連載小説
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6.アイディアを出そう

「…臭いますね」

開口一番。
彼女の一言に、僕は心臓が飛び出そうになった。

「紅茶、おいしくなかったですか〜?」

尋ねるももの言葉に、首を横に振るメイドさん。
彼女が言う臭いというのは、差し出したお茶からではなく。
他でもない…寝室の臭いだ。昨夜、僕とももが交わった部屋。
いくら念入りに掃除をしたからといっても、
あの独特の臭いがそう簡単に落ちてくれるはずもない。
ある程度慣れてしまった僕の鼻にまで臭ってくるのだ、
先程まで新鮮な空気を吸っていた彼女には、特に臭うだろう。

「………」

カップを受け皿に置いて、ミーファさんが僕を見る。鋭い目付き。
彼女の視線は、臭いの正体を見透かしているかのようだった。
どことなく後ろめたさを感じ、苦笑いを返すだけの僕。
早くこの気まずい雰囲気が終わってほしいと、ひたすら祈りながら…。

「…納得した訳ではありませんが」

ふと、眼鏡の鼻掛け部分を指先で持ち上げつつ。

「理解はしました。彼女のことについては」

ミーファさんは、ちらりとももに目をやり…そう呟いた。
彼女の理解を得ることができ、また、話題が変わったことで、
ほっと胸を撫で下ろす。緊張の糸が解けた、というやつだろう。
僕は漏れた溜息の代わりに、熱い紅茶を身体の中へ流し込んだ。

…もものことは、できるだけ秘密にしておきたかった。
とはいえ、彼女…ミーファさんは、これから一緒に暮らしていくのだ。
ひとつ屋根の下で、ももの存在を隠し通すのはとても難しい。
かといって、彼女の務めを断れば、その通知がお父さんの元へ届いて、
事態は余計に大事になってしまう。それだけはどうしても避けたかった。

だから、僕は彼女へ、ありのままを話すことにした。
僕がここに来てから得た、情報の全てを。…蛇足的な部分は除いて。
賭けだった。ミーファさんがどういった人なのか、まだ掴めていない上で、
この話をするのは大きなリスクがある。それを承知で、僕は全てを伝えた。
もしかすれば、驚いた彼女は山を下りて、衛兵を連れてくる可能性だってあった。
もものことを、魔物か何かと勘違いをして。ありえない話じゃあない。
人に近い姿へ化けて、こちらを襲おうとする魔物だっているのだから。

「もも様は、ソラ様の飼っている牛が変化した姿…。それでよろしいのですね?」

でも、それは杞憂に終わった。
少し怖い雰囲気のあるミーファさんだけれど、理解のある人みたいだ。
僕の拙い説明を真剣に聞いてくれて、かつ、その言葉を信じてくれた。
一番望ましい結果。僕は笑みをこぼしながら、ももと顔を見合わせた。

「では、ギルドへ提出する報告書には、もも様の存在は伏せておきます」

そう言って、手帳を取り出し、さらさらと何かを書き綴るミーファさん。
先程の話の内容をメモしているのだろうか。報告書を書く際の資料として。

「………」

…先程貰った、簡単な自己紹介によると。
ミーファさんは、ここカウランドのお隣の国、メイデンの出身。
メイデンという国は、多数の貴族とその従者からなる国で、
毎日のように莫大なお金が動く大富豪国家のひとつだ。
最大の特徴として、従者ギルドという聞き慣れないものがあって、
これは貴族が望む従者をすぐに手配するためのギルドらしい。
従者ギルドは貴族以外からの依頼も引き受けているので、
それで今回、お父さんはギルドからミーファさんを雇ったそうだ。

なんでミーファさんを選んだかは…なんとなく分かる。
お父さん、眼鏡を掛けた女性が大好きだから…。

「…ところで」

書き終えたのか、手帳を閉じて。
彼女は再び僕に視線を戻し、言葉を紡いだ。

「ソラ様、主人と従者というのは、信頼関係が不可欠です」

そして、突然始まる主従講義。
なんだろう…、仕事上のルールとか、そういったものの確認だろうか。
貴族には変な人が多いから、従者をオモチャのように扱う人もいるらしい。
それを防ぐために決まり事を提示するのは、極々当然のことだと思う。

「信頼関係とは、即ち秘密の共有です。隠し事を相手に晒すことです」

隠し事を相手に晒すこと…。
つまり、つい先程までの話がそう。
僕は秘密のひとつを、彼女に晒したことになる。

「従者は、主人の身の回りをお世話するだけでなく、良き隣人にも為りえます」

「それは時に、危機に陥った主人の秘密を守る盾ともなるでしょう」

「良く言えば共同、悪く言えば共謀です。それも従者の務めです」

良く言えば共同、悪く言えば共謀…。
ももの秘密は、どちらに当たるのだろう。

「勿論、その匙加減は主人次第であり、従者が決めることではありません」

僕の目を、まっすぐに見つめる彼女。
レンズの奥に、芯まで透き通った瞳が覗く。

「従者は主人の信頼に、全力で報います。その内容に、善悪を問わず…」

「主人に信頼頂くことこそが、従者にとって、何よりの喜びなのです」

そう言って、立ち上がり…深々としたお辞儀。
万感の思いを込めたかのように、深く…。

「ソラ様…。今日より、心より尽くさせて頂きます」

「このミーファに、なんなりとお申し付けくださいませ」

「全ては主人のために。どうぞよろしくお願い致します」

……………

………



さて、新しい仲間が増えたところで。
僕は早速、彼女の知恵に頼ることにした。

「お金を稼ぐアイディア…、ですか」

眼鏡を持ち上げながら、僕の言葉を繰り返すメイドさん。

そう、まずは何より、それからだ。
三人寄れば文殊の知恵とも言うし、何か良い案が閃くかもしれない。
それに、この中で一番社会経験があるのは、間違いなくミーファさんだ。
僕やももと違って、きっと役立つアイディアを出してくれるに違いない。

「………」

…ちらり、と。ミーファさんが、ももへと視線を向ける。
それに気付き、彼女へ微笑みを返しながら、尋ねるもも。

「どうかしましたか〜?」

もしかしたら、何か思い付いたのだろうか。
僕は身を乗り出して、彼女の口から出る言葉を待った。

「いえ、素朴な疑問なのですが…」

言葉を濁しながら、僕の方へと振り向く。
どうしたんだろう。素朴な疑問って、いったい…?

「その…、もも様は、牛乳は出ないのですか…?」

……………。

…いや、うん、そうだよね…。誰だって、そこに行き着くと思う。
彼女は牛なのだから、まずミルクのことを考えるのが普通。僕達のように。
でも…道徳的な面というか、気持ちの問題で、そればっかりはダメだ。
彼女が言葉を濁らせたのも、母乳を売るということに抵抗があるからだろう。
もも本人は気にしていないようだけれど、さすがにそれは…。

「出ますよ〜♪ ねっ、ご主人様〜」

と、急にももが、思い掛けぬところで同意を求めてきた。
その言葉に、眉をひそめるミーファさん。背筋に悪寒が走る。

僕は慌てて、ももの方に振り返った。
目に映ったのは、悪意をまったく感じない、満面の笑顔。
ニコニコとお日様のような表情で、僕を見つめている。

「………」

…何も言えず、視線を戻すと…一転、険しい表情がお出迎え。
入口で迎えた時の微笑みはどこへやら、沈黙に浸った彼女は、
どこか凄味を感じる瞳をこちらに向けている。睨み付けに近い。

どうしよう…。
今の話、捉え方によっては、僕がもものお乳を搾ったことがあるように聞こえる。
いや、確かに事実ではあるのだけれど、このタイミングで彼女に伝えるのは…。
こう…僕が変態のように取られはしないだろうか。そう思われてもおかしくない。

何か…、何か、良い言い訳を…。

「…ソラ様」

僕を呼ぶ、ミーファさんの低い声。
思わず、ビクリと身体が跳ねる。

「この臭い、御独りで大量に為さったものかと思いましたが…」

「まさか…飼い牛と関係を持ったのですか?」

……あぁ…、あっさりバレた……。

「そうなんです〜♪ 私とご主人様は、恋人同士で〜…♥」

頬を手で押さえ、イヤイヤと首を振るもも。
可愛いけれど、彼女の一言は、余計火に油を注いでしまった。
僕を見るミーファさんの目付きが、ますます鋭くなっていく。
それから逃れる手段もなく、ただ俯き、身体を小さくする僕…。

「………」

無言の重圧。ちくちくと刺さる視線が痛い…。

考えるまでもなく、彼女は僕は軽蔑しているだろう。
出会ってから一日も経たず、飼い牛と身体を重ねているのだから。
男性としても、飼い主としても、タブーの領域に踏み込んでいる。
もう割り切った部分とはいえ、やっぱり、こうして責められると辛い…。

「…はぁ」

ふと、ミーファさんが深く息を吐く。
言いたいことを言わずに終えたような溜息。
彼女の優しさか、従者としての我慢かは分からない。

「まぁ…、当人達の関係です、深入りはしません」

「話を戻しましょう。ひとつ、案が浮かびました」

その言葉に、僕は項垂れていた頭を勢いよく上げた。
沈んでいた気持ちも吹き飛ぶ一言。案が浮かんだと言う彼女。

ミーファさんは再び眼鏡を持ち上げつつ、ゆっくりと述べた。

「加工しましょう。牛乳を、別のものに変えてしまうのです」

加工…?

「そうすれば、もも様の母乳をそのまま飲むということにはなりません」

「それに、もし新しい商品を開発できれば、一攫千金も夢ではないと思います」

…つまり、気の問題ならば、形を変えてしまおう…ということだろうか。
成程と思う反面、それで自分の気持ちが納得するか、不安な部分はある。
でも、文句ばっかり言っていても始まらない。まずはやってみよう。
何より、新しい商品を開発、という点はとても素晴らしいと思う。
うまくいけば、牧場にとって…ひいてはお婆ちゃんにとってもプラスになる。
きっと、とても喜んでくれるはずだ。退院祝いの贈り物にぴったりだ。

僕はふたりを交互に見ながら、強く頷いた。
同じく、頷きを返してくれる彼女達。採用だ。

「決まりですね。では、早速…」

うん、早速、何を作るかを考えよう。
なんだか、すごくやる気が湧いてきた。今なら何でもできそうな気がする。

さぁ、何を作ろう?
チーズやヨーグルトは定番として、他に何があるだろう?
煮たり、凍らせたりして、何かできないだろうか?
味を変えるのに、色んな具材を混ぜてみるのもいいかもしれない。
あるいは、食べ物じゃなく、調味料を作ってみるのも悪くない。

それとも…。

「早速、もも様の牛乳を搾ってください。ソラ様」

………え?

……………

………



12/08/01 01:01更新 / コジコジ
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