連載小説
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冬が嫌いな理由の一つは
徐々に暖かくなり始めた冬の午後。
「うわぁ、すごい雪。綺麗だけど大変だろうなあ。ねえ、お父さん。」
安藤祐介が居間に置かれたコタツに入り仕事の資料を確認していると、同じようにコタツに入りテレビを見ていた長女の咲が話しかけてきた。
「うん?」
資料から視線を上げテレビを見ると、雪の壁を前にレポーターが一晩で降り積もった雪の量を身振り手振り説明している。映された自動販売機と比べて平均身長はあるであろうレポーターの背丈をゆうにこす積雪。万が一積もっても数センチに満たない地域に住む自分たちには想像もできない世界だと痛感する。
「ああ、本当に。こうして暖かい室内でテレビ越しに眺めるだけならいいけど、実際にあの環境で住めと言われたら大変だろうなあ。」
「想像するだけでいやになっちゃう!春になるまで一歩も外に出れなくなっちゃうよ!!」
厚着の上から自身の体をかき抱き、大げさに頭を振る娘に苦笑いしつつ、冬、というより寒さが苦手な白蛇の彼女たちは確かにそうだろうなと納得する。
「将来咲の旦那さんが雪国の人じゃないといいねえ。」
「もーそんなこと言わないでよぅ、お父さん!」
可愛らしく頬を膨らませ、不機嫌そうにぽかぽかと肩を叩いてくる咲を諫めつつ
「すまんすまん。でも雪が嫌いなのはやっぱり種族、いや親子なのかなあ。」
「え、なにが?」
「いや、雪で思い出したんだけど…お母さんと昔ちょっとね。」
不思議そうに首を傾げる咲に笑みを向けつつ、祐介はあの日の朝のことを思い出しながら語り始めた。


それはふた昔を優に遡るころのこと。
恭子と結ばれ初めて迎えた冬だった。
昨晩の天気予報で、この地域には珍しくまとまった降雪によって積雪の恐れがあると報じられていた。夜半過ぎ、予報通り重い牡丹雪が風の無い中降り始め、その寒さを忘れようとするように二人でいつも以上に強く抱き合い一夜を過ごした。

そして翌朝。
「うわぁ…」
思わず声がもれ出る光景だった。
カーテンを開くと、見慣れた寝室の窓から見える風景が一面の銀世界になっていた。勿論、犬や子供ではないから飛び出していって跳ねまわりはしないが、それでも普段とは違う、足跡一つない綺麗な雪面にある種の感動と幼稚な情熱が体を走り抜けたのは事実だった。

「おはよう、恭子。もう外は見たかい?」
そんな感情を愛する妻と共有したくて、手早く着替えをすませた祐介は、台所に立つ妻の元へと急いだ。
「おはようございます。ええ、すごいですね。」
「こんなに積もったのは何時以来かな?」
「七年前でしたか。これほどではないですが積もったような…」
「ああ、あの時もすごいと思ったけど、今日には及ばないね。」
「ええ、本当に。」
莞爾と微笑む妻と一緒に、庭へと視線を向けた。
日が昇り始め、銀世界はまた違った一面を見せ始める。
「こんな銀世界はテレビでしか見たことがないけど、綺麗だねえ。汚れの無い純白の雪。朝日をきらきら反射させて白さが眩しいよ。こんな綺麗な白い風景は初めてかもなあ。」
「…ええ。」
「普段見慣れないからこそ、余計に美しく感じちゃうのかもしれないけど、本当に綺麗だ。それをこうして恭子と二人、一緒に見ることができて嬉しいよ。」
「……はい。」
「恭子?」
珍しさに舞い上がっていた祐介が、恭子の変化に気が付いたのはようやくそこに至ってだった。
視線を外から向けると、美しい妻は調理の手を止め、ほんの僅かに口を尖らせ呟いた。

「でも、私は寒いですし嫌です…雪は。」

それは今まで祐介が見たことがない、恭子の表情だった。
つねに優しく、負の感情を億尾にも出すことがない彼女が、初めて我を通し感情を吐露した瞬間だった。


「そんなことがあってね。」
「へえ。」
「だから雪が嫌いなのも遺伝なのかなって思ったのさ。」
「それで結局、その日はどうしたの?」
「ああ、その日は出歩くわけにもいかないからってすぐに寝室に戻って…結局ほとんど雪を見る暇もなかったかな。」
「ははーん。」
「なんだい、その表情はって…おや?」
「ただいまー!」
「ただいまもどりました。」
何故かしたり顔を浮かべた長女にその訳を聞こうと口を開いたと同時に、玄関から用事と買い物のために外出していた末娘の元気な声と妻のしとやかな声が聞こえてきた。
「私、母さんの手伝いしてくるー。」
こちらが話しかける暇もないほど素早く部屋を出ていく咲の後ろを姿を、祐介は呆然と見送ることしかできなかった。




「母さん、手伝うよ。」
恭子がエコバックの中身を冷蔵庫に収納しようとしたところで、咲に話しかけられた。
「あら、珍しい。明日は雪かしら。」
「嫌いな、嫌いな、雪が降るかもねぇ。」
「なあに、その言い方は。」
「いやーちょっと父さんに面白い昔話を聞いちゃって。」
「昔話?」
なにか引っかかるものがあり、恭子は手を止め咲へ視線を向ける。
「そ、父さんと母さんが結ばれて初めてのころの、大雪の話。」
「結ばれて初めて…?」
咲の言葉で、一つの光景が恭子の胸の中に浮かんだ。
大雪で広がる銀白の世界。
そして同時に、あの時抱いた自分の感情。

「ああ、そんな年もあったわね。」
娘から目をそらし、感情を殺した声で答えるが、咲は動じる風もなく質問を開始した。
「父さんはその時の言動で、母さんがとにかく雪が嫌いらしいって思ってるみたいだけど…」
「…。」
「本当にそれだけ?」
「それは、どういう意味かしら。」
「いやあ、私も白蛇だから寒いのは嫌だし、雪はごめんだから気持ちはよく分かるけどさ。母さんほど父さんを愛している人が、その父さんが喜んでいるのに水を差すなんてよっぽどなんかじゃないのかなって思ったの。」
「母親を買いかぶり過ぎよ。」
「じゃあそんな母さんの本心を教えてよ。」
無邪気なほど満面の笑みを浮かべる娘と対照的に、恭子の顔には渋い表情が浮かぶ。
「そんなものはないわよ。」
「本当にぃ?」
「だいいち、あったとしてそれを咲に話す道理はないわ。」
「いやあ、将来のためになりそうだなって思って。」
「そんな含蓄ある話なら私だって聞きたいわね。」
「もーお母さんのケチンボー。」
「そのケチな了見を発揮して、お小遣いをしわくしても、いいのよ?」
「ああ、ごめんなさい。それだけはっ!」
慌てて顔の前で手を合わせ、必死に謝る子供っぽさにすっかり毒気を抜かれてしまう。

そんな娘の姿を見ていると、力が抜け、気が緩んだ恭子の胸の内に吐露してもいいのではと思う気持ちが芽生え始めた。

ずっと夫に隠してきた、あの時の気持ち。

同じ白蛇の、娘なら。

「本当につまらないし、私にとって恥ずかしい話なの。」
「他の人、ぜーったいお父さんには言わないからぁ。」
「…絶対よ?言ったら三カ月お小遣いなしだからね?」
「ぜ、ぜったいに言いません!」
仰々しく畏まる娘の姿に笑みを零しつつ、恭子はそっと隠し続けてきた心情を独白した。


「お父さんが、雪を白い、綺麗だって褒めるのが…とっても嫌だった。」
「へ?」
「お母さんはね、雪に嫉妬しちゃったの。」
自嘲気味に呟いた本音に、咲は目をまん丸に見開き呆然とした。
「私たち白蛇の肌を褒めるように、雪の美しさを口にされるのが…たまらず嫌だったわ。その言葉は私だけに向けられるべきなんだって傲岸に思ったの。」
その時の感情は、今でも恥ずかしさと驚きを覚えてしまう。
確かに嫉妬を覚えやすい種族とされる白蛇であり、自身が嫉妬深い性分であることは重々承知をしていたが、まさか無機物である雪にまで嫉妬の炎を燃やすとは思わなかった。想い人である夫と結ばれ有頂天。喜び浮かれていた若い自分はどうしてもその嫉妬を抑えきれず、あんな態度をとってしまったのだ。

「私はてっきり、寒さを理由に早くお父さんとセックスしたかったのかなあって…」
「その方が、よっぽどよかったわねえ。こんな私が言っても説得力がないかもしれないけど、咲も将来気を付けなさいね。私たちの性分は、思った以上に大変よ。」
「はぁーい。」
「返事は短く。」
「はい。」

雪のように美しい素肌の中で、青白い炎を燃やし、白蛇は生きてゆく。

21/02/07 09:05更新 / 松崎 ノス
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■作者メッセージ
ある時代小説を読んでいて、雪の描写って白蛇さんの肌を描写するのに似ているなあと前に思ったことがあり、それなら嫉妬の対象となりえるかもしれんなあと考えたのが本作です。

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