連載小説
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姉上
「ほらほらユキちゃん、ユキちゃんの大好きな油揚げの納豆挟み焼きですよ?はい、あ〜んっ♪」
「姉上。姫様の前なので、少し静かにして欲しい」

アゼレア達の集まる魔王城のいつもの一室には、火で炙られた油揚げ特有の香ばしい香りと、ほのかな醤油の匂いが充満していた。
それらの匂いの大本を手にしているのは、狐の耳と尻尾のような青色の炎と紅白衣装を纏った一人の魔物。
風呂敷から取り出された筈のその料理は、何故か既に綺麗に皿に盛られていて……更にどういう訳なのか、今丁度火から下ろしたばかりであるかのように、ほかほかと湯気まで上がっている。

「あら、ごめんなさいユキちゃん。私ったら久しぶりにユキちゃんに会えて、ついはしゃいでしまって……」

笑いながら、皿に乗ったままの。もっと言えば、醤油がかかったままのそれを風呂敷の中へと仕舞い直す狐憑き。
その中身がどうなっているのかも非常に気になるのだが……それ以上に、アゼレア達にはどうしても改めて確認しておきたい事があった。
全員を代表して、椅子に腰かけたアゼレアが口を開く。

「……その、本当に、お主が行綱の……?」
「はいっ。皆さん、弟がいつもお世話になっています。ユキちゃんの姉の、舞と申します。どうぞお見知りおきを♪」

そう言って、笑顔で頭を下げる舞。
隣に立つ行綱と比べて見てみれば、確かにその目鼻立ちには似た面影が見て取れる。
あるのだが……こう、何というか、表情とか。テンションとか。声のトーンだとか。常に淡々としていて、表情の変化に乏しい行綱とは真逆のその印象に、一同は戸惑い隠せない。

「一体どう育てば、姉弟でここまで性格が変わるのじゃ……?」

ポツリと漏らすアゼレア。
……他の魔物達からすれば、リリムも大概姉妹とは思えぬバリエーションの広さなのだが。
それはさておき。

「ええと……それで、舞さんはどうして王魔界にいらっしゃったんですか?」
「よくぞ聞いて頂きましたっ!」

尋ねるクロエに喜々として返し、舞は再び床に置かれた風呂敷包みの中へと手を突っ込んだ。
そうして取り出したのは……あろう事か、腰程まで高さのある台座を含めた紙芝居セットの一式だ。どう見ても、明らかに風呂敷包みよりも大きい。

「さあさあ各々方、どうぞ楽な姿勢でお聞きください。それでは始まり始まりですっ♪」
「「「………………」」」

曲者揃いで知られる、魔王軍第26突撃部隊の面々は。
果たして自分達がこの強烈なキャラクターに太刀打ち出来るのか、各々の胸に若干の不安を抱きつつあった。




――――――――――――――――――――――




夏だというのに、気味の悪いくらいに静かな夜だった。丑三つ時にはまだ遠いというのに、虫の声も、蛙の声も聞こえない。
外に続く襖は開け放たれているので、時折気まぐれに吹く夜風が、細桔梗の紋が印された喪服でその部屋に正座する少年の肌を撫でる。そうして、そんな折に遠くから草木がざわつく音が聞こえてくるだけの、本当に静かな夜だった。

「ユキちゃん、まだそうしていたのですか」

そんな弟の背中に、同じく喪服姿の姉が声をかけた。

「今日は疲れたでしょう。私が交代しますから、ユキちゃんはもう休んで下さい」
「……いや、大丈夫だ。今日は、眠れそうにない」

そう返す間も、少年は姉を振り返らない。ぴくりとも体を動かさない。
ただただじっとその視線が向けられた先には……布団を被せられ、顔に白い打ち覆いをした遺体が、静かに横たわっていた。
彼らの、父だった。

「姉上こそ、休んでくれ。私は今晩はこうしている」

元より代々人体の限界を超える修練を課す安恒家では、早死にする例が多い。
彼らの父もその一人だった。病に侵された事をきっかけに、若くして急激に老い衰えるように事切れてしまったのだ。
行綱は参列者の少ない葬式の喪主を勤め上げ、そうして葬式が一段落してから、何かを考えるようにずっとこうして父の亡骸の横に座っていた。

「……ユキちゃん。これからどうしましょうか」

そうして、弟が何を考えているかは……舞にも、何となく分かっていた。

「父上は亡くなってしまいました。逆に言えば、これからは……どうやって生きるかを、自分の意志で決める事が出来ます」
「…………」

今まで生きてきたように、安恒家の人間としての道を歩むのか。
家を捨て、普通の人間としての道を歩むのか。
前者を選べば……眼前に伏す、父のような最期を迎えるかもしれない。仕える主君もなく。大きな戦にも恵まれず。身に着けた力と技を振るう事も無く、早過ぎるその時を迎える事になるのかもしれない。

「……姉上。私は、この家のしきたりを、時代錯誤なものだと考えている」

少なくとも、彼らが住むこの一帯では、人同士の大きな戦など起こる事はほぼ無いと言っていいだろう。
遥か昔には、先祖がその命と引き換えに荒ぶる龍神様を鎮めたという言い伝えもあるが……今の時代では、荒ぶる神も妖怪も、本当の意味で人に仇なす存在ではなくなった。
もしも両方の時代を知るものがいるならば、きっと今の時代の方が良いと言う事だろう。行綱だってそうだ。彼は戦う事がどれだけ痛くて、苦しくて、つらい事なのか……文字通り、骨身に染みて知っているのだから。

「……だが」

だが。
成長するにつれ。一族に伝わる技術を、習得してゆくにつれ……先祖達が命懸けで築き上げてきたその血と業が、彼の裡で嘆き叫ぶのだ。
大切な者を守る為に、戦わせてくれ、と。
平和を築く為に、もう一度この力を振るわせてくれ、と。
仕える者も居ないのに。もう十分に平和なのに。そんな事を知ろうともしてくれない怨嗟のような裡からの声が、彼の背中を押し続けていた。
だから、彼は進む事しか出来なかった。

「姉上。私は……最期まで、安恒家の者として、死のうと思う。だが、私は自分と同じ思いを、誰にもさせたくない」

弟の言葉を、舞は静かに聞いている。
ざざ、と草木の音と共に吹き込んで来た風が、姉弟の髪を静かに揺らした。

「きっと、私が子を成せば。……わが子に、同じ思いをさせるようになってしまう。だから、私が、安恒家の末代になる」

その言葉を最後に、二人の間には重苦しい沈黙が訪れた。
沈黙が、どれだけ続いたのかは覚えていない。半刻程で終わった気もするし、それよりもずっと長い時間だった気もする。
それを破ったのは……意外にも、どこかさっぱりとした様子の舞の声だった。

「ふふっ。最近のユキちゃんを見てたら、何となくそうかなーって思っていました」
「……姉上……?」

姉の事だ。恐らく自分のこの選択を悲しむだろうと覚悟を決めていた少年は、その予想外の反応に振り返る。

「分かりました。私もユキちゃんに、最期までお付き合いします……ねぇユキちゃん。何年の間か、私と離れて一人で暮らしても大丈夫そうですか?」

自分と同じ道を歩む。しかし、離れて暮らすという姉の言葉の真意が掴めず、行綱は困惑の表情を見せた。

「私はユキちゃんと道を違えるつもりはありません。でも、みすみす戦いでユキちゃんを失うなんて事も、真っ平御免です。……風の噂ですが、神と奉られる程の位を持つお稲荷様は、その下で修業を積む者を自らに近い存在に変える事があると聞きました。私は、暫くそちらで修業を積んでこようと思います」

姉は、そんな弟の目を真っ直ぐに見つめながら、続ける。

「――誰かを守ろうとするユキちゃんの事を、この手で守る事が出来るように」





―――――――――――――――――――





「とまぁ、私はその後意気揚々と『全国の現役匿名稲荷神社巫女達が選ぶ!修業が厳しい稲荷様トップ5!』の常連であらせられる九尾の稲荷、百恵様の下に仕える巫女となりまして、修行に励む事約三年。ようやく一人前の太鼓判を頂き、ルンルン気分でユキちゃんの下に帰って来たのに、なんと家はもぬけの殻ではないですか!慌てた私は荷物を纏め、ユキちゃんらしき人物の噂と、狐憑きになる事によって得たこの嗅覚を頼りにここまで旅をしてきた……と、いう訳です。ちゃんちゃんっ♪」
(((明るいテンションで始まったのに内容滅茶苦茶シリアスだしよく分かんないランキング出てきたし最後一気に端折ったーっ!?)))

一斉に心の中で突っ込みを入れる一同。
そんな彼女たちを尻目に、ふぅ、と一仕事やり終えた様子の舞は、役目を終えた紙芝居セットを風呂敷包みの中へと放り入れる。本当にどうなってんだあの中身。

「し、しかし……今の話が本当だとするならば、行綱よ。舞に対して何の連絡もしていなかったというのは、あまりにも冷たいのではないのか?」
「そうですよユキちゃんっ、私はもう心配で心配で……!」

色んな意味でのショックから一番に回復したアゼレアが、行綱に言った。
続く舞は、その時を思い出したかのように瞳に涙を滲ませている。

「 いや。……確かに、こちらに来てから。神社へと、手紙を書いた筈なのだが」

彼がこの王魔界に来てからひと月程。舞が修業していた神社から実家に向かう旅路と、彼女がここまで追いつくのに使ったであろう時間を考えれば……。

「……多分、行き違いになってる。」
「えっ」

ぽつりと呟いたヴィントに、さっと青い顔になった舞が振り返った。行綱と似た顔がこうも表情豊かなのは、見ていてとても不思議な気分になる。
修業していた神社にその手紙が届いた頃には、恐らく舞は既に大陸に渡ってしまっていたのだろう。向こうは大層慌てた筈だ。

「むぅ。では、近日中にお主が無事こちらに辿り着いたか安否を確認する手紙が届くかもしれぬな」
「そ、そうですね。こちらからも、すぐに無事を知らせる手紙を書かないと……」

そこで舞は一度、何かを決心するように深呼吸をして、改めてアゼレアに向き直った。

「それで……アゼレア様。どうか一つ、お願い申し上げたい事がございます」
「分かっておる。行綱と一緒の部隊で戦わせてくれ、という事じゃろう?」

先程の紙芝居によれば、舞はその為に魔物となり、この王魔界まで弟を追いかけてきたのだ。
それはアゼレアも、その意を酌んでやりたいのは山々なのだが……。

「しかし、この魔王軍第26突撃部隊は一番に敵陣に切り込み……その中で暴れ続ける事が主な任務という、非常に危険な部隊での」
「あら、良いではありませんか。一番槍は戦場の華と申します」

口元を隠して笑いながら平然とそう答える舞。その辺りは流石行綱の姉といった所か。
アゼレアはふむ、と顎に指を当て、舞の隣に立つ行綱へと視線をずらす。

「行綱。実際のところ、お前の姉はどれ程強いのじゃ?」
「……三年前の時点で、今の私よりも、遥かに」
「…………っ!?」

誰も予想していなかったその返事に、周囲が一斉に息を呑んだ。この男が言うのならば、それは間違いなく強かったのだろう。
彼女はそこからさらに、神にも等しい魔力を持つと言われる九尾の稲荷の下で、一人前と認められる程に修業を修めているというのだ。
アゼレアの顔が、苦笑に変わる。

「それ程ならば、妾の要らぬ心配であったな。……良かろう。次回からは、ここに居る全員と共にお主にも出撃して貰う」
「感謝いたします、アゼレア様。……やりましたよユキちゃんっ!やっと一緒に戦えますねっ」
「……姉上。だから、もう少し大人しく……」

弟に抱き着く姉と、無表情でそれを諫める弟。
そんな二人に、アゼレアはワザとらしくこほん、と咳をして。

「あー、それでじゃな行綱。少しばかり舞と話があっての、男が居ては少々話し辛い事もあるゆえ……先に、席を外してはくれぬかの?」
「…… はっ」

いつも通りの返事をし、行綱が部屋を後にする。
その扉が完全に閉まるのを確認して、アゼレアは口を開いた。

「……舞。先程の紙芝居じゃが……あれは、全て真の話かの?」

姉に気を取られて行綱は気が付いていなかったが……先程の紙芝居を見てから、彼女たちの表情は酷いショックを受けたように固まってしまっていた。
辛うじてその状態を抜け出せていたのは、この事をある程度予想していたアゼレアとヴィントのみ。

『……だから。私が、安恒家の末代になる』

それは、即ち嫁を取らないという事。子を成さないという事。
アゼレアの、ヴィントの前々からの疑問。行綱が、自分達と男女の仲にならないように努めている理由。それがようやく分かったのだ。
しかし……その決意の理由が、余りにも悲壮過ぎて。大体が、寿命が縮む程過酷な修行とは何だ。一体何をどうすればそんな事になる?

「皆さん、私はとても嬉しいです。ユキちゃんの事を好きになってくれている人が、こんなに居て」

彼女が行綱に抱き着いた時の表情の変化、そして彼の過去を知った時の反応から、ここに居る全員が行綱の事を想っているという事は直ぐに分かった。

「あの紙芝居は、全部本当の事です。……だから、安心しました。ユキちゃんが、誰かに力づくで押し倒されたりしていなくて」

弟が魔王軍で戦っていると知った彼女が一番に心配した事は、教団の兵に打ち取られる事では無かった。
それは……戦場程は強く抵抗出来ない、感情を抑えきれなくなった味方相手に、強引に契りを結ばれていないか。

「もし、そうなっていたら……ユキちゃんの事です。最悪の場合、『責任を取れない』と切腹している可能性もありました」
「い、いや、それは考え過ぎじゃねぇの?悪魔に犯される位なら死ぬーとか言ってた神父が、結局デビルやらに襲われていちゃいちゃしてるなんて事はザラなんだぜ?」
「そ、そうだよ!いくらなんでも……」

ほむらとミリアが反論する。
が、声の動揺を隠しきれていないのが、彼女達自身も、あの行綱ならば有り得るかもしれないと思っている何よりの証拠だった。
そんな彼女達に、舞は寂しそうに微笑む。

「もし、それをして大丈夫そうなら……ユキちゃんと一緒に暮らしていた頃の私が、とっくに襲い掛かっています」
「…………」

一緒に暮らしていた頃というのは、つまり彼女はまだ人間だった筈なのだが。
そして人間というのは、基本的に近親相姦は禁忌とされている筈なのだが。
心底寂しそうに微笑む彼女のその言葉が、有無を言わさぬ説得力を伴っていたので……一同は納得するしかなかった。

「……でも、いくらなんでもそんなの行綱が寂しすぎると思うなぁ。私ももう、行綱以外の男を背中に乗せる気なんてないし」
「ええ、私もユキちゃんがこのままで良いとは思っていません」

私も、ユキちゃんのお嫁さんになりたいですしね。と、舞は小さく笑って。

「久しぶりに見たユキちゃんは、私の知っている頃のユキちゃんよりも随分と優しい目をするようになっていました。……あと、少しだと思うんです。あの子が自分から、この中の誰かに手を出せるようになるその時まで。……少しの間だけ、気長に待って貰えると嬉しいです」





―――――――――――――――――――――





魔王城が誇る広大な中庭。そこは禍々しい彫刻と怪しげな魔界植物で彩られた公園のような場所になっており、魔王城で暮らす多くの者達がこの場所で余暇を楽しんでいる。

「…………」

そんな中庭の片隅のベンチに腰掛け、行綱はぼんやりと通り過ぎる魔物やその夫、子供達を眺めていた。
彼の性格上分かりにくいが、舞は彼にとっても、もはや唯一の大切な肉親だ。
彼女が上手く仲間に馴染めているだろうかと、そんな事を考え始めると気が気ではなくて……自分の部屋で、じっともしていられず。彼としては珍しく、部隊の仲間や主に誘われた訳でもないのに、こうして一人で中庭まで足を運んでいたのである。
いや、姉上は間違いなく自分よりも人当たりがいいし、世渡りも上手い。仲間だって、皆気の良い者達ばかりだ。自分が心配するような事でないのは、分かっているつもりなのだが……。

「よっ。どうしたんだ、溜め息なんかついて」

突然かけられた声に、行綱は固まった。それは男の声だった。
彼は基本的に、部隊の仲間と彼の主以外の交友関係を持っていない。
それ以外は、時折部隊の御用聞きに訪れる彩と話すくらいのもので……つまり、こんな風に親しげに声をかけてくるような男性の知人は存在しない筈なのだ。
だが……行綱は確かに、最近その声を何処かで聞いた気がしていた。
行綱が、声の方向へと振り返ると。

「久しぶり、でもないよな。ついこの前戦ったばっかりだ。……隣、いいか?」

格式高い鎧も、装飾の施されたロングソードも。その身に着けてはいなかったが。
そこには見間違えようもない、戦場で一対一の決闘を繰り広げた勇者――エドワード・ルドウィンが、気さくな笑顔を浮かべて立っていた。
18/07/31 20:44更新 / オレンジ
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■作者メッセージ
久しぶりに投稿しました。
行綱にはまだ姉の耳と尻尾は見えていません。

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