連載小説
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発疹と吐き気
 葬儀が終わってから数日後、学校に辿りついた真澄を待っていたのは、自分の机の上に置かれた花瓶だった。
 ご丁寧なことに白い百合の花までさされている。
 無言で花瓶を持ち上げると、付けられていたメッセージカードがはらりと落ちた。

『クソレズ ここで死す』

 黒のボールペンで書かれた文字に、ため息をつく真澄。
 周囲からはくすくすという笑い声と、何か噂する声。
 内容については、考えるまでもなかった。
 聞き耳を立てる必要もない、相手に聞かせるために彼女達はひそひそと大声で喋る。
 断片的に聞こえるのは「どの面下げて」「レズ」「死にぞこない」「死ねよ」そんな、いつも通りの悪口ばかり。
 もう既に慣れたことだ。今更何も変わることはない。

 百合子にあうずっと前から。彼女はクラスから疎外されていた。
 産まれた時から、彼女は見事に染めたような茶髪だった。
 小学校の時は男子から『不良』と言われ、教師からは『頭の悪い子』のレッテルを貼られた。
 中学校ではビッチのように扱われた。
 高校に入ってからは−−直接的ではなく、間接的なイジメが行われた。
 無視。陰口。一人ぼっち。
 学校には誰も彼女を助ける人間は居なかった。
 一度、黒く染めたこともあったが、既に一度流れた風説をとめることは出来ず、扱いは変わらないままだった。
 染めた部分がみっともなく剥げ、茶色の地が出た時点で、彼女は髪を染めることを諦めていた。
  
「……はぁ」

 シャープペンシルと数学の教科書を取り出しながら真澄は再びのため息をつく。
 始業のチャイムがなるのはほぼ同時。
 宿題はやっている。
 入院している間に予習も済ませておいた。
 教師にとやかく言われないためには、何はなくとも学業成績である。
 平均よりも、それなりに上。優秀だけれど成績上位者とは呼ばれないくらいが彼女の立ち居地だった。
 成績の悪い百合子に教えるようになってから、少しだけ成績が良くなったことを覚えている。

「分かってるでしょ−−私たちがどうしようもないくらい詰んでること」

 シャーペンを走らせる真澄の脳裏に、数日前の百合子の姿が浮かぶ。
 死の寸前まで、彼女は笑顔だった。
 真澄と話すようになってから、彼女も同じような目に遭ったと言うのに。
 彼女は、全く変わらなかった。
 悪い友人から離れるように教師から言われても。
 同級生から疎外されても。
百合子は変わらず、真澄に微笑んでいた。

 まるで、花のようだ。
 
 誰かにおもねる事もなく。
 ただ、凛と立つその姿は、彼女の名−−。百合の姿に似ていた。

 だから、兄貴は……

「……っ」

 至った思考を誤魔化すように、真澄は首を振る。
 −−それ以上考えたら、駄目だ。
 スカートのポケット越しに、袋を撫でる彼女は、小さく顔をしかめていた。




※ ※ ※



「……ただいま」

 誰も居ない部屋に帰宅する。
 博之と二人暮らしなので、帰宅部の学校通いである真澄の方が、基本的に早く帰って来る。
 靴を脱いで、明かりのついていない玄関を歩き、鞄を置く。
 いつも通りの日常だった。
 勉強をして、無視されて、スーパーが特売する味のしないパンで一人、昼食を取って。
 その一日は百合子が居ない事以外は、何一つとして変わることがなかった。
 少しは話の話題になったのかもしれないが、それはあくまでも噂として。
 雑談を彩る会話の一つとして消費されて、消えたのだろう。
 元々友達の居ない少女だったのだ。
 居なくなった所で、ほかの人間の日常が変わるはずもない。

「そっ、か……そう、だよね」

 衝動の赴くまま、ベッドに横になる。
 制服から、一日分の汗の香りがほんのりと滲む。
 手を懐に突っ込むと、あの時の種が入った袋に触れる。
 ざらりとしたナイロンの布。
 寝転がったままゆっくりと開くと、黒い種が再び眼に映る。
 これだけしか、彼女が生きた証がない。
 自分が死んだら−−、どうなるのだろうか。
 学校では誰も、見るものは居ない。きっと数日間喜んで、終わり。
 そんな風に考えたら、急に涙が出てきた。

「百合子……」

 ぎゅっと、真澄は種を握り締める。
 つややかな光沢を持ったそれは、何故か暖かく感じられた。


「……」

 ぼんやりとした思考の中で、彼女は考える。
 一体、何の種なのだろうか。
 真澄には見当もつかなかった。
 学校で育てたことのある、向日葵、朝顔くらいしかなじみがない彼女にとって、その種は未知の存在だった。

「百合の種……とか?」

 頭に浮かんだ言葉を、ぽつりと口にする。
 言葉に出してみるとそれはどこまでも、しっくりと来た。
 勿論、彼女は百合の種がどんなものかは知らない。
 実際には扁平で、茶色の小さな種なのだが。
 真澄にとって、それはもはや関係のない事であった。
 百合子が遺したのだから、百合の種。
 ある意味、彼女らしい。
 きっと、育て上げたら彼女のような美しい百合が咲くのだろう。

 ……そして、枯れるのだ。
  
 立ち枯れた百合の姿を想像して、彼女の背筋がぞくり、と泡だっていた。


※ ※ ※




「お、真澄。帰ってたのか……もう暗いんだし、電気位つけとけよ」
「……兄貴。お帰り」
「ああ、ただいま」
 
 博之が帰ってきたのは、一時間ほど経ったころだった。
 手には、いつもと違う小さな白いビニール袋を提げていた。

「制服、皺になるぞ」
「……ごめん」

 博之に言われるままに、真澄は種を袋にしまってから、ベッドから起き上がる。
 電燈をつけられると、暗がりに慣れた目に眩しかった。

「今日は、ケーキ買ってきたんだ……苺のタルト、前好きだって言ってたろ」
「うん、ありがと」

 彼が持っていたビニール袋の中から、地元のケーキ屋の箱が出てきた。
 中に入っていたのは、小さな苺のタルトが二つ。
 良く、百合子と食べていたものだった。

「お茶、要るか?」
「アタシは自分で淹れるから、大丈夫。……兄貴も飲む?」
「頼んだ」

 制服のまま、台所に立つ。
 紅茶を淹れるのは得意だ。とにかく熱く沸かして、乱暴にお湯を注げばいい。
 それだけで、茶葉の香りが立つのだ。  

「兄貴は、ミルクだけだよな」
「ああ、先にコップに注いどくから。真澄はストレートだっけ」
「そっちの方が目が冴える気がするんだよ」

 紅茶を淹れて、二人、小さな机を前に座る。
 ほんのりと、紅茶のいい香りが小さな部屋に満ちた。

「……食べるか」
「うん」

 小さく礼をしてから、タルトを口にする。
 生クリームで飾り付けられた、真っ赤な苺の酸味。
 タルトのサクサクとした食感。濃いバターの香り。
 甘い味わいが、舌の上に満ちる。

「真澄、美味いか」
「うん、やっぱりタルトが一番好き、だな」
「良かった。選んだ甲斐があったよ」

 どこかぎこちないまま、二人は言葉をかわす。
 脳裏に浮かんでいる人物は同じだった。

「なあ」
「百合子のこと?」
「ああ、そうだ」

 タルトを半分くらい胃に収めた頃だった。
 博之が重い口を開く。

「気にするな、とは俺には言えない。俺も、気にしたままだから」
「うん」
「忘れろ、とも言えない。俺より、真澄が忘れられないだろうから」
「……うん」
「けど、真澄。お前は生きてる」

 博之はそこで小さく言葉を切って、紅茶を口に含む。
 その眉には、深い皺が刻まれていた。

「こうして、美味しい物が食べられるのも。話が出来るのも、生きているからだ」
「道徳の先生、みたいだね」
「そう、かもしれないな」

 けど、と博之は小さく言葉を切った。
 彼の三白眼には、静かな光が灯っていた。

「俺は、お前に同じ道を歩いて欲しくないと。思ってる。もう二度と、好きな奴に、消えて欲しくないって」
「……兄貴」

 その言葉に、真澄はそれ以上の言葉を返す事が出来なかった。
 相変わらず、優しいな。
 自分の恋人が死んだから辛いだろうに。
 真澄は、懐の袋を握る。


(−−だから、百合子も。兄貴にほれたのかな)


(アタシと、同じくらい)



 その日の晩、種がどこかへ消えた。
17/10/09 20:39更新 / くらげ
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