読切小説
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コタツとドラゴン
「コタツ?」
「えぇ、コタツです」
 人里を見下ろす場所にある洞窟。この地を治め、古来よりこの地を守護するドラゴンは商人の言葉に眉根を顰めた。
 ドラゴンの不興を買おうものなら、当然ながら無事では済まない。彼らにとって人間というのは羽虫と同程度でしかなく、戯れに少し爪を振るうだけで血の詰まった革袋は破けて中身を全て地面にぶちまけることになるだろう。
 そも、単身で……ましてや何の心得もない人間がドラゴンの巣に乗り込むなどありえぬ話だ。最早、殺してくれと言っているようなものである。
「興味が湧かぬ……」
 しかし、当のドラゴンは一言呟くと地面に身体を預けただけだった。
 その様は、贈り物の中身に胸を膨らませながら包み紙を解いた子供がものの見事に期待を裏切られた時の様子を思わせる。
「のう、ヌシよ。多少の冗談は笑って許すつもりだが、それでも限度というものがあるぞ?」
「いやいや、冗談ではないですって」
 ドラゴンは首だけを僅かに持ち上げて、ジットリとした視線を商人に向ける。口の隙間からは鋭い牙が顔を覗かせているのだが、とうの行商人はというと大して焦る様子もなく苦笑いを浮かべるばかりだ。
「ならば、こんな机とも布団ともつかぬ道具を如何様に使うというのだ。申してみよ」
 尻尾の先で不機嫌そうにペシペシとコタツの上を叩きながらドラゴンは言う。
 行商人は畏まりましたと頭を下げると、一歩前に進み出た。
「天板の裏に魔石が嵌め込まれています」
「魔石の裏の出力を調整してやるんじゃろう? それくらい予想がつくわい」
「御明察でございます」
「見るに炎の魔石じゃろう? 温度を調整してどうするんじゃ?」
「適温に設定したら……」
「適温に設定したら?」
「入ります」
「……えぇい、貴様、何を寛いでおる!」
 行商人は自然な流れで荷物を下ろしてコタツに入ると、背嚢を漁って果物を取り出して皮をむいて食べ始めた。その寛ぎぶりたるや、勝手知ったる我が家にでも居る時のようである。
 忍耐強く説明を受けていたドラゴンであったが、とうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。
 尻尾を振り回し、地団太を踏みながら暴れまわる。
 子供がやれば微笑ましい光景かもしれないが相手は見上げるほど大きなドラゴンである。洞窟の壁は削れて大岩が転がり、転がった岩はすぐに踏みつけて砕かれて、あっという間に均される。
ひとしきり暴れて落ち着いた頃には、洞窟が心持ち広くなったように感じられた。
「まぁまぁ、騙されたと思って」
「やれ…… 毒を食らわば皿まで、か」
 行商人はといえば見慣れた光景だとでも言わんばかりにドラゴンが落ち着くのを待ってから声を掛ける。すると、一向に焦る様子のない彼の態度にとうとうドラゴンの方が観念したように苦虫を噛み潰したような声で頷いた。
もっとも行商人にしてみれば相手を傷つける意図はなく、それどころか相手を傷つけないように加減をしてくれているのだから、如何に恐ろしい光景だろうと焦る道理があるはずもない。むしろ、独り相撲を取らせておいて疲れた時分を見計らって声を掛ければよいのだから、気楽に構えて接することのできる相手でさえあった。
知らぬばかりは本人だけ、という奴である。
「して、余にどう使えと申すのだ? 騙されようにも、この躰では爪先も入らんぞ」
「そこは人間の姿になって使ってくださいよ」
「……あの小娘の姿にか? 余にあの脆弱な小娘の姿をとれと?」
「里の人と仲良くなりたいと言ったのは貴女ですよ?」
「ぐぬ…… ヌシ、覚えておけよ?」
 痛いところを突かれて口ごもった。
 そう。そもそも行商人を呼んだのはドラゴンの方なのである。しかも、その理由が「里の人間たちにもう少し気軽に遊びに来て欲しいので相談に乗って欲しい」なのである。
 秩序を守ってこの地に住まう者であれば、人であれ、魔物であれ区別なく庇護を与えることから支配者であると同時にこの地の住人からは絶対的な信頼と支持がある。名君との誉れも高いドラゴンではあるが、絶大な力を持つが故の代償なのか、どうしても距離を置かれてしまう。
 住人の声に耳を傾けるべく、気軽に来ることのできる交流の席を設けようと考えたのだ。
「要するに人寂しいってことですよね?」
「いちいち人の神経を逆撫でするな、貴様は」
 ギリッと奥歯を噛み締めるが、本人も思い当たる節があるらしく睨みつける以上のことはしなかった。
「しばし待て」
「はいはい、もちろん待たせていただきますよ」
 行商人が答えるとドラゴンは姿勢を正して目を閉じた。それから身体を震わせると、全身から眩い光を発した。
 閃光は一瞬で収まったが、目を眩ませるのには十分すぎる光量だ。行商人は目を閉じるのが間に合わなかったらしく目を瞬かせていた。
 しばし時間をおいて視界が戻ってくると、ドラゴンの代わりに小柄な少女が居た。
 絹に黄金を溶かしてしみこませたかのような見事な髪。宝石が嵌め込まれたのではと見紛うほどの美しい碧眼。色白の肢体は慎ましくも荘厳さを忘れず、身体の所々を覆う鱗は力強さを表していた。
 花のような儚さと地を砕くほどの荒々しさが矛盾なく調和している少女がそこにはいたのだ。
「相変わらずドラゴンの時と比べると小さいですね……」
「うるさい、戯け」
 悲しいかな、どんなに美しい絵画があったとしても人というのは、いずれは慣れてしまい、順応してしまう。それは相手が至高の少女であっても変わらない。
 目を開けて早々に行商人は不躾な感想を漏らし、少女の形をとったドラゴンはしかめ面を浮かべた。
行商人は「ドラゴンよりも、そちらの姿の方が可愛らしくて親しみやすいと思いますよ?」と言葉を補ったものの、少女の愛らしい眉間に刻まれたシワをより深くしただけだった。
「ドラゴンで居た時間の方が長い故、この姿は落ち着かんのじゃ」
「あぁ、それで普段はドラゴンの姿でいるわけですね」
 魔王の支配下から離れ、人間の存在を認めて生きるという独自の道を歩んできたためか、この土地の魔物は現在の魔王が代替わりした影響も他の地域と比べて少ない。
そのため、魔王が変わりサキュバス化が進行した現在でも以前の姿を保っているものや、色濃く残しているものも多数居るのだ。
そして、実力者であるドラゴンも旧時代の姿を主としている一人であった。
「うむ、まぁ、それもあるがの。それ以上にこの姿では股下が寒い」
「……左様ですか」
 しばし、魔界の歴史に思いを馳せていた行商人であったが、思いのほか俗な理由で旧時代の姿をとっていることを知らされて妙な疲労感に襲われる。
 しかし、現実というのは案外そんなものだ。
 龍が生贄を求める理由が食べるためではなく人恋しさゆえだったり、人を苗床にすると言われていた触手が人の老廃物を糧にして細々と生活する種族だったりするという話は枚挙に暇がない。
 いかにも頼りないとでも言いたげな表情で自分の下半身を隠すスカートを摘まんだり、自分の身体を確かめるように尻尾を動かしたりしているドラゴンに向けて小さくため息をついた。
「とにかくコタツに入ってくださいよ」
「あぁ、そうじゃったな」
 ドラゴンがコタツへと歩み寄り、正面に座って足をコタツの中へと突っ込むと、互いの視線が同じ高さになった。
 行商人は再び背嚢を漁って果物を取り出すと、ドラゴンへと放って寄越した。
「お気持ちです」
「んむ……」

………

 結局ドラゴンはコタツを買うべきか否か。
 行商人と喧々諤々の議論を交わすことになる。
 元より聡明なドラゴンのことである。例え相手が海千山千の行商人であろうとも、対等以上に議論することは造作もなかった。当然、行商人は終始劣勢を強いられることになる。

「オヌシの言い分もわかる。確かにこの商品は魅力的な商品であることは分かった」
「しかし、やはり常時ドラゴンの姿を取っているとなるとこれは難しいですね……」
「うむ、そういうことじゃ」
 残念ながらこの話は破談ということで、そうドラゴンが締めくくると行商人はがっくりと肩を落とした。
「それでは私は、そろそろお暇しますかね」
「んむ? もう帰るのか?」
「えぇ、取引できるものは全部してしまいましたから」
 行商人の目的は商売である。これ以上は売れないと分かれば用はない。
立ち上がって身支度を整えながら、行商人は困ったように頷いた。ドラゴンの方も当面の生活物資を買い付けたので、これ以上彼を引き留める理由もなかった。
「コタツですが差し上げますよ。持って帰るのは重いですし、たくさん買い付けてくれた気持ちということで」
「いや、しかし、そういう訳にも……」
「というか、コタツが金貨十枚なんてするわけないじゃないですか。良いとこ銀貨一枚です」
「オヌシ、謀ったな!?」
 カラカラと行商人は楽しそうに笑う。
 確かに金貨十枚というのは嘘だが、重い商品を持って山を越えるのは手間なのは間違いない。それなら、ここで大量に買い付けてもらった気持ちということで置いて行って次回の取引を有利にした方が良いのもまた事実だった。
「そういうことなら遠慮なく頂こう」
「えぇ、そういうことで」
17/09/10 20:53更新 / 佐藤 敏夫

■作者メッセージ
「しまった…… 用を足したい……」
 そのまま転寝してしまったドラゴンは尿意で目を覚ます。
 すぐに用を足せば良いだけの話なのだが、どういう訳だかそういう気分になれなかった。
「………出たく、ない」


使い魔の触手がテンタクルになりました、で頂いた感想を元に書きました。
堕落要素は、以上です。

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