第二章
遺跡の構造確認ということで、二人で暗い廊下を進む。
イヴ曰く、廊下の石レンガに見えるものの中にいくつか、導力を通すと薄く光るものがあるらしいのだが、導力回路が劣化によって故障しているそうで、その光景を拝むことはできなかった。
「そういえば、僕、ここ入って既に2日経ってて・・・」
「そうでしたか・・・お辛いところにお手を煩わせてしまったようですね。
大変申し訳ありませんでした」
そうそう、食料が尽きて、お腹が減ってるんだよね。
と言おうとしたが。
「どうぞ、もう誰も使っていないので、お好きな部屋で用を足してください」
「そっち!?」
「拭くものがご入用でしたら、近くの書類を、揉んで柔らかくしてお渡しします」
「うん、もうちょっと気を使うべき部分があると思うんだ!」
「排泄は体内の毒素を排出する機能もあると聞きます。ならば、
他より優先して心配すべきかと思いまして」
「うん、大事だけどさ!大事だけどさ!もっとあるよね!?」
「えっ・・・まさか、2日間も我慢を!?それはお身体に障ります!
排泄介助モードを起動させますので、早く・・・」
「そっちから離れよう!?」
実は既に何度かしたとは、口が裂けても言えなかった。
「ほら、エネルギー補給とかもっと大切なものあるよね!?」
「あぁ、申し訳ありません。私自身、スリープ状態であれば、周囲に薄く漂う
魔力を吸収しているだけで足りてしまうので、すっかり失念していました」
「地味に便利だねその機能・・・」
「わかりました。そういうことであれば、詳細な探索は諦め、
手早く出口を探すことにしましょう」
歩む脚を止め、ふいに歌うような仕草をするイヴ。
しかし、仕草だけで、音は聞こえない。
「・・・なにやってるの?」
「申し訳ありませんが、少しお静かにお願いします」
「あ、はい」
それが1、2分続いただろうか。
「・・・ご清聴ありがとうございました」
思わず拍手をするも、結局何も聞こえなかった。
「で、今のは・・・?」
「簡単ですが、超音波探査です。人間の可聴域を超えた音を出し、反響で
周囲の様子を探るという・・・」
ラウルの頭にはてなマークが浮かんでそうなことを確認したイヴ。
足元の小石を通路の奥へと投げる。
石は闇に飲まれ、遠くでかつん、と音を立てた。
「要は、この音の跳ね返りを聞いて、周りの地形を知るものです。
ただ、人間には聞こえない音でそれを行っていた、というだけで」
「あぁ、だからか」
イヴが不思議そうな顔で、ラウルを見る。
「こうして話していると、マスターは聡明な方だということは理解できます」
「え?うーん、僕としては、
どちらかというとイヴの説明が上手なだけという気がするけど」
「しかし、私に使われている基礎的な機能をまるで知らない様子なのを見ると・・・
いえ、何でもありません。先を急ぎましょう」
かなり歯切れの悪い答えをされた。
「今の調査で、出口はすぐ傍だと判りました。もう10分も歩けば出られるはずです」
また歩き出したところで、ちょっとした疑問を訊いた。
「そういえば、遺跡の変化がどう、って言ってたけど、
イヴはここのこと知ってるの?」
「正直なところ、そこまで詳しくは知りません。
せいぜい・・・入口から、あの廃棄場まで、です」
「あ、ごめ・・・」
「いえ、構いません。もう、過ぎた話ですし、それに・・・
ここに居たおかげで、とても幸せな出会いができましたから」
気恥ずかしくなる台詞をさらりと言われた。
「へ、あ、じゃぁ、大きな時計のことも知らないよね!は、ははは」
ダメ元、というよりは、照れ隠しで訊いてみた。
「大きな時計・・・あぁ、きっとエントランスにある、あれのことでしょうか」
「知ってたの!?」
意外なところに答えがあった。
「えぇ、ここは元々、私たちオートマトンの製造工場で、地上に工場、
ここ、地下には研究施設がありました」
「へぇ」
「ですので、会社概要として、ここの大まかな施設案内のようなものは知っています。
しかし、詳細な地図は社外秘でしたので、少し調査をしたい、と思いまして。
あと・・・できることなら、他に取り残された仲間がいないか、と、
少しだけ期待したのですが」
「あ・・・」
「いえ、お気になさらず。何分300年も前のことですから。
きっと、もう誰一人残っていませんよ。
えっと、それで、時計の話でしたよね」
「あ、うん」
「それは、この研究所の入口、地表からほど近い場所にあるのですが」
「もしかして僕、すっごいとんでもない方向音痴なことしてた・・・?」
「いえ、セキュリティを切らないと幻影魔法で惑わされる仕組みがあるんです。
意味のない道を延々歩かされ、帰ろうとしたときだけ、
帰り道が正しく出てくるような。きっとそれに引っかかってしまったのでしょう」
「街で冒険者から時計の噂を聞いたんだけど・・・」
「どこかのセンサーが壊れていても不思議はありません。
その方は、運よくそれを抜けたのでしょう。
どちらかといえば、300年もセキュリティが生きていたことに驚きますが」
「・・・なんか、どっと疲れた」
「また来ましょう。多少ですが案内はできると思います。
・・・と、そろそろですね」
言われて気づく程度だが、かすかに風を感じる。
角を曲がると、通路の先が見えた。
とても眩しい光によって。
外に出ると、そこは河原だった。
上流から流されてきた小さく丸い石の山に半分埋もれる形で、遺跡の入口が見え隠れしている状態だった。
上を見上げると、目を焼く太陽。
そして、崖。
「どこだ、ここ・・・」
「300年前、工場の裏手に河が流れていました。恐らく、広げすぎた施設が、
河の浸食に飲まれてしまったのでしょう」
この遺跡を造った人には悪いが、出口が近くなっていた、というのは幸運だった。
しかし。
「・・・見たところ、この崖を登れる場所はなさそうだな・・・」
久々の水で乾きを癒しつつ、周囲の探索をしたラウルが言った。
崖の上まで10mほど。
直角どころか、鋭角に切り立った崖は、どう足掻いても登れそうになかった。
遠くに見える吊り橋が、やっと人の息吹を感じさせ、慰め程度の安堵をくれることくらいだろうか。
「まぁ、出られただけでも良しとしよう。
あとは上流に行けば、そのうち登れそうな場所くらいは見つかるさ」
言って、歩き出そうとしたが、イヴは付いてくる気配はない。
「お疲れ、でしたよね」
「確かに、疲れたし腹は減ったし散々だよ。でも、水は飲めたし、
あの暗がりよりはマシだよ」
「でしたら、ショートカットしましょうか」
何を言っているんだ。
そう思う暇すらなく、イヴは左手を振った。
すると、手首が外れた。
驚いたが、よくよく見ると、外れた手首は腕に付いている。
元から外れる仕組みだったようだ。
その手首の切れ目から、凶悪そうなフックが飛び出し、再度驚くことになった。
「緊急用フックショットです。耐荷重1トンのウィンチ付きなので、
この程度の崖ならばなんとかなります」
「ははっ、初めて使えそうな緊急用が出たな」
「何気に失礼ですね。助けてあげませんよ」
「ごめんごめん」
腕を崖の上へと向けるイヴ。
ばしゅん。
かなり大きな音とともに、フックが崖の上へと消えていった。
それを引っ張り、引っかかり具合を確認するイヴ。
ぐ、ぐ。
2度、3度。
引いた。
次の瞬間。
ワイヤーを強く引いた衝撃で、崖が崩れた。
大小の岩が、真下にいた二人へ降り注ぐ。
それは、とてもゆっくりと感じる時間だった。
岩を確認する二人。
次の瞬間には、互いを見ていた。
イヴはラウルを。
ラウルはイヴを。
互いに、突き飛ばした。
いや。
一方は、突き飛ばそうとした。
体重差が災いし、ラウルだけが、岩の下から押し出される。
がらがらがら。
天を仰ぐラウル。
はっと我に返るが、そこには、まだ埃を上げる岩の山。
「い、イヴ───!!」
ワイヤーの根本へと急ぐ。
「ま、すたー・・・お怪我は、ありませんか?」
イヴはいた。
しかし。
その恰好は、とても無事とは言えないものだった。
なんとか応急修理した右腕は折れ、両足は岩に押しつぶされていた。
「イヴ!」
「ふふっ・・・ごめんなさい。張り切りすぎてドジしてしまうなんて、
やっぱり私、粗大ゴミですね」
「そんなこと言ってる場合かよ!待ってろ、今岩をどけて・・・」
「マスター、ちょっとこちらへ」
何かと思い近づくと、緩めたワイヤーで足を絡めとられた。
「ぬおっ!?」
そして転んでいる間に、身体にワイヤーが巻き付けられる。
「いつつ・・おいイヴ!そんなことしてる場合じゃ・・・」
「声に、脚に、腕に、メンテナンスに、マスターにもなってもらって・・・
5つも恩を作ってしまったのに、私、不甲斐ないですね・・・」
「なに、を・・・」
「これが、私が返せる最後の恩返しになってしまいました」
「なにを、言って・・・」
「一時(いっとき)でも、私に幸せをくれて、ありがとうございました」
「待て、僕はそんなもの望んじゃ・・・」
「左腕コンデンサに導力充填。めいっぱい。
左腕パージ後、ウィンチ始動。左腕補助チップに命令書き換え。
パージまで5、4、3・・・」
待て!
お元気で。
「ゼロ」
「イヴ─────!!」
静かになった谷底に、一体の機械が残された。
きっと、これで良かったのだ。
自分には、過ぎた夢だったのだ。
長い時間ではなかったが、それが叶えられたのだ。
粗大ゴミが、主を見つけられたのだ。
それで、いいじゃないか。
目元から鼻を越え、頬に。
疑似表皮センサーに、生暖かい反応があった。
水。
いや。
「・・・涙?」
違う。
自分が唯一体内で合成できる、止血ローションだ。
「カメラアイ洗浄機能なんて、私にあったかな・・・」
仕様書ファイルを呼び出・・・そうとして、止めた。
もう、停止する自分には関係のないことだ。
このままだと、あと2時間くらいが活動限界だろうか。
時計機能はとっくに止まっているので、それを計る術もないが。
あと2時間。
何をしよう。
そうだ。
録画ファイル呼び出し。
瓦礫の崩れる大きな音で、スリープモードが解除された。
とても長いスリープは、各種機能の復帰に少し時間を要してしまった。
カメラアイが動作を始めると、目の前に驚く青年が映された。
センサーが腕の傷を見つけたので、すぐさま処置モードに移行した。
しかし油の切れた脚は思うように動いてはくれず、かろうじて掴んだ左腕で引きずられる形となった。
止血を終えると、腰を抜かした青年の姿。
「包帯があるので、傷を塞いでください」
そう言おうとして、スピーカーの断線に気づいた。
ざらざらというノイズだったが、なんとかボディランゲージで伝わったようだった。
脚の異常の原因という、ネズミの骨を受け取った。
小さな生き物は好きだった。
そういうプログラムだったと言われてしまえばそれまでなのだが。
清掃が行き届き虫やネズミのいない店から出たことのない私が、初めて対面した小動物は、骨だった。
正確に言えば、スリープの間に、いつの間にか齧られていたのが初対面だったかもしれないが。
悲しかった。
疑似皮膚センサーは、どんな温度を伝えてくるんだろう。
どんな感触を伝えてくるんだろう。
店の窓に見えては消える小鳥を映しながら、とりとめのない妄想をしていた時期もあった。
「ごめんなさい」
よりにもよって、自分が死因となってしまった骨を見て。
そんなことを考えていた。
「個体番号だっけ、それのアルファベットを取って、イヴ。
だめかな」
初めて名前をもらった瞬間。
嬉しかった。
同時に。
空(むな)しかった。
骨董品になってなお、店に並んでいれば、いつかは貰えると思っていたもの。
倉庫に送られ、諦めかけたもの。
廃材となって、完全に諦めたもの。
それが。
ふとした拍子に、手に入ってしまった。
嬉しくないと言えば嘘になる。
しかし。
これはあまりにも、肩透かしではないか。
だから。
「ふふっ。それでは、最後のお願い。
私の・・・所有者(マスター)になって下さい」
ちょっとだけ意地悪のつもりで。
女性的に言えば、責任を取ってもらうつもりで。
欲しかったもう一つのもの。
主人を──自身の居場所を、要求した。
キス。
相手が不慣れなせいで、こちらが一方的に求める形になってしまったのは、ちょっとだけ反省点だと思う。
極力事務的に抑えて、無駄とまで言ってしまったけど、内心、少しだけ、嬉しかったんですよ。
あと。
できれば。
もう少しだけ、ロマンティックにしてほしかったな。
「・・・あれ」
録画データを止め、我に返る。
「私、なんで、こんな、感傷的になっているんだろう」
そんなプログラム、あったかな。
どこかの魔力漏れで、回路がおかしくなっているのかも知れない。
「・・・まぁいいか。もともと、粗大ゴミだから、私」
イヴ。
録画データの断片が浮かぶ。
イヴ。
イヴ。
「イヴ─────!!」
録画データではなかった。
マイクに入ってくる音。
見ると、崖の上から降りてくるラウル。
「マスター!なぜ・・・どうやって」
「これでも機械屋のはしくれだ!
外装無理やり引っぺがして、中身を出すくらい余裕だ!」
見ると、外装だけきれいに取られた左腕が、目の前に垂れてきていた。
「待ってろ、今岩をどかしてやる!」
川岸に落ちていた丸太を拾ってきて、てこで岩を押すラウル。
見ると、手は血で汚れていた。
恐らく、古びてささくれたワイヤーを、無理に掴んで降りてきたのだろう。
「く、そ、動かねぇ・・・!!」
「待っていてください、今一度、左腕に導力を充填して・・・」
「馬鹿野郎!」
怒気の籠った声に、思わず気圧される。
「お前・・・言ったよな!
この身朽ちるまで!僕に仕えるって!」
必死に岩を押す掛け声のように、そう叫ぶ。
「だったら!そうしろよ!
骨組み全部!錆びて折れるまで!
僕に!仕えて!みせろよ!」
岩が、ぐらついた。
「約束をぉぉぉ!!」
動いた。
脚が、出た。
「はぁ、はぁ、守って、はぁ、みせろよ」
「しかし、この状態では・・・」
「うるせぇな!それくらい、はぁ、直して、はぁ、やるから」
先ほど置き去りにしていたバッグを、よろよろとした足取りで取ってくるラウル。
そのバッグに、イヴの壊れたパーツを詰め込み始めた。
「さぁ、登るぞ」
肩に継がれる、左腕。
・・・沈黙。
「どうした?イヴ」
「・・・嬉しいんです」
やっと、それだけ絞り出すように、言った。
「感情値が・・・嬉しさの値が、オーバーフローしているんです。
仕様にない涙が、溢れて止まらないんです。
本格的に、壊れちゃったみたいですね、私」
涙でぐずぐずになった顔を見せながら。
「いいんだよ、それで。
僕のオートマトンは、整備性が悪く、破損アリの上、
支援用と言いつつ人に頼み事ばかりする、ただの粗大ゴミなんだろ?」
「ふふっ・・・はい」
涙でぐずぐずになった顔を綻ばせながら。
「ちゃんと整備して、破損も直して、
支援用の機械の頼みを聴いてやる、そんなアホみたいな奴が、イヴの主人なんだよ。
・・・知ってた?」
「・・・はい!」
涙でぐずぐずになった顔に満面の笑みを浮かべ、言った。
「よし、じゃあ行こう!」
「左腕連結確認。ウィンチ巻き取り、開始!」
イヴ曰く、廊下の石レンガに見えるものの中にいくつか、導力を通すと薄く光るものがあるらしいのだが、導力回路が劣化によって故障しているそうで、その光景を拝むことはできなかった。
「そういえば、僕、ここ入って既に2日経ってて・・・」
「そうでしたか・・・お辛いところにお手を煩わせてしまったようですね。
大変申し訳ありませんでした」
そうそう、食料が尽きて、お腹が減ってるんだよね。
と言おうとしたが。
「どうぞ、もう誰も使っていないので、お好きな部屋で用を足してください」
「そっち!?」
「拭くものがご入用でしたら、近くの書類を、揉んで柔らかくしてお渡しします」
「うん、もうちょっと気を使うべき部分があると思うんだ!」
「排泄は体内の毒素を排出する機能もあると聞きます。ならば、
他より優先して心配すべきかと思いまして」
「うん、大事だけどさ!大事だけどさ!もっとあるよね!?」
「えっ・・・まさか、2日間も我慢を!?それはお身体に障ります!
排泄介助モードを起動させますので、早く・・・」
「そっちから離れよう!?」
実は既に何度かしたとは、口が裂けても言えなかった。
「ほら、エネルギー補給とかもっと大切なものあるよね!?」
「あぁ、申し訳ありません。私自身、スリープ状態であれば、周囲に薄く漂う
魔力を吸収しているだけで足りてしまうので、すっかり失念していました」
「地味に便利だねその機能・・・」
「わかりました。そういうことであれば、詳細な探索は諦め、
手早く出口を探すことにしましょう」
歩む脚を止め、ふいに歌うような仕草をするイヴ。
しかし、仕草だけで、音は聞こえない。
「・・・なにやってるの?」
「申し訳ありませんが、少しお静かにお願いします」
「あ、はい」
それが1、2分続いただろうか。
「・・・ご清聴ありがとうございました」
思わず拍手をするも、結局何も聞こえなかった。
「で、今のは・・・?」
「簡単ですが、超音波探査です。人間の可聴域を超えた音を出し、反響で
周囲の様子を探るという・・・」
ラウルの頭にはてなマークが浮かんでそうなことを確認したイヴ。
足元の小石を通路の奥へと投げる。
石は闇に飲まれ、遠くでかつん、と音を立てた。
「要は、この音の跳ね返りを聞いて、周りの地形を知るものです。
ただ、人間には聞こえない音でそれを行っていた、というだけで」
「あぁ、だからか」
イヴが不思議そうな顔で、ラウルを見る。
「こうして話していると、マスターは聡明な方だということは理解できます」
「え?うーん、僕としては、
どちらかというとイヴの説明が上手なだけという気がするけど」
「しかし、私に使われている基礎的な機能をまるで知らない様子なのを見ると・・・
いえ、何でもありません。先を急ぎましょう」
かなり歯切れの悪い答えをされた。
「今の調査で、出口はすぐ傍だと判りました。もう10分も歩けば出られるはずです」
また歩き出したところで、ちょっとした疑問を訊いた。
「そういえば、遺跡の変化がどう、って言ってたけど、
イヴはここのこと知ってるの?」
「正直なところ、そこまで詳しくは知りません。
せいぜい・・・入口から、あの廃棄場まで、です」
「あ、ごめ・・・」
「いえ、構いません。もう、過ぎた話ですし、それに・・・
ここに居たおかげで、とても幸せな出会いができましたから」
気恥ずかしくなる台詞をさらりと言われた。
「へ、あ、じゃぁ、大きな時計のことも知らないよね!は、ははは」
ダメ元、というよりは、照れ隠しで訊いてみた。
「大きな時計・・・あぁ、きっとエントランスにある、あれのことでしょうか」
「知ってたの!?」
意外なところに答えがあった。
「えぇ、ここは元々、私たちオートマトンの製造工場で、地上に工場、
ここ、地下には研究施設がありました」
「へぇ」
「ですので、会社概要として、ここの大まかな施設案内のようなものは知っています。
しかし、詳細な地図は社外秘でしたので、少し調査をしたい、と思いまして。
あと・・・できることなら、他に取り残された仲間がいないか、と、
少しだけ期待したのですが」
「あ・・・」
「いえ、お気になさらず。何分300年も前のことですから。
きっと、もう誰一人残っていませんよ。
えっと、それで、時計の話でしたよね」
「あ、うん」
「それは、この研究所の入口、地表からほど近い場所にあるのですが」
「もしかして僕、すっごいとんでもない方向音痴なことしてた・・・?」
「いえ、セキュリティを切らないと幻影魔法で惑わされる仕組みがあるんです。
意味のない道を延々歩かされ、帰ろうとしたときだけ、
帰り道が正しく出てくるような。きっとそれに引っかかってしまったのでしょう」
「街で冒険者から時計の噂を聞いたんだけど・・・」
「どこかのセンサーが壊れていても不思議はありません。
その方は、運よくそれを抜けたのでしょう。
どちらかといえば、300年もセキュリティが生きていたことに驚きますが」
「・・・なんか、どっと疲れた」
「また来ましょう。多少ですが案内はできると思います。
・・・と、そろそろですね」
言われて気づく程度だが、かすかに風を感じる。
角を曲がると、通路の先が見えた。
とても眩しい光によって。
外に出ると、そこは河原だった。
上流から流されてきた小さく丸い石の山に半分埋もれる形で、遺跡の入口が見え隠れしている状態だった。
上を見上げると、目を焼く太陽。
そして、崖。
「どこだ、ここ・・・」
「300年前、工場の裏手に河が流れていました。恐らく、広げすぎた施設が、
河の浸食に飲まれてしまったのでしょう」
この遺跡を造った人には悪いが、出口が近くなっていた、というのは幸運だった。
しかし。
「・・・見たところ、この崖を登れる場所はなさそうだな・・・」
久々の水で乾きを癒しつつ、周囲の探索をしたラウルが言った。
崖の上まで10mほど。
直角どころか、鋭角に切り立った崖は、どう足掻いても登れそうになかった。
遠くに見える吊り橋が、やっと人の息吹を感じさせ、慰め程度の安堵をくれることくらいだろうか。
「まぁ、出られただけでも良しとしよう。
あとは上流に行けば、そのうち登れそうな場所くらいは見つかるさ」
言って、歩き出そうとしたが、イヴは付いてくる気配はない。
「お疲れ、でしたよね」
「確かに、疲れたし腹は減ったし散々だよ。でも、水は飲めたし、
あの暗がりよりはマシだよ」
「でしたら、ショートカットしましょうか」
何を言っているんだ。
そう思う暇すらなく、イヴは左手を振った。
すると、手首が外れた。
驚いたが、よくよく見ると、外れた手首は腕に付いている。
元から外れる仕組みだったようだ。
その手首の切れ目から、凶悪そうなフックが飛び出し、再度驚くことになった。
「緊急用フックショットです。耐荷重1トンのウィンチ付きなので、
この程度の崖ならばなんとかなります」
「ははっ、初めて使えそうな緊急用が出たな」
「何気に失礼ですね。助けてあげませんよ」
「ごめんごめん」
腕を崖の上へと向けるイヴ。
ばしゅん。
かなり大きな音とともに、フックが崖の上へと消えていった。
それを引っ張り、引っかかり具合を確認するイヴ。
ぐ、ぐ。
2度、3度。
引いた。
次の瞬間。
ワイヤーを強く引いた衝撃で、崖が崩れた。
大小の岩が、真下にいた二人へ降り注ぐ。
それは、とてもゆっくりと感じる時間だった。
岩を確認する二人。
次の瞬間には、互いを見ていた。
イヴはラウルを。
ラウルはイヴを。
互いに、突き飛ばした。
いや。
一方は、突き飛ばそうとした。
体重差が災いし、ラウルだけが、岩の下から押し出される。
がらがらがら。
天を仰ぐラウル。
はっと我に返るが、そこには、まだ埃を上げる岩の山。
「い、イヴ───!!」
ワイヤーの根本へと急ぐ。
「ま、すたー・・・お怪我は、ありませんか?」
イヴはいた。
しかし。
その恰好は、とても無事とは言えないものだった。
なんとか応急修理した右腕は折れ、両足は岩に押しつぶされていた。
「イヴ!」
「ふふっ・・・ごめんなさい。張り切りすぎてドジしてしまうなんて、
やっぱり私、粗大ゴミですね」
「そんなこと言ってる場合かよ!待ってろ、今岩をどけて・・・」
「マスター、ちょっとこちらへ」
何かと思い近づくと、緩めたワイヤーで足を絡めとられた。
「ぬおっ!?」
そして転んでいる間に、身体にワイヤーが巻き付けられる。
「いつつ・・おいイヴ!そんなことしてる場合じゃ・・・」
「声に、脚に、腕に、メンテナンスに、マスターにもなってもらって・・・
5つも恩を作ってしまったのに、私、不甲斐ないですね・・・」
「なに、を・・・」
「これが、私が返せる最後の恩返しになってしまいました」
「なにを、言って・・・」
「一時(いっとき)でも、私に幸せをくれて、ありがとうございました」
「待て、僕はそんなもの望んじゃ・・・」
「左腕コンデンサに導力充填。めいっぱい。
左腕パージ後、ウィンチ始動。左腕補助チップに命令書き換え。
パージまで5、4、3・・・」
待て!
お元気で。
「ゼロ」
「イヴ─────!!」
静かになった谷底に、一体の機械が残された。
きっと、これで良かったのだ。
自分には、過ぎた夢だったのだ。
長い時間ではなかったが、それが叶えられたのだ。
粗大ゴミが、主を見つけられたのだ。
それで、いいじゃないか。
目元から鼻を越え、頬に。
疑似表皮センサーに、生暖かい反応があった。
水。
いや。
「・・・涙?」
違う。
自分が唯一体内で合成できる、止血ローションだ。
「カメラアイ洗浄機能なんて、私にあったかな・・・」
仕様書ファイルを呼び出・・・そうとして、止めた。
もう、停止する自分には関係のないことだ。
このままだと、あと2時間くらいが活動限界だろうか。
時計機能はとっくに止まっているので、それを計る術もないが。
あと2時間。
何をしよう。
そうだ。
録画ファイル呼び出し。
瓦礫の崩れる大きな音で、スリープモードが解除された。
とても長いスリープは、各種機能の復帰に少し時間を要してしまった。
カメラアイが動作を始めると、目の前に驚く青年が映された。
センサーが腕の傷を見つけたので、すぐさま処置モードに移行した。
しかし油の切れた脚は思うように動いてはくれず、かろうじて掴んだ左腕で引きずられる形となった。
止血を終えると、腰を抜かした青年の姿。
「包帯があるので、傷を塞いでください」
そう言おうとして、スピーカーの断線に気づいた。
ざらざらというノイズだったが、なんとかボディランゲージで伝わったようだった。
脚の異常の原因という、ネズミの骨を受け取った。
小さな生き物は好きだった。
そういうプログラムだったと言われてしまえばそれまでなのだが。
清掃が行き届き虫やネズミのいない店から出たことのない私が、初めて対面した小動物は、骨だった。
正確に言えば、スリープの間に、いつの間にか齧られていたのが初対面だったかもしれないが。
悲しかった。
疑似皮膚センサーは、どんな温度を伝えてくるんだろう。
どんな感触を伝えてくるんだろう。
店の窓に見えては消える小鳥を映しながら、とりとめのない妄想をしていた時期もあった。
「ごめんなさい」
よりにもよって、自分が死因となってしまった骨を見て。
そんなことを考えていた。
「個体番号だっけ、それのアルファベットを取って、イヴ。
だめかな」
初めて名前をもらった瞬間。
嬉しかった。
同時に。
空(むな)しかった。
骨董品になってなお、店に並んでいれば、いつかは貰えると思っていたもの。
倉庫に送られ、諦めかけたもの。
廃材となって、完全に諦めたもの。
それが。
ふとした拍子に、手に入ってしまった。
嬉しくないと言えば嘘になる。
しかし。
これはあまりにも、肩透かしではないか。
だから。
「ふふっ。それでは、最後のお願い。
私の・・・所有者(マスター)になって下さい」
ちょっとだけ意地悪のつもりで。
女性的に言えば、責任を取ってもらうつもりで。
欲しかったもう一つのもの。
主人を──自身の居場所を、要求した。
キス。
相手が不慣れなせいで、こちらが一方的に求める形になってしまったのは、ちょっとだけ反省点だと思う。
極力事務的に抑えて、無駄とまで言ってしまったけど、内心、少しだけ、嬉しかったんですよ。
あと。
できれば。
もう少しだけ、ロマンティックにしてほしかったな。
「・・・あれ」
録画データを止め、我に返る。
「私、なんで、こんな、感傷的になっているんだろう」
そんなプログラム、あったかな。
どこかの魔力漏れで、回路がおかしくなっているのかも知れない。
「・・・まぁいいか。もともと、粗大ゴミだから、私」
イヴ。
録画データの断片が浮かぶ。
イヴ。
イヴ。
「イヴ─────!!」
録画データではなかった。
マイクに入ってくる音。
見ると、崖の上から降りてくるラウル。
「マスター!なぜ・・・どうやって」
「これでも機械屋のはしくれだ!
外装無理やり引っぺがして、中身を出すくらい余裕だ!」
見ると、外装だけきれいに取られた左腕が、目の前に垂れてきていた。
「待ってろ、今岩をどかしてやる!」
川岸に落ちていた丸太を拾ってきて、てこで岩を押すラウル。
見ると、手は血で汚れていた。
恐らく、古びてささくれたワイヤーを、無理に掴んで降りてきたのだろう。
「く、そ、動かねぇ・・・!!」
「待っていてください、今一度、左腕に導力を充填して・・・」
「馬鹿野郎!」
怒気の籠った声に、思わず気圧される。
「お前・・・言ったよな!
この身朽ちるまで!僕に仕えるって!」
必死に岩を押す掛け声のように、そう叫ぶ。
「だったら!そうしろよ!
骨組み全部!錆びて折れるまで!
僕に!仕えて!みせろよ!」
岩が、ぐらついた。
「約束をぉぉぉ!!」
動いた。
脚が、出た。
「はぁ、はぁ、守って、はぁ、みせろよ」
「しかし、この状態では・・・」
「うるせぇな!それくらい、はぁ、直して、はぁ、やるから」
先ほど置き去りにしていたバッグを、よろよろとした足取りで取ってくるラウル。
そのバッグに、イヴの壊れたパーツを詰め込み始めた。
「さぁ、登るぞ」
肩に継がれる、左腕。
・・・沈黙。
「どうした?イヴ」
「・・・嬉しいんです」
やっと、それだけ絞り出すように、言った。
「感情値が・・・嬉しさの値が、オーバーフローしているんです。
仕様にない涙が、溢れて止まらないんです。
本格的に、壊れちゃったみたいですね、私」
涙でぐずぐずになった顔を見せながら。
「いいんだよ、それで。
僕のオートマトンは、整備性が悪く、破損アリの上、
支援用と言いつつ人に頼み事ばかりする、ただの粗大ゴミなんだろ?」
「ふふっ・・・はい」
涙でぐずぐずになった顔を綻ばせながら。
「ちゃんと整備して、破損も直して、
支援用の機械の頼みを聴いてやる、そんなアホみたいな奴が、イヴの主人なんだよ。
・・・知ってた?」
「・・・はい!」
涙でぐずぐずになった顔に満面の笑みを浮かべ、言った。
「よし、じゃあ行こう!」
「左腕連結確認。ウィンチ巻き取り、開始!」
17/03/20 18:37更新 / cover-d
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