第31話「民族浄化」
常識的な思考能力を持つ者だったら、こう言うだろう。
(敵地に1人で乗り込むなんて、無謀だコレール。ここは多少のリスクを犯してでも、複数人で行動するべきだ)
そして私はこう言い返す。
(断る。私は一人で行かせてもらう。他人を嬲り殺しにしたくてたまらないって連中の相手は、私が一番お似合いなのさ)
――――――――――――――――――――――――――――
クァラ族の集落にたどり着いたコレールは、村の中が妙に静かなことに疑問を抱きつつも、内部へと足を踏み入れた。
「(気に入らないな……静かすぎる……)」
コレールは背後を取られないように神経を研ぎ澄ませて、村の中央へと進んでいく。
「(人質はきっとあそこだ……)」
彼女の視線の先には、村の集会などに使われるのであろう、大きな屋敷が佇んでいた。物音はしないが、大勢の人間の気配を感じる。
コレールは後方からの足音に即座に振り向き、振り下ろされた鉄パイプを両手で受け止めると、そのまま体全体でパイプの持ち主ごと、地面に叩きつけた。
襲撃者の手からパイプを奪い取り、腹部に振り下ろそうとするコレール。しかし、違和感の正体に気づいた彼女の動きがピタリと止まる。襲撃者の右足に付けられたドワーフ製の義足に、既視感があったのだ。
「お前……カーティスじゃないか?」
地面に倒された少年も、慌てて顔を覆っていた布を引っ張って、コレールの顔を認識した。
「コレール? どうしてここに……」
思わぬ形での再会に、2人は思わず言葉を失う。
その油断が命取りとなった。気が付いた時には2人は、周囲を武装した兵士たちに囲まれていた。
「くそ……」
「魔王軍の兵士か?」
兵士の一人が尋ねるが、コレールは答えない。
「まぁどっちでもいい。誰であれ俺たちの姿を見た以上、このまま出ていってもらうわけにはいかないからな」
――――――――――――――――――――――――――――
「報告書……記入者……『デスストーカー部隊』隊長……ヴォード=スレイマン……」
インファラードの特殊部隊は、クァラ族の集落から少し離れたところにある空地に、作戦本部を構えていた。
「新入り。お前がとった行動は人としては正しいことなのかもしれん。だが、兵士としては間違っている」
そう言いながら報告書にペンを走らせているのは、顔面に大きな古傷を走らせている、スキンヘッドの男である。
「あのコボルドは確かに人質の身ではあったが、身の安全は保障されていた。それをお前が浅はかな良心で逃がしたことで、彼女の死はほぼ確実なものとなった」
スレイマンの机の前にあるのは、猿轡を噛まされ、頑丈なロープで椅子に縛り付けられた若い兵士の姿である。
「あの子は集落にいる連れの少年のところに向かうだろう。集落の部下には、侵入者は誰であれ始末するよう指示している。残念だが、今から連絡を入れても手遅れだ。いずれにしても軍紀に背いたお前には、それ相応の処置が下る」
若い兵士の目に絶望の色が広がるが、スレイマンは全く興味を示さなかった。
「こちら本部。何かあったのか?」
スレイマンは机の上の水晶が振動するのを見てペンを置いた。
「うむ……よし、分かった。夜になってからそちらに向かう」
スレイマンは水晶を服の中にしまうと、何事もなかったかのようにペンを取り直し、再び報告書の執筆にとりかかった。
―――――――――――――――
「スコーピオン」に捉えられたコレールが入れられたのは、魔物避けの結界となる呪いの札を張り付けた杭を、円上に配置した即席の檻だった。単純な作りではあるが、それ故に効果的な代物である。
「カーティス。お前と一緒にいたキャラバンの人たちはどうしたんだ」
「全員捕まった。補給の為に立ち寄った村で、ベルを含めて人質にされてるってわけだ」
捕虜の見張り役を強いられたカーティスは、コレールに背を向けたまま答える。
「約束を守るような連中とは思えないけどな」
「他に選択肢がないからそうしてるだけだ」
カーティスは投げ槍気味に言い放つと、そのまま地面の上に寝転んだ。
「キャラバンの人たちもあんたもベルも、俺みたいな人間に関わるべきじゃなかったんだ。俺の血は呪われているからな」
「呪い? ……うちに詳しいやつが二人もいる。言ってくれれば治せたのに」
「そういう呪いじゃない。……なぁ、迷信深いとか言ってくれるなよ」
カーティスはコレールの方に向き直ると、沈んだ面持ちのまま語り始めた。
「多分俺の先祖に、末代まで祟られるようなことをしでかした奴がいて、その因果が俺の血の中に流れているんだ。そいつが呪いの様に俺から周囲へと伝染していって、親しい人たちも一緒に不幸になる。俺はそう考えている」
話を聞き終えたコレールは、大きくため息をついた。
「そう投げ槍になるな。私が守ってやるから」
カーティスの方に手を伸ばそうとして結界に手を触れてしまい、空間に白い火花が迸る。
「……この結界から出れたらの話だけどな」
―――――――――――――――――――――――――
――同時刻、魔王軍第七ウィルザード遠征部隊野営地。
真っ青な顔をしたサラマンダーの足元には、無残に引きちぎられた縄と、魔術封じの結界の残骸が散らばっていた。
「マルガレーテ隊長! ティッツァーノが逃げました! 奴が逃げました!」
―――――――――――――――――――――――――
ウィルザードに夜が訪れた。今宵は新月故に夜空に月は浮かばず、村の中を照らす篝火の爆ぜる音だけが、監禁されているコレールへの唯一の慰めとなっている。
「見ろ。奴らのボスのお出ましだ」
カーティスの視線の先には、他の隊員たちと同様黒を基調とした、顔まで隠れる装束の男の姿があった。
男はコレールを閉じ込めた結界まで近づくと、不気味なほどに抑揚のない声で話しかけてきた。
「魔王軍の兵士か」
コレールは男の眼をしばらく見つめてから静かに口を開く。
「ただの通りすがりだ」
コレールとスレイマンは、しばらくの間黙り込んだまま睨み合い、お互いの腹の内を探り合った。
「……少し待っていろ」
先に沈黙を破ったのはスレイマンの方だった。振動する通信用の水晶を取り出し、コレールたちの方には聞き取れないように背を向け、ぼそぼそと話し始める。
「ええ……はい……承りました」
通信を終えたスレイマンは水晶をしまうと、兵士たちに向かって一言だけ命令を下した。
「屋敷に火を放て」
コレールは一瞬、自分の耳がおかしくなってしまったのだと思った。いや、むしろそうであってほしいと。
しかし、兵士たちが何の躊躇もなく捕虜を閉じ込めた屋敷の周りに集まり、
周囲に油を撒き始めたのを見ると、結界に触れることになるのも構わずに杭を握りしめ、大声で叫んだ。
「おい! あんたら正気か! 大勢死ぬぞ!」
スレイマンはコレールの眼前まで近づくと、人差し指を口に当てて「静かに」のジェスチャーをした。
「上の判断だ……事情が変わったんだろう。彼らには死んで貰う他ない」
スレイマンの背後では屋敷全体に着々と火が回っており、中から小さな子供の悲鳴が響き始めている。
「や……やめろ!」
カーティスが血相を変えて目の前で繰り広げられる凶行を止めに走る。しかし、多勢に無勢であり、少年は瞬く間に兵士たちの手によって叩き伏せられ、気を失った。
「それでも人間か……!」
怒りと絶望に震えるコレールの顔を見つめるスレイマン。その眼は駄々をこねる子供を見下ろす父親のようにも見える。
「人間だからこういうことをするのだ、『通りすがり』の魔物娘よ。ましてや私は軍人だ」
スレイマンはそう言い残すとコレールに背を向け、燃え盛る屋敷の方へと歩いていく。彼の頭の中では既に、後始末――結界の中のリザードマンと、キャラバンの人間、そしてこの辺りに潜んでいるであろうコボルドたちの処理を、どのように行うべきかという考えで埋まっていた。
「確かに軍人は、国の命令を遂行するのが仕事だ。そこに善悪の基準を当てはめる方が間違っている」
もしスレイマンが考えをめぐらしておらず、目の前の存在にコンマ数秒早く気づいていれば、後数分ほどは長生きすることが出来ただろう。
その瞬間、束になった黒い触手が彼の腹部を貫き、空中へと持ち上げていた。
「だが殺される者たちにとって、そんなことは関係のない話だ」
「オニモッド!!」
コレールが叫ぶと同時に、スレイマンの体が上半身と下半身に引き裂かれる。
肉体は赤黒い血と肉片を撒き散らしながら地面に叩きつけられ、その眼は一瞬にして生気を失った。
異変に気がついた兵士たちは、すぐさま行動に移った。
司令官を失っても彼らの統率は失われておらず、一切の無駄の無い動きでMr.スマイリーの周囲を取り囲む。
「オニモッド! そいつらに構うな! 魔法で屋敷の中からクァラ族を助けろ!」
「手遅れだよコレール。火が回りすぎている。それに黒魔術は死と破壊にのみ使われる術だ。人命救助には何の役にも立ちはしない」
オニモッドが手を振りかざすと、目の前の兵士が急に悲鳴を上げて身悶えし、その体はぐずぐずに溶けていった。
――――――――――――
ーー時間は少し遡る。
「ど、どうしよう……」
コボルドのベルは、兵士たちの目の届かない物陰で、屋敷が燃えていくのを見ていることしかできなかった。
スコーピオンの新兵の協力によってスレイマンの元から逃れられたベルは、ひとまずカーティスと合流しようとして、クァラ族の集落へと降りてきていた。
先にキャラバンの仲間を解放しようとはしたが、見つかるリスクを考えると得策ではないと新兵に教わったのだ。
だが頼みの綱のカーティスはおろか、以前力を貸してくれたコレールまで兵士たちに厳重に見張られており、非力な彼女には待つという選択肢しか残されていなかった。
そして今、彼女の目の前では燃え盛る炎による、民族浄化が行われていた。
「逃げなきゃ……!」
踵を返そうとするベルの耳に、子供の泣き叫ぶ声が嫌が応にも入り込んでくる。
その時彼女の脳裏に二人の人物の姿が横切った。
一人は明日の見えない生活の中で、純粋な善意の施しという希望を与えてくれたリザードマン。
そしてもう一人は、自分を命がけで奴隷商人の手から逃がしてくれた少年だった。
「(ねぇ、兄貴はどうしておいらのことを助けてくれたの?)」
「(分からねえよ。ただあの時は、体が勝手に動いたんだ)」
その場で振り返り、炎に包まれる屋敷をもう一度目にする。
「助けなきゃ……!」
決断と同時にベルは、屋敷の方へと全力で走っていった。
かろうじて火の回り方が遅れている壁に狙いを定め、全力の体当たりを繰り返し何度もぶつけていく。
熱い火の粉が顔や肩に降りかかるが、彼女が躊躇することはなかった。
小柄なコボルドといえど、魔物娘の全力である。
建物全体が脆くなり始めていたこともあり、何度目かの衝突と同時に、ベルの体は壁を破って屋敷の中へと倒れ込んだ。
「早く! 急いで外に!」
ベルの言葉に一瞬で状況を察したクァラ族の人々は、子供や怪我人を庇いつつ、壁の穴から続々と脱出していく。
この騒ぎは集落を制圧した兵士たちの耳にも届いているはずだが、それどころではないのか、彼らが邪魔してくるようなことはなかった。
「ありがとう……ありがとう……!」
ベルの肩を借りた長老らしき人物が、最後に出てくるのとほぼ同時に、屋敷は轟音を立てて崩れ落ちる。
「燃えてる……全部……」
人々の暮らす集落が炎によって灰と化していく有り様を前にして、ベルはすすり泣くクァラ族の幼子を抱きしめることしかできなかった。
―――――――――――――――――
「ベル!」
「コレール……さん……」
ようやく結界から脱出することができたコレールは、傷を負ったカーティスを背負い、クァラ族の人々を救い出したベルと合流した。
「ごめんなさい……買ってもらったワンピース、汚しちゃった……」
そんなことは気にしなくていい。無事でよかった。よく頑張ったな。
コレールはそう言おうとしたが、言葉にすることができなかった。
灰と火傷でボロボロになったコボルドの少女の体を抱き支える。
本来であれば、このような仕事は自分の役目なのだ。
「コレールさん……あれは……」
ベルの視線の先にいたのは、スコーピオンの兵士たちを一人残らず惨殺し終えたMr.スマイリーの姿だった。
その恐ろしい笑みを浮かべた顔面は返り血で染まり、不気味な肌の色と紅白のコントラストを描いている。
彼の足元に散らばる兵士たちの肉片や内蔵には、巨大なネズミやムカデの怪物がうぞうぞと集っていた。
集落を燃やす炎によって照らし出される凄惨な光景は、正に地獄の具現というにふさわしい有り様である。
「見なくていい……安全な所に行こう」
コレールはベルの肩をぐっと掴むと、彼女の体を両腕に抱え、クァラ族の人々を魔王軍の野営地へと先導するのであった。
――第32話に続く。
(敵地に1人で乗り込むなんて、無謀だコレール。ここは多少のリスクを犯してでも、複数人で行動するべきだ)
そして私はこう言い返す。
(断る。私は一人で行かせてもらう。他人を嬲り殺しにしたくてたまらないって連中の相手は、私が一番お似合いなのさ)
――――――――――――――――――――――――――――
クァラ族の集落にたどり着いたコレールは、村の中が妙に静かなことに疑問を抱きつつも、内部へと足を踏み入れた。
「(気に入らないな……静かすぎる……)」
コレールは背後を取られないように神経を研ぎ澄ませて、村の中央へと進んでいく。
「(人質はきっとあそこだ……)」
彼女の視線の先には、村の集会などに使われるのであろう、大きな屋敷が佇んでいた。物音はしないが、大勢の人間の気配を感じる。
コレールは後方からの足音に即座に振り向き、振り下ろされた鉄パイプを両手で受け止めると、そのまま体全体でパイプの持ち主ごと、地面に叩きつけた。
襲撃者の手からパイプを奪い取り、腹部に振り下ろそうとするコレール。しかし、違和感の正体に気づいた彼女の動きがピタリと止まる。襲撃者の右足に付けられたドワーフ製の義足に、既視感があったのだ。
「お前……カーティスじゃないか?」
地面に倒された少年も、慌てて顔を覆っていた布を引っ張って、コレールの顔を認識した。
「コレール? どうしてここに……」
思わぬ形での再会に、2人は思わず言葉を失う。
その油断が命取りとなった。気が付いた時には2人は、周囲を武装した兵士たちに囲まれていた。
「くそ……」
「魔王軍の兵士か?」
兵士の一人が尋ねるが、コレールは答えない。
「まぁどっちでもいい。誰であれ俺たちの姿を見た以上、このまま出ていってもらうわけにはいかないからな」
――――――――――――――――――――――――――――
「報告書……記入者……『デスストーカー部隊』隊長……ヴォード=スレイマン……」
インファラードの特殊部隊は、クァラ族の集落から少し離れたところにある空地に、作戦本部を構えていた。
「新入り。お前がとった行動は人としては正しいことなのかもしれん。だが、兵士としては間違っている」
そう言いながら報告書にペンを走らせているのは、顔面に大きな古傷を走らせている、スキンヘッドの男である。
「あのコボルドは確かに人質の身ではあったが、身の安全は保障されていた。それをお前が浅はかな良心で逃がしたことで、彼女の死はほぼ確実なものとなった」
スレイマンの机の前にあるのは、猿轡を噛まされ、頑丈なロープで椅子に縛り付けられた若い兵士の姿である。
「あの子は集落にいる連れの少年のところに向かうだろう。集落の部下には、侵入者は誰であれ始末するよう指示している。残念だが、今から連絡を入れても手遅れだ。いずれにしても軍紀に背いたお前には、それ相応の処置が下る」
若い兵士の目に絶望の色が広がるが、スレイマンは全く興味を示さなかった。
「こちら本部。何かあったのか?」
スレイマンは机の上の水晶が振動するのを見てペンを置いた。
「うむ……よし、分かった。夜になってからそちらに向かう」
スレイマンは水晶を服の中にしまうと、何事もなかったかのようにペンを取り直し、再び報告書の執筆にとりかかった。
―――――――――――――――
「スコーピオン」に捉えられたコレールが入れられたのは、魔物避けの結界となる呪いの札を張り付けた杭を、円上に配置した即席の檻だった。単純な作りではあるが、それ故に効果的な代物である。
「カーティス。お前と一緒にいたキャラバンの人たちはどうしたんだ」
「全員捕まった。補給の為に立ち寄った村で、ベルを含めて人質にされてるってわけだ」
捕虜の見張り役を強いられたカーティスは、コレールに背を向けたまま答える。
「約束を守るような連中とは思えないけどな」
「他に選択肢がないからそうしてるだけだ」
カーティスは投げ槍気味に言い放つと、そのまま地面の上に寝転んだ。
「キャラバンの人たちもあんたもベルも、俺みたいな人間に関わるべきじゃなかったんだ。俺の血は呪われているからな」
「呪い? ……うちに詳しいやつが二人もいる。言ってくれれば治せたのに」
「そういう呪いじゃない。……なぁ、迷信深いとか言ってくれるなよ」
カーティスはコレールの方に向き直ると、沈んだ面持ちのまま語り始めた。
「多分俺の先祖に、末代まで祟られるようなことをしでかした奴がいて、その因果が俺の血の中に流れているんだ。そいつが呪いの様に俺から周囲へと伝染していって、親しい人たちも一緒に不幸になる。俺はそう考えている」
話を聞き終えたコレールは、大きくため息をついた。
「そう投げ槍になるな。私が守ってやるから」
カーティスの方に手を伸ばそうとして結界に手を触れてしまい、空間に白い火花が迸る。
「……この結界から出れたらの話だけどな」
―――――――――――――――――――――――――
――同時刻、魔王軍第七ウィルザード遠征部隊野営地。
真っ青な顔をしたサラマンダーの足元には、無残に引きちぎられた縄と、魔術封じの結界の残骸が散らばっていた。
「マルガレーテ隊長! ティッツァーノが逃げました! 奴が逃げました!」
―――――――――――――――――――――――――
ウィルザードに夜が訪れた。今宵は新月故に夜空に月は浮かばず、村の中を照らす篝火の爆ぜる音だけが、監禁されているコレールへの唯一の慰めとなっている。
「見ろ。奴らのボスのお出ましだ」
カーティスの視線の先には、他の隊員たちと同様黒を基調とした、顔まで隠れる装束の男の姿があった。
男はコレールを閉じ込めた結界まで近づくと、不気味なほどに抑揚のない声で話しかけてきた。
「魔王軍の兵士か」
コレールは男の眼をしばらく見つめてから静かに口を開く。
「ただの通りすがりだ」
コレールとスレイマンは、しばらくの間黙り込んだまま睨み合い、お互いの腹の内を探り合った。
「……少し待っていろ」
先に沈黙を破ったのはスレイマンの方だった。振動する通信用の水晶を取り出し、コレールたちの方には聞き取れないように背を向け、ぼそぼそと話し始める。
「ええ……はい……承りました」
通信を終えたスレイマンは水晶をしまうと、兵士たちに向かって一言だけ命令を下した。
「屋敷に火を放て」
コレールは一瞬、自分の耳がおかしくなってしまったのだと思った。いや、むしろそうであってほしいと。
しかし、兵士たちが何の躊躇もなく捕虜を閉じ込めた屋敷の周りに集まり、
周囲に油を撒き始めたのを見ると、結界に触れることになるのも構わずに杭を握りしめ、大声で叫んだ。
「おい! あんたら正気か! 大勢死ぬぞ!」
スレイマンはコレールの眼前まで近づくと、人差し指を口に当てて「静かに」のジェスチャーをした。
「上の判断だ……事情が変わったんだろう。彼らには死んで貰う他ない」
スレイマンの背後では屋敷全体に着々と火が回っており、中から小さな子供の悲鳴が響き始めている。
「や……やめろ!」
カーティスが血相を変えて目の前で繰り広げられる凶行を止めに走る。しかし、多勢に無勢であり、少年は瞬く間に兵士たちの手によって叩き伏せられ、気を失った。
「それでも人間か……!」
怒りと絶望に震えるコレールの顔を見つめるスレイマン。その眼は駄々をこねる子供を見下ろす父親のようにも見える。
「人間だからこういうことをするのだ、『通りすがり』の魔物娘よ。ましてや私は軍人だ」
スレイマンはそう言い残すとコレールに背を向け、燃え盛る屋敷の方へと歩いていく。彼の頭の中では既に、後始末――結界の中のリザードマンと、キャラバンの人間、そしてこの辺りに潜んでいるであろうコボルドたちの処理を、どのように行うべきかという考えで埋まっていた。
「確かに軍人は、国の命令を遂行するのが仕事だ。そこに善悪の基準を当てはめる方が間違っている」
もしスレイマンが考えをめぐらしておらず、目の前の存在にコンマ数秒早く気づいていれば、後数分ほどは長生きすることが出来ただろう。
その瞬間、束になった黒い触手が彼の腹部を貫き、空中へと持ち上げていた。
「だが殺される者たちにとって、そんなことは関係のない話だ」
「オニモッド!!」
コレールが叫ぶと同時に、スレイマンの体が上半身と下半身に引き裂かれる。
肉体は赤黒い血と肉片を撒き散らしながら地面に叩きつけられ、その眼は一瞬にして生気を失った。
異変に気がついた兵士たちは、すぐさま行動に移った。
司令官を失っても彼らの統率は失われておらず、一切の無駄の無い動きでMr.スマイリーの周囲を取り囲む。
「オニモッド! そいつらに構うな! 魔法で屋敷の中からクァラ族を助けろ!」
「手遅れだよコレール。火が回りすぎている。それに黒魔術は死と破壊にのみ使われる術だ。人命救助には何の役にも立ちはしない」
オニモッドが手を振りかざすと、目の前の兵士が急に悲鳴を上げて身悶えし、その体はぐずぐずに溶けていった。
――――――――――――
ーー時間は少し遡る。
「ど、どうしよう……」
コボルドのベルは、兵士たちの目の届かない物陰で、屋敷が燃えていくのを見ていることしかできなかった。
スコーピオンの新兵の協力によってスレイマンの元から逃れられたベルは、ひとまずカーティスと合流しようとして、クァラ族の集落へと降りてきていた。
先にキャラバンの仲間を解放しようとはしたが、見つかるリスクを考えると得策ではないと新兵に教わったのだ。
だが頼みの綱のカーティスはおろか、以前力を貸してくれたコレールまで兵士たちに厳重に見張られており、非力な彼女には待つという選択肢しか残されていなかった。
そして今、彼女の目の前では燃え盛る炎による、民族浄化が行われていた。
「逃げなきゃ……!」
踵を返そうとするベルの耳に、子供の泣き叫ぶ声が嫌が応にも入り込んでくる。
その時彼女の脳裏に二人の人物の姿が横切った。
一人は明日の見えない生活の中で、純粋な善意の施しという希望を与えてくれたリザードマン。
そしてもう一人は、自分を命がけで奴隷商人の手から逃がしてくれた少年だった。
「(ねぇ、兄貴はどうしておいらのことを助けてくれたの?)」
「(分からねえよ。ただあの時は、体が勝手に動いたんだ)」
その場で振り返り、炎に包まれる屋敷をもう一度目にする。
「助けなきゃ……!」
決断と同時にベルは、屋敷の方へと全力で走っていった。
かろうじて火の回り方が遅れている壁に狙いを定め、全力の体当たりを繰り返し何度もぶつけていく。
熱い火の粉が顔や肩に降りかかるが、彼女が躊躇することはなかった。
小柄なコボルドといえど、魔物娘の全力である。
建物全体が脆くなり始めていたこともあり、何度目かの衝突と同時に、ベルの体は壁を破って屋敷の中へと倒れ込んだ。
「早く! 急いで外に!」
ベルの言葉に一瞬で状況を察したクァラ族の人々は、子供や怪我人を庇いつつ、壁の穴から続々と脱出していく。
この騒ぎは集落を制圧した兵士たちの耳にも届いているはずだが、それどころではないのか、彼らが邪魔してくるようなことはなかった。
「ありがとう……ありがとう……!」
ベルの肩を借りた長老らしき人物が、最後に出てくるのとほぼ同時に、屋敷は轟音を立てて崩れ落ちる。
「燃えてる……全部……」
人々の暮らす集落が炎によって灰と化していく有り様を前にして、ベルはすすり泣くクァラ族の幼子を抱きしめることしかできなかった。
―――――――――――――――――
「ベル!」
「コレール……さん……」
ようやく結界から脱出することができたコレールは、傷を負ったカーティスを背負い、クァラ族の人々を救い出したベルと合流した。
「ごめんなさい……買ってもらったワンピース、汚しちゃった……」
そんなことは気にしなくていい。無事でよかった。よく頑張ったな。
コレールはそう言おうとしたが、言葉にすることができなかった。
灰と火傷でボロボロになったコボルドの少女の体を抱き支える。
本来であれば、このような仕事は自分の役目なのだ。
「コレールさん……あれは……」
ベルの視線の先にいたのは、スコーピオンの兵士たちを一人残らず惨殺し終えたMr.スマイリーの姿だった。
その恐ろしい笑みを浮かべた顔面は返り血で染まり、不気味な肌の色と紅白のコントラストを描いている。
彼の足元に散らばる兵士たちの肉片や内蔵には、巨大なネズミやムカデの怪物がうぞうぞと集っていた。
集落を燃やす炎によって照らし出される凄惨な光景は、正に地獄の具現というにふさわしい有り様である。
「見なくていい……安全な所に行こう」
コレールはベルの肩をぐっと掴むと、彼女の体を両腕に抱え、クァラ族の人々を魔王軍の野営地へと先導するのであった。
――第32話に続く。
18/08/05 16:24更新 / SHAR!P
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