連載小説
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第三章
「ほれ、今日からここが、お前の家だ」
ニコラが通されたそこには、半分岩に埋もれたような家が建っていた。
岩壁をくり抜き、必要最低限に木材を使い、家にする。
ドワーフは鉱山に家を持つことが多く、鉱山を集落にする場合によく使われる方法だった。
小柄な彼女らに反し、家や戸は意外にも大きめに作られていた。
それでも、人間の大人は、戸枠に頭を擦るだろうという、微妙な大きさではあったが。
「・・・どうした?」
「え、いや、結構大きいな、って」
「あぁ、人間の男を迎えることもあるからな。
 アタシらより遥かに大きく作ってあるんだよ」
戸のサイズに比して、やたらと下、ドワーフの手の位置に付いているドアノブが回され、開く。
中はというと・・・やたらと汚かった。
「荷物はそこ置いとけ」
言われるままに荷物を置いた床からは、もうもうと埃が立ち、ニコラは思わずむせ込んだ。
よく見ると埃が積もっている部分とそうでない部分、入り口と台所とベッドまでの間の「道」がきっぱりと分かれていた。
呆気に取られつつも一歩踏み出すと、頭に小さな抵抗と、ぷちぷちと繊維を切る感触。
蜘蛛の巣だった。
よく見ると、少し頭の上、梁(はり)から、そこかしこに蜘蛛の巣が張り巡らされている。
が、マルギットはその下を平然と歩く。
長年、この家が寝起きと簡単な食事以外に機能していない証拠だった。
「デカすぎる家も面倒だよなー」
そう言いながら、茶器を用意するマルギット。
確かに、彼女の身長で大人の頭の高さを掃除するのは不便そうだった。
この先の生活で何をするかを迷うニコラだったが、とりあえず一つ、目標が決まった瞬間だった。

二人で寄り添う・・・というよりは、小さなベッドに押し合いへし合いで寝た翌日、仕事へと向かうマルギットを見送り、部屋の掃除・・・の前に、「掃除用具の掃除」から始め、ある程度片付く頃には昼になっていた。
「おっ、随分奇麗になったな!いやー、ありがたいわ」
簡単だが、それでも以前と比べると見違える部屋を見て、マルギットが言った。
「ほれ、昼飯だ」
なんとか使えるようになったテーブルに、二つの弁当箱が並べられる。
テーブルに着き、脚をぱたぱたとさせて待つマルギットに、ニコラがお茶を運ぶ。
「お弁当、作ってる人いるんだ」
全員が金物屋や鉱夫だと勝手に思い込んでいたニコラが、疑問を漏らす。
「あぁ、デボラ・・・ほれ、昨日会ったあいつだよ、アレの旦那がやってるんだ」
早速、弁当の中身をほおばっているマルギットが答える。
「アタシらはもっぱら、カナヅチ振ってるのが性に合っててね。
 中にはデボラみたいな商売っけ出す方が好きなのもいるけどさ。
 で、炊事だ何だってのが疎かになるのが多くてね。
 見るに見かねた旦那衆が食堂だの馬車だのやってたりするんだよ」
ガツガツと弁当をかき込みながら言う。
「そうだ、お前も何かやってみろよ。こんな辺鄙(へんぴ)な集落じゃ、
 家の中で腐ってたって、いいことなんざこれっぽっちもありゃしないし、さ」

マルギットに言われるまま、食堂や御者のやり方を教わり始めたニコラ。
食堂で働いていたのは恰幅のいいおじさんだった。太い腕で大きなフライパンを振りながら、「あいつらにはナイショだけどな、ここの連中、みんな舌までお子様なんだよ」と教えてくれたのが印象的だった。
御者として、馬房で働いていたのは筋肉質の青年だった。馬の世話は思ったよりも重労働で、一日が終わる頃にはスプーンを握る力さえ残ってないように思えた。青年の「意外に根性あるな、見直したよ」という台詞で、疲れが吹き飛んだ気がした。

そうして一年が経ち。
マルギットの家はすっかり片付き、ニコラ用に家具も新調され、以前の様子が嘘のようになっていた。
ニコラは毎日、火傷や筋肉痛でボロボロになって帰って来たが、満足そうにその日の出来事を語るのを、マルギットは笑顔で聞いていた。
ある日、ニコラは御者の仕事として、泊まりがけで街まで付いていくことになった。
「マル姉ちゃん、ちゃんとごはん作らないとダメだよ、掃除もしてね」
「あいあい、わーってるよ!たかだか三日だろうが!」
すっかり主夫が板に付いてしまったニコラに嗜められながら、荷馬車を見送る。
遠ざかり、土煙の向こうに霞んでしまったニコラに(自身が小さ過ぎて見えていないことはさておき)大きく手を振り終えると。
「さーて、アタシも仕事して・・・終わったら久々に酒盛りだ!
 浴びるほど飲めるぜいゃっほーい!」
すっかりニコラの規則正しい生活に浸ってしまったせいで、後ろめたさも相まって、久しく満足に酒を飲んでいないマルギットだった。

「だぁからよぉ、部屋も奇麗になったし、メシもちゃんとしたの食ってるから、
 不満はねーっての、ひっく」
「バカタレ。目の前でハメ外しすぎてべろんべろんになってるヤツが何言ってんだい」
夜の食堂・・・今の時間は酒場として営業している、デボラの旦那の店。
そこで、デボラと共に酒を飲んでいるところだった。
カウンターそのものはドワーフに合わせ低く作ってあるものの、キッチンの方は人間用に一段・・・いや、数段掘り下げ、普通のバーカウンターと同じような視線になるように作ってあった。
「まぁアレだね、アタシも、アンタがガキンチョ連れてきたときは驚いたよ。
 で、一つ屋根の下にいながら、若過ぎて手が出せずモンモンとする気も
 判らなくはないけどさ・・・」
「そんなんじゃねーっての!アタシはただねぇ、あいつが不憫だから・・・」
「同情したっての?」
「・・・そんな、安っぽいもの・・・だったけど、さぁ」
一年前、衝動で行動して、ニコラをここまで連れてきてしまったことを思い出す。
「けど、なに?」
これでいて頭の回転が早いデボラが、過去形になっていた言葉尻を捉える。
「いやほら・・・その後なんだけどよ、
 アタシにも子供がいたら、こう、なの、かなって・・・」
酔って赤くなった顔をさらに赤らめながら、小さくそう漏らした。
「んっ・・・ぷっ、あ、はははは!!
 『ソッチ』じゃ生娘同然のアンタが、ぼ、母性を語るかい!」
「う、五月蝿せぇ!いいじゃねーかそんなこと!」
温度変化の少ない金属製中空タンブラー(試作品。現在売り込み中)をだん、とカウンターに叩き付けながら、怒りを露にするマルギット。
「あっははは、ひぃ、いや、悪い悪い・・・で、実際のところどうなん?
 ニコラは息子にしか見えないかい?」
「なんでそんなことばっかり訊いてくるかなコイツは・・・」
そう、ぐちぐちぶつぶつと小さく何かを言いながら、カウンターにもたれかかるマルギット。空いた手でおつまみの焼き鳥の串を取り、皿に残ったタレと脂を無意味にかき回しながら続ける。
「そりゃぁさ、アタシだって理性がプッツンしそうなときくらいあるさ。
 アイツ、最近は力仕事覚えて、汗臭くなって帰ってくることだって少ないくないしさ。
 こう、その、オトコの臭いっての?にクラッときちゃったりムラッときちゃったり。
 でもその度に、思い出しちゃうんだよね。アイツがイジメられてたのが、
 魔物のせいだったんだよな、って。
 別にアイツがそれでいいって言った・・・というか、選ばせたワケだし、
 こっちで生活させるのに何の異議もないんだけどよ。
 だからって、そうなった原点のアタシら魔物が、手出しちゃマズいかな、とか・・・」
ふぅ、とため息を吐くマルギット。
それを飲み下すように酒を一気に煽るも、結局気分は変わらなかったようで、またカウンターに頭を預ける。
空になったタンブラーが、からりと氷の存在だけを伝えた。
何も言わず、デボラの旦那がそれに酒を注ぐ。
「はぁー。アンタは直情型のクセに、こういう時はグチグチ言うんだから・・・」
「・・・返す言葉も無ぇ・・・」
「いいよ、わかった。『そういうこと』するには、ニコラは若すぎるからね。
 ま、御者の仕事覚えりゃ、こうして羽根を伸ばせる日も増えるだろうし、
 そんときくらいはグチに付き合ってやるよ」

流石に飲み過ぎたか、二日酔いとまでは行かなかったが、もやのかかる頭を引きずり仕事をした一日目。
酒を控えたおかげか、体調が戻り、結局飲み明かした二日目。
やっぱり飲み過ぎた頭が働かない三日目。
そしてニコラが帰ってきた四日目。
「ただいま・・・って、マル姉ちゃん、どうやれば三日でここまで汚せるの・・・」
呆れ返ったその台詞を吐かせた原因は、テーブルの上の酒瓶と、台所に積まれた弁当箱(要返却)の山だった。
「な、はははは・・・」
もはや弁明は不可能、苦笑いで誤摩化すしかできないマルギット。
「あ、アタシ午後の仕事行かなくちゃぁ・・・んじゃ!」
脱兎の如く走り去る小さな背中に向かい、ため息を吐くニコラ。
台所の弁当箱を手に取り、海綿で洗いながら、先ほどのことを思い出していた。
街からの帰り道、御者の青年との会話だ。
『そういえば、君はマルギットのことどう思ってるんだい?』
自分を助けてくれた、大切な人だ。血は繋がってないが、肉親のように思っている。
上手く言葉が出なかったが、そんなことを答えた。
『ふぅん・・・それじゃ、お姉さん、のままなのかい?』
それは・・・。
それは。
『俺は・・・まぁ、いいや。そういう歳じゃないみたいだし。
 まだまだ先の話だったかな。変な話してごめん、忘れてくれよ』
判ってる。
その疑問と、答えに迷っていること。
誰よりも判ってる。
ちゃらり、と、弁当箱を洗う手から音が鳴る。
マルギットが作ってくれたブレスレット。
「魔」を退けるというそれは、まだニコラの手首に、余裕を持って巻かれていた。
マルギットが、守ってくれている。
魔物から。
つまり当の本人から。
ブレスレットを無意味に揺らしてみたが、流石ドワーフの作、どこで継いだかすら判別できないくらいに、きっちりと腕に付き、ちゃらりと誇らしげな音を立てた。
暫くそれを眺めた後。
誰に見せるでもなく、小さく頷くニコラ。
何を決心したのか、また弁当箱を洗い始めた。

ニコラは器用で、また物覚えがよかった。
成長期だったこともあるかもしれないが、集落に来たばかりの頼りない印象は無くなり、細身ながらもしっかりと筋肉の付いた体つきになっていった。行商のタヌキの魔物が言っていた、男子三日会わざれば刮目して見よ、という東からの格言に、ついつい大きく頷いてしまうほどに。
少しずつ、少しずつ。
しかし、
確実に、確実に。
デボラと酒を酌み交わす度に、その話をしていた気がする。
聞かされ続けたデボラ曰く、
「この親馬鹿め」
とのことだったが。

それは、三年ほど経った、ある日のことだった。
15/10/11 23:01更新 / cover-d
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■作者メッセージ
実は話作ってアップする直前に「タイトルが入力されていません」警告で初めてタイトル考えるのが私です。

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