歯車は着々と回り
時計の短針が3時に差し掛かろうとしている所で、漸く床に着いた。
布団は本来一人用である上、来客用の布団なぞ用意していない。
そこに無理やり大の大人が二人で寝ようとするのであれば、必然的に密着せざるを得なくなる。
「私としては向かい合った方が好ましいのですが……」
「無理です。これで勘弁して下さい」
心底残念そうな声が背中越しに聞こえてくる。
現在俺と彼女は背中合わせの状態同衾している。
背中とはいえ密着しており、彼女の柔らかさや匂いがとても近く理性を保つ事で手一杯な状態だ。
「でも、向かい合えば貴方の腕枕で眠れますよ♪」
「ホントお願いしますから勘弁して下さい……」
背中越しでも分かる彼女の柔らかさと、意外と体温が低いのかやや冷たい肌が心地良い。
床に入ってしばらく経つが、このまま意識を手放して眠ってしまえばきっと良い夢が見れたろう。
だが、こんな状況で寝られる訳が無い。
きつく目を閉じて必死で眠ろうとしてると、小声で彼女が問いかけてきた。
「起きていらっしゃいます?」
何か問われたが意味を理解できる余裕がない。
「寝息は聞こえないので起きていらっしゃるかと思ったのですが…眠れないのなら少しお話しでも致しません?」
何とか外界と自分を隔絶し、己の意識の中で安定を図る。
「あの、流石に密着状態で独り言を小声で呟かれるのは、何と言うか怖いのですが……」
よし、いける!目を閉じているから余計な情報は入らない。これなら何とか持ち堪えられるだろう!
「むぅ、あくまで無視されるのですね……そのような態度を取られるのでしたら、えい♪」
むに、と。背中に物凄い柔らかい物体が二つも密着してきました。
拝啓。お父様、お母様。早くも理性が良いパンチ貰って足に来ています。
「うふふ……どうです?私のおっぱいは。ひんやりして気持ち良いでしょう?」
「さぁ、どうなされます?もしこのまま私を無視されるのであれば」
背中の物体は形を変えつつも、適度な柔らかさと弾力を確かな存在感として主張する。
首筋には湿った冷たい感触もあり、掛かっているであろう吐息は彼女の顔が近づいた事を否応無く知らせてきた。
「私も……何をするかわかりませんわよ……♪」
肩に添えられていた手は上腕を撫で、胸板を伝いそのまま腹を伝いその下へと進もうとして―――――――――
「天音さん」
「はい、なんでしょう?」
クスクスと。自分を試すように笑う彼女。
こちらから呼びかけた事に気を良くしたのか、とりあえず重要拠点への進攻は思い留まってくれているようだ。
しかし会話しているからといって腹の辺りに添えられた手の平が除けられる事は無い。
何時でも攻められる余裕からか、ゆっくりと、置かれた手の平が円を描いて腹を撫でる。
先を催促されているようなので、会話を続ける為に適当な話題を投げかける。
「そういえば喋り方変わりましたよね、特に一人称が」
今まで私(わたし)だったのが、気付いたら何時の間にか私(わたくし)になっていたのだ。
他に聞くべき事がある筈だが、つい口をついてしまった。
「えぇ、あれは以前調べた【管理人】のイメージを崩さない為ですわね。本来はこちらの話し方の方が楽なのです」
「地の方は堅苦しすぎる、と昔とある方に言われた事がありますの。だから、少し素顔を隠していたのですわ」
懐かしいですわ、遠くを見るような声が後ろから掛かる。
そうなのか。自分の会った事のある管理人は彼女とは違った。
滅多に管理人室に居なかったり矢鱈と素っ気無い対応ばかりで、少し部屋で起きたトラブルを伝えたら嫌な顔を隠そうともしない事なぞ一度や二度ではない。
「それと、こんな状況で言うのも何ですが【魔物コナーズ】よく効きますよ。ありがとうございます」
話しを繋ぐ為、というのもあるがいくら魔物娘に襲われずに済む事情があるとはいえ彼女のくれた魔物避けは無駄ではないだろう。
場の雰囲気を和らげる為、努めて明るくお礼を言った。
「あら、それは良かったですわ。私も思い切って紫をお渡しした甲斐がありました」
「一番効果の高いものでしたし、念の為に防音結界の施工もしておいたのも功を奏したようですわね」
…?あれは『外からの特定の音』を遮断するものではなかったか?
こちらの疑問を他所に彼女は続ける。
「他の子達にも伴侶を宛がったりで忙しなかったのですが、貴方はこうして無事でしたし」
「終わり良ければ全て良し、ですわね」
「他の子?」
新たな疑問が浮かぶ。そういえば此処の住人に会った記憶が無い。
確かに小さく閑静なアパートではあるが、だからこそ他の住人に会わないのは不自然ではないか。
「あ、そういえば貴方はご存知なかったのですね……此処に住んでいる【人間】は」
貴方だけですよ?
瞬間、殴られたような衝撃に思考が停止した。
「……え?あ、あぁ嫌だな、管理人さん。冗談がキツいですよ」
「あら、私知らない間に冗句を申しておりましたか?」
どうやら彼女は大真面目らしい。言い方が悪かったろうか。
「誰だってそう思いますよ。人間が自分だけって、アパートですよね?此処」
「はい、そうですわね」
彼女も腹を撫でるのを止めて聞いてくれる。
「俺はこのアパートに越して一年も経ってないですし、確かに隣人を見ていません。でもそれは他の家庭の生活リズムが合わないだけじゃないですか」
――――――そうだ。偶々だ。すれ違いなんて何処でだってある事で、偶然会わなかっただけだ。
「挨拶をした記憶はないですが、それでも俺が帰ってくる頃一階で部屋の明かりが点いているのは何度も見ました」
――――――声だって聞こえた。壁を隔てていて何かは分からなかったが、楽しそうな声だった。
「団欒するような声だって、小さいけれど子供が走り回るような音だって聞いてます」
――――――でもそれは人間だけがする事ではないのではないか?
「走り回る音が大きくなってきて、母親が子供を叱る声だって聞いているんです」
――――――魔物娘だってするだろう、だが。
「生活音があるんですよ?生活音がするって事は人間がいるんじゃないですか」
――――――彼女がもし冗談を言っていないのなら?
「それなのに【人間が俺しかいない】なんて、冗談にしか聞こえませんよ」
――――――【彼女も人間ではない】という事になってしまう。
「…………」
彼女は応えない。
確証はないが、このままでは身の危険を感じる。
いや、既に『何もしない』という条件を半ば破られている。
今や会話を続ける事が自分を守る手段となってしまっている事に漸く気づいた。
沈黙が恐ろしい。
今まで見知った彼女が、何か得体の知れない怪物になったようだ。
疑心が恐怖を煽り、恐怖が良からぬ想像を掻き立てる。
何か続けなければ、という焦りが踏み込んではならない所へ歩みを進めようとしてしまう。
「…貴女は」
止せばいいのに。
「一体何なんですか?」
進もうと前に踏み出した足は、怪物の尾を踏んでしまった。
彼女の動きが変わる。
肩に置かれた手は添えるように。
慈しみ、優しく。壊れ物を扱うかの如く撫でるような力加減をしている。
腹に置かれた手は押さえるように。
他の者に渡さないよう、離さないように。逃がすまいと女性とは思えない力で押さえ込んできている。
うふ、ふふふ
うふふふふふふふふふふふふ
「漸く、聞いてくださいましたのね……♪」
カラン、と。
また氷の融ける音がした。
布団は本来一人用である上、来客用の布団なぞ用意していない。
そこに無理やり大の大人が二人で寝ようとするのであれば、必然的に密着せざるを得なくなる。
「私としては向かい合った方が好ましいのですが……」
「無理です。これで勘弁して下さい」
心底残念そうな声が背中越しに聞こえてくる。
現在俺と彼女は背中合わせの状態同衾している。
背中とはいえ密着しており、彼女の柔らかさや匂いがとても近く理性を保つ事で手一杯な状態だ。
「でも、向かい合えば貴方の腕枕で眠れますよ♪」
「ホントお願いしますから勘弁して下さい……」
背中越しでも分かる彼女の柔らかさと、意外と体温が低いのかやや冷たい肌が心地良い。
床に入ってしばらく経つが、このまま意識を手放して眠ってしまえばきっと良い夢が見れたろう。
だが、こんな状況で寝られる訳が無い。
きつく目を閉じて必死で眠ろうとしてると、小声で彼女が問いかけてきた。
「起きていらっしゃいます?」
何か問われたが意味を理解できる余裕がない。
「寝息は聞こえないので起きていらっしゃるかと思ったのですが…眠れないのなら少しお話しでも致しません?」
何とか外界と自分を隔絶し、己の意識の中で安定を図る。
「あの、流石に密着状態で独り言を小声で呟かれるのは、何と言うか怖いのですが……」
よし、いける!目を閉じているから余計な情報は入らない。これなら何とか持ち堪えられるだろう!
「むぅ、あくまで無視されるのですね……そのような態度を取られるのでしたら、えい♪」
むに、と。背中に物凄い柔らかい物体が二つも密着してきました。
拝啓。お父様、お母様。早くも理性が良いパンチ貰って足に来ています。
「うふふ……どうです?私のおっぱいは。ひんやりして気持ち良いでしょう?」
「さぁ、どうなされます?もしこのまま私を無視されるのであれば」
背中の物体は形を変えつつも、適度な柔らかさと弾力を確かな存在感として主張する。
首筋には湿った冷たい感触もあり、掛かっているであろう吐息は彼女の顔が近づいた事を否応無く知らせてきた。
「私も……何をするかわかりませんわよ……♪」
肩に添えられていた手は上腕を撫で、胸板を伝いそのまま腹を伝いその下へと進もうとして―――――――――
「天音さん」
「はい、なんでしょう?」
クスクスと。自分を試すように笑う彼女。
こちらから呼びかけた事に気を良くしたのか、とりあえず重要拠点への進攻は思い留まってくれているようだ。
しかし会話しているからといって腹の辺りに添えられた手の平が除けられる事は無い。
何時でも攻められる余裕からか、ゆっくりと、置かれた手の平が円を描いて腹を撫でる。
先を催促されているようなので、会話を続ける為に適当な話題を投げかける。
「そういえば喋り方変わりましたよね、特に一人称が」
今まで私(わたし)だったのが、気付いたら何時の間にか私(わたくし)になっていたのだ。
他に聞くべき事がある筈だが、つい口をついてしまった。
「えぇ、あれは以前調べた【管理人】のイメージを崩さない為ですわね。本来はこちらの話し方の方が楽なのです」
「地の方は堅苦しすぎる、と昔とある方に言われた事がありますの。だから、少し素顔を隠していたのですわ」
懐かしいですわ、遠くを見るような声が後ろから掛かる。
そうなのか。自分の会った事のある管理人は彼女とは違った。
滅多に管理人室に居なかったり矢鱈と素っ気無い対応ばかりで、少し部屋で起きたトラブルを伝えたら嫌な顔を隠そうともしない事なぞ一度や二度ではない。
「それと、こんな状況で言うのも何ですが【魔物コナーズ】よく効きますよ。ありがとうございます」
話しを繋ぐ為、というのもあるがいくら魔物娘に襲われずに済む事情があるとはいえ彼女のくれた魔物避けは無駄ではないだろう。
場の雰囲気を和らげる為、努めて明るくお礼を言った。
「あら、それは良かったですわ。私も思い切って紫をお渡しした甲斐がありました」
「一番効果の高いものでしたし、念の為に防音結界の施工もしておいたのも功を奏したようですわね」
…?あれは『外からの特定の音』を遮断するものではなかったか?
こちらの疑問を他所に彼女は続ける。
「他の子達にも伴侶を宛がったりで忙しなかったのですが、貴方はこうして無事でしたし」
「終わり良ければ全て良し、ですわね」
「他の子?」
新たな疑問が浮かぶ。そういえば此処の住人に会った記憶が無い。
確かに小さく閑静なアパートではあるが、だからこそ他の住人に会わないのは不自然ではないか。
「あ、そういえば貴方はご存知なかったのですね……此処に住んでいる【人間】は」
貴方だけですよ?
瞬間、殴られたような衝撃に思考が停止した。
「……え?あ、あぁ嫌だな、管理人さん。冗談がキツいですよ」
「あら、私知らない間に冗句を申しておりましたか?」
どうやら彼女は大真面目らしい。言い方が悪かったろうか。
「誰だってそう思いますよ。人間が自分だけって、アパートですよね?此処」
「はい、そうですわね」
彼女も腹を撫でるのを止めて聞いてくれる。
「俺はこのアパートに越して一年も経ってないですし、確かに隣人を見ていません。でもそれは他の家庭の生活リズムが合わないだけじゃないですか」
――――――そうだ。偶々だ。すれ違いなんて何処でだってある事で、偶然会わなかっただけだ。
「挨拶をした記憶はないですが、それでも俺が帰ってくる頃一階で部屋の明かりが点いているのは何度も見ました」
――――――声だって聞こえた。壁を隔てていて何かは分からなかったが、楽しそうな声だった。
「団欒するような声だって、小さいけれど子供が走り回るような音だって聞いてます」
――――――でもそれは人間だけがする事ではないのではないか?
「走り回る音が大きくなってきて、母親が子供を叱る声だって聞いているんです」
――――――魔物娘だってするだろう、だが。
「生活音があるんですよ?生活音がするって事は人間がいるんじゃないですか」
――――――彼女がもし冗談を言っていないのなら?
「それなのに【人間が俺しかいない】なんて、冗談にしか聞こえませんよ」
――――――【彼女も人間ではない】という事になってしまう。
「…………」
彼女は応えない。
確証はないが、このままでは身の危険を感じる。
いや、既に『何もしない』という条件を半ば破られている。
今や会話を続ける事が自分を守る手段となってしまっている事に漸く気づいた。
沈黙が恐ろしい。
今まで見知った彼女が、何か得体の知れない怪物になったようだ。
疑心が恐怖を煽り、恐怖が良からぬ想像を掻き立てる。
何か続けなければ、という焦りが踏み込んではならない所へ歩みを進めようとしてしまう。
「…貴女は」
止せばいいのに。
「一体何なんですか?」
進もうと前に踏み出した足は、怪物の尾を踏んでしまった。
彼女の動きが変わる。
肩に置かれた手は添えるように。
慈しみ、優しく。壊れ物を扱うかの如く撫でるような力加減をしている。
腹に置かれた手は押さえるように。
他の者に渡さないよう、離さないように。逃がすまいと女性とは思えない力で押さえ込んできている。
うふ、ふふふ
うふふふふふふふふふふふふ
「漸く、聞いてくださいましたのね……♪」
カラン、と。
また氷の融ける音がした。
13/10/06 02:05更新 / 十目一八
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