勇者を教込むは任の為
じゃらり、と小気味のいい音をたててカーテンを開いた。
この国の王様が私たちにくれた部屋は城の中でも上の方の階にあり、遠くまで景色を見渡すことができる。城自体が丘陵にあるのでなおさらだ。
窓枠の向こうでは夜の名残の濃紺と朝の始まりの橙が混ざり合っていた。その自然が作り出すなんとも言えないグラデーションを眺め、思わず私は頬を緩めた。
天にまします我らが主よ。今日も貴方の造り上げた世界は美しい。
空に同じく城下町もよく見える。まだ、まともに町に出かけてはいないのだが、私が見る限り、清潔で綺麗な町であった。これもまた、美しく、私にとっては守るべき場所だ。
……。
私は心ゆくまで町を染める朝焼けを眺めた後、窓からそっと離れた。
朝日が雲を抉って貫いたかのように朝焼けがよく見える今日の空。太陽の周りには全く雲はない。
だが、太陽から離れた所ではやや雲が多いのでしばらくしたら曇り空になるかもしれない。私はまだ多少寝ぼけている頭でそう考えた。
……まだ、なかなかこの感覚に慣れない。私は靄で霞むような思考を何とかして正常に治そうと苦心するが、どうやら時間の経過以外ではなかなか治りそうもないことが分かるばかりだ。
そう、私は天使とはいえ受肉しているのだ。睡眠は必要だし、その他もろもろ生物が受けるだろう束縛や制約は受けている。直に勇者を導けるという大きなメリットと共に肉体を持つ者特有の大きなデメリットが発生するのだ。
「流石天使は早起きだな」
「そういうナイの方が早いではないか」
私は声のした方を振り向き言葉を返した。そこには私が育てるべき勇者、ナイの姿があった。もちろん、この部屋にはナイと私以外がいることはありえないので当然と言えば当然だ。そう思いながら私は彼を見た。
私たち天使の持つ羽のような髪の色、身には昨日渡されたそこそこ高価な服を纏っているが、全く服に着られている感じはしない。年の頃、おおよそ16。会ったばかりの頃に青年と言ってしまったが、それは薄汚れていたのと、少年らしくない言動が原因だ。
こうして、昨日に色々とされ綺麗になった今、改めて見るまだ少し幼さが残る顔立ちだった。
そんな若い見た目のわりに物事に対する感動や驚きが薄いように見える。大人びた、というより……どうだろうか、何か違う言葉で言い表した方が近いかもしれない。
そして、彼の眼は深く、濃い金色。どこまでも底の見えないような瞳。
金色、それは名誉や栄光を表す色――
彼は気だるげに伸びをした。
……そういえばナイはしっかり寝られたのだろうか。
私の記憶が正しければ寝具を何1つ使わず、あまつさえ座り心地の良いと言えない物の上で寝ていたはずだ。
私の心配をよそに彼は腰かけていた机から降りる。
多少眠たげではあるが、ナイの目は何かぎらぎらと熱と光を宿していた。
ふむ、杞憂だったか。私はそう思いながら彼を見ている。
すると、ナイはぼさぼさの髪をかきながら太陽の光に目を細め、すぐ横に立て掛けていたらしい鞘付きの鉄の棒を手に取った。
鞘の方に背負うための紐が付いているので彼はそれを肩にたすきをかけるように背負った。彼は不機嫌そうな顔をよくするが、今日は殊更そんな顔をしていた。私が何かあったのか、と問おうと口を開けようとした瞬間にナイは人差し指を私の前に突きつけてきた。
「どうせすぐお前は訓練だ、修行だ、と言うだろ。さっさと行くぞ」
彼はぶつけるようにそう言って私に背を向ける。彼に何があったかは分からないが、少し雰囲気が変わっていた気がした。それをまた、問おうとして、止めた。
とにかく、自らを高めたいという意欲が湧くのは喜ばしいことだ。私はにっと笑う。
「では、朝食を取る前に少し鍛錬をしようじゃないか」
私たちはその後、あまりにも早朝のため誰もいない城の訓練場(一般兵士ではなく王族や城に住まう貴族、または騎士の位を得た者が剣技を嗜みで習う、極めんとして修行する場所)をしばらく占領した。
そして、ナイはいつもより早く力尽きて床に倒れる。まるで昨日一睡もしていないような雰囲気だった。
このまま無理矢理立たせて続けても良かったのだが、早朝という事を考慮して止めておく。
私はナイに肩を貸してそこから出た。
まあ、すぐにナイは『いらない』と言って1人で立ったが。
そして、その頃にはちょうどいい時間になっていたため朝食を取りに食堂へ向かう。
食堂という名の通りかなり広く、宮廷に仕えたり、住んだりしている者の食事場だ。付け加えて言うなれば位が貴族未満の者たちの、だな。
王や貴族たちが食事を取る場所はまた別にあるらしい。
まあ、防犯の機能上それが良いと私も思うので文句はない。
私たちは静かに食事を持ち、適当な席に座った。
大量に作ってある料理を好きなだけ(限度というものはあるが)取って食べる形式だ。
なるほど、なかなか面白い。
私は適当に料理をよそったわけだが、美味しそうな匂いが漂ってきている。
「……俺は少し散歩に行ってくる」
私がよそった料理を見ている間にナイはフォークとスプーンを皿に置いた。
早々に食べ終えたようだが―――
「待て、ナイ、そんな量で大丈夫か?」
ナイの皿の汚れ具合を見る限り3口分ぐらいの量しか取っていないようだった。
これからも修練を続けるのにこれでは途中で倒れかねない。私はそう危惧して彼を呼び止めた。呼び止めようとした。
「大丈夫だ、全く問題無い」
彼は素っ気無く、私の方を振り向きもせず答えて去って行った。自分に言い聞かせているようにも聞こえ、危うい物を感じた私は立って追いかけようとした。
が、私は手を引かれ、妨げられる。
「おっと、勇者の嬢ちゃん。食事を残して立ち去るのは行儀が悪いぜ」
私を呼び止めた声にむっとした。
だが、確かに、それは最もだ。私はそう思いナイを見送った。
私は今のところ彼を導くヴァルキリーだ。聞く機会はいくらでもある。
そう考えながら、私は料理に口をつけた。
そして黙々と食べ進める。
「なあなあ、さっきのボウズといつもいるが、あの新しい勇者様って嬢ちゃんの恋人かい?」
私を止めた城の兵士とおぼしき人物が私に無粋な質問を投げ掛けてきた。
もちろんこのような下世話な質問、答える義理もないのでそのまま食事を口の中に放り込む。
私が勇者ではなくヴァルキリーだ、と正体を明かせば静かになるだろう。だが、今度は崇められて身動きが出来なくなるのでは困る。厄介なことだ。
「だから、聞いてんのかって」
「ああ、聞いている」
私はそう返して料理の最後の一口を飲み込んだ。
私は神の使徒だ。よって基本的に私の愛は万人にまんべんなく与えなければならない。特定の1人に私情で付きまとうなどありえない。
ナイと一緒にいるのは勇者の原石を育てるというヴァルキリーとしての使命があるからだ。よってナイは今のところほぼ全てにおいて最優先だが、恋仲になるなどはありえない。
――と、こういうことを悟ってくれたのならば楽なのだが、相手はただの人間だ。多くを期待するのは酷だ。
「ナイと私は恋仲ではない」
ここにいる男たちに付きまとわれると面倒だと判断した私ははっきりとそう相手に言った。
食堂にいる兵士はことごとく聞き耳を立てていたらしく、数名が歓声を上げた。
なんだか居心地が悪くなってきたな。
私はそう思いながら席を立った。
さっき食事を平らげた私はナイを探すべく辺りの魔力を辿る。
気を鎮め、辺りに集中すると辺りに漂う魔力の『色』が視えてくる。さあ、ナイよどこへ行った。
私は彼の魔力の残滓、くすんだ金色を探す。しかし、見つからないので探知状態を維持したまま移動することにした。
「ふむ、しかし、おそらく城の中だな」
特に根拠はないがそういう気がして城の構造を思い返した。ナイはどこに行きそうだろうか。
そうこうしながら様々な色の混ざり合う城内を進む。時折興味深い色を見かけるが、どれもナイの金色には及ばない。
赤、緑、黄色、紫。
そして、ふと私の行く道を鮮やかなシアンのオーラが遮った。
この鮮やかな青の魔力の持ち主は誰だ、と私は視界を元に戻す。
目に映ったのはこの国に元からいた勇者、ラルムハルトだった。
いかにも貴公子といった華美な服装で髪の色は濃い青。それが優雅な仕草とともに頭を下げた。
非礼にならないよう、私も頭を下げた。もし最悪、ナイが使い物にならなくなればこの勇者と共に歩むことになるのだから。
重力と私の動きに従い、無駄に長い金髪がばさりと顔にかかる。我ながら非常に面倒くさい。いっそのこと短くしてしまうか。そう思いながら私はラルムハルトを見た。
顔を上げるとにこやかな表情の彼がしゃんと立っていた。
「お嬢さん、どちらへ行く予定ですか?よろしければ御一緒させてください」
彼は丁寧な口調で私にそう言う。
その言葉には先日、城門で出会った時のような驕った素振りは全くない。
それを受けて、天使としては彼も勇者なのでどのような人物か知らねばならない。と、そう考え、返答をした。
「今からの行く予定はナイのいる所だ。ああ私と一緒にここに来た勇者だ。昼から探している。つまらないと思うが着いてくると言うならば、来て構わないぞ」
特に嘘をつく理由も無いため、私はそのまま歩いていた理由を言った。そして、彼の人となりを少しでも知るため、着いてきても良いとした。
実際に彼は勇者であり、魔物の刺客ではないので着いてきても全く問題はないだろう。
彼はナイという名前を聞いて少し時間をおいてからなるほど、と頷く。
「ああ、あの柄の悪そうな人ですね」
「そうだ、そいつだ」
一瞬、ラルムハルトの表情になんとも言えない物が混ざった。が、瞬きをする間に消えていたので私は言うまでもない事なんだろうと理解する。そう処理をして私は再びナイを探して歩き出す。
先程までと違うのは私の横にラルムハルトがいることくらいか。
私は今度は物を見る目と魔力を視る目、それらを両方動員し、ナイを探す。
この遭遇のように相手と出会ってから対応まで時間がかかると失礼だ。
そうして、私は時折ラルムハルトと話しながら城内を進んだ。
城は華美ではないが広く、少し回るにもやや時間がかかりそうだった。そのため、よくこの城を知るラルムハルトの存在は大いに役に立った。
この城は山城である。旧世代に作られたこれは昨今の教団の中枢が好むような奢侈で防衛機能を持たないような物ではない。
この国の領地は丘陵を中心にしたものである。城下町の外側を大きく壁で囲い、そして、その中心に最後の砦、堅牢な要塞としてこの城、フィリエッテ城がある。
その構造は要塞としての性質上慣れない者にとっては迷宮のようであり、私もものの見事に迷わされた。
旧世代からあり、今まで一度たりとも突破されたことのない中々の城だ。
ちなみに、ラルムハルトが言うにはこのフィリエッテ城と言う名前は少し前に改名してこうなったそうだ。その際、約100年前に病で亡くなった勇者かつ賢姫から取って名付け直したらしい。その彼女の名前はフィリエッテ=トゥオーナ=ライツォルドというのだとか。今まで一度も守りを破られたことがなく、これからも破らせないと誓うために、という意味があると聞いた。
そのような話を聞きながら、話しながら歩いている。情報は大事だ。集める、となると内容の貴賤は関係なく集まるだけ集めたい、というのが世の常だろう。取捨選択は後からでいい。
ラルムハルトは時折見せる尊大で傲慢な態度が多少引っ掛かるものの、立ち振舞いや魔力から相当優秀だと分かる。知識も礼節から対魔物まで幅広く深い。それで私が理解した限りではラルムハルトという人物は相当の名門の出、ということだ。
恐らくだが、現段階ではナイよりも強いだろう。
だが、なぜだろう。ナイのように『鬼気迫る何か』を感じない。なぜだろう、ナイよりもこの人を育てたい、とは思わない。
なぜだ?
「ところで、お嬢さ―――」
「アルでいい。名前を知っているだろう。お前は先日の王の間での自己紹介を聞いていなかったのか」
私はもしやナイに執着をしているのか?そんなまさか、とかぶりを振りながら私は言葉を返した。
そうだ、ナイに執着をしているわけではない。ラルムハルトの方が実力があると判断できるため、ナイの方を育てたいと思うのだろう。
上手くこの場で答えが見つかり私はため息を吐く。ただ、どうやらさっきの返事は深く自分の思考の中に沈みながらしたので少し無愛想だったかもしれない。
多少の後悔と共に彼を見ると、やはりラルムハルトは言葉が詰まったように止まっていた。
すぐに申し訳ない、こちらが物思いにふけって呆けていた。と言うと分かってくれたのか彼はその後少し離れた場所を指差した。
「アルさん。彼、いましたよ」
ラルムハルトが指を指した先、そこにようやくナイを見つけたのだった。
。城の廊下、彼はそこの窓から城下町を眺めていた。
私はナイをまた見失わないようにすぐに駆け寄り、腕を掴む。
「ナイ、探したぞ。どうしたんだいったい」
真っ直ぐ彼を見つめながら私は言った。私はヴァルキリー。自分が受け持った勇者を育て上げる責務がある。だから私は問わねばならない。このような使命を持つこの私が彼を見失うなんて不測の事態をこれからは防ぐために。
対するナイは疲れたような目をこちらに向けてため息をついた。
「ああ、アルか。それと――ラルムハルトさん、だな」
ナイは私とラルムハルトを交互に見た後、眠たげな半目を私に向けた。
そして、目を閉じて顔を背け、口を開いた。
「で、ここまで来たということは、今から修練、か」
こちらの話を聞かず訓練場の方に歩き出すナイに話を聞け、と掴みかかろうとした。だが、私より先に伸びた手が一つ。
「やっぱり君は気に食わない。ああ、そうだ、僕と試合をしませんか?」
ラルムハルトが笑顔を浮かべながらナイにそう言った。彼の手は去ろうとするナイの肩をしっかり掴んでおり、それでナイの動きは止まった。
険悪な空気が流れるが、別に本気で互いが嫌いなわけではないだろう。私は2人の間を取り成すことより、先ほどラルムハルトが言ったことを考えていた。
勇者同士で試合か。私はナイに出しかけていた拳を引っ込め、顎に指を置いて思案した。
なるほど、良い。
にっ、と私は笑うと両者の肩に手を置いた。
「なら私が立ち合おう。互いの実力を知るにもいい機会だ。ぜひ試合をしようじゃないか」
私がそういうと、2人とも了承したのだろう、何も言わず訓練場まで向かったのだった。
◆◇◆◇◆◇
何事もなく私たちは訓練場に着いていた。この国の王様より私たち専用に与えられた場所だ。
朝方に軽くナイをしごいた場所とは違う。あそこを貰うことはおそらくできたが、そうしたならば貴族たちの不平不満を買っただろう。室内で訓練ができる場所はそこと兵舎にある施設の2つくらいだからだ。
まあ、ここを貰えただけでも十分過ぎる。
ここは城の敷地の中でも端の方、そして屋外。将来派手に魔法を使いながらナイと訓練をしても迷惑はかからない。
それに、『端』だからな。私が文字通り羽を伸ばしてもそう見つかるまい。
そう思いながら、平らに整えられた土の上で睨み合う勇者2人に声をかける。
「折角だから試合はなるべく本当の戦いに近づけたい」
模擬刀はあるが使わなくていいぞ。
私はそう言いながら、まずラルムハルトが常用しているという武器を受けとる。
レイピアか。
……いや、少し違うな。
私は刃を傾けながらそれを確かめた。
確かに細身だが、針のようなわけではない。そして若干刀身が波打っている。これは、確かレイピアの類いのフランベルク、といったところだったか。豪奢な柄を手首を返して確認し、刃の平に手を置いた。
そして、『読む』。
魔法が使えない世界ではないのだ。勇者が持つ武器には間違いなく高度な魔術が施されているはず。だから目だけでの検分では足りない。
場合によっては呪われている可能性もあるからだ。
と、私は可視不可視の剣に付与された魔術を調べていく。
硬度強化、柔軟性上昇、退魔、詠唱補助。
身体強化、貫通力上昇、破邪、防御補助――
彼の武器は細身の剣だが、魔法による強化により突くだけでなく、斬ること、受けることも可能な代物だった。
波打つ刀身により、斬られた傷が複雑になり、治療が難しくなる上、剣による攻撃を受けるのも容易になる。重量が足りないので、受けるのには、まあ、かなりの筋力がいるだろうが。
そして、祝福もなかなかしっかりと施されており、これなら下級、下位の魔物ならば問題なく葬れるだろう。
私は満足げに鼻を鳴らすと、その刀身に防刃、保護の魔法をかけた。試しにつうっとそれに指を走らせると刃に触れる少し手前で阻まれて切れることはない。
これで試合をしても打撲程度で済む。
「では返すぞ、ラルムハルト。歩きながら説明した通り、刃に物理障壁を張った。これで切れることはないはすだ」
私が彼に細工を施した細身の剣を渡すと、片膝をつき、騎士のごとく恭しく受け取った。
その動作の端々から彼が貴族らしく生きるための作法を叩き込まれたのだろうと把握できる。
立ち上がり、訓練場の空いている所にラルムハルトは向かった。
そして彼は2、3度剣を振り、突き、調子を確かめる。
それを見てあちらの準備は大体整った、と私は感じてナイに言う。
「ではナイ!ナイの武器はずっと練習に使っているその金属の棒だ、それを使うように」
私が言うとナイは無言で棒を構えた。
まだナイにはその棒を使わせるつもりだ。
実戦で使うような剣でも持たせればいいと思うかもしれないが、彼は勇者だ。聖騎士ではない。
剣と同時に自在に魔法を使いこなせて一人前なのだ。
だが、彼は今まで全く魔法を習得、使用する訓練をしていないと聞いた。
ならば、普通に剣を持たせては剣術のみが鍛えられて魔法がおざなりになってしまう。剣のみに頼った戦い方では後々困るはず。教えられればいいのだが、私は私で感覚的に魔法を使っているため魔力の扱いの初心者である彼に上手く伝えられるかどうか。
というわけで、私の用意したあの棒を持たせているのだ。実はあれには魔法の発動を促すためにありとあらゆる魔法の術式が『後一歩で発動』のところまで書き込まれている。
これで魔力を流し、発動させたいものを念じるだけで魔法が使えるのだ。彼は勇者で尋常あらざる魔力の持ち主だ。ひょんなことから魔力が棒に伝わり、魔法が発動するだろう。彼はまだこの棒を単なる鉄の棒だと思っているはずだ。だから魔法を使えた気になるはず。そして、そこから魔力の流れ、扱い方を体で学び、そのうち本当に魔法が使えるようになる。
そういう予定なのだ。
言うなれば、これは水泳ができない人が練習するために掴まる浮きのようなものだろうか。
まあ、それだが、未だに棒に魔力が伝わる素振りはないがな。
……直接魔法について指導できればいいのだが――そうか、そうだな。今度ここの宮廷魔術師にでも頼んでみるか。
とナイとラルムハルトが2人で何やら話しているので考え事をしていると、両方とも気づけば私の方を向いていた。
「アル」
「アルさん」
なるほど、言わなくても分かるぞ。
私は口の端を上げて同時に手も振り上げた。
それを見て2人の勇者はお互い正面の相手を睨む。
「試合っ、始めぇぇっ!」
待ちわびたような空気の中、私は号令を出した。
空気が凍るような長い長い刹那、その中、私は戦いの開幕を見届けるために、目を凝らす。
次の瞬間、光が瞬くように金属の鈍い光、鋭い光が錯綜した。
この国の王様が私たちにくれた部屋は城の中でも上の方の階にあり、遠くまで景色を見渡すことができる。城自体が丘陵にあるのでなおさらだ。
窓枠の向こうでは夜の名残の濃紺と朝の始まりの橙が混ざり合っていた。その自然が作り出すなんとも言えないグラデーションを眺め、思わず私は頬を緩めた。
天にまします我らが主よ。今日も貴方の造り上げた世界は美しい。
空に同じく城下町もよく見える。まだ、まともに町に出かけてはいないのだが、私が見る限り、清潔で綺麗な町であった。これもまた、美しく、私にとっては守るべき場所だ。
……。
私は心ゆくまで町を染める朝焼けを眺めた後、窓からそっと離れた。
朝日が雲を抉って貫いたかのように朝焼けがよく見える今日の空。太陽の周りには全く雲はない。
だが、太陽から離れた所ではやや雲が多いのでしばらくしたら曇り空になるかもしれない。私はまだ多少寝ぼけている頭でそう考えた。
……まだ、なかなかこの感覚に慣れない。私は靄で霞むような思考を何とかして正常に治そうと苦心するが、どうやら時間の経過以外ではなかなか治りそうもないことが分かるばかりだ。
そう、私は天使とはいえ受肉しているのだ。睡眠は必要だし、その他もろもろ生物が受けるだろう束縛や制約は受けている。直に勇者を導けるという大きなメリットと共に肉体を持つ者特有の大きなデメリットが発生するのだ。
「流石天使は早起きだな」
「そういうナイの方が早いではないか」
私は声のした方を振り向き言葉を返した。そこには私が育てるべき勇者、ナイの姿があった。もちろん、この部屋にはナイと私以外がいることはありえないので当然と言えば当然だ。そう思いながら私は彼を見た。
私たち天使の持つ羽のような髪の色、身には昨日渡されたそこそこ高価な服を纏っているが、全く服に着られている感じはしない。年の頃、おおよそ16。会ったばかりの頃に青年と言ってしまったが、それは薄汚れていたのと、少年らしくない言動が原因だ。
こうして、昨日に色々とされ綺麗になった今、改めて見るまだ少し幼さが残る顔立ちだった。
そんな若い見た目のわりに物事に対する感動や驚きが薄いように見える。大人びた、というより……どうだろうか、何か違う言葉で言い表した方が近いかもしれない。
そして、彼の眼は深く、濃い金色。どこまでも底の見えないような瞳。
金色、それは名誉や栄光を表す色――
彼は気だるげに伸びをした。
……そういえばナイはしっかり寝られたのだろうか。
私の記憶が正しければ寝具を何1つ使わず、あまつさえ座り心地の良いと言えない物の上で寝ていたはずだ。
私の心配をよそに彼は腰かけていた机から降りる。
多少眠たげではあるが、ナイの目は何かぎらぎらと熱と光を宿していた。
ふむ、杞憂だったか。私はそう思いながら彼を見ている。
すると、ナイはぼさぼさの髪をかきながら太陽の光に目を細め、すぐ横に立て掛けていたらしい鞘付きの鉄の棒を手に取った。
鞘の方に背負うための紐が付いているので彼はそれを肩にたすきをかけるように背負った。彼は不機嫌そうな顔をよくするが、今日は殊更そんな顔をしていた。私が何かあったのか、と問おうと口を開けようとした瞬間にナイは人差し指を私の前に突きつけてきた。
「どうせすぐお前は訓練だ、修行だ、と言うだろ。さっさと行くぞ」
彼はぶつけるようにそう言って私に背を向ける。彼に何があったかは分からないが、少し雰囲気が変わっていた気がした。それをまた、問おうとして、止めた。
とにかく、自らを高めたいという意欲が湧くのは喜ばしいことだ。私はにっと笑う。
「では、朝食を取る前に少し鍛錬をしようじゃないか」
私たちはその後、あまりにも早朝のため誰もいない城の訓練場(一般兵士ではなく王族や城に住まう貴族、または騎士の位を得た者が剣技を嗜みで習う、極めんとして修行する場所)をしばらく占領した。
そして、ナイはいつもより早く力尽きて床に倒れる。まるで昨日一睡もしていないような雰囲気だった。
このまま無理矢理立たせて続けても良かったのだが、早朝という事を考慮して止めておく。
私はナイに肩を貸してそこから出た。
まあ、すぐにナイは『いらない』と言って1人で立ったが。
そして、その頃にはちょうどいい時間になっていたため朝食を取りに食堂へ向かう。
食堂という名の通りかなり広く、宮廷に仕えたり、住んだりしている者の食事場だ。付け加えて言うなれば位が貴族未満の者たちの、だな。
王や貴族たちが食事を取る場所はまた別にあるらしい。
まあ、防犯の機能上それが良いと私も思うので文句はない。
私たちは静かに食事を持ち、適当な席に座った。
大量に作ってある料理を好きなだけ(限度というものはあるが)取って食べる形式だ。
なるほど、なかなか面白い。
私は適当に料理をよそったわけだが、美味しそうな匂いが漂ってきている。
「……俺は少し散歩に行ってくる」
私がよそった料理を見ている間にナイはフォークとスプーンを皿に置いた。
早々に食べ終えたようだが―――
「待て、ナイ、そんな量で大丈夫か?」
ナイの皿の汚れ具合を見る限り3口分ぐらいの量しか取っていないようだった。
これからも修練を続けるのにこれでは途中で倒れかねない。私はそう危惧して彼を呼び止めた。呼び止めようとした。
「大丈夫だ、全く問題無い」
彼は素っ気無く、私の方を振り向きもせず答えて去って行った。自分に言い聞かせているようにも聞こえ、危うい物を感じた私は立って追いかけようとした。
が、私は手を引かれ、妨げられる。
「おっと、勇者の嬢ちゃん。食事を残して立ち去るのは行儀が悪いぜ」
私を呼び止めた声にむっとした。
だが、確かに、それは最もだ。私はそう思いナイを見送った。
私は今のところ彼を導くヴァルキリーだ。聞く機会はいくらでもある。
そう考えながら、私は料理に口をつけた。
そして黙々と食べ進める。
「なあなあ、さっきのボウズといつもいるが、あの新しい勇者様って嬢ちゃんの恋人かい?」
私を止めた城の兵士とおぼしき人物が私に無粋な質問を投げ掛けてきた。
もちろんこのような下世話な質問、答える義理もないのでそのまま食事を口の中に放り込む。
私が勇者ではなくヴァルキリーだ、と正体を明かせば静かになるだろう。だが、今度は崇められて身動きが出来なくなるのでは困る。厄介なことだ。
「だから、聞いてんのかって」
「ああ、聞いている」
私はそう返して料理の最後の一口を飲み込んだ。
私は神の使徒だ。よって基本的に私の愛は万人にまんべんなく与えなければならない。特定の1人に私情で付きまとうなどありえない。
ナイと一緒にいるのは勇者の原石を育てるというヴァルキリーとしての使命があるからだ。よってナイは今のところほぼ全てにおいて最優先だが、恋仲になるなどはありえない。
――と、こういうことを悟ってくれたのならば楽なのだが、相手はただの人間だ。多くを期待するのは酷だ。
「ナイと私は恋仲ではない」
ここにいる男たちに付きまとわれると面倒だと判断した私ははっきりとそう相手に言った。
食堂にいる兵士はことごとく聞き耳を立てていたらしく、数名が歓声を上げた。
なんだか居心地が悪くなってきたな。
私はそう思いながら席を立った。
さっき食事を平らげた私はナイを探すべく辺りの魔力を辿る。
気を鎮め、辺りに集中すると辺りに漂う魔力の『色』が視えてくる。さあ、ナイよどこへ行った。
私は彼の魔力の残滓、くすんだ金色を探す。しかし、見つからないので探知状態を維持したまま移動することにした。
「ふむ、しかし、おそらく城の中だな」
特に根拠はないがそういう気がして城の構造を思い返した。ナイはどこに行きそうだろうか。
そうこうしながら様々な色の混ざり合う城内を進む。時折興味深い色を見かけるが、どれもナイの金色には及ばない。
赤、緑、黄色、紫。
そして、ふと私の行く道を鮮やかなシアンのオーラが遮った。
この鮮やかな青の魔力の持ち主は誰だ、と私は視界を元に戻す。
目に映ったのはこの国に元からいた勇者、ラルムハルトだった。
いかにも貴公子といった華美な服装で髪の色は濃い青。それが優雅な仕草とともに頭を下げた。
非礼にならないよう、私も頭を下げた。もし最悪、ナイが使い物にならなくなればこの勇者と共に歩むことになるのだから。
重力と私の動きに従い、無駄に長い金髪がばさりと顔にかかる。我ながら非常に面倒くさい。いっそのこと短くしてしまうか。そう思いながら私はラルムハルトを見た。
顔を上げるとにこやかな表情の彼がしゃんと立っていた。
「お嬢さん、どちらへ行く予定ですか?よろしければ御一緒させてください」
彼は丁寧な口調で私にそう言う。
その言葉には先日、城門で出会った時のような驕った素振りは全くない。
それを受けて、天使としては彼も勇者なのでどのような人物か知らねばならない。と、そう考え、返答をした。
「今からの行く予定はナイのいる所だ。ああ私と一緒にここに来た勇者だ。昼から探している。つまらないと思うが着いてくると言うならば、来て構わないぞ」
特に嘘をつく理由も無いため、私はそのまま歩いていた理由を言った。そして、彼の人となりを少しでも知るため、着いてきても良いとした。
実際に彼は勇者であり、魔物の刺客ではないので着いてきても全く問題はないだろう。
彼はナイという名前を聞いて少し時間をおいてからなるほど、と頷く。
「ああ、あの柄の悪そうな人ですね」
「そうだ、そいつだ」
一瞬、ラルムハルトの表情になんとも言えない物が混ざった。が、瞬きをする間に消えていたので私は言うまでもない事なんだろうと理解する。そう処理をして私は再びナイを探して歩き出す。
先程までと違うのは私の横にラルムハルトがいることくらいか。
私は今度は物を見る目と魔力を視る目、それらを両方動員し、ナイを探す。
この遭遇のように相手と出会ってから対応まで時間がかかると失礼だ。
そうして、私は時折ラルムハルトと話しながら城内を進んだ。
城は華美ではないが広く、少し回るにもやや時間がかかりそうだった。そのため、よくこの城を知るラルムハルトの存在は大いに役に立った。
この城は山城である。旧世代に作られたこれは昨今の教団の中枢が好むような奢侈で防衛機能を持たないような物ではない。
この国の領地は丘陵を中心にしたものである。城下町の外側を大きく壁で囲い、そして、その中心に最後の砦、堅牢な要塞としてこの城、フィリエッテ城がある。
その構造は要塞としての性質上慣れない者にとっては迷宮のようであり、私もものの見事に迷わされた。
旧世代からあり、今まで一度たりとも突破されたことのない中々の城だ。
ちなみに、ラルムハルトが言うにはこのフィリエッテ城と言う名前は少し前に改名してこうなったそうだ。その際、約100年前に病で亡くなった勇者かつ賢姫から取って名付け直したらしい。その彼女の名前はフィリエッテ=トゥオーナ=ライツォルドというのだとか。今まで一度も守りを破られたことがなく、これからも破らせないと誓うために、という意味があると聞いた。
そのような話を聞きながら、話しながら歩いている。情報は大事だ。集める、となると内容の貴賤は関係なく集まるだけ集めたい、というのが世の常だろう。取捨選択は後からでいい。
ラルムハルトは時折見せる尊大で傲慢な態度が多少引っ掛かるものの、立ち振舞いや魔力から相当優秀だと分かる。知識も礼節から対魔物まで幅広く深い。それで私が理解した限りではラルムハルトという人物は相当の名門の出、ということだ。
恐らくだが、現段階ではナイよりも強いだろう。
だが、なぜだろう。ナイのように『鬼気迫る何か』を感じない。なぜだろう、ナイよりもこの人を育てたい、とは思わない。
なぜだ?
「ところで、お嬢さ―――」
「アルでいい。名前を知っているだろう。お前は先日の王の間での自己紹介を聞いていなかったのか」
私はもしやナイに執着をしているのか?そんなまさか、とかぶりを振りながら私は言葉を返した。
そうだ、ナイに執着をしているわけではない。ラルムハルトの方が実力があると判断できるため、ナイの方を育てたいと思うのだろう。
上手くこの場で答えが見つかり私はため息を吐く。ただ、どうやらさっきの返事は深く自分の思考の中に沈みながらしたので少し無愛想だったかもしれない。
多少の後悔と共に彼を見ると、やはりラルムハルトは言葉が詰まったように止まっていた。
すぐに申し訳ない、こちらが物思いにふけって呆けていた。と言うと分かってくれたのか彼はその後少し離れた場所を指差した。
「アルさん。彼、いましたよ」
ラルムハルトが指を指した先、そこにようやくナイを見つけたのだった。
。城の廊下、彼はそこの窓から城下町を眺めていた。
私はナイをまた見失わないようにすぐに駆け寄り、腕を掴む。
「ナイ、探したぞ。どうしたんだいったい」
真っ直ぐ彼を見つめながら私は言った。私はヴァルキリー。自分が受け持った勇者を育て上げる責務がある。だから私は問わねばならない。このような使命を持つこの私が彼を見失うなんて不測の事態をこれからは防ぐために。
対するナイは疲れたような目をこちらに向けてため息をついた。
「ああ、アルか。それと――ラルムハルトさん、だな」
ナイは私とラルムハルトを交互に見た後、眠たげな半目を私に向けた。
そして、目を閉じて顔を背け、口を開いた。
「で、ここまで来たということは、今から修練、か」
こちらの話を聞かず訓練場の方に歩き出すナイに話を聞け、と掴みかかろうとした。だが、私より先に伸びた手が一つ。
「やっぱり君は気に食わない。ああ、そうだ、僕と試合をしませんか?」
ラルムハルトが笑顔を浮かべながらナイにそう言った。彼の手は去ろうとするナイの肩をしっかり掴んでおり、それでナイの動きは止まった。
険悪な空気が流れるが、別に本気で互いが嫌いなわけではないだろう。私は2人の間を取り成すことより、先ほどラルムハルトが言ったことを考えていた。
勇者同士で試合か。私はナイに出しかけていた拳を引っ込め、顎に指を置いて思案した。
なるほど、良い。
にっ、と私は笑うと両者の肩に手を置いた。
「なら私が立ち合おう。互いの実力を知るにもいい機会だ。ぜひ試合をしようじゃないか」
私がそういうと、2人とも了承したのだろう、何も言わず訓練場まで向かったのだった。
◆◇◆◇◆◇
何事もなく私たちは訓練場に着いていた。この国の王様より私たち専用に与えられた場所だ。
朝方に軽くナイをしごいた場所とは違う。あそこを貰うことはおそらくできたが、そうしたならば貴族たちの不平不満を買っただろう。室内で訓練ができる場所はそこと兵舎にある施設の2つくらいだからだ。
まあ、ここを貰えただけでも十分過ぎる。
ここは城の敷地の中でも端の方、そして屋外。将来派手に魔法を使いながらナイと訓練をしても迷惑はかからない。
それに、『端』だからな。私が文字通り羽を伸ばしてもそう見つかるまい。
そう思いながら、平らに整えられた土の上で睨み合う勇者2人に声をかける。
「折角だから試合はなるべく本当の戦いに近づけたい」
模擬刀はあるが使わなくていいぞ。
私はそう言いながら、まずラルムハルトが常用しているという武器を受けとる。
レイピアか。
……いや、少し違うな。
私は刃を傾けながらそれを確かめた。
確かに細身だが、針のようなわけではない。そして若干刀身が波打っている。これは、確かレイピアの類いのフランベルク、といったところだったか。豪奢な柄を手首を返して確認し、刃の平に手を置いた。
そして、『読む』。
魔法が使えない世界ではないのだ。勇者が持つ武器には間違いなく高度な魔術が施されているはず。だから目だけでの検分では足りない。
場合によっては呪われている可能性もあるからだ。
と、私は可視不可視の剣に付与された魔術を調べていく。
硬度強化、柔軟性上昇、退魔、詠唱補助。
身体強化、貫通力上昇、破邪、防御補助――
彼の武器は細身の剣だが、魔法による強化により突くだけでなく、斬ること、受けることも可能な代物だった。
波打つ刀身により、斬られた傷が複雑になり、治療が難しくなる上、剣による攻撃を受けるのも容易になる。重量が足りないので、受けるのには、まあ、かなりの筋力がいるだろうが。
そして、祝福もなかなかしっかりと施されており、これなら下級、下位の魔物ならば問題なく葬れるだろう。
私は満足げに鼻を鳴らすと、その刀身に防刃、保護の魔法をかけた。試しにつうっとそれに指を走らせると刃に触れる少し手前で阻まれて切れることはない。
これで試合をしても打撲程度で済む。
「では返すぞ、ラルムハルト。歩きながら説明した通り、刃に物理障壁を張った。これで切れることはないはすだ」
私が彼に細工を施した細身の剣を渡すと、片膝をつき、騎士のごとく恭しく受け取った。
その動作の端々から彼が貴族らしく生きるための作法を叩き込まれたのだろうと把握できる。
立ち上がり、訓練場の空いている所にラルムハルトは向かった。
そして彼は2、3度剣を振り、突き、調子を確かめる。
それを見てあちらの準備は大体整った、と私は感じてナイに言う。
「ではナイ!ナイの武器はずっと練習に使っているその金属の棒だ、それを使うように」
私が言うとナイは無言で棒を構えた。
まだナイにはその棒を使わせるつもりだ。
実戦で使うような剣でも持たせればいいと思うかもしれないが、彼は勇者だ。聖騎士ではない。
剣と同時に自在に魔法を使いこなせて一人前なのだ。
だが、彼は今まで全く魔法を習得、使用する訓練をしていないと聞いた。
ならば、普通に剣を持たせては剣術のみが鍛えられて魔法がおざなりになってしまう。剣のみに頼った戦い方では後々困るはず。教えられればいいのだが、私は私で感覚的に魔法を使っているため魔力の扱いの初心者である彼に上手く伝えられるかどうか。
というわけで、私の用意したあの棒を持たせているのだ。実はあれには魔法の発動を促すためにありとあらゆる魔法の術式が『後一歩で発動』のところまで書き込まれている。
これで魔力を流し、発動させたいものを念じるだけで魔法が使えるのだ。彼は勇者で尋常あらざる魔力の持ち主だ。ひょんなことから魔力が棒に伝わり、魔法が発動するだろう。彼はまだこの棒を単なる鉄の棒だと思っているはずだ。だから魔法を使えた気になるはず。そして、そこから魔力の流れ、扱い方を体で学び、そのうち本当に魔法が使えるようになる。
そういう予定なのだ。
言うなれば、これは水泳ができない人が練習するために掴まる浮きのようなものだろうか。
まあ、それだが、未だに棒に魔力が伝わる素振りはないがな。
……直接魔法について指導できればいいのだが――そうか、そうだな。今度ここの宮廷魔術師にでも頼んでみるか。
とナイとラルムハルトが2人で何やら話しているので考え事をしていると、両方とも気づけば私の方を向いていた。
「アル」
「アルさん」
なるほど、言わなくても分かるぞ。
私は口の端を上げて同時に手も振り上げた。
それを見て2人の勇者はお互い正面の相手を睨む。
「試合っ、始めぇぇっ!」
待ちわびたような空気の中、私は号令を出した。
空気が凍るような長い長い刹那、その中、私は戦いの開幕を見届けるために、目を凝らす。
次の瞬間、光が瞬くように金属の鈍い光、鋭い光が錯綜した。
14/12/17 23:03更新 / 夜想剣
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