第七話：家族(姉妹編)
誰かが交わっている音がする。
女の嬌声、男のくぐもった息遣い。接合部が奏でる、ぐちゅり、ぐちゅりという肉のこすれ合う音。
私の身体は動かない。ここは一体何なんだろう。
ただ、胸の奥が寒くて震えているような妙な不安感だけがある。
「あぁ、凄く深いよぉ。私もう、いっ、逝きそう」
「僕もだよ。凄くきつくて、駄目だっ。もう、出るっ」
のけ反る女の影。虫の下半身の八本肢が食い込むくらいに強く男の腰元にしがみつく。激しく胸を上下させながら、蕩ける瞳で男を見下ろしている目は二つ、いや、髪に隠れた額にもいくつも濡れた瞳があるみたいだ。
この特徴は私と同じ。アントアラクネだ。
「相変わらず、メアリーの、あそ、こは。逝ってる、間も、激しいんだから」
「だってぇ。どうせならいっぱい欲しいんだもん」
メアリーって、私じゃないか。私の目の前で私がシャルルと交わっていて、じゃあ今の私は？
メアリーが突然気が付いたように私の方を振り向いた。自分自身と目が合う。なんだか不思議な感じ。
「あら、アンじゃない」
アン？ 私が？
振り向くと鏡が置いてあって、私の姿が映っていた。
頭の上の触角やシャツを押し上げる大きめの胸はいつもの私と変わらない。でも、健康的に少し焼けた張りのある肌、女らしい曲線を描きながらも筋肉質な肢体、一対の目しか無い幼さの残る可愛らしい顔立ち、六本肢の昆虫型の下半身。これは私には無いものだ。
この身体はアントアラクネじゃなくて、ジャイアントアントの、アンの身体だってこと？
でも、どうしていきなり私がアンに？
困惑しているはずなのに、鏡の中の私はにこにこと笑いながらこっちに手を振っていた。
その手が突然荒々しく掴まれる。
知らない男がアンの腕を引いてベッドに連れて行く。
何が、何が起こるの。
「しゃぶれよ」
男がいきなりズボンを下ろして、アンの顔の前に自分のそれを晒す。
アンは戸惑うようにそれを見て、男の顔を見て、泣きそうな顔で顔を反らした。
「売れ残りのお前を貰ってやったのは誰だと思っているんだ？ あぁん？ お前が金を積んで結婚してくれって頼んできたから、仕方なく貰ってやったのに。でなければ誰がこんな気持ちの悪い虫の魔物……」
弾ける様な音がして、アンが倒れる。
男がアンの頬を引っ叩いたのだ。
「お前言ったよな。金も渡す、言う事は何でも聞く、好きなように身体を弄んでいい、むしろ奉仕するから、だから結婚してくれって。お前が言ったんだ。旦那様を喜ばせることも出来ないのか？」
アンは起き上がり、虚ろな顔で見知らぬ男のそれを口に含む。
やめろ。アンが嫌がってる。
「ほら、もっと気合を入れて舐めろよ。もっと吸って、口全体を使え。そうだ、いいぞ」
男が腰を振り始める。アンの口の端から泡が漏れ始め、嗚咽が聞こえ始める。
やめろって言ってるでしょ。アンが嫌がってる。もっと、もっと大事にアンを扱ってあげてよ。くそ、何で声が出ないのよ。何で手も足も出ないのよ。
「そら、いくぞっ」
「むぐぅっ」
男がアンの顔を掴んで、力付くで自分の股間に押し付ける。
アンは呻き声を上げ、必死で目を閉じて堪えていた。
男の手が離れる。咳き込みながら倒れ伏すアン。虚ろな表情で天井を見上げながら荒い呼吸を繰り返すばかりになる。もう、嫌がるそぶりも見せない。
男の手が、今度はアンの胸元に伸びる。シャツを引き千切り、直にアンのおっぱいに触る。
虫唾が走る。こんな男、私がそばに居たらアンに絶対近づかせないのに……。
「上半身はいいんだがなぁ。可愛い顔の割に胸もでかい。これで下半身も人間ならいう事ねぇのに……。まぁいいや、魔物のアレは具合がいいって聞くし」
アンの腰布が引き千切られる音が、悲鳴のように響き渡る。
「へへ、試してみるかなぁ」
「やめろ……。やめろ！ アンの身体に触るな！」
駆け出そうとする私の腕を、シャルルが掴んで止める。
どうして！ どうして止めるの？ アンは私の大切な友達なのに。友達が苦しんでいるのに何も出来ないなんて嫌だよ。
「駄目だよメアリー。アンさん達夫婦の邪魔になってしまう」
「だって」
「アンさんに念願の旦那さんが出来たんだよ？」
「違うよ。アンが求めてた人はもっと違うの。あんな乱暴な奴じゃなくて、もっと」
もっと優しくて、アンの事を大事にしてくれる人。アンは、シャルル。あなたの事を一番求めていたんだよ？ あんな風に嫌がる妻を無理矢理犯そうとするような男なんかじゃない。
「でも、結婚したって事はアンさんが選んだって事だよね」
「違う。違うよ、だって嫌がってるもん……」
だって、今のアンは全然楽しそうじゃない。男に押し倒されてるのに嬉しそうじゃないもん。苦しそうだもん。
あんなの、アンが本当に望んだ相手なわけが。
「うぐぅっ」
今のくぐもった声は何。アンの声、だよね。
「こりゃあいい。すっげえなぁ魔物ってのは」
見たく無いのに振り返ってしまう。目を閉じることも出来ず、ベッドの上に目を落とすと、一番私の見たく無かったものが……。
目を開けると、見慣れた土壁が視界いっぱいに広がっていた。
台所の方から何かを焼いているような音が聞こえてくる。朝、か。今のは夢だったんだよね。夢で、良かった。
大きく息を吐くと、全身がべとべとしている事に気が付いた。汗だ。私の冷や汗。中にはシャルルの精液も混ざってるけど、昨日はほとんど中に出してもらったから外はほとんど汚れていない。
変な、嫌な夢だった。
アンが、知らない男に犯される夢。
本来であれば魔物に夫が出来るという事は喜ばしい事のはずなのに、なぜか私は不快だった。だってアンがあんな男を選ぶはずが無い。あんな男と一緒になってしまったら、アンが幸せになれない。……多分。
でも魔物の性分を考えれば好きでもない男と結婚するはずは無いし……アンがああいう男を選ぶ場合だってあるんだろうけど。そうしたら、私はどうしよう。
「あ、起きたんだ」
台所からシャルルがトレイを持って出てくる。やっぱり料理をしていたらしい。
トレイの上には目玉焼きと炒めたベーコンとトーストが乗った皿と、コンソメスープの入ったカップが乗っていた。
「って、シャルル。朝ごはん作ってる場合じゃないでしょ？ 仕事は？」
「交代したって昨日言ったじゃないか。それにもう夕方だよ」
シャルルは笑いながら私の隣に座る。
夕方？ 朝じゃなくて？ でも、そうか。そうだった、仕事の心配もしなくていいからって朝方までずっと繋がってたんだった。
夢の内容が衝撃的で忘れてしまっていた。
昨日の夜は、ここ数日が嘘のように穏やかで温かい夜だったなぁ。くっついて抱き締めあって、色んなところを触り合って。
ずっとそうしていたかったけど、安心してるうちに二人とも眠くなってきてしまって、お日様が昇るころに二人で眠ったんだった。
「良い魔界鳥の卵が手に入ったって聞いたから、一個貰って来たんだ。素材の味を楽しむにはこれが一番かと思って」
それで目玉焼きか。
何て綺麗なハート形だろう。今ではこんな工夫をするくらいまで腕を上げたって事だね。最初に何度も失敗してたのが嘘みたいだ。
シャルルは千切ったトーストの上に白身を切って乗せ、口の中に入れる。そして何度か咀嚼してから。
「ん……」
私に唇を重ねてきて、口の中身を流し込んできた。
これも懐かしい。出会ったころはいつもこうやって食べさせてたっけ。そのあとシャルルと交わるって決めてても、少しでも多くシャルルに触れていたくて。
「美味しい？」
「うん。でも食べた事無い味」
「そりゃ、初めて食べるからね」
シャルルは、今度は黄身をトーストの上に丸ごと乗せて大口いっぱいに頬張る。
「あ」
口の端に黄身が付いてる。
首を伸ばしてそれを舐めとり、それから押し倒すように唇そのものを貪る。
シャルルは一瞬慌てて視線を彷徨わせたものの、結局すぐに黄身の絡んだ舌を私の口の中に忍び込ませてきた。
このまま、押し倒すのも悪く無いなぁ。そう思って手を繋ごうとした私の手が、硬いものが触れた。
包みに厳重に包まれたこれは。
「ぷはぁ。あ、これ台所の棚の奥で見つけたんだけど、何？」
昨日アンからもらって、大事にしまっておいた魔宝石だった。
「これは、その、アンからの」
何て言えばいいの？ プレゼント？ 謝罪の証？ どれも違う。こんな大事なもの受け取れないし、謝られる事なんてされてないんだから。
「……預かり物。大切な物なの」
「そうなんだ。じゃあとりあえず元あったところに戻しておくよ。確かにあそこならうっかり壊したり無くしたり汚したりすることは無いだろうし」
シャルルは一度席を立って台所へ向かう。
考えてみれば前に見たあの夢、シャルルにジャイアントアント達が群がっていて、シャルルとアンが交わっているのを見ている事しか出来なかったあの夢、すっごく嫌な夢だったけど、現実で見ているしか出来なかったのはむしろアンの方だったんだ、さっきの夢みたいに。
好きになった人は一番大切だと思っている友達と愛し合っていて、好きな人からされたい事は全部友達に先取りされて。でも友達から夫を奪う事はしたくないし、出来るとも思えない。少なくとも私はアンと比べられたら、ちょっと自信が無い。アンも私の事をそう思っている可能性は、否定できない。
何しろあの子はとてつもなく人がいいから。
一番大事なはずの魔宝石さえ渡してしまうんだもの……。
「片付けてきたよ。昨日はそれで呼び出されてたの？」
「ん？ まぁね」
「あのさ、僕のせいで気まずくなってたら、その」
「……しばらくは、しょうがないよ」
シャルルは私の顔を見て、申し訳無さそうな顔で肩を落とした。
でも、もう嘘をついてシャルルとの間に変な溝が出来るのは嫌だった。あんな風にお互い神経をすり減らすよりは、素直に話した方がいい。
アンとだって、少しすればきっと前みたいにもどれる。
「もっと上手くやっていれば、なんて思わないでね。変に気を使い合ってこじれるより、こんな風にはっきりした方が誤解が無くていいよ。シャルルは正しかった」
「うん……。早く前みたいに仲良くなれるといいんだけど」
前みたいに、かぁ。きっと今の私達を見たら、アンは心配させないために何としてでも元に戻ろうと頑張ろうとするんだろうなぁ。
心配させないために。
そのフレーズが、私に嫌な連想をさせる。
例えばこれでアンに旦那様が出来たとすれば、それはアンにシャルル以上に好きになれる相手が出来たという事で、昔の事は水に流して私達はまた仲良く夫婦同士で付き合いを再開することが出来るかもしれない。
でも、私達に心配を掛けまいと、わざと好きでもない相手と結婚したとしたら？ それこそ、夢の中のように。
好きでもない男と結婚するなんて魔物娘の本能から考えればありえない事だけど、もしアンの気遣いの気持ちがそれを上回るものだったら？ あの子はずっと魔宝石を探し続けるくらいには根性があるし、意外と頑固なところもある。
だって、アンは夫婦になっていると分かっていてもなお告白するくらい強い気持ちをシャルルに抱いていたのだ。その強い気持ちがそうやすやすと消えるとは思えない。
それに、シャルルの妻である私としては、簡単に乗り換えられるような軽い気持ちでシャルルの事を好きになっていたとは思いたくない。
駄目だ。考え出したらきりがない。
でも、アンに幸せになって欲しいという私の気持ちのも嘘は無い。アンにはそこら辺の有象無象じゃなくて、心の底から愛した人と、世界で一番だと思える男の人と一緒になって欲しい。アンはそのくらい素敵な子なんだから。
でも世界で一番の男の人なんて……。
「あのさ、メアリー。考え事してるところ悪いけど、ご飯が冷めちゃうよ」
シャルルが苦笑いでこっちを見ていた。シャルル、私の旦那様。世界で一番愛しい人。
スープを口に含んでから、口移しでシャルルに飲ませてあげる。ねっとり舌を絡ませ合いながらも、しかし私の頭の中はかつてない程に冷静に高速で回転していた。
「やっぱりメアリーと食べるご飯が一番だよ」
照れ笑いを浮かべるシャルルに、もう一口ご飯を食べさせてあげながら私は彼の身体を押し倒した。
頭を撫でる手がくすぐったかった。
自室のベッドの上。そうか、私また寝ちゃってたんだ。でもいつから？
「起きた？」
「ん、うん」
えっと、ご飯食べて、何かお腹が膨れて気持ち良くなってきて。押し倒したはいいものの、考えすぎてたせいで何だかふらふらもしてしまってて。
シャルルがここで寝なよって膝を出してくれていて……。
それから先の記憶が無い。
「今何時？」
「んー、とりあえず日付は変わったかな」
「ごめん。私」
「いいよ。可愛い寝顔が見られた」
シャルルは私の頬に口づけしてくれた。
「まだ、寂しい？」
「え？」
「そんな顔してる。君のその目の下の模様」
シャルルの暖かい指が私の頬に触れる。
「泣いてるように見える時があるんだよ。愛し合った後にふと我に返ってるときとか、僕が朝仕事に出て行く前とか。初めて会った時には本当に泣いていると思ったくらいだよ」
「あなたが居るもの。寂しくなんかないよ」
寂しくは無い。でも、なにか満たされない。
また夢を見た。今度は断続的でどれも良く覚えていないけれど、どの夢でもアンが結婚していて、でも夢ごとにアンの夫が違う人なのだった。
それは知っている人だったり、全く知らない人だったり、良い人そうな人も居れば嫌な感じの人も居て相手もまちまちだったんだけど、どんな男と一緒になっていても私は素直にアンを祝福することが出来なかった。
起きた今、冷静に考えればおかしい事だった。だってアンに大切な人が出来たって言うのに、それを祝ってあげられないなんて。
「それにしても、メアリーがまさか人形を作ってくれているなんてね」
「え？」
シャルルの視線を追いかけると、机の上に作りかけの人形が置かれていた。
私の糸で作ろうとしていた、手のひらに収まるくらいの大きさの、私とシャルルを象った人形。……まだ上半身しか出来てないけど。
顔が熱くなる。不格好だし、未完成だし、なんか気恥ずかしくもあったから見せたく無かったのに。
「あはは、ごめん。どうしても気になったから、メアリーが寝てる間に、ね」
「もう、酷いよぉ」
シャルルは笑ってごまかして、私を抱き寄せた。
考え込んでいた私への、彼なりの気遣いだったのかもしれない。
「生地、ずいぶん余っているみたいだし、人形でくらい二人の子どもを作ってよ。出来れば本物の子どもも欲しいけど、子どもが出来たら出来たでジャイアントアントじゃ無い事がばれちゃうしね」
確かに生地は余っているけど、でもシャルルはどうしてそんな事言うんだろう。確かにジャイアントアントの働き蟻に子どもが出来る事は極稀で、というか子どもが出来た働き蟻が新しい女王蟻になるから、簡単に子どもが出来てしまえばすぐに種族が違うんじゃないかって疑われただろうけど。
「別に子どもが出来ても何も問題ないじゃない。そのためにも毎日いっぱいえっちしてるんだし、私も欲しいよ？」
「でも子どもが出来たらジャイアントアントは巣から出て新しい巣を作るんでしょ？ 実はアントアラクネだったってばれなかったとしても、結局ここに居られなくなるじゃないか」
まるでばれてないみたいな言い方だけど、女王様には最初っからばれていたし、みんなにも周知の事実だし、多分出ていく事も無いと思うけど……。
あ、しまった。なんか色々ごたごたしてて忘れていたけど、シャルルにまだ正体ばれたって伝えてなかったんだ！
「ごめんシャルル。実は最初っからみんなにアントアラクネだってばれてたみたいで」
「えぇ？ 何だよ。心配してて損しちゃったじゃないか……。でも、みんな分かったうえで普通に接してくれてたって事だよね」
シャルルは流石に驚きを隠せないようだったけれども、すぐに柔らかな笑顔を取り戻した。私の様子を見て色々と察してくれたのだろう。
「人のいい連中だよね……」
本当、素直な子ばっかりでこっちが心配になってくる。アンも、悪い男に捕まってしまいそうで心配で仕方ない。今は傷ついている状態だし、誰かがすり寄って来ないとも限らないのだ。
私の大切なアンをそんじょそこらの男に渡すわけにはいかない。どうせ結婚するのならシャルルくらいにいい男じゃないと。
「そんなこと言って、本当はみんなに感謝してるくせに」
「べ、別にそんな事……無い事も無いけど」
「ふふ。じゃあ人形じゃなくたって本物の子どもでも大丈夫なわけだ。これで安心したよ」
シャルルが私のお腹を撫でてくる。なんかすごくあったかいけど、すごく照れてしまった。
彼が私を孕ませたがっている。私のここに自分の子を宿らせたいって思ってるんだ。
「焦らずゆっくり作っていこうね。焦るより、じっくり楽しみながら愛し合う方がきっと丈夫な子が生まれてくると思うんだ」
「ん」
おなかにシャルルの子を宿す。それは私自身の望みではあるけれど、シャルルの口から改めて言われてみると、あったかい気持ちとは別にぞくぞくとした淫靡な喜びもあった。
シャルルの横顔に、私は雄を感じた。
雌に子を宿させる。それもまた雄の本能で、シャルルもまた雄なんだ……。
「あぁ、人形の完成が楽しみだなぁ。メアリーの糸で作ったんだろう？ 余った分も全部欲しいな。捨てるのは勿体ないよ」
シャルルは私のお腹から手を離し、優しく肩を抱いて来た。雄はどっかに行っちゃったけど、こういうシャルルもやっぱり大好きだ。
「勿体ないって言っても。またいくらでも作れるんだよ？」
確かに私とシャルルの人形を作っても、あと一人分作れるくらいの量は残っているけど……。こんな中途半端な布切れじゃ何にも使えないし。生地だってこれからもっと上質な物を作れるようになるだろうし。
「でもメアリーが初めて作った生地なんだろ？ やっぱり勿体ないよ」
だったらやっぱりもう一つ人形を作るのが一番だけど。
私とシャルルと三つで並ぶわけだし、あと一人分、誰がいいかなぁ。……待てよ？ 私と、シャルルと、仲良く並ぶ。三人で……。
そうか。そうすれば、アンだって世界で最高の旦那様と一緒になる事が出来るじゃないか。何で今まで気が付かなかったんだろう。
「……ねぇシャルル。私、やりたいことが出来たんだけど、応援してくれるかな」
一瞬言葉を失っていたものの、シャルルはすぐに顔を輝かせて喰い付いて来てくれた。
「本当かい？ 当たり前だよ。メアリーだって今まで僕の事応援してくれたし、メアリーの為だったら何でもするよ」
「うふふ、ありがとう。ところでシャルルはアンの事どう思う？」
「どうって、嫁さんの大切な友達、かな」
「異性として見られる？」
「そりゃまぁ。でも僕にとってはメアリーが一番だよ？ そんなに疑わなくても」
「抱きたいと思わない？」
シャルルは顔を引きつらせて後ずさった。私は身を乗り出して、半ば押し倒しているような状態で彼に問い詰める。
「アンって、凄くいい匂いよね。可愛いし、守ってあげたくなるってタイプだし、一見鍛えてそうに見えるけどちゃんと女の子らしい身体をしている。おっぱいの形もいいし」
「ちょ、ちょっとメアリー？」
「それに、私に似てるって言ってたよね」
シャルルはぐっと言葉を詰まらせ、目を逸らした。
そして懺悔するように、しぼみ気味の声で言う。
「確かに女として見てしまった事もあるよ。メアリーと出会わなかったらもしかしたらって考えてしまった事もある。その事は謝るよ。でもそんな事に意味は無いだろ？ 僕は君を」
「いいえ、謝らなくてもいいわ。ねぇシャルル。もし私が二人になったらシャルルは幸せ？」
「どういう意味？」
「私が疲れて眠りについても、もう一人が交代してあなたと交わっていられる。そして二人目が疲れて眠るころにはもう一人目が元気になっていて、あなたを休まず喜ばせてあげられる」
「僕の方がもたないって。というか話が見えないんだけど」
困惑気味のシャルルに向かって、私はにっこり笑いながら告げた。
「ねえシャルル。アンとも結婚しよう？」
その時のシャルルの顔を、私は一生忘れる事が出来ないだろう。
自分の決断に、自分自身が驚いていた。
二三日前までシャルルを奪われる事を恐れていた私が、自分からシャルルに別の嫁を娶るように勧めるだなんて。
もしかしたらこの巣のみんなの事を本当の家族のように思い始めたからかもしれない。自分でも、まだ良く分からないけれど。
でも、私はこの選択は間違っていないと心の底から信じていた。
アンは大切な友達で、大切な友達にはやっぱり幸せになって欲しくて、そのためには世界で一番の旦那様と一緒になる事は必須条件なのだ。そして、この世の中にシャルル以上の旦那様なんて居ない。
だったらアンもシャルルの妻になるのが一番だ。
それに、なんというか私はアンにもシャルルが世界で一番の旦那様だと思って欲しかったんだと思う。もしアンが別の誰かと結婚したら、それはアンがシャルルよりいい男の人だと思ったって事で、そんなのありえない事なんだけど、でもそうなるとアンはわざと妥協して男を選んだという事で、だから、つまり、ともかく大好きな人が一緒に暮らしていれば今より幸せになるのだ！
「ちょ、ちょっと待ってよ。この前はあんなに取られるかもとかって怖がってたじゃないか」
「大丈夫。シャルルは私の糸で絡み取って絶対逃がさないって強く決意したから。それから、ふふ、アンも逃がしたくないんだぁ」
ああそうか、そういう事か。私は欲張りだから、シャルルもアンも欲しいんだ。シャルルにもアンにも幸せになって欲しいんだ。もちろん自分もだけど。
「無理だよ、あり得ないよ、君は僕を捨てる気なの？ 二人の妻をもつなんて、そんなの出来ないよ」
シャルルは涙目になって、あからさまに取り乱してしまっている。
確かに我ながらいきなり過ぎたとは思っているけど、でも大丈夫。今は驚いて戸惑っているだけ。だってシャルルは私が選んだ旦那様だもの。一晩中愛し合ったって今では全然平気になったように、きっとすぐに慣れてくれる。
「シャルルの気持ち、すっごく嬉しいよ。その気持ち、忘れないで居てね。アンを抱いたらきっとアンにも夢中になってしまうだろうし」
私はシャルルを抱きすくめながら耳元で囁いた。
「だからメアリー、僕は」
「ねぇシャルル。人間の考え方なんて捨てちゃおうよ。私とアンは世界一の旦那様を手に入れられる。シャルルは可愛くて素敵な奥さんが二人になる。
私もアンも、シャルルの事を愛しているんだよ？ シャルルもアンを愛せれば、愛情だって二倍になる。今まで以上にきっと幸せになれる。魔物の考え方の方が、みんな幸せになれると思わない？
それともシャルルはアンの事が嫌いなの？」
「そんな事無いよ、アンさんの事は好き……。いや、そういう意味じゃなくて、嫌いじゃないけど」
「どちらかに罪悪感を感じるなら、その分シャルルも愛せばいいんだよ。そうすればみんな幸せになれる」
渋い顔で目を逸らすシャルルに、私は畳み掛けるように続ける。
「大丈夫。安心して？ 女王様の旦那様なんて、娘にも手を出しているんだってよ？ それに比べたら、別の魔物に手を出す事くらい」
「仮に、仮にだよ。僕がアンさんとも結婚したとして、確かに僕を愛してくれる相手は二人になる。単純に考えれば僕にとっては幸せな事かもしれない。
でも、メアリーはいいの？ アンさんとも結婚するって事は、僕とアンさんが、その、子作りしたりとかもするんだよ？ メアリーとする時間も減っちゃうよ？」
「どうして減るの？」
「どうしてって」
「一緒にすればいいじゃない。二人が三人になるだけ。私もアンの事は大好きだし、シャルルだってアンの身体は良さそうだって思ってるんでしょ？」
シャルルはため息を吐いた。
「身体だけじゃなくて、中身も素直でいい子だって思ってるよ」
私は彼の腕を取って、自分の胸を押し付ける。
「このおっぱいと、気持ちいい穴が二倍になるんだよ？ ううん、相乗効果で、もっと高まるかもしれない」
シャルルは首まで赤くしながら、喉を大きく鳴らした。ああん。もうこの場で食べちゃいたいくらい可愛い。
「大丈夫。全部上手くいくわ。安心して？ あなたはこれまで以上に私の事を好きになるし、アンの事も愛するようになる。アンも私から離れられなくなるし、シャルルへの気持ちだって大きくなるわ」
「で、でも、メアリーの気持ちは？」
「アンの事はもっと好きになる。シャルルの事だってもっともっと愛するようになる。多分もう私はシャルルもアンも、二人とも離さなくなると思う」
取られちゃうだなんて、私は何を勘違いしてたんだろう。蜘蛛の巣に入ったものはみんな身動きが取れなくなって、蜘蛛のものになるしかないのは分かり切った事だったのに。
そう、大好きな二人、シャルルもアンも手に入れたのは私だったんだ。
うふふ。シャルルも、アンも、私の巣の中でたっぷり可愛がってあげるんだから。
あぁ、何だろうこの感じ。自分を偽らなくてもよくなって、大好きなものを大好きって言えて、欲しいものを素直に手に入れようと思えるこの気持ちよさ。
「こんなの、良くないと思うんだけどなぁ」
「大丈夫、私が良くしてあげるから。夫を勃たせるのは妻の務めだもの」
「……絶対意味間違ってるよね」
「まぁ、シャルルがどうしても嫌って言うなら、やめておくけど」
シャルルは赤くなったまま苦虫を噛んだような顔になる。
「本音を言えば、嫌では無いよ。好きだって言われて嫌な人は居ないし、ジャイアントアントの中でもアンさんだけは妙に気になる存在だったし。
メアリーの友達だからだと思ってたけど、どうなんだろう。まさか僕はやっぱりそういう目で……うわぁ、自己嫌悪だよ」
そのまま顔を伏せて頭を抱えてしまった。表情もころころ変わって忙しいなぁ。でもやっぱりシャルルはとっても素直で真面目で可愛いくて、私はそんなシャルルがやっぱり大好きなんだ。
大好きなものは、大好きなもの同士で分かち合いたいじゃない。
私はアントアラクネの中でも、特に欲張りみたいだ。巣の中に入ってきた蟻も男も、全部私の大切な獲物。不幸になる事なんて許さない。絶対に幸せにして、それから、ずっと仲良く暮らすのだ。
＊＊＊
耳を引き裂くような雑音と共に、急に世界が明るくなった。
なんだか周りがあわただしい。私の周りでいくつもの気配があっちへ行ったりこっちへ来たりしている。
身体が重たい。薄目を開けて見てみると、部屋のカーテンが開けられていて、朝の日差しが私の身体に降り注いでいた。身を縮めて布団をかぶって、何とか太陽の光から逃げる。
人が寝てるんだから、もっと静かにしてほしいんだけどなぁ。
「メアリーちゃん。ようやく今日が来たよ！」
興奮気味のアンの声に、私は面倒ながらも顔を出した。
「アンは今日も元気ねぇ」
「当たり前じゃない。さぁ、早くメアリーちゃんも準備しなきゃ」
幼さの残る顔に太陽のような爽やかで温かい笑顔を浮かべながら、アンは私をベッドから引きずりおろそうとする。私の惰眠を妨害しようとするとは、天使みたいな顔してやる事は悪魔みたいなんだからぁ。
「あと五分でいいから寝させてよぉ。今まで忙しかったしさぁ」
「んー、五分くらいだったら」
忙しかったというのは嘘では無い。
あの日からシャルルにアンを娶らせようと動き始めたは良かったのだが、予想以上にやる事が増えて昨日まで寝る間もあまり無かったのだ。
渋るシャルルを懐柔し、遠慮し拒絶しようとするアンを半ば強引に素直にさせ、何度も怖気づきそうになるシャルルの男を元気づけ、困惑するアンにシャルルと二人でしっかり男の良さという物を教え込み……。
当然そこから先は当たり前のように三人での交わりに突入し、初めて三日三晩寝ずに続けるという快挙を成し遂げた。
それから結婚式を挙げたいというアンの願いを叶えるために何日も寝ずに準備して、私の作ったウエディングドレスを着て二人でシャルルの両脇に立って愛を誓って。
あとは三人じゃあの部屋は住みづらいって事で引越しもしたっけ。
ウエディングドレスのお返しとばかりに、アンが気合を入れてこの部屋を作ってくれた。部屋を最上階に作ったのは窓が欲しかったかららしい。朝は辛くて仕方ないけど、夜は星を見ながらえっち出来てとてもロマンティックでいい。
新居に移動したらしたで、いつまでえっちし続けられるか耐久し始めて……。それで、えっと、あれから何日経ったんだっけ？
どれも結構楽しくて、なんだかんだで三人でドタバタするのが嬉しかったけど、でもやっぱり寝てなきゃ眠くなるのはしょうがないものだしね。だからもうちょっと寝よう。
「だめだよ、起きるんだメアリー。今日は約束の日だろ？」
シャルルが腰に手を当てて私達の前に立つ。ベルトに着いたアントアラクネとジャイアントアントを象った小さな人形が仲良く揺れる。
何よぉシャルルまでアンの味方して。
くそぉ。文句の一つも言ってやる。と顔を上げると、いきなり唇を奪われてしまった。痺れるような感覚が脊髄を駆け上がって来て、あれだけあった眠気もどこかに吹き飛んでしまう。
「はい、おはようのキス」
「……ん。ありがと」
私は何となく恥ずかしくなって寝癖の付いた髪を撫でつける。
「あ。ずるい私も」
飛び跳ねてキスをせがむアンに向かって、シャルルは少し屈みながら口づけした。
穏やかなシャルルの顔。少し頬を染めて幸せそうに微笑むアン。あぁ何て素敵な光景、思わず意地悪したくなっちゃう。
「アンの方が長かった」
「え？」
「アンとのキスの方が0.1秒長かった！」
私はわざと頬を膨らませて顔を反らす。
シャルルは困惑しながらももう一度私の方に顔を寄せてくれる。
唇が触れそうになった瞬間を狙って、私は自分から唇を押し当て、シャルルの唇を割って舌を入れて中を掻き回した。
慌ててシャルルは身を離したけど、唇同士の間にはしっかり淫らな糸が引いた。
「あ、酷いよメアリーちゃん」
「うふふ。美味しい。シャルルとアンの味がする」
二人が揃って顔を真っ赤にする。
アンはシャルルを見上げ、覚悟を決めた表情で彼の身体に飛びかかって私のように深く深く口づけする。
「ちょ、アンまで何むぐっ」
唇を覆って、恥ずかしがって音を立てないようにするのがアンらしい。
「ぱはぁっ。わ、私だって、メアリーちゃんの味、味を、味わ、わわわっ」
夜はもっと過激な事してるのに、アンは本当にいつまでも初心だなぁ。まぁそこが可愛いんだけど、ともかく。
「シャルル、今のアンとのキスの方が」
「その手には乗らないよ。さぁさぁ準備して、今日は新婚旅行に行くんだから。お母さんに会うのも久しぶりなんだろ？」
そう、今日は魔界に三人で旅行に行く事になっているのだ。これもやっぱりアンがやりたがった。女王様がしていたことを自分もしてみたいらしいのだ。
私もシャルルも特に反対せず、むしろ乗り気になって計画を立てた。魔界には色々とここに無いものもあるという事で、私もシャルルも行ってみたかったのだ。
多分一番楽しみにしているのはシャルルだろう。魔界の珍しい食材を見られると子どもみたいにはしゃいでいたから。
アンも温泉や美術館に行けるという事でそわそわしていた。
私自身も楽しみにしている。大人向けの雑貨屋さんや夜店、面白い宿とかもあるらしいし、シャルルやアンがどんな反応を示すか見たくてたまらないし。
でも、はしゃぎ過ぎて余計な事言ったせいで面倒な事になっちゃったんだよなぁ。親が魔界のジャイアントアントの巣に住んでるなんて、なんで言っちゃったんだろ。
気分に任せて一言漏らしてしまったのが運のつきだった。二人から私の母さんに会いたいと強くせがまれてしまったのだ。それでまぁ何となくそう言う流れになってしまったのだけど。母さんに会うかと思うと、緊張して体が重い。だってもう何年も会ってないし。
「まぁね。でも別に母さんには会わなくても」
「私達が会いたいんだもん。ね、シャルル」
「そうだよ、ちゃんとあいさつしないと」
まったく私がどんな気で……。でも、まぁこの二人と一緒だったら何でも越えられる気がするし。
それじゃまぁ、元気な顔見せに行きますか。
「分かったわよ。行くわよ」
差し延ばされたシャルルとアンの手を取って、私はベッドから下りる。
いろいろあったけど、私は私で幸せにやってるって伝えに行こう。大好きな親友も愛している旦那様もそばに居てくれて、今は凄く満ち足りてて、言う事無いって。
「……手、離さないでね」
「もちろんだよ」
「メアリーちゃんこそはぐれないでよぉ？」
「だ、大丈夫よ」
私はツンと顔を逸らしながら、二人に聞こえないように小さくつぶやいた。
「私達の間には、糸より強い繋がりがあるんだから」
「何か言った？」
「何も！ 急いで準備してくるわ！」
シャルルとアンを模した人形を腰布にピンで留めながら、私は洗面所に向かう。
顔を洗って、髪を梳かして……て、あれ、櫛が無い。
「私が梳いてあげる」
鏡の中の私の後ろから櫛を持ったアンが顔を出した。そして慣れた手つきで私の寝癖を直し始める。
「シャルルは？」
「準備してる間に朝ごはんとお弁当を作るって。全く、私達より料理の方が好きなんじゃないかって疑っちゃうよ」
「あはは。でもそれは無いよ」
それにしても、こうしてアンに面倒見てもらうのも久しぶりだなぁ。出会ってすぐの事を思い出しちゃうよ。
「メアリーちゃん。聞いてもいいかな」
アンは櫛を動かす手はそのままに、声を落として尋ねてきた。
「なに？」
「……私とシャルルの事、後悔してない？」
もしかしたらずっと聞きたかったのかな。あれから二人きりになる機会も少なかったし。
アンがどんな顔をしているのかは、鏡の中の私の身体が邪魔で見ることが出来ない。でも、どんな顔をしてるかなんて気にしない。
「うん、実は後悔してるんだよ」
息を飲む気配。嘘じゃない。正直少し後悔してるって言うのは本当だ。
「シャルルがこの巣に忍び込んだ時、どうせなら『私達の恋人』だって言えば良かったなぁって」
そうすればアンを苦しめる事も、私もやたらと怖がることも無かったんだから。最初っから三人で仲良くしていれば楽しくて嬉しいだけで済んでいた。
でも。
今、私の胸元には三つの魔宝石があしらわれた指輪が吊り下げられている。
私の魔力の籠められた深みのある紅色の魔宝石、アンの魔力の籠められた透明感のある桃色の魔宝石、そしてシャルルの精の籠められた澄んだ青色の魔宝石。
アンの魔宝石を三つに割って削り出して作った、三人お揃いのエンゲージリング。
これだけじゃない。私達は三人とも、自分以外の二人を象った人形を身に付けている。いつでも一緒に居られるようにって。
色々と紆余曲折あったけど、だからこそ手に入れられたものもあるんだ。
「だ、駄目だよぉ。私だったら絶対嘘だってばれちゃうもん。でも、辛い事もあったけど私は何も間違って無かったって思ってるよ、だって」
「二人ともー。朝ごはんが出来たよー」
台所の方から聞こえたシャルルの声が聞こえ、アンは何か言いたげに私の目を覗き込んで笑いかける。
「だって私は今とっても幸せだし。それに、そうしなかったらシャルルだってあんなに料理上手くならなかっただろうし、メアリーちゃんだってお洋服作ったりしなかっただろうし。私も魔宝石をあきらめてたかもしれないし。
私シャルルの料理もメアリーちゃんのお洋服も大好き！」
確かにシャルルが役に立とうとして料理を始める事も、私が人形や三人分の洋服を作ったりすることも無かっただろうけど……。そんな風に素直に言われると、赤面せざるを得ないじゃない！
「そ、そうね。二人とも私の糸でベッドから出さなかったかもしれないし」
「ふふ。そんな事無いと思うけどなぁ。メアリーちゃんはなんだかんだで優しいし」
「な、何よぉ」
私はアンを軽く睨んだが、どちらからともなく噴き出して二人して笑ってしまった。
「メアリー。アン。ご飯が冷めるよー」
「「はーい」」
私達は笑い合い、二人で仲良く返事をしながらシャルルの待つリビングへと向かった。
洗面所を出る直前、ふと振り返って鏡を見た。
鏡に映った私の顔は、楽しそうに笑っていた。
女の嬌声、男のくぐもった息遣い。接合部が奏でる、ぐちゅり、ぐちゅりという肉のこすれ合う音。
私の身体は動かない。ここは一体何なんだろう。
ただ、胸の奥が寒くて震えているような妙な不安感だけがある。
「あぁ、凄く深いよぉ。私もう、いっ、逝きそう」
「僕もだよ。凄くきつくて、駄目だっ。もう、出るっ」
のけ反る女の影。虫の下半身の八本肢が食い込むくらいに強く男の腰元にしがみつく。激しく胸を上下させながら、蕩ける瞳で男を見下ろしている目は二つ、いや、髪に隠れた額にもいくつも濡れた瞳があるみたいだ。
この特徴は私と同じ。アントアラクネだ。
「相変わらず、メアリーの、あそ、こは。逝ってる、間も、激しいんだから」
「だってぇ。どうせならいっぱい欲しいんだもん」
メアリーって、私じゃないか。私の目の前で私がシャルルと交わっていて、じゃあ今の私は？
メアリーが突然気が付いたように私の方を振り向いた。自分自身と目が合う。なんだか不思議な感じ。
「あら、アンじゃない」
アン？ 私が？
振り向くと鏡が置いてあって、私の姿が映っていた。
頭の上の触角やシャツを押し上げる大きめの胸はいつもの私と変わらない。でも、健康的に少し焼けた張りのある肌、女らしい曲線を描きながらも筋肉質な肢体、一対の目しか無い幼さの残る可愛らしい顔立ち、六本肢の昆虫型の下半身。これは私には無いものだ。
この身体はアントアラクネじゃなくて、ジャイアントアントの、アンの身体だってこと？
でも、どうしていきなり私がアンに？
困惑しているはずなのに、鏡の中の私はにこにこと笑いながらこっちに手を振っていた。
その手が突然荒々しく掴まれる。
知らない男がアンの腕を引いてベッドに連れて行く。
何が、何が起こるの。
「しゃぶれよ」
男がいきなりズボンを下ろして、アンの顔の前に自分のそれを晒す。
アンは戸惑うようにそれを見て、男の顔を見て、泣きそうな顔で顔を反らした。
「売れ残りのお前を貰ってやったのは誰だと思っているんだ？ あぁん？ お前が金を積んで結婚してくれって頼んできたから、仕方なく貰ってやったのに。でなければ誰がこんな気持ちの悪い虫の魔物……」
弾ける様な音がして、アンが倒れる。
男がアンの頬を引っ叩いたのだ。
「お前言ったよな。金も渡す、言う事は何でも聞く、好きなように身体を弄んでいい、むしろ奉仕するから、だから結婚してくれって。お前が言ったんだ。旦那様を喜ばせることも出来ないのか？」
アンは起き上がり、虚ろな顔で見知らぬ男のそれを口に含む。
やめろ。アンが嫌がってる。
「ほら、もっと気合を入れて舐めろよ。もっと吸って、口全体を使え。そうだ、いいぞ」
男が腰を振り始める。アンの口の端から泡が漏れ始め、嗚咽が聞こえ始める。
やめろって言ってるでしょ。アンが嫌がってる。もっと、もっと大事にアンを扱ってあげてよ。くそ、何で声が出ないのよ。何で手も足も出ないのよ。
「そら、いくぞっ」
「むぐぅっ」
男がアンの顔を掴んで、力付くで自分の股間に押し付ける。
アンは呻き声を上げ、必死で目を閉じて堪えていた。
男の手が離れる。咳き込みながら倒れ伏すアン。虚ろな表情で天井を見上げながら荒い呼吸を繰り返すばかりになる。もう、嫌がるそぶりも見せない。
男の手が、今度はアンの胸元に伸びる。シャツを引き千切り、直にアンのおっぱいに触る。
虫唾が走る。こんな男、私がそばに居たらアンに絶対近づかせないのに……。
「上半身はいいんだがなぁ。可愛い顔の割に胸もでかい。これで下半身も人間ならいう事ねぇのに……。まぁいいや、魔物のアレは具合がいいって聞くし」
アンの腰布が引き千切られる音が、悲鳴のように響き渡る。
「へへ、試してみるかなぁ」
「やめろ……。やめろ！ アンの身体に触るな！」
駆け出そうとする私の腕を、シャルルが掴んで止める。
どうして！ どうして止めるの？ アンは私の大切な友達なのに。友達が苦しんでいるのに何も出来ないなんて嫌だよ。
「駄目だよメアリー。アンさん達夫婦の邪魔になってしまう」
「だって」
「アンさんに念願の旦那さんが出来たんだよ？」
「違うよ。アンが求めてた人はもっと違うの。あんな乱暴な奴じゃなくて、もっと」
もっと優しくて、アンの事を大事にしてくれる人。アンは、シャルル。あなたの事を一番求めていたんだよ？ あんな風に嫌がる妻を無理矢理犯そうとするような男なんかじゃない。
「でも、結婚したって事はアンさんが選んだって事だよね」
「違う。違うよ、だって嫌がってるもん……」
だって、今のアンは全然楽しそうじゃない。男に押し倒されてるのに嬉しそうじゃないもん。苦しそうだもん。
あんなの、アンが本当に望んだ相手なわけが。
「うぐぅっ」
今のくぐもった声は何。アンの声、だよね。
「こりゃあいい。すっげえなぁ魔物ってのは」
見たく無いのに振り返ってしまう。目を閉じることも出来ず、ベッドの上に目を落とすと、一番私の見たく無かったものが……。
目を開けると、見慣れた土壁が視界いっぱいに広がっていた。
台所の方から何かを焼いているような音が聞こえてくる。朝、か。今のは夢だったんだよね。夢で、良かった。
大きく息を吐くと、全身がべとべとしている事に気が付いた。汗だ。私の冷や汗。中にはシャルルの精液も混ざってるけど、昨日はほとんど中に出してもらったから外はほとんど汚れていない。
変な、嫌な夢だった。
アンが、知らない男に犯される夢。
本来であれば魔物に夫が出来るという事は喜ばしい事のはずなのに、なぜか私は不快だった。だってアンがあんな男を選ぶはずが無い。あんな男と一緒になってしまったら、アンが幸せになれない。……多分。
でも魔物の性分を考えれば好きでもない男と結婚するはずは無いし……アンがああいう男を選ぶ場合だってあるんだろうけど。そうしたら、私はどうしよう。
「あ、起きたんだ」
台所からシャルルがトレイを持って出てくる。やっぱり料理をしていたらしい。
トレイの上には目玉焼きと炒めたベーコンとトーストが乗った皿と、コンソメスープの入ったカップが乗っていた。
「って、シャルル。朝ごはん作ってる場合じゃないでしょ？ 仕事は？」
「交代したって昨日言ったじゃないか。それにもう夕方だよ」
シャルルは笑いながら私の隣に座る。
夕方？ 朝じゃなくて？ でも、そうか。そうだった、仕事の心配もしなくていいからって朝方までずっと繋がってたんだった。
夢の内容が衝撃的で忘れてしまっていた。
昨日の夜は、ここ数日が嘘のように穏やかで温かい夜だったなぁ。くっついて抱き締めあって、色んなところを触り合って。
ずっとそうしていたかったけど、安心してるうちに二人とも眠くなってきてしまって、お日様が昇るころに二人で眠ったんだった。
「良い魔界鳥の卵が手に入ったって聞いたから、一個貰って来たんだ。素材の味を楽しむにはこれが一番かと思って」
それで目玉焼きか。
何て綺麗なハート形だろう。今ではこんな工夫をするくらいまで腕を上げたって事だね。最初に何度も失敗してたのが嘘みたいだ。
シャルルは千切ったトーストの上に白身を切って乗せ、口の中に入れる。そして何度か咀嚼してから。
「ん……」
私に唇を重ねてきて、口の中身を流し込んできた。
これも懐かしい。出会ったころはいつもこうやって食べさせてたっけ。そのあとシャルルと交わるって決めてても、少しでも多くシャルルに触れていたくて。
「美味しい？」
「うん。でも食べた事無い味」
「そりゃ、初めて食べるからね」
シャルルは、今度は黄身をトーストの上に丸ごと乗せて大口いっぱいに頬張る。
「あ」
口の端に黄身が付いてる。
首を伸ばしてそれを舐めとり、それから押し倒すように唇そのものを貪る。
シャルルは一瞬慌てて視線を彷徨わせたものの、結局すぐに黄身の絡んだ舌を私の口の中に忍び込ませてきた。
このまま、押し倒すのも悪く無いなぁ。そう思って手を繋ごうとした私の手が、硬いものが触れた。
包みに厳重に包まれたこれは。
「ぷはぁ。あ、これ台所の棚の奥で見つけたんだけど、何？」
昨日アンからもらって、大事にしまっておいた魔宝石だった。
「これは、その、アンからの」
何て言えばいいの？ プレゼント？ 謝罪の証？ どれも違う。こんな大事なもの受け取れないし、謝られる事なんてされてないんだから。
「……預かり物。大切な物なの」
「そうなんだ。じゃあとりあえず元あったところに戻しておくよ。確かにあそこならうっかり壊したり無くしたり汚したりすることは無いだろうし」
シャルルは一度席を立って台所へ向かう。
考えてみれば前に見たあの夢、シャルルにジャイアントアント達が群がっていて、シャルルとアンが交わっているのを見ている事しか出来なかったあの夢、すっごく嫌な夢だったけど、現実で見ているしか出来なかったのはむしろアンの方だったんだ、さっきの夢みたいに。
好きになった人は一番大切だと思っている友達と愛し合っていて、好きな人からされたい事は全部友達に先取りされて。でも友達から夫を奪う事はしたくないし、出来るとも思えない。少なくとも私はアンと比べられたら、ちょっと自信が無い。アンも私の事をそう思っている可能性は、否定できない。
何しろあの子はとてつもなく人がいいから。
一番大事なはずの魔宝石さえ渡してしまうんだもの……。
「片付けてきたよ。昨日はそれで呼び出されてたの？」
「ん？ まぁね」
「あのさ、僕のせいで気まずくなってたら、その」
「……しばらくは、しょうがないよ」
シャルルは私の顔を見て、申し訳無さそうな顔で肩を落とした。
でも、もう嘘をついてシャルルとの間に変な溝が出来るのは嫌だった。あんな風にお互い神経をすり減らすよりは、素直に話した方がいい。
アンとだって、少しすればきっと前みたいにもどれる。
「もっと上手くやっていれば、なんて思わないでね。変に気を使い合ってこじれるより、こんな風にはっきりした方が誤解が無くていいよ。シャルルは正しかった」
「うん……。早く前みたいに仲良くなれるといいんだけど」
前みたいに、かぁ。きっと今の私達を見たら、アンは心配させないために何としてでも元に戻ろうと頑張ろうとするんだろうなぁ。
心配させないために。
そのフレーズが、私に嫌な連想をさせる。
例えばこれでアンに旦那様が出来たとすれば、それはアンにシャルル以上に好きになれる相手が出来たという事で、昔の事は水に流して私達はまた仲良く夫婦同士で付き合いを再開することが出来るかもしれない。
でも、私達に心配を掛けまいと、わざと好きでもない相手と結婚したとしたら？ それこそ、夢の中のように。
好きでもない男と結婚するなんて魔物娘の本能から考えればありえない事だけど、もしアンの気遣いの気持ちがそれを上回るものだったら？ あの子はずっと魔宝石を探し続けるくらいには根性があるし、意外と頑固なところもある。
だって、アンは夫婦になっていると分かっていてもなお告白するくらい強い気持ちをシャルルに抱いていたのだ。その強い気持ちがそうやすやすと消えるとは思えない。
それに、シャルルの妻である私としては、簡単に乗り換えられるような軽い気持ちでシャルルの事を好きになっていたとは思いたくない。
駄目だ。考え出したらきりがない。
でも、アンに幸せになって欲しいという私の気持ちのも嘘は無い。アンにはそこら辺の有象無象じゃなくて、心の底から愛した人と、世界で一番だと思える男の人と一緒になって欲しい。アンはそのくらい素敵な子なんだから。
でも世界で一番の男の人なんて……。
「あのさ、メアリー。考え事してるところ悪いけど、ご飯が冷めちゃうよ」
シャルルが苦笑いでこっちを見ていた。シャルル、私の旦那様。世界で一番愛しい人。
スープを口に含んでから、口移しでシャルルに飲ませてあげる。ねっとり舌を絡ませ合いながらも、しかし私の頭の中はかつてない程に冷静に高速で回転していた。
「やっぱりメアリーと食べるご飯が一番だよ」
照れ笑いを浮かべるシャルルに、もう一口ご飯を食べさせてあげながら私は彼の身体を押し倒した。
頭を撫でる手がくすぐったかった。
自室のベッドの上。そうか、私また寝ちゃってたんだ。でもいつから？
「起きた？」
「ん、うん」
えっと、ご飯食べて、何かお腹が膨れて気持ち良くなってきて。押し倒したはいいものの、考えすぎてたせいで何だかふらふらもしてしまってて。
シャルルがここで寝なよって膝を出してくれていて……。
それから先の記憶が無い。
「今何時？」
「んー、とりあえず日付は変わったかな」
「ごめん。私」
「いいよ。可愛い寝顔が見られた」
シャルルは私の頬に口づけしてくれた。
「まだ、寂しい？」
「え？」
「そんな顔してる。君のその目の下の模様」
シャルルの暖かい指が私の頬に触れる。
「泣いてるように見える時があるんだよ。愛し合った後にふと我に返ってるときとか、僕が朝仕事に出て行く前とか。初めて会った時には本当に泣いていると思ったくらいだよ」
「あなたが居るもの。寂しくなんかないよ」
寂しくは無い。でも、なにか満たされない。
また夢を見た。今度は断続的でどれも良く覚えていないけれど、どの夢でもアンが結婚していて、でも夢ごとにアンの夫が違う人なのだった。
それは知っている人だったり、全く知らない人だったり、良い人そうな人も居れば嫌な感じの人も居て相手もまちまちだったんだけど、どんな男と一緒になっていても私は素直にアンを祝福することが出来なかった。
起きた今、冷静に考えればおかしい事だった。だってアンに大切な人が出来たって言うのに、それを祝ってあげられないなんて。
「それにしても、メアリーがまさか人形を作ってくれているなんてね」
「え？」
シャルルの視線を追いかけると、机の上に作りかけの人形が置かれていた。
私の糸で作ろうとしていた、手のひらに収まるくらいの大きさの、私とシャルルを象った人形。……まだ上半身しか出来てないけど。
顔が熱くなる。不格好だし、未完成だし、なんか気恥ずかしくもあったから見せたく無かったのに。
「あはは、ごめん。どうしても気になったから、メアリーが寝てる間に、ね」
「もう、酷いよぉ」
シャルルは笑ってごまかして、私を抱き寄せた。
考え込んでいた私への、彼なりの気遣いだったのかもしれない。
「生地、ずいぶん余っているみたいだし、人形でくらい二人の子どもを作ってよ。出来れば本物の子どもも欲しいけど、子どもが出来たら出来たでジャイアントアントじゃ無い事がばれちゃうしね」
確かに生地は余っているけど、でもシャルルはどうしてそんな事言うんだろう。確かにジャイアントアントの働き蟻に子どもが出来る事は極稀で、というか子どもが出来た働き蟻が新しい女王蟻になるから、簡単に子どもが出来てしまえばすぐに種族が違うんじゃないかって疑われただろうけど。
「別に子どもが出来ても何も問題ないじゃない。そのためにも毎日いっぱいえっちしてるんだし、私も欲しいよ？」
「でも子どもが出来たらジャイアントアントは巣から出て新しい巣を作るんでしょ？ 実はアントアラクネだったってばれなかったとしても、結局ここに居られなくなるじゃないか」
まるでばれてないみたいな言い方だけど、女王様には最初っからばれていたし、みんなにも周知の事実だし、多分出ていく事も無いと思うけど……。
あ、しまった。なんか色々ごたごたしてて忘れていたけど、シャルルにまだ正体ばれたって伝えてなかったんだ！
「ごめんシャルル。実は最初っからみんなにアントアラクネだってばれてたみたいで」
「えぇ？ 何だよ。心配してて損しちゃったじゃないか……。でも、みんな分かったうえで普通に接してくれてたって事だよね」
シャルルは流石に驚きを隠せないようだったけれども、すぐに柔らかな笑顔を取り戻した。私の様子を見て色々と察してくれたのだろう。
「人のいい連中だよね……」
本当、素直な子ばっかりでこっちが心配になってくる。アンも、悪い男に捕まってしまいそうで心配で仕方ない。今は傷ついている状態だし、誰かがすり寄って来ないとも限らないのだ。
私の大切なアンをそんじょそこらの男に渡すわけにはいかない。どうせ結婚するのならシャルルくらいにいい男じゃないと。
「そんなこと言って、本当はみんなに感謝してるくせに」
「べ、別にそんな事……無い事も無いけど」
「ふふ。じゃあ人形じゃなくたって本物の子どもでも大丈夫なわけだ。これで安心したよ」
シャルルが私のお腹を撫でてくる。なんかすごくあったかいけど、すごく照れてしまった。
彼が私を孕ませたがっている。私のここに自分の子を宿らせたいって思ってるんだ。
「焦らずゆっくり作っていこうね。焦るより、じっくり楽しみながら愛し合う方がきっと丈夫な子が生まれてくると思うんだ」
「ん」
おなかにシャルルの子を宿す。それは私自身の望みではあるけれど、シャルルの口から改めて言われてみると、あったかい気持ちとは別にぞくぞくとした淫靡な喜びもあった。
シャルルの横顔に、私は雄を感じた。
雌に子を宿させる。それもまた雄の本能で、シャルルもまた雄なんだ……。
「あぁ、人形の完成が楽しみだなぁ。メアリーの糸で作ったんだろう？ 余った分も全部欲しいな。捨てるのは勿体ないよ」
シャルルは私のお腹から手を離し、優しく肩を抱いて来た。雄はどっかに行っちゃったけど、こういうシャルルもやっぱり大好きだ。
「勿体ないって言っても。またいくらでも作れるんだよ？」
確かに私とシャルルの人形を作っても、あと一人分作れるくらいの量は残っているけど……。こんな中途半端な布切れじゃ何にも使えないし。生地だってこれからもっと上質な物を作れるようになるだろうし。
「でもメアリーが初めて作った生地なんだろ？ やっぱり勿体ないよ」
だったらやっぱりもう一つ人形を作るのが一番だけど。
私とシャルルと三つで並ぶわけだし、あと一人分、誰がいいかなぁ。……待てよ？ 私と、シャルルと、仲良く並ぶ。三人で……。
そうか。そうすれば、アンだって世界で最高の旦那様と一緒になる事が出来るじゃないか。何で今まで気が付かなかったんだろう。
「……ねぇシャルル。私、やりたいことが出来たんだけど、応援してくれるかな」
一瞬言葉を失っていたものの、シャルルはすぐに顔を輝かせて喰い付いて来てくれた。
「本当かい？ 当たり前だよ。メアリーだって今まで僕の事応援してくれたし、メアリーの為だったら何でもするよ」
「うふふ、ありがとう。ところでシャルルはアンの事どう思う？」
「どうって、嫁さんの大切な友達、かな」
「異性として見られる？」
「そりゃまぁ。でも僕にとってはメアリーが一番だよ？ そんなに疑わなくても」
「抱きたいと思わない？」
シャルルは顔を引きつらせて後ずさった。私は身を乗り出して、半ば押し倒しているような状態で彼に問い詰める。
「アンって、凄くいい匂いよね。可愛いし、守ってあげたくなるってタイプだし、一見鍛えてそうに見えるけどちゃんと女の子らしい身体をしている。おっぱいの形もいいし」
「ちょ、ちょっとメアリー？」
「それに、私に似てるって言ってたよね」
シャルルはぐっと言葉を詰まらせ、目を逸らした。
そして懺悔するように、しぼみ気味の声で言う。
「確かに女として見てしまった事もあるよ。メアリーと出会わなかったらもしかしたらって考えてしまった事もある。その事は謝るよ。でもそんな事に意味は無いだろ？ 僕は君を」
「いいえ、謝らなくてもいいわ。ねぇシャルル。もし私が二人になったらシャルルは幸せ？」
「どういう意味？」
「私が疲れて眠りについても、もう一人が交代してあなたと交わっていられる。そして二人目が疲れて眠るころにはもう一人目が元気になっていて、あなたを休まず喜ばせてあげられる」
「僕の方がもたないって。というか話が見えないんだけど」
困惑気味のシャルルに向かって、私はにっこり笑いながら告げた。
「ねえシャルル。アンとも結婚しよう？」
その時のシャルルの顔を、私は一生忘れる事が出来ないだろう。
自分の決断に、自分自身が驚いていた。
二三日前までシャルルを奪われる事を恐れていた私が、自分からシャルルに別の嫁を娶るように勧めるだなんて。
もしかしたらこの巣のみんなの事を本当の家族のように思い始めたからかもしれない。自分でも、まだ良く分からないけれど。
でも、私はこの選択は間違っていないと心の底から信じていた。
アンは大切な友達で、大切な友達にはやっぱり幸せになって欲しくて、そのためには世界で一番の旦那様と一緒になる事は必須条件なのだ。そして、この世の中にシャルル以上の旦那様なんて居ない。
だったらアンもシャルルの妻になるのが一番だ。
それに、なんというか私はアンにもシャルルが世界で一番の旦那様だと思って欲しかったんだと思う。もしアンが別の誰かと結婚したら、それはアンがシャルルよりいい男の人だと思ったって事で、そんなのありえない事なんだけど、でもそうなるとアンはわざと妥協して男を選んだという事で、だから、つまり、ともかく大好きな人が一緒に暮らしていれば今より幸せになるのだ！
「ちょ、ちょっと待ってよ。この前はあんなに取られるかもとかって怖がってたじゃないか」
「大丈夫。シャルルは私の糸で絡み取って絶対逃がさないって強く決意したから。それから、ふふ、アンも逃がしたくないんだぁ」
ああそうか、そういう事か。私は欲張りだから、シャルルもアンも欲しいんだ。シャルルにもアンにも幸せになって欲しいんだ。もちろん自分もだけど。
「無理だよ、あり得ないよ、君は僕を捨てる気なの？ 二人の妻をもつなんて、そんなの出来ないよ」
シャルルは涙目になって、あからさまに取り乱してしまっている。
確かに我ながらいきなり過ぎたとは思っているけど、でも大丈夫。今は驚いて戸惑っているだけ。だってシャルルは私が選んだ旦那様だもの。一晩中愛し合ったって今では全然平気になったように、きっとすぐに慣れてくれる。
「シャルルの気持ち、すっごく嬉しいよ。その気持ち、忘れないで居てね。アンを抱いたらきっとアンにも夢中になってしまうだろうし」
私はシャルルを抱きすくめながら耳元で囁いた。
「だからメアリー、僕は」
「ねぇシャルル。人間の考え方なんて捨てちゃおうよ。私とアンは世界一の旦那様を手に入れられる。シャルルは可愛くて素敵な奥さんが二人になる。
私もアンも、シャルルの事を愛しているんだよ？ シャルルもアンを愛せれば、愛情だって二倍になる。今まで以上にきっと幸せになれる。魔物の考え方の方が、みんな幸せになれると思わない？
それともシャルルはアンの事が嫌いなの？」
「そんな事無いよ、アンさんの事は好き……。いや、そういう意味じゃなくて、嫌いじゃないけど」
「どちらかに罪悪感を感じるなら、その分シャルルも愛せばいいんだよ。そうすればみんな幸せになれる」
渋い顔で目を逸らすシャルルに、私は畳み掛けるように続ける。
「大丈夫。安心して？ 女王様の旦那様なんて、娘にも手を出しているんだってよ？ それに比べたら、別の魔物に手を出す事くらい」
「仮に、仮にだよ。僕がアンさんとも結婚したとして、確かに僕を愛してくれる相手は二人になる。単純に考えれば僕にとっては幸せな事かもしれない。
でも、メアリーはいいの？ アンさんとも結婚するって事は、僕とアンさんが、その、子作りしたりとかもするんだよ？ メアリーとする時間も減っちゃうよ？」
「どうして減るの？」
「どうしてって」
「一緒にすればいいじゃない。二人が三人になるだけ。私もアンの事は大好きだし、シャルルだってアンの身体は良さそうだって思ってるんでしょ？」
シャルルはため息を吐いた。
「身体だけじゃなくて、中身も素直でいい子だって思ってるよ」
私は彼の腕を取って、自分の胸を押し付ける。
「このおっぱいと、気持ちいい穴が二倍になるんだよ？ ううん、相乗効果で、もっと高まるかもしれない」
シャルルは首まで赤くしながら、喉を大きく鳴らした。ああん。もうこの場で食べちゃいたいくらい可愛い。
「大丈夫。全部上手くいくわ。安心して？ あなたはこれまで以上に私の事を好きになるし、アンの事も愛するようになる。アンも私から離れられなくなるし、シャルルへの気持ちだって大きくなるわ」
「で、でも、メアリーの気持ちは？」
「アンの事はもっと好きになる。シャルルの事だってもっともっと愛するようになる。多分もう私はシャルルもアンも、二人とも離さなくなると思う」
取られちゃうだなんて、私は何を勘違いしてたんだろう。蜘蛛の巣に入ったものはみんな身動きが取れなくなって、蜘蛛のものになるしかないのは分かり切った事だったのに。
そう、大好きな二人、シャルルもアンも手に入れたのは私だったんだ。
うふふ。シャルルも、アンも、私の巣の中でたっぷり可愛がってあげるんだから。
あぁ、何だろうこの感じ。自分を偽らなくてもよくなって、大好きなものを大好きって言えて、欲しいものを素直に手に入れようと思えるこの気持ちよさ。
「こんなの、良くないと思うんだけどなぁ」
「大丈夫、私が良くしてあげるから。夫を勃たせるのは妻の務めだもの」
「……絶対意味間違ってるよね」
「まぁ、シャルルがどうしても嫌って言うなら、やめておくけど」
シャルルは赤くなったまま苦虫を噛んだような顔になる。
「本音を言えば、嫌では無いよ。好きだって言われて嫌な人は居ないし、ジャイアントアントの中でもアンさんだけは妙に気になる存在だったし。
メアリーの友達だからだと思ってたけど、どうなんだろう。まさか僕はやっぱりそういう目で……うわぁ、自己嫌悪だよ」
そのまま顔を伏せて頭を抱えてしまった。表情もころころ変わって忙しいなぁ。でもやっぱりシャルルはとっても素直で真面目で可愛いくて、私はそんなシャルルがやっぱり大好きなんだ。
大好きなものは、大好きなもの同士で分かち合いたいじゃない。
私はアントアラクネの中でも、特に欲張りみたいだ。巣の中に入ってきた蟻も男も、全部私の大切な獲物。不幸になる事なんて許さない。絶対に幸せにして、それから、ずっと仲良く暮らすのだ。
＊＊＊
耳を引き裂くような雑音と共に、急に世界が明るくなった。
なんだか周りがあわただしい。私の周りでいくつもの気配があっちへ行ったりこっちへ来たりしている。
身体が重たい。薄目を開けて見てみると、部屋のカーテンが開けられていて、朝の日差しが私の身体に降り注いでいた。身を縮めて布団をかぶって、何とか太陽の光から逃げる。
人が寝てるんだから、もっと静かにしてほしいんだけどなぁ。
「メアリーちゃん。ようやく今日が来たよ！」
興奮気味のアンの声に、私は面倒ながらも顔を出した。
「アンは今日も元気ねぇ」
「当たり前じゃない。さぁ、早くメアリーちゃんも準備しなきゃ」
幼さの残る顔に太陽のような爽やかで温かい笑顔を浮かべながら、アンは私をベッドから引きずりおろそうとする。私の惰眠を妨害しようとするとは、天使みたいな顔してやる事は悪魔みたいなんだからぁ。
「あと五分でいいから寝させてよぉ。今まで忙しかったしさぁ」
「んー、五分くらいだったら」
忙しかったというのは嘘では無い。
あの日からシャルルにアンを娶らせようと動き始めたは良かったのだが、予想以上にやる事が増えて昨日まで寝る間もあまり無かったのだ。
渋るシャルルを懐柔し、遠慮し拒絶しようとするアンを半ば強引に素直にさせ、何度も怖気づきそうになるシャルルの男を元気づけ、困惑するアンにシャルルと二人でしっかり男の良さという物を教え込み……。
当然そこから先は当たり前のように三人での交わりに突入し、初めて三日三晩寝ずに続けるという快挙を成し遂げた。
それから結婚式を挙げたいというアンの願いを叶えるために何日も寝ずに準備して、私の作ったウエディングドレスを着て二人でシャルルの両脇に立って愛を誓って。
あとは三人じゃあの部屋は住みづらいって事で引越しもしたっけ。
ウエディングドレスのお返しとばかりに、アンが気合を入れてこの部屋を作ってくれた。部屋を最上階に作ったのは窓が欲しかったかららしい。朝は辛くて仕方ないけど、夜は星を見ながらえっち出来てとてもロマンティックでいい。
新居に移動したらしたで、いつまでえっちし続けられるか耐久し始めて……。それで、えっと、あれから何日経ったんだっけ？
どれも結構楽しくて、なんだかんだで三人でドタバタするのが嬉しかったけど、でもやっぱり寝てなきゃ眠くなるのはしょうがないものだしね。だからもうちょっと寝よう。
「だめだよ、起きるんだメアリー。今日は約束の日だろ？」
シャルルが腰に手を当てて私達の前に立つ。ベルトに着いたアントアラクネとジャイアントアントを象った小さな人形が仲良く揺れる。
何よぉシャルルまでアンの味方して。
くそぉ。文句の一つも言ってやる。と顔を上げると、いきなり唇を奪われてしまった。痺れるような感覚が脊髄を駆け上がって来て、あれだけあった眠気もどこかに吹き飛んでしまう。
「はい、おはようのキス」
「……ん。ありがと」
私は何となく恥ずかしくなって寝癖の付いた髪を撫でつける。
「あ。ずるい私も」
飛び跳ねてキスをせがむアンに向かって、シャルルは少し屈みながら口づけした。
穏やかなシャルルの顔。少し頬を染めて幸せそうに微笑むアン。あぁ何て素敵な光景、思わず意地悪したくなっちゃう。
「アンの方が長かった」
「え？」
「アンとのキスの方が0.1秒長かった！」
私はわざと頬を膨らませて顔を反らす。
シャルルは困惑しながらももう一度私の方に顔を寄せてくれる。
唇が触れそうになった瞬間を狙って、私は自分から唇を押し当て、シャルルの唇を割って舌を入れて中を掻き回した。
慌ててシャルルは身を離したけど、唇同士の間にはしっかり淫らな糸が引いた。
「あ、酷いよメアリーちゃん」
「うふふ。美味しい。シャルルとアンの味がする」
二人が揃って顔を真っ赤にする。
アンはシャルルを見上げ、覚悟を決めた表情で彼の身体に飛びかかって私のように深く深く口づけする。
「ちょ、アンまで何むぐっ」
唇を覆って、恥ずかしがって音を立てないようにするのがアンらしい。
「ぱはぁっ。わ、私だって、メアリーちゃんの味、味を、味わ、わわわっ」
夜はもっと過激な事してるのに、アンは本当にいつまでも初心だなぁ。まぁそこが可愛いんだけど、ともかく。
「シャルル、今のアンとのキスの方が」
「その手には乗らないよ。さぁさぁ準備して、今日は新婚旅行に行くんだから。お母さんに会うのも久しぶりなんだろ？」
そう、今日は魔界に三人で旅行に行く事になっているのだ。これもやっぱりアンがやりたがった。女王様がしていたことを自分もしてみたいらしいのだ。
私もシャルルも特に反対せず、むしろ乗り気になって計画を立てた。魔界には色々とここに無いものもあるという事で、私もシャルルも行ってみたかったのだ。
多分一番楽しみにしているのはシャルルだろう。魔界の珍しい食材を見られると子どもみたいにはしゃいでいたから。
アンも温泉や美術館に行けるという事でそわそわしていた。
私自身も楽しみにしている。大人向けの雑貨屋さんや夜店、面白い宿とかもあるらしいし、シャルルやアンがどんな反応を示すか見たくてたまらないし。
でも、はしゃぎ過ぎて余計な事言ったせいで面倒な事になっちゃったんだよなぁ。親が魔界のジャイアントアントの巣に住んでるなんて、なんで言っちゃったんだろ。
気分に任せて一言漏らしてしまったのが運のつきだった。二人から私の母さんに会いたいと強くせがまれてしまったのだ。それでまぁ何となくそう言う流れになってしまったのだけど。母さんに会うかと思うと、緊張して体が重い。だってもう何年も会ってないし。
「まぁね。でも別に母さんには会わなくても」
「私達が会いたいんだもん。ね、シャルル」
「そうだよ、ちゃんとあいさつしないと」
まったく私がどんな気で……。でも、まぁこの二人と一緒だったら何でも越えられる気がするし。
それじゃまぁ、元気な顔見せに行きますか。
「分かったわよ。行くわよ」
差し延ばされたシャルルとアンの手を取って、私はベッドから下りる。
いろいろあったけど、私は私で幸せにやってるって伝えに行こう。大好きな親友も愛している旦那様もそばに居てくれて、今は凄く満ち足りてて、言う事無いって。
「……手、離さないでね」
「もちろんだよ」
「メアリーちゃんこそはぐれないでよぉ？」
「だ、大丈夫よ」
私はツンと顔を逸らしながら、二人に聞こえないように小さくつぶやいた。
「私達の間には、糸より強い繋がりがあるんだから」
「何か言った？」
「何も！ 急いで準備してくるわ！」
シャルルとアンを模した人形を腰布にピンで留めながら、私は洗面所に向かう。
顔を洗って、髪を梳かして……て、あれ、櫛が無い。
「私が梳いてあげる」
鏡の中の私の後ろから櫛を持ったアンが顔を出した。そして慣れた手つきで私の寝癖を直し始める。
「シャルルは？」
「準備してる間に朝ごはんとお弁当を作るって。全く、私達より料理の方が好きなんじゃないかって疑っちゃうよ」
「あはは。でもそれは無いよ」
それにしても、こうしてアンに面倒見てもらうのも久しぶりだなぁ。出会ってすぐの事を思い出しちゃうよ。
「メアリーちゃん。聞いてもいいかな」
アンは櫛を動かす手はそのままに、声を落として尋ねてきた。
「なに？」
「……私とシャルルの事、後悔してない？」
もしかしたらずっと聞きたかったのかな。あれから二人きりになる機会も少なかったし。
アンがどんな顔をしているのかは、鏡の中の私の身体が邪魔で見ることが出来ない。でも、どんな顔をしてるかなんて気にしない。
「うん、実は後悔してるんだよ」
息を飲む気配。嘘じゃない。正直少し後悔してるって言うのは本当だ。
「シャルルがこの巣に忍び込んだ時、どうせなら『私達の恋人』だって言えば良かったなぁって」
そうすればアンを苦しめる事も、私もやたらと怖がることも無かったんだから。最初っから三人で仲良くしていれば楽しくて嬉しいだけで済んでいた。
でも。
今、私の胸元には三つの魔宝石があしらわれた指輪が吊り下げられている。
私の魔力の籠められた深みのある紅色の魔宝石、アンの魔力の籠められた透明感のある桃色の魔宝石、そしてシャルルの精の籠められた澄んだ青色の魔宝石。
アンの魔宝石を三つに割って削り出して作った、三人お揃いのエンゲージリング。
これだけじゃない。私達は三人とも、自分以外の二人を象った人形を身に付けている。いつでも一緒に居られるようにって。
色々と紆余曲折あったけど、だからこそ手に入れられたものもあるんだ。
「だ、駄目だよぉ。私だったら絶対嘘だってばれちゃうもん。でも、辛い事もあったけど私は何も間違って無かったって思ってるよ、だって」
「二人ともー。朝ごはんが出来たよー」
台所の方から聞こえたシャルルの声が聞こえ、アンは何か言いたげに私の目を覗き込んで笑いかける。
「だって私は今とっても幸せだし。それに、そうしなかったらシャルルだってあんなに料理上手くならなかっただろうし、メアリーちゃんだってお洋服作ったりしなかっただろうし。私も魔宝石をあきらめてたかもしれないし。
私シャルルの料理もメアリーちゃんのお洋服も大好き！」
確かにシャルルが役に立とうとして料理を始める事も、私が人形や三人分の洋服を作ったりすることも無かっただろうけど……。そんな風に素直に言われると、赤面せざるを得ないじゃない！
「そ、そうね。二人とも私の糸でベッドから出さなかったかもしれないし」
「ふふ。そんな事無いと思うけどなぁ。メアリーちゃんはなんだかんだで優しいし」
「な、何よぉ」
私はアンを軽く睨んだが、どちらからともなく噴き出して二人して笑ってしまった。
「メアリー。アン。ご飯が冷めるよー」
「「はーい」」
私達は笑い合い、二人で仲良く返事をしながらシャルルの待つリビングへと向かった。
洗面所を出る直前、ふと振り返って鏡を見た。
鏡に映った私の顔は、楽しそうに笑っていた。
12/12/15 13:07更新 / 玉虫色
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