連載小説
[TOP][目次]
褐色愛好会
九月上旬、秋というにはまだ早すぎる日。
人気の無い大学の構内ではセミの声だけが響いている。
太陽は数週間後にやってくるであろう秋の前の最後の抵抗なのか、大地にさんさんと陽をふりそそぎ、建物の足元にまっ黒な影を創り出していた。
そんな折、男がひとり中庭を通り過ぎ、ひとつの建物へと入っていった。

電灯の点いていない廊下は薄暗く、ひんやりとした空気がただよっていた。
外の焼き尽くすような熱気もこの建物の中までは入り込めないらしい。
人の気配のしない建物の中は静かでがらんとしていて、男の歩く音だけが響いている。

やがて男は扉の前で立ち止まった。
扉には張り紙がしてあり、なにやら長々しい文章が呪文のように書かれている。
男はふところから小さな鍵を取り出すと、馴れた手つきで静かに鍵を回し扉を開けた。
その瞬間部屋の中から溢れた空気が男の体を包み、男はそれに導かれるように扉の中へと入っていった。

扉が閉まったあとの廊下には、まるで何もなかったかのように静寂が戻った。
ただ先ほど漏れ出た空気の残滓か、あるいは扉を閉めた際に生じた風のせいなのだろうか、
扉の張り紙がふわりと音も無く揺れた。

張り紙には長々しい文章のあとに、一際大きな文字でこう書かれていた。












『よろしい、ならば褐色だ』
と。

 * * *

「あっつ! くそう、まるで蒸し風呂じゃないか!」

昨日帰るときにうっかりカーテンを開けたままにしていたらしい。部室のなかはサウナのような有様だった。急いで窓を全開にし、薄手のカーテンで直射日光をさえぎる。そしてさっき入ってきた扉も全開にして空気の通り道を確保した。

「ぐああ! これはまずい、非常にまずい温度だ!」

アツイゼーアツクテシヌゼー。
卒倒しそうな熱さの中、テンションを高めてなんとか意識をたもつ。
俺はよろよろとした足取りで廊下に出て、カバンに入れてきたペットボトルに口をつけた。

部屋に充満した熱気は廊下の冷たい空気を求めて、開け放たれた扉から噴き出していく。
部屋に入った一分にも満たない間に、体は玉のような汗をかいていた。
ペットボトルの中身を半分ほど飲んだところで、ふう、と一息つく。
暗く静かな廊下には、その小さな息でもよく響いた。

10分ほどたち、部屋の空気と廊下の空気がほどよく馴染んだのを感じ、部屋の中へと戻る。
部屋はひと昔前の病院を思わせる、殺風景な小部屋だった。
扉の反対側ではさっき開けた窓から吹く風でゆらゆらとカーテンが揺れており、
左右の壁に挟まれた部屋はさほど広くはなかったが、家具はテーブルが一脚あるのみで、不思議と圧迫感は感じなかった。

来るときに買って来た雑誌を袋から出してテーブルの上に置く。
『K−GIRL』と書かれた雑誌の表紙には、砂浜をバックにバレーボールを持って笑うサラマンダーの写真が大きく載っていた。

そう、ここは私立MA大学の中にあるサークル棟、『褐色愛好会』の部室なのであった。

 * * *

一息つくと彼は日課を開始した。

「つぼ先輩、今日もキレイですね」
そう言って彼は壁際に置かれた壺をのぞきこんだ。
その壺は彼が入学した時からこの部屋にあり、数年前の卒業生が置いていったものだと聞いていた。
壺の中には何も入っておらず、茶色い底が見えていた。

「つぼ子、白い肌がまぶしいね」
そう言って彼は壁際に置かれた壺をのぞきこんだ。
その壺は彼が一昨年、初めてのバイト代で買った壺だった。
壺の中には何も入っておらず、白い底が見えていた。

「つぼ恵、今日の空は君の瞳のように真っ青だよ」
そう言って彼は壁際に置かれた壺をのぞきこんだ。
その壺は仲の良かった先輩が、卒業の時に餞別としてプレゼントしてくれたものだった。
壺の中には何も入っておらず、青磁の底が見えていた。

「つぼ美、今日はすごく暑くてね。君を焼いた日のことを思い出したよ」
そう言って彼は壁際に置かれた壺をのぞきこんだ。
その壺は彼が二年生の時、考古学部の友人と共に作った縄文式の土器だった。
壺の中には何も入っておらず、赤茶色の底が見えていた。

「久辺さん、ふふっ、いい音色だね」
そう言って彼は壁際に置かれた壺をやさしくはじいた。
その壺は彼が骨董市で買って来たもので、これを見た友人は「クベさんの壺みたいだ」とコメントした。
壺の口は非常に狭く、底まで見ることは出来なかったが、がらんどうの暗闇だけがそこにあった。





数分後、壁際にずらりと並んだ壺をのぞき終わった彼は、ふう、と息をはく。

「今日も成果はなし、か」
自嘲するように笑う彼の顔には、うっすらと諦観がにじみ出ていた。

「皆は今頃うまくやってるのかな・・・」

いつもはにぎやかで狭く感じた部室も、彼一人にはがらんとして広く、殺風景に感じた。

 * * *

プルルルル

買って来た雑誌を読むともなしに開いていると、テーブルに置いた携帯に電話がかかって来た。
ディスプレイに表示された名前を見て、「おや」と頬が緩むのを感じた。

ピッ

「よお久しぶり、もうこっちに帰ってきたのか?」
『久しぶり。ああ、今空港着いたとこ』
「おつかれ、どうだった?ダテリアは。サラマンダーとは会えた?」

電話の相手はこの大学の友人で同好の士、すなわちサークルの仲間でもあった。
その彼、スズキは大学の夏季休暇を利用して、サラマンダーが多く住むというダテリアの火山地帯へ旅行へ行ったのだった。

『ああ、会えたよ』
スズキの静かな言葉に少なからぬ衝撃を覚えたが、それを飲み込み、
「え、おお、マジで? じゃもしかして今一緒!?」
努めて明るい声で呼びかける。

『いや、会えた事は会えたけど・・・ダメだった』
「えっ・・・ああ、そうか・・・」
『修行が足りなかったよ。全然、勝負にもならなかった』
「そっか」

明るい口調ながら、どこか湿った雰囲気をまとった友人の声。
友人の声にトーンを合わせながらも、自分の声に喜色が混じってはいないかと不安になる。

『最後は背中から体当たりされて“10年早いんだよ!”って言われたよ』
「そうか・・・なんか10年以上前に聞いたような台詞だな。あ、今月のK−GIRLの表紙サラマンダーだぞ。腹筋がすげえ」
『へえ・・・じゃあ明日一度顔出すからその時見せてくれ。土産もあるし』
「おお、そんじゃあ先来て鍵開けとくわ。・・・あれ、そういえば」

俺はスズキと話しながら、もう一人の友人の事を思い出していた。

「そういえばカトウは一緒じゃないの? 出発は一緒だったよな」
『ああ、カトウは途中の空港で別れてゲルマニアに行ったよ。なんでもゲルマニアの森には亜人種のコロニーが多いんだと』
「へー。今頃ダークエルフのお姉さまとよろしくやってんのかね。ケッ」
『さあな。間違えてアマゾネスの村に入り込んでたりしてな』
「ププ、ありえる。でもいいじゃん、アマゾネスなら。まず褐色だし、奴隷も主夫も似たようなもんだろ。褐色だし」
『ハハッそれもそうだな、褐色だし。・・・何もなければ今週中に帰るとは言ってたな。ああそうだ、ペジプト組とは連絡とってるか?』

ペジプト組・・・これまた同様に褐色娘をこよなく愛するサークルの後輩たち。
彼らもまた夏季休暇を利用して、褐色娘のメッカとされるペジプトへの団体ツアーに先週出発していった。

「おととい絵葉書が来たよ。向こうへ着いた日に書いたらしいけど、“右も左も褐色娘です!ここはKむす(褐色娘)の宝石箱や〜”ってえらいテンション高い文面だった。確か、ツアーの予定では来週帰ってくるはずだよ。何もなければ」
『何もなければな・・・それで、そっちはどうだ?』
「そっち?」
『あーその、つぼまじんは、さ』
「ああ、いつも通り成果なしだよ」
『そうか、いや、すまん変なこと聞いて』
「・・・別に気にしてねえよ、前からだし。そっちではどう? 街でつぼまじん見かけたりした?」
『いや、ダテリアでも全然。見かけたらお前のこと紹介しようかと思ったんだがな。春にはまたあのサラマンダーに挑むつもりだし、その時また探してみるよ』
「ハハッその意気その意気。しかしエウロパ方面にもいないか〜、まあペジプト組にも頼んであるし。ともかくお土産楽しみにしてるぜ」
『ああ、それじゃまた明日な』
「おう」

ピッ

「・・・スズキはサラマンダーと会えたのか」

パイプ椅子の薄い背もたれに上半身をもたれかけ、呟いた。
電話では必死に押し隠した、嫉妬と羨望が声に混じる。
背もたれの安っぽいビニールが汗で濡れたシャツに触れ、不快さを伝えてくる。

「一・二年生も今頃はペジプトでアヌビスやスフィンクス達と仲良くやってるだろうし、カトウだって、たった一人でゲルマニアの森に入ってダークエルフを探してる・・・」

焦点の合わない目で室内を見渡す。
ぬるい風の吹き込む窓、
灰色のカーテン、
白い壁、
飾り気のないテーブル、
錆の浮いたパイプ椅子、
そして、壁際にズラリと並んだ壺。

入学以来、何度ものぞきこんだ壺の、無機質な肌。

「・・・俺、なにやってるんだろうな──」

一瞬、ぼやけた視界で、壁の壺たちが嗤っているような気がした。


 * * *


一番近い壺を掴み、壁へ投げつける。

壁一面にまるで花が咲くように砕け、その花びらは一瞬で散って床に乾いた音を立てた。

足元の壺を思いきり蹴とばす。

ふたつの壺がまとめて割れ、飛んだ破片が他の壺に当たって転がした。

転がった壺を踏みつける。

スイカを棒で叩いたように大きく二つに割れ、その破片を何度も何度も踏んで粉々に砕く。

ひとまわり大きな壺を持ち上げ、隅の壺めがけて投げる。

赤茶と青の破片が混ざり合う。

―二年半―

壺を投げる。

―入学してから今まで、毎日―

壺を蹴る。

―毎日、毎日、ずっと壺を覗いてきた―

壺を殴る。破片が拳を傷つける。

―誰か教えてくれ、つぼまじんはどこにいる?―

霞む目を閉じ、額を思いきり壺に打ちつける。

―どこにいる? どこにいる? どこにいる?―

最後の壺が床に叩きつけられ、破片が噴水のように舞った。
ひとしきり暴れた後、彼は破片の散らばる床に跪いて叫ぶ。

―つぼまじんなんていない!―

―つぼまじんなんていない!―

―つぼまじんなんていない!―


 * * *


「つぼまじんなんていない!」

自分の声にビクリとして目を覚ます。

心臓がドッドッドッと早鐘を打ち、呼吸は荒く、体はじっとりと汗をかいていた。
周りを見渡すと、汗で濡れたテーブル、握り締めてくしゃくしゃになった雑誌、かすかに揺れるカーテン、茜色の光を部屋中に差し入れる窓、そして壁際に整然と並んだ壺が、目に映った。

ひどく喉が渇いているのに気づき、ペットボトルの中身を飲み干す。
日はだいぶ傾き、電灯を点けていない部屋のなかは薄暗がりがその勢力を増していた。

一番近くの壺を手に取り、

「つぼまじんなんていない」

そう呟いて、夕陽に赤く染まった壺をそっとなでた。

ふと並んだ壺の影に、小さなキーホルダーが落ちているのに気がついた。
それは去年の夏、愛好会の皆で行った海水浴場で、誰かが買って来たプラスチック製のちゃちな蛸壺型キーホルダーだった。

「去年の海は楽しかったな」

キーホルダーを持ち上げ、ぶらぶらと揺すってみた。

「海なら日焼けした女の子がたくさんいるかと思ったけど、魔物って本人が望まないと日焼けしないんだよな・・・」
キーホルダーを弄びながら、色白女子だらけの海岸でがっくりとうなだれた自分達の姿を思い浮かべて、自然と笑みがこぼれた。

「壺春(コハル)、俺はもう羨まないぜ」
俺はその安っぽいデザインのキーホルダーに名前をつけた。

「二度とあんな夢を見ないためにも、つぼまじんを探す。徹底的にな」

 * * *

「とりあえず図書館に行って『魔界の歩き方』のペジプトにタルク、あとエンド版を借りて来なきゃ」

彼はそそくさと荷物をまとめ、窓とカーテンを閉めた。
いま、彼の胸の内には、次の休みで行く候補地が渦を巻いていた。
そしてキーホルダーを鞄につけると、足早に扉から出て行った。




扉が閉まったあとの部屋には、まるで何もなかったかのように静寂が戻った。
ただ扉を閉めた際に生じた風のせいか、あるいは陽射しが消え急に下がった温度のせいなのだろうか、

静まり返った部屋で、ゴトリと音がした。
16/12/18 00:13更新 / なげっぱなしヘルマン
戻る 次へ

■作者メッセージ
大抵のゲームでは壺の魔物って固定エンカウントじゃないですか。
ということは、図鑑世界におけるつぼまじんのエンカウント率って実はすごく低いんじゃなかろうか。
つまりほら、被害報告が少ないのもそのせいというわけで・・・

この後のことはお好きにご想像ください。想像できなかった人は以下から選んでください。
1.キーホルダーから出ようとして、出口が小さすぎたため引っかかったつぼまじん。
2.翌日扉を開けると、壁際にずらりと並んだつぼまじんが一斉に彼を見た。コワイ!
3.つぼまじんなんていない。現実は非情である。
4.上記以外。

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33