連載小説
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彰 イン ワンダーランド  ― ディシプリン ―
― 人は皆一つの道を歩いている ―

― 平坦でありふれた道 ―

― されど人は知らない ―

― ふとしたはずみで人は容易く道を外れてしまう事を ―


私、「葛城クロエ」は「感じる」ことができない。
どれだけ殿方に愛を告げられ、そしてその愛を受け入れても・・・、私はその愛を共有することができないのだ。
顔を醜悪に歪ませ快楽を貪る殿方。
私の中に広がる生暖かく粘りつく液体。
所謂普通の女性なら殿方の愛を感じることができるのだろうが、私にはただの汚れた排泄物としか感じられない。
やがて私は「女」を捨てた。
女性の幸せというものがが殿方の愛を受けることなら、・・・・私は女として生まれついての「不良品」なのだろう。


それでも良かった。
私は自分自身にもそして自分の人生にも期待はしていない。


愛を求めても

愛を信じたくても

愛を与えても

その末路は皆同じ。

嘲られ

辱められ


捨てられるのだ。
そう、子供が飽きた玩具を捨てるように。


感じない女に居場所はなかった。
私はただただ勉学に励み、苦労して会計士としての仕事を得た。
一度見たら忘れないし、頭の中で数式を組み立てることは難なく行える。癪だがこういった頭の作りにしてくれた神様には感謝している。
会計士の仕事には当然表に出せない仄暗い仕事もある。
霧生組とのつながりはそこから生まれた。
信頼を得た私は跡取りの「霧生院辰彦」様の家庭教師としての身分が与えられた。
私の目から見て霧生院辰彦という少年は変わっている。
大概権力者の息子というのは「親」の権力を笠に着て傍若無人に振舞うものだが、彼は聡明で極力目立たずに生きていた。
今ならわかる。
彼もまた闇を抱え、苦しんでいたのだろう。
私は彼の「母親」を知らない。
彼もまた話したがらない。
それでいいのだ。
私はただの「家庭教師」でいい。
そう思っていた。
あの日までは・・・・。


その日は風が強く気温も下がっていた。
この霧生邸には最低限の人員しかいない。私も住み込みの家庭教師としてある程度彼の身の廻りの世話をしている。
私はいつものようにシエスタの終わりを告げるために辰彦様を起こしに行った時だ。

「辰彦様!!!」

彼は豪華なベットの上で胸を掻きむしって蹲っていた。

「直ぐにドクターを!!」

私は階下に設置してある電話で外部へ連絡をを取りに行こうとした。
霧生邸ではセキュリティーの関係でスマートフォンは使用することはできないのだ。

「!」

不意に辰彦様が私を掴んでいた。

「い・・いい!机の上の瓶を・・・・!」

私はすぐさま机の上に置かれた銀の小瓶をとると蓋を開け、彼の口元に持っていく。
彼は中の液体を飲み干した。


「落ち着かれましたか?」

「ああ・・・」

憔悴した表情で彼は呟く。

「・・・・・」

〜 あれは手術痕だ・・・・ 〜

巧みに消していたが彼の白い肌には無数の手術痕が残されていた。
それはまるで彼自身を捕らえる蜘蛛の糸のように見える。
私が彼の肢体を見ていた時だ。

「クロエ、気付いちゃったね・・・」

「えっ」

ドサッ

その瞬間私は彼に押し倒されていた。

「!」

シミ一つないまるで大理石のように白い肌が私を覆い包む。

「母さんは僕を生んで死んだ。生まれた僕は重度の奇形だったんだ。医者から生まれて数時間しか生きることができないと言われるくらいに」

シャツを脱ぎ、仕立てのいいスラックスを脱ぎ捨てる。

「父さんは母さんを愛していた。だから僕は生かされた。気が遠くなるくらいのお金と時間、身体を引き裂かれるような痛みと引き換えに人間らしい身体を持つことができた」

彼は私を抱きしめ泣いていた。

「でも本質は変わらない。いつ発作が起きてもおかしくないんだ。怖いんだ、電池の切れた玩具のように死んでしまうのが、消えてしまうのが!」

ギュッ

「クロエ・・・・」

「辰彦様」

私は彼を抱きしめた。そして身に着けた仕立ての良いブラウスのボタンをゆっくりと外していく。
彼を慰める方法はこれしか思いつかなかった。

「私には貴方様の悲しみ、苦しみが分かりません。でも、貴方が望むならこの身を捧げます・・・」

人の苦しみは他人には分からない。もし分かると言うのならそれは「嘘」だ。
結局の所は妥協するにしても、また逃げるにしてもそれは自分で決めなければならない。
彼はその存在の証を残したいのだ。
この世界に生まれた意味を私の胎に。

「うッ・・・あ・・・・」

私はベットに彼を横たえると、そのまだ雌を知らない若穂に舌を這わせゆっくりと口内に導き愛撫する。
生まれて初めての快楽に彼のそこからは粘りつく蜜が溢れていた。

「どうされたいですか?」

私は自らの花弁を彼の目の前で開いた。蘭にも似た蠱惑的な淫臭が漂う。
彼は私をゆっくりとベットに横たえると私の中に彼自身を沈み込ませた。
まだ自分の快楽をコントロールできないのだろう、彼は数回貪っただけで果ててしまった。
その日から私は彼が望むままに逢瀬を繰り返した。
それが彼の救いとなるのなら老いた身体であってもその精を受け続けた。
あの日。
彼が私を本当に愛していると言ってくれたその日まで。

愛を求めても

愛を信じたくても

愛を与えても

その末路は皆同じ。

でも彼は私を救ってくれた。
あの日自らが殺人者になる覚悟を持って救ってくれた。
でも私は・・・・。
その愛を得るべきではない。
彼には彼の愛を得るべき女性がいるはずだ。
彼の愛とて周りに他の女性がいないから彼は私を選んだだけだ。
そう自分に言い聞かせた。

― おばあちゃん ―

そう

私はもう自分の人生に期待はしない

甘い夢も見ない

愛を囁いた男は結局は私を捨てる

なら最初から期待なんてしなければいい

どうせ私は玩具

誰も本気で愛してくれない

彼と追手から逃げるうちに私はこんな歪んだ世界に迷い込んだ。

― 不思議の国 ―

私でも聞いたことがある。
愛を忘れ愛を否定する人々が連れ去られる世界。
見たこともない醜悪な雌に彼が奪われた瞬間。
私の手は銃を握っていた。

そして・・・・。


「私は今、砲撃されています」

ドォーン!!!

「うてうてーーーーーー!」

小さなぬいぐるみ達が城壁に設置された武骨な大砲をこちらに向けて放つ。
轟音を響かせながら迫る黒鉄の塊(硬質スポンジ製なので安全なのです)。
当たったらなすすべもなく吹き飛ばされてしまうだろう。
吹き飛ばされた先にあるピンク色の湖に落ちたらどうなるかなんて簡単に想像できる。
城に渡るための橋は既に破壊されていて渡ることさえできない。

「どっせい!!」

私達の目の前に現れた白い影がその砲弾を受け止めると勢いそのままに左に受け流す。

「二人とも大丈夫?」

「は、はい・・・」

彼女の名前は「若葉響」。夫である「斎藤彰」とともに不思議の国に連れてこられたそうだ。

「ごめんね僕たちの所為で厄介なことに巻き込んじゃって」

柔らかな表情の男性が頭を下げる」

「そんなことはありません!危ないところを助けてくださり、それに僕らを守ってくれて・・・」

傍らの辰彦様が申し訳なく頭を下げる。
彼らはなんでも因縁ある人物にこの世界に連れてこられたらしく、話によると目の前の城の中には帰還するためのポータルが設置してあるとのことだ。

「辰彦君。悪いんだけど、受け身は取れるかな?」

「受け身ですか?ええ、一応・・・」

「なら聞いて欲しい。今から君達を門の前まで投げ飛ばす。そこなら砲撃もないはずだ」

「大丈夫ですか?少なく見積もっても三メートルはあるし、僕らを渡らせても彰さん達は・・・」

「心配いらないよ。それよりも・・・・」

彰がクロエを見る。

「僕らが来るまで彼女を守るんだ。出来るかい?」

辰彦は力強く頷いた。

「これを」

彰が指に嵌めていた銀の指輪を彼に手渡した。

「魔物に有効な魔界銀製のリングだよ。これを開いて指に嵌めれば簡単なナックルダスターになる。彼女と身を守るくらいなら効果はあるはずさ」

「ありがとう彰さん」

「愛する彼女を守るのは男の務めさ」

その言葉に辰彦の頬が紅く染まる。
インキュバスである彼にはとうに気付いていた。親子ほどの年の差がある二人が性愛を含んだ関係であることに。

「準備はいいかい?二人とも」

二人の準備が整ったのを確認し、彰が目を閉じる。

「いいかい?流れに抵抗せずに身体を委ねるんだ」

「はい!」

彰が辰彦の手を取りその場で円を描くように回転を加える。そして足払いの要領で彼を浮かすと彼の身体の中心に足を置き投げ放った。
当然のことながら、彰が装備している白と水色の縞パンのお宝映像が炸裂するがそれは愛嬌だろう。


「皐月流番外!椋鳥!!」

― 皐月流 ―

かつては「殺鬼流」と呼ばれていた斎藤家代々に伝わる古武術である。
その術理の多くが当身技であるが、当然投げ技もある。
この「椋鳥」という技は相手の技を受けた上で、体勢を崩した相手を巴投げの要領で投げ放つ技だ。
壊された橋の向こうに彼らを送り届けるにはこの方法しかない。


「大丈夫か!」

対岸ではよろよろと辰彦が立ち上がる。
不思議の国の大気には魔界同様、魔力が含まれている。魔力は確かに人間の魔物化を引き起こすが、同時に身体的な障害を治す効果がある。
彼自身、気付いていないがその身体能力治癒能力も以前よりも強化されていた。

「いまからクロエさんを投げるから彼女を押さえてくれ」

彼女の身体が浮き、正確に飛んできた彼女を辰彦が全身で受け止めた。

「次は私達の番だね」

「うん」

彰は若葉の身体におぶさる。

「彰くん、あ、今は彰ちゃんか。行くよ!」

若葉が地面を蹴り宙に駆け出す。

「あ、危ない!!」

辰彦が叫ぶ。
彼らの眼前には砲弾。あのマッドハッターが無防備な彼らを野放しにするはずがなかった。
ホルスタウルスである若葉の力であればそれを避けることも可能だろう。
だが、空中では逃げることはできない。
万事休す。
だが・・・・。

「ナメてんじゃねーぞ!!!!糞キノコがぁぁぁぁ!!!!」

彼女は大きく頭を仰け反らせるとその砲弾に渾身の頭突きをカマした。
砲弾は撃ち出された以上の勢いで城の大門に吸い込まれていく。

バァァァァァン!!!

おおよそ誰もが聞いたことのない破裂音とともに大門は粉砕された。
魔物娘は優しく基本的にその人間を凌駕する力をひけらかすことはあまりない。されど、愛する者や自らを害するモノには一切の容赦がない。
彼らは決して無抵抗な存在ではないのだ。



「ここがあの女のハウスね・・・・」

聞くものの心を凍らせるような声で若葉が辺りを見渡す。正確には不思議の国の主である「ハートの女王」の居城なのだが。
そのハートの女王も現在は母親に日参(お小遣いの賃上げ交渉とも言う)で国を離れており、同時に近衛兵であるトランプ兵「トランパート」達も護衛の為に着いて行っている。
恐らくは最低限の備えしかいないだろう。

「止まって」

「!」

「彰くん、ライターを貸して」

彰が懐からイムコのライターを取り出すと若葉に手渡す。

カチッ、シュボ!

若葉が点火レバーを兼ねたフタを押すと、ドイツ製品らしい正確さで赤々とした炎が辺りを照らし出した。

「菌糸か」

見ると蜘蛛の糸のように細く白い糸状の物体が張り巡らされていた。

「侵入者を探知する生きた監視システム。相変わらず絡み手がお好きなようね。糞キノコ!」

パチパチ!

上質な革を使用した手袋独特のハリのある音が響く。見ると、彰を女性に変え彼ら夫婦を不思議の国に招いた元凶であるマッドハッターの「フリスビー三世」が二階から彼らを見下ろしながら拍手をしていた。

「汚物は消毒よ!」

ライターの炎が菌糸に伝わり燃え上がっていく。

「さて、カビキラーで漂白される覚悟はOK?」

響が臨戦態勢を採る。

「酷いなぁ。苦労して城の中に菌糸を張り巡らしたというのに。歓迎は楽しかったろ?」

「歓迎ねぇ・・・・」

態勢を解かず辺りの「魔力」を走査する。忌まわしいマッドハッターとその菌糸以外に目立った魔力は感じられなかった。その菌糸もライターの炎で壊滅状態だ。
響が彰をチラリと見る。彼は静かに頷いた。

「漂白剤の中に沈めてやるわ!!!」

彼女が足を踏み込んだ瞬間だった。

カチッ!

「?!」

ドガがガガガガガガ!!!!!

大広間の床全体が爆ぜた。二人の姿が舞い上がった粉塵が覆い包む。

「彰さ・・・・!」

物陰から隠れていた辰彦が飛び出そうとするが、それをクロエが押しとどめる。

「いけません!私達では・・・・・。見てください」

「!」

二人は床から現れたピンク色の鎖で拘束されていた。

「ハハッ!どうかな発情したドラゴンゾンビすら拘束できる拘束魔法の感想は?」

カツ―ン、カツ―ン

トラップが目論見通りに発動して喜色満面の笑顔でフリスビー三世が大階段を下りる。

「畜生ぉぉぉぉぉ!!!!」

響が吠える。


さて、賢明なる諸兄はこう思っておられるだろう。
魔力を予め走査し危険なトラップなどないと判断したのに、なぜ響はあっさりとトラップにかかったのか、と。
単純な仕掛けである。
まず床に大規模な魔方陣を書き、その上を爆薬と魔界銀を含んだタイルで覆うのだ。
魔界銀は魔力を消す特殊効果が存在することは諸兄は承知であることだろう。
これで魔方陣の魔力を感知されにくくするのだ。
その上で、見え見えの菌糸を張り巡らし予め大広間全体に魔力反応を撒き散らしておくことにより、その下の魔方陣をカモフラージュする。
後はタイルの爆破と同時に魔方陣を展開。二人を難なく拘束したのだ。


「アン・ドゥ・トロワ!!」

パン!

「!」

フリスビー三世が手を叩くと同時に彼らの足元の魔方陣がまるで底なし沼のように二人を飲み込んでいく。
二人が身じろぐが拘束は緩むことなく、初めに彰がそして最後に若葉が黒くコールタールのように渦巻く魔方陣に消える。

ズズズ

「前にも言ったろ?飽きてきたんじゃないかって?」

カツ―ン!

仕立ての良い革靴が床を叩く。

「だからこれはプレゼントさ。君達の心の中を写し出してくれるはずだよ?」

まるでサーカスの道化師のような笑顔を張り付け彼女は二人が黒い、何も写し出さない「魔方陣」に飲み込まれるのを見送った。
もはやその場には彼女一人しかいない。

「・・・・・・」

彼女から笑みが消える。
その顔に浮かぶのは張り付けたような「道化師の笑み」ではなかった。

「こうするしかなかった・・・・・」

浮かぶ表情は「苦悩」。
彼女は何も二人の仲を引き裂こうとは思っていない。
寧ろ彼女は二人には永遠に幸せでいて欲しかった。
だが。
いや、だからこそ。
二人には「試練」が必要だった。
わざわざ二人を不思議の国に拉致したのは、この場所でなければ不思議の国の秘宝の一つが使用できなかったからだ。
予め「ハートの女王」からは許しを貰っている。
ジャブジャブは計画にはなかったがそれも想定内だった。もっとも怒り心頭の響に残らず駆逐されてしまったが。

「人の心はね。時に心の中に闇を生み出すんだよ。自分でも知らない知りたくない気付かない気付きたくない、そんな気持ちを・・・・・」

彼らが自分に「打ち勝てる」かどうかだ。
その為には恨まれても構わない、そう彼女は決意していた。

「君達は向かい合わなければならないよ。自分達の狂気と」

静かに彼女は呟いた。

「せんせー!後始末は終わったにゃ」

明るい声が大広間に響いた。

「あのジャブジャブたちの様子は?チェザーレ」

声の主は不思議の国の案内人を自称するチシャ猫の「チェザーレ」だ。

「特に問題なしにゃ。あいつらド鳥頭だからまた男の尻を追いかけ始めたにゃ」

「そうか。チェザーレ、そのせんせーと言うのはやめてくれないか?」

「でもせんせーはせんせーだし・・・」

チェザーレは目を細め太陽のような笑顔を彼女に向ける。

「ああ。そうだったな・・・・」

かつて救えなかった少女の面影を持つチェザーレの髪を撫でながら「マッドハッターのフリスビー三世」こと、「蜷川美江」は静かに目を閉じた。



















21/05/08 23:03更新 / 法螺男
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■作者メッセージ
イベント開始前に投稿できてよかったぁぁぁ
続編は出来次第アップしますね。

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