連載小説
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彰 イン ワンダーランド ― ダブルバインド ―
〜 ここは・・・・? 〜

まるで深い水底に落ちていたかのように意識はあるのに身体が動かない。
なぜここにいるのか?
なぜこのままでいるのか?
身動きできない身体の中で、彼の意識は答えを求めるが一向に答えはでない。
不意に意識がクリアーになる。

〜 ?! 〜

そこはセピア色の世界だった。
部屋の調度品も人魔の価値観からいって、嫌味でもされとて下品ではなく控えめな気品を讃えていた。
ゆっくりとベットから立ち上がる。
微かな肌寒さから見ると衣服は身に着けていない。

「これは・・・・・」

古風なマントルの上に置かれた砂時計を取る。
それはただの砂時計ではなかった。
砂が上から下へ流れ落ちるのは通常の砂時計と同じなのだが、上の砂が減ることがない。また、同時に下の砂が増えることもないのだ。
つまり、この砂時計は上と下の砂の量が等しく釣り合っている「終わりのない砂時計」なのだ。
そしてそれが存在できる場所は唯一つ、堕落神の生み出した「パンデモニウム」しかない。

「起きたの?」

聞き慣れた声に彼「斎藤彰」が振り向くと、そこには彼の伴侶であるホルスタウロスの「若葉響」が立っていた。




〜 あのクソきのこ女がァァァァ!!!! 〜

古来より女性には魔性があるとされてきた。
女性が激しい感情により化け物に変わる話も橋姫伝説など枚挙に暇がない。
今、「若葉響」はまるで般若の如く、修羅すら逃げ出すような表情をしていた。

〜 今日は大切な・・・・・大切な? 〜

自分の中の激しい感情がまるで「何もなかった」かのように消えていく。
怒りは確かにある。
だが、その理由が霧が掛かったかのように思い出せない。

「どうしたんだい、響」

「え・・」

彼女の目の前、そこには彼女の伴侶である「斎藤彰」が彼女を見ていた。







話は数刻に巻き戻る。

「ッ!!」

「いけません!!」

怒りにまかせて飛び掛かろうとする辰彦をクロエがその身体でもって押しとどめる。
クロエもそして辰彦もわかっている。
自分達には彼らを助ける手段が無いことを。
だが、それでも彼らを助けねばならなかった。
彼らはなんの打算もなく危機に瀕していた二人を助けてくれた。ならば自分達もそれに報わなければならない。

「今はまだ、です・・・・!」

ギリッ!

辰彦が歯を食いしばる。

「ならクロエは見捨てろというの!」

少年らしい激情を讃えながらクロエを睨めつける。
鉄火場を渡り歩いた益荒男ですら一歩下がる程の気迫。
だが彼女は動じない。

「違います!ただ今は勝ち目がないと言うのです!」

「もういい!!」

そう言うと、その腕力でなおもクロエを押しのけようとする。
彼女は辰彦を強く抱きしめた。

「よく聞いてください・・・・。魔物娘は他者を傷つけないと言われています。何らかの理由で戦うことはあっても相手の動きを止める手段に長けているとも」

熟した肢体は彼を包み込み、ゆっくりとその熱を解きほぐしていく。

「六秒。六秒間だけでいいです。少し待ってくれませんか?」


― 六秒のクールダウン ―

精神医学をかじった者なら説明の必要がないと思うが、人の怒りや強い感情は六秒間の間にピークを迎える。
故に、静かに六秒間クールダウンすれば頭から激情は消え、冷静な思考が可能となる。
この理論を利用したものが「アンガーマネジメント」の技法としてビジネスにおいても普及している。


「落ち着かれましたか?」

辰彦が頷く。

「待て、されど期待せよです。それに彼らにとって私達はあくまでイレギュラー。今でなくとも、きっと油断するはずです」

「チャンスを・・待てと言うのか?」

クロエは静かに頷く。








― 若葉響 ―

初めて彼女と出会った時抱いた感情は「異常」だ。
通常、望む望まないに関わらず人間から魔物娘への「転化」ではその変化を肯定的なものとして捉える。実際、「あの日」に魔物娘となった女性たちは皆その変化を喜んでいた。
人の本質は「貪欲」だ。

より優れた容姿

より優れた能力

そして・・・・

不死に近い寿命

転化することによってそれらを簡単に得ることができるのだ。
それも苦痛すら感じずに。
だが、彼女は違った。
彼女は異形となってしまった自らを憎んでいた。
彼女のホルスタウロスの角に残る、痛々しい傷跡。
幼い彼女は「転化」を受け入れられず、その角と尻尾を切り落とせば人間に戻れると思い込んでいた。
「精神科医」である私は彼女の診察を行った。
ゆっくりと、心の襞をなぞる様に彼女にカウンセリングを行い分かったことは、彼女は幼いながらも既に一人の男性を愛していた。故に「転化」は必要のないものであると考えていたのだ。
そのことこそが彼女が「人間」であることに固執することに繋がっている。

―人間でなくなったから愛してもらえない ―

これは人間が魔物化を肯定的に捉えられないことの要因だ。
生粋の魔物娘なら好いている相手とまぐわえばなし崩し的に「自分」を受け入れられると考えるだろうが、転化は洗脳ではない。ましてや彼女は初潮すら迎えていないのだ。
そのような状態で「転化」を理解することは難しいだろう。
故に「学園」では「魔物」であることを理解させるのではなく、「転化」したことで降りかかるであろう様々な苦難を乗り越えることを中心に学んだ。
既に好いている相手がいるのならその愛情に引かれて「魔物」へと心境が変化するだろうと読んだのだ。
だが・・・・。
彼女は結婚したことによりより「人間らしく」生きるようになっていた。
人間と魔物は根本で生き方が違う。それを無理やり「人間らしく」生きているのだ。
何時破綻がきてもおかしくない。
伴侶の存在も曲者だ。
彼の中には人間であった頃の「響」がいる。魔物化した彼女の存在を受け入れているが、しかし無意識に彼は「響」の枷になっている。
何も彼らを引き裂きたいわけではない。
自分自身の歪さを知って欲しいのだ。
彼らの、「子供」の為にも・・・・・。


チェザーレはかつて「人間」だった。
「人間」であった頃はそれなりに裕福な家庭に生まれ、それなりに幸福な生活を歩んでいた。
だが、彼女は「死に至る病」に冒されていた。
満たされない
満たされない
餓える
助けて
助けて
助け・・・・・

誰も彼女の「虚」を埋めてくれなかった。
医者とて彼女は健常であるとして、治療としてただカウンセリングするのみだった。
担当したのは年若い精神科医であった。
その精神科医は彼女の両親ともカウンセリングを行った。
彼女の父親は身一つで都会へ出てきて金槌一本で官公庁の仕事を任される大手ゼネコンを築いた傑物であり、その母親も貧しい家庭に育った。
常に腹を減らし、欲しいモノは一切手に入らない。
極貧の中で育った二人は成功を手にして、自分の娘や息子にそのような苦しみを与えない事を硬く誓った。
そう
彼女の「飢え」は願いを叶えることが愛情であると信じた両親によって引き起こされたものだったのだ。

「原因」は判明した、では「治療」は?

その精神科医は治療に「依存症」の治療方法を援用した。そう、彼女自身が素直になれ、許され、本音を言える場所を作ることだ。
真剣に向き合い、彼女とのセッションはしばしば医者としての本分をオーバーすることもあった。
「セッション」という逃げ場所を得た彼女は回復の兆しを見せていた。
よく笑い
よく話す
彼女に以前のような「虚」を纏わなかった。
精神科医も安心していた。だから、同僚の医師の言葉も耳に入らなかった。

お前、飲み込まれてんぞ

一般的に医師という職業についている人間には他者に対する感情の希薄さ、所謂「サイコパス」が占める割合が多いとされる。
だが勘違いしないでもらいたい。
何も医師を精神異常者と言いたいわけではないのだ。
他者と自分とを切り離すことができなければ医師は「人間の身体」にメスを入れることなどできない。
それは「心の医師」である、精神科医も同じだ。
自分と患者とを同一とは思ってはいけない。微細な兆候を見逃してしまうのだ。
彼女は・・・致命的なミスを犯した。
その日のセッションを最後に患者は姿を消した。
確かに患者には以前のような「虚」はなかった。それは「装う」ことを覚えたからだ。
彼女は全ての記録に目を通した。
それが消えた彼女の居場所に繋がると信じて。

答えは見つからなかった

どの記録でも少女は明るく笑っていた。「不安」や「恐れ」、そういった感情はない。
彼女が固まり鈍くなった脳を再起動させるためにブラックコーヒーを飲みに椅子を立った時だ。

― お手伝いしましょうか? ―

それは声ではなく、脳内に直接響いた。
彼女が振り向くとそこには何もなかった。否、黒い「シミ」が浮かんでいた。
意識がそのシミに向かうと、ソレはゆっくりと変化していく。
青い肌
異性、いや同性すらも魅了する官能的な肢体
そして人の常識の埒外であることを表す捻じれた角
鮮血を思わせる紅い瞳

「私はマクスウェル・レーム。絶望を友とするものよ」

そう言うと、指を広げコチラを招くように動かす。
途端、彼女の身体は硬直しゆっくりとレームに近づく。

「さぁ、貴方の絶望を見せて?」

紅い瞳が彼女を射抜く。


少女は無事見つかった。
レームの部下であるサキュバスの変種である「クノイチ」が見つけたのだ。
彼女は少女を抱きしめた。
今、彼女にできることはそれしかなかった・・・・。
少女は途切れ途切れに話し始めた。
彼女のカウンセリングで心の重荷が減ったとはいえ、少女はどこか虚しさを感じていた。

優しい両親に悩みを聞いてくれる人間もある。では私は何のために生きているのだろうか。自分の存在は意味があるのか

「そしたらね・・・おとぎの国にいけたの・・・・・」

「!」

レームが息を飲む。
自分を超える何者かの魔力が覆う。

「お姫様が教えてくれたの・・・・スベテヲ忘れれば幸せになれるって・・・」

艶やかな黒髪がゆっくりと紫色に染まっていく。

「だから私は私を捨てるの」

猫の耳と尻尾を生やした「チェシャ猫」に転化した少女が彼女を見つめていた。


「せんせーどうしたナ?」

裏表のないチェザーレに曖昧な笑みを浮かべる。

「少し休むよチェザーレ」

そう静かに呟くとその場を後にする。




「さあて、ドーマウスの激甘紅茶でも飲んでまったりするナ!」

猫のように自由な彼女が食堂へと向かおうとした時だ。

「動くな・・・・」

抑揚を抑えた冷たい声が背後から響いた。
その瞬間だった。

「ヒィ!」

彼女の耳に凍えるような冷たい物体が押し込められる。

「22口径だが、この距離なら発射された弾丸は容赦なく脳みそを砕く。試してみる?」

ガチッ!

撃鉄を起こす重々しい音が響いた。

「彰さん達何処だ・・・!」

生粋の魔物娘と人間から転化した魔物娘では実は明確な違いが存在する。
それは危機的状況における対処法である。
生粋の魔物であれば魔力を集中することで、ある種の防御障壁を生み出すことができる。
しかし、転化した魔物娘では極限の状況では人間的な行動を取りがちだ。
チェザーレは「転化」した魔物娘である。
耳孔に押し込まれたデリンジャーの冷たい感触は、彼女が既に「人間」ではないのを忘れさせてしまった。
故にその「職能」を使うことはできなかった。

「二人は大丈夫ナ・・・。だから・・・・・」

チェザーレが身を引こうとする。

「動くな!」

更に銃口が押し付けられる。
切り立ったフロントサイトで切ってしまったのだろう、ぬるい液体が耳孔に広がる感覚をチェザーレが感じる。

「案内する!!するから!!!!この銃を・・・」

チッ!

撃鉄に指をかけ、暴発させないように戻す。

「あの・・・銃は・・?」

「案内くらいこのままでもできるだろ?」

辰彦が冷徹に告げる。


城の奥深く、彼らはチェザーレの案内で進んでいた。
いつもはトランパートやお付きの女官達が犇めいている城内だが、今は赤の女王の「お小遣い賃上げ闘争」に駆り出されておりガランとしていた。
赤の女王と思われる肖像画や、その両親である魔王と勇者の絵も飾られている。
中には抽象画と思われる絵画も飾られている。
高位の魔物娘の中には地球における絵画を愛好する者もいる。
魔物娘の関心は常に人間であり、彼らの文化もその対象だからだ。

「あ、あの絵は赤の女王の幼少期の作ナ。なんでも大好きな姉を書いた絵らしいナ。バカにすると恐ろしいオシオキが待っているナ」

この「不思議の国」において赤の女王を嘲笑うことは不可能なのであった。

「・・・・・・・」

クロエも辰彦も無言だ。
それは経験として「追い詰められたネズミは饒舌」であることを知っているからだ。
故に撃鉄から指を離していない。

「ここナ」

三人の目の前には鉄の扉が聳え立つ。
しかしよく見ると鉄だけではなく、魔力を排除する「魔界銀」も使用していることに気付く。
チェザーレがおもむろにドアを開こうとする。それをクロエが制止する。

「私が開きますわ」

クロエが二人の前に立ち重々しいドアに手を掛ける。

ズズズ・・・・

重厚なドアが開いていく。

「「!」」

二人が息を飲んだ。

「驚いたかナ?」

数々の様々なアーティファクトに囲まれた部屋の中央、そこには二枚の「鏡」が立てられていた。
鏡に映っていたのは「黒い部屋に立つ斎藤彰とその伴侶である若葉響」と「何気ないリビングのテーブルに着く角も尻尾のない若葉響と斎藤彰」だった。
まるで精巧なプロジェクターに写し出された映像。

「彰さん!僕だよ!辰彦だよ!!」

辰彦が叫ぶがその声は鏡の中の彰に届かない。

「無理ナ。その鏡は久遠の鏡。元々は魔王様が直々に作り出したもので、ドラゴンゾンビのような戦術級の魔物を安全に隔離するためのものナ」


― ドラゴンゾンビ ―

竜皇国ドラゴニア周辺で見られる竜種の変異体で、無駄にプライドの高いドラゴンが下手に拗らせてそのままポックリ逝った後に復活、変態ドスケベゴーイングマイウェーイになったものだ。
ただ発情しているだけなら問題ないが、その「腐敗のブレス」はまさに戦術級。喰らった人間の女性は魔物娘となり伴侶を得ようとして魔力をばら撒き、それが魔物をさらに増やす。
一国を魔界にすることなど造作もない。
魔王は何も人間界を侵略支配したいわけではない。
共に歩みたいのだ。
だからこその「隔離」だ。
もっとも、ドラゴンゾンビというかドラゴンの遺骸は大概は人の通らない秘境にあることが多く、また「遺骸」も全てがドラゴンゾンビとして復活できるわけではない。
ドラゴンゾンビの伴侶として相応しい「雄」がそこに存在しなければトリガーと成り得ない。
ドラゴンゾンビと伴侶となれることが「幸せ」なのかは別だが。


「・・・・彰さんをここから出せ」

辰彦が感情を押し殺しチェザーレに命令する。

「アレに取り込まれても安全ナ。そもそもアレは取り込まれた対象に夢を見せるだけナ。だからあそこから解放も・・・・」

「それ以上はいけないな〜チェザーレ」

背後から聞きなれた芝居かかった声が響く。

「クッ!」

ダァン!!!

反射的に弾丸を放つ。
だが、それはまるで見えない壁で塞がれたかのように空中で静止しやがてカランと乾いた音とともに地面に落ちる。
次に動いたのはクロエだった。
彼女の手がチェザーレを掴むよりも早く「マッドハッター」のフリスビー三世がチェザーレを確保する。

「チェザーレ、怖かったろうね。でも大丈夫だからね」

そう言うと彼女は微笑んだ。

「さてと・・・・・」

その瞳がクロエと辰彦を捉えた。

「色々とやり残したことがあるようだね・・・・」

























22/02/23 20:09更新 / 法螺男
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■作者メッセージ
ただ一つ言わせてください・・・・。

遅れてすいませんでしたぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!

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