連載小説
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「おかえりなさいませ、ご主人様!」

   ……。

「ーーご主人様?」

   ああ、うん。ただいま、フィネア。

「大丈夫ですか? 随分と、その……顔色が優れないご様子ですが……」

   まあ、ちょっと、ね。
   とりあえず、先週と同じで。

「……かしこまりました」

   すぐさま専用の個室に案内され、中から鍵が掛かる。俺は中にあるベッドの縁に腰掛け、フィネアはその眼前に立つ。普段なら、ここから胸躍る時間が始まる所なのだが、今日はそうはならなかった。

「本当に、どうなされたのですか? 昨日も、『話さなきゃならないことがある』とだけで何もーー」

   不安そうに顔を覗いてくる彼女の顔を、俺はマトモに見る事が出来ない。その代わり、俺は彼女にこう告げた。
   今日さ、特別休暇をもらったんだ。外泊していい、ってさ。

「ーーほ、本当ですか!?」

   そこで相談なんだけどさ。職場には実家に帰るって報告してるんだけど、もし君がよかったら今日は君の家に、

「どうぞいらして下さい!!! お食事お風呂お布団全てご主人様の満足なされるまで御奉仕させていただきます!!! むしろ今から私の家にお招きしても私は一向に構いません!!! さあさご命令をーー」

   そこまでマシンガントークを続けて、ようやく俺の顔が俯いたままだって事に気付いたようだ。

「――ご主人、様?」

   あはは。いつもなら狂喜乱舞して、真っ先に君を抱き締めるだろうに。
   こうしてすぐに会える事が、もう最後かもしれない、と思うと辛いものだね。

「ーー……え」

   俺さ。転勤するんだ。
   それも、かなり遠くに。

・・・

   元々俺は中央の方に住んでいて、この職についてから大きく東の方に移ってきた人間だった。
   実家に帰るのは長期休暇の時だけで、普通に日帰りしようとしても門限までに余裕で帰って来られないくらいに生まれ育った場所から遠く離れて仕事をしている。
   まあつまり、今まで通り休みごとにここに来るのは難しくなる。

「そう……ですか」

   フィネアの犬耳が下がる。最初から垂れ耳だというのに、彼女が消沈しているのが目に見えて分かってしまう。

「で、ですがご主人様! 二度と会えなくなる訳では、ないですよね?」

   もちろん。会いに来れるタイミングがあれば何を犠牲にしても絶対来る。つーか君に二度と会えなくなるというなら、俺は今の職場を辞めるつもりだし。フィネアが隣にいてくれたらこの世界の何処ででも生きていけそうな気がするからさ。むしろ確信を持って行きていけると言える。

「……♪」

   俺の発言に気分を良くしてくれたのか、フィネアの整った顔が桜色に染まる。そんな顔がもっと見ていたくて、俺はメイドキャップ越しに彼女の頭を撫でる。

「少し淋しいですが、ご主人様が会いに来てくださるというなら大丈夫です。どうか私の事はお気になさらずーー」

   ……。

「ーーご主人様?」

   ……君に会う前までさ。俺は一週間をすげぇいい加減に暮らしてた。
   掃除も仕事も、要領悪いフリして自分で出来る範囲より少ない量だけやって、後は他の奴に押し付けるような生活してて。そのフリ辞めて真面目に仕事してみるとこれがまた大変でさ。一週間どころか、三日で限界が来るんだ。
   それでも一週間頑張れるのは、今週末はフィネアと何をしよう、って支えがあるからなんだ。
   それが、無くなる。

「……ご主人、様」

   ……嫌だ……。
   そんなのは、嫌だ。
   俺は、君と離れたくない……!

「……っ」

   君は別れたいのか!? 俺と離れる事に納得するのか!?

「そ、それは……っ!」

   少なくとも、俺は絶対に嫌だ!
   本当は片時だって離れたくない! 仕事なんてしないで君とずっと居たい! 君と一緒に出かけたり、遊んだり、抱き合ったりしていたいさ!
   今までは我慢出来た。すぐに君に会えるからね。
   けど、これからは違う! どれだけ耐えても、すぐには会えない!
   君と笑い合う事が、君に驚かされる事が、君に触れる事が、君に触れられる事が、君に元気を貰う事が、君を笑顔にさせる事が遠くなるというのなら!
   もういっそ、こんな世界から――、

「――っ!!!」

 っ!?
   最後の一言を発する前に、横殴りの衝撃が頬に襲いかかった。

・・・

   殴られた。そう自覚出来たのは、視界が動かされてから数秒経ってからだった。

「――あの時」

   突然の事に、脳の処理が止まっていて、言葉を紡ぐフィネアの方に顔が向かない。
   それでも、彼女の声色が、今の彼女の感情を痛いほど伝えていた。

「あの時私に仰った言葉は、表面上だけのものだったのですか!?」

   悲痛な叫びが俺の耳に、さらに奥の心にまで深く突き刺さる。

「この世界で私と生きていく、と仰ってくださったあなた様は、都合のいい夢だったのですか……?」

   大した事ないから、という理由で彼女の気持ちも考えずに入院の報告をしなかったあの時のように、むしろそれ以上に、彼女は怒っていた。そして、悲しんでいた。
   ここまで言われて、ようやく俺の足りない頭は情報処理を再開し始める。それと同時に、涙腺が崩壊してしまう。

「……」

   情けない、と思わずにはいられない。男が女の前で涙を流すなんて。しかも理由が理由だ。何だよ、離れたくないから駄々を捏ねて泣くとか。
   ……でもさ。だってさ。初めてなんだよ。こんな気持ちになるの。
   家の事情で親友と離れなきゃならなくなった時も。十年暮らした家を離れなきゃならなくなった時も。ここまで感情は動かなかった。胸が張り裂けそうになった記憶はない。
   それほどに俺はフィネアの事が好きなんだ。
   触れていいのか困るくらい綺麗で、笑うと可愛くて、怒ると怖いけど俺の事考えてくれてて、泣くとこっちも悲しくなってきて、よくエロい妄想してるけどそれも全部俺とする事しか考えてない、そんな女の子が、理想以上の俺のメイドさんが。
   離れたくない。離したくない。本当に、心からそう思う。
   その時、

「ーー大丈夫です」

   柔らかな感触に、全身が包まれた。
   フィネアの優しげな顔と、穏やかな気持ちにさせる香りが近づき、張り詰めていた意識が溶けるように緩んでいく。

「ちょっと距離が離れる事になっても、……私達ならきっと乗り越えていけます。だって、あの病室で私達、誓ったではありませんか」

   密着した彼女の声を聞き、俺はある事に気が付いた。
   抱き締められている彼女の腕が、震えている事に。彼女の大きな瞳が、今にも零れ落ちそうな涙を堪えている事に。
   ……何してるんだ俺。誰よりも俺の側に居たい筈の彼女が、俺の転勤に対し感情を動かしていない訳がないじゃないか。
   毎度毎度、本当に俺は馬鹿だ。いや、知ってたけどさ。

「毎日、メールを送ります」

 そうだね。その為に、ちゃんと携帯の使い方を教えてあげないと。

「休日は何処かで待ち合わせをして、一緒の時間を過ごしましょう」

 そうだね。その為に、時間を作れるようしっかり働かないと。
 合間を縫ってでも君を愛さないと、君も苦しくて大変だろうしね。放っておくとオナニーだけで我慢できなくなって、浮気されちゃいそうだ。

「そんな事絶対にしません!!! ご主人様以外に身体を開くなど、夫を持つ女として、魔物として、キキーモラとして断じてあり得ません!!!」

   わ、分かった。分かったから、ハグネットパワーをオフにしてくれないかな。俺このままじゃハニワ幻人みたいに『死ねぇ!』されちゃう。

「はっ!? も、申し訳ありません! ……ですがご主人様? 私達相手に浮気するんじゃないかなど、ご主人様といえど失礼ですよ?」

   スイマセンでした。もう言いません。まあ、最初から疑ってなんかいないけどさ。

「ご主人様こそ、私の事お捨てにならないで下さいね?」

   捨てないって。絶対。
   君のような人(まもの)とこういう関係になれたんだ。人間の女ごときで満足出来る訳がない。サティスファクション出来ねぇぜ。
   そしてその相手が魔物だとしても、やっぱり君が一番だ。君が最高だ。

「……っ♪」

   ほら、可愛い。卑怯なくらい愛しい。
   そう言うと、『予想通り』彼女は顔を赤らめて、さっきまで涙で潤んでいたはずの美麗な紫色の瞳で俺を見て、

「ーー離れてしまうなら、離れても大丈夫なくらいに強く、激しく交わりましょう♪ お互いがお互いの身体の感触を忘れる事のないくらい、押し付け合いましょう……♪」

   本当に、この淫乱メイドは全くもうしょうがない。
   まあそういうものだろう。何故なら、そんな彼女に好かれている俺だってしょうがない男だ。しょうがない男にはそれ相応の相手が着くらしいし。さらには底なし沼にズルズルはまって行く思考パターンが似通っているとまで来た。俺らは本当に、お似合いなんだろう。
   そうだ。離れるのが嫌なら、離れている、なんて思わないくらい関わっていればいいんだ。
   今まで以上に日常の話をして、今まで以上に共に過ごす時間を濃密にして、今まで以上に愛し合う。
   距離は離れても、心が離れない。そして、距離が離れるならそう思わないくらいに身体にお互いを染み込ませればいい。何だ、泣くほどの事じゃないじゃないか。
   だからその考えには、賛成だ。

「ーーきゃっ!?」

   だったら急がなくちゃならないな。驚くくらいに軽い彼女の身体を抱き上げ、個室の扉を開ける。

「まあ……っ♪」
「お姫様抱っことは、素敵ねー♪」
「フィーちゃん羨ましー♪」

   顔を真っ赤にしたままおろおろするフィネアを抱き上げたまま店内を通り過ぎる。周囲の好奇の目は完全に無視だ。今は忙しい。
   出入り口にまで来て、

「ーーお帰りになられるのですか?」

   その前に立ち塞がる、俺を最初に出迎えてくれたチーフメイドさんの前に立った。

「フランソワさん……?」
「……」

   彼女は無言のまま、無表情のまま俺の顔を見つめている。
   だから俺は、言った。

   メイドさん一人、テイクアウトで。

「ーー畏まりました。当店を、『ロミ・ケーキ』をご愛顧していただき、今までありがとうございました」

   フィネア以上に完璧な動作で一礼し、滑るように道を譲ってくれた。
   空いたその道を、俺は突き進んだ。
   店を出ると同時に、何故か拍手が響いてきた。それも、一つだけではなく、複数だ。

「ーー祝福、してくれてるんでしょうか」

   まあ、そういう事にしておこう。面白がってるだけかもしれないけど。
   店へと続く階段を降り、街道を走りながら、俺は言う。
   今日は。今日と明日はさ。
   お互い、どっちがどっちかわかんなくなるくらい、身体にお互いが染み付いて離れなくなるくらいに、しようか。

「ーーはい……っ! 存分に……♥」
16/01/24 09:54更新 / イブシャケ
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■作者メッセージ
あー新しい職場ダルい……。
どーも、イブシャケです。ちょっと遅れました。待ってくださってた方すいません。

カッコいい事言えるようになってはいるけど、やっぱお互い一緒にいなきゃダメみたいですねー。私だったら迷わず魔界へゴーアヘッドですが。

空気的に何と無く感じてる方も居るんじゃないかとお思いでしょうが、この話ももうすぐ終わりを迎えます。具体的に言うと、激しくエロい事する回と、ねっとりエロい事する回と、お別れする回の三回ですね。もうすぐじゃないですね。表現的にはあとちょっとでしょーか?

そういえば、気付けば閲覧数2万越え、投票数なんて120越えになっちゃってますな。
もう嬉し過ぎてどう反応すればいいか軽く麻痺ってます。しかし、ブラックな作品を手掛ける人間である以上、この息抜き作品が評価されている状況にちょっと複雑な気持ちになってます。需要が少ないからなんだろうけど、何つーかなー。
という訳で過去作を読んで絶望してもいいのよ?(宣伝)
まあ、冗談ですが。

ヘタレ男と妄想メイドの物語もあとちょっと。ちゃんと書き終わるかはまあ、リアル事情次第ですが、気楽に書き上げますかねー。
ではでは。

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