連載小説
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喪っても、離れても
「−−ひい、一つ目っ!?」
「そうだ、一つ目。怖いだろ?」 
 大学の構内、サラリーマンの男は目の前に現れた女性の姿に思わず悲鳴を上げた。
 以前見かけた翼の生えたハーピーのようなものをみて大騒ぎした彼は、治療と称してこの研究室に運び込まれていたのだ。
 人外のものの存在。それを許容するのは、あまりに難しいことなのだ。
 それを実感して、瞳は心の中でため息をつく。
「ーーこんなこと、忘れたいよな?一つ目のバケモノなんて、いないのが正しいよな?」
「あ、ああ」
 瞳の言葉に、がくがくと頷く男性。
 彼女の目が、それを受けて青く輝く。
 ぎしり、と彼の身体が動かなくなり、悲鳴をのみこむ、ひっ、という音が響いた。
「そうだ、そんなバケモノなんて存在しない。この世界の盟主は人間なんだからよ……。今オマエが見てるのは、ただの幻覚だ。昨日見た鳥人間もそう、ただの幻覚。疲れてたんだ」
 そんな彼の目の奥を覗き込みながら、瞳は魔力を流し込む。
 心の中にある『こんなことは忘れてしまいたい』という欲求を引き出し、増幅する。
「さあ、目を閉じてみろ。普段と変わらない暗闇だろう?」
 言われるがままに、目を閉じる男。
 その姿を確認してから、瞳は二つ目の姿に変身する。
 一ヶ月もの間変身を繰り返してきた慣れ親しんだ姿だ。
「−−目を、開けるんだ」
「……あ」
 そして、数分後。目を開けた男性が見たのは二つ目の彼女の姿。
 どこからどう見ても人間の少女であった。
 人間の記憶というのは脆いものだ。
 現実にこうであるという証拠があれば、すぐに偽の記憶を植えつけることが出来る。
「はい、お終い。疲れてたんだろ?かえってちゃんと寝るんだな」
「あ、ああ……」
 男はよろよろと立ち上がり、大学を後にする。
 彼の頭の中には、ハーピーの記憶も、ゲイザーの記憶も既になくなっていた。
「−−ふう。こいつで半分か」
 姿を戻しもせずに瞳は隣においておいたコーヒーを飲み干す。
 しばらく前に淹れて飲む暇もなく冷ましてしまったそれは、ただ強い苦味をもって彼女の顔をしかめさせた。
「不味っ」
「−−おつかれさま」
「おう、そっちも大変みたいだな」
「うん、もうこっちも三十人超えた……」
 後ろから声をかけてきた同僚のナイトメアに、ひらひらと手を振ると、彼女も疲れた顔で笑って見せた。仕事疲れは、お互い様のようだ。
 彼女達の仕事。
 それは、魔物に関する情報の統制−−主に記憶消去である。
 魔物たちはこの世界に受け入れられるにはまだまだ道のりが遠い。
 社会的な道徳や、姿かたち、インキュバスになることへの抵抗など、多種多様な関門が残っているのだ。それを打破すべく、多くの魔物たちが心を砕き、色々な場所に潜入している。
 もし、そうした魔物たちの存在が露見してしまった場合、人間達は魔物を敵とみなす可能性すらある。見た目が違う、それだけで動物は多種を虐げることがあるのだ。
 故に魔物たちが敵としてではなく、仲の良い隣人、否恋人として受け入れられるその日まで彼女達は記憶を消し、人間達に自分達の存在が露見しないように仕事をしているのだ。
「コーヒー新しいの淹れる?」
「うーん、冷めたらまた不味いコーヒーを飲む羽目になるし、なしで良いぜ」
「でも、大分疲れているみたいだし……その。昼ごはんもまだでしょう?」
「あ、ああ……昼飯はちょっと時間を変えようと思ってな」
 ナイトメアの言葉に、瞳は思わず遠くを見る。
 腹は減っているし、たしかに食べに行くのに丁度良い時間だ。
 しかし今、昼飯を食堂で取れば、間違いなく要がいるだろう。
 もし、出会ってしまえば『思い出して』しまう。
 それだけは、避けたかった。
「−−そう、なんだ」
 ぽつり、と呟くナイトメア。
 彼女の手には、とある連絡先が書かれた携帯電話が握られいていた。


ーー


(頭、グルグルするな……)
 その日の朝。要の寝起きは最悪だった。
 すっきりしているというのに、何かぽっかりと穴があいたような気分。
 今まで一緒にいた少女が実家に帰ったからなのだろうか。そんなことを、考える。
「−−痛っ」
 きっと、彼女が鍵なのだろうが、そのあたりのことを思い出そうとすると頭痛が頭を襲ってきて、記憶を引き出すのを阻害していた。
 身体が、思い出すことを拒否しているようなそんな気分だった。
「と、早くいかないとまずいな」
 ふと、時計を見ると随分な時間がたっていた。記憶を呼び出すというのは存外に時間を消費するらしい。
 大学の授業はいつも通りに存在する。
 たとえ疲れていたところで全く情状の斟酌などないだろう。
 のろのろと要は弁当の準備をする。
 いつも通りの三角形の握り飯をラップで握って鞄の中に入れ、彼は大学への道を何も考えずに歩き始めるのだった。
「おーい、川内。なんか、今日ぼーっとしてたけど大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ。多分、な」
 授業を半分終えた昼休み、久々に声をかけてきた友人である田中に曖昧な返事を返す。
 今は話すのも億劫な気分だった。
「そうかあ?まあ、最近がおかしかっただけかも知れないけど……」
「おかしかったって、何が?」
「授業中に寝ないわ、予習はやってくるわ。おまけに恋人はできるわ……」
「恋人だと?」
 田中の言葉に、要は頓狂な声を上げる。
 そもそも女性と付き合ったことなど無いし、積極的に母親以外の女と話す機会もない。
「あれ、違うのか?」
「どこならそんな発想でたんだよ」
「最近おかしかったからな。授業中寝ることもないわ、予習はやってくるわ。そういう兆候のある奴って大体女がらみだぞ。恋人でも出来たんじゃないかって噂立ってたんだぜ?」
「・・・…悪かったな」
 にやり、と笑う彼にむっとした声で返す。
 理由は分からないが、彼の言葉が不快だった。
 女がらみの事、なんて……。
「食堂でいつも一緒に食ってたから、そうだと思ってたんだけどなあ」
「……あいつは、関係ない」
 そう、昨日まで居候していた外国人の少女がいたくらいだ。
 名前は、思い出せない。思い出せるほど、強い絆ではなかったのだろう。
 思い出そうとすると、頭痛が頭を襲い、思考を中断させる。
「あ。もしかして振られたか?」
「関係ねえって言ってんだろ!」
「……わりぃ」
「……すまん。俺もちょっと熱くなってたみたいだ」
 故に自分の出した声に、驚いてしまった。
 どうして、こんなにムキになってしまったのだろうか。
「お詫びっていったらあれだけど、放課後から揚げ奢ってやるから、それで許してくれよ?」
「それ、お前が食いたいだけだろ」
「ま、そうだな。けど、疲れたときは旨いモンが一番だろ?」
 田中の言葉に首肯を返す。
 確かに疲れたときは、何か気分転換が大事だろう。
 特に、今日は何故か疲れてしまっているのだから。
(『から揚げ、食ったこと無いな』)
「…っ!?」
 一瞬、要の脳裏に、少女の声がリフレインした。
 その記憶は、泡のように、とけて、消えた。

−−



「コロッケ弁当が売れ残ったのは僥倖だな」
 夜闇に染まる公園のベンチ。
 街灯の灯の下で瞳は一人、コンビニで半額の弁当をかき込む。
 少し暗いが、暗視が効くので問題ない。金も充分なたくわえがある。
 それよりも深刻なのが宿だ。
 ネットカフェを点々とする生活を送っているものの、中々安心して寝られない。
 この世界で魔物が安心して住まえる地など殆どないのだ。
「そろそろ、帰ろうかな」
 ぽつり、と呟く。
 この世界に来たのは、自分を変えられると思ったからだ。
 誰かから怖がられたりしない自分に。
 ゲイザーという存在が知られていない故に、嫌われない自分に。
 そんなことを考えて、彼女はゲートを開けた。
 結果は−−惨憺たる有様だったが。
 正体を隠して潜入したはずが、この体たらく。
 強引な記憶消去まですることになってしまった。
「要……」 
 自嘲気味な笑みが口元からこぼれる。
 そう、あやふやな気持ちでいったからだ。
 そんなやつが、どこに行っても結果を残せることなんてない。
 彼女の脳裏に浮かんだのは、「怖い」という言葉を口にする彼の姿だった。
「−−隣、いいかしら」
「ん?いいぜ」
 隣に座った黒髪の女学生の言葉に、頷いてみせる。
 暗闇の中でも分かるほどの癖毛の少女だった。
 数ヶ月化け続けたから、変装には自信がある。気を抜かなければ、そうばれるものではない。
 ……油断から、要にはバレてしまったのだが。
 女学生は小さく一礼すると、隣で弁当を広げ始めた。
 彼女が握ったにしては大きなおにぎりがいくつか、鞄の中からのぞく。
「−−しっかし、どうしたんだ?こんな時間に。青少年なら家でのんびりする時間だろ?」
「ちょっと、用事があったのよ。その……彼と。」
「ふうん、いいじゃねえか」
「−−そうね、良い」
 女学生は、手元のおにぎりにかぶりつく。
 彼女の動きに合わせてウェーブのかかった黒髪が、揺れる。
 まるで、蛇のように。
 髪の束の一つから、蛇が鳴くシューという音すらする。
 瞬きした瞳の眼に映ったのは、蛇に変わった彼女の髪だった。
「……む、メデューサか」
 その姿に、小さくため息を付く。
「ったく。もう少しちゃんと隠したらどうだ?記憶消すバイト、結構大変なんだからよ」
「バカね。わざとに決まってるじゃない」
 今度は、彼女が特大のため息を付く番だった。
 誰かに頼まれ、ここにきたと言っているようなものだった。
「……誰の差し金だ?」
「分かるでしょ?−−あいつよ。責任を出来る限り放棄する主義のリリム」
「あー。あいつか」
「ナイトメアに頼まれたから。たぶん得意そうな私に行けって」
「成程。すまねえな。アタシなんぞのために」
 彼女の言葉に、瞳は頷く。
 たしかに、あのナイトメアだったらやるだろう。
 彼女は、誰かを気遣える魔物だ。人の心の機微にも聡い。
 同僚に迷惑をかけてしまった事に気付き、少しばかりばつがわるくなった瞳は、頭をぽりぽりとかいた。
「別に、あんたがどうしようと、私に決める権利はないわ」
 夜空を見上げながら、メデューサは呟く。
 どこか、遠くを見る目だった。
「ただ、一言。私に起こったことを話すことは出来るの」
 聞いてくれる?と言外に語る彼女に、瞳はただ首肯を返す。
 長い黒髪が、蛇のようにゆらゆらと揺れた。
「私も、嫌われてたんだ−−今の彼、直也君って言うんだけど」
「今のってことは……」
「−−彼はさ、怖がっても手を伸ばそうとしてくれたんだ。人間と違う、私に。ね」
「いい奴、何だな」
「当たり前じゃない。お人好しで世話焼きで、ちょっと抜けてるところもあるけど、その、とても…っ、いや、そうじゃなくて……」
 突然に始まったのろけ話にからかうように茶々を入れると、彼女の顔が街灯の明かりでも分かるほどに真っ赤になった。
 どうやら、本当にいい男に巡り会えたのだろう。
 怖いとしっても、付き合ってくれる男性に。
「−−でも、アタシは、怖い」
「そう。私もだった」
「面と向かって『怖い』って、『嫌い』って言われるのが、怖いんだ」
 きっと、要は、そんなことはいわないのだろう。
 一ヶ月ほどの付き合いで、それは知っている。
 しかし、それでも。
「−−慣れてるんだ。『怖い』っていわれる事に」
 仕事で、多くの人間に『怖い』と言われてきた。
 否、この世界に来るまで、ずっといわれてきた言葉だ。
 恐怖に歪む顔が、脳裏にフラッシュバックする。
「だけど、もし、要に。そういわれたら……!」 
 アタシは、壊れる。
 その言葉は、本当に小さく掠れた声になった。
「−−けど、さ」
「ああ。分かってる。アタシに、勇気が足りないってことくらい」
「あなたが好きになった男のことくらい、信じてやりなさいよ。−−逃げた私が、言えたことじゃないけれど」
「オマエも、逃げたのか」
「……うん」
 遠い空に、メデューサは手を伸ばす。
 何も掴まないその手は、空を切った。
「だから、気持ちは分かる。−−でも。そんなときに、いってくれた人がいたの」
 苦笑するように、懐かしい何かを思い出すように。
 彼女は、笑った。
「落ち着け。まずは、相手と向き合えって……」
「そう、か」
 その笑みに釣られるように、瞳も、小さく笑った。
 要の元を離れてから、随分久々に笑ったような気がした。
「−−だから私も。そんなことがいえる魔物になりたかったのよ」
 それに、ね。
 不意に、彼女は瞳に振り返ってみせた。
 石になる魔眼が、彼女の身体をぴしり、と固めてみせる。
「このまま固められて怖がらない人なんていない。でも、受け入れてくれた人がいたのは確かなの。−−今だって彼に『怖い』って言われたら悲しくなるし。『嫌い』って言われたらおかしくなると思う」
「そう、だな」
 彼女に合わせるように、瞳もメデューサを蒼い目で見つめる。
 催眠の力か、彼女の体も固まって動かなくなった。
「どいつも、似たようなものか」
「そうね。怖い力−−」
 二人笑って、力を解く。
 身体は、すぐに動くようになった。
「ありがとう。何か、元気が出てきた−−。あのリリム、人を見る目はあるんだな」
「それだけは、私も評価してるわ。礼ならあいつに言っておいてね」
「怖がりで、寂しがりで、さ。みんなそうなんだって。そんな簡単なことを、思い出した」
 よっこらしょっ。そんな声を出して瞳はベンチを降りる。
 向かいたい場所は、決まっていた。
「−−そういや、名前聞いてなかったな」
「そういえば、話してなかったわね」
 同じく立ち上がった彼女。
 そのウェーブのかかった髪は、蛇であることを完全に隠していた。
「石塚真奈子。直也君の……恋人」
「−−アタシは、国眼瞳。川内要の、恋人志望だ」
「さっさと、志望の文字を取ってくることね」
「……分かってるよ」
 ひらひらと手を振りながら、公園を後にする。
 話すことは決まっていない。
 話したいことは、一杯ある。
 謝りたいことも、たくさんある。
 告げたいことも、尽きはしないだろう。

「カナメ−−」

 唯一言、彼女は呟いた。
16/06/11 00:52更新 / くらげ
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■作者メッセージ
石塚さんはGARUさんの作品『石蛇』からもゲスト出演です。
非常に面白い作品なので是非御一読あれ。

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