連載小説
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6
あのビリヤードが皮切りだった。
これから毎日、という言葉に偽りなく、一緒に遊ぶようになったのは。
彼女はホントに魅力的で……そして、不思議な奴だった。

『そうそう、面白いお店を知っていてね、シンプルなんだけどなかなか奥深い遊びを楽しめるんだ』

『これはね、卓球っていう遊びで、この板がいわゆるラケットなのさ。これでラリーをするんだけど、簡単に回転をかけられるから、こんな風に……え?知ってる?』

期待を煽るような前振りで連れられたかと思ったら、行き着いたのはバー付きの卓球場、なんてことがあった。
昔取った杵柄ということで、色んなサーブやショットを披露してあげたら、目を輝かせていたのをよく覚えている。
他には……

『ねぇねぇ……はい、チーズ!』

『突然なにって……コレだよ、コレ。ボクも手に入れたんだ。ホントに不思議だよね。トランプみたいに薄っぺらいのに、これだけで写真も撮れるし、電話も出来て、更にはパソコンと同じことも出来るなんて』

『……あ、そうだ、連絡先交換しようか。友達だから、当然だろう?』

スマホなんて見慣れた物だろうに、まるで初めて使うかのようにはしゃいでいたこともあった。けれども、片手でスルスルと操作する姿はどう見ても使い慣れたようで……

『じゃ、今度は二人で……はい、チーズ!』

『……そういや、どうしてチーズって言うんだろうね?』

ヤケに近い距離感で接されるようになった。
ただ、それは単なる後輩としては『近い』というだけ。親しい友達という意味であればあり得る距離感。

そして

『ふぅ……あぁ、もうこんな時間だね』

『それで、この後はどうしようか?』

毎日、夜遅くまで遊ぶようになり……その帰り際に、決まって、こう尋ねられるようになった。
それが何を示唆しているのか、分かってはいたが……薄暗い臆病さのようなナニカが、背中で止まって「まあ、帰るしかないな」みたいなことを返し

『ふふっ……それもそうだね』

『じゃあ、悪い狼を食べられないよう、途中まで送ってあげるよ』

なんて含み笑いと共に、手を握られて、毎日一緒に帰路を辿っていた。
他愛ない会話の一つ一つがじんわりと心に染みて、途中で別れた後はどことなく淋しさを感じ、家に着いたらすぐに寝支度をして、少し薄い布団にくるまって

『おはよう、今日もいい一日になるといいね』

次の日を迎え、彼女と出会う。

『じゃ、素敵な時間をよろしくね、先輩さん』

その距離感が

『ふぅ……今回の卓球はボクの勝ちだね!いやぁ、これで師匠の先輩さんを越えた訳だ、冷たいお水がいつもよい美味しく感じるよ……♡」

「……え?ホントは4ゲーム先取とかでやるの?』

お調子者な一面が

『ダーツの投げ方はこうやってね……あぁ、ダメダメ、そんなに固くなったらだーめ、ボクがほぐしてあげるよ』

教え好きでフランクな一面が

『おっと、汗ばんでるね、ボクが拭いてあげるから……ほら、ジッとして』

お世話焼きで、優しい一面が

『ふふっ……友達同士なんだから、そろそろコレにも慣れたらいいのに。どれだけ触れちゃってもボクは気にしないよ……♡』

その美しさを押し付ける艶やかな一面が

『お、ナイスストライク!いえーい!……ふふっ♡こんぐらい喜んだ方が楽しいだろ?じゃ、次、ボクはストライク取ってくるから、ちゃんとご褒美用意しといてね♡』

無邪気さと淫靡さを兼ね備えた一面が

『頼まれてた仕事、終わったよ。それと、これと似たような仕事って結構来るみたいだから、半自動的に記入できるフォーマットを作ってみたんだ。ちゃんと動くか一緒に確認してもらってもいいかな?』

冷静で優秀な一面が

『ビリヤードで大切なのは堅実さと正確性……だから、ボクは気が抜けない。悪いけど、最後の一勝負は本気で行かせてもらうよ』

ストイックで真剣に戦ってくれる一面が

『じゃ、また明日も遊ぼうね』

変わらずに毎日を楽しませてくれる、後輩が、彼女が……
俺はとても怖


「『先輩さん』」


凜とした声が横から投げかけられ、ハッとする。

「これ、終わったよ」

「あぁ、ありがとう、次は……」

「もう、そんなに次は次は……ってやる必要は無いんじゃないかな、ここらで早めのティータイムと洒落こもうじゃないか」

「いや、流石に早すぎるだろう、まだおやつの時間にすらなっていないし」

「そんなお堅いこと言ってたらダメダメ、別にティータイムは一日一回限りだなんて誰も決めていないんだし、何よりボクが飲みたくてしょうがないんだ、パパっと淹れてくるね」

「あっ、勝手に……まあ、いいか」

そう言葉を残し、勝手に席を立ち、どこかへと去っていく。
その後ろ姿を見送って、ふぅ……と深く息を吐き、思考に耽る。

──あれから、もう一ヶ月経つのか。

ホントに濃い日々だった。感覚は楽しすぎて一瞬、記憶を辿ると……濃密すぎて永遠。
彼女と一緒に居なかった時間すら碌に思い出せない、それほどまでに日常に侵略され、その日常が華やかに変化させられる。

こんな日々が永遠に続けばいいのに。

なんて子供みたいな考えが真剣に浮かんでしまうほど、毒されている。
あぁ、沈み切ってはいけない、絶妙な距離間を、この距離を保たないといけない。

「はい、紅茶淹れてきたよ、今日もミルクはいらない?」

「あぁ、うん、ストレートで大丈夫……いつもありがとう」

「ふふっ、どういたしまして……あと、今日はスコーンを焼いてきたんだ。ブルーベリーのジャムも持ってきたから、甘さが欲しかったら付けて食べてね」

とは思いつつも、カップを置きながら柔和に微笑む彼女に見惚れてしまう。置かれた紅茶をいつものように手に取り、その真紅に魅せられながら口を付ける。
やはり美味しい。隣に添えられたスコーンとジャムも、もちろん絶品なのだろう。
改めて、目の前にいる後輩の面立ちを見る。ホントに端正で、カッコ良くて、艶やかさをも感じる麗しさ。美人は三日で飽きる、なんて言葉があるが、この後輩に関しては三十日でも飽きる気配すら無い。おそらく、三百日でも、三千日でも。
むしろ、深く惹かれる一方だ。困ってしまうほど。

「そんなに熱心に見つめて……またボクの格好良さに見とれていたのかな?」

「……まあ、否定はしないが自分で言うもんじゃないだろう」

「あははっ!君のそういう素直なところ、好きだよ」

「いや……素直ではなくないか?」

「えー、そうかな?ボクからしたら『まさに図星です、でも恥ずかしいから言及しないでね』って可愛い子犬ちゃんが震えてるようにしか見えなかったけどなぁ……♡」

「っ……ったく、そんなこと言うなら、上から仕事をたくさん引っ張ってきて、紅茶飲む暇を無くしてやるぞ」

「おや?そんなことしたら、君もボクの顔をまじまじと見つめられるティータイムが減っちゃうけど、いいのかな?」

「そこは……まあ、死なばもろともよ」

「あははっ!死なばもろともって……やっぱり、ティータイムでボクの顔をじぃっくり見るのは、楽しみの一つだったんだね。それなら、このイジリは見物料ということで許して欲しいな」

「……いやぁ、多少は先輩としての矜持を保たせて欲しいんだが」

「そんなモノ必要ないじゃないか、ボクたちは友達なんだから……ほら、好きなだけ見ていいよ?なんなら抱きついてみるかい?」

「……あ、このスコーン美味しそうだな」

「やれやれ……かわいい後輩を無視するなんて、ひどい先輩さんだなぁ」

彼女は、自分がカッコよくて魅力的なのを自覚している。

それゆえに、こうして時にナルシシズムに、時に道化師のように、時にマジシャンのように、自賛して、おどけて、言葉巧みに会話を操る。
初めて出会った頃は、あまりの美貌とミステリアスな雰囲気、気が利くイケメンさ、何でもこなす優秀さに圧倒され、どこか雲の上の存在のようなイメージを抱いていたが、今となっては過去のこと。
人をおちょくるのが好きで、遊び心を愛している。そんな一面も見せられ、あっという間に引き込まれてしまった。

小さなスコーンを手に取って、半分に割り、藍深く輝くジャムを乗っけて、そのまま頬張る。
パサッと軽い食感に甘くて酸味のあるジャムが合わさって、とても美味しい。舌に残る甘みの余韻を味わいつつ、紅茶を一口すする。
ふわりと広がり脳まで届く香りと、爽やかな渋みが、全てを優しくリセットする。キャンパスを丁寧に白色で塗り直すように。体から力が抜けて、リラックスしてきたとこで……

ふにゅん……♡

背中から伝わる、柔らかい感触。

「どう、かな?今日のスコーンは自分でもよく焼けたと思うんだけど」

耳元で囁かれる問いかけ。その声色は平然と、されど距離は異常なほど近く、首筋へと吹きかかる吐息に熱が残る。

「ジャムも手作りでね、紅茶に合うようにたっぷりとブルーベリーを使って、香りと酸味がちゃんと出るようにしたんだよ。気に入ってくれたかな?」

背中に押し当たる圧が徐々に強く、ふにゅんとした柔らかな感触から、ぐにゅんとした弾力ある感触へと移り変わり、背中に貼り付く面積が大きくなっていく。
たぽ……と背中の上で軽く揺れる音だけで、その大きな胸の中にはミルクがたっぷり詰まっているのが想像ついてしまう。その甘美な感触を脳内で何度も……あぁ、ダメだ、ダメだ。

「あ、あぁ、凄い美味しいけど……」

「けど……?」

「いや、その、近いというか」

「あぁあぁ、ごめんごめん、確かに近すぎたね」

淫靡な妄想が頭の中を支配し始め、ナニカが限界を迎えそうになったところで、スッと生温かい心地良さが遠さがっていく。

「……まぁ、ボクとしては、友達なんだからこのぐらいは許して欲しいな、という気持ちがあるけど」

含んだ笑み。
脳に刻まれた傷痕をぐじゅりと掻き乱す。

あの賭けから、彼女との仲は一気に進展した。
『友達として、明日も遊んで欲しい』
分不相応な願望と我が身かわいさ故の臆病を孕んだつまらない命令は、その言葉の通り実行され……
ただ後輩から、後輩を兼ねた友達に。そして、仕事場だけの関係から、毎日遊ぶ仲へと。彼女との関係は変わった。

あれから、彼女は『友達』という単語をよく口にする。

それがあの命令ゆえにということは分かっている。
だから、この仲の進展は、それ故に、ということも分かっている。

「……友達だからっても、そんなベタベタと触れ合うものじゃないだろ、一応業務中なんだし」

「単なるスキンシップじゃないか、先輩さんはお堅いなぁ……それに、業務中じゃなきゃいいのかな?」

「いや……そうとは言ってない」

「ほら、結局ダメじゃないか、ケチだなぁ」

傍若無人に振る舞うのも半ば意図的だろう。
そういう一面があるのは事実だろうが、そこを際立たせることで『気を遣わせてない』と錯覚させて、心地良い距離感を作っているのだろう。

「あーあ、ボクにちょっとでも体を貸してくれたら、そのかたーい考えを優しくほぐしてあげるのに……♡そうすれば、君はボクのスキンシップにいちいちドキっとすることもなくなるだろうし、ボクは君とよく多く触れ合うことが出来る、お互いにウィンウィンだと思うけど、どう?」

「……ダメなもんはダメだ、一瞬でも体を貸したら何されるか分かったもんじゃない」

けれども、彼女は魅力的すぎる異性な訳で、その『友達』の距離感は……毒となる。心を融かす猛毒に。
温もりが体を掠める度に、麻薬中毒者のように、指導で教え込まされた感触がフラッシュバックして、全身が多幸感に包み込まれてしまう。かじかんだ手足が熱によってじわぁっと融けた時の、あの天にも昇るような感覚が、全身に。
気を抜いたら、ぽすんと体を預けてしまいそうで、恐ろしい。

「何って、具体的にはナニを想像したの?もしかして、やらしいこととか……」

「……一応言っておくけど、セクハラは女からでも成り立つからな」

「あはははっ!じゃ、これ以上の追求は止めておこうかな。でもまあ、そんな風に咎めるだけじゃなくて、君からやり返すのも大事だと……ボクは思うけどね」

「いや、やり返すって言っても……立場が立場、そんなことしたらセクハラで懲戒免職まっしぐらだ」

「ふふふっ……大丈夫大丈夫、ここにはボクと君の二人だけしか居ないし、それに」

ポンポン、と両肩を軽く叩かれる。それに釣られて自然と振り返ると……キス出来てしまいそうなほど近くに、顔を寄せられていた。
眼前に広がる端正な顔。高い鼻。目。紅い瞳。切れた目尻が、こちらを真っ直ぐ射竦めて、じぃっと覗き込む。

「ボクは何でも許してあげるよ」

「だって、友達だからね」

ピトッと鼻先に人差し指を当てられ、淡々とした声色で告げられる。
背中を掠めた温もりの余韻が、徐々に、意識外で膨らんで膨らんで、脳の裏側をくすぐるような蒸気へと昇華していき、多幸感を掻き立てる。

甘酸っぱいようなやり取り。このブルーベリーのジャムのように。
けれどもその色は深淵のように底無しで……何が混ざっているのか理解しきれない。理解できない。
そこにあるのは親愛か、友愛か、愛憎か。

「……そんなことを言って、俺をどうしたいんだ、ホントに」

「んー?どうもこうも無いよ、ボクとしては先輩さんともっと仲良くなりたいだけ……もちろん、友達としてね」

「ま、可愛い反応をする君を見て愉しんでる所も確かにあるけど、こういうのは嫌いじゃないだろう?」

クククと笑いを噛み殺す。その口元は三日月型に意地悪く歪んでいた。
あぁ、まさにその通りだ。どこか危うい雰囲気の嵐に巻き込まれ、憐れにもがくことしか出来ない被害者に、なりたいと思ってしまう。

「それでさ」

ポスンと座り、脚を組む。その刹那、太ももと秘部が織り成すパンツスーツの三角地帯があらわになり、じわぁと背中から欲望が掻き立てられる。
女性だからこそのつるんとした三角州が、頭から離れない。

「ボク、この会社に来てもう1ヶ月経つけど、歓迎会とかしてないんだよね」

「あぁ、言われてみれば……」

「でもまあ、先輩さん以外に会社の人とロクに接してないから、別に要らないんだけど……やっぱ、ちゃんと歓迎されたくてね」

一瞬にして矛盾する言葉。前者の瞳は興味無さげに宙を漂い、後者の瞳はこちらの一点を見つめる。

「だから、今度の土曜、二人きりで歓迎会してくれないかな?」

「……いや、急に言われても大した準備は出来ないけど」

「ふふふっ……そんな準備なんて要らないよ、ボクが欲しいのは……」

もったいぶるように言葉を止め、席を立ち、カツカツとこちらに歩み寄り、くいっと顔を近づけて

「君だけ」

白磁のように滑らかな指が、つつー……と顎の形に沿われ、撫で上げられる。
まるでそれは告白のよう。『俺の物になれ』と言わんばかりのキザったらしい仕草。

甘い痺れが、喉元を走る。

このまま喉奥を振り絞れば、自分でもおぞ気がするほど甘い返答を出せるだろう。
いや、でも、勘違いするな。これは彼女にとっての、普通なのだから。友達としての普通。

「遊び相手が居て、一日中遊び回って、夜が明けても楽しみ続ける、そんな素敵な日が欲しいんだ」

「だからさ、今度の土曜、その日はボクのワガママにひたすら付き合ってくれないかな?」

そして、困ったように眉をひそめて、コテンと首を傾げてオネダリされる。
もう、これをされるのは何度目だろうか。何回、勝者のご褒美としてコンビニのアイスをねだられただろうか。
あたかも、デートに誘う不安げな女の子のように、儚げで、いじらしい、この仕草をされてしまうと断れない……のだが

「……それ、いつもと何か違うか?」

断る以前に、ここ一ヶ月、ずっと一緒に遊んでいる。
平日の夜だけでなく、休日も。 遊びの終わり際に、明日の用事を聞かれて、そのまま明日も遊ぶことに……の繰り返しだ。

「あははっ!言われてみれば、いつもと変わらない日かもね!それでも、ボクにとってはその当たり前な日々が愛おしいし、何よりのプレゼントになるのさ」

「よくもまあそんなキザなセリフが……あれからほぼ毎日……いや、ホントに毎日一緒に遊んでるから、代わり映えないんじゃないかって」

「……流石に毎日は飽きちゃったかな?」

そんな不安げな言葉を聞いて

「いやっ」

反射的に声が出る。

「むしろこっちがそう聞きたいというか……出来ることなら、これからもずっと遊びたい……とは思ってるよ……」

そして思わず溢れ出た言葉は、何とも不格好というか。
毎日こんな風に過ごしたい……なんていう欲望が思わず出てしまって、それを取り繕えずに、変な感じになってしまう。
ぐらつく心。彼女の前ではミスをしたくないという願望が重荷になる。

「あははっ!そこまで言ってくれるのはすごい嬉しい……けど、もしかしてボク以外の友達はいないのかな?普通なら、他の友達とも遊びたーいってなりそうだけど」

「……いや、そんなことは」

だから、そんな問いかけにもじわっと嫌な汗が滲んでしまう。
他に友達がいない……?いや、居たはずだ。遊び相手も、飲んだ相手も、これまで属していたコミュニティの中には居た……が、暫くは連絡は取っていない。
いや、そもそも、一瞬でも、この後輩ほどの仲になった相手は……

「……」

居ない。
こんなにも気兼ねなく、人付き合いに疲れることもなく、毎日遊ぶような相手は居なかった。否定出来るモノが見当たらない。
あぁ、嫌だ。こんな寂しい男だなんて思われて、嘲笑されて、突き放されたら……もう耐えられない。

そんな事思われる訳ない、と分かっていても、心が軋む。万力で締めるが如くギリギリと。
次の言葉で賭けをしてるかのように、発言を待つ、待つ、待つ。

「ふふふっ……変に取り繕わなくていいよ。まあ、ボクが居るんだから寂しくないでしょ?」

「ボクとしては先輩さんを独占できていい気分だし」

待ちに待った言葉は……怖れに反して、とても優しいものだった。
肩の力が抜けて、心臓がやや落ち着く。

「……よくよく考えたら、そっちだって毎日俺と遊んでるじゃないか」

「あははっ!確かにそうだけど……でも残念、ボクはこっちに越してきたばかりだからね、知り合いが少ないのは当たり前。先輩さんとは訳が違うのさ」

内面の揺れ動きを誤魔化すように、見苦しい言い訳を吐くものの、難なく返される。
それもそうだ、と心の中で呟く。

「ま、それなら今度の土曜も当然空いてるよね?お互いボッチ同士、仲良くしよっか♡いつも通り、10時でいい?」

「あぁ、10時で大丈夫……」

念のため、スマホを起動してスケジュールを確認する……が、その土曜の日付が、目に飛び込んできた。
その日は、2月14日。つまり……

「ふふっ……そういや、その日はバレンタインデーってやつだね。何やら恋人と甘い一日を一緒に過ごすような素敵な日みたいだけど、ボクには関係ない話かな」

まるで心を読んだかのタイミングで、言葉を紡ぎ始める。

「……君も、予定、ロクに確認せずに返事したね」

そっぽを向いて尋ねる横顔は、名探偵が推理を始める時のように思慮深く

「いわゆる彼女さん……もいないのかな?」

ふと思い出したかのように刃を突き刺す。無遠慮に。
今さら、こんなことを恥ずかしがる間柄では無い。先ほどのやり取りもあった。酷い反応はされないはずだ。
……とは思えど、ほんの少しだけ、嘲笑が、軽蔑が、飛んでくるのではないかと思い

「……そりゃ居ないって、分かってて聞いてるだろ」

身構えてしまう。徐々に沸き立つ頭を、ポリポリと掻いて、ナニカに備える。先ほどよりも、ほんの少しガードが甘く。

……すると

「ふふっ……」

その反応を堪能するかのように、こちらを眺め、クククと笑いを嚙みしめた後

「あははっ!そうだよねっ!君には……」

ひときわ大きく狂った調子で笑い


「ボクしか居ないから」


口端を深く深く歪めて、吐き捨てるように、そう言った。
その笑みが、とても彼女らしくて、らしからぬ。
甘く空いた脇腹から、心臓に向けて、抉り刺すように、深々と言葉の狂気が突き刺さる。嘲笑も、軽蔑も、たっぷり籠められた残忍な凶器。
心臓が揺れて、ドキッドキッと激しい動悸に襲われる。

それなのに

なぜ、こんなにも喜んでしまうのだろうか。

「……さて、と、ティーカップは下げておくよ、歓迎会、楽しみにしてるね」

静かに心臓を打ち鳴らす俺をよそに、彼女はそう言って席を立ち、カチャカチャと音を立ててティーカップと食器を片付ける。
その後ろ姿。曲がることなくすらりと流れる背中からくびれて、大きく広がるお尻が、目に付いてしまい……ぶるり、と腰の奥から震えた。
24/02/03 00:05更新 / よね、
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