連載小説
[TOP][目次]
二人の事情

「 あつつ……。こんなん握るのか?」
 炊飯器から湯気を立てる熱々のご飯の前に、若干怯む瞳。
「良く考えたら、手にもくっ付きそうだしよ。焼けどもこええし……」
「いけるいける。ほらこうやって」
 そんな彼女に要は苦笑しながらラップを取り出し、広げたそれの上にご飯をよそって具をいれ、形を整えていく。
 普段は手で握るが、熱々のご飯であればこちらの方であり、何より食べるときも手が触れないので衛生的だ。
「あー、なるほどそうやるのか」
 見よう見まねで彼の真似をする彼女。
 数分後、要の前には見事な三角形、そして彼女の前には。
「−−ぐ、上手くいかねえな」
 なんとも言えない俵型のおにぎりがいくつか置かれていた。
 ラップ越しにはみ出してしまった梅干がなんともいえない見た目をさらしていた。
「ま、初めてだからしょうがないって」
「今度は、もっとちゃんとしたの作ってやるから」
 彼女はぶつくさいいながらタッパーに冷凍してある焼き鮭と、ほうれん草のおひたし、牛蒡の胡麻和えを慣れた手つきで詰める。リクエストどおり、煮物はなしだ。
「−−さて、先行くぜ。センダイ」
「おう」
 ひょい、とおにぎりをわしづかみにしてバッグに入れ。部屋を出て行く彼女。
 残されたのは、彼女が作った不恰好なおにぎりと、おかずの入ったタッパーだった。
 容器の上に書かれた『カナメ用』と汚い字でかかれたメモが置かれている。
「まったく、世話焼きだな」
 それらを適当に鞄に放り込みながら、小さく呟く。
 その口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。



「おーい、カナメ」
「あれ?どうしたんだ?コクガン」
 放課後、教室の出口で待ち構えていた人物に、要は頓狂な声を浮かべた。
 ふだんだったら彼女は仕事をしている時間である。
「今日は仕事早上がりになったんだ。ま、給料が減っちまうがな」
「なるほどな」
「つーわけで、一緒に帰ろうぜ」
「あいよ」
 彼女の言葉に断る理由もない。
 適当な距離をたもちつつ、ふたりで帰り道を歩く。
「この道も、大分なれたな」
 まっずぐ先を歩く彼女の呟きに、おもわず頷く。
 通学路から見える夕日は、見事なまでの朱色だった。
「しかし、夕暮れ時にここ歩くのは初めてだが−−綺麗だな」
「だな」
「……どこも、こいつの色はかわらねえ、か」
 横を向く彼女の蒼色は、どこか遠くを映していた。
 おそらくは彼女の故郷なのだろう。
「そういや、センダイ。少しばかり寄り道して良いか?」
「ん、おう」
「そろそろ、スーパーの特売の時間だ」
「いいぞ……って、特売は大事だな」
 そんなどことなく近寄りがたい雰囲気だった彼女から出た言葉に、おもわず要は苦笑してしまった。
 特売を使っているのはしっていたが口に出して大真面目にいわれるとやはり笑ってしまう。
「こいつの内容で夕飯が決まってるからな」
 そんな彼の事に気付かず、瞳はスーパーの自動ドアをくぐる。
 クーラーのきき始めたはずの店内は、特売により若干殺気立っている主婦達の熱気で見事に暑くなっていた。
「この前までキャベツ三昧だったしそろそろ変化が欲しかったんだよ……お、キャベツ安いな、買おう」
「結局キャベツは変わらんのか」
「しょうがないだろ、安いんだから」
 蒼い瞳の非日常を纏った少女のあまりに所帯じみた言葉を聞きながら、スーパーの商品を眺める。彼女のかごの中にはいつの間にか『半額』と『タイムセール』の品ばかりが詰まっていた。
「今日も親御さんの帰り、遅いんだろ?」
「ああ、そうだが……」
「アタシが何か、作ってやるよ。味の方は保障しないけどな」
「今日の弁当も上手かったし、大丈夫だろ」
「化学調味料様様だな」
「腕もあるだろ?」
「……その言い方なんか照れるな」
 重そうな買い物袋を背負って、彼女は小さく笑う。
 それにつられて、彼の口元にも笑みが浮かんでいた。


「−−さて、と他人に食わせる料理なんて初めてだな」
 木綿豆腐の水分をキッチンペーパーに吸わせながら、瞳は呟いた。
 いつもより、若干手がぎこちないのは、なれないことを考えているからか、それともはじめてのレシピを試しているからか。
「たしか、同僚のやつはこうするって言ってたな」
 水を切った豆腐を一口大に切って片栗を塗し、大目のサラダ油で揚げ焼く。
 ついでに隣の鍋に韮を入れ、沸騰させてから出汁入り味噌を入れる。火を止めてから卵を入れてかきたまにする。
 焼きあがった豆腐を皿に盛り、油分不足を補うのと味付けのためにマヨネーズと醤油、鰹節をかける。
「−−しっかし、大豆製品ばっかだな」
 出来上がったかきたま汁と豆腐ステーキ、そして弁当に入れなかった分のおひたしを添えたおかずを見ながら、彼女は苦笑した。
 どれも味付けは醤油に味噌で、メインの豆腐も大豆製品である。健康には良いのだろうが。
「これで、あいつ、喜んでくれるかなあ」
 炊飯器で予約しておいたご飯をよそい、一人呟く。
 いまごろ、彼は風呂の掃除をしているはずだ。
 脳裏の浮かぶのは、彼の「今日の弁当、上手かった」という声。
(全く、単純な……アタシ)
 この程度の言葉が嬉しい。もっと聞きたいと思ってしまう。
 青葱をちらしながら、瞳は小さく笑ったのだった。


−−


「出来たぜ、カナメ」
「おう、ありがとな」
 食卓に向かい合って座る。
 香ばしい香りに、彼女の腹がくう、と鳴った。
「冷めない内に食おうぜ」
「ああ、そうする」
 豆腐ステーキを一口食べると、大目の油であげ焼きにされた片栗粉のさくっとした食感と、マヨネーズの油分、醤油の塩気と旨みが舌を刺激する。
「中々、ジャンクな味だなこれ」
「ーーそうだな。俺は別に旨いと思う」
「そいつはよかった」
 彼の言葉で思わずにやけてしまうのを誤魔化すように、彼女は食事に集中する。
 普段食べているよりも、美味しい。
 そう、思えた。
「おいおい、急いで食わんでも」
「……そうか?」
 要が半分食べ終わる頃には、すでに彼女はかき玉汁を飲み終え、おひたしを口の中に放り込んでいた。
「まあ、時間差で風呂はいれるから良いだろ?」
「……そうだな」
「じゃ、先行ってるから。食器は水に浸けといてくれよ?特に茶碗」
「分かってる分かってる」
「覗くなよ?」
 食器を水につけ、彼女はそのまま風呂へと歩いていく。
 長い黒髪が、ゆらゆらと揺れていた。
(やっぱり、似てるよなあ)
 その後姿を見ながら、要は首を傾げる。
 毎晩見る一つ目のバケモノ。
 触手と、目さえのぞけば彼女は本当にこの同居人によく似ていた。
(あの時の影も、妙だったし)
 そして、以前シャンプーをもって行った時の彼女の姿。
 すりガラス越しにみえる彼女は、どこかおかしな姿をしていた気がする。
(何食わぬ顔で−−確かめてみるか。石鹸もなくなりかけてたし。あいつなら裸見ても怒らないの知ってるし)
 そんな、探究心、あるいは好奇心。
 食器を片付け終えた要は、そろりそろりと風呂場に向かったのだった。


−−

「コクガーン」
「……ん?どうした?」
「石鹸、きれてたろ?」
 風呂場のドアを開け、石鹸を置く。
 ついでに、彼女の様子を見る。
 怒られたら謝る。元から裸なんてよく見せてくるような相手だ、簡単に許してくれるはずだ。
 それだけの、予定だった。
「ちょ、ちょっとま……っ!?」
「……」
 ドアは、簡単に開いた。立て付けが悪いと言うこともなく、いとも簡単に。
「−−あ、あ……」
 彼女の、黒い髪が見えた。
 白い肌が、見えた。
 若竹のように無駄な脂肪のついていない裸身が見えた。
 そして、彼女の蒼い目。……たったひとつしかない、蒼い瞳がこちらを見つめていた。
 湯に漬かっていたのは。
 毎日夢に出て来ていた、一つ目の……バケモノだった。
「こく……がん?」
 かろうじて、口に出した言葉。
 一つ目の少女は、その言葉に口を閉ざしたままだった。
 答えないことが、答えになった。
「いつか、こうなるって……知ってたのにな。ごめん、センダイ」
「……なんで、謝るんだよ」
 勝手に覗いて悪かった。喉からでかかったそれは言葉にならなかった。
 うつむいた彼女の顔は、よく見えなかった。
「ごめん。あとで、話すから……」
「……部屋で、待ってる」
 彼女に、背を向ける。
 逃げるように。
 背後から、ちゃぷちゃぷと彼女が湯に漬かる音が聞こえていた。
 

−−


「……アタシだ」
「ああ、開いてるぞ」
 こんこんとドアがノックされる音に、要はびくりとした。
 そして、部屋に入ってきた彼女の二つの蒼い目を見て、安堵のため息をつく。
 見慣れた姿なら、まだ落ち着いて話せそうだった。
「……その、なんだ。あんまり気にするなよ?」
 頭の後ろをかきながら、考えていたセリフを話す。
 少し、ぎこちない音になった。
「気を使う必要なんて、ないぜ」
 ぎゅっと、彼女は手を握りこむ。その手はかすかに震えている様にに見えた。
「怖い、だろ?」
「……たしかに、怖いと言うか、不気味というか。そういうのは思わないわけじゃ……」
「無理するなって、言ってるだろ。アタシは……ゲイザーって言う魔物なんだからな」
「魔物、か」
 魔物。
 その言葉はどこまでもしっくりと心に落ちていった。
 彼女のに見つめられたときの、吸い込まれるような感覚。夢の中で行われる魔性の快楽。
 それは、魔と言う言葉に相応しいものだった。
「……この世界には、それなりに居るんだ。アタシみたいに、人間に化けて暮らす魔物が」
「お前が待ち合わせてた、リリ、何とかもか?」
「あいつは、この辺の元締めだよ。リリムって魔物だ。アタシと違って、二つ目の美人だよ」
(二つ目−−)
 その言葉に、要はぴくりと動く。
 風呂場で見た、あの姿が脳裏に浮かぶ。
 一つ目で、触手の生えた。夢の中と重なる姿だった。
「コクガンは……ゲイザー、だっけ」
「ああ、そうだ……」
 不意に、彼女は立ち上がり、要の目を見つめる。
 吸い込まれるような蒼の光。
 二つの弱い光は、いつしか一つの強い光に変化していた。
 数瞬の後、そこには魔物となった瞳の姿があった。
「……怖いだろ」
「ああ、怖いな」
「アタシにあったやつは、みんなそう言ってたよ」
 その姿に、思わず目をそらし……なんとか、彼女を見ようと振り返る。
 苛められ経験のおかげか、怖いものを直視するのは慣れている。そう、自分に言い聞かせる。
 蒼の光が、少しだけゆれたように見えた。
「あんまり、見ないほうが良いぜ。アタシの目は、催眠が使えるんだ。……いつものやつより、ずっと強力なやつが」
「でも、目をみないと、話にくいだろ?」
「ホント、良いやつだな、カナメ」
「……とりあえず、なんだ、そっちは俺をどうにかしようって気はないらしいしな」
「それは、お人よしに過ぎるぜ?」
 ため息をつく彼女。
「アタシは、食べるんだからよ」
 その口元から、白いぎざぎざの歯が覗く。
「−−たべ、る……っ?」
 そして、動かなくなる肉体。
 夢の中と同じように、指先から何から何まで心に身体が従ってくれない。
「何でもねえ。催眠をかけるのにちょっとした補給が必要なだけだ……これが終わったら。オマエの前から−−消えてやるからよ」
「ま、待てよ……」
 ズボンが下ろされる感覚。
 夢の中で味わうより、ずっと鮮明に感じる彼女の手の感覚。
「バカ……夢にまで見ちまったんだろ?怖いんだろ!無理してるんだろ!だったら……!」
「……っ!?」
 そして、襲い掛かるのは、魔性の快楽。
 全てが塗りつぶされるような、意識が白にそまる感覚。
 燃える炎の中に放り込まれたような錯覚すら感じる。
「消して、やるよ……!記憶ってのは、曖昧だから。トラウマで塗りつぶしてやれば−−『思い出したくもなくなる』ものに成り下がる」
「……うっ、あっ……」
 ぐちゅりぐちゅりと、触手が全身をすり上げる。
 全身を敏感にされているのか、それだけでも凄まじい絶頂感が全身を襲う。
 バケモノに、襲われている。
「−−出しちまえよ。どうせ、忘れるんだからよ」
「わすれ、る、わけ……っ」
「……たしかに、これだけ長いこと過ごしちまったら。全部忘れるのは難しいだろうな−−仕事でも、実感してる。けどな。すり替えるのは−−簡単なんだ」
 射精の快感で朦朧とする意識の中。以前、彼女が口にしていたことを思い出す。
 昨日何を食べたかを覚えてなくても、 昨日何かを食べたことは覚えている。そこに催眠を介在させれば『食べたもの』を変質させることが出来ると。
「オマエがすごしたのは、唯のかわりものの女の子だ」
「ちが、うっ……!」
「その子は今日、実家に帰ったんだ」
「……ちが、うっ」
 必死で、目を瞑る。
 彼女の姿を、瞼の裏に焼き付けようとする。
 目を瞑れば、催眠から逃れられると考えた。ささやかな抵抗。
「−−ムダだよ、カナメ」
「ムダ、って、おま、え……!」
「目を、開け」
「……っ!?」
 しかし、彼女は−−掛け値なしの、魔物だった。
 意思に反して身体が動く。
 彼女の目を、吸い込まれるような蒼い目を。まっすぐに見つめてしまう。
「オマエは−−忘れるんだ」
 意識が、遠くなっていく。
 完全に、白に染まる。
 消える。
「−−二度と、会うこともない。思い出しちまったら−−消せなくなるからな」
 ぐちゃり、という水音。
 それが、彼女の膣の感触だと気付くときには既に。
 彼の意識は、闇へと落ちていた。
16/05/24 00:47更新 / くらげ
戻る 次へ

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33