連載小説
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その日
その日、ハークル・リェンは緊張を身に帯びながら、詰所から衛兵に指示を出していた。
彼の前に広げられたのは、かなり大きなダーツェニカの地図で、何本もの画鋲が各所に突き立てられ、色とりどりの線が引かれている。
地図にはいくつもの書き込みがされており、その一つ一つが何らかの事件を示していた。
「東地区、人員配備できました!」
「西地区、人員配備できました!」
衛兵の制服に身を包んだ男たちが、部屋を出入りしては報告をする。
そして、リェンは報告を聞きながら、手元の小さな地図に印を入れていった。
ダーツェニカの中心部の、とある建物を包囲するように、衛兵の所在を示す印が書き加えられていく。
通りや建物の屋上に、配置の報告を受けた衛兵が示され、予定通りの位置に全員そろう。
「よし…」
今日は大事な日だ。リェンはひと段落ついたことに内心胸を撫で下ろしつつ、何も起こらぬよう心中で祈った。
しかし、最近怪人どもが妙な動きをしているため、安心はできない。
おそらく、今日この場所で行われる会議を、怪人どもは狙っているのだろう。
「何も起こってくれるなよ…」
地図上の、『商工会と人間会の幹部会議』の会場を見つめながら、リェンは小さく囁いた。





その日、ロック・シトートは屋敷の一角にある部屋にいた。
書斎に隣室する、書棚に偽装された扉から出入りできる、いわゆる隠し部屋だ。
部屋の中に置かれているのは、簡単な机と椅子と、チェストとバードマンの衣装が一式である。
長年ここを掃除しているメイドでも、この部屋のことを知っている者はいない。
ロックは椅子に腰を下ろすと、壁に吊られたバードマンの衣装を眺めながら、机の上の帳面を手繰り寄せた。
タイトルも何もない、いくらか表紙に傷のついたただの帳面である。
彼は表紙を開くと、最初のページに目を向けた。そこには短く、こう記されていた。

『日誌 第1253日目
バッドヘッドが死んだ』

そのあとに続くのは、獏仮面が中心となって、世界一邪悪な頭脳の持ち主であるバッドヘッドの死についての調査の日々だった。
獏仮面は、バッドヘッドの痕跡をたどり、パイロとソードブレイカーの協力や、オケアノシアの犠牲を経て、ついにダーツェニカの地下で何かが起こっていることに気が付いたらしい。
そして、地下でバッドヘッドの身に何が起こったのか、オケアノシアが何を見たのかを確かめるため、彼は単身地下水道から地下へもぐって行ったようだ。
事実、ここ最近バッドヘッドや獏仮面の姿は確認されておらず、オケアノシアに至っては描写通りの状態で発見されている。
だが、それだけで連中を信用していいものだろうか?
バッドヘッドも獏仮面もただ潜伏しているだけで、実は何か大きな企みのためにわざわざこの日誌を作りあげたのではないのだろうか?
そんな思いが、ロックの内に浮かんでいた。
無理もない。ロックは、衛兵隊隊長であるリェンを通じて、獏仮面の住居を捜索させたが、見つかったのは最低限の家具と、大量の実験器具だった。
洗浄済みの物が棚に収められ、使用した後のそのままの物が流し台に残されていた。
ガラスの器にこびりついていた液体は、乾き、胸の悪くなるような臭いを放っていた。
検査の結果、器に残されていたのは脂肪だという。
恐らく、獏仮面は何かを用いて馬車の軸受け油のようなものを作ろうとしていたのだろう。
ちなみに、材料は不明ということになったが、生物の脳は良質な脂肪で出来ていると、研究所所長は教えてくれた。
それゆえに、ロックは疑念を抱いているのだ。そんな男が残した手記を、そのまま信じていいものだろうか。
だがその一方で、手記には異様な信憑性があった。
(完全に切り捨てることができれば楽なのだがな…)
手記が事実そのままを記録した物なのか、事実を基に完璧に構築された企みの一端なのか。
ロックには区別が付かなかった。
だが、オケアノシアは心を病んだ状態で発見され、バッドヘッドと獏仮面は行方不明、そして失踪者は変わらず出続け、ついには魔物の失踪者まで出たそうだ。
リェン隊長によれば、最近ソードブレイカーとパイロが、怪人たちを一とする犯罪者をまとめ上げ始めているらしい。
もしかしたら、本当に人々の知らぬところで何かが動いているのかもしれない。
「いずれにせよ、ロック・シトートの方でもこの問題に関わらなければいけないからな」
魔物の失踪者が出たことで、魔物たちの互助組織、人間会が商工会に事態の解決を求めている。
今日開かれる予定の会議で、正式に解決に乗り出すことになるはずだ。
「まあ、大っぴらに情報集められるようになるから、ありがたいと考えよう」
ロックは、バードマンの衣装を見ながらそう呟いた。
すると隠し部屋の扉が、外から軽くノックされた。
「ロック様、そろそろご出発の時間です」
「分かった。準備するよ、バティ」
ワーバットのメイドの言葉に、ロックは立ち上がった。



その日、イアン・ヘドリックはダーツェニカから離れた、街道の一本で馬車に揺られていた。
大陸の南方、海沿いの街まで海産物の仕入れ元を開拓するためだ。
海産物の商路はいくつも存在するが、運搬の手間を考慮してそのほとんどが干物などの加工物に限られている。
だが、生きたまま海産物を運搬する商路を確立すれば、大陸の中心に居ながらにして新鮮な魚を味わえるようになるだろう。
そのためには専用の運搬車や、魚を生かしたまま運ぶ技術の開発など、いくらかの投資が必要だが、十分な利益は望めるはずだ。
そしてすでに、大きな水槽を組み込んだ運搬用の馬車は、図面まで引いてある。
ヘドリックは次の段階として、比較的舗装の安定した街道に接する、港を有する街に向かっているのだ。
魚を生きたまま捕えられる漁師と契約を結ぶことができれば、少なくともダーツェニカまで魚を運ぶことができるだろう。
そしてゆくゆくは、王都や聖都からも注文が来るようになるに違いない。
そうなれば、ヘドリックは『娘』に新しい服を買ってやれるだろう。
「ふふふ…」
『娘』の喜ぶ顔を思い浮かべながら、ヘドリックは気楽に笑った。



その日、ステア・ヘドリックは『父』と同じく馬車に揺られていた。違いがあるとすれば、彼女の馬車が走っているのはダーツェニカの街中であることだろうか。
日はまだ高いため、ヴァンパイアである彼女の馬車の窓には、分厚い日除けの布が掛けてある。
夜、もしくは夕方にしか外出しない彼女が、わざわざ専用の馬車に乗っているのには理由があった。
ダーツェニカに住む魔物の互助組織、人間会の会合があるためだ。
噂によれば、ダーツェニカでの失踪事件の被害者が、ついに魔物達に及んだらしい。
以前からダーツェニカで起こっていた、連続失踪事件について、ついに人間会が動き出すのかもしれない。
むしろ、過去にダーツェニカで怪人に襲われかけたステアとしては、今までが遅かったぐらいだとステアには思えた。
「でも、今日は何の話かしら?」
わざわざ魔物を集めるということは、捜査などへの協力要請もあるのだろう。
そんなことを考えていると、不意に馬車が大きく揺れた。
「っ!」
「大丈夫ですか、お嬢様?」
声にならぬ小さな悲鳴を漏らした瞬間、分厚い布の向こうから少年の心配そうな声が聞こえた。
「石畳のひび割れを乗り越えました。お怪我はありませんか?」
「大丈夫よ、セフ。少し驚いただけ」
御者席の端に座っている世話係の少年に、ステアは安心させるような口調で応えた。
別に無言のままでもいいのだが、いちいち馬車を止めて安否を確認されてしまう。
そんな手間を掛けられるぐらいなら、口頭で答えた方がいい。
(そう、だから安心させるみたいな声が出たのよ…)
予想以上に優しげだった自身の口調について、ステアは自分にそう言い聞かせた。



その日、ソードブレイカーは裏路地を歩んでいた。作戦の確認のためである。
人目を避けるように裏路地を進むうち、ソードブレイカーは水路の一角にたどり着いた。
軽くあたりを見回すと、建物の間の細い通路に、二つの人影があるのを彼は認めた。
腰に曲剣を差し、顔を羽飾りのついた面で覆った男と、頭から布を被った小柄な人物だ。
「状況は?」
「今のところ異常ありません、ソードブレイカー」
歩み寄りながらの彼の問いに、通路の壁にもたれかかっていた羽飾り面の男が返答した。
両者とも、獏仮面の失踪後にパイロと共にまとめ上げた怪人で、二人の指示によく従ってくれる従順な部下だった。
「そうか、引き続き監視を頼む」
「了解しました」
ソードブレイカーの言葉に、二人は頭を下げた。
彼は踵を返すと、来た道をしばらく戻り、別の路地裏に踏み込んだ。
次の場所を確認するためである。
だが、目的の水路脇にたどり着く前に、ソードブレイカーの脚が止まった。
路地裏の前方に、二つの人影が立っていたからである。
「ダーツェニカ五怪人の一人、ソードブレイカーだな?」
「……」
まったく同じ革鎧を身につけた二人の内、右側からの言葉に、ソードブレイカーは無言で応じた。
「ダーツェニカの犯罪者どもをまとめ上げ」
「人々を不安に晒す貴様の首」
「我々が」
「もらいうける」
肯定の無言と取った二人が交互にソードブレイカーに告げ、ほぼ同時に剣を抜いた。
「……」
またこの手会いか、とばかりにソードブレイカーは嘆息する。
多少人々に知られるようになってから、このように襲われることが多くなった。
単純に名を上げようという者から、この二人のように義憤に駆られた者もいる。
「「参る」」
まったく同じタイミングでそう呟くと、二人は同時に地面を蹴った。
一人が一直線に突っ込んできて、もう一人が壁を蹴って高さを稼ぐ。
正面の一撃を受けるか交わせば、上から斬撃が襲ってくるという、正面と上方からの時間差攻撃だ。
恐ろしくコンビネーションの取れた二人だから出来る攻撃だ。
だが、ソードブレイカーにとっては幾度か受けた覚えのある、それなりにありふれた技だった。
「ふんっ…」
低く息を吐きながら踏み込み、下段から拳を突き上げる。
すると、今まさに横薙ぎに切りつけようとしていた革鎧の男の腹に、すくい上げるような一撃が入りこんだ。
革鎧がたわみ、拳を包むようにして男の腹に食い込む。
衝撃が男の体をくの字に折り曲げ、勢いでもって指から剣をむしり取る。
そして、ソードブレイカーの馬鹿げた膂力によって、男が打ち上げられた。
情報から飛びかかりつつあったもう一人の男に、相棒の体が直撃する。
そして、一塊になりながら路地の奥へと飛んでいく。
ソードブレイカーは男の落とした剣を拾い上げると、二人を追って石畳の上を駆け抜けた。
やがて、二人の皮鎧の男の高さが落ち、ソードブレイカーの眼前に至ると同時に、彼の右手が舞った。
下から上へ、上から右へ、N字、Z字、W字、M字を刃で刻んでいく。
そして、最後に真横一文字を描くと、彼は剣を空に向けて振るった。
刀身にまとわりついていた血液が、ばらばらになった二人分の残骸と共に石畳に落ちる。
「……」
ソードブレイカーは手の中の剣を一瞥すると、刃の掛け具合から寿命を読み、石畳の上に放り捨てた。
急がねば、あまり時間はないのだから。
ソードブレイカーは路地裏にまき散らされた赤をそのままに、その場から立ち去った。



その日、パイロは集会所代わりの倉庫で、手下とともにイグニスの明かりの下、ダーツェニカの地図を広げていた。
地図にはシトート邸といった豪商の邸宅の敷地内など、空白がいくらかあった。
だが、地図に書き込みや画鋲が差してあるのは、邸宅などからかけ離れた、上下水路の露出個所だった。
「人員の配置は?」
「指定箇所に二人ずつが待機中で、ソードブレイカーが確認中です」
パイロの問いに、傍らに立っていたメガネの男が応じる。
「動きがあった場合は、簡易狼煙を上げて、それをここの見張りが確認します」
「よしよし…」
作戦通りの配置と各人員の動きに、パイロは頷いた。
これで、地下水路から何が出て来ても対応できる。
地図上に配置された画鋲に、部下たちの姿が浮かび上がった。
ある者はパイロ達に心酔して従って、ある者は実力差を見せつけて従わせ、ある者は取引によって従っている。
寄せ集めに等しいが、それでもパイロとソードブレイカーの二人だけで動くよりはましだ。
「全員引き続き、監視と戦闘準備を」
「了解しました」
メガネの男が一礼と共にその場を離れ、倉庫を出て行った。
「ふう…」
パイロは一つため息をつくと、椅子を手繰り寄せて腰を下ろした。
やや古びているためか、椅子がぎしりと軋みを立てる。
これで、出来ることはすべてやった。
獏仮面の失踪後、パイロは彼の日誌から地下に何かがいるのを確信した。
しかし、ソードブレイカーとの二人だけでは、水路から出入りする何者かを抑えるのは難しかった。
そこで二人は、バッドヘッドのダーツェニカ大魔術儀式以降に雨後の筍のごとく湧いてきた、新興怪人たちを配下に加えることにしたのだ。
差はあれど、とりあえず従ってくれた怪人たちには、仇敵が地下に潜んでいると称して水路の監視を行わせている。
オケアノシア不在の今、水路から出てくるのはバッドヘッドとオケアノシア、そして獏仮面を手に掛けた何者かであり、連続失踪事件の首謀者であるはずだ。
また、ここまで怪人たちを一度に動かしたのは初めてのため、衛兵隊も見張りの怪人を監視しているはずだ。
どこかの水路に動きがあれば、応援の怪人がそこに押し寄せ、衛兵隊も怪人の動きに反応するだろう。
そしてそこにパイロとソードブレイカーが押し掛ければ、バードマンも駆けつけるに違いない。
問題は怪人と衛兵隊によって起こるであろう現場の騒乱状態だ。少なくともバードマンには獏仮面の手記を渡しているため、パイロ達と共に地下の何者かを相手にしてくれるかもしれない。
「まあ、実際どうなるかは分からないけどね…」
待ちのどこからか狼煙が上がる、その時を待ちながら、パイロは呟いた。



その日、街の中心部にほど近い商工会の会議所には、幾人もの人がいた。
商工会幹部による、重大な会議が開かれるためだ。
会議所の近辺には衛兵が立ち、幹部たちの引き連れた私兵が雇い主の乗る馬車を警護していた。
やがて、石畳の上を微かに揺れながら、一台の馬車が滑り込むように会議所の車廻しに入ってきた。
やがて馬が足を遅め、馬車が止まり、御者が扉を開く。
すると、馬車の僅かな日陰の中から、一人の男がゆっくりと足を踏み出した。
「やあ、やっと着いた。いやあ諸君、久しぶりだねえ」
そう言いながら会議所の前に降り立ったのは、ダーツェニカ一の豪商、ロックシトートだった。
遅れて馬車の奥から、カバンを携えたワーバットのメイドが姿を現し、しずしずとロックにつき従って歩いていく。
「バーニー!元気だったかい?そっちのバーニーも風邪は治ったようだな!こっちのバーニーはどうだ?雇い主は給料を上げてくれたかい?」
適当にその場にいた、他の商工会幹部の私兵に、親しげにバーニーバーニーとロックは呼びかけた。
もちろんロックは彼らのことなど知らない。ロック流の冗談だ。
私兵たちもそのことは理解しているため、苦笑いで歩いていくロックを見送った。
やがて二人は会議所の扉をくぐり、廊下を進む。
会議所の内部を巡回している衛兵と数度すれ違うと、二人は会場である大会議室に入った。
「やあ、お待たせしました!」
陽気なロックの言葉に、十数対もの視線が向けられた。
既にテーブルについていたる幹部の商人と、彼らが執事と称して引き連れた凄腕の兵士の物だ。
「屋敷からここまで向かい風が強くて強くて、待たせてすみません」
遅刻したわけではないが、適当な言い訳めいた軽口をたたきつつ、ロックは空いていた席に腰を下ろした。
遅れてワーバットのメイドが彼の後ろに控えるように立つが、会議は始まらない。
それもそのはず、会議テーブルを埋めているのは片側だけだからだ。
商工会の幹部と同じ人数分の席が、まだ空いている。人間会の幹部の席だ。
「…遅いな…」
ふと、テーブルに着く商人の一人が口を開いた。
「そろそろ時間だというのに、人間会の連中はまだ来てないのか」
「約束の時間より前に集合するのが礼儀だろう」
「これだから、魔物の連中は…知恵をつけたところで根元は変わってないな」
一言を皮切りに、堰を切ったように魔物への不満めいた言葉が溢れだした。
ロックの後ろに立つバティに向けられたような言葉も混じっていたが、彼女は眉根一つ動かすことなく、言葉を受け流した。
「しかし…そろそろ時間だぞ?本当に来るのか?」
愚痴の中に、ふと不安げな言葉が混ざった。
「奴らの求めでこの場を用意してやったというのに」
「来なかったらとっとと帰るぞ」
気が大きくなっているのか、元からそう考えていたのかは分からないが、会議そのものを拒否するような声が上がり始める。
だが、会議室の扉が開くと同時に、声が止まった。
一同の目が扉に向けられると、入口に立つ魔物の姿が目に入った。
「おそろいのようだな。待たせてすまなかった」
先頭に立っていたアヌビスが、軽い詫びめいた言葉を紡ぐと、そのまま会議室に足を踏み入れた。
その後に、人間会の幹部であるラミアやサキュバスなど、数体の魔物が続く。
そして、めいめいが商工会幹部の向かいの席に腰を下ろした。
「今日はわざわざ集まってもらってすまないが、さっそく議題に入ろうと思う」
アヌビスが一息つく間もなく、口を開いた。
「今回の議題は、『ダーツェニカ連続失踪事件』についてだ。知っている者もいるかもしれないが、ついに先日、我々人間会の魔物が行方をくらました」
淡々と、アヌビスは事実のみを口にする。
「経済的にも、居住環境的にも、彼女が夜逃げする可能性は低い」
「だから私たち人間会としては、ダーツェニカで頻発しているという連続失踪事件の一環として、正式に捜査することにしましたの」
「そこで、商工会と衛兵隊に協力してほしい、というわけです」
サキュバスがアヌビスの言葉を引き継ぎ、ラミアが最後に付け加える。
「連続失踪事件…?」
「確かに傭兵が消えたとかいう話は聞くが、宿代が払えなくなって逃げたとか、そういうものではないのか?」
商人が口々に、連続失踪事件そのものへの疑念を露わにした。
だが、ただ一人彼女らの主張に首肯する者がいた。
「いや、失踪事件は実際に起こってますよ」
「なんだと、シトート」
ロック・シトートである。
「それは確かなのか?」
「ええ、衛兵隊の報告書を読みました。それに、行方不明になった者の中には、宿代を払ってもお釣りがくるほどの金品を部屋に残していた者もいたようですよ」
「やはりうわさは事実だったようだな」
アヌビスがロックの言葉に、小さく呟いた。
「しかし、傭兵の件は単に喧嘩に巻き込まれたとか、そんなくだらない理由かも」
「そうだ。この街で魔物に手を出すのは、大体が新参の犯罪者ばかりのはず…」
いくらかうろたえた様子で、否定の言葉を口にする幹部たちに、ロックは事実を口にすることにした。
「報告によれば、人間の失踪者は傭兵に留まらず、一般住民や商人にも及んでおり、この二年ほどで何の関連性も見られない二百人ほどが、突然行方をくらましているらしいです」
「そんなに!?」
「あいつらだ!怪人連中の仕業だ!」
「今度こそ連中を締めあげなければ!」
傭兵に限らないという言葉と、二百人という数字に、商工会の幹部は声を荒げた。
「確かに、一連の事件に怪人と呼ばれる犯罪者が関わっている可能性はある」
「しかし、怪人たちを放置したあなた方にも責任の一端があるのでは?」
アヌビスとサキュバスの言葉に、商人たちは一瞬詰まった。
「怪人どもの相手は、衛兵隊が…」
「衛兵隊は怪人の起こした事件の捜査や後始末ばかりで、怪人そのものを相手にしてるとは言い難いな」
「むしろあの…バードマンとか言う怪人が、怪人相手に孤軍奮闘しているというべきでしょうね」
「もっとも、この場所では商工会の怪人対策を非難するつもりはない」
アヌビスはテーブルの上で指を組むと、静かに続けた。
「単純に、我々人間会に衛兵隊の指揮権を一時的に渡してほしいだけなのだ」
「しかし、そんな…」
「ダーツェニカは発祥から中央教会や王都のの支配をうけず、商工会と衛兵隊で自治と自衛をしてきた!それを貴様ら魔物に、衛兵隊を渡すなどと…」
声を荒げる商人に、サキュバスは目を向けた。
「ですがその衛兵隊による自衛が出来ていないのは誰か、ということですわ」
「だからと言って衛兵隊の指揮を任せるわけにはいかない。我々の手で失踪事件は解決する」
「事態の把握も出来ていなかった諸君に、衛兵隊の直積指揮など出来るのか?」
「それより我々に任せて下されば、人間会のメンバーと並列して運用できますから、早期解決も望めますわよ」
「ならば諸君らが衛兵隊に協力する体制にすればよいではないか」
「それでは解決する前に衛兵隊と人間会のメンバー全員が失踪しそうですね」
挑発めいた言葉が交わされ、両者の雰囲気が険悪になっていく。
そして、両者の腹に秘めた怒りが高まったところで、ふとロックが口を開いた。
「あー、ちょっといいですか?」
「なんだ、シトート」
「商工会も人間会も、まあどちらの言い分ももっともに聞こえますが、皆さんの目的は一つでしょう。失踪事件の解決。そうではないのですか?」
テーブルを囲む面々を一人ずつ見ながら、彼は続けた。
「我々商工会としても、衛兵隊の指揮を他に渡したくないのは事実ですが、早期解決できるほど運用できないのもまた事実です」
「だから、指揮権を渡してほしい、というのが我々の要求だ」
「ですが、突然衛兵隊の前に現れて、『我々の言うことを聞け』と言って従うでしょうか?先ほどのように、ダーツェニカ発祥当時からの話を引き出して、命令を拒否するかもしれません」
「では、どうすればいいんだ?」
「簡単なことです。商工会と人間会の協力体制を組めばいいのです」
アヌビスの問いに、ロックは答えた。
「現在の状況は、商工会と人間会が別個独立に動いていたためでしょう。でしたら一時的に対策本部を設立し、商工会も人間会も情報を共有して衛兵隊や魔物を動かせばいいのです」
「しかし…」
「しかしもかかしもありません。把握しきっていなかったとはいえ、ダーツェニカの市民に被害が出ているのです。そして、魔物に被害が出ているのもまた事実。今こそ手を組むべきなのではないのでしょうか?」
ロックの言葉に、一同は黙した。
だが、内心では彼の言うことももっともだという思いもあった。
「…特に反対がないようでしたら、たった今、この場に対策本部を設立しましょう」
反対の声はなかった。




その日、ダーツェニカの方々の道や裏路地には、三種類の通行人がいた。怪人と衛兵といつもの通行人だ。
通行人は、街角に立つ衛兵に何が起こるのかと一種の不安を覚え、水路にほど近い路地裏に居座る異様な風態の人物に遠回りを選んだ。
そして、ダーツェニカ全体を包む緊張感に、ひそひそと言葉を交わした。
曰く、今日はダーツェニカのお偉いさんが会議をしているから、こんな厳戒態勢なんだ。
曰く、今日はその会議を狙って、怪人どもが何か騒ぎを起こそうとしているんだ。
曰く、今日は街に潜む魔物が決起集会をしているから、その捜査を衛兵と怪人が協力してやっているんだ。
曰く、今日は怪人とバードマンが連続失踪事件の犯人を捕えるんだ。
曰く、今日は連続失踪事件の犯人であるバードマンを衛兵隊が捕まえるんだ。
曰く、今日は怪人と魔物と衛兵隊の和解パーティがあるんだ。
そんな根も葉もないような、信憑性のありそうななさそうな噂が、街のあちこちで囁かれていた。
これが王都や聖都ならば、一笑に付されるような噂もあったが、誰もが心の奥底ではそんなことも起こりうると考えていた。
無理もない。奇抜な格好で騒ぎを起こす犯罪者が跋扈し、仮装男が夜空を舞って、衛兵と共に犯罪者を叩きのめして回っているのだ。
そんな異常な状況が、このダーツェニカではまかり通っていた。


その日その時、リェンは無事に会議が終わるよう祈っていた。
その日その時、ロックは連続失踪事件解決のため、会議所で商工会と人間会の幹部と共に情報を集めていた。
その日その時、ステアはセフと共に馬車に揺られながら、人間会の集会所に向かっていた。
その日その時、ソードブレイカーは人員の確認を終え、本部代わりの倉庫に急いでいた。
その日その時、パイロは部下の報告を倉庫で受けていた。
その日その時、圧倒的多数の市民と商人と傭兵は、二度とやってこないこの日を、いつものように過ごしていた。


そして、その日その時、ダーツェニカが揺れた。
町の一角で、ごく短い時間、小さな揺れが感じられたことは幾度もあった。
しかし、その日の揺れはいつもと違った。
町全体が、初めは小さく、やがて大きく、長い時間揺れたのだ。
積み上げられた商品が崩れたり、古い建物がいくつか倒れたりした。
だが、人々の目は足元に向けられ、全神経は揺れを感じ取っていた。
今までに起きた小さな揺れで、ごくごく少ない人数だけが思い至った感想に、全ての人々が辿りついていた。
足の下、石畳の裏、地面の中を、何かが這いまわっている。
そんな揺れを、ダーツェニカにいる者すべてが感じ取っていた。
やがて、揺れは徐々に小さくなり、ついには止まった。
動かなくなった地面に人々は胸を撫で下ろし、太陽の位置に実はあまり長い時間揺れていなかったことを悟り、顔を見合わせて笑った。
気味の悪い揺れだったが、それだけだ。いくらかの片づけをすれば、いつもの日常に戻れる。
その日、多くの者がそう考えていた。
だが、やがて人々は己の考えが誤っていたことを知ることになる。
その日、ダーツェニカに灯る旧時代の火は、燻りと化した。

12/04/14 22:46更新 / 十二屋月蝕
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