いっしょにつくった日のこと
ダウマーは窓から差し込む光をかんじ、ゆっくりとまぶたを開ける。
ベッドからのそのそと出ると、洗面所へと向かった。
顔を洗いながら、ふとエメラルド色の瞳は眠たげに鏡を見る。
緑色の目。ピンクオレンジの髪の毛。
見なれたムッツリ気味な自分の顔も機嫌がよさそうに見えた。
部屋に戻れば、その理由もはっきりとしていた。
机の上の魔界銀、そして長年愛用している工具が日差しに照らされて誇らしげだ。
そう、教授から禁止されていた銀細工いじりを再開することが許されたのだ。
あの日、作った包丁を教授に見せた後、合格祝いにダウマーの家に集まっていた。
合格を祝ってダウマー、インゲ、桐谷、教授の四人で桐谷の作ったご飯を食べていた。
教授がかつ丼を口に運びながらダウマーには銀細工を触ることの許可を、インゲには授業の点数
を加算することを静かに伝えたのだ。
もちろんうれしいが上機嫌な感じを隠そうとしない教授の姿が妙に印象に残っていた。
ダウマーは深々と頭を下げ、インゲは満面の笑みで喜んだのだった。
桐谷も喜んでくれ、「かつ丼を作ったかいがあったね」と笑った。
結果的とはいえ桐谷がきっかけなのに、彼は少しもえらそうにふるまったり恩を着せるような態度
をとることはなかった。
ダウマーやインゲお金も含めて何かお返ししようか?と聞いても、
「包丁を作ってくれただけで十分さ」
ギブ&テイクだよと、言うのだった。
その時の顔にやや影があったのも気になったが、なぜ桐谷はここまでしてくれるのだろう。
問いかけても、青年は笑みをうかべて答えなかった。
彼は家に帰ったあとも料理を作っているのだろうか?
まあ、今は考えても仕方がない。
彼は彼の、自分は自分のことを薦めなくてはならないだろう。
それに包丁を作った時の魔力の輝きも気になっていた。
「そう言えば、インスタント食品もそろそろなくなりそうね」
もっとも、今日は母が帰ってくるのでいつまでも銀細工を触ってるわけにはいかない。
というのも、母が久々に帰ってくるのだ。
食事に全くきょーみないダウマーも母のために料理を作ろうと少しは思っているのだった。
とは言えろくに食べれるものをつくったことがないので何とかしなくてはならないが。
エプロンを着けて、台所に立つ。
前包丁を触ったので、一応使い方は以前よりは手慣れている。
が、料理は予想以上に強敵だった。
「もう少しまな板は大事に扱わないとね…」
力を入れ過ぎてまな板を真っ二つにしてしまった。
自分用に朝作ったまな板なので別にいいのだが、力加減が全くできていない。
じゃがいもの一つはむき過ぎてどれが皮でどれが身なのかわからない。
あきらめてじゃがバターにするのだが、結局できたのはぐじゃぐじゃになったじゃがとバターが混
ざったマシュポテトみたいなもの、だった。
「……大量のジャガイモ、買っておいてよかったけど……」
無残な姿になった大地のリンゴを半分残して冷蔵庫に入れておく。
結局自分に料理は早すぎたのだ。いつならいいのかはおいておく。
さてご飯は出前にするかインスタントにするか、うーんと考え事をしていると、エルフのもよりか
は小さな三角の耳がフルフルと動く。
少し遅れて呼び鈴が鳴った。
噂をしたから母が帰ってきたのだろうか。それともインゲだろうか?
そう思いながらとてとてと階段を下りて、ドアを開ける。
「どうしたの、早いわね?」
「うーん、そうかな?途中で道に迷いそうになったけど」
「え、あんたどうしてここに?」
ドアの先にいたのは、桐谷青年だった。
心なしか、前来た時よりも妙な落ち着きがある。
腰をかがめて彼女の目線に合わせたつもりのようだが、背の高さが災いして頭一つ分くらいずれて
いた。
街へ帰ったはずの彼がなぜここにいるのだろう、
まさか帰っておらずこの村をずっとぶらぶらしていたのだろうか。
「まだ用事があるの?」
ダウマーは何が何だかわからないと首をひねる。
彼女にとってみれば不本意だが、そんなしぐさもかわいらしさを引き立てているのだが彼女は気付
いていなかった
綺麗なピンクオレンジの髪も一緒に首をかしげているようで、桐谷も気づかれないように微笑む。
「約束しただろ、お礼にご飯を作るってさ。
この自分だけの包丁で手をふるいたくてしょうがないんだ」
「そりゃ、言ってたけど」
それはかつ丼で作ってくれたことで約束は果たされたのではないか。
口にこそしてないものの、ダウマーの顔がありありと語っている。
「そんなこと」のためにわざわざ料理を作りに遠い道のりで村に来る、理解できないがその根性は
すごいねと素直に褒めたくなってしまった。
もし彼の料理を母に食べさせればさぞかし喜ぶだろう。
しかし、だ。
母が知り合いの男の子に料理を作らせたと知ればからかってくるは目に見えている。
だいたい家族のことで他人に手伝ってもらうのも変な話だし、自分のプライド的にもよろしくない。
彼には悪いが引き取ってもらおうとダウマーは考える。
「この家はドワーフ用だから頭ぶつけるかもしれないわ」
「いや、前来た時に知ってるよ」
「いいから」
「遠慮しないで、ぶつけるくらい気にしないさ」
「そ。来てくれて悪いけど、今日はお母さんが帰ってくるから日を改めてちょうだい」
話は終わりとばかりにドアの前から桐谷を押し出そうとする。
ドワーフは小さな子供のような姿とは裏腹に力は強い。
小さな手つきは倍大きい男の体をものともしない。
桐谷はずりずりと押されながらも「いや、せっかくここまで来たんだし」と帰るつもりはないようだ。
彼もなかなかに根性の据わった男である。
「ああ、それなら君のお姉さんにOKをもらったから大丈夫だと思うよ?」
「私に姉も妹はいないわ」
「いや、さっきまで後ろに……」
彼が言いかけた瞬間、その後ろから小さな人影が躍り出た。
それは、やわらかそうな栗毛をみつあみにしたドワーフだった。
__得意げに笑うその顔を、ダウマーは良く知っていた。 そう、彼女は___
「ただいま☆ダウマー」
「かあ、さん……?」
「うん☆」
「はああああああああああああああああああああああああああああ?!」
「ええええええっ」
おどろくダウマーと、ワンテンポ遅れて慌てる桐谷。
その様子を見ながら、ダウマーの母、マリーはしてやったりと笑みを浮かべるのだった。
*
三人はダウマーの家、その客間で向かい合っていた。
前教授と桐谷が来た時のように家を整理していなかったので、桐谷は腰をかがめて父の椅子に
座っている。母は向かい側だ。
彼にとっては窮屈かもしれないが、彼を家に入れるのは予定外だったので我慢してもらうよりほか
にない。
「まさかマリーさんがダウマーのお母さんだったとは……つゆとも知らず」
「いやあーごめんね和人君。ついね、いたずら心がわいちゃってね」
「いたずら心で姉を騙る意味が全然分かんないんだけど」
「若いって言われると嬉しいと思わない?」
「全然思わないわ。というかいつ会ったのよ」
母は何が面白いのかあっはっはと笑う。
彼女、マリーは一児の親なのだが(人間から見たら)少女のように見えるようで社会人として活躍している今も子供に勘違いされることがある。
ドワーフらしく豪快な性格な一方でいたずら好きで、自分を子供のように見せて相手をからかうことがあるのだ。
そんな母もダウマーが小さいころは主婦としての仕事の傍ら、将来のために資格の勉強していた。
父も母も慣れない土地での育児に加え家事、勉強はとてもつらかったのだと思うが、ダウマーにその
苦労を語ったことは一度もない。
現在は父、フレゼリクと共に技術者として活躍している。
忙しい時は泊まり込みで仕事をすることもあるが、どんな時でも仕事の合間をぬってダウマーの顔を見に家に戻ってくるのだ。
……ついでに彼女に恋人ができるようあれこれ工夫している。ダウマーにとってはありがた迷惑だ
が、それはおいておく。
「帰る途中のバスで桐谷君とばったり会ったのよね」
「ああ、マリーさんがドワーフだと知ってね、それで二人で会話しながら帰えってきたというわけなんだ」
桐谷は村に来る途中で、母は帰る途中だった。その時時刻がちょうど重なって同じバスに乗り合わ
せたようだ。バスの中で桐谷の方から母に話しかけたらしい。
どうやら彼もちょっとした間にドワーフを見分けられるようになったようだ。
「あんたね、見知らぬ魔物を簡単に信用する?」
「悪い人には見えなかったから」
「若作りしてばれないとは思わなかったけどね〜」
「二人はよく似ていたんだ。綺麗なところとかね」
口説いているのかそうでないのかわからない桐谷の言葉に、あらーと言いながらマリーは笑う。
勿論ダウマーは母の悪ふざけに頭を抱えたのであるが。
「口がうまいわー。抱っこさせてあげてもいいんだけど、私の体は、フレゼリクのものなんだよね
ー」
「いやあ、さすがに大人の女性にそれは」
「お母さん、余所の人にノロケ話しないでよ。困ってるでしょう」
桐谷はいつもどおりの表情に見えるが、母にこれだけ話しかけられて辟易しないのだろうか。
「ダウマー、ちょっと背が伸びた?」
「背が伸びるほど家を離れてないでしょう」
母はダウマーのぷにぷにとしたほっぺにすりすりとこすりつけて来る。
いくらなんでも人前で触れ合うのは変だと思うのだが、マリーに言わせれば何ら恥ずかしいことではないと言う。
魔物娘とは言え、そういう経験のないダウマーにはそういうものか、としか言いようがない。
「ダウマーそっけなくてお母さん寂しい……あ、コーヒー持ってきて。三人分」
「はいはい」
母を引きはがしてダウマーは台所へ向かい、
コーヒーの粉の入ったビンを開けようとして手を止める。
この前、粉をカップに入れ過ぎてコーヒーではなく泥みたいなものになってしまったことを思い出した。
「えっと…」
少し考えた末、缶コーヒーを開けてコップに注ぐ。電子レンジであっためたカップをもってリビン
グに戻ると、二人の姿がなかった。
「?二人とも何処へ行ったんだろう?」
その時、二階から二人の声が聞こえた。
女の子の部屋に入るわけには、とかあの子コーヒー入れるの下手だから今のうちに、という声が聞こえた。
人にコーヒーを入れさせておいて下手と言う言葉が耳に入ってむっときたが、妙に胸騒ぎがする。
まさか。
ドタドタと音を立てながら急いで階段を上る。
女の子の歩き方としてはちょっとはしたないがそれどころではない。
そこではなんと、母と桐谷が自分の部屋に入り込んでいた。
「ちょっと、お母さん!人の部屋を勝手に公開ないでよ!」
「あらダウマー、早いわね。コーヒーの粉をちゃんと入れられるようになったの?」
「缶コーヒーを入れたから、じゃなくて!信じられない!なんてことするの」
ピンクオレンジの髪の毛が真っ赤になりそうにカンカンに怒るダウマー。
母は慣れ切っているのか娘とは反対にニコニコして慌てたそぶりもない。
桐谷は申し訳なさそうに頭を書いているが、おそらく強引に母に誘われたのだろう。
「いいじゃないの、別に」
「これからダウマーの可愛い写真を見せるんだから」
「絶対にやめて!」
当人は必至だが、マリーとダウマーのやり取りは子供同士がじゃれているようにしかみえない。
微笑ましい光景だが、青年は恐る恐ると言った感じで声をかける。
「あ、ごめん。もう見ちゃったんだ、写真……」
ダウマーがまるで寒がりな小犬のような動きでゆっくりと桐谷の方を向く。
彼の手を見るとその手にはアルバムが握られていた。
「みたの?」
「う、うん」
その時、ダウマーの顔にぴしりとひびが入った音がどこからか聞こえたような気がした。
「あ、あはは……あたしのプライベート……」
「大丈夫か、ダウマー」
「へいきへいき。すぐにもどるから」
ダウマーは綿の入ってないぬいぐるみのようにふにゃりと倒れる。
マリーは心配そうな顔をする桐谷の背中をポンポンと叩きながらあっはっはと笑うのだ。
三人は相変わらずダウマーの部屋にいた。
すっかりぷいとダウマーは腕を組んで向こうを向いてしまっている。
当然彼女本人としては怒っているのだが、他の人からは子供が拗ねているようにしか見えないだろう。
そう言えば未婚の魔物娘にとって異性を部屋に入れるのはロマンであるらしい。
もっとも部屋に入れたのは母なので全くドラマチックでもないとダウマーは思っていた。
母はそんな娘の様子を気にした様子はない。
それどころか娘を相変わらず自慢している。
「ほらー、これは村に来たばかりの頃のダウマーの写真。私に似て可愛いでしょう?」
「お母さん、いちいち自慢しないでよ」
「あら、子供は自慢してなんぼよ」
「い綺麗だと思います。笑顔の写真が少ないのが残念です」
「余計なお世話よ」
桐谷の言う通り確かにアルバムの「ダウマーの写真は笑顔は少ない。
自分でもむっつりとした顔つきだとは思っている。
そう言えば、自分は子供の時……。
「ほらぁ、またむっりしてる。眉間が皺になっちゃうわよ?」
「!」
母親がダウマーのつんとみけんを触った。
そしてにっこりと笑う。
ダウマーが子供のころから変わらぬ母の笑顔。
「誰のせいでむっつりとしていると思っているのよ」
慌てて、顔を戻す。
マリーはポンと手を叩く。
「桐谷君、ちょっとダウマーの両手をとってくれる?」
「え?」
桐谷は首をかしげながらダウマーの両手をとって言葉どうりばんざいさせる。
ダウマーが何かを言うより先に、えいっと言いながらマリーは娘の脇をくすぐって来た。
「あははっはあ!ひぃっちょっ!」
「うんうん、やっぱわが娘は笑った方がかわいいぞ!」
「だかっていきなりくすぐらないでよ」
「髪の色や口元、眉毛はフレゼリクに似ているけどね」
「……はいはい」
「そうなんですか?」
日本人は謙遜を美徳とするらしいが少なくとも母にはそんな常識は関係ないようだ。
桐谷もなんでいちいち付き合っているのだろうとダウマーは思った。
「ところでなぜダウマーあっかんべーしてるんですか?」
「ああ、それはダウマーが小さいころの写真ね」
自分が小さいころの写真だ。小さいころ?と桐谷が不思議そうに言ったので彼の隣まで行き膝をつ
ねる。
いてて、といった彼が見ていたのは、家族三人で撮った写真だ。
「ダウマーはあのころ黒子をすごく気にしていたのよねえ」
「昔のことよ。指摘した子には悪気はなかったけど」
言葉の通り彼女の右目のすぐ下には、小さな泣き黒子がある。あと、同年代のドワーフと比べると
尻が少し大きめななのだ。
ある日他の子から指摘され指摘されるとムキになり、家族と写真を撮る時でも隠したものだ。
コンプレックスか子供特有の「自分は特別」という思いからか、アクセサリーつくりや物を加工し
て一人遊びするのが日課になっていた
両親の才能を継いだのか、手先は器用で子供ながら「いいもの」を作っていたらしい。
もっとも、子供にしては、というものであったが。
ある日、1人でアクセサリーを作っていると太陽が隠れた。
おどろいて顔を上げた彼女に声をかけるものがいたのだ。
「ふむ、器用だな」
「お姉さん、誰?」
片眼鏡がきらりと光る。
理知的なドワーフはフフッと笑った。
「誰でもいいだろう? それよりも、その作品をもっと美しくする方法を教えてやろう」
「!ほんとうっ」
そして工房へ行く間、教授は名前を教えてくれたのだが、その時はうまく発音できなかった。
単にその時は知らない大人の人に緊張していただけかもしれないが。
「えっと、」
「……そうだな、呼びにくいなら」
「教授、そう呼びたまえ」
そして教授は君の名前を聞いておこうと言った。
ダウマーは恐る恐る自分の名前を名乗る。
「ダウマー、ダウマースミト。か」
「興味があるならば、私の工房に来るといい」
それが、あの人との出会いだった。
その後、家へ帰った興奮ダウマーは両親に「銀細工師になりたい!」と言い出したのだった。
「ダウマーはあの頃から教授につきっきりでねえ」
「そんな事情があったんですか、それでこの部屋も工房みたいなんですね」
「女の子らしくないって言いたいんでしょ?」
「いや、ダウマーらしくていいと思うよ。
工房っぽいところに女の子らしい彩りがいいと思います」
「……どうも」
桐谷の言葉通り、少女の可愛らしさとは裏腹に部屋は工房のようだ。机の上のぬいぐるみとちょこんとおかれている。
端には身だしなみを整えるためのドレッサーと鏡台。
それらがわずかに部屋に女の子らしい彩りを加えていた。
青年は他のぬいぐるみとは違う、フリルのついたぬいぐるみに目を止めた。
「このぬいぐるみは?」
「あんた、だんだんと遠慮がなってきたわね、人の部屋なのに……インゲに貰ったものよ」
「桐谷君、インゲちゃんにはもうあった?あの子いい子でしょう?」
「ええ、やさしい子ですね」
桐谷が続けて写真のページをめくると、
1人か母や父とだけしか映っていなかったダウマーの写真に、インゲや教授……それに他のドワーフと撮った写真が多くなっていた。
ダウマー自身もインゲは自分にはもったいない友達だと思っている。だからこそ、彼女に甘えてし
まって他の同年代の子とかかわりが少ないのだが。
「どうして仲良くなったんだい?」
「実はねー……なんだと思う?」
「ダウマーが作ったアクセサリーを上げたから、とか?」
「なんでわかったの!」
「いや、ほら」
桐谷が指をさすと、インゲの髪飾りを指さしていた。
「子の髪飾り、手作り感があるし、ダウマーの部屋にあるものと似ているような気がして」
「あんた、妙なところで目ざといわね」
母は何が嬉しいのか頷きながら女の子の変化に気づきやすい男の子は好かれるわよーと喜んでいる。
「桐谷君、良ければ泊って行かない?私手をふるっちゃうわよ?」
「お母さん、また突飛なことを言って」
「いや、そこまでしていただくわけには」
「大体桐谷が寝る場所はどうするのよ」
「お父さんのところならある程度スペースがあるんじゃない?」
ダウマーは少し考えた末、頷く。
この男を台所に立たせるくらいなんともないだろう。部屋を見られたのに比べれば。
自分の胸に疼くことなど無視すればいい。
「あんた遠い場所から来ているんでしょ。用事がないなら別にいいんじゃない?」
「ほら、ダウマーも泊って欲しいって言ってるわ」
「あんたもこれが迷惑じゃなければね」
ひどいー、と母はすねているが下手に反応するとからかわれるだけである。桐谷は少し考えた末、
お言葉に甘えてと言った。
その代り、ぜひ台所に立たせてほしいと頼んできた。
「こうやって大勢で台所に立つのは新鮮な感じがします」
「あら、そうなの?」
「ええ、親は共働きで料理当番は俺の役目でしたから」
「ごめんなさい、余計なこと聞いたわね」
あまり遠慮と言う言葉に縁のない母も少し眉毛をひそめ、頭を下げる。
すこし陰のあった表情をしていた桐谷ははっとして手を振る。
「いえ、大したことじゃないですよ」
「マリーさんは好きな料理とかあります?」
「そうねえ、魔界牛のシチューかしら?」
「!作り方を教えてもらっていいですか?」
「いいわよー」
実は母の一番好きなものは父フレゼリクの精液なのだが、さすがに母も桐谷の前で口を滑らすこと
はなかった。
もっとも、魔物娘にとっては好きな人の精液が好きなのは当たり前のことだ。精液はおろか恋愛にてんで興味のないダウマーも知っていることだ。
もし魔物娘とかかわるのであれば、特に結婚すれば彼もいずれ知ることになるだろう。
桐谷はエプロンをつけて忙しそうに見慣れた台所を動きまわっていた。彼の身長では動き回るの
も大変だろうに、と彼を見ながらぼんやりと考えていた。
「よし、完成」
「桐谷君、腕がいいわねえ。いつでもお婿さんに行けるんじゃない?」
「ははは、そうでしょうか?単に料理馬鹿なだけですよ」
料理馬鹿だからかつ丼を誰かに振る舞い、わざわざ人の家に料理しに来るのだろうか。
全く分からない。
「でも、彼女はできたことはないですけどね」
「そんなこと言わなくてもいいから」
ダウマーは呆れてそうつぶやく。
マリーは大げさに驚いて、信じられないとジェスチャーをする。
「うちのダウマーなんてどう?」
「そういうのはいいから」
「ダウマー、気遣いのできる旦那様は大事よ?」
「お母さんお父さんのこと細かいことは気にしない豪快な性格が好きって言ってなかったけ?」
「僕はいい人って良く言われるけど彼氏には……」
「そんなこと言わなくていいから」
そんな風にわいわい言いながら、楽しいと思っている自分がいることに気づいていた。
みんなでワイワイとするのも悪くはないな、と。
まあ、普段ならインゲや教授とやりとりするのでたまにならいいな、と思うのだった。
「桐谷君、料理美味しいわねえ」
マリーが座ってる桐谷の背中をバシバシ叩く。
そう言えば自分の料理も……そう思ってテーブルに目を向ける。
「……あの、母さん」
「ん?なあに?」
マリーはきっと自分の料理を……笑うだろうけど、食べてくれるだろう。
それはわかっている。
でも。
「いや、おいしいなって。それだけ」
「はは、ありがとう」
「おっ惚れた?惚れちゃったかな、ダウマー」
桐谷は照れたように笑う。
マリーは桐谷にまた何やら話しかけている。
みんなは今のままで満足しているのだ。自分の下手な料理のようなものを出す必要もないだろう。
胸が、少しちくりとしたのは気のせいだろう。
**
太陽の日差しが昇る数刻前、ダウマーの部屋に一人やって来た。
背丈からして、母マリーであろうか。
しっかりと起きているわけではないが、母が部屋に入ってきたのがぼんやりとわかった。
「_______」
母はベットまで近づき、なにやらささやいた。
何と言ったかよくはわからなかったが、がんばってね、と聞こえた。
なぜか、ほんのりとジャガイモの匂いがした。
**
ダウマーが朝起きると母の姿が見えず、代わりにリビングに朝食……サンドイッチと手紙が置かれていた。
手紙にはすぐに仕事に戻るため見送りはいらないということと、昼ご飯は自分で用意してほしいということが書いてあった。
桐谷君に改めてお礼を言っておいてね、と言うところまで読んでため息をつく。
「お母さんも忙しいんだから、作ってくれなくてもいいのに」
作ってくれなくても、と言った時のダウマーの顔は、とても暗かった。
慣れた手つきで戸棚を開ける。
戸棚の中に会ったのは何だっただろうか。
「げっ!」
なんと、買い置きしていたインスタント食品が切れていたのだ。
ここ数日銀細工やらモノづくりに熱中して切れかかっていることに気づかなかったようだ。
それに昨日は料理の材料に気を取られていたのも大きいだろう。
「あちゃー」
ちゃんと確認しなかったのは自分なのだ。
悔やんでも仕方がないが、さてどうしようかと考える。
街まで買い物や食べに行くのは時間がかかるし、面倒だ。
だからと言ってインゲの家でご飯を食べさせてもらうのは気が引ける。
「どうしたんだい、ダウマー」
思案の最中に振り向くと桐谷が立っていた。
あんた、何でここにと言いそうになって昨日彼が家に泊まっていたことをおもいだし飲み込む。
「何でもないわ」
「生きてれば何でもない、なんてことはないさ」
「ずいぶんと哲学的ね。インスタント食品が切れただけよ」
「作ればいいじゃないか、料理」
「苦手なのよ」
結局、母に料理を振る舞うことはできなかった。
マリーは特に気にもとめなかったが、それでも残念な気持ちでいっぱいだった。
桐谷は信じられない、とでも言いたげな顔つきで驚く。
そして彼女の手を取ると笑顔で言った。
「一緒に練習しよう、ダウマー。料理を学ぶことは決して損にはならないんだ」
「いや、それは別に今度でもいいんじゃ」
「善は急げだよ!男なら最後まで戦わなきゃ!」
「男じゃないし、アンタそういうキャラじゃないでしょ」
この男、料理馬鹿だとは思っていたがいつになく積極的だ。
「なら、昼ご飯は俺が作る。その代り、君は料理を学ぶ。それでどうだい?」
「それ、あんたにどんな得があるの?」
「いいんだ。一宿一飯の恩ってね」
彼女の内心はよそに、桐谷は冷蔵庫をあけていいかと聞いてきた。
青年は冷蔵庫の中を確認する。
「おお、これは……!」
普段からは信じられないようなきりっとダウマーの方を向く。
「ニンジン、ジャガイモ、ニンニク、ショウガ……うん」
「よし、カレーにしよう」
桐谷はすごくいい笑顔だった。
珍しい彼の乗り気な態度に押されながらもダウマーも受け入れる。
「そ、それでいいんじゃない?アタシ、カレー作ったことないんけど」
「毎日作ればすぐに上達するさ。ダウマーなら俺の動きを見てればしっかりと学べると思うよ」
桐谷和人は笑いながらそう言う。
普段はとろくさい(とダウマーは思っている)彼は今はいきいきとしている。
なんというか、彼の行動に無駄がないのだ。
「スパイス効かせようと思うんだけど、カレーは甘口がいいかな?」
「別に何でもいいわ」
「日本人はみんなカレー好きよね」
「国民食だからね。座っていていいよ。料理は下ごしらえが大事なんだ」
桐谷はそう答える。
彼はカレーに強い思い入れがあるのかもしれない。
下手な鼻歌も歌っているくらいだし。
そういうダウマーも日本人なのであるが、今は関係ないことだ。
実のところダウマーはカレーを食べたことはない。
もちろん作ったこともなかった。
とまあ、自分の回想を終えると桐谷に視線を戻す。
ダウマーとしては作ってくれる、というのであればありがたい。
もともと料理に興味がないし、外食しに歩くより楽だ。このまま待っていようかと思う。
でもだ。
しかしだ。
ダウマーは想っていた。
さっき自分は何と言ったのか。
____それは別に今度でもいいんじゃ____
もしこれが教授に料理を作るように言われたのなら、自分は「また今度でもいい」と言っただろうか?
何も挑戦せず、できるのを待つのはドワーフとしての自分のプライドが許さなかった。
今作らなければ、いつ作るのか。
「桐谷」
「どうかした?」
桐谷は忙しそうに手を動かしながらもダウマーの方を向いた。
ダウマーはそうどうして何の見返りもなしに手伝ってくれているのだろうか?と以前から思っていた疑問を口にしそうになる。
だが今はそのことを彼に質問するべきではない、必要なのはあたしが行動することだ。
彼女は思いながらエプロンをつける。
「あたしも手伝うわ。男じゃないけど、ドワーフなら最後まで戦うべき、って思うから」
そしてあたしは、男にもドワーフにも負けない。
ピンクオレンジの髪を後ろにまとめ、三角頭巾をつける。
桐谷はぽかんとした表情でそんなダウマーを見た。彼の表情はまるで思いもよらなかったとでも言
いたげだ。ダウマーはこの男から自分は横柄な奴だと思われていたのかとちょっと不安になった。
「何よ、作り方教えてなんてのがそんなにおかしい?」
「いやさ、初めて名前よんだなあって」
今度はダウマーが黙った。
考えてみれば、今まで桐谷のことをあんたとしか呼んでいなかったかもしれない。
彼女はこの青年と多少の付き合いがあるのに、
名前の一つも読んでいなかったことに今気づいた。
今さらではあるが、ダウマーは桐谷に対してちょっと申し訳ない気分になった。
「俺最初から君のこと呼び捨てだったけど、苗字わかんなくてさ」
桐谷はちょっと照れたようにほおをかいた。
そんな仕草が妙におかしくてダウマーもちょっと口元がゆるむ。
「カレーはカレールウを使えば簡単さ。二人でがんばろう」
「ああ、うん。よろしく頼むわ、先生」
こうして、ドワーフと人間のカレー作りが始まるのだった。
「まずはまな板で玉ねぎを切ろうか」
「わかったわ」
ダウマーがゴーグルを着用すると、桐谷はよく見ていてねと言う。
慣れた手つきで玉ねぎの根元と上の部分をちょっと切った。
「で、切り口から包丁または手で皮を持ち上げてむくんだ。手早くむけば目は痛くならないよ」
「それで玉ねぎを繊維に沿って縦に薄切りするんだ」
「わかった?」
「……先は長そうね」
「ジャガイモは好きな大きさで切るんだ…手つきが危ない。野菜を切るときは猫の手だよ」
「違う違う。玉ねぎを炒めるときは弱火だよ。早い!茶色く色づくまでゆっくり炒めるんだ」
「牛肉は焼き色がつくまで!ニンジンとジャガイモを加えるのはそれから」
「だめだめ、油の量が多すぎる!もっと調整しないと」
ダウマーが一つ学んだことがある。
包丁作りの時はわからなかったが、桐谷は鬼教官だった。
いや、大声一つ上げないので鬼と言うのは間違いだ。
しかしちょっとしたミスでもすぐに注意が入る。
ダウマーが桐谷に注意を 受けた回数は両指両足指を合わせた数をとっくに超えてしまった。
ダウマーも最初の頃は「わかってる!」と強気で返事していたのだがだんだんと「はい」「わかりました」しか言わなくなっていた。
「水を加えるのは三カップ分だよ…ダウマー?」
「切るときには猫の手…油の量は…」
カレーのルウが解けるころにはダウマーの目は虚ろになっていた。ぶつぶつといわれたことを繰り
返しながら鍋の中のカレーをながめている。
煮汁にを温めて来る「アク」を取りながら、野菜に火が通っているか確認する。
「お疲れ様。そろそろご飯も炊けるころだな」
「じゃあ、カレーのルウを入れるわ」
桐谷はダウマーの様子に気づいているのか気づいていないのか。
青年はうきうきと軽い声で彼女に声をかけた。
桐谷が言うには、ご飯を炊くには炊飯器が楽らしいがダウマーの家にはかった。
彼はのんきに鍋で炊くのがいいんだよなあ、と言っている。
今回ダウマーにも分かったことがある。
昔聞いた米に関してはこの村にやってきた刑部狸から聞いたうわさがあった。
曰く。
__日本人とジパング人にとって米こそが主食で、他のすべてはおかずである__
というものだ。ダウマーは 聞いたときには眉唾だったが、コメを洗う作業(米をとぐと桐谷は言っていた)を熱心に行う桐谷の姿を見てあの噂は真実だったのだと確信した。
やがて和人は米の炊ける匂いをかいで嬉しそうに笑った。彼はしゃもじとよばれるヘラをつかって
皿に盛りつける。
ダウマーはそれにジャガイモやニンジンの入ったカレーを米にかけた 。
確かにいい匂いがする…とダウマーはそう思った。
香ばしいいい匂いをしているし、料理に興味のない自分も食欲を誘われるのがわかった。
「それじゃあ食べようか。頂きます」
「…頂きます」
ダウマーも同じように言うとスプーンでカレーをかけた米をすくうと、口に入れた。
新世界だった。
米の甘みと、カレーの甘みがダウマーの舌を刺激した。二つの調和が、鼻と舌をくすぐる。
ジャガイモとニンジンも適度にあまく、コロッとした歯ごたえが食欲を促進させた 。
自然と何度もスプーンを救い、ライスとカレーを舌で転がしながら、噛み、味わう。
半分ほど食べたところで桐谷の視線に気づき、カレーに夢中になっていた自分に気が付く。
(あたしが銀細工以外に夢中になる……それも恋してる女の子みたいに……!)
彼女は真っ赤になるが、それでもこの言葉を止めることはできなかった。
「おいしいね」
「よかった」
ダウマーの心からの言葉に、桐谷はこころから嬉しそうな顔をした。
料理を褒められたのがそんなに嬉しいのか。
ダウマーは内心首をかしげるが自分もすごくいい顔をしていたのには気づいていたいようだ。
「料理ってさ、作る時は無心になれるのがいいと思うんだ」
「あたしは無心になるどころじゃなかったわ」
「でも、作った満足感はとても気持ちいいわね」
「よかった」
「実はちょっと不安だったんだ。カレーをごり押ししたんじゃないかってね」
「あんたもいろいろ考えているんだね」
「それはそうさ」
彼の笑顔に、ダウマーも思わずつられてそっと微笑んだ。
桐谷は立ち上がると「ごめん」と小さくつぶやく。そして彼女の頭をなでた。
「君がこういうのを嫌いだって知ってるけど、今だけは許してくれ」
ダウマーちょっと口を尖らせたが、少しだけならと言いそっぽを向く。
彼も無言で微笑むと席に戻った。
「それにしてもあたしも料理を作ることができたのね…」
「料理もおもしろいだろ?少しずつでいいからダウマーもやってみたら?」
「そうね、今度はお父さんお母さんに作ってあげられるだろうし」
「ああ、それなら」
桐谷は冷蔵庫から皿を出す。
その皿は、確か。
さらにはメモ書きがつけてある。
「君が作ったんだろ、ダウマー」
彼はマリーさんの料理の腕は見てたからわかるんだ、と言っているが小さな耳には届いていなかった。
___あたしが失敗した、ジャガイモ___
「どうして、そんなもの」
「君のお母さん、マリーさんは食べたみたいだよ。
お世辞にもおいしくないんだけど、嬉しかったんだと思うよ」
「何よ、知った風に」
「知ってるさ、料理のことならね」
桐谷はそう言って笑いながらメモをダウマーに渡した。
メモにはこう書いてある。
"ごちそうさま。朝ごはん代わりにいただきます。
料理30点、愛情90点!
ありがとう、ダウマー"
「今回のことで大分上達したと思うよ」」
「そ、それはまあまあね。桐谷が大体の部分を指導してくれたからだけどね。
これだけおいしいならプロが作ったらどれくらいおいしいんだろうね」
慌てて話題を変えたダウマーの言葉に、桐谷はそっとスプーンを置く。
まるでその言葉を待っていたかのように桐谷は得意そうな顔を向ける。
「それじゃあ、おいしいカレー屋を教えてあげるよ。マスターのカレーをね」
「え?またカレー?」
ダウマーは眉をへの字に曲げて言った。
別に二回連続して食べるのが嫌なわけではない。
でもせっかく作れるようになったのに、わざわざ外に出て食べに行くのは気が進まなかった。
すると桐谷は、カレーにもいろいろあるんだ、といたずらっぽく笑う。
「だからさ、一緒に街へ行かないか?」
それがどういうことを意味するのか、恋愛と言うものに疎い彼女でもわかることだった。
ベッドからのそのそと出ると、洗面所へと向かった。
顔を洗いながら、ふとエメラルド色の瞳は眠たげに鏡を見る。
緑色の目。ピンクオレンジの髪の毛。
見なれたムッツリ気味な自分の顔も機嫌がよさそうに見えた。
部屋に戻れば、その理由もはっきりとしていた。
机の上の魔界銀、そして長年愛用している工具が日差しに照らされて誇らしげだ。
そう、教授から禁止されていた銀細工いじりを再開することが許されたのだ。
あの日、作った包丁を教授に見せた後、合格祝いにダウマーの家に集まっていた。
合格を祝ってダウマー、インゲ、桐谷、教授の四人で桐谷の作ったご飯を食べていた。
教授がかつ丼を口に運びながらダウマーには銀細工を触ることの許可を、インゲには授業の点数
を加算することを静かに伝えたのだ。
もちろんうれしいが上機嫌な感じを隠そうとしない教授の姿が妙に印象に残っていた。
ダウマーは深々と頭を下げ、インゲは満面の笑みで喜んだのだった。
桐谷も喜んでくれ、「かつ丼を作ったかいがあったね」と笑った。
結果的とはいえ桐谷がきっかけなのに、彼は少しもえらそうにふるまったり恩を着せるような態度
をとることはなかった。
ダウマーやインゲお金も含めて何かお返ししようか?と聞いても、
「包丁を作ってくれただけで十分さ」
ギブ&テイクだよと、言うのだった。
その時の顔にやや影があったのも気になったが、なぜ桐谷はここまでしてくれるのだろう。
問いかけても、青年は笑みをうかべて答えなかった。
彼は家に帰ったあとも料理を作っているのだろうか?
まあ、今は考えても仕方がない。
彼は彼の、自分は自分のことを薦めなくてはならないだろう。
それに包丁を作った時の魔力の輝きも気になっていた。
「そう言えば、インスタント食品もそろそろなくなりそうね」
もっとも、今日は母が帰ってくるのでいつまでも銀細工を触ってるわけにはいかない。
というのも、母が久々に帰ってくるのだ。
食事に全くきょーみないダウマーも母のために料理を作ろうと少しは思っているのだった。
とは言えろくに食べれるものをつくったことがないので何とかしなくてはならないが。
エプロンを着けて、台所に立つ。
前包丁を触ったので、一応使い方は以前よりは手慣れている。
が、料理は予想以上に強敵だった。
「もう少しまな板は大事に扱わないとね…」
力を入れ過ぎてまな板を真っ二つにしてしまった。
自分用に朝作ったまな板なので別にいいのだが、力加減が全くできていない。
じゃがいもの一つはむき過ぎてどれが皮でどれが身なのかわからない。
あきらめてじゃがバターにするのだが、結局できたのはぐじゃぐじゃになったじゃがとバターが混
ざったマシュポテトみたいなもの、だった。
「……大量のジャガイモ、買っておいてよかったけど……」
無残な姿になった大地のリンゴを半分残して冷蔵庫に入れておく。
結局自分に料理は早すぎたのだ。いつならいいのかはおいておく。
さてご飯は出前にするかインスタントにするか、うーんと考え事をしていると、エルフのもよりか
は小さな三角の耳がフルフルと動く。
少し遅れて呼び鈴が鳴った。
噂をしたから母が帰ってきたのだろうか。それともインゲだろうか?
そう思いながらとてとてと階段を下りて、ドアを開ける。
「どうしたの、早いわね?」
「うーん、そうかな?途中で道に迷いそうになったけど」
「え、あんたどうしてここに?」
ドアの先にいたのは、桐谷青年だった。
心なしか、前来た時よりも妙な落ち着きがある。
腰をかがめて彼女の目線に合わせたつもりのようだが、背の高さが災いして頭一つ分くらいずれて
いた。
街へ帰ったはずの彼がなぜここにいるのだろう、
まさか帰っておらずこの村をずっとぶらぶらしていたのだろうか。
「まだ用事があるの?」
ダウマーは何が何だかわからないと首をひねる。
彼女にとってみれば不本意だが、そんなしぐさもかわいらしさを引き立てているのだが彼女は気付
いていなかった
綺麗なピンクオレンジの髪も一緒に首をかしげているようで、桐谷も気づかれないように微笑む。
「約束しただろ、お礼にご飯を作るってさ。
この自分だけの包丁で手をふるいたくてしょうがないんだ」
「そりゃ、言ってたけど」
それはかつ丼で作ってくれたことで約束は果たされたのではないか。
口にこそしてないものの、ダウマーの顔がありありと語っている。
「そんなこと」のためにわざわざ料理を作りに遠い道のりで村に来る、理解できないがその根性は
すごいねと素直に褒めたくなってしまった。
もし彼の料理を母に食べさせればさぞかし喜ぶだろう。
しかし、だ。
母が知り合いの男の子に料理を作らせたと知ればからかってくるは目に見えている。
だいたい家族のことで他人に手伝ってもらうのも変な話だし、自分のプライド的にもよろしくない。
彼には悪いが引き取ってもらおうとダウマーは考える。
「この家はドワーフ用だから頭ぶつけるかもしれないわ」
「いや、前来た時に知ってるよ」
「いいから」
「遠慮しないで、ぶつけるくらい気にしないさ」
「そ。来てくれて悪いけど、今日はお母さんが帰ってくるから日を改めてちょうだい」
話は終わりとばかりにドアの前から桐谷を押し出そうとする。
ドワーフは小さな子供のような姿とは裏腹に力は強い。
小さな手つきは倍大きい男の体をものともしない。
桐谷はずりずりと押されながらも「いや、せっかくここまで来たんだし」と帰るつもりはないようだ。
彼もなかなかに根性の据わった男である。
「ああ、それなら君のお姉さんにOKをもらったから大丈夫だと思うよ?」
「私に姉も妹はいないわ」
「いや、さっきまで後ろに……」
彼が言いかけた瞬間、その後ろから小さな人影が躍り出た。
それは、やわらかそうな栗毛をみつあみにしたドワーフだった。
__得意げに笑うその顔を、ダウマーは良く知っていた。 そう、彼女は___
「ただいま☆ダウマー」
「かあ、さん……?」
「うん☆」
「はああああああああああああああああああああああああああああ?!」
「ええええええっ」
おどろくダウマーと、ワンテンポ遅れて慌てる桐谷。
その様子を見ながら、ダウマーの母、マリーはしてやったりと笑みを浮かべるのだった。
*
三人はダウマーの家、その客間で向かい合っていた。
前教授と桐谷が来た時のように家を整理していなかったので、桐谷は腰をかがめて父の椅子に
座っている。母は向かい側だ。
彼にとっては窮屈かもしれないが、彼を家に入れるのは予定外だったので我慢してもらうよりほか
にない。
「まさかマリーさんがダウマーのお母さんだったとは……つゆとも知らず」
「いやあーごめんね和人君。ついね、いたずら心がわいちゃってね」
「いたずら心で姉を騙る意味が全然分かんないんだけど」
「若いって言われると嬉しいと思わない?」
「全然思わないわ。というかいつ会ったのよ」
母は何が面白いのかあっはっはと笑う。
彼女、マリーは一児の親なのだが(人間から見たら)少女のように見えるようで社会人として活躍している今も子供に勘違いされることがある。
ドワーフらしく豪快な性格な一方でいたずら好きで、自分を子供のように見せて相手をからかうことがあるのだ。
そんな母もダウマーが小さいころは主婦としての仕事の傍ら、将来のために資格の勉強していた。
父も母も慣れない土地での育児に加え家事、勉強はとてもつらかったのだと思うが、ダウマーにその
苦労を語ったことは一度もない。
現在は父、フレゼリクと共に技術者として活躍している。
忙しい時は泊まり込みで仕事をすることもあるが、どんな時でも仕事の合間をぬってダウマーの顔を見に家に戻ってくるのだ。
……ついでに彼女に恋人ができるようあれこれ工夫している。ダウマーにとってはありがた迷惑だ
が、それはおいておく。
「帰る途中のバスで桐谷君とばったり会ったのよね」
「ああ、マリーさんがドワーフだと知ってね、それで二人で会話しながら帰えってきたというわけなんだ」
桐谷は村に来る途中で、母は帰る途中だった。その時時刻がちょうど重なって同じバスに乗り合わ
せたようだ。バスの中で桐谷の方から母に話しかけたらしい。
どうやら彼もちょっとした間にドワーフを見分けられるようになったようだ。
「あんたね、見知らぬ魔物を簡単に信用する?」
「悪い人には見えなかったから」
「若作りしてばれないとは思わなかったけどね〜」
「二人はよく似ていたんだ。綺麗なところとかね」
口説いているのかそうでないのかわからない桐谷の言葉に、あらーと言いながらマリーは笑う。
勿論ダウマーは母の悪ふざけに頭を抱えたのであるが。
「口がうまいわー。抱っこさせてあげてもいいんだけど、私の体は、フレゼリクのものなんだよね
ー」
「いやあ、さすがに大人の女性にそれは」
「お母さん、余所の人にノロケ話しないでよ。困ってるでしょう」
桐谷はいつもどおりの表情に見えるが、母にこれだけ話しかけられて辟易しないのだろうか。
「ダウマー、ちょっと背が伸びた?」
「背が伸びるほど家を離れてないでしょう」
母はダウマーのぷにぷにとしたほっぺにすりすりとこすりつけて来る。
いくらなんでも人前で触れ合うのは変だと思うのだが、マリーに言わせれば何ら恥ずかしいことではないと言う。
魔物娘とは言え、そういう経験のないダウマーにはそういうものか、としか言いようがない。
「ダウマーそっけなくてお母さん寂しい……あ、コーヒー持ってきて。三人分」
「はいはい」
母を引きはがしてダウマーは台所へ向かい、
コーヒーの粉の入ったビンを開けようとして手を止める。
この前、粉をカップに入れ過ぎてコーヒーではなく泥みたいなものになってしまったことを思い出した。
「えっと…」
少し考えた末、缶コーヒーを開けてコップに注ぐ。電子レンジであっためたカップをもってリビン
グに戻ると、二人の姿がなかった。
「?二人とも何処へ行ったんだろう?」
その時、二階から二人の声が聞こえた。
女の子の部屋に入るわけには、とかあの子コーヒー入れるの下手だから今のうちに、という声が聞こえた。
人にコーヒーを入れさせておいて下手と言う言葉が耳に入ってむっときたが、妙に胸騒ぎがする。
まさか。
ドタドタと音を立てながら急いで階段を上る。
女の子の歩き方としてはちょっとはしたないがそれどころではない。
そこではなんと、母と桐谷が自分の部屋に入り込んでいた。
「ちょっと、お母さん!人の部屋を勝手に公開ないでよ!」
「あらダウマー、早いわね。コーヒーの粉をちゃんと入れられるようになったの?」
「缶コーヒーを入れたから、じゃなくて!信じられない!なんてことするの」
ピンクオレンジの髪の毛が真っ赤になりそうにカンカンに怒るダウマー。
母は慣れ切っているのか娘とは反対にニコニコして慌てたそぶりもない。
桐谷は申し訳なさそうに頭を書いているが、おそらく強引に母に誘われたのだろう。
「いいじゃないの、別に」
「これからダウマーの可愛い写真を見せるんだから」
「絶対にやめて!」
当人は必至だが、マリーとダウマーのやり取りは子供同士がじゃれているようにしかみえない。
微笑ましい光景だが、青年は恐る恐ると言った感じで声をかける。
「あ、ごめん。もう見ちゃったんだ、写真……」
ダウマーがまるで寒がりな小犬のような動きでゆっくりと桐谷の方を向く。
彼の手を見るとその手にはアルバムが握られていた。
「みたの?」
「う、うん」
その時、ダウマーの顔にぴしりとひびが入った音がどこからか聞こえたような気がした。
「あ、あはは……あたしのプライベート……」
「大丈夫か、ダウマー」
「へいきへいき。すぐにもどるから」
ダウマーは綿の入ってないぬいぐるみのようにふにゃりと倒れる。
マリーは心配そうな顔をする桐谷の背中をポンポンと叩きながらあっはっはと笑うのだ。
三人は相変わらずダウマーの部屋にいた。
すっかりぷいとダウマーは腕を組んで向こうを向いてしまっている。
当然彼女本人としては怒っているのだが、他の人からは子供が拗ねているようにしか見えないだろう。
そう言えば未婚の魔物娘にとって異性を部屋に入れるのはロマンであるらしい。
もっとも部屋に入れたのは母なので全くドラマチックでもないとダウマーは思っていた。
母はそんな娘の様子を気にした様子はない。
それどころか娘を相変わらず自慢している。
「ほらー、これは村に来たばかりの頃のダウマーの写真。私に似て可愛いでしょう?」
「お母さん、いちいち自慢しないでよ」
「あら、子供は自慢してなんぼよ」
「い綺麗だと思います。笑顔の写真が少ないのが残念です」
「余計なお世話よ」
桐谷の言う通り確かにアルバムの「ダウマーの写真は笑顔は少ない。
自分でもむっつりとした顔つきだとは思っている。
そう言えば、自分は子供の時……。
「ほらぁ、またむっりしてる。眉間が皺になっちゃうわよ?」
「!」
母親がダウマーのつんとみけんを触った。
そしてにっこりと笑う。
ダウマーが子供のころから変わらぬ母の笑顔。
「誰のせいでむっつりとしていると思っているのよ」
慌てて、顔を戻す。
マリーはポンと手を叩く。
「桐谷君、ちょっとダウマーの両手をとってくれる?」
「え?」
桐谷は首をかしげながらダウマーの両手をとって言葉どうりばんざいさせる。
ダウマーが何かを言うより先に、えいっと言いながらマリーは娘の脇をくすぐって来た。
「あははっはあ!ひぃっちょっ!」
「うんうん、やっぱわが娘は笑った方がかわいいぞ!」
「だかっていきなりくすぐらないでよ」
「髪の色や口元、眉毛はフレゼリクに似ているけどね」
「……はいはい」
「そうなんですか?」
日本人は謙遜を美徳とするらしいが少なくとも母にはそんな常識は関係ないようだ。
桐谷もなんでいちいち付き合っているのだろうとダウマーは思った。
「ところでなぜダウマーあっかんべーしてるんですか?」
「ああ、それはダウマーが小さいころの写真ね」
自分が小さいころの写真だ。小さいころ?と桐谷が不思議そうに言ったので彼の隣まで行き膝をつ
ねる。
いてて、といった彼が見ていたのは、家族三人で撮った写真だ。
「ダウマーはあのころ黒子をすごく気にしていたのよねえ」
「昔のことよ。指摘した子には悪気はなかったけど」
言葉の通り彼女の右目のすぐ下には、小さな泣き黒子がある。あと、同年代のドワーフと比べると
尻が少し大きめななのだ。
ある日他の子から指摘され指摘されるとムキになり、家族と写真を撮る時でも隠したものだ。
コンプレックスか子供特有の「自分は特別」という思いからか、アクセサリーつくりや物を加工し
て一人遊びするのが日課になっていた
両親の才能を継いだのか、手先は器用で子供ながら「いいもの」を作っていたらしい。
もっとも、子供にしては、というものであったが。
ある日、1人でアクセサリーを作っていると太陽が隠れた。
おどろいて顔を上げた彼女に声をかけるものがいたのだ。
「ふむ、器用だな」
「お姉さん、誰?」
片眼鏡がきらりと光る。
理知的なドワーフはフフッと笑った。
「誰でもいいだろう? それよりも、その作品をもっと美しくする方法を教えてやろう」
「!ほんとうっ」
そして工房へ行く間、教授は名前を教えてくれたのだが、その時はうまく発音できなかった。
単にその時は知らない大人の人に緊張していただけかもしれないが。
「えっと、」
「……そうだな、呼びにくいなら」
「教授、そう呼びたまえ」
そして教授は君の名前を聞いておこうと言った。
ダウマーは恐る恐る自分の名前を名乗る。
「ダウマー、ダウマースミト。か」
「興味があるならば、私の工房に来るといい」
それが、あの人との出会いだった。
その後、家へ帰った興奮ダウマーは両親に「銀細工師になりたい!」と言い出したのだった。
「ダウマーはあの頃から教授につきっきりでねえ」
「そんな事情があったんですか、それでこの部屋も工房みたいなんですね」
「女の子らしくないって言いたいんでしょ?」
「いや、ダウマーらしくていいと思うよ。
工房っぽいところに女の子らしい彩りがいいと思います」
「……どうも」
桐谷の言葉通り、少女の可愛らしさとは裏腹に部屋は工房のようだ。机の上のぬいぐるみとちょこんとおかれている。
端には身だしなみを整えるためのドレッサーと鏡台。
それらがわずかに部屋に女の子らしい彩りを加えていた。
青年は他のぬいぐるみとは違う、フリルのついたぬいぐるみに目を止めた。
「このぬいぐるみは?」
「あんた、だんだんと遠慮がなってきたわね、人の部屋なのに……インゲに貰ったものよ」
「桐谷君、インゲちゃんにはもうあった?あの子いい子でしょう?」
「ええ、やさしい子ですね」
桐谷が続けて写真のページをめくると、
1人か母や父とだけしか映っていなかったダウマーの写真に、インゲや教授……それに他のドワーフと撮った写真が多くなっていた。
ダウマー自身もインゲは自分にはもったいない友達だと思っている。だからこそ、彼女に甘えてし
まって他の同年代の子とかかわりが少ないのだが。
「どうして仲良くなったんだい?」
「実はねー……なんだと思う?」
「ダウマーが作ったアクセサリーを上げたから、とか?」
「なんでわかったの!」
「いや、ほら」
桐谷が指をさすと、インゲの髪飾りを指さしていた。
「子の髪飾り、手作り感があるし、ダウマーの部屋にあるものと似ているような気がして」
「あんた、妙なところで目ざといわね」
母は何が嬉しいのか頷きながら女の子の変化に気づきやすい男の子は好かれるわよーと喜んでいる。
「桐谷君、良ければ泊って行かない?私手をふるっちゃうわよ?」
「お母さん、また突飛なことを言って」
「いや、そこまでしていただくわけには」
「大体桐谷が寝る場所はどうするのよ」
「お父さんのところならある程度スペースがあるんじゃない?」
ダウマーは少し考えた末、頷く。
この男を台所に立たせるくらいなんともないだろう。部屋を見られたのに比べれば。
自分の胸に疼くことなど無視すればいい。
「あんた遠い場所から来ているんでしょ。用事がないなら別にいいんじゃない?」
「ほら、ダウマーも泊って欲しいって言ってるわ」
「あんたもこれが迷惑じゃなければね」
ひどいー、と母はすねているが下手に反応するとからかわれるだけである。桐谷は少し考えた末、
お言葉に甘えてと言った。
その代り、ぜひ台所に立たせてほしいと頼んできた。
「こうやって大勢で台所に立つのは新鮮な感じがします」
「あら、そうなの?」
「ええ、親は共働きで料理当番は俺の役目でしたから」
「ごめんなさい、余計なこと聞いたわね」
あまり遠慮と言う言葉に縁のない母も少し眉毛をひそめ、頭を下げる。
すこし陰のあった表情をしていた桐谷ははっとして手を振る。
「いえ、大したことじゃないですよ」
「マリーさんは好きな料理とかあります?」
「そうねえ、魔界牛のシチューかしら?」
「!作り方を教えてもらっていいですか?」
「いいわよー」
実は母の一番好きなものは父フレゼリクの精液なのだが、さすがに母も桐谷の前で口を滑らすこと
はなかった。
もっとも、魔物娘にとっては好きな人の精液が好きなのは当たり前のことだ。精液はおろか恋愛にてんで興味のないダウマーも知っていることだ。
もし魔物娘とかかわるのであれば、特に結婚すれば彼もいずれ知ることになるだろう。
桐谷はエプロンをつけて忙しそうに見慣れた台所を動きまわっていた。彼の身長では動き回るの
も大変だろうに、と彼を見ながらぼんやりと考えていた。
「よし、完成」
「桐谷君、腕がいいわねえ。いつでもお婿さんに行けるんじゃない?」
「ははは、そうでしょうか?単に料理馬鹿なだけですよ」
料理馬鹿だからかつ丼を誰かに振る舞い、わざわざ人の家に料理しに来るのだろうか。
全く分からない。
「でも、彼女はできたことはないですけどね」
「そんなこと言わなくてもいいから」
ダウマーは呆れてそうつぶやく。
マリーは大げさに驚いて、信じられないとジェスチャーをする。
「うちのダウマーなんてどう?」
「そういうのはいいから」
「ダウマー、気遣いのできる旦那様は大事よ?」
「お母さんお父さんのこと細かいことは気にしない豪快な性格が好きって言ってなかったけ?」
「僕はいい人って良く言われるけど彼氏には……」
「そんなこと言わなくていいから」
そんな風にわいわい言いながら、楽しいと思っている自分がいることに気づいていた。
みんなでワイワイとするのも悪くはないな、と。
まあ、普段ならインゲや教授とやりとりするのでたまにならいいな、と思うのだった。
「桐谷君、料理美味しいわねえ」
マリーが座ってる桐谷の背中をバシバシ叩く。
そう言えば自分の料理も……そう思ってテーブルに目を向ける。
「……あの、母さん」
「ん?なあに?」
マリーはきっと自分の料理を……笑うだろうけど、食べてくれるだろう。
それはわかっている。
でも。
「いや、おいしいなって。それだけ」
「はは、ありがとう」
「おっ惚れた?惚れちゃったかな、ダウマー」
桐谷は照れたように笑う。
マリーは桐谷にまた何やら話しかけている。
みんなは今のままで満足しているのだ。自分の下手な料理のようなものを出す必要もないだろう。
胸が、少しちくりとしたのは気のせいだろう。
**
太陽の日差しが昇る数刻前、ダウマーの部屋に一人やって来た。
背丈からして、母マリーであろうか。
しっかりと起きているわけではないが、母が部屋に入ってきたのがぼんやりとわかった。
「_______」
母はベットまで近づき、なにやらささやいた。
何と言ったかよくはわからなかったが、がんばってね、と聞こえた。
なぜか、ほんのりとジャガイモの匂いがした。
**
ダウマーが朝起きると母の姿が見えず、代わりにリビングに朝食……サンドイッチと手紙が置かれていた。
手紙にはすぐに仕事に戻るため見送りはいらないということと、昼ご飯は自分で用意してほしいということが書いてあった。
桐谷君に改めてお礼を言っておいてね、と言うところまで読んでため息をつく。
「お母さんも忙しいんだから、作ってくれなくてもいいのに」
作ってくれなくても、と言った時のダウマーの顔は、とても暗かった。
慣れた手つきで戸棚を開ける。
戸棚の中に会ったのは何だっただろうか。
「げっ!」
なんと、買い置きしていたインスタント食品が切れていたのだ。
ここ数日銀細工やらモノづくりに熱中して切れかかっていることに気づかなかったようだ。
それに昨日は料理の材料に気を取られていたのも大きいだろう。
「あちゃー」
ちゃんと確認しなかったのは自分なのだ。
悔やんでも仕方がないが、さてどうしようかと考える。
街まで買い物や食べに行くのは時間がかかるし、面倒だ。
だからと言ってインゲの家でご飯を食べさせてもらうのは気が引ける。
「どうしたんだい、ダウマー」
思案の最中に振り向くと桐谷が立っていた。
あんた、何でここにと言いそうになって昨日彼が家に泊まっていたことをおもいだし飲み込む。
「何でもないわ」
「生きてれば何でもない、なんてことはないさ」
「ずいぶんと哲学的ね。インスタント食品が切れただけよ」
「作ればいいじゃないか、料理」
「苦手なのよ」
結局、母に料理を振る舞うことはできなかった。
マリーは特に気にもとめなかったが、それでも残念な気持ちでいっぱいだった。
桐谷は信じられない、とでも言いたげな顔つきで驚く。
そして彼女の手を取ると笑顔で言った。
「一緒に練習しよう、ダウマー。料理を学ぶことは決して損にはならないんだ」
「いや、それは別に今度でもいいんじゃ」
「善は急げだよ!男なら最後まで戦わなきゃ!」
「男じゃないし、アンタそういうキャラじゃないでしょ」
この男、料理馬鹿だとは思っていたがいつになく積極的だ。
「なら、昼ご飯は俺が作る。その代り、君は料理を学ぶ。それでどうだい?」
「それ、あんたにどんな得があるの?」
「いいんだ。一宿一飯の恩ってね」
彼女の内心はよそに、桐谷は冷蔵庫をあけていいかと聞いてきた。
青年は冷蔵庫の中を確認する。
「おお、これは……!」
普段からは信じられないようなきりっとダウマーの方を向く。
「ニンジン、ジャガイモ、ニンニク、ショウガ……うん」
「よし、カレーにしよう」
桐谷はすごくいい笑顔だった。
珍しい彼の乗り気な態度に押されながらもダウマーも受け入れる。
「そ、それでいいんじゃない?アタシ、カレー作ったことないんけど」
「毎日作ればすぐに上達するさ。ダウマーなら俺の動きを見てればしっかりと学べると思うよ」
桐谷和人は笑いながらそう言う。
普段はとろくさい(とダウマーは思っている)彼は今はいきいきとしている。
なんというか、彼の行動に無駄がないのだ。
「スパイス効かせようと思うんだけど、カレーは甘口がいいかな?」
「別に何でもいいわ」
「日本人はみんなカレー好きよね」
「国民食だからね。座っていていいよ。料理は下ごしらえが大事なんだ」
桐谷はそう答える。
彼はカレーに強い思い入れがあるのかもしれない。
下手な鼻歌も歌っているくらいだし。
そういうダウマーも日本人なのであるが、今は関係ないことだ。
実のところダウマーはカレーを食べたことはない。
もちろん作ったこともなかった。
とまあ、自分の回想を終えると桐谷に視線を戻す。
ダウマーとしては作ってくれる、というのであればありがたい。
もともと料理に興味がないし、外食しに歩くより楽だ。このまま待っていようかと思う。
でもだ。
しかしだ。
ダウマーは想っていた。
さっき自分は何と言ったのか。
____それは別に今度でもいいんじゃ____
もしこれが教授に料理を作るように言われたのなら、自分は「また今度でもいい」と言っただろうか?
何も挑戦せず、できるのを待つのはドワーフとしての自分のプライドが許さなかった。
今作らなければ、いつ作るのか。
「桐谷」
「どうかした?」
桐谷は忙しそうに手を動かしながらもダウマーの方を向いた。
ダウマーはそうどうして何の見返りもなしに手伝ってくれているのだろうか?と以前から思っていた疑問を口にしそうになる。
だが今はそのことを彼に質問するべきではない、必要なのはあたしが行動することだ。
彼女は思いながらエプロンをつける。
「あたしも手伝うわ。男じゃないけど、ドワーフなら最後まで戦うべき、って思うから」
そしてあたしは、男にもドワーフにも負けない。
ピンクオレンジの髪を後ろにまとめ、三角頭巾をつける。
桐谷はぽかんとした表情でそんなダウマーを見た。彼の表情はまるで思いもよらなかったとでも言
いたげだ。ダウマーはこの男から自分は横柄な奴だと思われていたのかとちょっと不安になった。
「何よ、作り方教えてなんてのがそんなにおかしい?」
「いやさ、初めて名前よんだなあって」
今度はダウマーが黙った。
考えてみれば、今まで桐谷のことをあんたとしか呼んでいなかったかもしれない。
彼女はこの青年と多少の付き合いがあるのに、
名前の一つも読んでいなかったことに今気づいた。
今さらではあるが、ダウマーは桐谷に対してちょっと申し訳ない気分になった。
「俺最初から君のこと呼び捨てだったけど、苗字わかんなくてさ」
桐谷はちょっと照れたようにほおをかいた。
そんな仕草が妙におかしくてダウマーもちょっと口元がゆるむ。
「カレーはカレールウを使えば簡単さ。二人でがんばろう」
「ああ、うん。よろしく頼むわ、先生」
こうして、ドワーフと人間のカレー作りが始まるのだった。
「まずはまな板で玉ねぎを切ろうか」
「わかったわ」
ダウマーがゴーグルを着用すると、桐谷はよく見ていてねと言う。
慣れた手つきで玉ねぎの根元と上の部分をちょっと切った。
「で、切り口から包丁または手で皮を持ち上げてむくんだ。手早くむけば目は痛くならないよ」
「それで玉ねぎを繊維に沿って縦に薄切りするんだ」
「わかった?」
「……先は長そうね」
「ジャガイモは好きな大きさで切るんだ…手つきが危ない。野菜を切るときは猫の手だよ」
「違う違う。玉ねぎを炒めるときは弱火だよ。早い!茶色く色づくまでゆっくり炒めるんだ」
「牛肉は焼き色がつくまで!ニンジンとジャガイモを加えるのはそれから」
「だめだめ、油の量が多すぎる!もっと調整しないと」
ダウマーが一つ学んだことがある。
包丁作りの時はわからなかったが、桐谷は鬼教官だった。
いや、大声一つ上げないので鬼と言うのは間違いだ。
しかしちょっとしたミスでもすぐに注意が入る。
ダウマーが桐谷に注意を 受けた回数は両指両足指を合わせた数をとっくに超えてしまった。
ダウマーも最初の頃は「わかってる!」と強気で返事していたのだがだんだんと「はい」「わかりました」しか言わなくなっていた。
「水を加えるのは三カップ分だよ…ダウマー?」
「切るときには猫の手…油の量は…」
カレーのルウが解けるころにはダウマーの目は虚ろになっていた。ぶつぶつといわれたことを繰り
返しながら鍋の中のカレーをながめている。
煮汁にを温めて来る「アク」を取りながら、野菜に火が通っているか確認する。
「お疲れ様。そろそろご飯も炊けるころだな」
「じゃあ、カレーのルウを入れるわ」
桐谷はダウマーの様子に気づいているのか気づいていないのか。
青年はうきうきと軽い声で彼女に声をかけた。
桐谷が言うには、ご飯を炊くには炊飯器が楽らしいがダウマーの家にはかった。
彼はのんきに鍋で炊くのがいいんだよなあ、と言っている。
今回ダウマーにも分かったことがある。
昔聞いた米に関してはこの村にやってきた刑部狸から聞いたうわさがあった。
曰く。
__日本人とジパング人にとって米こそが主食で、他のすべてはおかずである__
というものだ。ダウマーは 聞いたときには眉唾だったが、コメを洗う作業(米をとぐと桐谷は言っていた)を熱心に行う桐谷の姿を見てあの噂は真実だったのだと確信した。
やがて和人は米の炊ける匂いをかいで嬉しそうに笑った。彼はしゃもじとよばれるヘラをつかって
皿に盛りつける。
ダウマーはそれにジャガイモやニンジンの入ったカレーを米にかけた 。
確かにいい匂いがする…とダウマーはそう思った。
香ばしいいい匂いをしているし、料理に興味のない自分も食欲を誘われるのがわかった。
「それじゃあ食べようか。頂きます」
「…頂きます」
ダウマーも同じように言うとスプーンでカレーをかけた米をすくうと、口に入れた。
新世界だった。
米の甘みと、カレーの甘みがダウマーの舌を刺激した。二つの調和が、鼻と舌をくすぐる。
ジャガイモとニンジンも適度にあまく、コロッとした歯ごたえが食欲を促進させた 。
自然と何度もスプーンを救い、ライスとカレーを舌で転がしながら、噛み、味わう。
半分ほど食べたところで桐谷の視線に気づき、カレーに夢中になっていた自分に気が付く。
(あたしが銀細工以外に夢中になる……それも恋してる女の子みたいに……!)
彼女は真っ赤になるが、それでもこの言葉を止めることはできなかった。
「おいしいね」
「よかった」
ダウマーの心からの言葉に、桐谷はこころから嬉しそうな顔をした。
料理を褒められたのがそんなに嬉しいのか。
ダウマーは内心首をかしげるが自分もすごくいい顔をしていたのには気づいていたいようだ。
「料理ってさ、作る時は無心になれるのがいいと思うんだ」
「あたしは無心になるどころじゃなかったわ」
「でも、作った満足感はとても気持ちいいわね」
「よかった」
「実はちょっと不安だったんだ。カレーをごり押ししたんじゃないかってね」
「あんたもいろいろ考えているんだね」
「それはそうさ」
彼の笑顔に、ダウマーも思わずつられてそっと微笑んだ。
桐谷は立ち上がると「ごめん」と小さくつぶやく。そして彼女の頭をなでた。
「君がこういうのを嫌いだって知ってるけど、今だけは許してくれ」
ダウマーちょっと口を尖らせたが、少しだけならと言いそっぽを向く。
彼も無言で微笑むと席に戻った。
「それにしてもあたしも料理を作ることができたのね…」
「料理もおもしろいだろ?少しずつでいいからダウマーもやってみたら?」
「そうね、今度はお父さんお母さんに作ってあげられるだろうし」
「ああ、それなら」
桐谷は冷蔵庫から皿を出す。
その皿は、確か。
さらにはメモ書きがつけてある。
「君が作ったんだろ、ダウマー」
彼はマリーさんの料理の腕は見てたからわかるんだ、と言っているが小さな耳には届いていなかった。
___あたしが失敗した、ジャガイモ___
「どうして、そんなもの」
「君のお母さん、マリーさんは食べたみたいだよ。
お世辞にもおいしくないんだけど、嬉しかったんだと思うよ」
「何よ、知った風に」
「知ってるさ、料理のことならね」
桐谷はそう言って笑いながらメモをダウマーに渡した。
メモにはこう書いてある。
"ごちそうさま。朝ごはん代わりにいただきます。
料理30点、愛情90点!
ありがとう、ダウマー"
「今回のことで大分上達したと思うよ」」
「そ、それはまあまあね。桐谷が大体の部分を指導してくれたからだけどね。
これだけおいしいならプロが作ったらどれくらいおいしいんだろうね」
慌てて話題を変えたダウマーの言葉に、桐谷はそっとスプーンを置く。
まるでその言葉を待っていたかのように桐谷は得意そうな顔を向ける。
「それじゃあ、おいしいカレー屋を教えてあげるよ。マスターのカレーをね」
「え?またカレー?」
ダウマーは眉をへの字に曲げて言った。
別に二回連続して食べるのが嫌なわけではない。
でもせっかく作れるようになったのに、わざわざ外に出て食べに行くのは気が進まなかった。
すると桐谷は、カレーにもいろいろあるんだ、といたずらっぽく笑う。
「だからさ、一緒に街へ行かないか?」
それがどういうことを意味するのか、恋愛と言うものに疎い彼女でもわかることだった。
17/08/29 23:19更新 / カイント
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