第15話「風が吹き抜けていく青空の下で@」
『砕け散った名君の仮面! 砂漠の水晶に秘められた奴隷売買の闇!』
「……うん、記事のタイトルはこんな感じで良さそうだね」
そう言うと 褐色肌の青年ーーに変装したアヌビスの少女は、満足気な表情で手帳を閉じる。
アレクサンドラの死から2日が経ち、ゴタゴタを済ませたコレールたちは、初日に訪れた大衆食堂トラトリアで、本件に関してカナリのインタビューを受けていた。弟が無事に助かってご満悦のペリコも一緒だ。
サリムとアラークは避難通路から城の外へと脱出した後、街中を見回っていたり、兵舎の中に居たり、状況を把握できずに城の中で右往左往していた衛兵たちを取りまとめて、暴徒と化していた奴隷たちを鎮圧した。アレクサンドラの石像は既に原型を留めていない砂利と化していた。
広間で石像と化していた魔王軍の魔物娘たちは、サリムの指示によって直ぐさま石化の呪いを解かれ、自由の身を手に入れた。最初は自らの身に起きた出来事に戸惑う魔物娘も多かったが、最終的に大部分が魔王軍のウィルザードにおける拠点へと帰投することが出来た。
アレクサンドラの死によって空白となった玉座には自動的にサリムが座ることとなり、現在はアラークと共に、売られかけた人々への慰謝料の調達や、既に奴隷として売られてしまった人々の追跡と、奴隷の購入者などその他の関係者の特定に当たっているという。
「それにしても、女王が奴隷売買に手を染めていたなんて、恐ろしいな。もしかしたら、行方不明者の身辺を探り回っていた僕も、その例の広間に石像として飾られていたかもしれないね」
カナリはポケットから一枚の羊皮紙を取り出して、コレールの前に広げた。
「なんだ、これ? 地図か?」
「そ。貴方たち、ウィルザードで魂の宝玉っていうのを探してるんでしょ? それならハースハートに来るといいよ。そういうアーティファクトについて調べるのに適した大図書館もあるし、貴方たちが来るのを待っている間、僕の方でも調べておくよ」
カナリはコレールに自宅の周辺地図を手渡すと、腰を上げて親しみを込めた笑顔を浮かべた。
「ハースハートに着いたら、一番最初に僕の家を訪ねてね! ヒーローをうちに迎えることが出来るなんて、光栄だからさ!」
「ヒーロー……ね……」
トラトリアを後にするカナリの背中を見送った後、テーブルの上のジョッキを見つめながら、クリスは重苦しい溜め息をついた。
「おい……まさかてめぇ、まだアレクサンドラのこと引きずってるんじゃねえだろうな」
クリスの様子に気づいたドミノは、イラついた表情でフォークを手に取り、先端でテーブルをコンコンと突っつき始める。
「目の前であんな死に方されたら、引きずりもするわよ。本当に助ける方法はなかったのかって。彼女にもやり直す機会があったんじゃないかって……」
ドミノはクリスに対して怒濤の勢いで、彼女の考え方が如何に偽善的で、道徳に反するかを指摘しようとしたが、その前にコレールが強めにテーブルを叩いたため、この場は沈黙するべきだと考え直した。
「クリス。この件に関して、これ以上議論するのは無しだ。お前も、他の皆も、出来る限りのことをやった。私たちは神様じゃないんだ。全ての人間や魔物娘を救えるわけじゃない」
コレールの毅然とした言葉にクリスも黙って頷き、これ以上アレクサンドラの話を蒸し返さないことに決めた。
「んなことより、エミィはまだなのか? 早くしないとパスタが来ちまうぜ!」
「エミィには次の遠征に必要な物資の調達を頼んでる。そろそろ戻ってくるはずだ」
「はぁ!? ボス、あんたあんなことがあった直後にエミィを一人で行動させるとか、気は確かか!?」
「一人じゃないわよぉ。優秀なボディーガードが付いてるわ」
ドミノとコレールの会話に、頬杖をついたペリコが穏やかに横やりを入れてきた。
「ていうか、あの子に一緒にいるように指示したのって、ドミノじゃないの?」
「え? ……あ……あー……そういえばそうだった……」
「頭の中にネズミが巣でも作ってるんじゃない?」
ドミノはクリスの皮肉に耳穴の消毒が必要になるレベルの汚ならしい言葉で反撃しようとしたが、コレールが再び 強めにテーブルを叩いたため、この場は沈黙するべきだと改めて考え直した。
ーーーーーーーーーーーーー
「ふぅ、ふう……重いです……」
真昼の炎天下の街中を、背中に大量の荷物を背負ったホブゴブリンがのそのそと歩いていた。
奴隷売買の事件の後、ドミノとクリスの服は本人たちの手に戻ってきたのだが、何故かエミリアの服だけは行方不明となって戻ってこなかったため、彼女は新しい旅用の装備を調達せざるを得なかった。
とは言うものの、薄手の革で拵えられたビキニアーマー(以前の服とは逆で、下乳が丸見えである)に、地面からの照り返しから身を守るための純白の腰布のみの格好を、旅用の装備と言い張るには、魔物娘でなければ勇気がいることだろう。
そのような扇情的な服装の少女が、重い荷物を背負って動きが鈍くなっていると分かれば、当然良からぬことを考える輩も出てくるものである。
「おう、姉ちゃん。チビっこい割りにええ乳しとるのう」
昼間から酒を飲んでほろ酔い気分の中年男性が、下心丸出しの表情でエミリアの胸に手を伸ばす。
迂闊なことに、その男性はホブゴブリンの少女の側で彼女と同様に荷物を背負っている、小柄なエルフの少年を気に留めることはしなかった。
ボギイッ!!!
「え……あっ、えっ、あぎゃあぁあぁぁぁ!!?」
その結果がこの有り様である。年端もいかない魔物の少女のおっぱいを触ろうとしたスケベおやじの親指は、エルフの少年の、重い荷物を背負ってるようには思えないほどの俊敏な動きによって、へし折られていた。
「な、なにすんだこんちくーー(ベギッ!!!)あびゃあぁあぁあぁぁっ!!!」
パルムは念のために小指の方もへし折っておくと、ボディーガードらしくエミリアの手を取り、彼女を連れてその場を足早に立ち去った。
「あ、あの……助けてくれてありがとう。でも、あそこまでする必要はないかなって……」
コレールたちの待っている「トラトリア」の前で、エミリアは遠回しにパルムのやり方に苦言を呈していた。だが、パルムにとって先程の行動は、自身がこれから世話になるパーティの「先輩」からの指示に、忠実に従ったに過ぎないのだ。
ーーーーーーーーーーーーー
「(いいか、パルム。俺の名前はドミノ=ティッツアーノ。お前より先にこのパーティに加わった男。つまりはお前の先輩で、年齢も俺の方が上だ。先輩の言うことにはちゃんと従うんだぞ。そうすりゃ俺もお前のことを守ってやる)」
「(……(コクコク))」
「(よしよし。それじゃあこのパーティでのお前の最初の仕事は、エミィのボディーガードだ。この子に指一寸でも触れようとする輩が居たら、誰であろうとその指をぶち折ってやれ)」
「(……(コクコク))」
「(……お前、喋れないのな)」
「(……(コクリ))」
ーーーーーーーーーーーーーーー
「あれ、あそこに誰か……」
エミリアは、トラトリアの厨房裏に面する細い路地に、二つの小さな人影が動いているのを目にした。
「くそ、なんで奴等がここにいるんだ……!」
浅黒く、傷だらけの肌に、ボサボサの茶髪の少年が、厨房裏の窓から店内を伺い、悪態をついている。
「どうしよう、兄貴……雇い主の女王様も死んじゃったていう噂だし……」
少年の側でオドオドしているのは、 灰を被った子犬の様な色の毛に全身を覆われたコボルトだ。
「こうなったらもう、サンリスタルに居ても良いことはねえな。今すぐ出発するぞ」
「えっ、でも、ご飯……」
「ベル! この、馬鹿! あいつらに見つかって捕まりでもしたらーーって、そこのお前! 近寄るな!」
柄の悪い少年の言葉に、近くまで寄って話しかけようとしたエミリアの足がピタッと止まる。
「待てよ……そうだお前、あの時の! 糞が、捕まりはしねぇぞ……!」
「えっ、ちょっと待って、私はただ、店の中にいる友達に用事があるのかなって……」
エミリアの弁明にも耳を貸さず、少年は金属パイプを構えて、興奮した様子で彼女の顔を睨み付ける。
二人の間に会話が成り立たないのも無理はない。このボサボサ髪の少年ーーカーティスがコレールたちと一悶着起こしたとき、エミリアは体調を崩して寝込んでいた。つまりカーティスはエミリアの容姿に見覚えがあっても、エミリアにとってカーティスは初対面の人間なのだ。話の経緯自体は聞かされてはいたものの、目の前にいる少年が当事者であることなど、気づけるはずもない。
混乱するエミリアを庇うようにして、パルムは懐から取り出したナイフを少年に突き付ける。コボルトの少女、ベルもカーティスを止められそうにはない。路地裏は一瞬即発の雰囲気に包まれる。
「……!」
カーティスは獲物を狙う山猫の様な眼で、少しずつ間合いを縮めていく。対峙するパルムも、いつ飛び掛かられても迎撃できる体勢を維持していた。
お互いの距離は確実に縮まっていき、既に後一歩踏み込めば確実に致命傷を与えられる程の間合いに、二人とも足を踏み入れている。勝負が決まる一瞬が近いことを意味する、氷のような沈黙が辺りを包み込み、そしてーー。
グボッ、ギュルルルルルルルルッッ……
文字通り、気の抜けたような音が路地裏に響き渡った。その余りにも間抜けな大音量の響きに、エミリアは思わず眼を丸くして、恐る恐る少年に声をかける。
「え……今のって……もしかして、う○ち……」
「ち、違うわボケ!」
顔を真っ赤にして叫ぶカーティスの後ろで、再び気の抜けた音が鳴り響く。
「これ……お腹の……虫の音なの……」
カーティス以上に顔を真っ赤にしたベルが、お腹を押さえながら蚊の鳴くような声で、音の正体を語った。
「あー……えっと、お腹が空いてるんですね! それなら一緒にご飯を食べましょう!」
エミリアはほんの少し戸惑ったものの、両手をパンと叩いていつもの調子を取り戻したかと思うと、少年の腕を取ってトラトリアの店内へと連れていこうとする。
「お、おいちょっと待てよ!」
予想外の行動をとられたカーティスは当然エミリアの腕を振り払おうとするがーー。
「ここのパスタは凄く美味しいんですよ! さぁ、コボルトちゃんもついてきて!」
ムニンッ♪
「(おおっ!?)」
すぐに、自分の腕がホブゴブリンの少女の豊満な胸に密着していることに気が付く。思春期を迎えたばかりの少年にとって、この柔らかさは余りにも強すぎる刺激である。結局カーティスは、腕に押し付けられる極上の感触に耳まで真っ赤にしながら、無抵抗でトラトリアの店内まで案内されていった。
「うう……」
ベルはカーティスを引きずっていくエミリアの胸と、自分の平坦な胸を見比べてから、涙目で掌の肉球を自信の平原に押し付ける。
彼女が女として深い劣等感を感じていることを察したパルムは、懐から棒つきキャンディーを取り出してベルに差し出したが、無言で押し退けられたので自分で食べることにした。
ーーーーーーーーーーーーーー
トラトリアの店内では、コレールとペリコがパルムの処遇について話し込んでいた。
「それじゃあ、うちのパルムをよろしく頼むわね! あの子、貴方に随分懐いてるみたいだし、喜ぶと思うわ!」
「任せろ。あの子が一緒に旅をしてくれるって言うなら、こっちからお願いしたいくらいさ、それよりお前の方は一人で大丈夫なのか? 女一人でウィルザードを旅するのはさすがに危なっかしいだろ」
「大丈夫よ。用心棒を雇うぐらいのお金は間に合ってるわ。それに、そろそろ一度、故郷のエルフの森に戻ろうとも思ってるしーー」
「ここで会ったが百年目ぇーー!!! エミィ、そのガキちゃんと押さえてろ! 切り刻んでやらぁっ!!」
ドミノの発狂染みた叫びに驚いて、振り向いた二人の視線の先には、店の入り口で少年とコボルトを連れたエミリアの姿があった。
ドミノは衆目に晒されているのにも関わらず、少年たちを宣言通りの目に遭わせようと店内で闇の魔法を発動しかけたが、エミリアがこれまで一度も見せたことの無いような鋭い目付きで睨み付けてきたため、おずおずと魔法を解除し、何事も無かったかのように椅子に座った。
「えっと……こ、この人たちにスパゲッティを食べさせてやりたいのですが、かまいませんね!!」
叫ぶようにいったエミリアに、テーブルの仲間は何を質問するわけでもなく、かといって嫌悪の表情もなく、コレールは自分に運ばれたスパゲッティの皿をベルの前に、クリスはドミノに運ばれた皿をカーティスの前に差し出した(ドミノは愕然とした表情になった)。
「ていうか貴方よく見ると、前に私の作ったドワーフ仕込みの義足を持ち逃げした子じゃない……」
ペリコは耳をピクピクさせながらジト目で話しかけたが、ミートソーススパゲッティを無我夢中で掻き込むカーティスの耳には届いていなかった。
「義足の代金も私が立て替えるよ、ペリコ」
コレールの言葉を聞いたカーティスは、殆ど飲み込むような勢いでスパゲッティを胃の中に流し込むと、不信と困惑に満ちた目で彼女を睨み付ける。
「何で、俺たちに飯を食わせたんだ?」
「何で、とはどういう意味?」
コレールは口角を少しつり上げながら聞き返す。
「俺があんた達を殺そうとしたこと、覚えてるだろ? あの時の契約は、雇い主が死んだみたいで、結局おじゃんになっちまったけど……一体、あんた達にどんな利益があるってんのか、聞いてるんだよ」
「ふっ」
「い……今、鼻で笑ったろ! 馬鹿にすんな! ーーむぐっ」
コレールは、少年のミートソースまみれの口回りをナプキンで綺麗に拭いてやると、ちょうどカルボナーラを食べ終わって幸せそうな表情をしていたベルをお姫様だっこの要領で抱え上げた。
「そういう込み入った話は、取り合えず身だしなみを整えてからにしような。クリス、ペリコ。この子の服を見繕うのを手伝ってくれ」
「お、おいあんた!」
「坊主、お前はエミィたちとアイスクリームでも食べてきな」
コレールはカーティスに向かって、不安気な子供を安心させようとする母親の様な、優しい笑みを投げ掛ける。そんな彼女の表情をベルは、鱗に覆われ引き締まっている腕の中で、ポカンと見上げていた。
ーー第16話に続く。
「……うん、記事のタイトルはこんな感じで良さそうだね」
そう言うと 褐色肌の青年ーーに変装したアヌビスの少女は、満足気な表情で手帳を閉じる。
アレクサンドラの死から2日が経ち、ゴタゴタを済ませたコレールたちは、初日に訪れた大衆食堂トラトリアで、本件に関してカナリのインタビューを受けていた。弟が無事に助かってご満悦のペリコも一緒だ。
サリムとアラークは避難通路から城の外へと脱出した後、街中を見回っていたり、兵舎の中に居たり、状況を把握できずに城の中で右往左往していた衛兵たちを取りまとめて、暴徒と化していた奴隷たちを鎮圧した。アレクサンドラの石像は既に原型を留めていない砂利と化していた。
広間で石像と化していた魔王軍の魔物娘たちは、サリムの指示によって直ぐさま石化の呪いを解かれ、自由の身を手に入れた。最初は自らの身に起きた出来事に戸惑う魔物娘も多かったが、最終的に大部分が魔王軍のウィルザードにおける拠点へと帰投することが出来た。
アレクサンドラの死によって空白となった玉座には自動的にサリムが座ることとなり、現在はアラークと共に、売られかけた人々への慰謝料の調達や、既に奴隷として売られてしまった人々の追跡と、奴隷の購入者などその他の関係者の特定に当たっているという。
「それにしても、女王が奴隷売買に手を染めていたなんて、恐ろしいな。もしかしたら、行方不明者の身辺を探り回っていた僕も、その例の広間に石像として飾られていたかもしれないね」
カナリはポケットから一枚の羊皮紙を取り出して、コレールの前に広げた。
「なんだ、これ? 地図か?」
「そ。貴方たち、ウィルザードで魂の宝玉っていうのを探してるんでしょ? それならハースハートに来るといいよ。そういうアーティファクトについて調べるのに適した大図書館もあるし、貴方たちが来るのを待っている間、僕の方でも調べておくよ」
カナリはコレールに自宅の周辺地図を手渡すと、腰を上げて親しみを込めた笑顔を浮かべた。
「ハースハートに着いたら、一番最初に僕の家を訪ねてね! ヒーローをうちに迎えることが出来るなんて、光栄だからさ!」
「ヒーロー……ね……」
トラトリアを後にするカナリの背中を見送った後、テーブルの上のジョッキを見つめながら、クリスは重苦しい溜め息をついた。
「おい……まさかてめぇ、まだアレクサンドラのこと引きずってるんじゃねえだろうな」
クリスの様子に気づいたドミノは、イラついた表情でフォークを手に取り、先端でテーブルをコンコンと突っつき始める。
「目の前であんな死に方されたら、引きずりもするわよ。本当に助ける方法はなかったのかって。彼女にもやり直す機会があったんじゃないかって……」
ドミノはクリスに対して怒濤の勢いで、彼女の考え方が如何に偽善的で、道徳に反するかを指摘しようとしたが、その前にコレールが強めにテーブルを叩いたため、この場は沈黙するべきだと考え直した。
「クリス。この件に関して、これ以上議論するのは無しだ。お前も、他の皆も、出来る限りのことをやった。私たちは神様じゃないんだ。全ての人間や魔物娘を救えるわけじゃない」
コレールの毅然とした言葉にクリスも黙って頷き、これ以上アレクサンドラの話を蒸し返さないことに決めた。
「んなことより、エミィはまだなのか? 早くしないとパスタが来ちまうぜ!」
「エミィには次の遠征に必要な物資の調達を頼んでる。そろそろ戻ってくるはずだ」
「はぁ!? ボス、あんたあんなことがあった直後にエミィを一人で行動させるとか、気は確かか!?」
「一人じゃないわよぉ。優秀なボディーガードが付いてるわ」
ドミノとコレールの会話に、頬杖をついたペリコが穏やかに横やりを入れてきた。
「ていうか、あの子に一緒にいるように指示したのって、ドミノじゃないの?」
「え? ……あ……あー……そういえばそうだった……」
「頭の中にネズミが巣でも作ってるんじゃない?」
ドミノはクリスの皮肉に耳穴の消毒が必要になるレベルの汚ならしい言葉で反撃しようとしたが、コレールが再び 強めにテーブルを叩いたため、この場は沈黙するべきだと改めて考え直した。
ーーーーーーーーーーーーー
「ふぅ、ふう……重いです……」
真昼の炎天下の街中を、背中に大量の荷物を背負ったホブゴブリンがのそのそと歩いていた。
奴隷売買の事件の後、ドミノとクリスの服は本人たちの手に戻ってきたのだが、何故かエミリアの服だけは行方不明となって戻ってこなかったため、彼女は新しい旅用の装備を調達せざるを得なかった。
とは言うものの、薄手の革で拵えられたビキニアーマー(以前の服とは逆で、下乳が丸見えである)に、地面からの照り返しから身を守るための純白の腰布のみの格好を、旅用の装備と言い張るには、魔物娘でなければ勇気がいることだろう。
そのような扇情的な服装の少女が、重い荷物を背負って動きが鈍くなっていると分かれば、当然良からぬことを考える輩も出てくるものである。
「おう、姉ちゃん。チビっこい割りにええ乳しとるのう」
昼間から酒を飲んでほろ酔い気分の中年男性が、下心丸出しの表情でエミリアの胸に手を伸ばす。
迂闊なことに、その男性はホブゴブリンの少女の側で彼女と同様に荷物を背負っている、小柄なエルフの少年を気に留めることはしなかった。
ボギイッ!!!
「え……あっ、えっ、あぎゃあぁあぁぁぁ!!?」
その結果がこの有り様である。年端もいかない魔物の少女のおっぱいを触ろうとしたスケベおやじの親指は、エルフの少年の、重い荷物を背負ってるようには思えないほどの俊敏な動きによって、へし折られていた。
「な、なにすんだこんちくーー(ベギッ!!!)あびゃあぁあぁあぁぁっ!!!」
パルムは念のために小指の方もへし折っておくと、ボディーガードらしくエミリアの手を取り、彼女を連れてその場を足早に立ち去った。
「あ、あの……助けてくれてありがとう。でも、あそこまでする必要はないかなって……」
コレールたちの待っている「トラトリア」の前で、エミリアは遠回しにパルムのやり方に苦言を呈していた。だが、パルムにとって先程の行動は、自身がこれから世話になるパーティの「先輩」からの指示に、忠実に従ったに過ぎないのだ。
ーーーーーーーーーーーーー
「(いいか、パルム。俺の名前はドミノ=ティッツアーノ。お前より先にこのパーティに加わった男。つまりはお前の先輩で、年齢も俺の方が上だ。先輩の言うことにはちゃんと従うんだぞ。そうすりゃ俺もお前のことを守ってやる)」
「(……(コクコク))」
「(よしよし。それじゃあこのパーティでのお前の最初の仕事は、エミィのボディーガードだ。この子に指一寸でも触れようとする輩が居たら、誰であろうとその指をぶち折ってやれ)」
「(……(コクコク))」
「(……お前、喋れないのな)」
「(……(コクリ))」
ーーーーーーーーーーーーーーー
「あれ、あそこに誰か……」
エミリアは、トラトリアの厨房裏に面する細い路地に、二つの小さな人影が動いているのを目にした。
「くそ、なんで奴等がここにいるんだ……!」
浅黒く、傷だらけの肌に、ボサボサの茶髪の少年が、厨房裏の窓から店内を伺い、悪態をついている。
「どうしよう、兄貴……雇い主の女王様も死んじゃったていう噂だし……」
少年の側でオドオドしているのは、 灰を被った子犬の様な色の毛に全身を覆われたコボルトだ。
「こうなったらもう、サンリスタルに居ても良いことはねえな。今すぐ出発するぞ」
「えっ、でも、ご飯……」
「ベル! この、馬鹿! あいつらに見つかって捕まりでもしたらーーって、そこのお前! 近寄るな!」
柄の悪い少年の言葉に、近くまで寄って話しかけようとしたエミリアの足がピタッと止まる。
「待てよ……そうだお前、あの時の! 糞が、捕まりはしねぇぞ……!」
「えっ、ちょっと待って、私はただ、店の中にいる友達に用事があるのかなって……」
エミリアの弁明にも耳を貸さず、少年は金属パイプを構えて、興奮した様子で彼女の顔を睨み付ける。
二人の間に会話が成り立たないのも無理はない。このボサボサ髪の少年ーーカーティスがコレールたちと一悶着起こしたとき、エミリアは体調を崩して寝込んでいた。つまりカーティスはエミリアの容姿に見覚えがあっても、エミリアにとってカーティスは初対面の人間なのだ。話の経緯自体は聞かされてはいたものの、目の前にいる少年が当事者であることなど、気づけるはずもない。
混乱するエミリアを庇うようにして、パルムは懐から取り出したナイフを少年に突き付ける。コボルトの少女、ベルもカーティスを止められそうにはない。路地裏は一瞬即発の雰囲気に包まれる。
「……!」
カーティスは獲物を狙う山猫の様な眼で、少しずつ間合いを縮めていく。対峙するパルムも、いつ飛び掛かられても迎撃できる体勢を維持していた。
お互いの距離は確実に縮まっていき、既に後一歩踏み込めば確実に致命傷を与えられる程の間合いに、二人とも足を踏み入れている。勝負が決まる一瞬が近いことを意味する、氷のような沈黙が辺りを包み込み、そしてーー。
グボッ、ギュルルルルルルルルッッ……
文字通り、気の抜けたような音が路地裏に響き渡った。その余りにも間抜けな大音量の響きに、エミリアは思わず眼を丸くして、恐る恐る少年に声をかける。
「え……今のって……もしかして、う○ち……」
「ち、違うわボケ!」
顔を真っ赤にして叫ぶカーティスの後ろで、再び気の抜けた音が鳴り響く。
「これ……お腹の……虫の音なの……」
カーティス以上に顔を真っ赤にしたベルが、お腹を押さえながら蚊の鳴くような声で、音の正体を語った。
「あー……えっと、お腹が空いてるんですね! それなら一緒にご飯を食べましょう!」
エミリアはほんの少し戸惑ったものの、両手をパンと叩いていつもの調子を取り戻したかと思うと、少年の腕を取ってトラトリアの店内へと連れていこうとする。
「お、おいちょっと待てよ!」
予想外の行動をとられたカーティスは当然エミリアの腕を振り払おうとするがーー。
「ここのパスタは凄く美味しいんですよ! さぁ、コボルトちゃんもついてきて!」
ムニンッ♪
「(おおっ!?)」
すぐに、自分の腕がホブゴブリンの少女の豊満な胸に密着していることに気が付く。思春期を迎えたばかりの少年にとって、この柔らかさは余りにも強すぎる刺激である。結局カーティスは、腕に押し付けられる極上の感触に耳まで真っ赤にしながら、無抵抗でトラトリアの店内まで案内されていった。
「うう……」
ベルはカーティスを引きずっていくエミリアの胸と、自分の平坦な胸を見比べてから、涙目で掌の肉球を自信の平原に押し付ける。
彼女が女として深い劣等感を感じていることを察したパルムは、懐から棒つきキャンディーを取り出してベルに差し出したが、無言で押し退けられたので自分で食べることにした。
ーーーーーーーーーーーーーー
トラトリアの店内では、コレールとペリコがパルムの処遇について話し込んでいた。
「それじゃあ、うちのパルムをよろしく頼むわね! あの子、貴方に随分懐いてるみたいだし、喜ぶと思うわ!」
「任せろ。あの子が一緒に旅をしてくれるって言うなら、こっちからお願いしたいくらいさ、それよりお前の方は一人で大丈夫なのか? 女一人でウィルザードを旅するのはさすがに危なっかしいだろ」
「大丈夫よ。用心棒を雇うぐらいのお金は間に合ってるわ。それに、そろそろ一度、故郷のエルフの森に戻ろうとも思ってるしーー」
「ここで会ったが百年目ぇーー!!! エミィ、そのガキちゃんと押さえてろ! 切り刻んでやらぁっ!!」
ドミノの発狂染みた叫びに驚いて、振り向いた二人の視線の先には、店の入り口で少年とコボルトを連れたエミリアの姿があった。
ドミノは衆目に晒されているのにも関わらず、少年たちを宣言通りの目に遭わせようと店内で闇の魔法を発動しかけたが、エミリアがこれまで一度も見せたことの無いような鋭い目付きで睨み付けてきたため、おずおずと魔法を解除し、何事も無かったかのように椅子に座った。
「えっと……こ、この人たちにスパゲッティを食べさせてやりたいのですが、かまいませんね!!」
叫ぶようにいったエミリアに、テーブルの仲間は何を質問するわけでもなく、かといって嫌悪の表情もなく、コレールは自分に運ばれたスパゲッティの皿をベルの前に、クリスはドミノに運ばれた皿をカーティスの前に差し出した(ドミノは愕然とした表情になった)。
「ていうか貴方よく見ると、前に私の作ったドワーフ仕込みの義足を持ち逃げした子じゃない……」
ペリコは耳をピクピクさせながらジト目で話しかけたが、ミートソーススパゲッティを無我夢中で掻き込むカーティスの耳には届いていなかった。
「義足の代金も私が立て替えるよ、ペリコ」
コレールの言葉を聞いたカーティスは、殆ど飲み込むような勢いでスパゲッティを胃の中に流し込むと、不信と困惑に満ちた目で彼女を睨み付ける。
「何で、俺たちに飯を食わせたんだ?」
「何で、とはどういう意味?」
コレールは口角を少しつり上げながら聞き返す。
「俺があんた達を殺そうとしたこと、覚えてるだろ? あの時の契約は、雇い主が死んだみたいで、結局おじゃんになっちまったけど……一体、あんた達にどんな利益があるってんのか、聞いてるんだよ」
「ふっ」
「い……今、鼻で笑ったろ! 馬鹿にすんな! ーーむぐっ」
コレールは、少年のミートソースまみれの口回りをナプキンで綺麗に拭いてやると、ちょうどカルボナーラを食べ終わって幸せそうな表情をしていたベルをお姫様だっこの要領で抱え上げた。
「そういう込み入った話は、取り合えず身だしなみを整えてからにしような。クリス、ペリコ。この子の服を見繕うのを手伝ってくれ」
「お、おいあんた!」
「坊主、お前はエミィたちとアイスクリームでも食べてきな」
コレールはカーティスに向かって、不安気な子供を安心させようとする母親の様な、優しい笑みを投げ掛ける。そんな彼女の表情をベルは、鱗に覆われ引き締まっている腕の中で、ポカンと見上げていた。
ーー第16話に続く。
16/07/10 18:46更新 / SHAR!P
戻る
次へ