連載小説
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喫茶店
 街を歩いていると触手を珍しがって通行人が足を止めてクーネを見る。人懐っこいクーネは嬉しくなって手を振ると、通行人もちょっと驚きながら手を振り返してくれる。好奇心が強い人はもっと踏み込んで、クーネと私に声を掛けてくれた。私がクーネの通訳になってお話すると、あっという間に小さな人垣ができてしまった。

「これが本物の触手? 初めて見たよ」
「うん。 この子はクーネって言うんだよ。 ダークエンジェルさんから種を貰ったんだ」
「クーネかぁ・・・ この子にも性別はあるの?」
「もちろん! ちなみに、クーネは雄だよ」
「へぇ、クーネ君もよかったね。 こんなに可愛い子に育ててもらってさ」
「恥ずかしいこと言わないでよ。 もう・・・ って、クーネ、そんなことないって酷いなぁ〜・・・」
「ねぇ、リディア。 この子触っても平気? 噛み付いたりしな・・・ うわ、なにするんだよ。 あ、でも何か可愛いかも」

 クーネが人垣に向けて触手を伸ばし、絡みつき甘噛みをする。ギョッとする見た目にそぐわない、クーネの人懐っこい仕草に人々は驚きつつも顔を綻ばせた。歓迎を示すように街の住人に撫でられると、くすぐったそうに身を震わせて、「きゅー」とご機嫌な声を出して擦りつけた。

「さて、そろそろ良いかな? 二人とも」
「あ。 はい!」

 暫く住人達と戯れていたが、マスターが声を掛けてきた。
 確かに、いつまでもココで道草を食っている訳にはいかない。早く行かないとお客さんが一番たくさん来る時刻を過ぎてしまうし、それに籠の野菜も悪くなってしまう。名残惜しいけど、街の人たちに手を振って喫茶店に向かうことにする。

「ふふ、皆優しいな」

 見た目が触手という異形の姿であるが、街の人達はあっという間に受け入れてくれて、それだけじゃなくて一躍人気者にしてくれた。クーネも自分がちょっとだけ普通の見た目じゃないことで受け入れてもらえるか不安だったらしく、少しだけいつもよりも興奮している。レンガを敷き詰めた街を歩きながら、保護者役を嫌な顔一つせずに引き受けてくれたマスターに向かって御礼を言うように絡みつくと、マスターは気にしないで良いよと答えてくれた。

「リディアちゃんの推薦だからね。 リディアちゃんの事は信頼しているし」

 マスターはさらりと言い切った。

 なんて事を言ってくれるのだ!

 クーネは私とマスターの顔を暫く見比べた後、ニヤニヤ笑みが目に浮かぶ動きで私の事を突っつきまわし始める。「信頼してくれてるんだー 嬉しいな♪ もっと言ってよ」とでも言うような動きだ。
 面と向かって言うのは恥ずかしいのに。
 反撃しようと手を出すのだが、手が10倍以上多いので圧倒的に不利だ。わき腹やオデコ、オマケに頭の花まで突っつきまわされてしまう。マスターもこの展開を予測していたらしく、隣で微笑みながら見つめている。

「ほー・・・ 私の夫が幼子を愛でていると聞いては、妻として許す訳にはイカンな・・・」

 喫茶店の前でじゃれ付かれていると不意に違う気配がした。クーネもそれに気がついたようで、手を止めて私を引っ張って起こす。気配のするほうへ首を向けると凛とした雰囲気を纏いながら立っている女性がいた。その威風堂々たる姿は見ているものを圧倒するかと思いきや、実はその逆で、まるで大樹に寄りかかっているような安心感がある。理想の大人の女性とも言うべき彼女ではあったが、その下半身に二本の足はなかった。代わりに見た事もないような蛇の下半身がある。勿論、人間ではない。しかも、ただの魔物ではなく、魔物界のカリスマであるバフォメットと双璧をなす上位魔物・・・魔物の母と呼ばれるエキドナである。

「エキドナって言っても、大したものじゃないよ。 今はしがない街の喫茶店の会計係さ」

 そう、彼女こそがこの街の偉大な母「グランドマザー」との愛称で親しまれるマスターの奥さんだ。クーネに説明すると包み込むような優しい瞳で苦笑を浮かべて迎えてくれた。それから、腕を組みジッとマスターを睨む。
 先ほどの優しそうな雰囲気はどこへ行ったのか、マスターに向ける視線は蛇のそれだ。一転してマスターは蛇に睨まれた蛙のようになってしまった。

「えっと・・・ そのですね・・・? エリシア、話を聞いてくれるかい?」
「問答無用」

 ビシッと尻尾の先端でマスターの額を弾いた。尻餅をついたものの、大してダメージはないのだろう。すぐに額をさすりながら立ち上がった。

・・・

 街と言ってもそれほど大きい街ではないため街の全住人が知り合いみたいなもので、マスターの経営する喫茶店はその街の憩いの場となっている。それにしても今日は大盛況だ。おかげで、私もすぐに喫茶店の制服に着替えて店のお手伝いを始めるように言われた。

「リディア、ちょっと待って」

 着替えのための小さな部屋でエプロンに袖を通して準備を進めていると、ズルリ、とエリシアが重い蛇の身体を引き摺って入ってきた。手には何かを持っている。振り向きながら首を傾げると、それを広げて見せた。
 白いシャツに丈の長い黒いスカートだ。
 ここのお店には小さいので、正式な店員はマスターとエリシアの二人しかいない。後はアルバイトとして何人か入れ替わりで働いているだけである。なんだろうと思ってみているとエリシアはフッと顔を綻ばせた。

「貴女のための制服を用意してみたのだけど、どうかしら?」
「私のために?」

 差し出されたそれを受け取り合わせてみる。ぴったりだ。着て良いの?と尋ねると嬉しそうに頷いた。一緒に待っていたクーネだが、私が着替えようとしていることに気がつき慌てて廊下の方へと短い足を動かして逃げて行った。

「ふふ、クーネは大人しい子なのね。ちょっと変わってる子なのね」
「そうかなぁ? クーネは良い子だよ。 お手伝いもしてくれるし、とっても優しいんだよ」
「そうね。 じゃないと、リディアと一緒に生活できないからね」
「?」

 エリシアの言いたい事が分からないでいると、微笑んだまま首を振り、早く着てみてと告げた。そのうち分かるか。大して疑問も抱かずに上着を脱いで真新しいシャツに袖を通し、スカートを穿く。
 サイズはぴったりだ。
 布地が余ることもないし、逆に苦しい部分もない。軽く腕を動かしてみたが、真新しいシャツが肌に擦れる感覚が心地良い。

「じゃあ、その制服あげるから・・・ 今度からそれを着て接客してくれるかしら?」
「良いの?」

 もちろん。満面の笑みを浮かべて答えるエリシアを見て嬉しくなって思わず抱きついてしまった。突然の私が飛びついた事に驚いて僅かに身体を逸らせたが、抱きとめると蛇の尾で緩く巻きついて優しく撫でてくれた。

「じゃ、フロアの接客の方をお願いね」
「はい、分かりました!」

 なるだけ元気良く答えてフロアに続く廊下に飛び出ると、クーネが待っていた。私の方に触手を向けると、そのまま上から下までじっくりと見つめるように鎌首をもたげた。

「・・・似合う、かな?」

 可愛らしい服をもらって浮かれていたけれど、お客さんの前に出るとなると少しだけ恥ずかしい。私自身、サキュバスのような魅惑的な体つきをしている訳ではないので、上手く着こなせているか不安になってしまった。
 クーネは私の問に暫く気がつかなかったようだが、気がつくと勢い良く上下に首を振った。それから、触手を伸ばして抱きついた時に乱れたエプロンと裾の位置と正すと、頬に身体を擦り付けてくる。
 「似合っているよ。保証する」とでも言いたいのかもしれない。

「ありがとう。 行ってくるね!」
 緩やかに触手を振るクーネに送り出されて、私は控え室を後にしてフロアに向かった。

・・・

 フロアに出るとお客さん達が一斉に私の方に向く。その場で立ち止まって、頭を下げるとお客さんたちはニッコリと笑ってくれた。口々に、可愛いね、似合っているよ、なんて温かい言葉をかけてくれた。
 お客さん一人一人にお礼を言いながら厨房兼カウンターに向かう。

「よかった、サイズは丁度だったんだね」

 私の姿を見るとマスターは目を細めて笑った。笑い返すと嬉しそうに頷いた。

「ちょっと待ってね。今、コーヒーを淹れるから」
「はい!」

 マスターはコーヒーサイフォンと呼ばれるフラスコ型のガラスの器具を取り出すと、それに慣れた手つきで下部に水、上部にコーヒーの粉を投入する。アルコールランプに火を灯すと、下の部分を温め始めた。
 水が段々と温まっていると、魔法みたいに細い管を上がって上に上がっていく。
 確か、水を温めることでガラス容器内の気体が膨張して、水を押し下げる。すると、水が出口を求めて上に押し上げられるのでコーヒーの粉と混ざるのだよ、と説明をしてもらったのだけれど、さっぱり分からなかった。
 じっと眺めていると、瞬く間に黒々とした液体でコーヒーサイフォンの上部が満たされて、アルコールランプを外すとコーヒーが下の容器に吸い込まれていった。不思議な装置だ。最初の人はよく思いついたものだと感心していたら、お客さんに横からクスクスと笑われてしまった。

「だって、リディアちゃんの不思議そうな顔可愛いんだもん」

 どうやら、お客さんも既に理屈は分かっているようだ。おまけにマスターもお客さんと一緒になって忍び笑いを漏らしていた。分からないのは私だけらしい。なんとなく納得がいかない。
 プイッと顔を背けるとマスターは苦笑いを浮かべて肩を竦め、お客さんは声を立ててマスターの様子を笑った。

「悪かった。 悪かった。 4番のテーブルにコーヒーを持って行ってくれるかい?」

 できあがった黒々とした液体をカップに移してお盆に載せた。適当に丸め込まれてしまった気がしなくもないけれど、仕方ない。お盆を受け取って、そのまま言われたテーブルに零さないように注意しながら持っていく。

・・・

「ご注文の品です。 こちら、ブラックコーヒーと取れたて野菜のサンドイッチです」
「ありがとう、リディアちゃん」

 貴婦人のように品の良さそうなサキュバスは喫茶店の常連さんだ。そのまま、私の頭に手を置いてクシャクシャと撫でる。いつも撫でるものだから、周囲の常連のお客さんもクスクスと笑っている。
 けれど、それでも他のお客さんは助けてくれない。
 前にお客さんが助けてくれたことがあったけど、その時は頭を撫でられる代わりに抱き締められた。

「スタッフにお触りは厳禁なんだよ〜」
「あら、そうだったかしらね」

 一応、このお店は魔物と人間の健全で友好的な関係を作る場所であるため、肌の触れ合うような行為は禁止されている。常連さんなのだから分かっているはずなのだけれど、私が言うまで彼女は都合良く忘れている。
 「ごめんなさいね」なんていいながら、全く反省せずに頭をポンポンしはじめる。なんだか脱力してしまい、肩を落とすと彼女は悪戯好きな小悪魔の様に忍び笑いを漏らした。

「あ、そういえば。 美味しそうな触・・・ 一緒に来たクーネ君はどうしたの?」
「え? クーネ?」
「えぇ。 多分、リディアちゃんと一緒に来たクーネ君の事が気になって仕方ないんじゃないかな? 今日は特にお客さんが多いのはそのせいじゃないかしらね?」
「そんな、特別な事なんかないよ。 クーネはただの家族だもの」
「あらあら、そんなこと言っちゃって・・・ ふふ」

 ペロリ、とピンクの唇を舐める。
 サキュバスのその仕草は同性の私でも思わずドキリとしてしまう。あれが大人の魅力なんだろうか。そう考えると本当に私は男の人を襲えるのだろうか自信が無くなってしまう。もう少し胸やお尻に脂肪があった方が男の人の気を引けるんだろうなぁ。

「そんなことないわよ。 リディア、自信持って。 あなたにはきっと素敵な男の子が見つかるから。 私が保証してあげるわよ」
「むぅ・・・ だと良いけど・・・」

 素敵な旦那さんをあっという間に見つけだしてしまった、サキュバスには私の悩みは分からないのだろうなと思いつつ小さく頷いた。
 カウンターの方を見るとマスターが手招きしていた。どうやら次の注文を運ばないといけないようだ。

「あ、じゃあ、もう行くね? マスターのお手伝いしないと」
「はい。 お手伝い頑張ってね?」
「うん!」

 にっこりと柔らかい笑みを浮かべるサキュバスに見送られて、私はカウンターに向かっていった。



・・・



「やれやれ・・・ サキュバスのクセに人生指南か?」

 漆黒のマントを翻し、高貴な雰囲気を纏った女性がテーブルの向かいに座った。流れるようなホワイトゴールドの長髪に、燃え盛る紅玉のような瞳を持っている。凛とした雰囲気は見るものを圧倒する。

「おかしい?」
「あぁ、純粋なあの子が汚されないかヒヤヒヤしている」
「貴女こそ、吸血鬼のクセに他人の心配をしているの? さきに、自分の心配をしたら?」
「うるさい。 私はお前のようにすぐに股を開くような軽薄なことはしたく無いだけだ」
「失礼ね。 私だって誰でもって訳じゃないわよ? ちゃんと相手を見定めてるもの」

 あまり、理想が高すぎるといつまで経っても相手なんか決められないわよ?

 そう言ってやると目の前の吸血鬼は鋭い視線でコチラを射抜いた。圧倒的なプレッシャーを掛けてくるが、私は努めて涼しい顔でコーヒーをすすった。芳醇な香りと心地良い音なの苦味が口内に広がる。

「初めての時はあんなにピィピィ泣いていたのに随分と大人になったものだな・・・」

 聞こえるか聞こえないかの声の大きさで、ボソリ、と呟いた。
 一瞬で顔から火が出るかと思った。なんでこの女がそんな事を知っているのだ。

「それはお前・・・ コレ、が教えてくれたぞ? 笑いながら泣いたそうだな」

 吸血鬼は親指を立ててニヤリと笑いながら言う。
 親指の意味は敢えて問うまい。家に帰ったら枯らしてやる。震える手でコーヒーカップを置きながら静かにそう決めた。大きく深呼吸をして、今度は私が睨みつける番だった。

「そんなに恐い目でみるなよ。 美人が台無しだ」
「アンタのせいでしょ」

 それは失礼、吸血鬼が軽く肩を竦めて心にも無い事を口にする。不思議と嫌味ではなかった。けれど、不思議と腹は立たない。
 吸血鬼の方に視線を移せば、やはり同じ事を考えていたようだ。口の端を僅かに持ち上げて楽しげな微笑を浮かべている。ここでは身分や種族なんて面倒なものは一切考えなくて良いのだ。
 吸血鬼の姫は一人の恋する乙女のようにも見える。

「うるさいなぁ・・・」
「良いじゃない」

 もしかしたら、私もそう見えるのかもしれない。
 僅かに頬を赤らめながら顔を背ける吸血鬼を見て笑ってしまった。

「それにしても・・・ クーネとリディアは良いコンビだね」
「あぁ。 ぴったりだ」

 カウンター越しではクーネとリディアがマスターからコーヒーを受け取って運んだり、注文してくれた客のために紅茶を炒れたりしている。微笑ましい姿だ。

「二人には、ぜひ幸せになって欲しいものだ」
「えぇ、そうね」
11/03/21 23:24更新 / 佐藤 敏夫
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■作者メッセージ
何事も無い日常
これほど感謝しなくちゃいけない事はないのだ、と身に染みて感じる今日この頃。
今、有形無形問わず沢山の人たちに支えられています

それは一生掛かっても返せない量であり
自身、返してはいけないものと思っています

もちろん感謝はしています

感謝をしているならば何故か

返してしまえば、それで関係は終わってしまいます
感謝の気持ちを持っているのなら、違う人のためにしてあげたい
そうすれば関係は消えず、一つの優しさで多くの人を幸せにできます

「恩返し」ではなく「恩送り」を

見知らぬ人が手を貸してくれたとき、巡り巡って回ってきた自分の優しさだと思える社会
そんな事が当たり前の社会になるように、祈りを込めて

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