連載小説
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夜の執政
さて、人生を過ごすにあたって、程度の差はあれピンチというものは訪れる。
それをどう切り抜けるかが、その人の人生を大きく左右する。
今、私に降りかかったこの災難・・・・さあ、どう振り切ったものか。

ノックの音を聞き逃した私は、そのまま部屋の扉を天使様に開けられた。
部屋に入った天使様がまず見たのは、手紙を引き出しに放り込んで硬直する、私の姿。

「あら、どうされたのです?」
「天使様・・・入室の際にはノックをお願いします。」
「ノックはちゃんとしましたわ。ところで、その引き出しは何ですの?」

まずい。あの手紙を見られたら。
ここで出す言い訳を間違えれば一巻の終わりだ。そして、言い訳は即興しなければならない。


「・・・・我が聖槌軍の作戦詳細を記述した、軍事機密です。」

よし、この言い訳ならおかしくない。天使様も聖槌軍の機密事項には触れようとしないだろう。

「そう、丁度良かった。わたくしも聖槌軍への同伴の許可を頂きに来たところよ。」

――えっと?これってもしかして最悪の選択だったか?
何か知らんがあのハリボテ聖槌軍に天使様が随伴したいと思し召され、その許可をもらいに来た。
そのタイミングで私は引き出しの中身を軍事機密と偽ってしまった。

「ぇー、普通に許可しかねます。貴女に傷一つついたら首が飛ぶ私の身にもなってください。」
「なら聞くわ。あの軍勢で、ファルローゼンに勝てると思っているの?」

まあ、まともにやったとしても、会敵してから勝敗が決するのに一刻もいらないだろうな。

「失礼だけど、武器も防具も、革か木でできた粗末なもの。兵の訓練も足りてないんじゃないかしら?だから、わたくしの加護を授けて、精強な軍団に仕上げようと。」

しかも見抜いていたか天使様・・・。極めつけは、自らの加護で聖槌軍を強化したいときた。
ああ神よ、どこまでもこの有能な天使を何とかしてください。

「・・・・私の負けです。」

私はギブアップした。こうなったら賭けに出るしか無いだろう。
この天使に抱いたいくつかの疑念。私の推測が当たっていれば・・・・

「では、その軍事機密の閲覧も許可されるのですね?」
「元よりこれは軍事機密ではなく、もっと重大な機密です。」

天使様が目を細める。慈悲に満ちたあの表情ではなく、宝物を見つけた盗賊の表情に似ていた。
明らかに腹に一物ある。

「・・・・ッ!!」

一瞬、天使様の眼が光る。精神操作の類の魔術だ。

「・・・あら、残念。」
「・・・これでも、一通りの魔術は習得していますから。」

私が精神操作にかかることはなかった。天使様の放った術は、私の対抗魔術によって無効化された。
私は護身用に持ち歩いている魔導杖を取り出し、天使様に向き直った。

「貴女がこの引き出しを開け私信を破ることを、私に止める権限はありません。しかし、その前に一つお答えいただきたい。」

私の全身に魔力が集中していく。臨戦態勢だ。最悪の場合、この一室ごと吹き飛ばしてくれる。

「貴女は、私の行動を不信に思った教団から、その捜査のため派遣されてきた。違いますか?」



まっすぐ相手を見据えた私と、その質問に面食らったような顔をする天使。
最悪のパターンを口に出してみたが、こんな表情で来たか。ここから推測されるのは2択。
私の同類か、最悪の敵か・・・・ここは押しておこう。

「私は見ていました。魔物達を処刑する時、貴女が下唇を噛んで震えているのを。神は魔物を憎まれ、その意思に天使様も従うと言いますが・・・・はてさて、下唇を噛み締めるほど嬉しかったのですか?」
「そ、それは・・・・」

相手に『勝った』と思い込ませて、その油断に付け込む戦法は、私が得意とする処世術の一つだ。

「そりゃそうですよね。あんな薄汚くて下種な魔物が地獄に落ちて行くさま、それこそが神の望み。本来ならデカい石臼で1体ずつゴリゴリと挽き潰して、その肉片を便所に捨てたいところですが、あんな連中の肉がついたら便所が汚れる。ああ汚らわしい、便所から魔界が進行してしまう。」

精一杯おどけた私は、天使様の顔色を横目で伺う。
その顔色は、明らかに怒りを堪えているものだった。
そして、周囲に漂う殺気・・・・これこそが、何よりの証。
私はまだ神に・・・おっと、ツキに見放されていなかった。


この天使は。

明らかに、魔物が死ぬのを快く思っていない。


「・・・・天使様。殺気がバレバレですよ。」
「・・・・ふ・・・ふふ・・・ふふふふ・・・・」

魔力が渦巻き始めている。あっと、これはやばい。

「・・・ならば。」

俯いた天使は、私のほうに仇を見るような視線を向けた。

「ならば、あの魔物達が何をしたとッ!!昔は魔王軍が人を苦しめた、しかし今や魔物達は変わったッ!人と共存できる存在に!!それをかつての魔王軍のように蹂躙している教団は何なのッ!!」

ああ、やりすぎた。一応結界があるとは言え、この音量は外に響きかねない。

「ええ。私も、個人的にはあんなクソ教団にはうんざりです。」

――呆気に取られた天使の顔。もう少し威厳を保って欲しいものだ。

「教団にとって、魔物との聖戦なんて、民の不満を逸らす道具です。魔物達はかつてのように強大な害悪ではなく、共存への道を模索できる存在となったのに。今の世で非道なのは、魔物ではなく教団です。」
「・・・・なら、シアン卿。貴方の見せた聖槌軍は、そしてあの処刑は・・・・。」

戸惑う天使を見て、私は爽やかな笑みを浮かべた。

「部下の者どもが来るといけません、まずは屋根裏部屋に場所を移しましょう。ラキエル様、これよりシアンルドール=ウェルステラの夜の執政をご覧に入れましょう。」

私はそう言って引き出しの中の手紙を回収し、秘密の部屋への入り口を開いた。





「その手紙は弟のものです。私の義妹の使いでここに届きました。」

手紙を開くなり、天使は驚愕している。まあ、その反応も致し方ないだろう。
その手紙には、夕刻『処刑』された魔物達が、無事に親魔領まで到着したことが書いてあるのだ。

「で、でも!あの子達は処刑されたはずじゃぁ・・・」
「処刑場である『逐魔の大穴』の底に何があるかおわかりですか?スライム系の魔物とサバトの連中が共同開発した、とびっきりのクッションです。」

そう。あの大穴の底には、500メートルの高さから落下しても受け止めきれるクッションがある。
私も極秘で一回試してみたが、ひんやりとした反発剤が心地よすぎて、癖になりそうだった。

「それで、あの子達の命は助かったのね・・・・」
「そう。そして、ジャイアントアント達が長い年月をかけて掘った横穴を走る地下トロッコで、親魔領まで運ばれるのです。そこで厳しいチェックを経た後、彼女らは親魔領で保護されます。」

天使は完全に感心しているようだ。実際、この仕組みを作るのには苦労した。
我が領地の法も、魔物はこの方法で処刑すること、魔物に暴行したら穢れが移るからと言ってやめさせること、その他諸々・・・・ああ、思い出しただけで涙が出てくる。

「良かった・・・あの子達が助かって・・・・」
「そうですね。さて、手紙の返事ですが。」

粗末な机の上で、私は手紙に聖槌軍の作戦行動を詳しく書く。

「谷に入ったところを淫魔の霧で惑わせ、そのまま全員拉致すること。オドアケルと督戦隊には霧の手前で引き返すよう言ってある・・・・っと。」
「つまり、あの聖槌軍は、わざと壊滅するために・・・・」

くっくっと笑いをこらえながら、私は外で待機しているだろうコウモリを呼んだ。
結界をくぐって静かに入ってきたそのコウモリに手紙を渡し、飛ばす。

「これで良し。聖槌軍の作戦行動は敵に伝わりました。彼らは定められた時刻に定められた場所で、全員捕虜になるでしょう。」
「それでは、聖槌軍を出す意味は・・・・」
「主に3つあります。1つは、教団に対して魔物と戦う姿勢をアピールすること。1つは、最弱軍隊の名を以って教団の警戒を逸らす事。」
「なるほど、考えているのですね。ところで、あとの1つは・・・・」

天使の問いに、私はにやりと笑った。

「ファルローゼンを初めとする親魔勢力からこう言われるんですよ。『ム・コ・を・よ・こ・せ』とね!」
「ブッ!!あははははは!何それ!あはははは!!」

天使は大笑いしているが、あながち冗談ではない。
聖槌軍の中身は傭兵かごろつきか・・・そして、ほとんどが男である。
放っておいてもいずれどこかに雇われて聖軍として魔物を蹂躙するか、あるいは盗賊と成り果てるかという連中も、大勢含まれている。

そういう連中を魔物娘の婿として差し出す見返りに、文にも起こされていない不可侵条約と密貿易、そして資金援助。
ウェルステラ枢機卿領は彼らの襲撃に耐えられない。生贄を差し出すのは必要なことだった。

・・・・まあその何だ、あの連中も、乱暴な奴は拳も作れなくなるほど嫁に絞られ、貧乏で傭兵になった奴は婿入り先で幸せになる。

「ごろつきには鬼嫁、貧民には婿入り、か。」
「それは何?」

私の何気ない呟きに、天使が反応する。

「極秘に聖槌軍がどんな嫁に取られたか調査してみたことがありまして、その結果、乱暴者やごろつき達がほぼ例外なく、野生のホーネットやハニービー、性欲の強いサキュバス等のいわゆる『酷い目に遭う』嫁に当たっていました。」
「なにそれ、あはは!」
「・・・まあ、毎日絞り尽くされて悪巧みするような頭も骨も抜かれているでしょう。」

無論、私がそうしろと言ったのではない。恐らく弟のせいだ。

「もちろん、性格的に難がない者で聖槌軍に入った者・・・・具体的に言うと貧民や夢見な若者でしょうね、彼らの追跡調査結果は概ね嫁さんと幸せにやっていました。」
「・・・・聖槌軍に入って売られても、悪い結末ばかりではないのね。」
「そうです。まあ、結末がどうであれ、私がやっていることは味方を売っていることに変わりはありませんけどね。」

教団にいい顔をしつつ、裏では親魔派への婿供給源となる。コウモリもいいとこだ。
弟は私の心情を察したのか、売られた傭兵がその後どんな暮らしをしているか、頻繁に手紙に書いてくれている。
しかし、売られた傭兵が、魔物娘とよろしく幸せにやっている・・・・というのは、言い訳でしかない。
教団に媚を売ることも、親魔派と手を結ぶ事も、このウェルステラ枢機卿領を維持するために必要なことだ。手段は選ばない。

「さて。」

私は羽ペンを机に戻し、天使に向き直った。

「お聞かせ願いましょうか。魔物を嫌い、交わりを嫌う主神から遣わされた貴女達『天使』が、どうして主の意向に反しているのでしょうか?」








「簡単なことよ。わたしは、主神から遣わされた天使じゃないの。」

この天使は
現教団がまとめて吹っ飛ぶその台詞を
軽々と口にした。

停止した私の脳。考えるまでもない、至極単純な事だ。
教団にいる天使が主神の使いではないとすれば、魔物に肩入れする天使もいるということである。無論、その天使の神もだ。

「ーーーー・・・・・」
「あら、そんなに驚くことだった?」

一呼吸。私は領主だ。いついかなる時もうろたえてはならない。
スーハー。よし。

「翼の色からして堕天使には見えませんね。貴女は正式な神の使いでしょう。で、貴女の神のようなお考えを持った神はどのくらいいるのでしょう?」
「・・・教団にいる天使は、ほぼ全てがわたし達の仲間よ。主神の使いですら。」
「では、主神の意思は・・・・」
「主神は依然魔物を憎み、その根絶を唱えているわ。でも、神族のうちかなりの数は・・・」

親魔派か、中立派ということだ。私は・・・いや、私ですら、そこに時代の流れを感じた。
反魔物領である我が領地も、いずれはその身の振り方を考えなければなるまい。

「なるほど。教団は堕天さえしていなければ、天使は誰でも受け入れる。貴女方はそうやって教団に入り込んだ。」
「そう。その通りよ。」
「・・・・教団の枢機卿は神の教えを反故にし、教団の天使は主神を見放している・・・・」

私から、自然と笑みがこぼれた。
冗談のような光景に遭遇したからではない。
教団のおかしな体質・・・その矛盾に、心底笑った。


「で、貴女がここに来た目的は?」
「聖槌軍・・・・親魔物勢力と戦う軍隊がわたしの目的。」

ああなるほど。私はその一言で納得した。
少なくとも彼女の神は、聖戦と称してかつての魔王軍のように虐殺を行う聖槌軍や騎士団を快く思っていない。
天使の地位を利用して軍に入り込み、内部から潰す。これが狙いだろう。

「ご安心下さい。我が聖槌軍は今回も全滅です。」
「ふふふ、そうね。そして、もう1つの懸案なんだけど・・・」



「貴方、私達の仲間にならない?」
11/05/16 13:10更新 / 見習い教団魔導士
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■作者メッセージ
【用語・組織・その他紹介】

ウェルステラ聖槌軍

各枢機卿領、その他の教団委任領は『聖槌軍』と呼ばれる、親魔派を攻撃するための独自の軍事組織を持つ。
教団の正規軍ではないため教団の軍律も適用されず、多くの領主が聖槌軍の戦力の中核に傭兵や下等兵を起用しているため、山賊の集団のようなものも多い。
ウェルステラ枢機卿領で編成された聖槌軍はウェルステラ聖槌軍と呼ばれるが、軍隊としては装備も兵士も最低ランクである。
そのため、他の軍隊と比べると味方の脱走を監視する兵士の割合が圧倒的に多い。

現在の軍団長はオドアケル。少なくともシアン卿が領主になってからは全戦全敗を誇る。
わざと負けるように仕向けているのだから当然と言えば当然だが、まともな軍事評論家なら『本気で戦っても隣領のどことも勝てない』と判断するだろう。
近年、その悪名が高まるのに比例して傭兵雇用費も高くなり、盗賊を狩りつくしたシアン卿が隣領に泣きついて隣領で盗賊団狩りを行い、捕らえた盗賊をそのまま聖槌軍に編入するという前代未聞の編成の仕方をしていたりする。



ウェルステラ枢機卿領の戦力

前述のウェルステラ聖槌軍が書類上の主力部隊である。無論、いざという時に役に立たないのは言うまでもない。
親魔派の軍事評論家は、聖槌軍の督戦隊500名(オドアケル子飼いの脱走監視部隊)、シアン卿直卒のシス・フレイム聖騎士団200名、これに宮廷武官を合わせた1300名が戦力となり得る兵員であると算出している。
そんな状態で領地が維持できていること自体が奇跡で、事実、親魔派の中でも積極的に他領に侵略する勢力からは虎視眈々と狙われている。

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