第17章:水上要塞カナウス 中編 BACK NEXT

海賊国家、イル・カナウス……

その歴史は魔物が魔物娘となるはるか以前…というよりも
ラファエル海周辺に人類が文明を築き始めた頃から
カナウス要塞のあるカナウス島は海賊の拠点となっていた。
最盛期にはラファエル海には大小20以上もの海賊団が跋扈しており、
海の魔物と共に海上交通の妨げとなっていた。
当然他の海賊団や旧アルトリア王国の討伐隊、そして海の魔物とも戦うため
彼らは海を知り尽くした者であると同時に屈強な戦士でもあった。

一説によると、彼らはもともと漁業を営む民族であったが、
旧アルトリア王国やまだ未開の民であったユリス人たちと抗争しているうちに、
彼らの文化的な交易品を奪取することを目的とする軍団に発達したとも考えられる。
現に彼らは主神を信仰していた旧アルトリア王国と戦闘の神を信仰していた
ユリス人との間にポセイドン信仰という文明的な隔たりもあったのかもしれない。

しかしながら、ここ数十年で海賊たちは大きく衰退した。
そもそも彼らの活発さが災いしてラファエル海には滅多に交易船が現れなくなり、
現れるのは海賊討伐を目的とした軍船ばかり。さらに、海の魔物が魔物娘となったため
海賊団は次から次へと海の住人となってしまったのである。

その中でもこのイル・カナウスは早くから人間と海の魔物が共存できる環境を作り、
結果として人間の文明を維持しつつも、親魔物国として
ラファエル海の制海権を一手に握っているのである。
もちろんハルモニアやユリス諸国が何度となく討伐に赴いてはいるが、
難攻不落の水上要塞には、なす術がなかったのだ。





さて、現在カナウス要塞では侵略してきた十字軍に対して臨戦態勢が取られ、
屈強な海賊たちが彼らの攻撃を今か今かと待ち構えていた。
そんな緊張した雰囲気の中、要塞の中央にある司令部に
イル・カナウスの首領であるアロンと、サンメルテから脱出してきたフランの姿があった。
あと少しで皆殺しにされそうだったところをアロン率いるカナウス海軍に助けられ、
今は脱出してきた市民や兵士たちと共に要塞内でカナウスの住人たちと暮らしている。
カナウス要塞はそこそこ大きな島に作られてるとは言え、
スペースに限りがあるため居住区域は大分狭かった。
それでも不便ではないし、食料や水の蓄えもたっぷりある。
さらに敵の海軍が来なければ、海からは魚や塩が取れるし、
いざとなったら船で逃げることもできる。
中には海の中で生活を営んでいる住人も少なくないという。


「危ないところをありがとうございました…。何とお礼を言っていいのやら。」
「なーに、気にすんなって!当然のことをしたまでだ!」

身長2m近い巨漢であるアロンは話す時もまた豪快だ。

「当分の間こんな狭いとこで不便かもしんねーが、我慢してくれ。」
「いいえ、むしろここは今のところ世界一安全な場所よ。
しっかし久々にここに来たけど、相変わらずすごい堅固な作りよね。」
「おう!そりゃ先代の知恵と工夫の結晶だからな!
今回の相手はちっとばかし数は多いが…ま、なんとかなるだろ!」


アロンを始めとしたいるカナウスの頭目たちはお世辞にも、
戦略や戦術に明るいとは言いにくいが、そもそも要塞に籠ればそれも関係ない。
それに敵が水上戦を挑んできても絶対的な海上戦経験ならどこにも負けないだろう。


そんなこんなで二人が会話していると、一人の女性が
飲み物を乗せたトレーを持って入ってきた。


「どうぞフランさん、お茶が入りましたよ♪」
「あ、これはどうも!」


その女性は顔や腰の脇にヒレのような部位がある。
彼女はマーメイドのリューシエ。アロンの妻だ。
マーメイドらしくとても穏やかな性格で、常に笑顔を崩さない。
ただ、巨体のアロンと並ぶとだれもが「性交の時大丈夫なのか?」と思ってしまうほど
体格の差が顕著になっている。だがこれでも彼女は二児の母なのだ。


「当分の間このような狭いところで不便かもしれませんが、ご了承くださいね。」
「う…うん。アロンさんにも全く同じこと言われたわ。」
「あらあら、それは重ね重ね失礼しましたわ。」
「はっはっはっは!やっぱ俺らは最高の夫婦だな!」
「くすくす、相変わらず仲がいいんですね。ではお茶をいただきます。」


こんな調子で、要塞内は敵が来たというのに余裕があった。











むしろ余裕がないのは十字軍の方である。


一応陣地の建設は終わったものの、今まで見たこともないような要塞の存在に
ユニースは頭を悩ませていた。

「ねえファーリル。あの要塞の弱点とかは?」
「ないね。今のところ。」
「きっぱり言うわね…このままじゃいつまでも睨み合ってるだけじゃない。」
「仕方ないよ。今まで攻略してきた城とはわけが違うんだから。」


この地に陣地を張って三日。
未だユリスから応援の海軍が到着していない現状では、
まともに要塞に取り付くことすら難しい。

なにしろ要塞への道は、兵士2〜3人分の幅しかない砂州が一本のみ。
おまけに海岸から要塞まで500メートルの距離があるため、
投石機や弩砲を配備することが出来ない。
もはや『難攻不落』を通り越して理不尽だ。


「ま、焦っても仕方ないさ。エルが来るまでゆっくりしてよっか。」
「…余裕なのねファーリルは。」
「城攻めなんてそんなものだよ。結局いつまでも睨み合い。
どちらかが音を上げるのを待つのは基本だよ。」


難しそうな顔をして思案に暮れるユニースを尻目に、
ファーリルはなにやら難解な数式を羊皮紙に書きこんでいた。
ちなみにカーターはこの地域にある村や町を根こそぎ制圧して回っているため、
今この場にはいない。


日が大分暮れはじめ、今日も無為に一日が終わるのか…と
思っていた矢先に

「軍団長、失礼いたします。第三軍団第三師団長ミラリィです。」
「ん、入っていいわよ。」「どうぞー。」

司令部幕舎に入室したのはカーター軍団の師団長の一人である賢者…ミラリィ。
いつも伏せ目の彼女は視線がどこを向いてるのかはっきりせず、
もっと言うと目が見えてるのかどうかすら疑いたくなる。(一応目は見えてる)

「どうかしたの?」
「少々気になることがありまして。見張りの兵士が何人か
行方不明になっているとの報告をとある百人隊長から受けました。」
「行方不明…ね。」
「はい、なんでも夜間の見回りをしていた兵や、
少人数で偵察に出た兵士らが一向に戻ってこないのだとか。」
「そうね…偵察なら思わず遠くまで行ったということもあり得るけど、
夜間警備の兵士が行方不明になったというのは少し拙いわね。」


また厄介な問題が出たものね…とユニースは少しため息をつき、
それでも即座になすべきことを考える。

「とりあえず兵士たちには当面の間単独行動は慎むように伝達して。
偵察も百人隊単位で行うこと。それと、海岸沿いの柵の建設を急がせて。」
「承知いたしました。念のため篝火を多めに配備しておきます。」
「うん、お願い。」

ユニースは数枚の伝令書を書くと、ミラリィに渡す。


「ファーリル、今のことどう思う?」
「ん〜、まだ情報が少なすぎて何とも言えないけど、
おそらく十中八九海の女の子たちの仕業じゃないかな?」
「海の女の子って…詩的な表現ね。いえ、それはともかく
陣地の近辺にも魔物が出没する可能性が高いってことよね。」
「彼女たちは海を自由自在に移動できるからね。
君も気分転換に海水浴したいって時は注意した方がいいよ。」
「おちおち釣りにも行けないわね……」

ユニースは改めてこの地の厄介さを思い知ったようだった。






で、その日の夜……

少人数で見回りをするなという通達は各部隊に回ったのだが、
海は人を開放的な気分にさせるからなのかは分からないが
たった二人で海辺の見回りをしている兵士がいた。


「夜の海って何だか不思議な感じね。なんかこう…
私達を包んでくれるような温かさがあるような……。」
「ははは、言われてみれば分かる気がする。
静かだけど…その優しい雰囲気があるよね。」


おまけにこの二人は男性兵士と女性兵士のペアだ。
その会話の様子は見回り…というより明らかにデートのようだった。
戦争中だというのに暢気なものである。


「私の田舎は山ばかりだったからさ、こんな風にゆっくり海を見ることなんてなかった。」
「僕の地元は湖があるけど、やっぱり海って広いなーって思うよ。」
「ふふ…でもこうして二人で海辺を歩けるなんて、思ってもなかった。
そして、これからも見たことない景色を二人で見れるかしらね?」
「そうだね。もしかしたら二人で…アルトリアまで行けるかもしれない。
いや、僕は絶対に戦いぬいて…君と一緒にアルトリアに……」
「うん。一緒に…最後まで戦い抜こうね。そしたら今度は私が君に
私の故郷を案内してあげるね♪」
「…!!それって!」
「うん……だから…」


男性兵士と並んで歩いていた女性兵士は突然身を翻して男性兵士の前に身を寄せ、
お互いの顔が正面で急接近する。そしてそのまま二人はどちらからともなく顔を近付け…




ちゃぽっ    シュルル………


「うっ!?なっ…なんだ!?」
「ど…どうしたの!?」

わずかな水音が聞こえたと思った次の瞬間、男性兵士の両足首に
何か弾力とぬめり気がある『何か』が絡みつく。そして…


ズッ  ズルルッ


「なっ!なんだこれ…ってうわああああぁぁぁっ!!」
「や…うそ!?アゼマっ!」
「ラーナー…助けて……あっ、ああぁぁっ」


男性兵士の両足に絡みついた『何か』はもの凄い力で彼の身体を丸ごと引き寄せる。
あわれにも彼は女性兵士の前で闇夜の海に引きずり込まれてしまった。

あまりに突然の出来事に混乱する女性兵士。
彼女にはここが危険地帯であり、今すぐに逃げるべきだということまで
考えが回らなかったことがさらなる災いを招いた。


シュルルルッ

「あっ!いやあぁっ!」

彼女の身体にも『何か』が巻きついてくる。
しかも男性兵士のような足首だけでは済まず、背後から一斉に
四肢を拘束し、そのまま袖口や鎧の隙間から直接肌にまとわりついてくる。


「いやぁ…なにこれ……ヌルヌルしててきもちわるいよ…っ
んんっ!だ…ダメェ……そ、そこはっ!」
「ンフフ、あなたも恋人さんと一緒に…私達の海にいらっしゃい♪」
「だ…だれ!?っ……んんっ!んむむぅ……!」

背後から声がした。しかし振り向くことはできなかった。
伸びてきた『何か』が彼女の口腔に入りこんだためである。
彼女が良く目を凝らせば、自分の口に入ってきたのは
腕ほどもの太さがあるタコの足のような触手だった!
触手は身体全体に絡まって動きを封じ、中には胸や下腹部に到達しているのもあった。

そして…彼女もまたゆっくりと闇夜の海に引きずり込まれていった。





翌朝、行方不明者が新たに二人加わった旨がユニースに報告された。


「また行方不明者が、ねぇ…」
「はっ。なんでも何の痕跡もなく消えてしまったのだとか。」

リシュテイルから受け取った報告によると、諸国同盟出身の兵士が
夜間巡回から戻ってこないというものだった。
そもそもその二人は陣地のすぐ外を見回っていたはずだ。


「また、別の部隊からは…腕ほどもの太さのあるタコ足を見たとの報告が。」
「タコの足?なんだっけそれ?」
「スキュラじゃないかな。下半身の触腕を操って獲物を雁字搦めにしてしまうんだ。」
朝食後の紅茶を飲みながら、ファーリルがそう指摘する。
「あのタコの足で絡まれるって……うへっ、想像したら鳥肌立ってきたわ…」
「ええ…私もです。ですが、別の目撃情報も入っています。
なんでも陣地のすぐ外に『半魚人』が出没したらしいです。」
「半魚人?人魚じゃなくて?」
「きっとネレイスのことだね。確かに彼女たちはマーメイドと違って、
元の姿でもある程度は二足歩行できるみたいだ。そっかー、半魚人かー。」
「……詳しいのね、ファーリル。」
「敵を知って己を知れば百戦百勝も夢じゃないからね。」
「で、では斥候が帰ってこないのは……」
「んー…兵士の中で『どこからともなく少女の歌声が聞こえる』
という報告はないかい?」
「え…ええ、そう言えばそのような話も聞いたような気がいたします。」
「やっぱりね。きっとセイレーンの歌声に引き寄せられてしまったんだろうね。
いまごろは集まった魔物の餌食か、はたまた鳥の巣がってとこかな。」


兵士が何人も行方不明になっているというのに、それが
さも当然のような態度のファーリルに、ユニースが不快感を示す。


「ファーリル!あなたねぇ…もう少し危機感を持ちなさい!
このままじゃもっと行方不明者が増えるかもしれないのよ!」
「わかってるよ……わかってる。でも慌てたって兵士たちは戻ってこない。
今僕たちが出来ることは、エルが戻ってくるまで万全の態勢を整えておくことだ。」

ファーリルは、スッと椅子から立ち上がると
先ほどの余裕のある笑みではなく、やや真剣な面立ちになる。


「リシュテイル。全師団長および参軍に通達してくれるかな。
半刻以内に司令部幕舎に集合するようにね。」
「了解。(キビッ)」

命令を受けたリシュテイルは伝令兵たちと共に駆けだしていった。

「大変な時こそ、頭を冷やさないとね。」
「そうね……私もしばらく落ち着くとするわ。」


その後の軍団会議において、今ある陣地の設営方法を見直すことが決定された。
現在ある陣地は気の柵で囲ってあるにすぎず、海からの奇襲に耐えられない可能性があった。
そこで、約100000の兵が長期戦を耐え抜けるようにより強固な陣地……
いや、いっそのこと要塞の対岸に大規模な砦を築くことに決めた。

特に海岸付近の防護柵を二重にし、その上で漆喰の塀を作って防壁とし
いざとなった時に海に出れるように桟橋も用意する。
砦内部も海風で幕舎が飛ばされないよう石組の建物を作り、
一部では食糧生産施設や鍛冶屋を配置するのだ。

そして、カーターが周辺地域の制圧をある程度終えて戻ってきたころには、
十字軍の陣地は大分様変わりしていた。



「おーいファーリル。カーター様のお帰りだぞ。紅茶淹れろー。」
「あ、おかえりカーター。とりあえずお茶くらい自分で淹れなよ。
茶葉はそこのバスケットの中に入ってるし、お湯はその保温瓶の中だよ。」
「気の効かん親友だ。…っと、それはおいといてファーリル、この陣地のあり様は何だ?」
「うん、ちょっとね。最近海岸付近の部隊で行方不明になる兵士が相次いでいるんだ。
だからもういっそのこと海岸付近に強引に砦を築いちゃえってことで。」
「にしてもやりすぎじゃないか?」


確かにカーターも海岸付近の防備はなるべく固めておいた方がいいと思っていたが、
だからといって陣地全体を丸ごと町に変えてしまうような大工事を
する必要があるかどうか…


「まあね、正直ここまでやると建設費もばかにならないけど、
こうも原因不明の行方不明者が出ると兵士の士気にも影響するんだ。
マリエルやレリたちエンジェルも元気づけようと頑張ってくれるけど
人数があまりにも多いからカバーするにも限界があるし。」
「…なるほど。それで手のあいた兵士たちに労働させることで
逆に不安な気持ちを忘れさせようということか。お前にしては考えたな。」


そう、特に重要なのは不安がっている兵士たちが自分たちの手で
安心できる環境を作っていると自覚させること。
実はこういった些細なことでも士気の低下は抑えられる。


「ま、あとはエルが合流するのを待つだけだし、ゆっくりしてなよ。」
「ゆっくりしてろと言われてもな。何かやることがないと落ち着かん。
エルがこっちに来るまで兵士どもを訓練してくるとするか。
お前も給料分の仕事をしろよ。」


こうして、両軍とも睨み合ったままの状態がまた数日続くことになる。
十字軍は陣地の改造の邁進し、カナウス軍は長期戦への備えを進めている。
まだまだお互い、手を出せそうになかった。

















その頃
ハルモニア地方にてピュース侯爵軍を破りハルモニア王国に到達したエルは、
ハルモニアの王女リネットに謁見し、共に協力関係を築くことを確約した。
さらに、ハルモニア軍の一部が十字軍に加わるというのだ。

ただ、ハルモニア王国軍はその広大な領土を持つがゆえに隣接する敵国も多く
全体で20000人弱の軍団が国境付近の各地に分散していたのだ。
今ハルモニア本国に残っている予備兵力は親衛隊を含めてわずか5000人足らず。
その中には戦闘経験のない新兵も多く混じっている有様。
はっきりいって現段階では足手まといにしかならない。


「う〜ん、思っていた以上に深刻だな。」


エルは現在、重鎧を着込んだ髭面の将軍と共にハルモニア軍の訓練を見学していた。
今野戦訓練所では歩兵と騎兵の訓練が行われている最中だ。


「えいっ!やぁっ!」
「あしゃーっ!」

キン キン カン カン

「どうどうっ!」
「くそっ!もっと速く走れっ!」

パカラッ パカラッ パカラッ


「これじゃただ剣を振って馬を走らせているだけだ。訓練にすらなってない。
こんな調子で今までよくこの王国が生き残っていたものだ。」
「お恥ずかしい限りで…」


辛辣な意見を述べるエルが見たところ、
ハルモニア軍の練度は指揮する将軍によってまちまちで
アタラクシアの戦いのときに応援に駆け付けたラピスやクルルの部隊は
豊富な戦闘経験ゆえかそこそこ満足できる強さだったが、
首都に配備されている部隊は強弱の差が激しい。

「ですがっ!我々はあなた方十字軍のカンパネルラ地方での活躍を耳にし、
共にアルトリア奪還を目指したいという気持ちはありますぞ!
どうか!我々と…王女様のお気持ちを汲んで下され!」
「…………………」


髭面の将軍は必死になってエルを説得しているようだ。
将軍の言っている通り、ハルモニアの人々…特に王女リネットは
自分たちも十字軍に参加たいと申し出ているのだ。
つまりやる気だけは十分にあるようなのだ。





エルがハルモニアの視察を終えると、フィンとヘンリエッタを呼んだ。


「第二副軍団長ヘンリエッタ、参上しました。」
「第四副軍団長フィン、ただ今戻りました。」
「来たか二人とも。ここ数日間ハルモニア軍の陣容を見て回ったが、
現在即戦力になりうるのはクラッスス将軍とクルル将軍…
それとラピスの特殊部隊。全部合わせて2000人程度だ。」
「思った以上に少ないですね。これでは戦力の補強になりませんよ。」
「むしろこの地で新たに兵士の募集をして編成したほうがいいかもしれません。」

二人の副官も現時点ではハルモニア軍があまりあてにならないと考えている。
一応、この国の将軍の質自体は悪くなく、しかも魔物との戦闘経験がある
将軍もいるが、かといって将軍だけ借りて行くという訳にはいかない。


「それに俺はそろそろカナウス要塞攻略に向かわねばならん。
二人には連れてきた将軍たちと協力して、部隊の再編成と
この地方の秩序安定に努めてほしい。まずはヘンリエッタ。」
「はい。」
「君はこの地で有志の兵を募って、本隊がカナウスを攻略するまでの間
満足に戦えるようになるまで徹底的に訓練を施しておくように。」
「ええ、了解しましたわ。」
「次にフィン。」
「はっ。」
「十字軍を率いて周辺地域の制圧にあたってくれ。
時には武力で殲滅し、時には外交で懐柔せよ。君にならその任を任せられる。」
「分かりました。」
「ただし、分かっているとは思うがハルモニア王国への内政干渉をなるべく避け、
リネット王女の援護をするような形で軍政にあたってくれ。」
「はっ。」
「では早速師団長たちとこれからの方針を話し合うように。」


エルは二人に簡単な指示を出して部屋から退出させると、
入れ替わりにユリアが入ってきた。


「失礼しますエルさん。」
「どうぞユリアさん。待たせて申し訳ありません。」

次に部屋に入ってきたのはユリアだった。

「どうでしたか、リネット王女様とのお茶会は?」
「ええ、楽しいひと時でした。まだフィーネさんと同い年なのに
とてもしっかりして、親しみやすい方でした。」

ユリアはエルが視察している間に、王女リネットと交流していたようだ。
ハルモニア王国の統治者…王女リネットは一年前に父王が隣国との戦いで戦死したため、
三姉妹の長女としてわずか16歳で君主の座を継ぐことになった。
国内ではこの若き王女に不満を持ち、反乱や寝返りが相次いだが、
大半の官僚と将軍は若いながらも聡明で勇気のあるリネットを支持し、
反体制派を抑えることに成功した。


「リネットさんなら安心してハルモニアを任せられられると思います。」
「ユリアさんが言うのでしたら間違いはありませんね。
俺は忙しくて会う機会があまりありませんでしたが、また戻ってきた時には
ゆっくりと交流してみたいと思います。」
「ええ、そうですね。リネット様も喜ばれるかと思います。」
「ですが、もう明日にはここを発ってカナウスに向かいます。
かなり長距離移動をしますので、しっかり体力を回復しておいてくださいね。」
「あら、もう向かうのですか。もう少しゆっくりしてらしても
よろしいのではないでしょうか?」
「いえ、もうすでに一ヶ月間本隊に戻っていませんので、
なるべく早く戻って、カナウス要塞攻撃に移りたいと思います。」
「そうですか…」


ユリアは心配だった。
エルはハルモニアについてから、連日多忙であまり休んでいないのだ。
ユリアもできる限りエルを手伝っているし、
エル自身もあまり疲れた様子はない。

(ですが…、いつかは…)

いつか本当に、エルの身に何かあった時に自分に何が出来るだろうか。
エルの手に負えないことがあった時に、自分が役に立てるのか。


エルは人間の中でもかなり優秀で、恵まれた生活環境にある。
なので本来、エンジェルである自分がそばにいなくても、
大抵は彼一人で何でもできてしまう。
むしろ、世の中に溢れるほどいる、辛い生活を営んでいる人々にこそ
自分の存在が本当必要なのではないかと考える時もある。

でも…


「では、今夜の夕食は久々に私がお作りいたします♪」
「え、ユリアさんが!?」
「はい。もしよろしければリクエストも受け付けていますよ。」
「じゃあいつか作ってくれたリゾット風のチキンオムライスをお願いできますか?」
「はい♪」


無邪気な笑顔を見せるエルにユリアもまた自然と笑みがこぼれる。


その日の夕食は十字軍の将軍たちを交えず、二人きりで食べた。














次の日、リネット王女にカナウスに戻ることを伝えると、
ユリアの転移魔法で二ヶ月分の距離を一気に転移する。
エルと出会ったころはこのような長距離転移はユリアにとって非常に辛かったが、
いまではもう軽い疲労感程度で済むようになった。

転移した先は十字軍が占領したサンメルテの街。
ここでマティルダの軍と合流する予定である。
すでにユリスの各地から殖民兵が集まってきていて、
親魔物都市から反魔物都市に変わろうとしていた。

サンメルテに到着したエルを早速マティルダとその直属兵が出迎える。

「お久しぶりですエル様!ユリア様!」
「うむ、大分待たせて悪かったな。」
「マティルダさん、ご無事で何よりです。」
「マティルダ、こっちの戦況はどうなっている?」
「サンメルテの守備隊は脱出の際の追撃戦で半数以上を討ち取りました。
現在はファーリル先輩…じゃなかったファーリル軍団長とユニース軍団長が
カナウス要塞の対岸に陣地を敷いて睨み合っています。
カーター軍団長は周辺の探索と制圧に出かけています。」
「なるほど、準備は上々のようだな。後は海軍の到着を待つばかりか……」
「そのことなのですがエル様、少し良くない報告が。」


マティルダによると、ファーリルやユニースはすでに陣地のほとんどを固めて
準備万端になっているのだが、肝心の海軍はこのところ海模様が悪く
レーメイア港からの出港予定が大幅に遅れているとのことだった。
到着まで少なくともあと2週間はかかるかもしれない。

「ですから…海軍を待つまで攻撃を見合わせる必要はないのではないかと
言っている将軍も増えてきています。今はファーリル軍団長が止めていますが。」
「ちっ、世の中すべてが上手くいくわけじゃないってことか。
確かにこのまま睨み合わせてても埒が明かないしな…ふむ。」


そもそも海軍がないと要塞攻略は不可能に近いのだが、
長期間攻撃しないと兵士の緊張が緩んでしまう恐れがある。

とにかく勝つ負けるに関係なく、一度仕掛ける必要があるかもしれない。


「マティルダ。」
「はっ。」
「今回の戦い…思った以上に苦戦が予想される。覚悟しておけ。」
「はい!たとえどのような苦境でも、私はエル様についていきます!ねえみんな!」
『おーっ!!』

マティルダの言葉に、エル直属兵全員が威勢のいい掛け声をあげた。
エルが手塩にかけて育てた精鋭1000人はこれから先、何度も彼の苦境を救うことになる。



その後、エルとユリアはマティルダ達と共に
丸二日かけてサンメルテから十字軍の陣地に到着する。
いや、そこにあったのは陣地ではなくもはや『街』と言ってもいい規模だった。
なにしろ120,000人以上がこの地に集結しているので、
必然的に居住スペースは際限なく拡張され、一つの都市を形成している。


「あ…私がいない間にまた少し育ってます。」
「何もここまでやらなくてもいいだろうに。建設費がバカにならんだろうに。」
「いえ、そうでもないってファーリル軍団長が言っていました。
近くに都合よく建材になりそうな石を切り出せる地形がありましたし、
労働力なら無償で120000人動員できますから。」
「あらあら、皆さん逞しいですね。」

女性兵士の比率が圧倒的に高い十字軍だったが、
赤道が近く、炎天下の日々の中一生懸命働いている兵士たちは、
普段着ている鎧を脱いで上半身さらし1枚だけの軽装備。
男女共にユリス人特有の陶器のようなはかなげで美しい白肌が、
健康的な小麦色に染まっている。
あなたもわたしも屈強な日焼け男子、あるいは褐色美女。とても暑苦しい光景だ。


「おお!お戻りになられましたかエル様!」
エルの期間に真っ先に気が付いたのは、石切り場の石を運んできたジョゼだった。
「うむ、今戻ったぞジョゼ。しかし…凄まじいなお前。」

戦場では50kgもある鎧を着込んで、20kgもある大斧を片手で振り回すこの怪力男は
上半身裸の状態だと、剛強な筋肉が見事に身体の逆三角形を作りだし、
当然全身真っ黒に日焼けしている。恐らく今のジョゼを海に放り込んだら、
1秒待たずして100体以上の魔物娘の襲撃を受けるだろうとすら思われる。

また、ジョゼの部下の重装歩兵部隊もまたジョゼと同じように
過剰に健康的な筋肉質の身体を惜しげもなくさらしている。非常に暑苦しい。
もはやこの部隊だけでボディービルダーコンテストを開けそうな勢いだ。


「作業するのは構わないが、日射病には気をつけろよ。」
「ウッス!了解しましたぁ!」
「あは…あはは……」

同僚のあまりの変わりように
マティルダがどこか遠い目をしていた。






多数の兵士に迎えられながら、エルは司令部に戻った。
司令部の建物周辺には2・3階建ての建物が立ち並び、石畳も敷かれている。
木材と石を上手く組み合わせて立てられており、暑くても快適に過ごせそうだ。


「エル様がお戻りになりましたー!」

「やあエル。久しぶりだね。」
「遅かったな。」
「おかえりー。」

軍団長の三人は揃って部屋の中でゆっくりしていた。

「おいこら、総司令官が来たというのにその場に立って
敬礼すらしないとはどういうことだ軍団長ども。」
「あ、ああごめんごめん。このメンバーだともう親友同士のノリだからね。」
「いーじゃん別に。ここには私達だけしかいないんだし。」
「そういや俺、エルに敬礼したことあったっけ?」
「お前ら…」

もちろんこれは彼らなりの冗談であり、決してエルがないがしろにされているわけではない。
たぶん。


「にしてもユニース。お前もずいぶんと日に焼けたな。」
「そうでしょ!たまには小麦肌もおしゃれだと思わない?」
「でも戦場では鎧を着込むから意味無いな。」
「それは盲点だった!」

ユニースは戦場でその素肌を見せつける気だったのだろうか。

「カーターは…それほどでもないな。」
「俺は日焼けなど御免だ。健康によくないからな。」

健康に気を使うドS将軍の図。

「ファーリルは全然だな。ずっと建物の中にいただろ。」
「エル…僕はね、強い直射日光に長時間当たると黄ばむんだ。」
「いやいや、お前は本の虫であっても本じゃないんだから。」

もちろん黄ばみません。

「ったく、他の奴らは一生懸命働いているというのに軍団長たちがこのざまか。
ファーリル、カーター、ユニース!今すぐ各軍団の師団長をここに集めろ。作戦会議だ。」
『了解!』

エルが一声かけると、三人は急に姿勢を正して師団長の招集に向かった。


「あの〜、司令官。」
「ん?どうした書記官?」

この部屋で控えていた書記官がおずおずと口を開く。

「どうか軍団長様達をあまりお叱りしないでいただけないでしょうか?
ファーリル様もカーター様もユニース様も、連日めいっぱい働いておられました。
司令官にあのような態度をとったのも、疲れを見せて不安にさせないように
配慮したのだと……」
「ふふふ、わかってるさ。ユニースのあの焼け具合といい、カーターの着ている服の
汚れようといい……それにファーリルの手には落ち切っていないインクのシミが
付着していた。あいつらがきちんと任務を遂行していた証拠だ。」

そう言いつつ、ファーリルの板机の上にあった羊皮紙に目を通す。

「エルさん…何でしょうこの数式は?私にはさっぱりです。」

ユリアも興味深々に覗き込んでいる。
羊皮紙には細かい字で複雑な計算式がアバウトなグラフと共に書きなぐられていた。

「俺にもこの数式の内容はよく分かりませんが、一つだけ分かることがあります。
これは…ファーリルが俺のために用意してくれた兵器です。」
「兵器……ですか?」

そうはいっても、何かの設計図のようにはとても見えなかった。





半刻もしないうちに、各軍団の師団長が会議室に集合した。
やや疲れ気味の顔をした将軍もいれば、汗まみれで生き生きした将軍もいる。
人種も全員がユリス人のはずなのに肌の色が人に依ってだいぶ違うという
なんともめずらしい光景が広がっていた。


「諸君、多忙の中集まってもらってご苦労だった。早速本題に入ろう。
まだ聞いていないかもしれないが、レーメイアの海軍が天候不順で出港を延期し
到着が予定より大幅に遅れるとの報告がもたらされた。」

エルのこの言葉に、師団長たちは騒ぎはしなかったものの
それでも驚きのあまりお互いの顔を見合わせていた。

「…ではエル様、攻撃は当分見合わせる必要があるのでしょうか?」
リノアンがそう意見する。
「確かに、海軍が来なければ有効だは期待できない。だが……」

エルは一旦言葉に逡巡したが、次の瞬間には強い決意で全員を見据えた。


「近日中にカナウス要塞へ我々のみで攻城戦闘を仕掛ける!
各部隊はすぐに攻撃態勢の準備をしておくように!」


将軍たちの間に更なる衝撃が走った。
11/10/28 10:01 up
ユリア「みなさん、ごきげんいかがお過ごしでしょうか。
まずは更新期間が非常に開いてしまったことをこの場でお詫びいたします。
本来であればこの話は八月ごろに執筆する予定でしたが、諸事情により延期となりました。
よって夏らしい話がもはや季節遅れの状態になってしまいました。
これからさらに寒さが増す中で現実と小説の季節の乖離がより一層
大きなものとなりますが…どうかご容赦ください。

話は変わりますが、皆さん覚えていらっしゃいますでしょうか?
読者の希望があれば敵又は味方がロストしないよう配慮するというものです。
この物語は戦争を題材にしているため死はつきものなのですが、
やはりこのサイトの性質上、好きな魔物娘はロストして欲しくないと思う方も
いらっしゃるかと存じます。
次の話からはほぼ連続で戦闘パートになりますが、海域での戦いなので
海の魔物種族はほぼ全員が登場する予定になっています。
ですので、もしこの娘はあまり酷い目に合わせないでほしいというご意見がありましたら
いつでもおっしゃって下されば、こちらもできる限り配慮したいと思います。

ただし、ご意見がなければ場合によっては敵味方容赦なくロストする可能性があります。
批判を受けるのは覚悟の上ですが、話の内容を後から変えることは難しいので
くれぐれもご了承ください。
戦に生きる私達の物語にご理解いただければ幸いです。

では、皆様ごきげんよう。
エンジェルのユリアでした♪」

バーソロミュ
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