連載小説
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第1話 救いの手
無音。

 静寂。

  閑静。

暗黒。

 漆黒。

  暗闇。

気付けばそんな世界に唯一人、少年は居た。
なぜここに居るのか、そんな事は知らない。
ただ、居たのだ。


 ここは、どこ…?


声を出したのに、声が聞こえない。
ただ頭の中に声が響く。
それは山彦のように、文字だけが頭の中に。


 誰か…誰か居ないのか…?


歩く。
だが、歩いているのか?
否、進んでいるのか?
地面は、あるのか?
周りが暗くて何も見えない。
上を見ても星は無い。
足は確かに動いているのに、進んでいる感じがしない。


 なんなんだ、ここは!


叫んだ―――感覚がした。
声を張り上げようと呟こうと、ただ頭の中に響くのみ。


―――<時は来た>―――


また頭の中に声が響く。
だがこれは己のでは無い。


――――<朝が来て、昼が来て、夜が来る>――


―<夜の時こそ今この瞬間>―――――


―――――<陽は落ちた>―


――<闇の支配は世界に届く>――――


少年にはワケが分からない。
なんの事を言っているんだ?
しかし不思議なことに、自然と受け入れていた。


―――<だが忘れるな、ジン・ブレイバー>―――


…ジン…ブレイバー…?


――<一国を作り上げた瞬間から、反抗勢力と言うものは出来る>――――


――――<生きようとすれば、阻害する者が現れる>――


―――――<忘れるな、ジン・ブレイバー>―


―――<暗いから“闇”では無い>―――


 * * *

「ふぅむ…」

バサリ。
書庫のような一室で、紙束のような物が落ちる音がした。
落ちた先は、机。
落ちる前はどこにあったのだろう。
それは、少女の手の中から落ちたものだ。

「…結局、あの遺跡は落盤で無くなってしまったか…」

はぁ、と溜息を吐きながら机の上、先ほど落とした書類の上に突っ伏す。
余程ショックがあったのだろう。
何やら『重要な古代の遺産が〜』と嘆いている。
例の遺跡から出た後、少女はもっと詳しく調べる為に調査団20名を集めた。
全員、考古学者だ。
中にはこれからの勉強にと、新人考古学者も居たらしい。
遺跡から出て2日後、この少女―――バフォメットのフロリスは、考古学者のみで構成された団体をその遺跡へと送りこんだ。
安全確認は既にした。だから考古学者だけでも大丈夫だろうと、大して心配もせずに送りこんだのだった。
だが、帰ってきた報告は…。

『件の遺跡は、落盤事故によって道を閉ざされており、調査の続行は不可能』、と。

なんでも入る前から既に道は塞がれており、誰も遺跡の中に入る事が出来ずに立ち往生してしまったらしい。
重要な文化の遺産だというのに、調べられないとは…。

「残念じゃのぅ…はぁ〜…」

…しかし、落盤、か。
あの遺跡には、入って少年を保護しただけである。
落盤など、滅多な事で起きる物では無いのだ。
あとは、水晶が崩壊したくらいか。
しかしそれでも落盤が起こった理由には足らない。
一体、何が…?
そこまでフロリスは考えていると、不意にドアが叩かれた。

「誰じゃ」
『ああ、おれだ、マリィだ』

ドア越しから、聞きなれた声が耳に届いた。
あの時、一緒に調査に乗り出した魔物娘、ドワーフのマリィだ。
幼女だと言うのに男勝りな口調は相変わらずで、分かりやすい。

「なんじゃ、入れ」
『いや、誘いに来たんだがよ」

言葉の途中でマリィは入ってきた。
木で出来たドアを半分だけ開き、その間から小さな身体をヒョコッと覗かせる。

「あん時保護したガキんちょが目ェ覚ましたってよ」
「ほぉ、あの少年か」
「ああ。あんたの事だから心配してると思ってよ」
「気が効くの。ワシも丁度ヒマしとった所じゃ。早速行こうかの」

そう言ってフロリスは席を立ち、マリィの居る入口へと歩く。

「にしてもおめぇよ、よくもまぁこんなしみったれた部屋の中に居られんな。息がつまっちまうぜ」
「何を言うか、学者であるワシからすれば居心地良い事この上ないわ」
「ッカ〜!やだね〜、おれはこうならねぇように気を付けねぇと」
「…そんなにイヤか…?そう言われるとワシ、結構傷つくんじゃが…」
「おら、グダグダ言ってねぇで行こうぜ」
「言わせたのはおぬしじゃろが!」

騒がしく談笑しながら、2人は歩き出す。
一路、その少年が居る場所へと。

 * * *

「…」

歩くたびに鉄の音がする。
煉瓦の道を歩き、木の葉を踏み、少々寒い風の中を通り、やがて木で出来た床の上に立つ。
そこに居るのは女性。
デュラハンのロスだ。
彼女が今居るのは、総合病院。
細かく言えば、総合病院の入り口の手前。
病棟は木で作られており、広い庭はリハビリに使われ、池では鑑賞用の魚が泳ぐ。
そこかしこに露出度の高い看護服を着たアラクネやダークプリースト等の看護婦が患者の手を取り歩行する為のリハビリを行なっている。
ある者は車椅子で移動していたり、背負われていたりと様々だ。
…何かの拍子に乱交の場にならない事を祈ろう。患者の健康第一だ。
そんな場所に彼女が来たのにはワケがある。
以前保護した少年が目を覚ましたと、ジャイアントアントのレイルから報告を受けたのだ。
『ワナかも』と言っていた彼女だが、なんだかんだで一番少年が気になっていたようである。
そんな彼女の口から『あの男の子が目覚めた』と言っていたときは嬉しそうな表情をしていたなと思い出す。
ロスはその彼女の所へ自分も行こうとしたのである。
もちろん、少年の事が気になっていたのはロスも同じだ。

「さて…どこに居るのか…」

ロスは呟きながら病院のロータリーへと1歩踏み出す。
ここを通って病院の玄関へ行き、そして受付で場所を聞けば、すぐに辿りつくだろう。
『さて、まずは少年に何を聞こうか…』
そんな事を考えながら、ロスは玄関へと歩いて行った。

 * * *

2つの階段を上り、ロスは廊下を歩く。
受け付け嬢から聞いたところ、少年は2階の奥に居るらしい。
少年を連れてきてから3日経ち、その少年がようやく目覚めた。
病院の医師から話を聞いた限りでは植物状態にあるので三ヶ月は目覚めないとされていたのだが…。
まぁ、起きたから良いかと完結させた。

「…む?あれは…シェインか?」

ロスは病室の横にあるベンチで座る見覚えのある影に興味を持った。
そこに居たのは女性。
だが背中には紫色の、悪魔を彷彿とさせる翼。
腰の少し下辺りには先端がハートを象っている紫色の尻尾。
サキュバスだ。
スタイルはやはりサキュバスらしく、豊満なバストに、引き締まったウエスト、柔らかそうなヒップを兼ね備えていた。
擬音で言えば、『ぼんっ!キュッ!ぼんっ!』である。
そんな肢体を隠すのは、際どい薄ピンク色の看護服。
ここでも誘惑するあたり、さすがはサキュバスか。
上から覗けば胸の谷間が見え、腹部はヘソを露出させて白い肌を露にし、スカートはジャンプしただけで中が見えそうなくらいにミニだ。
だが、そんな彼女のミニスカートのお尻の部分の穴から伸びている尻尾が地面にペタリと落ちてしまっている。
膝の上に肘を乗せ、まるでリストラされたサラリーマンのように俯いていていた。
雰囲気からしてドス黒いオーラが見えそうだ。
尻尾の様子からして、相当な落ちこみ様である。
…一体、なにが?

「あ〜…シェイン?どうかしたのか?」
「ああ…ロス…」

重く低い声が彼女から発せられた。
…なにがあったのかは、聞いてはいけない気がする。

「…少年はこの部屋か?」
「……ハァ〜〜〜〜〜……」
「なんだその深い溜息は…」

早速地雷を踏んでしまったか、とロスは少々後悔するが、もう言ってしまったものは仕方が無い。
とりあえず、少年の事で何かあったと思って居た方が良いだろう。

「…この部屋よ〜…」
「あ、ああ…ありがとう…」

人差し指で自分の隣にあるスライド式ドアを指すと、再びズ〜ンと項垂れ始めた。
…いったい、何が…?
全てはきっと、このドアの奥に。
ロスは『コンコン』とドアを2回ノックして反応を見る。

『は〜い、どうぞ〜』

ノックに反応した少年の声がドア越しに聞こえてきた。
この場の雰囲気に似合わない明るい声だ。
ロスはノブを捻り、部屋の中へと入る。
そこはほぼ純白の一室があった。
白いカーテンに、白い手摺付きのベッド、ベッドの傍にある茶色のイス、白い壁、着色の施されていない茶色の床。
そんな一室に目的の人物は、ベッドの中に居た。
患者が着る用の水色の服を纏い、ベッドの上で上半身を起こしながら窓の外を眺めている最中だったようだ。
窓から差し込む陽光が少年の黒い短い髪の毛を照らし、太陽の恩恵を受けて髪の毛は鈍く反射する。
外を眺める目は黒く、それも太陽の輝きによって反射している。
最初に出会った頃と比べると、全く違う印象を受けた。
まるで、“死者”が甦ったかのような…。

「あの〜…どちらさまですか?」

少年の観察をしていて、少年の目がこちらに向いていることに気付けなかった。
ハッと我を取り戻して少年の問いに応じる。

「すまない。私はロス・ニーズヘッドと言う者だ」
「…ニーズヘッドさん、ですね。えぇと…初めまして…?」
「? ああ、初めましてだ」

軽く自己紹介を終え、ロスはベッドの近くにあったイスを引き、そこに座る。
着席と同時に、鎧同士が擦れる音が聞こえた。
さて、まずは何から聞こうかと思案していると、少年がジーッとこちらを見ているのに気付く。

「…なにか?」
「あ、いえ…もしかして騎士様ですか?」

尋ねてきた少年は少々首を傾げながら黒い眼差しを向けてきた。
そういえば、仕事の合間を縫って様子を見に来たのだった、今の格好はまんま仕事着である。

「元だがな。今はこの町の警備隊の隊長を務めている」
「え、じゃあ、警察の方ですか?」
「そうなるな。簡単に説明すれば、私は特殊急襲部隊という隊長で、犯罪者を武器でもって直接捕らえる役柄だ」

そういって腰に差してある剣をポンポンと叩く。
その剣は鞘に収まっているいるが、その鞘の傷を見れば激戦を潜り抜けてきたのだと言うことがすぐに分かる。
少年は武器をジッと見つめる。

「興味があるのか?」
「い、いえ、そういう訳では…気に障ったのなら謝ります」
「いや、別に大した事じゃない」
「そうですか…そういえば、どういったご用件でこちらに?」
「いやなに、君の様子を見に来ただけさ」
「? 僕の?」
「ああ、そうだ。君が目覚めたという報告を受けて、な」

ロスは一拍置いて、また口を開く。

「…さて、本題に入らせてもらって良いだろうか?」
「? 本題?」
「ああ。少年、『君は一体何者だ?』」

少し睨みを利かせた目でロスは率直な質問を少年に問う。
その表情に少し気圧されたのか、少年は少し身震いして、それから困ったような、悲しそうな表情を見せる。

「…分かりません…」
「なに?」
「…僕が目覚めた時は既にこのベッドの中に居て…それ以前の事は全く覚えてないんです」

そう言って少年は俯き、また悲しそうな表情を作った。
言われてみれば、先ほどの『初めまして』という言葉を疑問形にしていたのは、彼女と少年が知り合いという間柄なのか、記憶喪失故に分からなかったからだろう。
彼の重い表情からして演技ではないようだが…。

「本当に何も覚えていないのか?」
「…『ジン・ブレイバー』…」
「ん?」
「…僕の名前です。それだけは、覚えています。ただ、それだけを…」
「年齢も、どこで生まれたのかも、か?」
「…はい。自分に関すること、他人に関すること…知識以外を除く全てです」

気を紛らわせる為か、少年は俯いた顔を窓に向ける。
こんな表情を作られては、引き下がらざるを得ないではないか。
それに初対面である私に嘘を吐く理由が無い。
教会勢力の者だとしても、もっとマシな嘘を吐く筈だ。
“真実”だと受け取っても問題は無いかもしれない。
しかし真だとするならば、自分が頭の中で考えていた他の質問にも答えられないだろう。
出自を確かめる為の質問が殆どであったので、頭の中に浮かんでいた質問は全て消えてしまった。
『なぜあんな所に居たのか』『あの部屋はなんだったのか』『水晶の中に居たのは何故』…などの疑問も、答えられまい。

「そうか…心中お察しする」
「いえ、質問に答える事が出来なくて…すみません」
「気にする事では無い」

腕を組み、ふむ、と一息つける。
さて、どうしたものかと思案していると、入口の前に居た者を思い出す。

「なぁ、ちょっと聞きたいのだが…」
「はい、なんでしょうか」
「外に居る者なのだが…」

『なぜ落ちこんでいるのか知らないか』と聞くよりも速く、彼女が入ってきたドアが開かれた。
ノックも無しに入り込んできたものだから、部屋の中に居る2人は少々驚いてドアの方へと同時に振り向く。

「おう、邪魔するぜ」
「邪魔するの」

そう言ってズカズカ入り込んできたのは、小さな子ども。
ヘルメットのような帽子を被り、その上からゴーグルを掛けているという特徴的な印象を与える少女だ。
服装は薄い緑色の繋で、手には油のような何かで汚れた白い軍手をつけている。
そのすぐ後から来たのは、同じく子ども。
ただ、前を歩く少女よりは大きい。
頭からは角を生やし、背中には黒いマントを羽織り、胸部は骨のようなアクセサリーで隠すのみで、恥部も際どいパンツで隠すのみという格好をしている。
少年の第1印象は『変な子ども達』といったところだろう。
そんな前を歩く少女に対し、ロスは親しみある声で話し掛ける。

「マリィ、入る時はノックをしろ」
「あ、ワリィワリィ、忘れてた」

少女―――マリィは謝る素振りを見せるが、反省の色は薄い。

「全く…たまにはちゃんとやるようだが、ノックしてから入るというのが礼儀というものだろう」
「おいおい、今更おれに礼儀を説こうってのか?諦めろよいい加減に」
「そう言うわけにはいかん。礼儀作法と言うものは社会に出てから頻繁に使用すると何度も何度も口を酸っぱくして…」
「あ〜、はいはい気を付けますよ〜」

マリィはロスの説教を流すようにして遮り、彼女の隣へと移動する。
そこから上を見れば、見えたのはこちらを覗き込んでいる少年。

「おう、おはようさん」
「え?あ、あ…おはようございます…」
「んな堅っ苦しい言葉使わねぇで良いぜ、楽に行こうや」
「はぁ…」

『随分口達者な子どもだな…』それが呆気に取られている少年の、少女に対する第2印象。
おまけにオッサン口調だ。
ロスという女性の口から出たマリィという単語は、恐らくこの少女を表す言葉なのだろう。

「おれはマリィ・ドルワルフ。主にアクセサリーを作ってる細工人だ」
「ワシはフロリス・ゴートレット。この町の町長で、考古学者もやっておる」
「は?え?…細工人?町長?そして考古学者?その歳で?まさかね…」
「あん?なんだよ文句あっか」
「文句も何も…君達、子どもでしょう?」

パチクリ。
マリィとフロリスの目がパチパチと瞬く。

「は?」
「お父さんやお母さんは?逸れたのかな?」
「ちょ、おい待て…」
「あ、もしかしてニーズヘッドさんの妹さん達…にしては似てないか…」
「だから、ちょっと…」
「やっぱり迷子しかない…それにしても、こんな言葉使い覚えさせてしまって…この子の両親は一体何を考えているのか…」
「待てやコラァ!」
「?」

ジンは首を45度ほど傾げ、頭の中では『逸れたんじゃないのかな?』と勝手に問答を繰り返している。
その少女のすぐ横ではロスが口元に手を当てて笑いを堪えていた。

「テメェ黙ってりゃ言いてぇ事言いやがって…! 良いか!おれは魔物だぞ!そんでもってお前よか年上だ!(多分…) だから言葉使いがどうのこうのとか、ガキ扱いすんじゃねぇ!」
「はいはい、凄いですね〜」
「あっ、コラテメッ、信じてねぇな!?」
「ですがね〜…魔物には全然見えませんし、ましてや年上だなんて…」
「マジったらマジだっつーの!」

自身の上に位置する場所で見下ろすジンに対し、マリィは激しく抗議をするが、全て流される。
そんなマリィを目下に、次にジンはフロリスを見る。

「ほら、君もそんな変な格好してたら風邪引くよ?」
「へっ、変な格好じゃとぅ!?」
「あ、これ(僕のじゃないけど)貸してあげるから」

そういってジンは自分が今まで使っていた白い毛布をフロリスに差し出す。
これを纏ってくれ、ということなのだろう。
だが、フロリスからすればそんなのは余計なお世話である。

「いっ、いらんわいっ!そんなもんなくても風邪なんか引かんわい!」
「強がらなくても良いのに…ほら、こっちおいで」

ジンは徐に手を伸ばし、フロリスの手を優しく握って軽く引っ張る。
本来ならばその程度の力ではバフォメットであるフロリスはビクともしない筈だが、フロリスは引かれるがままにジンのベッドのすぐ傍まで連れて来られてしまった。
突然男に敵意無く、しかも優しく触れられた為に、振り払うか少し途惑っている隙に引っ張られたといった所か。
そんな事知る由も無く、ジンはすぐ傍に来たフロリスに、毛布を方に被せてローブのように纏わせる。

「はい、これで良し!」
「『良し!』じゃないわ!いらん言うとるじゃろが!」
「でも、今の殆ど裸じゃないか。絶対風邪引くよ?」
「ワシの半裸見た感想がそれか!もっと欲情したとか破廉恥だとか…」
「無いよ」
「ムキー!」

フロリスは地団太踏みながら叫ぶが、もちろんジンは意に介さない。
ただ、『そんなにイヤだったのかな…』と少々ショックを受けているだけのようだ。
少女からすれば、そんな事よりも自分の体を見て欲情しなかったのが何より気に食わなかったようだが。

「大体、小さい頃からこんなの着けてちゃダメだよ?」

フロリスのローブを巻き終えた手が伸びる先にあるのは、山羊のような角。
『こんなの着けちゃダメ』と言っているあたり、どうやらジンはこれをアクセサリーの類と勘違いしているらしい。

「これは着けてるんじゃな…えだだだだだだだだだだだっ!?抜くな角を抜くなァァァァ!!」
「困ったな…接着剤でくっついてるのかな…どうしようか…」
「イヤ諦めんかい!!なぜ尚も抜こうとするんじゃ貴様は!!」
「…しょうがないか…」
「ぐぬぅ〜…!残念そうにしよってからに…そんなに抜きたいのか角!」

頬を赤くしながら、フロリスは憤慨する。
ジンとしては手足の毛皮も気になっていたところだが、警戒されてしまったために調べる事は出来なさそうだ。
ここは諦めるか…そう思った瞬間、病室の入り口がガラッと開かれた。

「あ、ここだここだ。お邪魔しまーす」

若い女性の声が病室に行き渡る。
突然の来客に驚いたこの部屋に居る4人は、バッとその声のした入り口の方向に目を向ける。
そこに居たのは、汚れた白いランニングシャツを着て、肩に同じくらい汚れたタオルを掛けている女性。
しかも、下半身は蟻を彷彿とさせる足。
ジャイアントアントのレイルだ。
ロスよりも先に出ていた彼女だが、道中で何かあったために遅れて来たのだろう。
右手には、果物籠が一つ。
その中には勿論、色とりどりの果物が入っている。
お見舞いの品だろう。

「ああ、レイルか。遅かったな」
「ごめん、道端で友達と話してたら遅くなっちゃって…」
「いや、別に良いんだが…それに私達とて先程来たばかりだ」

約束していたわけでもないしな、とロスは付け加えると、再びジンの方へと振り返る。
だが、そのジンの顔からは表情が消えていた。
先程はフロリスと会話していて、その時は残念そうな表情だったのだが…今となっては面影もないくらいだ。
不思議に思ったロスはジンに話し掛ける。

「…ブレイバー、どうした?」
「…ば…」
「? ば?」

パクパクと動く口に反して、声は全くと言って良いほど出ていない。
相当焦っているようだ、ジンの顔が見る見るうちに蒼白となって行く。
マリィとロス、フロリスは疑問に思って彼に声を掛けるが、意に介していないようだ。
同じく疑問に思ったレイルが彼の居るベッドに向けて6本ある足のうちの1本を前に踏みだした―――瞬間、ジンの叫び声が部屋全体に木霊した。





「ばっ、バケモノが出たァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアア!!!」





 * * *

ロスは唐突に理解した、なぜ部屋の入り口の近くにあるベンチにてサキュバスで看護婦のシェインが深く落ちこんでいるのかを。
きっと、少年がレイルに言ったものと同じ事を言われたのだろう。
そりゃ出会い頭に『バケモノ』などと言われれば魔物娘である彼女等が傷つかないはずは無い。
ロスやマリィやフロリスを見てもそう叫ばなかったのは、単に人間に一番近かったからだろう。
少年曰く、ロスは『親しみ易いエルフ』で、マリィは『おじさん臭い幼女』、フロリスは『コスプレ少女』という印象であったと後に語る。
まぁ、確かに魔物娘を知らない者ならば第一声はまずソレだろう。
だがもう魔王様の世代が交代してから随分経っている…知らない人など居まい。
そこで最初に贈る第一声がストレートに『バケモノ』は無いだろうとロスは思う。

「ホンット〜に、申し訳有りませんでした!」

ベッドの上で頭にタンコブを拵えたジンが土下座しながらロス、レイル、フロリス、マリィ、そしてシェインに対して謝罪の言葉を述べている。
因みにタンコブはロスの拳骨によるものである。
ギャーギャー騒いで落ちつく気配の無いジンに、ロスはイスから立ち上がってジンの頭頂部に重い一撃を加え沈静化。
少々の間気絶した後、目覚めたジンに対してロスは説明をした。
レイルはジャイアントアントという魔物娘で、無害であると言う事を。
魔物と言う点でジンはまた暴れ出しそうになったが、ロスの一喝で静まる。
その空気の中でジンが尋ねた事は、『魔物娘とは何か』という問いだった。
…まさか、本当に魔物娘を知らないとは。
魔王様が代変わりしてから幾年月経ったと思っているのだ…。
ともあれ、説明しない事には騒動は収まらないしバケモノと呼ぶジンも呼ばれたレイルも納得しない。
ロスはとりあえず掻い摘んで一通り説明した。
周りにも、ジンが記憶喪失であるのが分かるように。
彼に理解力があって良かった…。

「知らなかったとは言え、大変失礼な事を…」
「そうねぇ。目が合った瞬間に『悪魔が出た』って叫ばれた時はショックだったけど…そう言う事なら、お姉さんも怒らないわ」

先ほどまで落ちこんでいたシェインはベッドの傍へと移動しており、ロスからの説明とジンの謝罪を受けていた。
そしてもう一人、謝罪を受けるべき者が居るのだが…。

「…バケモノじゃないもーん…全然怖くないよーだ…」

部屋の片隅で膝を抱えて丸くなりながらのの字を書いてしまっている。
立ち直るには少し時間が掛かりそうだ。

「とりあえず、(レイルを除いて)全面解決って事で良いな」
「はい…それにしても、ニーズヘッドさんもマリィちゃんもゴートレットさんも魔物だったとは思いませんでした…」
「ちゃん付けんな」
「あ、ごめんね、マリィちゃん」
「お前謝る気ゼロだろ!?」
「私、この病院で看護婦をやってるシェイン・エルロスよ。君の担当をさせてもらってるわ」
「あ、えっと、ジン・ブレイバーです」
「ってシカトかますなコラァ!!」
「そうがなるな、マリィちゃん」
「ロスぅ!?てめぇ裏切る気かァ!?」
「そうじゃぞ、呼び名ぐらいで何を怒鳴るのじゃ、マリィちゃん」
「お前もかフロリスコノヤロウ!分かったお前等面白がってるだろ!絶対そうだろ!」
「マリィちゃん、ここは病室だから静かにしないと怒られちゃうわよ?」
「テメェもか看護婦!!なんだこれ!?新手のイジメ!?」

マリィの悲しき叫びが部屋どころか廊下中に響く。
本当に大きな声だ、この小さな体のドコにそんな力が…とは思うが、それは人間の常識での話。
魔物ともなると、これぐらいの大声は朝飯前かもしれない。
そんな事を考えていて、ここで突然にジンは気付いた。
今の自分が置かれている状況を。


「そういえば聞きそびれてましたが…僕、なんで病院のベッドに?それに、ここはいったいドコなんですか?」


騒がしかった空気が一変、少々の重みを帯び始めた。
皆、今目の前に居る少年がどのような経緯でここに来たのか…それを思い出した。
『それについて語らねば』と、ロスは背筋を背凭れに乗せる。
彼は今、記憶喪失…その事も念頭において、話を進めていかなければなるまい。

「…そうだな。まず質問の答えとしては、ここは“アリーテ”という山と海に挟まれた自然豊かな街だ」
「…確かに、そのようですね。町並みの賑やかさでその豊かさが分かります」

ジンはそう言って、窓の方を見る。
その窓から見えるのは、向い側の家。
すぐ下にあるのは、道路。
人々はそこを歩いては道を進む。
活気溢れる街の証拠としては、沢山の人々が外を歩いているだけで充分だろう。

「次の答えだが…率直に言うと、君は保護されたのだ」
「保護?…どういう事ですか?」
「…簡単に言うと、君は身元不明の人間と言う事だ」
「…誰も、僕の事は知らない…?」
「そうなる。先日、模写した君の顔を街の人々に見せたが…知っている者は居ないのだそうだ」
「…」

ジンは押し黙る。
何か言おうと頭の中で言葉を探るが、出てこない。
代わりに出てきたのは、次の疑問。

「…僕は…僕は、いったいどこで拾われたんですか?」
「…遺跡だ。遺跡の奥の巨大な水晶…その中に、君は居た」
「水晶の…中…? さすがに冗談…ですよね?」
「冗談では無い。証言人は、私と、フロリス殿と、マリィと、レイルの4人だ」
「本当じゃぞ?ワシ等もこの目で見たのじゃからな」
「でも、水晶の中って…」
「まぁ信じられねぇってのは、中に居た本人でもそうなるだろうなぁ…おれ達も目を疑ったもんだが…事実だぜ?」
「…」

再び、ジンは黙り込む。
先程までの騒がしい空気を感じさせないほど、重い空気となった。
当事者で無かったシェインも、少々重い表情をしている。
いや、シェインだけではない。
周りの者達も、表情は重い。

「…僕は、これからどうすれば…?」

実の所、1番の問題はソコだろう。
ジンは不安を覚えながらも口からその言葉を発する。
今は病院に居るから良いが、いつまでも病院の一室に留まっているわけにも行かない。
ましてや入院費だって掛かる上に、今の自分が身に着けているのは病院の手配した患者用の服のみだ。
財布なんてどこにも無いし、金銭の『き』の字も無い。
それなのにどうして入院しているのかジンには疑問だが、それは頭の隅に置いておくことにした。
ともかく、ここを追い出されたりしたらジンは服を返すしかなくなり、正真正銘真っ裸で路上をさ迷う事になる。
良い未来とは言えないだろう。
だが、そんな不安を拭うように、ロスから救いの手とも言える言葉が告げられた。

「その点については安心してくれ、考えがある」

少し前までの重い雰囲気を感じさせる顔は崩れ、少しだけ笑みをロスは見せた。
それだけで、ジンは少し安心できる。

「君の似顔絵を持って民間人に聞いて回っている時、誰も君を知る者が居なかった。そこで私達は君が『身元不明の流浪人』である可能性を視野に入れ、フロリス殿と話し合ってきたんだ。結果、君はその予想通りの人物だった。記憶喪失なのは予想外だったがな」
「うむ…話し合い事体はすぐに終わったのじゃが、手続きには少し手間取ったわ」
「…あの、何の…ですか?」
「君をこの町に住まわせる為の手続きだ」

ジンは『え?』と思わず聞き返してしまった。
今、なんと言った?
『この町に住まわせる』…?

「僕を…ですか?」
「他に誰が居ると言うんじゃ」
「正真正銘、君の為の手続きだ」
「でっ、でも…自分で言うのもなんですが、僕は得体の知れない人間ですよ…?」
「構わん。むしろ得体が知れぬ故に手元においておくのじゃ」

体に掛けられた毛布を外しながらフロリスはジンの疑問に答える。

「もし何かあった時、離れた場所に居ては手出しできんしの」

自分の身体よりも大きな毛布を自分の手で持ち上げられるぐらいコンパクトに畳み、フロリスはポイッと白いベッドの上に座っているジンに投げ渡す。
至近距離で投げられた毛布をばふっとキャッチすると、ジンはその毛布を再びベッドの上へと置く。

「…監視、という事でしょうか」
「掻い摘んだ話、そうなるの。事情を知らぬ余所の土地で騒ぎを起こされるよりは幾分かマシなはずじゃ」
「悪いが、君に拒否権は無い。逃がしもしない。大人しくこちらの要求を飲んでもらいたいのだが…」
「…」

『拒否権は無い』…バッサリと言われたが、実際拒否権も何も、拒否のしようが無い。
100歩譲って拒否出来たとて彼の住む場所が出来るわけでは無い。
ここを追い出されれば行く宛ても着るものも無い…ここは飲む以外に術はなさそうだ。
むしろ喜んで受け入れるべきだろう。
その事でも何らかの制約を設けられそうだが…全体的に見て、悪い話しではない。

「…分かりました。用件を飲みましょう…」

とはいえ、監視となると居心地が悪いのは確かだ。
いつでもどこでも、誰かの目が自分を見ている…気分の良い話では無い。
承知する旨を伝えたジンの表情は暗かった。

「そう暗い顔をするな、なにも四六時中見張ろうと言う訳ではないのだ」
「うむ。おぬしには他の者達と変わらぬ日常を過ごして欲しいのじゃ」

彼の暗い表情から内心を悟ったのか、ロスとフロリスは悪くない話を持ち掛ける。
フロリスは今履いている布面積の少ないパンツから、一冊の冊子を 取 り 出 し た 。

「あの、今どこから…?」
「パンツじゃ。見て分からんのか」
「…」

さも当たり前とでも言うようにフロリスは返してきた。
…これは、どういうことだ?
今目の前で物理法則を捻じ曲げられたような事が起こったのだが、この場に居るもの全員、それに対してのツッコミがない。
『え、なに、これ普通なの?』
そうは思っても、実際に口にするとマズイ気がしたジンは黙るのみだった。

「この冊子はおぬしがこの街で暮らすにあたり、必要となってくる書類の束じゃ。大体の内容はワシとロスで書いておるから、あとは自分で書くのじゃぞ」
「あ、ありがとうございます…」

フロリスから手渡された冊子を、ジンはペラッと捲って中を見る。
…生暖かい気がするのは、気のせいであれ…。
だが…なるほど、本当に大体の箇所が埋められていた。
書いていない個所といえば、自分の個人情報に纏わる場所など。
名前や出身などがそれに当たる。
つらつらと各項目に目を通し、やがて全てを読み終えた頃のジンの顔は、驚愕の色に満ちていた。

「…あの…ゴートレットさん、これって…つまり、僕がこの街で暮らすにあたっての権利とか…そんな感じですよね?」
「そんな感じじゃ」
「…えと、この冊子の全部の責任者の欄…全てゴートレットさんになっているのですが…」

驚愕によってか、僅かながらに冊子を持つその手は震えている。
責任者…そのままの通りの意味だろう。
それは保護者という意味合いも込められているのかもしれない。
信じられないのだろう、初対面である筈の自分の責任者になってくれると言うことが。

「それで良いのじゃ。友人も親族も居ない、その歳で独り身は何かと不都合があろう、ワシなら余裕で養える」
「でっ、でも…」
「でももヘチマもないわ、ワシがそれで良いと言ったのじゃからそれで良いのじゃ!というか書いちゃったしもう決定なのじゃ!」
「えっ、えぇ!?」
「拒否権は無いと、言った筈だが?」
「ろっ、ロスさんまで…でも、悪いですよ!」
「そんな遠慮していると、放浪者になるぞ?」
「うぐっ…」

ロスの一言に、ジンはたじろいだ。
本心としても、やはり避けたいものがあるのだろう。

「うむ、素直が一番じゃ!」
「その…ありがとうございます、ゴートレットさん」
「良いのじゃ良いのじゃ。さて、次は住む場所についてじゃが…」

フロリスは再びパンツの中に手を入れて、今度は薄い本を取り出す。
…あれは四次元パンツかなんかだろうか?

「ロスの知り合いにな、アパートを経営している者がおっての…ジパング出身で変な喋り方をするが、良い奴じゃよ。勝手で悪いのじゃが、おぬしはその経営しているアパートの一室に住む事になったのじゃ」
「いえ!住む場所を手配してくれただけでもう感激で…!」
「うむ、了承の反応と受け取ったぞ。これはその住む場所の部屋のカタログじゃな。好きな部屋を選べ」

スッとフロリスはそのカタログ本をジンの目の前に差し出す。
目を通しておけということなのだろう。
ジンはそのカタログを受け取ると、まずは表紙に目を通してみる。

「…“ゆめじ荘”?」

この大陸の言葉でそう書かれていた。
ネーミングが和風なのは経営している者…大家さんがジパング人だからだろう。
ジンは表紙を捲って中身を拝見する。
軽く流すようにページを見ていると、不意に先程まで会話に入ってこなかったシェインがジンの方へと身を乗り出していた。

「あら、ここにするの?」
「うむ。ナギは『是非来て欲しい』と喜んでおったわ」
「へ〜。ジン君、私もここに住んでるのよ?」
「え、そうなんですか?」
「そうなのよ〜、上手く行けばお隣さんね〜。あ、同棲でも良いわよ?」
「そっ、それはちょっと…」
「あん、冗談よ〜」

ふふふ、と女性らしさを思わせる含み笑いを見せると、シェインは乗り出していた身体を戻す。
正直、冗談に聞こえない…。
ジンはカタログをぱたっと閉じると、再びフロリスに視線を戻す。

「ありがとうございます…よく選んで決めさせてもらいますね」
「うむ、そうするが良い」

フロリスは満足そうに、そしてどこか自慢げに胸を反らす。

「おっと、そうじゃ。忘れぬ内に渡しておかねば」

今度はジャラジャラと音のする掌よりデカイ袋を、結わえられた部分を持ちながら取り出した。
どこからかは、もう言わなくても分かるだろう。
ジンも、その事についてはもう触れまいと誓った。

「これは生活費じゃ。服でも食材でもなんでも買うが良い」
「ええぇ!!?そっ、そんなに沢山!!?たっ、大金じゃないですか!!」

中身は見ていない。
だが、袋の大きさからして大漁の金貨が入っていると思われる。
金貨か、銀貨か、はたまた銅貨か…いずれにしても、かなりの量である事に代わりは無い。

「良いのじゃよ、こんなもの私財の1000分の1にも満たんわい」
「スゴッ!あっ、じゃなくて!こっ、こんなに貰っても僕返せるか自信ありません!」
「返さんでもええわい、気にするほどの事でも無いしの」
「でっ、でも!」
「ええい!先程から『でも』とか何とか!ワシが良いって言っているじゃろうが!不満か!?これじゃ不満か!!?」
「ふっ、不満だなんてとんでもない!」
「なら良いじゃろが!人の親切は受け取っておくものじゃぞ!」
「フロリス殿、あなたは人じゃ無いでしょう」
「さりげに横槍を入れるでないわロスよ!」
「あの、でも、なんで…僕なんかに、そこまで…!」

彼は信じられ無いと言った面持ちで、フロリスとロスを見る。
ジンにとって不思議だった。
こんな、会ってから数時間と経っていない人の為に…ここまでしてくれるというのが。
監視するのが目的としても、少しやりすぎな気もする。
逆に、なにか罠ではないかと勘繰ってしまうぐらいに。
だが―――。

「簡単な話じゃよ、そんなもの」
「我等はただ、お人好しに過ぎんのだ」
「で、でも…」
「じゃから!『でも』も何でも無いのじゃ!もうおぬし『でも』使うの禁止!」
「えぇ!!?」

「困ってる者に手を差し伸べるのに理由など要らん!それが“人情”というもんじゃろうが!」

―――ああ、そうか。

「ですからフロリス殿、人では無いでしょうって」
「じゃーかーら!横槍を入れるなっちゅーのに!今折角キマってたとこじゃろうが!」

―――確証は無い…けど、きっと、あれは本心なんだ。

「こちらとしては“魔物”なのに“人”を使ってる時点で既にキマってないと思いますが…」
「ぬあぁ〜!細かい事は良いのじゃ!とにかく空気に身を任せよ!」

―――今の言葉を聞いて…心の中の何かが喜んでいるのが分かる。

「おいおい、やっと辛気クセェ会話終わったと思ったら今度は漫才か?」
「漫才と違うわい!」

―――眼の辺りが…熱くなってきた…。

「そうねぇ、今の雰囲気が台無しじゃないの」
「それワシのせいか!?ワシが人情なんて言ったから壊れたんか!!?」
「ああ、きっとな」
「そこは否定せんかい!!」
「でも実際ソレ言わなかったらロスも反応しな…ってオイ!?ジン!?」
「ぬおう!?おぬし何故泣いておるのじゃ!?」
「あ〜あ〜…フロリス様が泣かせたわ〜」
「それもワシのせいか!?仕舞いにゃ泣くぞ!?」
「オイ…大丈夫かよ、ジン。どっかイテェのか?」
「いえ、違うんです…大丈夫です…っ」

自分を気遣うマリィに、ジンは目を擦り、鼻を啜りながらも受け答えに応じる。
その声は、少しばかり震えていた。
ジンは両足をベッドの上に乗せ、足を折って膝を揃えて尻を踵に置く。
所謂、正座という奴だ。
彼はその体制のまま両手をベッドに着け、そして額も両手の真ん中に着けた。
その姿勢はまるで土下座でもしているかのようで…だが彼の姿から物語る雰囲気は“謝罪”ではない。
これは…。

「皆ざんっ…ありがどうございまずっ…!!」

精一杯の、感謝。

「あっ、頭を上げよ!そんなこと真正面切って言われても照れるしガラじゃないわい!」
「そうだぞ。ジパングでは『困った時はお互い様』と言うらしい。だから、別に感謝されるほどのことでは無いのだ」
「ぞれでも…!感謝じでも、じぎれまぜん…!」

涙を眼に溜め、鼻に水を溜め、ロスとフロリスに頭を上げるように言われても、ジンはその姿勢を崩さなかった。
記憶を失ったジンにとって、初めての“優しさ”…その暖かさを、ジンは噛み締めている。

「ほら、これで鼻かめよ」

マリィは鼻を啜るジンの前に、1枚の紙切れを差し出す。
常備しているティッシュだろう。
ジンはそれを受け取り、鼻をかんで、目に浮かぶ雫を拭った。

「ズビッ…お見苦しい所をみせました…」
「いや、なに。その感謝の気持ちは十分に伝わったわ」
「ああ。それはそうと…」

気を取りなおすように、ロスは言いながら自分の後ろの部屋の隅っこへと振り向く。
そこに居たのは…。

「いつまで塞ぎこんでいるつもりだ、レイル」
「…」

先程ジンに『バケモノ』と呼ばれてしまった、ジャイアントアントのレイル。
今の今までずっと部屋の隅っこでいじけていたらしい。
精神的ショックは計り知れないと思われる。

「…どーせバケモノですよ〜だ…」
「ダメじゃな、聞こえとらん…」
「しかも凄く根に持ってるわ…」

部屋の隅っこで床にのの字を書き続けるレイルはブツブツ言いながら、時折溜息を吐く。
これがマンガであったなら、彼女の周りはドス黒いトーンで塗りつぶされていた事だろう、それほどまでに暗い雰囲気は伝わってきた。
そんな彼女を見たジンは組んでいた脚を崩してゆっくりとベッドから降りる。
突然の行動にフロリス等は少し驚いたが、すぐに彼が何をしようとしているのは分かった。
立ち上がったジンはフラフラとした足取りで、部屋の隅っこへと移動して行く。

「あの…レイル、さんですよね。先程はどうもすみませんでした…」

レイルのすぐ後で立ち止まったジンは、その場で腰を折って頭を下げた。
その声に反応したのは、誰でも無い、レイル本人である。

「…べっつに〜…ここに居る魔物の中で私が一番人間離れしてますから〜、自覚有りますから〜」

ただ、ヘソは曲った状態のままであるが。
半ば投げやりと言うように、レイルはジンの謝罪を皮肉で返した。
この調子だと、なにか上手い事を言わなければ機嫌を直してくれそうには無い。

「いえ、あの時は…ただ、ビックリしただけです。もう、絶対にあのような事は言いません」
「ふ〜ん…そりゃ良かったね〜、第2の私が生まれなくてさ〜」

ダメだ…聞く耳持たずで取り付く島がない…もう何を言えば良いのか…。
ジンが悩んでいると、後からシェインがそっと耳打ちしてきた。
…さりげなく胸を押しつけているのは気のせいか、それとも事実か…。
彼女はゴニョゴニョと彼の耳元で囁き、その途端にジンは怪訝な顔をする。
そんなジンの心情を察したのか、シェインは今度耳打ではなく小声で放し始めた。

「大丈夫よ、レイルなら無茶な事は言わないから」
「ほ、本当に効果があるんですか…?」
「心配しないで、保証するわ」

シェインは怪しむジンに微笑を送ると、彼の背から少し離れる。
それをジンは確認すると、再びレイルの背中に向けて話し掛けた。

「レイルさん、何でもしますから機嫌を直してください」

ピクッ。
レイルの肩が動いた。

「…本当に?」

ゆっくりと振り向きながら、レイルは確認するようにジンに問う。
ようやくまともに反応してくれた、この機は逃すまいとジンは口を開く。

「本当です」
「なんでも?」
「なんでもです」
「…ふーん…じゃあ、良いかなー、別に…」

何故か頬を少し赤めながら、レイルは6本足で立ち上がり、ジンの居る方向へと振り向いた。
なにをお願いする気だろうかとジンは考えるが、自分の目の前にレイルの手が差し出された事によって思考を中断する。
ジンは即座に握手を求められたと判断した。

「…レイル・アントレイ。レイルで良いよ、ジン君」
「あ、えっと、ジン・ブレイバーです。よろしくお願いします、アントレイさん」
「レイルで良いって」

差し出された手をギュッと握り、ジンは確かな握手を交わす。
レイルの頬は未だ赤いままだが、とにかくこれで2人の仲は改善された。
先程のような諍いも、もうこれっきりだろう。…多分。

「やれやれ、解決したか」

どうなるかと心配していたフロリスだが、存外何も無くて終わったようなので一安心だ。
だが…『なんでも』、か。

「ブレイバーよ、頑張るのじゃぞ」
「はい。…えっと、なにを?」
「なんでもじゃ。とにかく頑張るのじゃぞ」
「はぁ…」

ジンは腑に落ちないという感じだが、とにかく解決はしたわけだし、フロリスが誤魔化しているのに深く聞き入っても話をややこしくするだけ。
ここは納得した、という事にする方が手っ取り早いというものだ。
と、ジンがそうやって完結した後、レイルが思い出したように『あっ』と声を上げると、先程まで落ちこんでいたレイルの隣に置いてあった果物籠を拾い上げる。

「お見舞いの品で果物持って来てたのすっかり忘れてたよ」

レイルはそのまま果物籠をベッドの上まで持っていき、中に入っているバナナ6本にリンゴ2個、オレンジ2個を取り出した。
その籠の中には果物ナイフも入っている。

「どうせだからさ、皆で食べよっか!」
「おっ、いいねぇ、リンゴ好きだぜおれ!」
「あ、じゃあ私はバナナね」
「ふむ、私もバナナを貰うとしよう」
「ワシもオレンジにしようかの」
「じゃあ、僕はリンゴにします」

レイルの提案に、皆が賛成した。
それぞれがレイルの取り出した果物を手に取り、自分で皮の剥けるものは各自で剥いて食べ始める。

「よっし、じゃあリンゴ私が剥いてあげるよ。私さ、リンゴでウサギ作るの得意なんだ」
「へぇ〜、凄いですね〜!」
「んなモン口の中に入れちまえば変わんねぇよ」
「身も蓋も無いこと言わないで下さいよ…」
「おいシェイン!いやらしい音立てながらバナナを食うな!そしてしゃぶるな!」
「あら〜、いいじゃない別に。それともロス、あなたもしてみたいの?」
「叩っ切るぞ!!」

少々騒がしくも、楽しい一時。
ここが病院の一室であることを皆忘れているのか、いないのか…。
けれど楽しい時間は確かに流れていて、そこにはちゃんと笑顔があった。

「落ちつくのじゃ、ロスよ。サキュバスなんじゃから許してやらんかい」
「う〜…」
「ジン君のも、良い味するのかしらね〜」
「やっぱり斬らせてください」
「ならぬ」
「うぐ〜!シェインと同じバナナを選ぶべきではなかった…!」
「? 僕の味って?」
「ああ、良いの良いの、気にしないで」

先程落ちこんでいたレイルでさえも、少し前まで落ち込んでいた者とは思えない程綺麗な笑顔がある。
シェインに怒鳴っていたロスも、自然と微笑みが浮く。
そこでまたシェインに茶化されて怒り、今度は周りに笑顔が咲いた。
ここではしかめっ面をしている者も、悲しそうな顔をする者も居ない。
死者を送り出す病院とは思えないほどに華やかな笑顔達。
そして果物を食べ終えた後でも、談笑は続く―――。

 * * *

夜半。
月と星だけが照らす大地。
『ここはどこだ』などと地図を見ても、特徴的なものは何も見えないために場所の特定は難しい。
ただ、静かな平原が広がるだけ。
草も踝まで伸びているのが精々で、視界から何かを隠す事など出来そうにないほどに短い。
だが地面の肌が見えない程に草は生い茂っているため、地面を踏むと少々草の臭いが鼻の中に入ってくる。
どこかクサイが…良いニオイでもある。
そんな平原で、一つの集団が野営をしている。
テントの数は多い。ざっと、2,30はあるかもしれない。
それ等を照らすのは、いくつもの篝火。
風に吹かれて火は揺れ、それにつられて光も揺らぐ。
そういった照らされるテントの中に、一際大きめなテントが立っている。
テントの入り口のすぐ傍には、全身に鎧を装備している騎士。
背中には大剣を携えており、その剣は装飾が施されていて、大剣の鐔の部分に嵌められた赤い宝玉が月の光に反射して輝いている。
美しい。ただその一言に尽きる。
佇まいもさる事ながら、顔以外の肌を見せる事無く警備を怠らないその姿勢は、まさに守護神。
そしてその顔は、美しい女性のもの。
長い髪は金に輝き、眼は碧色。
武骨な鎧とは相反し、その姿は美麗だった。

「勇者様」

静寂を破ったのは、テントの中から顔を出した女性。
よく見る魔法使いが使うような帽子を頭に被り、その右手には杖が握られている。
もしかしなくとも、魔法使いである。

「…なに?」
「行軍の予定が決まりました。順調に進めば目的地には2ヶ月後に着くと予想されます」
「そう、分かったわ」
「途中、親魔の街を通る事になりますが…そこを迂回しようとするとどうしても遠回りになって半月程予定が延びてしまいます。どうしますか?」
「なぜ半月も?街を迂回するだけでしょう?」
「いえ、それが…山と海に囲まれた地形で…どうしても登山する事になります。海から周ろうにも、これだけの人数を乗せられる船を幾つ手配出来るか…」
「…そう…」

勇者と呼ばれた女性は顎に手を当てて考える仕草をすると、すぐに解決策を提案する。

「街の中を通らせてもらいましょう」
「分かりまし…ええ!?」
「? 何を驚いているの?」
「だっ、だって魔物達の居る街を通過するんですよ!?危ないですよ絶対!!そもそもどうやって!?」
「方法なんて幾らでもあるわ。少数のグループに分かれて街を通る方法…街の長に行軍を請うとかね」
「リスクが大きすぎます!」
「大丈夫、これでも名前の売れた勇者様やっているのよ?大体のヤツらなら尻尾巻いて逃げ出すわ」
「魔物には通用しませんよ!?むしろ嬉々として襲ってきます!」
「下っ端の魔物ならね。でも、上等の魔物なら理解はしてくれるでしょ」
「…相変わらず、大胆な発想しますね…」
「肝っ玉据わってなきゃ勇者なんて出来ないわよ」

勇者はそこまで言うと、金の髪を靡かせて月光の下を歩き始めた。

「そろそろ寝るわね。明日も早いし、あなた達も眠りなさい」
「えぇ〜…」
「大丈夫よ、その問題の街に着くまでに時間は沢山あるわ」
「そりゃ、そうですけど…」
「勇者様が言ってるんだ、諦めなよ」

不意に魔法使いの後ろから、声がした。
彼女は今テントから顔を出すようにして勇者と話をしているので、その声の主はテントの中に居ると言う事になる。
少々声が低い…きっと男の声だ。

「む〜…じゃあ、その件は勇者様に任せます」
「ああ、そうしてくれ」
「ほら、早く出ていってくれ、俺はもう眠たいんだ」
「分かったわよぅ…」

渋々といった感じで、魔法使いの女性はテントから出てきた。
その姿は典型的な魔法使いの格好で、スレンダーな体型だ。

「じゃ、勇者様もおやすみなさい」
「ええ、おやすみ」

夜の挨拶もそこそこに、魔法使いの女性は欠伸をしながら自分のテントへと歩き出した。

「…さて、今日はどんな夢が見れるかな〜…」

誰も聞いているはずがない言葉を勇者は呟きながら、ゆっくりとした歩みでテントへと向かって行く。
月は、ただテントと月下を歩く彼女を照らすのみだった。

















―――<忘れるな、ジン・ブレイバー>―――


―――<暗いから“闇”ではない>―――


―――<“光”があるから“闇”なのだ>―――
12/02/16 14:34更新 / BLITZ
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■作者メッセージ
更新お待たせしました!
ちょいと長くなってしまいましたが、無事更新出来ました。
記憶喪失キャラの使い方がイマイチ分からなかったので、展開が少しぎこちなくなったかな?というのが反省点だと思います。
ともあれ、読んでいただいてありがとうございます。
これからもよろしくお願いします!

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