第8話「幻肢痛の少年@」
砂漠の夜の空気は日中のそれとは正反対であり、凍える寒さが辺りを包み込む。満点の星空の元で、コレール達はキャンプファイアーを囲みながら夕食をとっていた。明々と燃える焚き火によって焼かれているのは、小さなオアシスの回りに生息しているカエルやヘビ、サソリなどの生物である。
「なぁ、ボス? ハーピー族の魔物娘って基本的に貧乳の奴が多いよな?」
ドミノは串に刺さったサソリの素焼きにかじりつきながらコレールに言った。
「そうさな。大体がペッタンコだ。でも、それがどうかしたのか?」
コレールの方は自分の腕の長さくらいはあるヘビの肉を歯で食いちぎっていた。
「いや、あんたの持ってた魔物娘図鑑を読んでたんだけど、『ガンダルヴァ』っていう魔物はハーピー族の割に胸が大きいと思ったんだ。てかそもそも、ハーピー族の胸が小さいのって何か理由があってのことなのか?」
「今のところ空を飛ぶときに体を安定させる為っていう説が有力だな。ガンダルヴァは神獣扱いされる場合があるような魔物だし、特殊な魔術か何かでそこらへんもカバーできるんだろ」
「じゃああれか、クリスの胸が貧相なのも、空を飛ぶときに体を安定させる為か」
クリスは機嫌の悪い猫の様な声を上げてドミノに食って掛かろうとしたが、自分の膝の上に熟睡しているエミリアの頭があることを思い出すと、考え直した。
つい先日まで気丈に振る舞ってはいたものの、ニレンバーグでの出来事はエミリアにとってショッキングだったらしく、ここに来て体調を崩してしまっていた(普通魔物娘は肉体的な病気にはかからないので、精神的な要因が大きいのかもしれない)。コレール達は彼女の体を労り、早めに睡眠を取らせ、食事も自分達で遣り繰りしているのだった。
「ていうかお前、さっきから『ボス』って何なんだ? 別にどう呼んでくれたっていいけどさ」
コレールが地味な色のキノコが刺さった串に手を伸ばしながらドミノに尋ねる。
「何でもなにも、あんたは一応このパーティの司令塔だろ? だったら『ボス』っていう呼び方も悪くないんじゃないかって」
談笑を続けるコレール達の姿を、離れた場所の岩影から双眼鏡で覗く少年の姿があった。
「あのホブゴブリン……いざとなったらあいつを人質に……」
双眼鏡を顔から外して呟く。少年は浅黒く、傷だらけの肌をしており、ボサボサの茶髪と背中に背負った金属パイプは彼が堅気の世界から弾き出された存在であることを、言葉で語るまでもなく現していた。
少年は後ろを振り向くと、自分の側で薄汚れたマントに身をくるんでいる少女に向かって話し掛ける。
「やり方は覚えているな、ベル? ドジは踏むんじゃねぇぞ」
「兄貴……」
微かに体を震わせる少女は、灰を被った子犬の様な色の毛に全身を覆われていた。
コボルト。特定の人間を主人と見なして共に暮らす、動物の犬と似た性質を持つ無害な魔物娘である。
「依頼主が求めているのは、あの杖の先端にある青い宝石だ。あれさえ確保できれば……いや、魔界豚を殺しておくべきかもしれない。食料にも火を付ければ、何もしなくたって、連中は砂漠のど真ん中で死んでくれるーー」
物騒な作戦の内容を呟く少年の横を、一匹の小さなネズミが駆け抜けていく。
「ねぇ、兄貴。止めようよこんなの!」
ベルと呼ばれたコボルトの少女は、少年に向かって悲痛な声を上げた。
「兄貴には右足が無いし、おいらは闘えないし……それに、誰かを傷つけるのも、傷つけられるのも嫌だよ……どこか遠い場所まで逃げて、二人で静かに暮らそうよ……」
「……」
少年は、子供のそれとは思えないほどの冷酷な眼差しでベルを見つめた。その迫力に、ベルは思わずビクンと体を震わせる。
少年は無言でベルの顔を掴まえると、頭を、ゴツンとぶつけるような勢いで彼女と額を突き合わせた。
「その静かに暮らすっていうのにも、金が必要なんだよ。いいか、ベル。ウィルザードで真っ先に犠牲になるのは弱い奴でも、強い奴でもない」
コボルトの少女の柔らかい頬に、少年の指が食い込む。
「残酷になれない奴だ。他人を食い物にすることに躊躇した奴から、足元を掬われて死んでいくんだよ。つまらない良心は捨てろ。さもなきゃ俺もお前も近いうちに野垂れ死ぬことになる。分かったか?」
少年は指先の感触で、ベルの顔が熱を帯びていることに気が付いた。
「か、顔が近いよ兄貴……///」
少年は相方の少女の呑気さに絶句したが、自分自身もベルの体温を感じて赤面していることには気付いていなかった。
ーーーーーーーーーー
焚き火の近くでぐっすりと眠り込んでいた魔界豚が、にわかに不機嫌な唸り声をあげはじめた。
「どうした、カクニ?」
「コレール、誰か来るわ」
クリスはコレールに言うと、魔杖を握りしめて身構える。
彼女の言うとおり、夜の砂漠の闇の奥から、二つの影が姿を現していた。
「ボス、二人とも様子がおかしい。怪我でもしてるんじゃないか?」
ドミノが双眼鏡を覗きこみながら呟く。
やがて、エミリアを除くコレール達全員の目に、二つの影の正体がはっきりと写し出された。
「み、水……」
薄汚い服装を身に纏った茶髪の少年が、絞り出すようにして声を発する。ひどく衰弱している様子だ。
「おい、大丈夫か!?」
コレールは慌てて少年の方に駆け寄り、今にも崩れ落ちそうなその体を支えてやった。
「水を……女の子に……昨日から一滴も飲んでいないんだ……」
コレールは少年を横にしてから、彼の隣に座り込んだ少女の方に目をやった。頭に獣の耳を生やしていることから、魔物娘であることが分かる。
「クリス!」
コレールが合図した瞬間に、クリスは真水がたっぷり詰まった水筒を彼女に向かって放り投げていた。水筒を片手でキャッチして、少年の口に半分ほど中身を注ぎ込むと残りの半分を魔物娘の少女に、口移しで注ぎ込んだ。
「頼む……後でお礼はする……何でもいいから食い物を……頼む……」
「安心しろ。すぐに食らわせてやる」
震える声で懇願する少年の前髪をかき分けて、励ますような言葉で彼の頼みに答えてやる。
「『食らわせてやる』さ……とびきり重いものをな」
「え」
少年が目を見開くと同時に、コレールの重い拳が彼の下腹部を抉る。尋常ならざる激痛と衝撃に、少年の目に写る景色にはすぐに真っ白なもやがかかり始める。
「(な……!? なんで……演技が……ばれて……!?)」
遭難者を装い連中の懐に潜り込み、全員が寝静まった時間を狙って目的の品の奪取と破壊工作を行う。少年は自信が考えた完璧なはずの作戦が、意図も容易く失敗に終わったという事実を受け止められないでいた。
闇の中に飲み込まれていく寸前の意識を気迫だけで繋ぎ止め、どうにか首を横に向ける少年。
彼が目にしたのは、旨そうに餌を貪る一匹の灰色ネズミだった。
「(こいつ、確か俺の横を走ってたーー!)」
視界にかかる白いもや越しではあったが、少年はそのネズミがただの小動物ではないことに気がついて、戦慄した。
紅く目を光らせたネズミが、嘲るような鳴き声をあげつつかじっているのは、生きたサソリだった。それも、人間が刺されたら丸一日は指一本も動かせなくなる程の猛毒を持つサソリを、わざわざ尻尾の方から喰らっている。
「(く……そ……)」
少年は作戦の内容が筒抜けであることに気が付かなかった自身の間抜けさを呪いながら気を失った。
「偵察ご苦労。16番、元の『次元』に戻れ」
ドミノの指示に灰色ネズミはチューと応えると、サソリの残骸をその場に投げ捨て、寝ているエミリアの胸の谷間に潜り込んだ。
「そこじゃねえだろこのタコ! 俺を馬鹿にしてんのか!」
灰色ネズミは谷間からピョコンと顔を出して、不服そうな鳴き声を上げた。
「くそっ、やっぱりオニモッドじゃないと完全な制御は難しいか。明らかに召喚主を嘗めてやがる」
「グルルルル……!」
ドミノが振り向くと、一匹の魔物娘が気絶した少年を庇うような体勢で、コレール達に向かって威嚇の唸り声を上げていた。
「ちょっと、落ち着いて! 貴方に危害を加えたりはしないから……!」
ドミノはコボルトの少女を宥めようとするクリスを制して、自分が前に歩み出た。
「俺に任せろ。こいつはコボルトっていうんだろ? 犬の魔物娘だ。犬の扱いには馴れている」
懐から干し肉の欠片を取り出して、満面の笑みを向ける。
「よーしよしよし、大丈夫大丈夫。ほら、美味しいお肉だぞ。こっちにおいーー」
ガブッ!!!
コボルトの少女は干し肉を掴んだ手に、鋭い牙でガブリと噛み付いた。
「うぎゃあぁっ!? いってぇこのやろ何しやがんだこの×××××!? 犬鍋にするぞ *, € )* %-&&€!?」
「どこが扱いに慣れてんのよこのスカタン!」
気が動転して罵詈雑言をわめき散らすドミノに尤もな突っ込みを入れるクリス。見かねたコレールが混乱の渦中にある現場に介入した。
「当て身」
ドスッ
「クゥン……」
コボルトの少女は後頭部に入れられた手刀の衝撃であっさりと気を失う。
コレールは怪我をしないように彼女の体を慎重に横たえると、コボルトの身を検(あらた)め始めた。
「ドミノ? お前のネズミが聞いた内容について、詳しく話せるか?」
「ネズミの頭にあんまり期待しないでくれよ。分かったのは、そこにくたばってるガキとそのアホ犬が、誰かの指示で俺たちを殺そうとしていたっていうことだけだ」
ドミノは噛まれた傷の具合を確かめながら答える。
コレールはコボルトの首筋を調べると、金属製の重そうな首輪が付けられていることに気がついた。
「………なんだこれ……?」
「よせボス! そいつに触るんじゃない!」
ドミノは血相を変えて、不用意にその首輪に手を伸ばしたコレールの手首を掴んだ。
「知っているのか、ドミノ?」
「そいつは奴隷首輪だよ。ちょっと待ってろ、こいつは外し方にコツがいるんだ……」
「奴隷首輪!?」
目の色を変えて繰り返すコレールを尻目に、ドミノはコボルトの首に嵌められた首輪を慎重に弄くり始めた。
「ここを……こう……よっしゃ、外れた」
ドミノは取り外された首輪をよく見えるようにコレールとクリスの前に差し出すと、その縁に指を当てる。
「いいかボス、よく見てろ……」
彼の指先が淡い光を放った瞬間、首輪の内側から2本の太いトゲが、本体ごと小さく跳ねるほどの勢いで飛び出した。
「「ーー!」」
思わず口を覆って目を見開くクリス。コレールは眉間に皺を寄せ、彼の手から首輪を奪うようにして受け取った。
「昔は火薬を仕込んでいたんだ。でも三年前に奴隷の所持が違法になってからは、このタイプに変わった。遠隔から微弱な魔力を受け取ったり、力ずくで外そうとすると、頸動脈を2本の太いトゲが貫く」
溜め息をついて手頃な岩に腰かけるドミノ。
「これなら逃亡奴隷を静かに殺れるからな。後始末も楽チンって訳だ」
「……随分詳しいのね」
ドミノはクリスからあらぬ嫌疑をかけられていることに気がつくと、慌てて弁明を始めた。
「おい、何を誤解してるんだ! 俺は奴隷売買に関わったことはないぞ! ただ、前にウィルザードに滞在している魔王軍の部隊が行ってた、地雷除去ボランティアに参加したことがあるんだ。連中、探知魔法で一つ一つ地雷を除去してったから、もっと手っ取り早い方法を提案した。連中が捕虜にしていた奴隷商人に、押収した奴隷首輪を着けて、地雷源を走り回らせたんだ。四人目の下半身が吹き飛んだ時点で俺は魔物娘に取り押さえられて、今後一切魔王軍との接触を禁じられーー」
ベキッ!!
ドミノとクリスが振り向くと、コレールが恐ろしいほどの無表情でその場に立ち尽くしていた。その手には、真っ二つになった奴隷首輪が握られている。彼女は、片手の握力だけで、金属製の首輪を破壊したのだ。
「こ、コレール?」
クリスが恐る恐る話し掛ける。クリスはコレールの怒りの根拠を薄々把握していた。
魔物娘にとって人間の殺害はやむを得ない場合を除き、絶対にあってはならないタブーである。それを今地面の上で気絶している少年は、恐らく奴隷首輪による脅迫によって、よりにもよって元来非常に人懐っこい性質を持つコボルトに手伝わせようとしたのである。もはやコレールの憤怒は、怒りなどという生易しい次元を越えていた。
「クリス」
「はい」
背筋が凍りつきそうなほど不自然に落ち着いた声に、クリスは思わず敬語で返事をする。
「エミィはまだ寝てる?」
「……うん。一度寝るとなかなか起きないって本人が言ってたわ」
「そうか。絶対に起きないように見張っててくれ。それとドミノ」
「な、なんだ」
ドミノは冷や汗をかきながら返事をした。
「シャベルを用意しろ。一本で良い。それと、その坊主の服を下着だけ残して全て脱がせろ」
コレールは地面に突っ伏している少年を見ながら呟いた。その目は、激しい怒気によってメラメラと燃え上がっている。
「全部吐いてもらうさ。いつ、誰に、何のために雇われたのか。全部な」
ーー続く。
「なぁ、ボス? ハーピー族の魔物娘って基本的に貧乳の奴が多いよな?」
ドミノは串に刺さったサソリの素焼きにかじりつきながらコレールに言った。
「そうさな。大体がペッタンコだ。でも、それがどうかしたのか?」
コレールの方は自分の腕の長さくらいはあるヘビの肉を歯で食いちぎっていた。
「いや、あんたの持ってた魔物娘図鑑を読んでたんだけど、『ガンダルヴァ』っていう魔物はハーピー族の割に胸が大きいと思ったんだ。てかそもそも、ハーピー族の胸が小さいのって何か理由があってのことなのか?」
「今のところ空を飛ぶときに体を安定させる為っていう説が有力だな。ガンダルヴァは神獣扱いされる場合があるような魔物だし、特殊な魔術か何かでそこらへんもカバーできるんだろ」
「じゃああれか、クリスの胸が貧相なのも、空を飛ぶときに体を安定させる為か」
クリスは機嫌の悪い猫の様な声を上げてドミノに食って掛かろうとしたが、自分の膝の上に熟睡しているエミリアの頭があることを思い出すと、考え直した。
つい先日まで気丈に振る舞ってはいたものの、ニレンバーグでの出来事はエミリアにとってショッキングだったらしく、ここに来て体調を崩してしまっていた(普通魔物娘は肉体的な病気にはかからないので、精神的な要因が大きいのかもしれない)。コレール達は彼女の体を労り、早めに睡眠を取らせ、食事も自分達で遣り繰りしているのだった。
「ていうかお前、さっきから『ボス』って何なんだ? 別にどう呼んでくれたっていいけどさ」
コレールが地味な色のキノコが刺さった串に手を伸ばしながらドミノに尋ねる。
「何でもなにも、あんたは一応このパーティの司令塔だろ? だったら『ボス』っていう呼び方も悪くないんじゃないかって」
談笑を続けるコレール達の姿を、離れた場所の岩影から双眼鏡で覗く少年の姿があった。
「あのホブゴブリン……いざとなったらあいつを人質に……」
双眼鏡を顔から外して呟く。少年は浅黒く、傷だらけの肌をしており、ボサボサの茶髪と背中に背負った金属パイプは彼が堅気の世界から弾き出された存在であることを、言葉で語るまでもなく現していた。
少年は後ろを振り向くと、自分の側で薄汚れたマントに身をくるんでいる少女に向かって話し掛ける。
「やり方は覚えているな、ベル? ドジは踏むんじゃねぇぞ」
「兄貴……」
微かに体を震わせる少女は、灰を被った子犬の様な色の毛に全身を覆われていた。
コボルト。特定の人間を主人と見なして共に暮らす、動物の犬と似た性質を持つ無害な魔物娘である。
「依頼主が求めているのは、あの杖の先端にある青い宝石だ。あれさえ確保できれば……いや、魔界豚を殺しておくべきかもしれない。食料にも火を付ければ、何もしなくたって、連中は砂漠のど真ん中で死んでくれるーー」
物騒な作戦の内容を呟く少年の横を、一匹の小さなネズミが駆け抜けていく。
「ねぇ、兄貴。止めようよこんなの!」
ベルと呼ばれたコボルトの少女は、少年に向かって悲痛な声を上げた。
「兄貴には右足が無いし、おいらは闘えないし……それに、誰かを傷つけるのも、傷つけられるのも嫌だよ……どこか遠い場所まで逃げて、二人で静かに暮らそうよ……」
「……」
少年は、子供のそれとは思えないほどの冷酷な眼差しでベルを見つめた。その迫力に、ベルは思わずビクンと体を震わせる。
少年は無言でベルの顔を掴まえると、頭を、ゴツンとぶつけるような勢いで彼女と額を突き合わせた。
「その静かに暮らすっていうのにも、金が必要なんだよ。いいか、ベル。ウィルザードで真っ先に犠牲になるのは弱い奴でも、強い奴でもない」
コボルトの少女の柔らかい頬に、少年の指が食い込む。
「残酷になれない奴だ。他人を食い物にすることに躊躇した奴から、足元を掬われて死んでいくんだよ。つまらない良心は捨てろ。さもなきゃ俺もお前も近いうちに野垂れ死ぬことになる。分かったか?」
少年は指先の感触で、ベルの顔が熱を帯びていることに気が付いた。
「か、顔が近いよ兄貴……///」
少年は相方の少女の呑気さに絶句したが、自分自身もベルの体温を感じて赤面していることには気付いていなかった。
ーーーーーーーーーー
焚き火の近くでぐっすりと眠り込んでいた魔界豚が、にわかに不機嫌な唸り声をあげはじめた。
「どうした、カクニ?」
「コレール、誰か来るわ」
クリスはコレールに言うと、魔杖を握りしめて身構える。
彼女の言うとおり、夜の砂漠の闇の奥から、二つの影が姿を現していた。
「ボス、二人とも様子がおかしい。怪我でもしてるんじゃないか?」
ドミノが双眼鏡を覗きこみながら呟く。
やがて、エミリアを除くコレール達全員の目に、二つの影の正体がはっきりと写し出された。
「み、水……」
薄汚い服装を身に纏った茶髪の少年が、絞り出すようにして声を発する。ひどく衰弱している様子だ。
「おい、大丈夫か!?」
コレールは慌てて少年の方に駆け寄り、今にも崩れ落ちそうなその体を支えてやった。
「水を……女の子に……昨日から一滴も飲んでいないんだ……」
コレールは少年を横にしてから、彼の隣に座り込んだ少女の方に目をやった。頭に獣の耳を生やしていることから、魔物娘であることが分かる。
「クリス!」
コレールが合図した瞬間に、クリスは真水がたっぷり詰まった水筒を彼女に向かって放り投げていた。水筒を片手でキャッチして、少年の口に半分ほど中身を注ぎ込むと残りの半分を魔物娘の少女に、口移しで注ぎ込んだ。
「頼む……後でお礼はする……何でもいいから食い物を……頼む……」
「安心しろ。すぐに食らわせてやる」
震える声で懇願する少年の前髪をかき分けて、励ますような言葉で彼の頼みに答えてやる。
「『食らわせてやる』さ……とびきり重いものをな」
「え」
少年が目を見開くと同時に、コレールの重い拳が彼の下腹部を抉る。尋常ならざる激痛と衝撃に、少年の目に写る景色にはすぐに真っ白なもやがかかり始める。
「(な……!? なんで……演技が……ばれて……!?)」
遭難者を装い連中の懐に潜り込み、全員が寝静まった時間を狙って目的の品の奪取と破壊工作を行う。少年は自信が考えた完璧なはずの作戦が、意図も容易く失敗に終わったという事実を受け止められないでいた。
闇の中に飲み込まれていく寸前の意識を気迫だけで繋ぎ止め、どうにか首を横に向ける少年。
彼が目にしたのは、旨そうに餌を貪る一匹の灰色ネズミだった。
「(こいつ、確か俺の横を走ってたーー!)」
視界にかかる白いもや越しではあったが、少年はそのネズミがただの小動物ではないことに気がついて、戦慄した。
紅く目を光らせたネズミが、嘲るような鳴き声をあげつつかじっているのは、生きたサソリだった。それも、人間が刺されたら丸一日は指一本も動かせなくなる程の猛毒を持つサソリを、わざわざ尻尾の方から喰らっている。
「(く……そ……)」
少年は作戦の内容が筒抜けであることに気が付かなかった自身の間抜けさを呪いながら気を失った。
「偵察ご苦労。16番、元の『次元』に戻れ」
ドミノの指示に灰色ネズミはチューと応えると、サソリの残骸をその場に投げ捨て、寝ているエミリアの胸の谷間に潜り込んだ。
「そこじゃねえだろこのタコ! 俺を馬鹿にしてんのか!」
灰色ネズミは谷間からピョコンと顔を出して、不服そうな鳴き声を上げた。
「くそっ、やっぱりオニモッドじゃないと完全な制御は難しいか。明らかに召喚主を嘗めてやがる」
「グルルルル……!」
ドミノが振り向くと、一匹の魔物娘が気絶した少年を庇うような体勢で、コレール達に向かって威嚇の唸り声を上げていた。
「ちょっと、落ち着いて! 貴方に危害を加えたりはしないから……!」
ドミノはコボルトの少女を宥めようとするクリスを制して、自分が前に歩み出た。
「俺に任せろ。こいつはコボルトっていうんだろ? 犬の魔物娘だ。犬の扱いには馴れている」
懐から干し肉の欠片を取り出して、満面の笑みを向ける。
「よーしよしよし、大丈夫大丈夫。ほら、美味しいお肉だぞ。こっちにおいーー」
ガブッ!!!
コボルトの少女は干し肉を掴んだ手に、鋭い牙でガブリと噛み付いた。
「うぎゃあぁっ!? いってぇこのやろ何しやがんだこの×××××!? 犬鍋にするぞ *, € )* %-&&€!?」
「どこが扱いに慣れてんのよこのスカタン!」
気が動転して罵詈雑言をわめき散らすドミノに尤もな突っ込みを入れるクリス。見かねたコレールが混乱の渦中にある現場に介入した。
「当て身」
ドスッ
「クゥン……」
コボルトの少女は後頭部に入れられた手刀の衝撃であっさりと気を失う。
コレールは怪我をしないように彼女の体を慎重に横たえると、コボルトの身を検(あらた)め始めた。
「ドミノ? お前のネズミが聞いた内容について、詳しく話せるか?」
「ネズミの頭にあんまり期待しないでくれよ。分かったのは、そこにくたばってるガキとそのアホ犬が、誰かの指示で俺たちを殺そうとしていたっていうことだけだ」
ドミノは噛まれた傷の具合を確かめながら答える。
コレールはコボルトの首筋を調べると、金属製の重そうな首輪が付けられていることに気がついた。
「………なんだこれ……?」
「よせボス! そいつに触るんじゃない!」
ドミノは血相を変えて、不用意にその首輪に手を伸ばしたコレールの手首を掴んだ。
「知っているのか、ドミノ?」
「そいつは奴隷首輪だよ。ちょっと待ってろ、こいつは外し方にコツがいるんだ……」
「奴隷首輪!?」
目の色を変えて繰り返すコレールを尻目に、ドミノはコボルトの首に嵌められた首輪を慎重に弄くり始めた。
「ここを……こう……よっしゃ、外れた」
ドミノは取り外された首輪をよく見えるようにコレールとクリスの前に差し出すと、その縁に指を当てる。
「いいかボス、よく見てろ……」
彼の指先が淡い光を放った瞬間、首輪の内側から2本の太いトゲが、本体ごと小さく跳ねるほどの勢いで飛び出した。
「「ーー!」」
思わず口を覆って目を見開くクリス。コレールは眉間に皺を寄せ、彼の手から首輪を奪うようにして受け取った。
「昔は火薬を仕込んでいたんだ。でも三年前に奴隷の所持が違法になってからは、このタイプに変わった。遠隔から微弱な魔力を受け取ったり、力ずくで外そうとすると、頸動脈を2本の太いトゲが貫く」
溜め息をついて手頃な岩に腰かけるドミノ。
「これなら逃亡奴隷を静かに殺れるからな。後始末も楽チンって訳だ」
「……随分詳しいのね」
ドミノはクリスからあらぬ嫌疑をかけられていることに気がつくと、慌てて弁明を始めた。
「おい、何を誤解してるんだ! 俺は奴隷売買に関わったことはないぞ! ただ、前にウィルザードに滞在している魔王軍の部隊が行ってた、地雷除去ボランティアに参加したことがあるんだ。連中、探知魔法で一つ一つ地雷を除去してったから、もっと手っ取り早い方法を提案した。連中が捕虜にしていた奴隷商人に、押収した奴隷首輪を着けて、地雷源を走り回らせたんだ。四人目の下半身が吹き飛んだ時点で俺は魔物娘に取り押さえられて、今後一切魔王軍との接触を禁じられーー」
ベキッ!!
ドミノとクリスが振り向くと、コレールが恐ろしいほどの無表情でその場に立ち尽くしていた。その手には、真っ二つになった奴隷首輪が握られている。彼女は、片手の握力だけで、金属製の首輪を破壊したのだ。
「こ、コレール?」
クリスが恐る恐る話し掛ける。クリスはコレールの怒りの根拠を薄々把握していた。
魔物娘にとって人間の殺害はやむを得ない場合を除き、絶対にあってはならないタブーである。それを今地面の上で気絶している少年は、恐らく奴隷首輪による脅迫によって、よりにもよって元来非常に人懐っこい性質を持つコボルトに手伝わせようとしたのである。もはやコレールの憤怒は、怒りなどという生易しい次元を越えていた。
「クリス」
「はい」
背筋が凍りつきそうなほど不自然に落ち着いた声に、クリスは思わず敬語で返事をする。
「エミィはまだ寝てる?」
「……うん。一度寝るとなかなか起きないって本人が言ってたわ」
「そうか。絶対に起きないように見張っててくれ。それとドミノ」
「な、なんだ」
ドミノは冷や汗をかきながら返事をした。
「シャベルを用意しろ。一本で良い。それと、その坊主の服を下着だけ残して全て脱がせろ」
コレールは地面に突っ伏している少年を見ながら呟いた。その目は、激しい怒気によってメラメラと燃え上がっている。
「全部吐いてもらうさ。いつ、誰に、何のために雇われたのか。全部な」
ーー続く。
18/07/15 16:31更新 / SHAR!P
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