連載小説
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高熱と高い感染性


 夢をみた。
 夢だと分かる夢。
 明晰夢であった。

「へえ、きれいな髪」

 夕闇に染まる教室。
 たまたま居残りで図書室にいた真澄に、声をかける少女がいた。
 美しい黒髪の少女だった。
 紅い太陽のきらめきを帯びて、漆黒の髪が輝く。

「……そう」

 興味ない、とばかりに返すと少女は苦笑する。
 静かな教室に、小さな彼女の呼吸音とページをめくる音がやけに大きく聞こえた。

「きれいな茶色。染めようと思っても、そう綺麗には染まらないんじゃないかな」
「染めてない」
「知ってるわ」

 くすくすという、鈴を転がすような笑い声に、思わず顔をあげる。
 目の前で、笑う少女は−−なんとなく、美しく見えた。

「やっと、こっちを向いてくれたね」

 それは、百合子との出会いの思い出だった。
 もう古びたはずの、遠い記憶。
  
「ねえ、友達になろう?」
「唐突ね」
「ふふ、そうかも」  

 でもね、と彼女は囁く。
 静かなのに、ぞっとするほど通る声で。

「私は、失敗作なんだよ、お母さんの期待に添えなかったの」
「……え?」
「だからね、きっと。貴女と友達になれると思う」
「どういう、ことなの」

 震える声。
 夢の中だというのに、冷や汗が止まらない。
 あの時と、同じ会話をしていたはずなのに。
 何かが、決定的に違う。
 その答えは。
 違和感の、正体は。

「私も、貴女もね−−『人として生きる才能』がないんだから」

 彼女の、緑色の−−肌だった。
 花のような甘い香りが、夢だと言うのにやけにリアルに鼻腔をくすぐる。
 ぞくり。
 本能的な恐怖が身体を支配する。

 逃げなきゃ。逃げなきゃ。逃げなきゃ。

 百合子が、手を伸ばしてくる。
 理性が警鐘を鳴らす。
 本能が逃走を促す。
 ここで、逃げなければ−−何かが、おかしくなる。

 けれど。真澄は逃げられなかった。
 逃げるわけには、いかないのだ。
 二人で死ねなかったのだから。彼女を裏切ったのだから。
 真澄はぎゅっと目を瞑った。
 こわばった頬に柔らかいものが触れる。ささやき声が、耳の中に広がっていく。

「ずっと、一緒。なりそこないの、私達はずっと−−」

 胸元に感じる、彼女の暖かさ。
 何かが、入ってくる感覚。
 ぐじゅり、ぐじゅりと肉がかき回されるような、音。

 夢は、そこで終わりだった。 



※ ※ ※



「……ふう」

 いつもと同じ、朝の学校。
 真澄は小さくため息をつく。
 百合子が死んでから、種がなくなってから、既に数ヶ月の時が過ぎていた。
 数日間こそ血眼になって探したが、いつしかそれもしなくなっていた。
 ありていに言えば、彼女の居ない日常に慣れてしまったのだ。

「おい、安藤」
「はい、先生」
「髪染めるの、やめたんだな。そっちの方が似合ってるぞ」

 いつもと同じでないことも、いくつかある。
 生活指導の教師に、会釈で答える。
 彼女の茶色の髪は、見事な黒に染まっていた。
 鴉のような、濡れるような漆黒。
 ややクセのあった髪質は、流れるようなさらりとした艶やかさを帯びていた。
 それは−−かつての百合子のような髪だった。

「あのレズ、どうしたのかしらね」
「さあ、死んだ子の真似してるんじゃない?真の愛ーみたいな?」
「うわ、キモっ。早く死ねばいいのに」

 学友の態度は、相変わらず変わらない。
 話しかけることも、話しかけられることもない。
 ただ、大声でひそひそ話をされるだけの関係。
 時折花瓶を置かれたり、たまに物を投げられたり。

「さて、次は数学かな」

 けれど、全く気になることがない。
 以前だったら気にしてない振りをしていただけだというのに。
 一人でも、全く問題を感じなくなった。

「……」

 シャーペンを持っていないほうの手で小さく胸元を撫でると暖かさが身体の中に満ちる。
 もう一つ心臓があるかのような、とくん、とくんとした鼓動。
 それを感じるだけで、何故か心が落ち着くようになった。 

「今日は兄貴も居るし、早く帰ろうかな」

 小さく呟いた声を聴くものは、誰も居ない。
 彼女の頬は、恋をする乙女のように赤く染まっていた。



※ ※ ※


 
「おかえり、兄貴」
「ああ、ただいま」

 会社から帰ってきた博之を迎えたのは、エプロンを着た真澄だった。
 その手には調理の途中なのか、おたまが握られていた。

「そろそろご飯できるから、着替えてきなよ」
「……ああ、そうする」

 にっこりと笑いながら、台所に戻る真澄を確認して博之は小さくため息をつく。
 彼女が夕食を作るようになったのは、百合子が死んでからの事。
 それまで料理は博之の仕事だった。
 ……もしくは。よく遊びに来る百合子が作る事もあった。
 彼女の得意料理は、ロールキャベツだった。
 真っ赤なスープの上に浮かぶ、楊枝で止められたひき肉入りのキャベツの味わいは、今でも思い出すことができる。

「……」

 何度か首を振って、博之は着替え始める。
 彼女は死んだのだ。
 想う事はあっても、引きずってしまったら死者に悪いだろう。

「兄貴、皿並べてもらっていい?」
「分かった」
 
 リビングに居る真澄から、白いスープ皿を受け取る。
 彼女の後ろでは鍋がことことと音を立てていた。ふわりと香るトマトと胡椒の香り。

「今日は、ロールキャベツにしてみたんだ」

 ほどなくてして、テーブルの中央に置かれたのは、ロールキャベツの鍋。
 ミトンを身に着けた真澄が微笑む。
 以前とは違う黒髪のせいで、誰かと勘違いしてしまうほどの、透き通った笑みだった。

「百合子……?」
「ん?どうしたの?兄貴」

 ぽつり、とつぶやいた一言は誰にも聞かれることはなかった。


 −−その日食べたロールキャベツは、絶品だった。
17/04/29 00:00更新 / くらげ
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