連載小説
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第2話 新しき出会い・前編
患者、ジン・ブレイバーが目覚めてから2日目の朝…。
山から顔を出した太陽は東寄りに傾き、それによって足元から伸びた少々縦に長い影は壁に、地面に映し出される。
その形は様々なもので、同じ形の物は早々あるものではない。
人であったり、建物であったり、あるいは店先に並ぶパンや魚であったりもする。
だが、明暗は違えど影は全て黒一色。混じり気など一切無い。
そういった影の中で、他の建物よりも数倍大きな、影とは正反対の色をした真っ白な建物があった。
建物の大きさに比例するように、数多く設置されている窓からは外の風景が映し出され、東側の窓には暖かい日の光が差し込んでいる。
その建物は“病院”と呼ばれる場所だ。
言わずもがな、病人を診察・治療する為の施設である。
病院の大きさからして、入院設備のある総合病院であろう。
ロータリーの中心には大きな樹…その樹の周りには藪が特定の間隔を空けて植えられていた。
藪から少し離れ、道を挟んだ所に広い庭が設けられていて、様々な症状を持った人達が、健常者達が歩いていた。
もちろん、その中には看護婦も居る。
松葉杖を使っている者に付き添う看護婦、杖で足元を確認しながら散歩している者に付き添う親族の者…様々である。
そんな者達の半分以上を占めるのは、人外の者…魔物娘だ。
割合にして、6:4で魔物の方が多いと思われる。
そういったように数が多い魔物娘の3人組が、玄関に居た。
種族で言えば、
少し汚れた繋を着たドワーフ。
真っ白なランニングシャツを着て、首にタオルを巻いているジャイアントアント。
ヘソ出しのピンク柄をしたTシャツを着て、青いジーンズのホットパンツと黒いニーソックスを履いたサキュバスの3人だ。
その中に1人、人間の男性がいた。
この場で見れば浮いているように見える彼は黒い髪に黒い目と純ジパング人のような風貌なのだが、その服装は無地の黒いTシャツと青いジーパンと、明らかにジパング人が身に着けるような格好では無い。
少年は太陽に正面にして大きく伸びをすると、口を開けて大きく欠伸をした。

「ふあぁ〜…ようやく退院できました。ありがとうございます、エルロスさん」

一頻り伸びをした後、彼―――ジンは自分の背後に伸びる影の先から少し離れた場所に立つサキュバス―――シェインに感謝の言葉を述べる。
その言葉に、、シェインは笑顔で答える。

「いやん、『エルロス』だなんて呼ばないで、『シェイン』って呼んで!それにいいのよ、お仕事だし、ジン君可愛いし♪」

胸の下で腕を組み、大きな胸を少々強調しながらシェインは言う。
ジンはそんな仕草をするシェインを、特に胸から目を反らして『そんなことですよ』と呟く。
だが彼女にとっては、その初心な所作が可愛いのだが。

「そういえば、ニーズヘッドさんとゴートレットさんが居ませんが…」

急に思い出したように、ジンはシェインの隣に居るドワーフ―――マリィに問う。
少女は『ああ、あいつらな』と自分も思い出したように話し出す。

「ロスは警備隊の仕事で、フロリスは町長としての会見とかがあるんで来れないんだと」
「へぇ…小さい体で頑張りますね、ゴートレットさん…」
「お前それ言うとフロリス怒るぜ?言ーってやろ言ってやろー」
「ちょ!?やめてくださいよ!僕はただ感心しただけで…!」
「でもぶっちゃけ、怒った時のアイツ怖いと思うか?」
「え!?…怖く、はなさそうですけど…」
「それも言ってやろー」
「子どもですか!あ、子どもか…」
「ガキじゃねぇってんだろガキ!」
「えぇ〜…子ども(に見える人)にガキって言われた…」

ジンの膝の少し上の位置までしかない身長のマリィは、全身を使って小さくない事をアピールしようとするが、どう頑張っても身長は伸びない。
子どもの背伸び程度の努力である。
それでもマリィは精一杯背伸びをしようと頑張っている。

「テメェ今度ガキ扱いしやがったら愛用のハンマーそのドタマにぶちあてっからな!」
「さらっと処刑宣告!?」

悲鳴にも聞こえるツッコミがロータリーに響く。
その声を聞きはしても、気にする人はどこにも居なかった。
ただ、見兼ねたのか、更に隣に居るジャイアントアント―――レイルが二人の間に割って入る。

「まぁまぁ、こんな所で言い合っててもしょうがないんだし、移動しようよ!」


「ジン君の新しい家に!」


 * * *

ジンが目を覚ましてからの2日間、ロス、フロリス、レイル、マリィ、シェインの5人は訪れる時刻は違くとも、決まってジンの居る病室に足を運んでいた。
お土産や世間話など、暇を潰す為の遊び道具などを持ち寄って集まっては楽しく遊んだ。
実の所、ジンは記憶喪失以外にどこも不調は無い。
一応精神科の医師に見せたが、それも1日で終わって生活に支障は無いと診断された。
だが、フロリスは大事を取って2日ほど入院生活を送らせたのだ。
その時にジンは気付いたのだが、入院費用は全てフロリスが賄っていたらしい。
加えて退院後に着る服も買って来てくれたというのだから、フロリスには頭が上がらない。
今ジンが着ている服が、ソレだ。
ジンが何を着たいのか分からなかったので、無難なものにしたとの事。
フロリスが本当に渡したかった服が『FUCK☆ME COME ON LOLITA』と大きく書かれたピンク色のシャツだというのは、ここだけのヒミツだ。
入院中に冊子の中の書類に目を通し、自分の書くべき所を書いてフロリスに提出したジンは、部屋のカタログに目を通した。
そこは集合住宅というヤツで、一軒の家屋に数人の人が住む事が出来ると言うものだ。
空いている部屋は6つ程あり、どれも5〜8帖の広さで家賃は平均6万ゴールド(以下表記G)。
フロリスは『一番高い部屋で良いぞ』と言っていたが、ジンはさすがに『それは悪いし、その部屋で過ごす自分としても落ちつかない』ということで、一番易い部屋を希望した。
本人が望むのであれば、とフロリスもそれ以上は言わず、その希望を見送った。
ジンが選んだ部屋は少々狭いが、日当たりの良い、家賃が1ヶ月4万Gの部屋だ。
何故か防音機能も備わっていたのだが、その理由についてジンは気にしなかった。
とにかく、無事に退院した本日、実際にその目で部屋を決めるべくジン達は現地へと赴くのであった。

「ここが“ゆめじ荘”かぁ…」

この時代の地域の一般家屋は、大体が煉瓦で造られている。
何故なのかと問われると理由に困るが、恐らくは文化によるものであろう。
だが、彼等の目の前にある“ゆめじ荘”は完全な木造住宅であった。
住宅街の一角にポツンと雰囲気の違う建っているこの住宅は、他の建物とは一線を画すほどに際立って見える。
そして特徴的なのは、周りの家屋は1階までしかないのに対し、この住宅は2階建てという点。
この地域の家屋は一軒一軒の敷地が広い為、2階を建てない代わりに1階が広くなっているのだ。
だがこの建物は他の建物と同じくらい広い敷地を有していて、さらに2階建てなのだ。
集合住宅だから、なのだろうか。
この家を建てた者は、結構なお金持ちなようだ。

「大きいですねぇ…」

ジンは率直な感想を零す。
大きさは先程説明した通りで、確かに周りの建物と比べると異様に大きい。
歩きながら色々な建物を見てきたが、住居でここまで大きな建物は余りなかった。
ここに自分が住むのかと考えると、なんだか自分が場違いな人間なのではないかと思えてしまう。
そんな事を考えていると、突然“ゆめじ荘”の正面玄関が開かれた。
誰だろう、とその玄関を見てみると、そこに居たのは淡い青色の生地に、赤い華を象った着物を着た美女であった。
だが、どこかおかしい。

「ああっ!もう来てはるやないか!」

驚いた声で叫ぶ美女は、足早にこちらへと近寄ってくる。
少し遠くからでは見えなかったが、近くに来てからようやく違和感の正体を掴む事が出来た。
彼女の頭に、狐のような耳が生えていたのだ。
腰辺りからは、1本の尻尾も見えている。これもまた、狐のようだ。
もうジンは驚かない。この人は、魔物娘だと瞬時に理解した。
女性は金色の、腰まで届く長い髪に、碧眼を有している。

「すみません門でお出迎えするはずが着物を着なおしていたさかい遅れましたわ!」

女性は捲くし立てるように言うと、頭をペコリと下げた。
それと同時に、長い金色の髪が揺らぐ。

「い、いえ、別にお出迎えなんてそんな…」
「そうはいきまへん!せっかく男が住むて言うてはるのに案内も出来んで大家はんなど勤まりまへん!!」
(男ってそんなに重要なんだ…?)

ジンは魔物娘については色々とロスから教えてもらったが、理解はイマイチなようだ。
とりあえず『えっちな事が好き』と教えられたが…。

「えっと、ところでどちらさまで…?」

ジンは少々困惑しながらも女性に問う。
先程本人で言っていたので『大家さん』というのは分かったのだが…。

「ああっ、自己紹介もせずに…申し送れました、うちは稲荷のナギ・ヴィクセン言う者どす。ここの大家をやらせてもろうとります。よろしゅうに」
「えっと、僕はジン・ブレイバーと言う者です。ニーズヘッドさんの紹介で来ました」
「あれまぁ、話で聞いた通り、ええ男どすなぁ」
「いえ、そんな事は…」
「ご謙遜なさってまぁ…益々可愛らしょうおすなぁ」
「は、は、ははは…」

褒められているのだが、何故だかこそばゆい感じがしたジンは、苦笑いで応える。

「でしょー?きっとアッチの方でも良い男だと思うのよねー」

ジンの隣に居るシェインが、ナギに同調する。
『アッチってどっち?』
そんな事を考える彼には、まだ魔物娘達の言いまわしが分かり切っていないようだ。

「もう、シェインはんも、こないなええ男知っとるんやったらもう少し早く教えてくれても良かったんに〜」
「ごめんなさいね〜、独り締めしたくて〜」
「あららら!そないな事言うてはりますと、家賃高くなりますえ?」
「やだ、冗談よ〜」

キャハハと女性2人の笑い声が通りに響く。
以前シェインが言っていた、『私もここに住んでいる』という話は間違いなさそうだ。
…疑っていたわけでは無いが…。

「あの、その喋り方は一体…?」

2人の会話の中に入るのは少し悪いと思いながら、ジンは話の合間を縫って思い切って質問してみる。
ナギは、すぐに反応してくれた。

「ああ、ウチはジパング出身なんどす。この話し方はウチのいた地方の訛りどすえ」
「へぇ、不思議な…いえ、独特な喋り方をするんですね」
「ふふふ…変でっしゃろ?」
「いっ、いえ!そんな事は…!」
「ええんどす。この大陸に移り住んでから、初めて会う方にはよく言われるさかい」

口に手を当てて口元を隠しながら、ナギは笑う。
それがおしとやかに見え、ナギが更に美しく感じられる。
その姿に、ジンは少し見惚れた。
今まで病院にて様々な魔物娘に出会ったが、こういったタイプの初めてである。

「あれ、ジン君鼻の下伸びてるよ?」
「!? のっ、伸びてませんよ!?」
「えぇ〜、その慌て様…あやし〜い」

シェインの隣に居るレイルが、ジンの顔を覗き込みながらジト目で睨みつける。
別にやましい気持ちで見ていたわけでは無いが、レイルの誤解が含まれた誤解を説こうと慌てて否定した為に、返って怪しまれてしまったようだ。
ジンは不名誉な誤解、そして初対面であるナギの自分に対する印象が悪くなってはならないと、口だけではなく手を使ったジェスチャーを加えて否定する。
だが否定すればするほどに、その否定は肯定に聞こえてくるから不思議なものだ。

「そっか…色目、使ってたんだ…」
「違いますよ!そりゃ、ヴィクセンさんは綺麗で見惚れますよ?でもそんな厭らしい目でなんて…」
「じゃあ認めるんだ!?視姦してたの認めるんだね!?」
「しかっ…!?してません!絶対絶対してません!」
「ジンはん、ウチ、魅力ないん?魔物娘のウチにとってはショックどすなぁ…」
「いや、あの、ヴィクセンさんは確かに魅力がありますが…」
「認めたね!?認めたよね今!?」
「認めていませんよ!?」
「やっぱ魅力ないんか…ウチ…」
「えぇ!?ちょっ…うおおお!?僕はどうすれば!?」

レイルとナギの板挟みに、とうとうジンは頭を抱えて悶絶してしまった。
詰め寄ってくるレイルと目に涙の膜を張るナギ。
どちらを肯定しても片方が異を唱える。
あちらを立てればこちらが立たずという状況に初めて出くわしたジンは、どうにか丸く収める方法を模索するが、良い案などすぐには浮かばない。
すると、不意にマリィが話に割り込んできた。

「オラ、こんなトコで油売ってねぇで中に入ろうぜ。体が冷えちまう」

繋の袖の上から自分の腕を擦りながら、マリィは屋内に入る事を提案してきた。
どうやら肌寒いらしい。
いくら外見に反してオッサンのような口調で、それも成体であるとは言っても、さすがに幼女にとっては少々堪えるものがあるようだ。
そんな彼女の意見を拒否するものは居なかった。

「そうどすなぁ。ほな、茶でも飲みながらお話でもしまひょ」

目に涙を浮かべていたナギはケロッと顔を変え、今度は笑顔を浮かべる。
その急な変化にジンは『え?』と途惑うが、顔に出すだけで口にはしなかった。
その驚いた表情を見て、ナギはクスクスと笑う。

(あれ、僕ってもしかしてからかわれてた…?)
「さ、食堂に案内しますさかい。ジンはんも着いて来とくれやす。あ、あと、別に苗字で呼ばんでもええよ?ナギで構へんえ」
「え?ああ、はい」

自分の考えを纏めるよりも早く、ナギに話し掛けられたジンは慌てて返事をした。
彼に背を向けて“ゆめじ荘”へと歩き出したナギの背をジンは追う。
その更に後ろを、レイル達が着いて来る。
敷地の入口から入って5,6m程の距離を歩き、ナギ、ジン、レイル、マリィ、シェインの順に中へと入る。
最後尾を歩くシェインが荘の中に入ると同時に、彼女の手と、彼女の腰辺りに生えている尻尾でノブを掴み、両開きの押戸を閉めた。
もうこの場に居るのは、周りに居る通行人のみ。
だが一人分の影が“ゆめじ荘”の玄関へと歩み寄ってきた―――。

 * * *

「ここが食堂どす」
「やっぱり、広いなぁ…」

ナギの説明と目の前に広がる光景に、ジンは呟く。
彼の視界に入っているのは、“食堂”。
和風の玄関で靴を脱ぎ、木造の廊下を渡って2階に続く階段を通りすぎて食堂に着いた。
だが食堂は何故か洋風だ。
中央には縦長のテーブルが置かれていて、そのテーブルを囲むように背凭れがついている7つの椅子が並んでいる。
ジンはてっきり床に座って食べるものだとばかり思っていた。
気になったので、大家をしているというナギに聞いてみると、『ここの住人は全員大陸出身だから、ジパングのような形式だと食べづらいだろうから』という理由なのだそうだ。
とにかく、椅子の数から察するに、現在の入居者は7人ということになる。
食堂の奥に見える暗い部屋には、5つの椅子があったが…こちらはスペアか、来客用だろう。

「大抵はムースっちゅー方が作ってくれはりますけど、別に料理当番とかは決まっとらんで、別の方が作る事もありますえ。けど、ムースはんが作る料理はそこいらの料理人よりも美味いんで、期待してもええよ」
「へ〜、楽しみですね」
「今は散歩に出掛けてて会えんけど、もう少ししたら帰って来る思うんで、挨拶はその時に」
「分かりました」

ジンは期待に胸を膨らませかけるが、その御飯を自分が食べられるかどうかの不安が過る。
確かに自分はここで暮らす事になるのだが、新参者の自分にそれを食べる権利があるのだろうか?
なんだか悪い気がする…。
フロリスとロスから、ここに住む人達は優しいからすぐに馴染めると言われたが、まだ会った事の無い自分からすれば不安な事。
考え過ぎであれば、それはそれで良いのだが…。

「風呂場は一階の奥に 混 浴 の露店風呂がありますさかい、使こうとくれやす。街中であまり良い景色とは言えんけど、星空は格別どす。今からそこに行きますえ」
「はい(なんで今混浴を強調したんだろ…?)」
「それじゃ、着いて来とくれやす」

そういうと、ナギは再びジンに背を向けて歩を進める。
もちろん、その後をジンは着いて歩く。他の3人もだ。
食堂を出て、右折して真っ直ぐに進んで行くと、そこに露店風呂があった。
入口には黒い暖簾に大きく白い文字で『ゆ』と書かれており、誰が見ても分かるようになっている。

「中は…フフフ、入ってからのお楽しみどす」
「はぁ…(なんだ今の『フフフ』って…)」

先程からヤケに気に掛かることを言うナギだが、その顔はどこか満足げだ。
…なんだか、怪しさが増してきた気がする。
まぁさすがにひどい事にはならないと思うが…。

「次はお手洗いどすな。一階と二階に男女両用のお座敷型が1つずつありますえ。別に男性と女性で区別しとるわけと違いますさかい、どこのお手洗いを使こうても構へんえ。目印としては、『WC』の文字のある扉どす。これは別に案内せんでもええでっしゃろ」
「そうですね。大体の位置を教えてもらえれば」
「分かりましたわ。ほな次は…うん、いよいよジンはんのお部屋どすね」
「おっ、いよいよか。待ちくたびれたぜ」
「ねぇねぇ、ジン君て何号室?お姉さん207号室なんだけど…」
「僕は204号室です」
「ああっ惜しい…。ジン君、部屋変えない?私の隣り空いてるんだけど」
「シェインはん、やめときぃや。ジンはんが困るようなこと言わんとき。それにあんさんの両隣は既に埋まっとりまっしゃろ?」
「やだ、冗談よ〜。ジン君、困った事があったら207まで来てね?」
「はは…分かりました。その時は窺わせてもらいますね」

ジンは口元を少し上げて笑う。
他愛ない遣り取りだったが、ジンにとっては少しばかり可笑しかった。
シェインを窘めたナギは、2階へと続く階段へと歩き始める。
その後を着いていく間でも、隣り合い平行に移動しながらシェインとジンの会話は続いた。

「シェインさんって今何歳なんですか?」
「あ、それ聞いちゃうんだ?いいのかなー、女の人に、しかも魔物の私にそう言う事聞いちゃうんだー?」
「え?あっ!あぁ…その…」
「うふふ…冗談よ。そうねぇ…人間で言えば23歳ね」
「? 人間で言えばって…どういうことですか?」
「あら、ロスから聞かなかった?」
「はい…何の事だか…」
「そうだったの?魔物は人間よりも寿命が長いのよ。ある事をすれば、人間も魔物並に長生き出来る方法があるけど…その話はまだ、ジン君には早いかもね?」
「はぁ…」
「安心して、近いうちに教えてあげるから。近いうちに…ね♪」

シェインは何かを思わせるような笑みを浮かべる。
もちろん、ジンにはその意図など分からない。
すると、ジンの真後ろに着いて歩くレイルが、ジンの左肩にポンと手を置く。
なんだろう、とジンが後ろを振り向くと、すぐ傍にレイルの顔があった。
ジンが驚きの声を出すよりも早く、レイルが彼に話し掛ける。

「ジン君、約束忘れてないよね?」
「約束?…『なんでも』の話ですか?」
「そう、それ」
「もちろん覚えてますよ?」
「そ、なら良いの」
「はぁ…」

満足そうな顔をして、レイルはジンの肩から離れる。
ジンとしては、またしてもワケが分からなかった。
少し困った表情をしていると、今度は自分の足元にマリィが寄って来た。

「おうおう、両手に花じゃねぇか、ジン君よ」
「ち、違うと思いますが…」
「オメェからすればそうだろうが、コッチからすりゃまさにソレよ」

ニヤニヤしながら、マリィは肘でジンの足を小突く。
その身長ゆえ、小突かれたのは脛付近。何気に痛い。
そうこうしている間に、階段前へと辿りついた。
少々年季が入っている目の前の階段は、4人が横に並んで歩けるほどの広さだ。
階段がヤケに明るい…天窓でもついているのだろう。
太陽の光に照らされた階段を、ナギが上がる。

「2階からでは海が見えますわ。テラスもあるさかい、見に行くとええよ」
「へぇ、テラスもあるんですか」
「えぇ。そこではたまにバーベキューもしなはります。海を見ながら肉を焼いて食うのも乙どす」

階段を上りきったナギは、左右に分かれている道を左に曲る。
その廊下はなにやらテカテカと光っている。
ニスか漆でも塗られているのだろう。
床から少し視線を上げれば、壁の右側に洋風と和風のドアが一定の間隔を空けて備え付けられていた。
部屋ごとに和か洋か分かれ、どちらかを選べるようになっていると思われる。
ちなみに、ジンが選んだのは“洋”の方だ。
次に廊下の奥に眼をやると、ベランダのようなものが見える。
恐らく、あれがテラスだろう。

「さ、着きましたえ」

廊下を眺めながらどのようなものか調べていたジンは、ナギの声でハッと振り向く。
ジンがナギの視線に目を向けてみると、そこには部屋に入るためのドアがあった。
この先が、これから己が住む場所…。

「中は掃除してありますさかい、安心して最初から寛げますわ」
「そ、そこまでしてくださったんですか!?あ、ありがとうございます…」
「ええのええの。これくらいお易い御用どす」

再びナギはフフフと口元に手を当てて軽く笑う。
しかし、こうも世話になりっぱなしとは…今度、何か礼をしなければ…。

「さ、入りまひょか」

ナギが、ジンの部屋のドアノブに手を掛ける。
そして緩やかにノブを捻り、ドアをゆっくりと押して開いた。
その先に広がったのは―――。

「おぉ〜…」

部屋を見て、一番最初に声を漏らしたのはジン本人。
彼の視界へと一番最初に飛び込んで来たのは、テカテカと良い意味での鈍い輝きを放つフローリングの床。
その左側の脇に目を通すと、銀色で新品同然のキッチン。
その更に奥には、開けた空間が広がっているのが分かる。
一階の食堂と比べると狭いが、少なくとも生活するには何一つ困らない広さのようだ。
まぁ、生活する為の部屋なのだから当たり前か。
ジンは1歩1歩前へと進んで、部屋の中を確認してみる。
部屋の奥に足を踏み入れ、玄関で見た広い空間へと出ると、両開きの茶色い木製の戸が、既に外へと向けて開け放されていた
位置で言えば、正面の壁にジンの腰の高さと同じぐらいの位置に設計されている。
もちろん、ガラスは無いので筒抜けだ。
窓が空いているのは…換気をしてくれていたためなのかもしれない。
ただ、少し寒い風が吹いてくるので肌寒さは否めなかった。
それでも窓からは心地良い日差しが差し込み、寒さを和らげさせてくれる。
家具は…どこにも見当たらない。
自己出費ということなのだろう。
そこはジンも確認した通りなので問題は無い。
少々物寂しい印象を受ける部屋だが、これから家具を入れるのだから何ら問題は無い。
ジンは部屋を一瞥し、少し感傷に浸る。
『ここが、これから自分が住む場所…』

「お気に召しなはりましたか?ジンはん」
「はい、とても気に入りました」

ジンは窓から外を眺めながらナギの質問に答える。
彼の真後ろに居るナギの居る所からではジンの顔が見えないが、きっと満足そうに顔を綻ばせているのだろう。
ここから見える景色は、綺麗な町並みと、その奥にある青い海と白い雲。
今は寒いので泳ぐ者は居ないが、季節が来れば海水浴をしに観光客などが沢山集まるスポットの1つとして数えられる。
夕方になれば沈む太陽を見る事も出来、ムードを求めて訪れる客もいるのだとか。
この部屋からなら、その夕日を一望することが出来る。
なかなか良い部屋を選んだもんどすなぁ―――それが、ナギが抱いた最初の感想だった。

「おいジン!おれにも見せろよ!」

ピョンピョンとジンの足元で跳ねながら、マリィが窓の外を覗こうとしている。
だが悲しいかな、身長がジンの膝より少し高いくらいまでしかないマリィは、腕を伸ばしてジャンプしても窓の淵には手が届かなかった。
だから、ジンに見せろとせがんでいるのだろう。

「はい、良いですよ…っと」

窓から視線を外し、ジンはマリィの両脇に手を差し込んで、ヒョイッと持ち上げた。
見た目通りの体重ゆえ、ジンは余計な力を入れずに、マリィを目的の窓際まで運ぶ。
窓から外の景色を眺める事の出来たマリィは、『おぉ〜』と、感嘆として受け取れる声を出す。

「なんだコレ!良い眺めじゃねぇか!おめぇこんなトコに住むのかよ!?」
「えぇ、まぁ…一応、その予定でここまで来たわけですし…」
「うっは〜…羨ましいじゃねぇかドチクショ〜!」

マリィはジンの手から離れ、窓際にその小さな足で立つ。
そして悔しそうな声を出しつつ、すぐ傍にあるジンの顔を左手で押さえ、右手で作った拳を彼の頭にグリグリと押し付けた。
だが、その行動とは裏腹に、少女の顔は笑顔である。
まるで友達同士で交わす遣り取りのように。

「どれどれ〜?」

ジンの後ろから、レイルが身を乗り出す。
もちろん、窓はそれほど広くは無いので、必然的にジンの後から見ると言う事になる。
しかも、“身を乗り出して”見ているのだ。
今のレイルの顔は、ジンのすぐ隣ということになる。
ジンがすぐ横を向けば、触れてしまいそうなぐらい近くに。

「ちょっ、レイルさん!?」
「お〜、ホントに良い眺めだね〜」
「いや、あの、ちょっと…」

『顔が近いし、胸が背中に当たってますよ』とジンは言いたかったが、また何か言われそうなので憚れた。
なんで魔物娘の方々はこういったコミュニケーションの取り方が多いのだろうかと思ったが、人間の常識で魔物娘を測ろうと言うのも浅はかである。
これから始まる生活の中であるだろう魔物娘とのコミュニケーションも、こういった事が多いと言う事を念頭においていた方が良いのかもしれない。
それとも、レイル等が特別か…それはまだ、ジンの中では測り兼ねる事である。

「ほらほら、レイルはんも離れんさい。マリィちゃんも、そこから降りんと。落ちても知りまへんえ」
「『ちゃん』着けんな」
「は〜い」

ナギによる戒めの言葉に、マリィは窓からピョンと飛び降りる。
それと同時に、ジンに圧し掛かっているレイルも、彼の背中から離れた。
こういうのを鶴の一声と言うのだろう。
解放されたジンは、視線を窓の外から離し、部屋の中に居るナギへと向ける。

「本当に、この部屋を僕が使っても良いんでしょうか。なんだか悪い気が…」
「何を仰りますのん。ジンはんが選んだ部屋でっしゃろ?」
「それはそうなんですけど…」
「こういうのは早い者勝ちどす。気にする事ありまへん」

ハッキリとした口調で、ナギは言う。
まぁ確かにその通りなのだが。

「ほな、次は使われて無い部屋からジンはんの気に入った家具を運びまひょ」
「え、いいんですか?」
「ええんどす。そのまま使われて無い部屋に置いておくのも宝の持ち腐れどすし。ジンはんも、その方が家具代も浮きまっしゃろ?」

ナギは悪戯っぽくジンに聞く。
本人としても、今持っているお金はフロリスから貰ったモノのみであるため、節約するに越した事は無い。
なんだか至れり尽せりで悪い気がするが…ここは素直になっておこう。

「…すみません…ありがとうございます、ナギさん」
「ふふ、よく謝るお人どすなぁ」

ナギは、また口元に手を当てて少し笑う。
言われてみれば、目が覚めてからと言うもの、誰かに謝ったりお礼を言ったりする事が多い気がする。
色んな人にお世話になっているのだから当たり前なのだが、なんだか情けないような感じも否めない。
その事でもジンはまた謝りそうになったが、また謝っては意味が無いと思い返し、口を噤む。
この感謝の気持ちは…恩は、いつか必ず返そう。
今の自分では返しきれないが…それが、自分の周りに居る者達に対する恩返しである。

「ほな、着いて来とくれやす」

ナギはジン達に背を向け、廊下へと歩き始めた。
これから、その誰も使われていないという部屋へ家具の品定めに行くのだろう。
腰辺りから生えている金色の尻尾をフリフリと揺らしながら、ナギは部屋を出た。
遅れてはならないと、ジンは正面を歩くナギの背を追う。
が、4,5歩ほど進んでから、彼はふと足を止めた。
『そういえば、窓空けっぱなしだ』
彼の脳裏に、先程まで見ていた外の景色と窓が浮かぶ。
一時的に部屋を離れるとは言え、開けっ放しと言うのも無用心だ。
換気も十分した事だろうし、もう閉じても構わないだろう。
ジンは踵を返し、窓へと向かう。
レイル、シェイン、マリィの順にナギを追って行く中、ジンだけが逆方向へと進んだ。
そのジンを見て『なんだろう』と3人が彼を目で追うと、ジンは窓の前で止まる。
外へと開かれた窓を閉める為、ジンは窓から少し身体を外へと乗り出した。

「よっと…うん?」

外の窓の取っ手に手が届いたのは良いが、その取っ手を掴んだ所でジンは止まってしまった。
彼の視線は、少しばかり遠くの空へと向けられている。
気になったシェインが、ジンの背中へと話かける。

「どうしたの?」
「いえ、なにかが宙に…」

そう呟く彼の視線は、未だに宙へと向けられている。
ジンは、目を凝らしてその“何か”を見てみた。
するとどうだろうか、何やら、白いフワフワとした物体が1つ、空を漂っているではないか。

(…なんだろう、あれ…)

気になったジンはもっとよく見ようと目を凝らす。
その白い物体は風に煽られ、あちらへと、こちらへとフワフワと移動し続ける。
なんのことはない、一見すると少々大きな綿か何かが宙を漂っているだけにしか見えない。
…筈、なのだが…心なしか、子どもの笑い声が風に乗って、風とともにやってきたような気もする。
いや、さすがに子どもの声が聞こえる筈はないか…。
試しにジンは下を見てみると、そこは“ゆめじ荘”の緑の芝の茂る庭が広がっていた。
その場所に、子どもの姿は無い。
やはり、子どもの声がしたというのは気のせいか…。
そう一段着けたジンは、窓を閉めようと手に力を込める。
だがその瞬間、今までよりも少々強めの風が部屋の中へと突入して来た。
その風に乗って、例の少々大きな綿がこちらへと向かって飛んで来ている。
ジンは窓の取っ手から手を離し、その綿を部屋に迎え入れた。
綿はそのまま風に乗って部屋の中をへと舞い上がり、天井にポンッと軽くぶつかる。
ぶつかるのと、風が止むのは、ほぼ同時だった。
風と言う支えを失った綿は、重力に従い、フヨフヨとジンのすぐ傍に降りて来る。
ジンは、両手を御椀のようにして広げ、その綿を受けとめる。
先程は遠巻きでしか見れなかったが…こうやってみると、中々に大きい。
大きさは…ざっと、目測で20cmくらいだろうか?
綿は、普通軽いものだ。
だがこの綿は見た目より少しばかり重い。
少なくとも、風に乗れない程重くは無いだろうが…。
この綿は、一体…?
なんとなく、ただの綿では無いだろうなとジンが勘繰っていると、綿が少しモソッと動いた。
…気がした。
風にでも揺られたのだろう…。

「やっほ!」
「うわああああ!!?」

綿が、突然喋った。
それも喋っただけではない。
綿に下半身のみを隠し、小さな女の子が笑顔でヒョコッと飛び出したのだ。
驚いたジンは、動作の反動でぽーんと両手に納まっている綿を上へと投げる。

「わー」

そんな暢気な声を出しながら、喋る綿は宙を舞った。
だが、風は無い。
真上へと飛んだ綿は、自然と降り、再びジンの元へと戻る。
ただ、今度はジンの掌ではなく、ジンの足元へ。

「な、ななななんですか!?なんですかこの子!?」

驚きを隠せないジンは、誰に聞こうと言うでもなく、叫ぶ。
今まで見てきた経験からして魔物娘だろうが、ここまで小さな魔物娘を見たのは初めてだ。
おまけに突然の出現も相俟って、今のジンの心臓はバクバクと激しく動いている。
彼の叫びを聞き、ただ事では無いと感じ取ったシェインは、足早にジンの元へと駆け寄った。
そしてジンの足元に目をやると…。

「あら、ポムちゃんじゃない」
「あ〜、シェイン姉ちゃんだ〜」

なんだ、とでも言うように溜息をシェインは吐くと、綿から出た少女―――ポムに挨拶を送る。
挨拶を受け取り、ポムと呼ばれる少女も、挨拶で返す。
一方の驚いたままのジンはと言うと、『え、知り合いですか?』と言わんばかりに、ポムとシェインを交互に見やる。
その視線に気付いたシェインは、ああ、と声を出してジンに説明を始める。

「この子はあなたの隣に住んでいる子なの。ケセランパサランていう種族の子よ」
「え、そうなんですか!?」
「うぅ〜?」

『なんだろう』と言うように、ポムは小首を傾げながらジンをジッと見つめる。
自分の身長より数倍の差があるジンを見上げながら、ポムは口を開く。

「お兄ちゃん、だれ〜?」
「え?あ、僕はジン・ブレイバーという者です。えっと、ここに住む事になったので、よろしくお願いしますね」

ジンは律儀にも頭を下げ、挨拶をする。
その自己紹介を聞いて、ポムは不思議そうな顔から笑顔へと変え、こちらは少し大袈裟に頭を下げる。

「わたしね!ポム!」
「ポムちゃん…ですか」
「うん!よろしくね〜!」

ニコッとした笑顔で、ポムはジンに手を振る。
すると、気になりだしたのかレイルとマリィもジン、もといポムの元へと集まってきた。

「あ、ポムちゃんじゃん。久し振り〜」
「おう、ポムか。おはようさん」
「あ!レイル姉ちゃんにマリィちゃん!」
「そこはおれにも『姉ちゃん』を付けろよ!」

またしても『ちゃん』付けで呼ばれた。
その事に対してマリィは再び叫ぶが、その叫びの直後に、部屋の外から聞きなれた独特な声が口調が聞こえてくる。

『ジンはーん?どないしはったんどすかー?』

ナギだ。
そういえば、ナギは先行して行ってしまったのをすっかり忘れていた。
誰も着いて来ないのが気になったのだろう、ナギは少しばかり声を大きくしてジンの名を呼ぶ。

「おっと、僕達も行かなきゃ」

思い出したようにジンは言うと、部屋を後にすべく部屋の出入り口へと振り返る。
だが、なにかが右足の脹脛にしがみ付いて来た。
頭に疑問符を浮かべたまま、ジンはそのしがみ付かれているような感覚のある右足へと視線を向ける。
そこにいたのは、全身を使って足のズボンにしがみ付いているポムがいた。

「わたしも行くー!」
「え、えぇ?」

『別に来ても何も無いんだけどなぁ〜』とは思いつつも、断る理由も無い。
本人が行きたいと言っているのだから、連れて行ってあげよう。
ジンは『いいよ』と一言付け加え、右掌を上にして足にしがみ付くポムの前へと差し出す。
ポムは即座に『乗っても良いよ』という答えに達し、右足から離れてジンの右手へと飛び移る。
乗ったことを確認したジンは、そのまま右手を胸元まで持ってきて、歩き始める。

「おぉ〜」

高い位置から見える一風変わった景色に、ポムは感心の声を出す。
ジンは部屋から出ると辺りを見まわしてみる。
だが、どこにも目的の者が見当たらない。
ナギがどこにも居ないのだ。
『あれ、どこいったんだろう』とくまなく探してみるが、やはり見当たらない。
すると、ジンの肩をトントンと叩きながら、レイルが彼に催促する。

「ナギさんなら一階に行ったみたいだよ」
「あ、そうなんですか。ありがとうございます」

ジンは一言お礼を言うと、一階へ降りるために階段へと足を進める。
その後を、レイル、マリィ、シェインが続く。
廊下を少し歩き、階段の手前まで来たジンは、ふと手の上に座るポムに視線を移してみた。

「ねぇ、ポムちゃんってどんな魔物なの?」
「んー?」

単純な好奇心からか、ジンはそんなことを聞いてみる。
こんなに小さな身体を持つ魔物なのだ、きっと何かがあるとジンは思ったのだろう。
ポムはジンを見上げながら、『うーんとね』と唸る。
そして何かを思いついたのか、再び笑顔で答えた。

「えっとね、人を幸せに出来るよ!」
「…へ?」

聞いておいてなんだが、なんて突拍子も無い事を言うのだろうと、ジンは思う。
『幸せに出来る』…それは大変素晴らしい事なのだが、些か抽象的で分かりづらい。
納得がいかないような顔をジンはするが、ポムは言葉を続ける。

「うん!えっとね、こんな感じ!」

ポムはそういうと、下半身を包む綿に両手を突っ込む。
そして綿から手を取り出してみると、その手の中には、綿…いや、もはや毛玉といっても良いような、白く小さいものがあった。
ポムは小さな両手の中に納まっている毛玉のようなものを、ジンの顔に向かってフワッと投げた。

「?」

なんの行為なのか、ジンにはよく分からない。
だがその瞬間、ジンの中に、新しい感覚が襲いはじめた。

(!? なん、だ…? 身体が…フワフワして…)

突然の感覚にジンは途惑うが、不思議と悪いような感覚は無かった。
むしろ、味わっていたいとさえ思える…そんな感覚が、ジンの頭の中を支配し始める。
これが、ケセランパサランの力か…。
そう理解した頃には、ジンの頭はもうフラフラと揺れていた。

「お、おい、大丈夫か?」

心配してきたのか、マリィがジンに向かって話し掛ける。
先頭を歩く者が、頭をフラフラさせながら階段を降りるのを見ていれば、誰だって心配するものだ。
ジンは声の聞こえた方向を見て、『大丈夫』と言う事をアピールすべく振り向こうとする。
だが、この瞬間が不味かった。
ジンは、振り向こうとした瞬間にバランスを崩してしまったのだ。
下ろそうとした左足を、踏み外したのだ。

「―――!!?」

途端に、ジンは酔いから覚めた。
だが、もう遅い。
ジンの身体は、もう下降しはじめている。
彼の手の中に納まっていたポムは、またしても上へと放り出された。

「あぶ―――!?」

彼の真後ろに居たレイルは、咄嗟に右手を伸ばす。
ジンの身体のドコかを掴めば、転倒は免れる。
だが、レイルの右手は虚しく空を切った。
当の本人であるジンはもちろん、レイル、マリィ、シェインに戦慄が走った。
今ジン達が居るのは、階段の半ば。
一階の床との距離はざっと2m弱か。
打ち所を違えれば、重症は避けられない。

(やばい―――!)

ジンは痛みを覚悟し、目を瞑る。
せめて頭は守ろうと、ジンは咄嗟に頭を両手で覆う。
―――だが、彼が最初に感じたものは、痛みなどではなかった。

 ぽにゅん

柔らかい何かが、頭に当たった。
最初に感じたのは、その感触。
次に、浮遊感からの解放。
身体にズシッとした重みが加わり、床にぶつかった衝撃が彼の身体全体を覆う。
ただ、それだけ。それだけだった。
階段から落ちたと言うのに、身体に痛みが感じられない。
別に麻痺しているわけでは無いが…本当に、痛くないのだ。
むしろ、柔らかい何かの上に落ちたような感覚。

「うぅ…い、いったい何が…?」

ジンは先程のフワフワした感覚の余韻を消し去るように、頭をブンブンと振る。
柔らかい何かの上に寝そべっている状態の彼は、床に手をつこうと右手を動かす。
だが―――。

 むにゅん

また、柔らかい感覚がした。
右手全体に、柔らかい何かがあるのが分かる。
丸い、何かが―――。

「―――え?」

今度こそ意識を覚醒させたジンは、自分が今どんな状況下に居るのかを把握した。
完結に説明すると…。

女性に馬乗りの状態。
その状態で女性の胸を右手で揉んでいる。

そんな状態であった。

「―――」

今ジンに馬乗りにされている女性は、見る見るうちに赤くなり、ワナワナと震え始める。
ジンに再び戦慄が走った。
この状況は、ヤバイ。

(と、とりあえず上からどかないと…)

そう思ったジンは身体を動かす。
しかし、この時ジンは失敗した。
あろうことか、右手に力を入れてしまったのだ。
ジンの右手に、再び柔らかい感触が伝わる。
その瞬間―――。

「きゃあああああああああああああああああ!!?」

黄色い悲鳴と共に、ジンの側頭部に猛烈な痛みが迸る。
その痛みと衝撃とともに、ジンは軽く宙を走り、廊下を滑った。
最後はゴロゴロと転がり、やがて静止する。

「うごっ…!?」

今度は、何が起こったのか頭で理解できなかった。
…ただ、まぁ…殴られたというのは、確かなような気がする…。
ジンは殴られた箇所を抑えつつ、今まで自分が居た位置に目をやる。
そこにいたのは、今まで見てきた中で一番胸の大きな女性。
そんな女性が、触られた胸を抑え、ハッとした顔をした途端駆け寄ってきた。
そこまで確認して、ジンの意識は深く沈んでいったのだった。
12/08/24 22:32更新 / BLITZ
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■作者メッセージ
出してみました、稲荷様!
実際やってみると、京都弁って難しい(>_<)
所々間違ってると思いますが、お許し下さいm(_ _)m
…今度、ヨーロッパの建物及び生活風景を勉強しようかなと思いった今日この頃(汗)

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