読切小説
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捨てゾンビちゃんを拾ったら
 日が暮れかけた帰り道、人通りの少ない閑静な住宅街、アスファルトの道路の上。
 ”ひろってください”と書かれた段ボールの中。
 普通なら入っているのは子猫か子犬と相場が決まっているものだ。だが――

「……ぅ゛ー、ぁ゛ー」

 そこに入っているのは血色の悪い白髪の女の子。
 大きな子供のようにも見えるし、幼い大人のようにも見える。
 胸は小さく、少し痩せているほうだろうか。
 纏った布きれは方々が破けていて、血の気の失せた肌を覗かせている。
 包帯が巻かれているのでそこまでグロテスクなことにはなっていないが、その姿は痛ましい。

「ゾンビ……」

 『ゾンビ』というのは、以前は架空の存在である動く死体の事を指していたが、今では魔物娘の一つの事を指すようになった。
 魔物娘という存在が認知されてまだ一年ほどだが、彼等の出現は次第に僕らの常識と倫理観を覆していっている。
 僕は彼女の事が気になり、目前で立ち止まった。
  
「どうしてこんな所に……」
「うあ゛ー……?」

 ゾンビ少女は体育座りのまま、段ボール箱の中で呻く。
 そして僕の顔を見るなり、

「あ゛……!あ゛ぁー! うああ゛ー!」

 さっきとは打って変わって、大きな声で騒ぎ出す。
 人間を見つけたことで反応しているのだろうけど、その言葉は意味を成さない。もちろん、彼女の言いたいことなど僕に分かる訳もない。

「う゛ー! うーぅう゛ー!」

 ゾンビの思考は単純で、人間を見かけたら襲ってくるはずだが、少女は大きく呻いてじたばたしているだけだ。
 しかしよく見てみると、手足を縄のようなものでぐるぐると縛られているようだ。
 魔物娘にしては非力なゾンビの事、これでは動けるはずもない。

「あ゛ぁー! んう゛ー!」

 だが、自分で自分を縛るようなことがゾンビにあるはずもない。 
 段ボール箱に貼ってある「ひろってください」という文字も、他の誰かが書いたのだろう。

「一体誰がこんなことを?」
「うう? う゛ぅー……!」
  
 彼女に聞いても、答えはもちろん返ってこない。 
 
「身分証明できるものも……持ってなさそうだし」
「あ゛ー……」

 必然的に誰かに管理されやすいゾンビ達は、ドッグタグや首輪のようなものを付けている場合もあるが、彼女にはない。
 この子は野良ゾンビか、はたまたゾンビになったばかりの新米か。
 どちらにせよ……警察を呼ぶべきだろうか。

「ちょっと待ってて……今から、警察、を……ん?」
「……う゛……ぁ……」

 様子がおかしくなったのに気づき、ふとゾンビ少女の顔を見る。 
 彼女の両目から、涙が零れていた。

「涙……?」
「あ゛ぁ……あー……」

 確かに、この少女は泣いている。
 僕は驚いて、警察に電話するのも忘れていた。

「ゾンビでも、こんなに感情を表現することができるのか……」

 生ける屍の彼らに、そんなことができるとは思ってもいなかった。
 そして――なぜ彼女は泣いたのだろう?

「……」

 僕がどうしてそう思ったかははっきりと分からない。
 しかし、気が付いたら僕は彼女を連れて帰る決心をしていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――― 



 僕は自分のアパートに一度戻ると、車に乗ってゾンビ少女のいる所まで向かう。
 そして縛られたままの彼女をそのまま持ち帰り、家へ連れ帰った。
 まるで誘拐だが、誰のものでもないゾンビだ、きっと問題はない。
 彼女は僕を見つけるたびに大げさに反応し、何度も呻き声を上げた。

「う゛ー! あ゛ー!」
「さて……ここでなら、縄を外しても大丈夫だろう」

 僕は少女の両手両足に絡まった縄を解いていく。何のことはない、単純な縛り方だ。
 ただ、解く最中にも彼女が僕に触れようとしてくるため、そこそこ難儀した。

「うう゛ー? うー……」

 すべて縄が解けると、少女は確かめるように両手両足を動かす。
 自由になったことがわかると、床に座った僕の方へと這いよってきた。

「あぅ゛〜」

 僕の胸にすりすりと頭を擦りつけてくる。セミロングの白髪が揺れて少しくすぐったい。
 その頭を優しく撫でてやると、気持ちいいのか満足そうに呻いた。
 彼女から腐敗臭や死臭はしないが、嗅いだことのない不思議な匂いが漂っている。

「う゛ー♪ むぐ……むぐ……」

 擦り付けが終わると、今度は僕の首筋や肩を噛んでくる。
 しかしゾンビ少女ゆえにか歯は残っておらず、甘噛みにしかならない。
 くすぐったいことこの上ないが、彼女を制することはしなかった。

「う゛? あ゛……♪」
「!」

 満足し終えたところで、少女は僕の頭を持ち、少し強引に引き寄せてキスをしてくる。
 その唇は満足に血が通っていないため色が薄く、ひやっとしていた。
 口内へ舌を挿し込むと、彼女も冷たい舌を強く絡ませてきた。しかし唾液は少なく乾いていて、僕がよだれを与えているような感じになる。
 ぬちゅ、くちゅっという水音とともに、熱い口づけは続いた。

「んぅ゛……あ゛ぁー……」

 くちゅくちゅと舌を絡ませるたび、少女の表情が緩む。
 息が苦しくなったところで口を離すと、名残惜しそうに呻いた。

「う゛ぁ……い、いい……?」

 今度は彼女の手が僕の下半身に伸び、服を引っ張って脱がそうとしてくる。
 ゾンビ少女は、精を求めているのだ。
 そう、彼女は魔物娘、精の匂いには抗えない。

「こんな歯じゃ、まともな食事は取れなさそうだし……。
 このまま……っていうわけにも、いかないよな」

 僕は罪悪感を抱きながらも、自分からズボンを脱ぐ。既に勃起したペニスは大きく上を向いていた。

「んあー……んむっ、むぐぅ」

 彼女は一息で、ペニスを口一杯に頬張った。人間とは違って中はひんやりしている。
 むぐむぐと口内がうごめく。さっきのキスで口の中が潤っているせいか、滑りもいい。
 噛む力は弱々しく、ほとんど歯もないために、すべての動きが愛撫に繋がっている。
 歯のない口でかぷかぷと甘噛みされる快感は、人間ではまず味わえない気持ちよさだろう。

「あうっ、あむあむ……んぐっ」

 熱心に、丹念にペニスを口淫され、あっという間に精液が昇ってくる。
 感触が柔らかいせいか、次は亀頭全体を甘噛みしてきた。
 さらに舌がぬめって不規則に這いずりまわり、甘い刺激を与えてくる。

「うあ゛……♪」

 トドメと言わんばかりに、ずっぽりと根元まで咥えこまれ、ちゅうちゅうと力強く吸われる。それもずっとだ。
 長い間息をしなくても問題がないため、口を離す必要がないからである。
 そして僕が果てるまで、バキュームフェラは続いた。

「く、口の中に、出すよ……っ」
「あぐ゛っ?! んぐっ、んぐっ、……う゛ぁー」

 精液を喉奥に吸われていく感覚。
 長い射精を終えると、少女もペニスから口を離してくれた。
 ちゅぽん、と音を立てて肉棒が口から引き抜かれる。

「あ゛ー……ぅ……」

 満足したのか、それとも疲れたのか、少女は 僕の太ももに頭を置き、背中を丸めて床に寝転ぶ。
 目を閉じてそのまま動かなくなる。……寝てしまったのだろう。
 すやすやと眠る端正な顔を見ていると起こすのも忍びなく、僕はそのまましばらく動けなかった。
 それから寝るときはいつもひっついてきたので、夜も添い寝を余儀なくされた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


 ゾンビ少女を拾ってきてから三日。
 大学生の僕は、学校に行きながら彼女の面倒を見ている。
 僕は毎日精を与えるのとともに、彼女に教育を施してみることにした。
 まずは文字を教え直すところからだ。

「これは『あ』だよ、『あ』」
「あ゛ー……」
「『い』」
「ぃ゛ー……」
「『う』」
「う゛ー……」
「『え』」
「ぇ……?」
「『お』」
「お゛ぉー」
「よし、じゃあ次は『か』だ」
「あ゛ー」
「あー、じゃなくて、『か』」
「ぁ……? ……??」

 首をかしげる少女。

「あ、そうか。声の出し方が分からないのか」

 まだほとんどの文字が発音できないようなので、五十音のひらがなを一枚ずつ書いた小さなプレートを、それぞれ用意する。

「これを使って……よし、『か』はどれか分かるかな?」
「ぁ゛ー」

 当然伝わるはずもなく、少女はまったく違うプレートを手に取る。 

「まあ、そりゃそうか。それは『ゆ』だよ、『ゆ』」
「あ゛ぅ―、ぁえ、あまえ、」
「『ゆ』」
「う゛ー」

 何かを呻きながら、少女はまた違う文字のプレートを選んだ。
 そして、それを床に置く。 
 何回か繰り返してから、少女は僕の方を見た。

「あ゛ー、う゛あー、なあえー」
「うーん」

 やはりまだ文字を覚えるには早すぎただろうか。
 そう思いながら床に散らばったプレートを拾おうとすると、違和感に気付く。
 これは本当に何も分からず選んだ文字なのか?

「う゛ー……」

 床の文字を見ながら少女は唸っている。散らばっているものではなく、彼女が選んだ文字をだ。
 少女は何度かその位置を並べ替える。
 不思議に思った僕は立ち上がり、彼女と同じ位置から、並んだ文字を見た。
 少女は口を開けた嬉しそうな表情で、僕と文字とを見比べる。

「う゛あ! ううあー!」

 床に並んでいたのは、確かに僕の名前の文字列だった。 



―――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ゾンビ少女は驚くべき速さで学習していた。
 発音はまだ不明瞭のままだが、僕が言った事を理解するような素振りを見せた。
 『待って』と言えば待つし、『座って』と言えば座る。
 言葉を使った情報の送信は出来ないが、受信はしているのだ。

 だが――それを踏まえても、ある疑問は解決できない。
 どうして僕の名前を知っていたのか。
 彼女の前で、僕は一度も自分の名前を言ったことがない。名前に関わる情報を見せた事すらない。
 それなのに、なぜ。
 その答えを知るために、僕は彼女の過去について知らなければならなかった。

 手がかりはほとんどないが、とりあえず僕は彼女の捨てられていた道へ向かうことを決めた。



 夕方になって現場に来てみたが、特に何の変哲もない道だ。
 ちなみに”ひろってください”の段ボール箱はそのまま放置されている。
 あの時も思ったが、この段ボールを用意し、彼女を縛った誰かがいるはずだ。
 推測するのなら、彼女を遺棄しようとした何者かだろうが――

「あのぉ〜」

 後ろから声が掛けられる。女の子の声だ。
 振り向くと、そこには見るからに幼い三人の魔物娘が立っていた。
 みんなランドセルを持っているから、登下校中の小学生だろう。
 この子たちは容姿から察するに……『アリス』もしくは『サキュバス』に、『デビル』もしくは『デーモン』、『稲荷』だ。幼いせいで判断はしにくいが。

「ちょっとお尋ねしたいんですけどー」
 
 僕に声を掛けたのはアリスかサキュバス……金髪のロングへアーから見るにアリスの子だ。

「君たちは……アリスに、それとデーモンと、稲荷の子かな?」
「はーい、そうでーす」
「まっ!違うよ、アタシはデビル! ほら、ツノがないでしょ!」
「あ、ごめん」
「私は、仰る通り稲荷でございます」

 三者三様と揃った女の子の、アリスが口を開いた。 

「この辺りに……いえ、そこの箱にいた子のこと、知りませんかー?」 
「えっ?!」
「ひゃっ」
 
 僕が大きな声を出してしまったせいで、三人が少しびっくりしたような表情を見せる。

「あ……ごめん。
 それより君たちは、もしかしてあの子のことを知ってるのか?」
「うーんと〜……」

 アリスの子はぽりぽりと頬を掻いている。
 そこで、青肌の女の子、デビルの子が口を開いた。

「あ、アタシが考えたんです。あの女の子が素敵な人に拾われるようにって」
「考えたって、まさか?」
「はい……アタシ達が、あのゾンビの子を箱の中に置きました」

 何てことだ。まさかこれをやったのが魔物娘の女の子達だったとは、予想外だった。
 驚く僕に、今度は大きな尻尾を垂れ下げた稲荷の子が話し出す。

「私達、学校の帰りに三人一緒であの女性を見つけたのです。
 よろよろと歩く姿を見て、この女性は精に飢えているのだと分かりました。
 出来るのなら、同じ魔物である彼女を助けてあげたいと思いました。
 しかしこのままにしておいては、見境なく男性が襲われてしまうかもしれません」
「精の代わりになるごはんも持ってなかったしね〜」
「それで……アタシが言ったの、とりあえず人を襲ったりしないように縛ってから、段ボール箱の中に入れておいて、拾ってもらえるようにメッセージも付けておこう、って」
「丁度緊縛プレイの授業の後でしたから、私達縄は持っていました」

 さらっと凄い事を言った気がするが、突っ込む間もなく会話は過ぎていく。

「でもー、あの子すごく抵抗したよね。ワタシたち三人がかりでやっとだったもん」
「まあ……自分からは相手を探しに行けなくなるから、無理もありません」
「そうだよねー……縛っちゃうのはやり過ぎだったかなーって、アタシも思ってたけど」
「なるほど……」

 誰があの子をここに置いたのかは謎が解けた。

「先に言っておくと、あのゾンビの子は僕が連れて帰ったんだ」
「えっ?」
「そ、そうなの?」
「まあ……お優しい方なのですね」

 三人が一斉に僕を見つめる。
 奇妙なものを見つめるような、他人に先を越されてもどかしいような、なんだかよく分からない感情の視線が入り混じっている。
 まあ、ゾンビを拾うということはそういうものだが。

「それで、僕は彼女がどこから来たのかを調べている。
 君たちには、何か心当たりがない?」
「えぇー? うーん」
「心当たり……」
「そうですね……」

 一番最初に口を開いたのは稲荷の子だった。

「私達も下校中にたまたま見つけただけなので、どこから来たかまでは……」
「そうか……」
「ただ……これは、あくまで私の推測なのですけれど……。
 彷徨っている、というよりは、何かを探していたように見えました」
「探していた?」
「ええ。普通のゾンビなら、人がたくさんいる所へ行きたがります。
 しかし、あの人はそういう動きをしているようには見えませんでした」
「でもさー、ゾンビちゃんが何を探すの?」
「飢えたゾンビが探すっていたら……ごはんかオトコしか思いつかないんだけど」
「恐らくはそうでしょうね」
「……」

 黙ってじっと考え込む僕に、デビルの子が言った。

「あ、アタシも変なトコロ思い出した。
 あの子、縛る途中は抵抗してたのに、縛られた後はじたばたもせず、じーっとしてたんだよね。
 それにあの後、前を人が通ってもほとんどキョーミなさそうだった。
 これってヘンじゃない?」
「そーだねー、なんかヘン」

 ――強烈な違和感。
 今までの僕に対するゾンビ少女の反応を振り返ると、それは明らかだった。
 でも、どうして?
 僕には失った女性なんて――

「……まさか」

 記憶を手繰ると、一人だけいたのだ。
 幼い頃一緒に過ごした幼馴染で――しかし引っ越して疎遠になった。
 もう数年前になる彼女との思い出が、おぼろげに蘇ってくる。

「あっ、ちょっとお兄さんどこ行くのー?」

 気が付くと、僕は携帯電話を取り出しながら自分の家に走り出していた。


――――――――――――――――――――――――――――――


 僕の幼馴染、その女の子の名前は詩帆(しほ)。
 同い年で、幼稚園ほどの時に隣の家に引っ越してきて、その頃から一緒だった。
 背は低く線も細いので、僕の妹と間違われたこともある。
 本を読むのが好きな、見るからにおとなしい子で、よくぱっつんの前髪をしていたのが印象に残っている。中学校の頃は目が隠れそうなほど前髪を伸ばしていた。
 女の子も含めて、僕以外の子と仲良くしていたところはあまり見たことがない。
 その時はただそういう性格なのだと思っていたが、それは違った。
 もうすぐ中学生も終わろうという三年生の冬の季節に、彼女は言ったのだ。

「私、高校生になったら家の都合で引っ越さなきゃいけないの。
 だから……中学に入ってからは、友達もほとんど作らなかった」
「じゃあ、どうして僕と……」
「それ、は……」

 僕の問いに対する返事はなかった。その代わりに、

「もし……大人になっても、一度離れたとしても、私の事を想ってくれているなら。
 その時は……また、一緒にいたい……」
「……分かった。僕は、待ってるよ」

 初めてのキスをしたのは、確かその時だった。
 


 もちろん、僕達はお互いの住所もメールアドレスも電話番号も知っていた。
 しかし引っ越してから、僕らはほとんど連絡を取り合わなかった。せいぜい年に数回メールでやりとりをしたくらいだ。
 その事についても、お互い何も言わなかった。
 ――僕は怖かった。
 彼女の気が変わり、他の誰かを好きになってしまったのではないかと。
 それを確かめることが怖かったのだ。
 
 高校を卒業したとき、僕は珍しくメールをした。彼女の進路が気になったからだ。
 彼女からの返事は要約するとこうだった。

『私は地元にある専門学校に通い、栄養士を目指そうと思っています』

 それから試験に合格した旨を聞き、僕は胸を撫で下ろした。
 僕もなんとかK県にある志望大学に入ることができ、それを彼女に伝え、現在に至っている。
 そういえば、魔物娘という存在が認知され始めたのもその頃だったと思うが。

 そしてそのまま時は流れていく――はずだったのに。 


―――――――――――――――――――――――――――――――



 僕は走りつつ詩帆の携帯に電話を掛ける。もしかしたら、引っ越してからこれが初めてだったかもしれない。
 ダイヤル音が続く。
 これで彼女が出てくれれば何も問題はない。
 だが、そんなわけがなかった。

『この電話番号は現在使われておりません』

 無機質なガイダンス音声。
 握っていた携帯が地面に落ちて、音を立てる。走っていた身体が止まる。

「う……嘘だ……そんなはずは、」

 いや、待て。まだ決まったわけじゃない。
 電話番号が変わったのを僕が知らないだけかもしれない。
 確かめる必要がある。
 もう日は落ちかけているというのに、家に戻った僕はすぐに車を走らせていた。




 高速道路を乗り継ぎ、二時間以上を掛けて住宅街にある詩帆の家へたどり着く。
 もう日はとっぷりと暮れていた。
 僕は車を停めて玄関にあるインターホンを鳴らす。 
 少し時間を置いて、僕の知らない誰かが鍵を開けて出てきた。
 やや太った中年の男性だ。 

「こんばんは、夜分遅くにすみません。
 あの、詩帆さんは帰っていますか?」 
「あなたは……?」
「ええと……詩帆さんの友人です。携帯がつながらなかったので、こちらに」

 僕は詩帆の父親とほとんど会っていないのではっきりとは言えないが、今家から出てきたのはおそらく違う誰かだ。
 おそらくは詩帆の親戚だろう。

「そう、ですか。……大変言いにくいのですが、」

 暗い表情でうつむいたまま、男性は告げる。

「詩帆は……二週間前に、亡くなりました」



 ――詩帆の叔父によれば、それは痛ましい凄惨な交通事故だったそうだ。
 時速100kmを超える猛スピードで飲酒運転をしていた車が横から衝突、50m以上車ごと跳ね飛ばされ、乗っていた全員である詩帆とその両親の命を奪った。
 運転席にいる父親と助手席にいた母親は強く頭と身体を打ち、死亡。
 だがとりわけ酷かったのは詩帆の遺体で、車体の一部が顔と首に突き刺さり、親類が見ても、すぐには誰か判断が出来なかったほどに原型を留めていなかったという。
 葬式は親戚のみでしめやかに行われたそうだ。

「ああ……あまりにも惨い、酷すぎる事故だった。
 俺の弟たちが、詩帆ちゃんが……あんなにあっけなく……」
「心中、お察しします。
 ところで……詩帆さんの遺体がどうなったか、ご存じですか?」
「遺体……?ああ、そういえば葬式では見てなかったな。
 まあ、棺桶に入れられたとしても見れたモンじゃなかっただろうが……。
 確か……ドナーカードを持ってたからまだ病院に安置されてると聞いたが、あんな状態でそんなこと出来るモンなのかね」
「その病院はどこです?」
「ええと、××病院だったな」

 僕は叔父さんに丁重に礼を言ってから、××病院へと向かう。



 ××病院はこの辺りでも大きな病院らしく、大学付属病院となっている。
 夜間だったので通常の受付は開いていなかったが、電話をすると取り次いでくれた。
 僕は指定された窓口に行き、そこで呼ばれるのを待った。
 暫くして、白い肌をした紫髪の女性が僕を呼んだ。
 身長は小さいが、一見して普通の雰囲気ではない、人間の職員とは違う女性だ。

「初めまして、私は沙良(さら)だ。
 君が、詩帆さんの恋人かな?」
「いえ……友人でした。生前は」
「ふむ、そうか……まあいい、こちらに来てくれ、話がある。少し遠いぞ」

 道すがら、エレベータ―の中で彼女は淡々と語りだす。

「私は『リッチ』という魔物だが……君は我が同胞と会ったことがあるかね?」
「いえ、初めてです」
「そうか、まあそれも無理はない。まだ我らが此方に来て一年と少ししか経っていないのだから。
 アンデッドなどという特殊な生態はまだ理解に乏しいというのが現状だ。どこであってもな」
「アンデッド、ですか」
「人を死体となって蘇らせる――自然の摂理を覆すそんな技術に嫌悪を抱く者も少なくない。
 君がどちらかは知らんが、もう時計の針は回ってしまった。
 今更戻すことはできない」

 彼女に連れて行かれた先は病棟とは違う建物にある、大学の地下にある薄暗い部屋だった。
 霊安室に似ているが、ここはもっと長期的な安置を目的としたものだそうだ。
 いうなれば、人が蘇る場所。

「本来ならば、彼女、詩帆という女性はここにいた。
 我々が作り出したもう一つのドナーカード……『蘇生意思表示カード』とでも言うべきか、彼女はそれを持っていたからだ」
「蘇生意思表示……」
「死亡した際にアンデッドとして蘇りを希望するかしないか、その意思を表明するカード。
 まだ親魔物領でもそれほど表立って浸透してはいないがな。
 ただ、これはとてもデリケートなものだ。本来の意味での所持を確認できる者は私達ネクロマンシーだけであり、守秘義務は完璧に守られている。
 だから一般の者、家族にもただのドナーカードとしか判断できない。
 蘇った時に差別されることのないよう、犯罪歴の無い者は己の個人情報を隠蔽する事もできる。まあ、これはどちらかといえばアンデッドを持つことになる家族への配慮に近いが」
「詩帆は、蘇りを望んでいたということですか」

 僕が聞くと、沙良さんは悩むように頭を押さえた。

「そうだ。ただ、現状で数点の問題が起きている。
 一つは彼女の遺体の損傷。
 あまりにも首と顔にダメージを受けすぎた、かつ通報が遅れアンデッド加工の処置が遅れたために、私達の魔法をもってしても元通りの復元をする事が出来なかった。
 もともと魔物化した時点で多少の外見変化は起きるが、今回はこれが顕著に表れてしまった。
 特に顔は詳細な証明写真も残っていなかったゆえに、外科手術でこれらを治すことも不完全だった」
「顔と首……」
「首の怪我により、喉の復元にも問題が残った。発音に難があったのだ。
 手も動かすことはできるが、文字を書くほどの精密な動きはできなかった。
 そのせいで意思表示が難しく、コミュニケーションに多少問題が発生した」
「……なるほど」
「二つ目は……こちらの不手際もあり言いにくいが、彼女の脱走だ。
 詩帆さんの様相は首と顔を除けば順調すぎるくらいであり、特に頭脳は驚くべきほどの復元性だった。
 だがそれ故に、彼女は行ってしまったわけだな……記憶を辿り、自分の伴侶を探しに」
「……」
「もっとも、仕方なかった面もある。
 これ以上の身体の修復には伴侶である男性の精が必要だったが、彼女の個人情報を洗ってもその相手は見つかっていなかった。
 八方ふさがりの状況だったのも確かだ。
 そこにやってきた、友人を名乗る男性……少し遅かったようだがね」

 沙良さんがやれやれといったような仕草で肩をすくめる。

「数日前……僕の家の近くに、ゾンビの子がいました。
 僕を見ると大げさに反応して……それ以外の人物には興味を示さない。
 そして、僕の名前を知っていた。
 顔もそれほど似ていないし、髪の色まで変わっていたけれど……。
 これは偶然じゃあ……ありませんよね」
「ああ――、分かり切った命題だよ。
 もし君の知る彼女がゾンビではなく、ワイトになった日は呼んでくれ。
 彼女にはその素質がある」



―――――――――――――――――――――――――――――――



 僕が自分の家に着くころには、もう日が替わって随分と経ってしまっていた。
 彼女ももう眠っているだろう、起こさないように静かに玄関のドアを開く。
 しかし、玄関先には座っている詩帆の姿があった。
 僕を見つけると、何かを喚きながら抱きついてくる。

「う゛うっ、う゛あ、うあ゛あぁ」

 彼女は涙を流していた。僕と初めて会った時のように。
 一人ぼっちの心細さに耐えながら、ここで待っててくれていたのだ。

「……気づけなくてごめん。
 君はここまで会いに来てくれたのに、ずっと僕の事を想ってくれていたのに――」
「あ゛……って……た……」
「え……?」

 僕は、彼女の声を聴くために耳を研ぎ澄ます。

「ず……っと、ま゛……って、た。しん……じ、てた、から゛」
「詩帆……! 声が出せるようになったのか?!」
「あ゛、……たし、の……な゛ま……え……?
 し……ほ、って……よ゛んだ……?」
「ああ、そうだよ詩帆、君の事を呼んだんだ……!」
「がみ……も、かお、も……ちがう゛、のに……」
「何言ってるんだ、詩帆はどんな姿だって、詩帆だ」

 詩帆の口から、嗚咽のような呻きのような声が混ざる。
 気が付くと、僕も泣いていた。

「ず、っと……あい……だ、かった、よ」
「詩帆……」
「だい、ずき、だった、から」

 それは、今まで聞けなかった愛の告白。

「僕も……君のことが好きだ、詩帆」

 僕たちは涙を拭うと、改めてお互いを見つめあう。
 詩帆はそっと目を閉じる。

「あい、してる」

 二人の声と唇が、重なり合った。
 
18/07/05 20:04更新 / しおやき

■作者メッセージ
最後までお読みいただき、ありがとうございます。

捨て魔物娘シリーズ第二弾はゾンビちゃん(さん)です。
命を失っても憶えている記憶ってイイなあと思って書きました。
ぼくはそういう純情で一途な子に惹かれるんだ。

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