だって彼女のことはろくに話してくれないじゃないか。いつも、特別だとか、あの子はって言うばかりでさ」
顔を赤くしつつ抗議の目を向けながら、青年はしどろもどろの反論をする。
それだけで普段どちらが主導権を握っているか分かるというものだが、意外にもセラは目をぱちぱちさせる。
「あら。話したことなかったかしら?」
「そうだよ。君のことだから、わざと勿体ぶってるのかと思ったけど」
「嫌ね、そんなことするわけないじゃない」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、セラはそっと彼の腕へ抱きついた。
「愛しいあなたが聞きたいなら、私は喜んで話すわ」
ぐいっと顔を寄せて耳元で怪しく囁く。
抱きつかれたせいで青年の腕には豊かな胸が押し当てられ、どことは言わないが青年の一部分が急激に反応する。
それを見越したかのように、セラは言葉を続けた。
「さて、ここで二つ提案をしましょうか。一つは、このまま私に妹について語ってもらうこと」
「もう一つは?」
愛する妻に抱きつかれて息子が勝手に大きくなるなか、青年はなんとか訊き返す。
そんな彼の様子を楽しむようにセラは彼の目を見つめ、雰囲気たっぷりにこう囁いた。
「このまま私に襲いかかる。言ったように、今の私はろくに体を動かせないわ。つまり、あなたは私を好きなように犯せるわけね。そして、そんなことをされても、私はまともに抵抗できない。大人のリリムを好きにできるなんて、滅多にない機会よ。どう?そそられない?」
意地悪極まりない言葉だ。
この状態は予定外だというのに、それすらも利用しようとするところがセラらしい。
「……非常に魅力的な提案だけど、君に毎晩搾られていたせいか、セラが犯してくれないと嫌だな」
「あら、それは残念ね。私としては、たまには犯されたいと思ったのだけど」
「まあ、そう言わないでくれ。それくらい、君には骨抜きにされているんだから」
完全な惚気に、セラはくつくつと笑った。
「抜かれているのは、骨だけじゃないでしょ?」
冗談ともとれる追い打ちに、青年は降参するように笑みを返す。
「その通りだね。まあ、そういうわけだから素直に義妹の話を聞かせてほしいな」
「仕方ないわね」
なにかを思い出すように、セラは目を閉じる。
記憶の引き出しを開けているのか、それともなにを話すか考えているのか。
どちらにしても、青年は黙ってセラが語るのを待った。
静かに時が過ぎるなか、閉じていたセラの目がゆっくりと開く。
「そうね、私があの子と初めて会った時のことから始めましょうか」



その日、セラは自室で魔導書を読みふけっていた。
十二歳になったばかりの彼女はまだ学ぶことも多く、城に保管されている本を持ち出しては自主的に勉強していたのだ。
「これは…、まだ私には無理そうね」
ほとんど興味で選んだ本だからか、まだ扱えない魔法も多く載っているのだが、セラは特に気にすることなくその内容に目を通していく。
ページをめくる音だけがする室内に、ノックの音が響いたのはそんな時だった。
「どうぞ」
「失礼します、セラ様。少しよろしいでしょうか?」
聞こえたのはセリエルの声。
律儀に扉を開けずに話してくるあたり、真面目なデュラハンの鑑みたいな人物だ。
待っていたところで扉を開けて入ってくるとは思えないので、セラが出向いて扉を開けた。
「どうしたの、セリエル。あなたが尋ねてくるなんて珍しいわね」
「突然の訪問、申し訳ありません。実はですね」
困ったようにそう切り出すセリエルだったが、その隣りに小さな少女がいることに気づいた。
セリエルのマントを右手でしっかと握り、こちらを見上げるその少女の瞳はセラと同じ紅。
「セリエル、この子は……」
「はい。セラ様の一つ下の妹君にあたるミリア様です」
「ミリア……」
そういえば、確か五年前に新しく妹が生まれたと聞いた。
聞いたというのは、なぜか今回に限って生まれた子がお披露目されなかったのだ。
まあ、最初は両親の庇護の下に育てられるわけだし、ある程度大きくなってからお披露目だと思ったのだが、目の前の少女を見て確信する。
「セリエル、お父様とお母様、みんなを驚かすつもりだったから、この子が生まれた時にお披露目しなかったんでしょ?」
「恐らくそうかと」
セリエルが苦笑するのも無理はない。
それくらい、ミリアの容姿は普通とは違っていたのだ。
角はないし、翼も全く違う。
これで髪や目の色まで違ったら、リリムだと思われないだろう。
「で、なぜこの子を私のところに連れてきたの?」
「実は、お二人とも、どうしても外せない来客があるようで。その間、ミリア様のお世話をできないということで、一番歳の近い姉妹であるセラ様のところへお連れするよう、陛下から命を受けました」
つまり、今日一日妹の面倒を見ろということらしい。
「随分と急ね。もし私が断ったら、どうするつもりなの?」
「その場合、他の世話係に任せることになっています」
つまり、断ってもいいらしい。
とはいえ、目の前まで連れてこられて断るほどセラは忙しいわけでもない。
「そう。でも、できれば私に一日面倒を見てほしいわけね」
「はい。夕方には片付くから、それまで頼みたいとのことです」
「わかったわ。おいで、ミリア。セラお姉ちゃんと一緒に遊びましょ」
セリエルが失礼しますと言って去っていくなか、ミリアを部屋へ入るよう手招きする。
「セラおねえちゃん?」
子供らしく、純粋な顔で首をかしげる様は、まさしく天使だった。
あまりの可愛らしさに、セラはつい笑ってしまう。
幼くともやはりリリムのようで、こうも簡単に他人を魅了する。
まあ、魅了の質は違うのだが。
「ええ、そうよ。ほら、ミリア。こっちにおいで。お姉ちゃんが遊んであげる」
「うん!」
人見知りするかと思ったが、予想に反してミリアは無邪気に笑った。
裏表のない子供の笑顔は見ているだけで微笑ましい。
それが実の妹となれば、尚更だ。
「じゃあミリア、なにをして遊ぶ?」
「うーんと、おえかきがいい!」
「お絵描きね。待ってて。道具を持ってきてもらうわ」
さすがに部屋に絵を描く道具はないので、使用人に頼んで一通り持ってきてもらった。
ミリアは嬉々として絵を描き始め、それが完成する度にセラに見せる。
そしてなぞなぞでもするように問うのだ。
「おねえちゃん、これはー?」
「うーん、蝶々さんかしら」
「うん、あたり!」
見せてくれる絵は幼児らしく可愛らしいもの。
それでも、描いたものが分かるくらいにはきちんと描けている。
絵を描くのが好きなのか、ミリアは次々に絵を描いていった。
「できた!おねえちゃん、これは?」
「あら、可愛い猫さんね」
「うん、ねこさんだいすき!」
ミリアは自分で描いた猫の絵を見て満足そうに笑う。
セラから見れば、それはとても微笑ましい光景だ。
そしてふとあることを思い出した。
「ミリア、ちょっと待っててね」
妹にそう言い残し、セラは部屋の片隅にある戸棚に向かう。
記憶が正しければ、そこに目的のものがあるはずだ。
「やっぱり」
引き出しを開けると、そこには真っ白な猫の人形が入っていた。
最初は本棚に飾ってあったが、本が増えてきて場所を奪われ、しまい込んでしまったものだ。
セラが誰かから貰ったものであることは確かなのだが、そこまで詳しくは覚えていない。
セラの一つ上の姉はろくに構ってくれた覚えもないので、多分セラが小さい時に両親から与えられたものだろう。
セラはそれを取り出すと、ミリアの元に持っていく。
「ミリア、これをあげるわ」
「あ、ねこさんだ!いいの?」
「ええ、お姉ちゃんからのプレゼントよ。大事にしてあげてね」
「うん!」
嬉しそうに人形を抱きかかえるミリアを見るに、喜んでもらえたらしい。
「じゃあミリア、そろそろお昼だし、ご飯にしましょうか」
「はーい」
言ってみたものの、セラはさてどうしようかと思案する。
城に食堂はいくつもあるが、ミリアを連れてそこに行くべきだろうか。
それでもいいような気はするが、ここは無難に部屋まで持ってきてもらったほうがいいかもしれない。
頭がそう結論を出し、魔法の呼び鈴を使おうとした時だった。
部屋の扉がノックされ、使用人の声がした。
「失礼しますセラ王女様、よろしいでしょうか?」
「あら、いいタイミングね」
どんな用事かは分からないが、向こうから尋ねてきてくれたのなら好都合。
ついでに二人分の食事を頼んでしまおうと扉を開けた。
だが、セラのそんな考えは必要なかったらしい。
「失礼します、セラ王女様。昼食の方、お持ち致しました」
扉の先には、台車を押してきたアリスがいた。
「ありがとう、と言いたいところだけど、私は頼んだ覚えはないわよ?間違いではないかしら?」
「はい、確かにセラ王女様からは頼まれていませんが、セリエル様より、時間を見てお出しするよう指示がありましたので」
どうやらセリエルが気を利かせてくれたらしい。
「ああ、そういうこと。わかったわ、じゃあ、テーブルの上に置いてもらえる?」
「かしこまりました」
一礼し、台車を部屋へ入れるアリス。
途端に料理の香りが広がり、それに合わせて可愛らしいお腹のコーラスが聞こえた。
「あ……」
頬を赤くし、ミリアがお腹を押さえていた。
少女ながらに恥ずかしがる光景は、セラはもちろん、アリスでさえ笑わずにはいられない。
「お待たせしましたミリア王女様。たくさんお持ちしましたから、好きなだけ食べて下さいね」
「うん……」
小さく頷くミリアの前に料理が並べられていく。
「ところで、あなたはミリアと会ったことがあるの?この子の姿を見ても驚いていないようだけど」
次々にテーブルへ料理を並べていくアリスに尋ねると、彼女は笑顔で頷いた。
「はい。何度か同じように料理をお運びしたことがあるので、その時にお会いしています」
話しつつも手は止まらず、料理が並べられていく。
そして最後の一皿を置き終わると、アリスは一礼した。
「それではごゆっくりどうぞ。食事が終了しましたら、台車に載せて廊下へお出し下さい。後ほど、お引き取りに参りますので」
仕事を終えたアリスが部屋を出ていくと、セラも席に着いた。
「さあミリア、ご飯にしましょ。今、料理をとってあげるからね」
テーブルに並べられた料理は幼いミリアでも食べられるよう配慮してあるらしく、味のキツそうなものはない。
とりあえず、一通り皿にとってあげればいいかと思い、近くの料理に手を伸ばした時だ。
初めてミリアの顔が曇っていることに気付いた。
「どうしたの、ミリア?どこか具合でも悪いの?」
音がするくらいにお腹が減っているはずのミリアがなぜそんな顔をするのか、セラには分からない。
「おねえちゃん、わたし、変なの?」
「え?」
僅かにうつむいていた顔を上げたミリアは、不安そうにこちらを見た。
「急にどうしたの、ミリア。誰かにそう言われたの?」
とっさに思いついのはそんなこと。
しかしミリアはいやいやをするように首を振った。
「なら、どうしたの?お姉ちゃんに教えて?」
「だってわたし、おかあさんやおねえちゃんと似てないんだもん。つのはないし、つばさだって……」
「あ……」
それで理解した。
先程のアリスとの会話。
セラにとっては他意のないものだったが、ミリアは気になっていたのだろう。
つぶらな瞳からは今にも涙が零れそうで、幼い妹にそんな顔をさせたのが自分だと思うと、やりきれない。
やってはいけないことをしてしまったような気分でセラは席を立ち、ミリアの傍へ行く。
そして、視線を合わせるようにその場に屈んだ。
「大丈夫よ、ミリア。あなたは変なんかじゃないわ」
そう言いつつ小さな手を取り、冷えてしまった手を温めるようにそっと握る。
「あなたは特別なの。だから、気にすることないわ。あなたはお父さんとお母さんの子供で、私の妹よ。同じ家族。それにね、お姉ちゃんはミリアのその翼、素敵だと思うな」
子をあやすという行為が初体験のセラだったが、なんとかそう言うことができた。その甲斐あったのか、ミリアの表情が少し緩む。
「ほんと?」
「ええ、本当よ。だから、そんな顔しちゃダメ。ね?」
小さな頭を撫でてあげると、それで安心したのか、ようやく笑顔を取り戻してくれた。
「さあ、ご飯を食べましょ」
なんとか機嫌をなおしてくれたことにホッとしつつ、セラは席に戻ろうとする。
だが、足が動くより先に頭が回転し、ふといい案が浮かんだ。
「そうだ。ねえ、ミリア。お姉ちゃん、ミリアの隣りで一緒に食べていい?」
直後、ミリアの顔がぱあっと音がしそうなくらいに輝いた。
「うん!きてー」
こんなことで喜んでくれるならお安い御用だ。
小さく笑いながら、セラは椅子を持ってきてミリアの隣りに置く。
「じゃあ、食べましょうか。ミリアはどれを食べたい?」
「アレがいい!」
こうして、姉妹の初めての食事が始まったのだった。
一度機嫌が直るとミリアはずっとその調子で、昼食を終えて午後になってもニコニコと笑顔のまま、ずっと遊びまわっている。
この小さな体のどこにそんな体力があるのだろうと、セラは不思議に思ったくらいだ。
そんなミリアをセリエルが引き取りに来たのは、間もなく夕食の時間になるといった頃だった。
「失礼します、セラ様。ミリア様をお引き取りに参りました」
「ああ、お疲れさま、セリエル。お母様達の用は済んだの?」
「ええ、先程終了したようです。セラ様もお疲れさまでした。初めての子守りは大変だったでしょう?」
セラの部屋は今やかなりの散らかりぶりだ。
所々に遊び道具が散乱し、いかにも子供が遊び回ったという様子。
だから、そう尋ねたセリエルは部屋を見て苦笑顔だ。
「そうね。でも、いい経験になったと思うわ。いずれ子供ができたら、子守りはすることになるわけだしね」
それでも、今日一日のことを振り返り、セラは微笑んだ。
なんだかんだで楽しかったのだ。
妹と自分の子とでは勝手が違うかもしれないが、それでも有意義な時間だったと思う。
「ふふ、もう先のことを考えているとはさすがですね。して、ミリア様は?」
セラの視線がベッドへと向かい、セリエルもそれに続く。
そこには白猫の人形を抱きしめ、穏やかな顔で眠るミリアの姿があった。
「おや、お休み中ですか」
「ええ。遊び疲れたみたいね」
「失礼します」と言ってセリエルは部屋に入り、ベッドに向かう。
そして、無防備に眠るミリアをそっと抱き上げた。
「セラ様、この人形は?」
「ああ、それはミリアにあげたものよ。だから、そのまま持っていってくれて構わないわ」
「わかりました。片付けのための使用人は手配しておきますので」
「あら、それこそ構わないわ。妹と遊んだのは私だもの。それよりセリエル、早くその子をお母様達の元へ連れていってあげて。片付けは私がしておくから」
寝ているとはいえ、子供が安心するのは姉より親の元。
それくらいはセラにも分かる。
「しかし…、いえ、分かりました。ではセラ様、これで失礼します」
セリエルはなにかを言いかけ、セラと同じことを思ったのか、ぐっとこらえるように言葉を飲み込む。
そしてミリアを抱きかかえたまま、器用に一礼して出て行った。
「ミリア、か」
散らかった部屋を見回し、セラは一人苦笑する。
自分にも、こんな頃があったのだろうか?
「おっと、片付けて勉強しなきゃね」
危うく記憶巡りへと旅立ちそうだった頭を振り、行動を開始する。
自分が幼い時のことなら、思い出すより聞いた方が早い。
そう判断し、セラは後片付けを開始したのだった。
その夜。
日付が変わるまで間もなくといった時間に、セラは読み途中の本を読んでいた。
本当は明日にするつもりだったのだが、なんとなく読み始めたら止まらなくなってしまったのだ。
とはいえ、残りのページ数はまだまだあるので、今日はこの辺りにしておこうかと栞を挟んだ時だ。
部屋の扉が控えめにノックされた。
時間が時間なだけに、城の者は大概が夜のお楽しみを満喫しているはず。
だから、こんな時間に尋ねてくる者に心当たりがない。
「どうぞ」
考えても仕方ないので、扉の向こうにそう声をかけると、今日はよく聞いた声が返事をしてきた。
「夜分遅くに失礼します、セラ様。少しよろしいですか?」
申し訳なさそうなセリエルの声を聞くのは、これで三度目。
今日は訪問の多い日だなと苦笑しながら、セラは扉を開いた。
「どうしたのセリエル。ミリアの忘れ物でも取りに行くよう言われたの?」
冗談混じりの挨拶は、セリエルの苦笑を誘うつもりで言った。
しかし、扉を開けた先で、セリエルは苦笑に近い笑みを浮かべて立っていた。
それだけなら、セラも呆気にとられるようなことはなかっただろう。
扉の先にいたのは、セリエルだけではなかった。
セリエルに右手を引かれ、左手で白猫の人形を抱えたミリアが眠そうな顔でこちらを見上げていたのだ。
「ミリア?どうしたの?」
「おねえちゃん。わたし、おねえちゃんといっしょにねたい」
「え?」
ミリアがいるだけでも驚きなのに、その発言が予想外すぎて、思わず変な声が出ていた。
大分遅れて頭が現状を理解し、視線がセリエルに向かう。
「お母様はなんて?」
「セラ様さえよければ、一緒に寝てあげるようにとのことです。なんでも、セラ様と寝たいと言ってきかなかったそうで。予想以上に早い親離れだと、苦笑していましたよ」
あまりの事態にぽかんとしてしまう。
そして目をミリアに向ければ、とろんとした目で見つめ返された。
セリエルが懐かれましたねと苦笑するなか、ミリアに問いかける。
「ミリア、お母さん達と一緒じゃなくていいの?」
「うん。わたし、セラおねえちゃんといっしょがいい」
断れないお願いとはこういうことを言うのだろう。
それを痛感させられ、よく分からないため息が漏れた。
「わかったわ、じゃあ、お姉ちゃんと一緒に寝ましょ。セリエルも御苦労さま。今夜は私が預かるって、お母様に伝えてくれる?」
「御意。では、お二人とも、お休みなさい」
セリエルが静かに扉を閉めると、セラはミリアの手を取った。
「じゃあ、ベッドに行きましょうね」
「うん」
セラもまだ子供だが、そのベッドは大人用のダブル。
ミリアと二人で寝たところで、広さは十分だろう。
だが、ミリアは温もりを求めるかのようにセラにぴったりと寄り添い、白猫人形を間に挟んで抱きつく。
それをくすぐったく感じながら、セラは妹の小さな頭をそっと撫でた。
「さあ、ミリア。もう寝ましょうね。今日はいいけど、いつもこんな遅くまで起きてちゃ駄目よ?」
「うん。おやすみなさい、セラおねえちゃん…」
眠いのを我慢していたらしい。
横になって目を閉じると、あっという間にミリアは眠りに落ちた。
可愛らしい寝息が定期的に胸に当たるのを感じながら、セラはミリアの頭を撫で続ける。
「まるで親になった気分ね…」
いつか産むことになるだろう自分の子も、こんなに可愛いのだろうか。
来るべき日に思いを馳せながら、セラも目を閉じる。
そして、優しくミリアの体を抱きしめると、ゆっくりと眠りに落ちていったのだった。


「へえ、そんな小さい時に出会ったのか」
一部始終を聞き終えた青年は感心するようにうなずく。
「ええ。予想はつくと思うけど、完全に懐かれちゃってね。その日からはほぼ毎日と言っていいほど、ミリアの方から遊びに来るようになったわ」
「毎日かぁ。こう言っては悪いけど、君も子供だったわけだし、鬱陶しいと思わなかったのかい?」
「それが全く。確かに勉強で構ってあげられない時もあったけど、あの子、そういう場合は静かに待ってたから。そして、ちょうど勉強が終わる頃を見計らって言うのよ。お姉ちゃん、もういいの?って。正直、目に入れても痛くないくらいに可愛いと思っていたわ。実際に見せてあげられないのが残念ね」
嘘でも誇張でもなく、セラは至って普通に言ってのける。
それが分かったからか、青年の口からため息が漏れた。
「君がそう言うくらいだから、きっとすごく可愛かったんだろうな。確かに、もう見られないのが残念だ」
「可愛いで思い出したわ。後でお父様から聞いた話だけど、私に懐いたせいで、二人が世話をしようにもお姉ちゃんの方がいいって、きっぱり言ったらしくてね。おかげで、お母様がむくれてたらしいわ。幼い娘を自分の娘にとられたって」
子に嫉妬する魔王。
それを想像し、青年は曖昧な笑みを浮かべる。
「そう言われると、魔王様の威厳が急激になくなるんだけど」
言った途端、青年は鼻を軽く突かれた。
「お義母さん、でしょ?」
見れば、楽しそうなセラと目が合う。
だから、青年の視線が逃げる。
「いや、そうだけど、やっぱり相手は魔王様なわけだしさ。気安くお義母さんとは呼べないかな」
なにしろ、相手は魔物の頂点である魔王。
青年の主張はもっともだ。
しかし、それをからかいたくなるのがセラの性格だったりする。
「じゃあ今度、正式に挨拶に行きましょうか」
そしてちょっとした悪戯を思いついた顔で、演技たっぷりにこう続けた。
「お父様、お母様、娘さんを僕に下さい!必ず幸せにしてみせます!…これくらいのことを言ってみせたら、きっと呼べるようになるわ♪」
まるで治療法みたいな言い方だが、とんだ無茶振りである。
「お義母さんって呼べてるように努力するよ……」
反論は無意味だと悟った青年は力なくそう言い、勝利したセラはくすくす笑う。
「さて、じゃあ別のお話をしましょうか。今度はあの子が十五の時の話よ」



「どうしましたミリア様、もうお終いですか?」
「まだよ……!」
剣を構え、向かい合うセリエルとミリア。
単なる稽古だが、お互いに使用しているのは本物の剣だ。
そのせいか、ミリアの顔は真剣だが、対するセリエルは余裕の笑みを浮かべている。
ミリアがセリエルに弟子入りしたのはほんの数日前。
それまで剣に触ったことのなかったミリアとセリエルとでは経験に差が有りすぎるようで、傍から見てると二人のやり取りは大人と子供のようである。
ミリアだけが肩で大きく息をしているところを見ても、その判断は間違いではないだろう。
実力差は本人が一番理解しているはずだが、それでもミリアはまだやるつもりらしい。
そんな彼女を見て、セリエルは小さく笑う。
「その意気です、ミリア様。ですが」
そして剣を構え直すと、ミリアに向かって走り出した。
一瞬で彼女との距離をゼロに詰めると、手にした剣を振るう。
短く、甲高い音が訓練場に響いた。
ミリアが手にしていた剣はその一撃を以て弾き飛ばされ、右手が力を失くしたかのように垂れ下がる。
「根を詰めすぎても、上達するより先に怪我をします。今日はこの辺にしておきましょう」
「っ…、右手が……。セリエル、なにをしたの?」
「剣から衝撃を与えて、ミリア様の右腕の神経を麻痺させました。痺れは一時間もしないうちに治まりますので、ご安心を」
剣を鞘に納めたのは、これで終わりだという合図だろう。
だが、ミリアはそんなセリエルに不満そうな目を向ける。
「もうセリエル、そんな技を使うなんてずるいわ」
「私はミリア様達のように姿を見せただけで男を無力化できるわけではありませんから、どうしてもこのような力技が必要なのですよ。ですから、どうか、ご容赦願います」
「そうね、私にもその技を教えてくれるなら許してあげる」
小悪魔のように笑いつつ、ミリアはそんなことを言った。
教えてもらっている者の発言とは思えないが、上下関係などないに等しい稽古なので問題ないのだ。
「請われずともお教えするつもりでしたよ。しかし、それは鍛錬を積んだ後のこと。とりあえず、今日はここまでとさせて下さい」
セリエルの終了宣告を聞いて、離れた位置から事の次第を眺めていたセラはミリアに声をかける。
「ほらミリア、今日はここまでだって。稽古で汗をかいてるみたいだし、一緒にお風呂に行きましょう。セリエルも一緒にどう?」
「申し訳ありませんが、私はまだやることがありますので」
なんだかんだで忙しいセリエルはこの後も用事があるらしく、丁寧に断られた。
セラとしても無理に誘うつもりはないので、セリエルとは訓練場で別れ、ミリアとともに大浴場に向かう。
「そういえば、なんでこんな端の訓練場で稽古をしていたの?」
魔王城がある広大な敷地内に訓練場はいくつもあるが、二人が稽古をしていたのはほとんど隅の方に存在している場所だ。
普通なら、ここまで遠くに訓練しに来る必要はない。
しかし、事情があれば来る必要も生じるわけで。
「……姉さん、分かっていて訊いているでしょ?」
ちょっと困り顔で目を向けられ、セラは予想通りだったと笑う。
「まあ、なんとなく予想してたから。使用中だったんでしょ?別の意味で」
「ええ。本人達曰く、子作りの訓練だそうよ」
セラも訓練場を使おうとして、先客がいるというのはよくあることだった。
いくつもある訓練場だが、訓練目的で使われることはほとんどなく、たまには変わった所でいちゃいちゃしたいと思う人達によって使われるケースがほとんどだ。そのせいか、どの訓練場も精液と愛液とが混じり合った匂いが充満してたりする。
それはともかく、男女で愛し合っているところを邪魔するわけにもいかず、真面目に訓練場を使う場合、大抵は城から離れた場所になるわけだ。
「ふふっ、私も経験あるから、容易にその光景が想像できるわ。で、あなたは彼らを見て、自分も恋人が欲しいとは思わないの?」
「あまり。今は剣の技術を学ぶ方が楽しいわ」
特に気にした様子もなくそう語るミリアだが、淫魔としてそれはどうなんだろうとセラは思う。
「……ねえミリア、また一緒に旅行に行きましょう」
「男探しの?」
以前そういう名目で一緒に旅行に行ったからか、ミリアから返ってきたのは苦笑混じりの問いだ。
「今回は純粋に旅行を楽しむことにしましょ。男探しはそのついでということにしてね」
剣に興味を示すことを悪いとは思わない。
だが、姉としてはそんな妹の今後が心配になるのだ。
「そうね、姉さんとの旅行は楽しいからいいけど。それで、いつ行くの?」
「あら、乗り気ね。嬉しいわ、じゃあお風呂で打ち合わせをしましょ」
湯舟に浸かり、ゆったりしながらおしゃべりする。
そんな時間がセラは好きだったりする。
幼い時から面倒を見てきたミリアが相手なら尚更だ。
風呂場での会話を楽しみにしながら、これまたいくつもある大浴場の一つに向かうと、都合のいいことに誰もいなかった。
「あら、貸し切り状態ね」
「その方がいいじゃない。ほらミリア、翼を洗ってあげるから、こっちに来て」
服を脱いで裸姿になったミリアを手招きすると、シャワー前の椅子に座らせる。
「じゃあ姉さん、お願いね」
そう言って本人は体を洗い始めるなか、セラはミリアの背後でこっそりとため息をついた。
母親譲りの透けるような白い肌と黒い翼のコントラストはいつ見ても羨ましいのだ。
それに比べて自分の翼ときたらと思わなくもないが、その気持ちはどうしようもないこと。
だからセラは見て触れられるだけで満足するしかない。
「ところでミリア、一つ訊いていいかしら?」
「なに?」
「なぜ剣を覚えようと思ったの?」
セラが学んだ魔法は全てミリアにも教えている。
それだけでなく、槍の扱いについても近々教えようと思っていたのだが、肝心のミリアはセリエルに剣を習うと言い始めたのだ。
それがセラにとって衝撃だったのは言うまでもなく、その理由も聞けないまま今日に至る。
「この間の模擬戦で、セリエルの剣を振るう姿が格好良かったからね」
さらりと言われた言葉に、セラの胸がちくりと痛む。
「ねえミリア。剣は確かに扱いやすいけど、それ故に人も魔物も使っている人が多いわ。つまり、それだけ対策も取られているということよ。だから、ね?槍の方がいいと思わない?」
まだ剣は習い始めたばかりだし、今ならまだその意思も変えられるはず。
少なくない期待を込めて、槍へと興味を示すように誘導するセラ。
だが。
「剣の方が素敵だから、槍はいいわ」
あっさりと拒否されてしまった。
「そう……、残念ね……」


「あの時は本気で泣きそうになったわ……」
大したことではない気がするが、深刻そうな口調で語る妻に、青年は返答に困る。
「そんな理由で泣かなくても……」
普段、セラはこういう様子をほとんど見せない。
それだけに、つい話の内容よりも妻の仕草に意識が向いてしまう。
そのせいかは分からないが、セラの顔が少しむくれた。
「泣きたくもなるわ。幼い頃から面倒を見てきた妹が、急に他の人に教えてもらうって言いだしたのよ?あの時は、セリエルに取られたって思ったわ。そして理解もした。お母様もこんな気分だったのかってね」
聞いた限りではずっとミリアの世話をしていた感じなので、他の人にその役目を取られるのは色々思うところがあるらしい。
何にしても、セラは本当に妹想いだと青年はつくづく思う。
「でも、彼女の二十の誕生日には剣を贈ったって言ってなかったかな?」
「ええ、贈ったわね。そういえば、その話はしたかしら?」
「贈ったってことだけだね。そこにもなにか特別な話が?」
「聞きたい?」
顎を引いて目を細め、ちょっとした悪だくみを思いついたような顔でセラは妖艶に笑う。
夫である以上、妻がこういう顔をする時は決まってからかわれたり、弄ばれたりすると青年は理解している。
言ってしまえば、落とし穴を掘って待っているようなもの。
そこまで分かっていれば回避もできそうなものだが、青年に愛しい妻の戯れを避けるような真似はできない。
セラ自身もそれを分かっているからこそ、ここまであからさまな罠を用意できるのだ。
「是非とも聞きたいね」
罠にかかる覚悟を決めると、青年はそう言い放つ。
それに対するセラはというと、きちんと自分の望む反応をしてくれた夫に目を閉じて顔を近づける。
そして、お互いの息が感じられるくらいにまで顔を近づけると、そこでぴたりと止まり、唇を突き出した。
キスをしろということらしい。
「……」
そうくるとは思ってなかった青年は無言で顔を赤くするものの、ここは夫婦の部屋で誰も見ている者はいない。
だから恐る恐るセラの柔らかな唇に自分の唇を当てる。
「んっ♪」
しかしキスをしていたのはほんの僅かで、青年はすぐに顔を離した。
「もう、舌を絡ませてくれてもいいじゃない」
「そうなんだけど、それをすると続きをしたくなるだろ?そうなったら、話どころじゃなくなりそうだから」
「あら残念。せっかくシたくなるように誘導していたのだけど」
そう言ってぺろりと舌を出した。
どうやら、青年に襲わせようとしていたらしい。
「それは君が元気になるまで我慢するよ。それより、話してくれるんだろ?」
「はいはい。じゃあ、お望みのままに」



時刻は昼過ぎ。
ベッドで横になっていると、つい眠ってしまいそうになる頃だ。
セラの部屋の扉が静かにノックされた。
「姉さん、入るわよ?」
聞こえたのはミリアの声。
ベッドからゆっくりと体を起こすと、セラは幻術で椅子に座っている自分の幻影を作り出す。
「ええ、どうぞ」
準備が終わったところで返事をすると、入ってきたミリアは期待通りに真っ直ぐ幻影の元に向かった。
「昼過ぎに部屋に来てって聞いたけど、どうしたの姉さん。私になにか用?」
幻影とは気づかずに話しかける妹の姿は、横から見ているとおもしろい。
しかし、今日呼び出した要件は他にある。
「こっちよ、ミリア」
ちょっとした悪戯の成功に満足すると、幻影を消滅させる。
それでようやくミリアはベッドの方へと視線を向けた。
「もう、酷いわ姉さん。からかうために私を呼んだの?」
「いいえ、呼び出したのは別の要件があるからよ。だからそうむくれないで?この魔法もちゃんと教えてあげるから」
いまいち納得いかなげなミリアに微笑むと、セラはベッドから降りた。
「じゃあ、どんな用件なの?」
「今日はあなたの誕生日でしょ。だからお母様があなた専用の別荘を用意してくれたの。私はそこへの案内役ね」
それで理解したらしい。
ミリアは納得したように頷いた。
「ああ、そういえばそうね。すっかり忘れてたわ」
「理解した?じゃあ、後で一緒に見に行きましょ。で、それとは別に、もう一つ」
部屋の一角にあるクローゼットに向かうと、そこから細長い箱を取り出す。
それを持ってミリアの元に戻ると、そっとその箱を差し出した。
「これは私からのプレゼントよ。誕生日おめでとう、ミリア」
「姉さん……ありがとう。さっそく開けてみてもいい?」
「もちろん」
ミリアがそっと箱を開けると、そこに納まっていたのは僅かに装飾が施された細長い漆黒の棒。
「これは……え?」
手に持ってみて、その違和感に気づいたらしい。
期待通りに驚いた妹の顔を見て、セラはニヤリと笑う。
「あなたのために作らせた特別な剣よ。その装飾が施されてる部分が柄になるわ」
「剣……これが?」
半信半疑といった顔で鞘から剣を抜き放つと、磨き上げられた刀身が露わになる。
それをしげしげと眺めるミリアはやはり不思議そうなままだ。
「なに、これ……。全く重さを感じないわ」
「言ったでしょ、特別製だって。羽毛以上に軽い希少な鉱石を剣にしてもらったの。もう一度作れと言われても無理だそうよ」
このためにセラは希少な鉱石を集め、名は知られてなくとも腕は超が付くほど一流のサイクロプスにお願いし、何度もダメだしをして作ってもらったものだ。
そして完成した剣を手にして驚いた。
まるでそこに剣が存在していることを忘れそうになるくらいに重さを感じなかったからだ。
「いいの?こんなすごい剣を貰ってしまって」
「あなたへの贈り物なんだから、受け取ってもらわなくては困るわ」
ミリアの反応は上々で、用意した甲斐があったとセラは微笑む。
それにつられるようにミリアも笑った。
「ありがとう、姉さん。大事に使わせてもらうわ」
「ええ。それにしても、やっぱりそのデザインにして正解だったわ。あなたに普通の剣は似合わないって、稽古している姿を見る度に思ってたもの」
これが駄目だしした点だ。
リリムが持つのだから、その容姿に相応しいデザインでないといけない。
色々とデザインを考えて拘り抜いた結果、今の形に落ち着いたのだ。
「片刃の剣なのは、姉さんが希望したから?」
「そういうこと。さて、じゃあ今度は別荘を見に行きましょうか―」


「やっぱり君は妹想いだな。僕は君からなにかを貰った覚えなんてないし」
「あら、妬いてるの?」
今度は青年が軽くむくれ、セラはクスクスと笑う。
「う〜ん、そうだな。嫉妬してるって言ったら、笑ってくれるかい?」
「ええ、もちろん。それと、一つ訂正させてもらうわ。貰った覚えがないなんてあり得ないわね。あなたにはいつも愛情をあげてるもの。それだけでは不満かしら?」
不満だなどと言えるはずがない。
セラの顔はそれを確信しきっている。
だから青年は苦笑し、セラの赤い瞳を見つめた。
「ねえ、セラ。君はいつか変異種の話をしてくれたね。極稀に、本来とは違った姿で生まれる魔物がいると。つまり、ミリアも変異種なのかい?」
青年にとってはふと思いついた疑問。
別にその問いの答えを知ったところでなにかあるわけでもないのだが、なんとなく尋ねていた。
だが、言った直後にセラはぴたりと静止した。
その様子は彫像のようで、なにかおかしなことを言ったかと青年も動きを止める。
「セラ?どうかしたのかい?」
問いかけると、彼女の目が青年を真っ直ぐに見つめてきた。
夫婦とはいえ、リリムに間近で見つめられると青年の鼓動は否応なしに早くなる。
それに気付いたのか、セラはなにか含みを持たせた笑みを浮かべた。
「コップに水を入れると、水はどうなる?」
「え?」
急に向けられた質問の意味がわからない。
「水は定められた形を持たないもの。だから、コップに入れれば、器に合わせてその形を変えるでしょ。私は力も同じだと思うの」
右手の人差し指と親指で輪を作ると、そこに左手の人差し指と中指を入れる。
コップに水を入れてるつもりなのかもしれないが、魔物と一緒にいすぎた青年にはその動作がどうしても卑猥なものに見えて、思わず頬を赤らめる。
セラ自身わざとやっているのだが、それを口にはせずに話を続けた。
「肉体という器に、力という定められた形を持たないものが入る。人も魔物もね。そして力は、器へ納まるよう形を変える。でも、あの子は逆だった」
「逆?」
セラの言いたいことがわからず、青年は続きを促すように彼女を見つめる。
「そう、逆。器に納まるように中身が形を変えるのが本来の有り方。でも、あの子はお母様から与えられた力が大きかった。だから、中身ではなく器が形を変えた。強大な力をきちんと納められるようにね」
コップに水を注げば、水は中に納まる。
だが、コップに入りきらない量の水を注げば、水は溢れてしまう。そうならないようにするには、器そのものを変えるしかない。
「つまり、ミリアは強大な力を受け入れるために、本来とは違った姿で生まれたと?」
「私はそう思ってるわ」
聡明なセラらしい考えだ。
あながち間違いではなさそうだなと思いながら、青年は逸れた話題を戻す。
「なるほど。で、君から見てミリアは変異種にあたるのかい?」
「さあ」
即答だった。
「さあ?」
「そんなことはどうでもいいもの。所詮は呼び方の問題よ。他人がどう呼ぼうと、私にとってあの子は『特別』な可愛い妹。ただそれだけね」
そう語り終えたセラはどこか満足そうだ。
その顔を曇らせないように、青年はそっと言葉を紡いだ。
「セラ、ひょっとして君は特別な存在になりたかったのかい?」
それはちょっとした疑問。
セラの話を聞いているうちに、ふと芽生えた引っかかりのようなものだ。
しかし、セラはそれをあっさり否定する。
「いいえ」
もう一度いいえと言い、青年の首へと両手を回した。
まるでキスをねだるように。
「だって、もうなっているもの。あなたにとっての私がまさしくそうでしょ?」
そしてこう言いつつ笑うのだ。
夫婦である以上、自分の愛する相手が特別でないわけがない。
青年は苦笑するしかなかった。
「君には敵わないな」
「あら、先に負けたのは私じゃない。なにしろ、口説き落とされたんだし。リリムを口説き落とした男なんて滅多にいないわよ?」
クスクスと笑うセラが持ち出したのは、二人の過去。
当時のことを思い出したのか、青年は呆れ笑いだ。
「あの時は頭の中が真っ白だったよ。一目で惚れちゃって、どうしてもこの想いを伝えたくてね。勢いで告白したはいいけど、まさか承諾されるとは思わなかったな。どう見ても、釣り合いが取れてるとは思わなかったし。僕が言うのもおかしいけど、よくOKする気になったね」
「あなたがきちんと私を見てくれたからよ」
セラの言葉が青年には理解できなかった。
「見てくれた?」
「そう。あなたは、いえ、あなただけが私をリリムのセラとしてではなく、セラ個人として見てくれていた。だから、あなたを選んだのよ」
そう言われても青年にはいまいち分からない。
出会った時は、リリムの魅力に完全に魅了されていた気がするからだ。
「言葉を返すようで悪いけど、僕はあの時完全に魅了されてたよ」
言った途端、青年は鼻をつままれた。
「むっ」
「私達はね、その気になれば誰でも魅了できるわ。だからこそ、相手の目を見れば分かるの。ああ、この人もリリムの力で魅了されてるだけだって。私はそれが嫌だった。私に好意を向ける人の目は、リリムの魅力に当てられた人ばかりで、誰も『セラ』を見てくれないから。だから、あなたが告白してくれた時は本当に嬉しかったわ。あなたの目は、ちゃんと『セラ』を見てくれていたから」
告白とともに、至近距離で誰もが見惚れるような笑顔を見せられ、青年は顔を赤くする。
できれば顔を逸らしたいところだが、鼻をつままれているのでそうもできない。
逃げ道がなく、可愛い顔で恥ずかしがる夫を眺めて、セラは楽しそうに笑った。
「……リリムは大変なんだね」
責めて目だけでもと視線を泳がす青年は、そう言うのが精一杯だった。
「そう、大変なのよ。もっとも、そんなこと気にしない姉妹もいるけどね。でもそれは、いずれあの子の前にも壁として立ちはだかるでしょうね。あの子は、私と似ているから」
「壁……。君は、その乗り越え方も教えてあげるのかい?」
セラならそうする。
そう思っての発言だが、彼女は青年の鼻から手を離すと静かに首を振った。
「それは、あの子が自分で解決するべきことよ。それを乗り越えて、ようやく愛する人を手にすることができる。そして―」
言いかけ、セラは視線を天蓋に向ける。
だが、その目には天蓋など映ってはいないだろう。
遠くを見た妻の横顔を眺め、青年はハッとしたように声をかけた。
「セラ、もしかして君が子作りに積極的じゃないのは―」
いつか訪れる未来を眺めていた目が青年へと戻ってきた。
そして彼女は笑う。
それは、想い続けた恋人が、ようやく待ち望んでいた言葉を言ってくれた時のような笑顔。
「ふふっ、正解。私達の最初の子供は、あの子の子供と同い年がいいと思ってるの。そうすれば、私はあの子と子育てについて色々教え合うことができるでしょ?」
それは、あまりにも可愛いわがまま。
そして、そう言う妻の気持ちが理解できない青年ではない。
「はぁ。今までみたいに、君が先に母親になって子育ての方法を教えるという考えはないのかい?」
「それはそれで魅力的だけどね。でも、私はずっと教える立場だったから。七年、言葉にすれば短いけど、生きてみれば長い年月よ。私はそれだけあの子の先を歩いてきた。だからね、そろそろ同じ位置で歩きたいの。あの子の先ではなく、あの子の隣りをね。教えるのではなく、教え合いたいのよ」
恥も外聞もなく素直に吐き出された本音は、青年を苦笑させるに十分だった。
「君がそう望むなら、僕は従うよ」
「悪いわね、我がままに付き合わせて」
「いいさ。僕にとっては君が一番だから。君さえ傍にいてくれるなら、他にはなにも望まないよ」
青年がそう答えると、セラは最高の贈り物でも貰ったかのように笑い、唇を重ねる。
「じゃあ、子供はまだお預けということで。その代わり、あの子に夫ができて妊娠したら、その時は覚悟してね。私が孕むまで、ずっと交わってもらうから」
「その時はお手柔らかに頼むよ」
「私に犯されるのが好きなんでしょ?」
勝ち誇ったセラの笑顔に、青年は肩をすくめて降参する。
そして、いつか来る日を想像して互いに笑い合うのだった。



「くしゅっ」
「なによ、風邪?」
隣りを歩くルカが不思議そうに見つめてくるなか、私はもう一度くしゃみをする。
「熱はないから、多分違うと思うけど」
そもそも、魔物は滅多に病気にならない。
だから風邪ではないと思うのだが、今日はやたらとくしゃみが出るのだ。
「ふーん。じゃ、どこかで噂でもされてるんじゃない?」
「心当たりは……たくさんあるわね」
直後、ルカの小さな口からため息が漏れていた。
「あんた、そこは否定しときなさいよ……」
「まあ、大よその見当はつくんだけどね」
真っ先に思いつくのは姉。
それ以外では、つい最近関わったロイド君あたりだろう。
しかし、それが分からないルカは少し興味が湧いたような目を向けてきた。
「へぇ、分かるんだ?今度は一体なにしたのよ?」
まるで、私がいつもなにかやらかしているような言いぶりだ。
抗議の意味も込めて茶目っ気たっぷりの返事でも返そうかと口を開きかけ、そして喉まで上ってきた言葉を飲み込む。
「そうね、ルカを独占しているからじゃないかしら?それに嫉妬した男達が噂しているのよ」
目を細めて悪戯っぽく言った言葉の威力は絶大だった。
「えっ、ちょ、え!?」
たじろぐルカからはよく分からない声ばかりが漏れる。
当然だが、その頬は見事に赤く染まっている。
それでもからかわれたのは理解したのか、キッと睨まれた。
「あ、あんたにアタシの独占権をあげた覚えはないわよっ!!」
「じゃあ、どうすればくれるの?」
止めの一言。
ルカの顔がやられたとばかりに苦いものになったことから、それは明白だ。
「知らないわよっ!」
そしてルカは早足で逃げていく。
「私の独占権と引き換えになら、くれるかしらね?」
もしそう言えば、ルカのことだからまた可愛い反応をしてくれるだろう。
いつかできるだろう夫も、こうしてからかいがいのある人だといい。
それを想像して、私は笑みをこぼしたのだった。
12/10/01 20:17更新 / エンプティ
戻る 次へ

■作者メッセージ
というわけで、少しだけ趣向を凝らした?思い出話でした。
また、遺跡の秘宝のエピローグでもありますね。
そんなセラ夫婦のやり取りとミリアの過去、楽しんでもらえたでしょうか?
ちなみに、告白を成功させた青年はしばらくセラとお付き合いした後に夫婦となったそうですw
さて、次回は少し長めのお話になりそうです。
また前編後編では納まらないかもしれませんが、楽しみに待っていただければ幸いです。
ではまた、次回でお会いしましょう。

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33