連載小説
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第一章
こつ、こつ。
薄暗い石造りの通路を、か弱いランプの明かりが照らす。
来た道は既に闇に飲まれ、先の道も数歩先は黒で塗りつぶされている。
こつ、こつ。
懐中時計を取り出す。
2時間ほど歩いただろうか。
もっとも、この遺跡に入ってから既に2日経っているのだが。
こつ、こつ。
マッピングはしているはずなのに、どうも同じ場所を行き来している感覚が拭えない。
こつ、こつ。
食料も尽きた。目的は果たせていないが、せめてここから出るだけでも──
こつ、かっ。
考え事をしていたため、足音の変化に対応が遅れた。
足元の石レンガが、見た目と違う柔らかいような感触を見せる。
ぐらり。
体勢が崩れる。
がらがらがらがら。
「ぬぅおわぁぁぁぁぁ!!」
どことなく間の抜けた悲鳴は、通路の闇と、崩れた穴に吸い込まれていった。

「・・・・・ぃってぇぇぇぇぇ!!!」
瓦礫の山が叫び声と共に崩れ、青年が這い出す。
どこか強く打ち付けたらしい。
見ると、右腕前腕の真ん中辺りがぱっくりと割れ、血が滴っていた。
あちゃぁ、とでも言わんばかりの表情をする青年。
主人を尻目に無傷の生還を遂げたランプに感謝と若干の恨みを込めて取り上げ、とりあえず止血だけでも、と思い、背負っていたはずのバッグを探す。
が、それは途中で止まることになる。
その部屋の異様な光景に。
見たことのない部品の山。
歯車(流石にこれは知っているが)、丸く平たいもの、青い円柱状のもの、黒い板から金属の脚がムカデのように生えているもの。
そして、それら小さなものがびっしりとくっついた緑の板。
その部品が何のもののためなのか、まるで想像もつかない。
壊れた白い箱からそれらがはみ出ていたので、かろうじて何かの部品だと類推できた程度だ。
部品・・・というよりは、たぶん、廃材の山。
そして、何よりも異彩を放っていたもの。
少女。
いや。
片腕が取れて、歯車が露出している。
少女の──人形、だろう。
確かに、腕の歯車や、関節から覗く金属部品は、間違いなく人間ではないことを物語っている。
しかし。
腹から顔にかけての肌はきめ細やかで、塗料や、まして金属のようには見えない。
しいて挙げれば、生きているにしてはやや青白すぎる、といったところだが。
ぷっくりと膨れた唇。
柔らかそうな頬。
綺麗に並んだまつ毛。
思わず顔を寄せて魅入ってしまう。
鼻の頭に積もった埃だけが、少女が身じろぎ一つせず、その場に居続けたことを語っていた。
おとぎ話の眠り姫は、こんな感じだったのだろうか。
ここまで観察しても、まだ夢でも見ているような気分になる。
何故って、瞼なんかは今にも開きそう──
開いた。
「くぁwせdrftgyふじこlp;@:!!?!?」
突然のことに、声にならない声が上がる。
慌てて逃げようと振り返ろうとしたが、謎の衝撃に阻まれる。
いつの間にか腕を掴まれていたらしい。
「う、うわぁぁぁああぁあぁ!!」
振りほどき走ろうとするが、掴まれた腕が重い。
まるで、金属の塊をぶら下げているかのように。
「ひっ、わっ、ひえっ!」
それでも無理やり振り解こうとする。
ふと。
軽くなったかと思ったら。
がしゃん。
少女が前倒しになったらしい。
振り返ると、引きずられる格好で、虚ろな瞳でこちらを見ている。
「や、やめっ、ひっ」
力任せになんとかしようとするが、体勢を崩して倒れる青年。
じり、じり。
迫る少女。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
襲われる。
そう思った次の瞬間。
ぬめり。
腕に伝う感触。
「ぼ、僕なんか食べても美味しくないってばぁぁぁ!」
ぬめり。
ぬめり。
全力で身構えるも。
ぬめり。
ぬめり。
一向に齧られるような感触はない。
恐る恐る見ると。
少女が、傷口を舐めていた。
こちらが見ていることに気づいた少女。
口を開き。
がっ、ざざざざ、ぴー。
「ひっ!?」
聞いたことのない雑音を発する。
完全に腰を抜かし、次は何をされるのかと見ていると。
少女は壊れた肩に手を伸ばし、そこから何かを取り出し、こちらに差し出した。
包帯だった。
「・・・へ?」
あっけにとられる青年に、なおも包帯を突き出す少女。
「使え、ってこと?」
ががざ、ざっざざ。
雑音で返された。
恐々と受け取る。
少女は動き出すでもなく、ずっとこちらを見つめている。
「あ、あり、が、とう・・・」
とりあえず受け取ったものだからと、包帯を巻こうとする。
すると、少女がこちらに手を伸ばす。
「巻いて、くれるのか?」
こくり、と頷く。
「あ、そ、それじゃ、お願いしよう、かな・・・?」
再度頷き、少女が立ち上が・・・ろうとした。
しかし、がしゃんと音を立てて転がる結果となった。
立とうとして、転び。
立とうとして、転び。
最初は片腕しかないせいだと思ったが、よく見ると片足が曲がったまま伸びる様子がない。
「わ、わかった!大丈夫だから!これくらい自分でできるから!」
が、ざ、ぴー・・・。
どことなく寂しそうな雑音を出し、少女は仰向けのまま動きを止めた。
静寂。
とても久しぶりに感じる、静寂。
そこに、青年の溜息。
やっと落ち着けた。
なんでこんなことになっちゃったのかなぁ。
そう思わずには、いられなかった。

「丘の上の遺跡に、巨大な時計があるらしい」
冒険者から聞いた噂話だった。
普通であれば、だからどうした、という話だったが。
街の小さな時計店で、時計のように規則正しい──言い換えれば、代り映えのない生活をしていた青年には、とても魅力的な話に聞こえた。
「とても変わった、綺麗な意匠が施されている」
「裏の機械室は見たことがないような大掛かりなものだった」
尾ひれが付いただけだとも思ったが、居ても立ってもいられなくなるまで、そうかからなかった。
慣れない旅支度を済ませ、いざ遺跡へと突撃した。

・・・わけだが。
目算の甘さから食料は尽き、目的の時計は見当たらず、穴に落ちて怪我をして、謎の少女人形に腰を抜かしてるのが現在の状態だ。
再度の溜息。
片手で包帯を巻くという慣れないことに手間取りながらなんとか終える。
ふと少女を見ると、まだ仰向けのままになっていた。
どうしただろうと覗き込むと、瞬き一つしていないのではと思うほどに、そのままの姿勢だった。
「あ、えっと、ありがとう、なんとかなったよ」
少女が舐めたためだろうか、割と深く割れていたにもかかわらず、血はすっかり止まっていた。
少しだけ頭を動かし、包帯の巻かれた腕を見た少女は。
ざっ、ぴーがー。
雑音で反応した。
とりあえず報告と感謝はした。
さてこれからどうするか、と、少女と微妙な間を挟んでいると。
がっ、ざざざ、ざー。
相変わらず何を伝えたいのかわからない音を出しながら、少女が自身の首元を指さす。
何事かと思っていると、少女は頭を反らし、顎を突き出すような姿勢になり、さらに奥へと指を動かした。
見ると、顎と首の境目に皮膚・・・っぽいものの切れ目があり、そこから中の機械が見えていた。
指は、その奥を指している。
ランプの位置を調整し、暗がりを照らす。
すると、カラフルな紐が数本見えた。
その中で赤い紐だけがほつれ──恐らく、ネズミにでも齧られたのだろう──ぼろぼろになっていた。
「それを・・・取り替えろ、ってこと?」
時計屋という仕事柄なんとなく、古くなったパーツを変えてほしいんじゃないか、と類推し、声をかけてみる。
こくり。
肯定の仕草。
「・・・わかった。やるだけやってみるけど、僕はきみの構造について
 全く知らないから、うまくいかなくても文句は無しで頼むよ」
再度の肯定。
少女が、先ほどまでいた廃材の山を指さす。
あの中から探せ、ということだろう。
了解したことを告げ、部品あさりを始める。
幸いにも、目的のものはすぐに見つかった。
両端に半透明の袋と、U字の金具が付いた、紐にしてはちょっと硬いもの。
これか、と少女に見せると、首を縦に振った。
合っていたらしい。
催促するかのように、顎を上げて機械部を見せる。
紐事体はなんとか指で届く範囲にあった。
それの根本を見つけ、指で挟み引っ張った。
本当にこの方法でいいのだろうかと不安になったが、外した後の部分を見るに、ただ差し込んでおくだけで良かったようだ。
外した方の紐を見る。
ほつれた部分から出ていたものは、細い細い針金が束になったものだった。
仕事柄、金属工芸にも明るい方だとは思っていたが、ここまで細い針金は、ドワーフの工芸ですら見たことがない。
それが捻じれて束になったものに、赤い何かで覆いをしたものが、紐の正体だったようだ。
新しく持ってきた方の紐を付ける。
元の紐より多少長かったようで、他に比べるとたわんでいるが、これで大丈夫なのだろうか。
「・・・終わったよ」
初めてのことに不安になりながらも、少女に報告する。
少女が首の位置を戻すと。
ぴっ。
「デバイス診断ツール起動。
 カメラアイ・グリーン
 集音マイク・グリーン
 スピーカー・グリーン
 疑似表皮センサー類・オールグリーン」
「ひえっ!?」
突然の声に思わずたじろぐ。
「右腕駆動系統に異常発生中。導力伝達カット中。
 右脚駆動系統に異常。ギア破損の恐れあり。導力伝達カット」
抑揚のない淡々とした声が続く。
「診断終了。
 ・・・ありがとうございました。会話という手段がなくなるだけでこうも意思疎通が
 難しくなるとは思ってもみませんでした。いい勉強になりました」
「あ、え、おう」
詳しくは判らないが、あの雑音は線が切れたことによる故障だったらしい。
「遅れた上にこのような姿勢で大変恐縮ですが、自己紹介させて頂きます。
 私は、生活支援用オートマトン、型式番号 AM-LST2303F、
 個体番号 E832VE5541、OSは AMOS_LST_F Ver. 8.3.1 です。」
「お、おう」
「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「あ、うん、僕、ラウル」
「ラウル様、ですね。以後よろしくお願いいたします」
会話はできるようになったらしいが、事務的というか、無機質な感じがする。
「ご面倒のついで、と言うには厚かましいとは存じますが、
 脚の異常も診て頂けますでしょうか。立ち上がるのもままならない状態ですと、
 自分で診ることも難しいので」
傷を治してもらった恩もある。ここは快く引き受けたいところだが。
「さっきも言ったけど、僕はきみの構造についてよくは知らないよ?」
「恐らくギアの異常です。破損か、あるいは何かが挟まっているか・・・」
「あぁ、それなら専門分野だ。これでも一応時計屋だからね」
「そうでしたか。それは幸運です」
さて、見たことのない外装だけど、どう外せばいいんだろう。
とりあえずバッグを探して仕事道具を持ってこなければ。
分解・組み立ての楽しみという機械屋の性に負けている青年だったが。
「メンテナンスモード。
 疑似表皮センサー類一時カット。右脚外装パーツ、パージ」
がしゅ、がらん。
大きな音を立てて、外装が外れた。
「それでは、お願いします」
少しだけ残念な気持ちになりながらも、チェックを始める青年。
少女の脚は、骨に見立てたのだろうか、中央に太い金属パーツがあり、その周りには、確かにギアが詰まっていた。
しかし、その多くは、脚を動かすためのものと言うより・・・
「あの、この並んだ小さな筒って・・・」
「緊急用グレネード各種ですね。膝に近い方から、閃光グレネード、
 スモークグレネード、催涙ガスグレネードとなっています。
 閃光とスモークは、遭難時の連絡手段としてもご利用頂けます」
「この短い棒は・・・」
「緊急用スタンスティックですね。魔力を電流に変換する機構が内蔵されています。
 約80万ボルトで対象を痺れさせることができます」
「じゃあこっちのもまさか・・・」
「緊急用ショートバレルショットガンですね。装填されているのはゴムスタン弾で、
 殺傷能力は最低限に抑えてありますのでご安心ください」
「なんでも緊急用って付ければいいってもんじゃないと思うよ!?」
「ご不満ですか?でしたら、心肺蘇生用電気ショックとしてもご利用頂ける
 射出式スタンガンや、簡素ですがボーラといったものもご用意していますが」
かしゅん。
左足の脇の外装が開き、中から紐の両端に重りが付いたもの(後から知ったが、これが「ボーラ」らしい)を取り出す少女。
「あぁ、このギアってその外装を開くものなのね・・・」
「ところで、異常は見つかりましたか?」
「急に話を本線に戻さないで貰えるかなぁ!?」
なんというか、疲れる。
このまま続けても疲れが増すと感じた青年は、早々にこれを終えることにした。
よくよく見ると、確かに奥の方、たぶん外装のものとは別のギアに、何か白いものが挟まっている。
「これかな・・・ん、挟まってて取れない。もうちょっと膝を立ててもらえる?」
左手で、むき出しになった右脚の部品を掴み、引っ張って無理やり膝を立たせる少女。
人間で例えるととんでもないことやってるよな、と少しだけ想像してしまった。
「よ、っと・・・これは、骨、か?」
それは小さな骨だった。
恐らくは、ネズミの骨。
彼女の喉の線を噛んだネズミが、何かしらの拍子に、ここに挟まってしまったのだろうか。
ふと見ると、床にもそれらしき骨が散乱していた。
彼女が立とうともがいたときに、崩れて散らばったのだろう。
それを集め、やっと上体を起こせた少女に渡す。
「これが挟まってた。ギアの方に損傷した跡はなさそうだし、
 これで大丈夫だと思うよ」
「これ、は・・・」
手のひらに散らばったネズミの骨。
少女は、それを見つめながら。
「私が、殺してしまったのでしょうか・・・」
物騒な単語を聞いて、思わずたじろぐ。
「えっ、いや、まぁ・・・結果的にはそう、なんだろうけど・・・」
たかだかネズミじゃないか。
そう言おうとしたが。
「ごめんなさい」
骨を、ひしと抱き留め。
「ごめんなさい。私が、あなたの命を奪ってしまいました。
 ごめんなさい・・・」
ごめんなさい。ごめんなさい。
そうつぶやき続ける彼女に。
かけてやれる言葉は、見当たらなかった。
小さな命に謝罪できる純潔の前に。
たかがネズミと思ってしまった自分が。
紡げる言葉など、何一つ無かった。
廃材の山から、比較的綺麗な箱を取る。
少女の前に持っていき、骨を納めさせた。
「外に、埋めてあげよう」
こくん。
どこか力なく頷く少女。
それで自分の穢れが祓えるわけでも、まして少女の綺麗さに近づけるとなど思ってはいなかったが。
せめて、この程度は、少女に協力してあげたかった。
ふと、脳裏に何かが過る。
そうだ、外。
自分は外に出るために彷徨っていたのだった。
そのことを彼女に伝えると。
「判りました。この子のこともありますし、案内させて頂きます。
 ・・・しかし、その前に」
なんとなく嫌な予感はした。
「重ね重ね申し訳ありませんが、油を、注して頂いてもよろしいでしょうか・・・」
ぎりぎりと重苦しそうな音を立てこちらを振り向きながら、そう言った。

廃材置き場のすぐ隣は、メンテナンスルームだったようだ。
瓦礫の山からバッグを見つけ、彼女に肩を貸しながら、椅子に座らせる。
「少女」の手前言えなかったが、腰が砕けるかと思うほど重かった。
あれだけみっちりと金属部品が詰まっていれば当然といえば当然なのだが。
取り払った外装を近くの机に置く。
とりあえず埃まみれだった外側を近くの布切れで払ってやり、少女の指示の通りの引き出しを開けると、そこには油の入った小瓶と注油瓶。
油が劣化しているのではと心配していたが、瓶はしっかりと密閉されていたようで、どれほど経っているかは不明ながら、きちんと役割を果たしてくれそうだった。
「・・・おや」
机の端に、何やら立てかけてあるのを見つける。
「なぁ、えっと・・・」
呼びかけて、少し困っていると。
「どうしましたか?」
少女から声がかかる。
「これ、きみの右腕じゃないかな」
先ほどの脚と同じような、金属でできた腕。
もっとも、こちらに外装はなくギアがむき出しの上、ほとんど骨組みしかないほどに簡素なものだったが。
「確かにそうですね。私の、というと語弊はありますが。
 おそらく、他の機体の予備パーツだったものでしょう。
 見つけて頂きありがとうございました。それで、その・・・」
「うん、注油と一緒に付けるのもやるよ」
「本当に、感謝の言葉もありません」
「言っておいてなんだけど、これ、本当に付く?だいぶ形が違うように見えるけど」
よくよく見ると、前腕の真ん中辺りが、凹状に歪んでいる。
この金属は人間で言えば骨に当たるものなのだろうが、骨、というには歪すぎる。
「そこには本来、緊急用魔法弾ガトリングの砲身が入っていたのですが・・・」
「うん、そうだね、緊急用だね」
ガトリングが何かは判らなかったが、何か今の時代の人知を逸した武器の類だというのは理解したので、触れないでおいた。
「そういえば、廃材の中に換装用の緊急用パイルバンカーもあったような・・・」
「うんそんなものなくてもきっと大丈夫だから今は修理に集中しようね!」
次第に歩く火薬庫じみたことになっているのが明るみに出て、これ以上危険にしないように言葉を遮り、半ば無理やりに注油を始める。
「・・・そういえば」
作業中に、ふと先ほど思い出した疑問を投げてみる。
「きみ、名前は?」
「自己紹介はしたと思いますが・・・私は生活支援用オートマトン、型式番号・・・」
「あ、いや、そうじゃなくて、個人の名前というか」
「個体番号でしたら、E832VE5541です」
「あ、うん、いや、その・・・じゃあ、愛称、というか」
「申し訳ありません。そのようなものは・・・」
ふと、少女の腰の金具に、その個体番号が刻印されているのが見えた。
E832VE5541。
E VE 。
「イヴ・・・」
「え?」
「個体番号だっけ、それのアルファベットを取って、イヴ。
 だめかな」
「・・・はい、あなたが、それでいいなら」
「いや、僕がどうこうじゃなくて、きみはどうなのかな、って」
「私は・・・とても、嬉しい、です」
嬉しい、と言うには、妙に力ない返事だった。
「それじゃ、イヴで」
「はい」
少しの間、無言の作業が続く。
「少しだけ・・・」
「ん?」
「少しだけ、昔話をさせてください」
イヴの口から、少しずつ、それが紡がれた。

先ほど紹介しました通り、私は人々の生活をサポートするために作られたオートマトンでした。
しかし、生まれた時期が悪かったというか、私はいわゆる「売れ残り」でした。
私の型番2300シリーズは、御覧の通りのギアを主体とした動力です。
しかしその後、収縮性シリコンという、導力を通すと縮む素材ができ、それを用いた疑似筋肉(マッスルパッケージ)ができました。
疑似筋肉はとても軽く、出力の面でもメンテナンス性の面でも、私たち2300シリーズのギアより遥かに優秀でした。
市場がギアから疑似筋肉に変わりつつあった頃、最後の2300シリーズとして作られたのが私です。
私も出荷され、一応店頭に並んではいたのですが、その頃には疑似筋肉を使った2400シリーズが市場を席巻していて、あえて私を買うような物好きはいませんでした。
さらに数年後、疑似筋肉の量産化が進み、その規格を使った安価な2500シリーズが出た頃には、私はもうただの骨董品になっていました。
店頭から倉庫へ、そしてふとした拍子に倒れ、右腕が破損してしまったことで、私はあの廃材置き場へと移されたのです。

「店頭にいた頃、お客様が連れていたオートマトンと少しだけお話ししました。
 名前を訊いたら、型番ではなく、『名前』で返ってきたんです。
 それはなんだ、と聞いたら、所有者からもらったものだ、と。
 買ってもらい、使ってもらい、愛用して頂いているから付けられたものだと」
黙って、続きを待つ。
「おかしな話です。店頭にいた頃には誰も見向きもしなかった骨董品が、
 粗大ゴミになってから、愛用の証を賜るんですから」
それで、か。
「いつとも判らないような未来で名前を頂くと知ったら、
 過去の私は・・・店頭に並んでいた頃の私は、きっとnullしか吐かないでしょうね」
それで、あの返事が出てきたのか。
こちらとしては、呼びにくかったから愛称を与えただけのつもりだったのだが。
見事、当ててはいけないポイントに直撃だったようだ。
「もちろん、ずっと憧れていた名前を頂いたことには感謝していますし、
 素直に嬉しい気持ちです。ただ・・・」
言葉が、続かない。
「・・・最後に、一つだけ、私の我儘を叶えて頂いてもよろしいでしょうか」
「あぁ、ここまできたらなんでも来いってなもんだ」
「ふふっ」
やっと、イヴの笑顔を拝めた。
「何故でしょう。貴方になら、何でも頼める気がしてしまいます。
 私、人に仕えるための機械なのに」
「それで、このランプの魔人にお願いは?」
「ふふっ。それでは、最後のお願い。
 私の・・・所有者(マスター)になって下さい」
「・・・いいの?」
「それはこちらの台詞です。
 先ほども申しました通り、私は整備性が悪く、破損アリの上、
 支援用と言いつつ人に頼み事ばかりする、ただの粗大ゴミです。
 それを哀れとお思いでしたら、どうか、拾ってやって下さいませんか」
「もちろん、いいよ」
「二つ返事ですか」
「先ほども申しました通り、ここまできたらなんでも来いってなもんでございます」
「ふふっ、本当に、私は、いい人に巡り合えたみたいですね。
 クロックデバイスがオーバーフローするまで待った甲斐がありました。
 ・・・それでは、使用者登録をお願いします」
そう言って、目を閉じ、薄く口を開けたまま、かわいらしく唇を突き出すイヴ。
「・・・へ?」
この姿勢は・・・まさか。
「・・・覚悟を決めた乙女を待たせるものではありませんよ、マスター」
既にマスターになってるし。
というよりも覚悟を決めた乙女、ということは。
「それでは、仕切り直してもう一度」
ん。
先ほどと同じく、唇を突き出す。
やっぱりアレか。
キス、か。
ヤバいね、僕初めてだよ。
初めてが機械だよ。
どういうことだよ。
機械好きで時計職人になったからって、初めてまで機械に捧げる人生ってどうなん?
というより完全に口閉じてないってまさかちょっとチュとやるだけじゃなくてアレ?
舌入れてレロレロしちゃうアレ?
ベッドの下のスケベな小説でしか経験ないよそれ。
まぁちょっとチュとやるアレすら経験ないんだけども!
などと支離滅裂な思考が過っては消える。
えぇい、ままよ!
こちらも覚悟を決め、口づけする。
唇が触れ合う。
思ったよりも暖かい。
そんなことを考えているうちに、イヴの方から舌が入ってきた。
ぬらり。
傷口を舐められた時から思っていたが、機械なのに唾液があるのか。
そんな場違いなことを考えながら、口腔を舐(ねぶ)る舌に、不器用ながらにこちらからも舌を絡める。
ちゅ、くちゅ。
耳にまで届く、粘液を混ぜる音。
口を塞がれ、否応なしに鼻息が荒くなるのを少し恥ずかしく思いながら、それすら、どこか卑猥なものの一部のように感じてしまい、興奮する。
ちゅる、ちゅぅ。
完全に混ざった唾液を、吸い取られる。
ん、ちゅく、ちゅる。
心臓の高鳴りが最高潮に達したところで。
唇を、離された。
名残惜しそうに糸を引く唾液が、堪らなくエロティックに見えた。
気づくと、下半身は完全に戦闘態勢へと移行していた。
気恥ずかしさで顔が真っ赤になるのが判る。
「データ解析中・・・あっ」
機械の彼女にしては(たぶん)珍しい、落ち度に気づいときのような反応。
「どうしたの?」
「いえ、私たちは、こうしてマスターの遺伝子データを記録することで、
 セキュリティや所有者登録としているのですか・・・」
具体的な内容についてはよく判らなかったが。
「先ほど、傷口を舐めて止血した際の血液データだけで充分だったな、と・・・」
「えっと、その、つまり・・・」
「はい。キスは完全に無駄な行為でした」
「あっ、はい」
「申し訳ありません。
 登録用プログラムが解析ルーチンに移行するまで気づきませんでした」
「いや、大丈夫だよ、うん」
キス、気持ちよかったし。
大切なモノが無駄に消費されたような妙な脱力感があるけど!
声には出さなかったが。
「それで、これからどうしようか」
油を注し終わったところに、外装を取り付けながら訊いた。
「まず、施設・・・いえ、もう遺跡ですか。少し探索させてください。
 さすがにこれだけ長くスリープ状態が続いたので、様変わりしている可能性も
 否定できませんので」
「どれくらい・・・寝ていた、でいいのか?」
「そうですね、大半の機能を切ってエネルギーを節約し、有事の際にすぐ動ける状態を
 保っていた、ということですので、寝ていた、という表現でおおよそ間違いは
 ありません・・・さすがに今回は、寝すぎて極限まで身体が鈍ってしまいましたが。
 それで、期間についてですが・・・判りません」
「判らないの?」
右腕と肩口のジョイントをボルトで止めながら、続きを促す。
「はい。一応、時計は付いているのですが、オーバーフローしてしまいました」
「お、オバちゃんの風呂?なにそれ?」
腕を動かすのに最低限のギアをはめ込みながら訊き返す。
「デジタル表記は判りますか?」
「で、じ?」
「でしたら・・・そうですね、時計があったとしましょう。短針が2周するごとに、
 日数をカウントする小窓が付いたものです」
「あぁ、うん」
そんな商品も面白そうだと少し興味を惹かれ、具体的な構造を考えようとしたが、作業中だったこともあり考えがまとまらず、とりあえず頭の片隅にメモするだけに留めた。
「しかし、小窓に映す日数が99日までしか無かった場合、100日目はどうなります?」
「うーん、作り方にもよるけど、時計は回るものだし、
 100日目は1日目に戻るんじゃ・・・あ」
「そうです。そのカウントの最大値を超えてしまうのがオーバーフローです。
 先ほどの時計では一周するだけでしたが、私たちの場合、
 255年と12ヵ月31日分のカウントで完全に停止してしまうのです」
「つまり・・・」
ギアを留める部品のねじを絞め終わり、軽く油を注す。
「300年近く寝ていた、ってこと?」
「その認識でおおよそ間違いはありません。
 もっとも、カウントが途切れてから、どれくらい年月が経ったかが不明なので、
 400年も500年もあり得るのですが」
「・・・想像も付かないな」
ギアが正しくかみ合っているかの確認と、注した油を行きわたらせるために、イヴの肘を曲げては伸ばす、を繰り返す。
「うん、これでよし」
「デバイス診断ツール起動。
 各種入力デバイス診断スキップ。
 右腕駆動系統診断中・・・接続確認。
 右腕駆動系統出力テスト中」
イヴの右腕が水平に突き出され、肘の曲げ伸ばし、手首の回転を、確かめるように動かす。
ぴんと開いた手のひらの指が、一本一本関節別に曲がっては伸びする様子は、見たことがない動きのせいか若干気持ち悪いものがあったが。
同じように、右脚のテストも行われた。
「右脚駆動系統テスト終了、グリーン。
 診断ツール終了。
 メンテナンスモード終了、各種センサー、オン。
 ・・・ありがとうございます。
 おかげさまでかなりスムーズに動かせるようになりました」
これまでの重苦しさを感じさせない足取りで立ち上がるイヴ。
「生活支援用オートマトン、イヴ。
 これより、マスターの手足として働くことを至上の喜びとし、仕えさせて頂きます」
深々と頭を下げ。
笑みとともに顔を上げ。
「この身、朽ちるまで」
そう言った。
17/03/20 18:50更新 / cover-d
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■作者メッセージ
愛用のMac壊れた・・・まぁいいや。
書類作業用に買ったレ●ボのゴミノート(5万円)でもブラウザゲー程度なら困らんだろ。
        ↓
クロビネガにTNTN元気になる娘追加されてるヒャッホーゥ!
マスかかねば・・・もとい書かねば
        ↓
・・・あれ、小説投稿欄のID忘れた
        ↓
Mac先生、2週間経過でやっと修理

これを読んでる股間以外はよい子のみんな!いろんなサイトのIDとPASSは紙にメモってエッチな本と一緒に隠しておこうね!

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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33