連載小説
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天使が来た憂鬱
あたりに飲んでいた紅茶が撒き散らされる。
優雅な食事の友はテーブルクロスを汚し、私の服を汚し、料理にもかかった。

「そ、それは、素晴らしきこの上ないことだ、ハハハ!」

そう言いながら私は笑う・・・恐らく、顔は完全に引き攣っていたと思う。

「まことその通り!明日にでも教団本部から天使様がご到着あそばされるそうですぞ!」
「これでこのウェルステラ枢機卿領も安泰ですな!」

純粋に喜んでいる周囲の者どもが羨ましい。嫉妬するほどだ。
天使と言えば主神の使い。教会領である我が領地にとって、天使が派遣されるのは名誉この上ないと同時に、末永い安泰の約束でもある。
しかし・・・その領主の私にとって、それは良い知らせではなかった。

「午後の道路工事は適当なのに任せる。とりあえずオドアケルを呼べ、天使様に聖槌軍を見ていただく準備だ。ああ、歓待の準備もおおごとだ・・・・」

自然と溜息が漏れてしまったが、周囲の者に気付かれなかっただけ良しとする。
天使様の来訪。彼女の来訪があろうが無かろうが、このウェルステラ枢機卿領は平和である。
だが、今日より領主である私は、新たな難題を抱えなければならなくなった。





―― これは、堕落した教会にありながら名君と呼ばれる統治を行い、
    教義に染まり魔物を受け入れられない人々の上に孤高に君臨し、
    自らを正義とすることもなく、ただ己の信念を貫いた、枢機卿のお話。 ――









「教会より賜りましたこの地を治めるシアンルドール=ウェルステラにございます。本日はお早いお着きで。みすぼらしい所で恐縮ですが、ごゆるりとご滞在いただけますよう取り計らう所存です。」
「そう堅くなさらず、枢機卿。」

護衛を伴って到着した天使は、教会式の礼をする私に聖女のように微笑みかけた。
その笑顔はただ純粋で・・・・その純粋さ故に、これからの私の苦労が予想される。
さて、私はこの厄介者を何とかするために、ひとつ策を練ってきた。

「それでは、早速神殿へ参りましょう。天使様に快適にお過ごしいただける特別な部屋や調度品も取り揃えてございます。」
「いいえ、わたくしは貴方の領内の様子を見て回りたい。」
「俗気のまみれた場所に天使様を置くわけには参りませぬ。」
「これから貴方の領地を守護する天使として、領内のことを学ばなければなりませんわ。」

嗚呼、これがいつもの国王の使いだの教会のお偉い様だの、薄汚い欲望の塊なら良かったのに。
この天使は立派なものだ・・・・が故に、私を苦しめる。
私は根負けした。と言うか相手が相手だ、元々私に勝ち目は無かった。

「・・・・わかりました。それでは、ご案内致しましょう。」
「ご案内、恐れ入りますわ。ウェルステラ枢機卿。」
「シアンで結構です。まずは執務室から。」
「ふふ・・・・じゃあご案内よろしく頼みますわ、シアン卿。」





私の午前中の執政は中止、私は天使様の案内役だ。
事務作業をしている執政官たちが、ピリピリと緊張しながらそれぞれの仕事に没頭している。今日ばかりは連中も不正を企まないだろう。

「こちらが、我が領の法です。」

かなり厚い本に目を通しながら、天使様は呟いた。

「随分と細かく、そして練られた法なのですね。」
「王国の法や教会直轄領の法、それに教会の教えを模倣した駄作です。お恥ずかしい限りで。」

私がへりくだると、天使様は本から顔を離してこちらを見た。

「いいえ、それはウソ。王国や教会の法など半分も参考にしていないでしょう。」

そこら辺の視察官とかなら一瞥もしないものなのに、普通にばれてしまった。
やはりこの天使様は手強い。

「申し訳ありません。・・・・天使様は、この法をどう思われますか?」
「善き民のことを第一に思っている、王国の拙いそれとは比べ物にならないくらい進んだものですわ。」
「誠に恐縮なお言葉。ですが、やはり王国の法には到底及びません。」
「そのようなことは、ありませんよ。」

王国の法、教会の法には到底及ばない・・・・これは謙遜に聞こえるが、ある種の皮肉だ。
魔軍や親魔派の人間への攻撃を口実に庶民から重税を取り、その不満は魔物への恐怖に向け、己はあたかも庇護者のように振舞う。
こんなよくできたシステム、中々ない。思いついた教会のお偉いさんは誰だろうか。あの無能な面々で思いつけるものではないのは確かだ。

「枢機卿、15時まで半刻です。そろそろ準備を。」
「わかった。天使様、そろそろ我が聖槌軍の閲兵式の時間です。」

ウェルステラ聖槌軍・・・・その総長、オドアケルにはいつも苦労をかける。
今回も、彼は徹夜で武具の調達を行っていただろう。





「御使いラキエル様とウェルステラ枢機卿の御前である!総員、整列!」

黒い鎧に身を包んだオドアケルがそう叫ぶと、我が聖槌軍はぎこちない整列を見せた。
私は目を見張った。その姿はいつもの革の鎧や錆びた鎖帷子、木の盾といった貧弱な姿ではない。立派な軍団だ。

・・・・見た目だけは。

まず革の鎧、木の鎧には塗料が塗られ、錆びた鎧は上に布をあてがわれている。
貧弱な装備を隠すため、全員がマントを羽織っていた。着目すべきはそのマントの材質で、なんとほろ馬車の布だ。
雨風に強く、丈夫で安価・・・・貴族どもの着る格好だけのマントより、軍隊としてよほど実用的である。このマントは後で正式採用しておこう。

錆と革と木で武装した我が聖槌軍。
中身は督戦隊を除き、全員が傭兵かごろつきで構成される聖槌軍。
それは今や、格好だけは立派な騎士団となっていた。

「天使様、これが我がウェルステラ聖槌軍にございます。勇敢な我が軍勢は、忌まわしき魔物を根絶やしにするまで退くことを知りませぬ。」

よくやったオドアケル、これで私も堂々とこの台詞が言えた。
あの烏合の衆をよくここまで着飾らせてくれた。

「どれも頼もしい兵達ですわね。人数と、出陣予定は。」
「はッ、ざっと4300人です。4日にもこのオドアケルの指揮の元、ファルローゼンへと出兵する予定です。」
「あなた方の戦いに、神の加護がありますように・・・・」

立派に着飾った聖槌軍を見て、私はオドアケルにかけた苦労を思い、安堵からそっと涙をこぼした。

・・・・ウェルステラ聖槌軍は、教団のどの軍隊よりも弱いと言われている。
防具と言えば錆か革か木か。武器に関しては8割が木の棍棒か木刀。
そして中身は最低ランクの傭兵かごろつきか・・・・馬の骨もいいとこだ。当然訓練もせず即出陣。

そう。

ウェルステラ聖槌軍は、弱くなければならないのだ。





「・・・・17時まであと16分。そろそろ処刑の時間ですな。天使様にも是非ご同行願いたい。」
「・・・ええ。」

昨日徹夜でオドアケル達が聖槌軍の衣装を取り繕っている間、私直下のシス・フレイム聖騎士団は別の仕事をこなしていた。
天使様の前で処刑するために、適当な魔物を捕まえてくることである。

処刑場に着くと既に見物席には人がごった返しており、天使様を見るや歓声が上がった。
笑顔で応える天使様・・・・だが、その笑顔に陰りがあるのは気のせいだろうか。

処刑場の中央には『逐魔の大穴』と呼ばれる穴が空いており、その穴は魔物が落ちるにふさわしい地獄まで繋がっているとされている。
この大穴に魔物達を突き落とす事。我が領地では、魔物・親魔派の処刑は、この方法で統一されている。

「ひっぐ・・・えっぐ・・・助けてくださぃ・・・」

半べそで我が兵に助けを求めるマンドラゴラが、棒で打たれながら大穴に放り込まれた。

「いやああぁぁっ!!」

羽を縛られたハニービーが、暗闇に吸い込まれて行く。

「ひっぐ・・・えっぐ・・・赤ちゃん、産んであげられなくて、ごめんね・・・」
「ううん、いいんだ。あの世で3人で幸せになろう。」

ホルスタウロスと男が仲良く大穴に落ちて行く。
私は平然とした体で天使様に訊ねた。

「いかがです。忌まわしき魔の者どもが、この世から根絶されていくのは。」
「え、ええ。まこと、シアンは教えに忠実なのですね。」
「ははは、あの『逐魔の大穴』は地獄まで繋がっております。生きたまま地獄に落ちる・・・・魔物にふさわしき末路でしょう。」
「ええ・・・・」

その時、私は見た。
天使様は、その顔にこそ笑みを浮かべていたが。

――彼女は、下唇を噛み締めていた。

「ははは。事実、この大穴に落ちた魔物が、その底に衝突をする音を聞いたものはおりませぬ。」
「・・・・・・・。」

確かに逐魔の大穴はとても深く、その底を窺い知ることはできない。

そう。

窺い知られては、困るのだ。





その後、天使様や私の供の者と夕食を共にし、彼女を神殿の部屋に案内した。
早風呂で身を清め、昼の喧騒を洗い流す。やはり風呂は早いほうがいい。
そして今は私の私室。私は部屋に入るなり、ベッドの上へと寝転がった。

「はーーー・・・・・・」

身体中の力を抜きながら、長い今日のことを整理してみる。
今日から、天使様が我がウェルステラ枢機卿領に滞在されることになった。もちろん、教えに忠実な我が民は大歓迎。
その後は我が国の法や執政風景を見せ、我がハリボテ聖槌軍を見せ、魔物を『逐魔の大穴』に放り込んで処刑する様を見せた。

「いくつか疑念もあるんだよなぁ・・・。」

我が領地の法が、王国や教会のものと一線を画したものであると、天使様は即見破った。
しかし、そんな聡い天使様が、あのハリボテ聖槌軍を見て何も言わなかった。

「・・・・冷静に考えてみれば、一瞬で我が領の法を解した天使様のこと、聖槌軍がハリボテだと見破ってもおかしくないはずだ。普通ならあんな軍でファルローゼンに出兵など狂気の沙汰。そして、何よりの疑念はアレだ。」

処刑の際、天使様が下唇を強く噛んでいたのを、私は覗き見た。
魔物を憎み、放逐しようとする主神から遣わされた天使が、どうして。

寝相を変え、仰向けになった私の耳に、ある音が入った。
鳥窓の金属が擦れる音。つまり、あいつからの手紙。

「よりによってこのクソ忙しい時にか・・・・うんしょ。」

身体中をコキコキ鳴らしながら、私は放り込まれた手紙を開封する。
一応この部屋は簡単な結界を張ってある。誰かが来る気配は今のところない。
私はその油断のお陰で、扉のノックに気付かなかった・・・・致命的なことに。
11/05/15 13:40更新 / 見習い教団魔導士
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■作者メッセージ
【登場人物紹介】

シアンルドール=ウェルステラ枢機卿

弱冠21歳の枢機卿。名君なのは確かだが、奸雄的な側面は一切ないのが玉に傷。
判断基準が自分の領民で固定されているので、特に教団に忠誠を誓っている訳ではないが、自らの民が信じる教団を表向きでは尊重する。
特に帳簿と外交に明るく、大量の資金を見事に隠蔽する『3重帳簿』は、知る人からはミラクルと呼ばれる。
とは言え、その資金は領内の生産設備や聖槌軍の傭兵につぎ込まれ、彼自身が私腹を肥やすことはない。

彼自身が戦闘に出るときは、直卒のシス・フレイム聖騎士団の出撃の時だけであり、あまり戦場では顔が知られていない。
魔術師で、得意属性は無属性。超遠距離からの迫撃魔弾、狙撃魔弾など、集団戦に特化した魔術を使用。
相手の将校を超遠距離から狙撃して殺害するという、ロマンも武人の誇りもへったくれもないが実用的な戦法が得意。
彼の配下の聖騎士団も含め、騎士としての誇りは一切持たない。

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