賢明なる宇宙恐竜 無双の蝿姫
『さっさと終わらせるとするか』
自身の復活に対する隠された真実ーー縁もゆかりも無いはずの、目の前の巨大な怪物との関係。それらを告げた魔王の言葉は胡散臭いものであったにもかかわらず、エンペラは強く興味を惹かれた。
本国への帰還のためだけでなく、その真実を知るためにも魔王を倒そうとする。
「貴方が救世主とはいえ、私もズイブンと甘く見られたものね」
「………………」
エンペラの放言に目を細め、くすりと笑う魔王。同時に、背後の巨大な怪物が左右の鎌を合わせて研ぎ、火花を散らせる。
「まぁいいわ。“義理の息子”の言葉故、大目に見ましょう」
『何だと?』
皇帝はまさに苦虫を噛み潰したという表現が一番しっくりくる、極めて不愉快そうな顔で魔王を見た。
魔王の中ではエンペラ一世は47番目の娘、ミラの夫となることが決まっているらしい。もっとも、そのミラは惚れた男に拒絶され、破壊光線を浴びせられて焼き殺されかけたばかりである。
『いつ余が貴様の息子になった!!!!』
「ミラが貴方に惚れてからよ」
ミラは皇帝を見た瞬間、一目惚れをしてしまった。如何にエンペラが拒絶し、手ひどく扱われようとも、金輪際彼以外の男を愛することはないだろう。だからこそ、彼はミラの婿とならねばならないーーミラはもう、彼なしでは生きられないのだから。
「貴方も後ろの子と同じ、私の可愛い息子になるのよ」
『化け物を嫁に貰うつもりも、姑に持つつもりもない!!!!』
魔王の言葉が余程腹に据えかねたのか、皇帝は声を荒げて拒絶する。
「もう決まったこと。覆せないわ」
淡々としているが、同時に有無を言わさぬ口調でもあった。それこそ魔王らしい、傲慢で他者の事情など一切慮るつもりなどというようなものだった。
『やはり貴様らとは相容れぬな!!!!』
解っていたことではあるが、改めてそれを再認識する。魔物と会話をしたところで理解の出来ない返答が来るだけだ。
「今はそうでも、いずれ変わるわ。魔物と人間が一つとなり融け合えばこんな醜い争いなどない、愛と情欲に満ちた素晴らしい世界がやって来るのよ……♥」
神が定めた永劫不変の法則も、いずれ魔王の力が神々を上回れば変わる。彼女が恍惚の表情でその“希望的観測”を語る様に、皇帝は再び嫌悪感を覚えた。
『貴様の言う世界とやらを、何と呼ぶか知っておるか?』
「天国?」
『いいや、『地獄』だ』
魔王の狂気の野望を聞き、忌々しげに吐き捨てるエンペラ。旧時代の魔物しか知らぬ故に、皇帝には魔王の理想とする世界は絶望そのもの、この世の地獄に映った。
「残念ね。私の理想を理解していただけないとは」
頑なな態度の皇帝を見て嘆息する魔王。分かってはいたが、目の前の男の考えはやはり変わらない。
「けど、だからこそ理解のための“教育”のし甲斐はありそうね♥」
しかしここで気を取り直し、魔王はねっとりとした笑みを浮かべる。
『さすがは魔物(クズ)どもの親玉らしい傲慢さと身勝手さだな。貴様の理想など所詮は狂人の戯言以下、まだ路傍の石の方が役に立とう。
そんなものをこれ以上人類に押し付けられては迷惑だ。この不浄の地と貴様の命諸共、余がこの世から消し去ってくれるわ!!』
両者はここで議論を打ち切り、再び戦闘状態となった。
『ヴォォオ! 見えたゾ、あそこダ!』
『いた! いたいた! 陛下だよー!』
『………………』
『我等が一番乗りか』
『ゲガガガガ! 御無事だァ!』
『グモモモモ………いや待て!』
『ちょっ、何よ?』
『何ダ?』
『あぁ成程、お前が言いたいのはあの女だろう? 確かに凄まじい魔力の波動を感じる』
『グムム、その通り。恐らくは奴こそが……』
『魔王か!』
『………………どうする?』
『いくら私たちでも魔王相手にはどうしようもないよ〜〜』
『ゲガガ〜! だが、ここで退いては貪婪軍の名折れだ!』
『ヴォォオォォ! そうダ! 何をシにこんな場所まで来タと思ってるんダ!』
『我等は陛下と将軍方をお救いするため、ここまで来た』
『………………おめおめ帰ったところで他の連中に手柄を盗られるだけ』
『グムグム、ここまで来たのだ。今更命を惜しんでいる場合ではない』
『そっか、決まりだね。では貪婪軍らしく………』
『『『『『『喰って喰って喰い尽くす!!!!』』』』』』
『ん?』
「あら、お客さんのようね」
「………………」
皇帝と魔王、怪物の戦いが始まるかと思いきや、ここで皇帝側に加勢が入る。
『あぁ陛下! 御無事で!』
『ほう。一番乗りは貴様等か』
魔王城上空で戦う二人と一匹の前に現れたのは、皇帝の部下と思わしき灰白色の軍服と軍帽という格好の女。
『貪婪軍団・ボガールモンス隊隊長ボガールモンス・ディオーニド。陛下をお迎えにあがりました』
(あらあらまぁまぁ、ズイブン大きい子だこと!)
現れた女を見て魔王は驚く。この女は人間でありながら魔物娘にも劣らぬ若々しくて圧倒的な美貌だが、同時にゾウやシャチ並という凄まじい高身長で、一瞬騙し絵でも見たのかと錯覚するほどであったのだ。
そして全身に返り血を多量に浴びており、それは服が元は灰白色であったのか分からぬほどに変色させ、全身から血と脂の異臭を放っていた。このように色々な意味で人間離れしており、魔物娘よりも余程化け物じみている。
『陛下。ここは私に任せ、一刻も早い退避を』
『そうしたいところだが、あいにく余は人気者でな』
駆けつけた女にそう勧められるも、皇帝はうんざりした顔で魔王を右親指で差す。
『此奴等が帰してくれぬのだ』
「そうねぇ。来る者は拒まず、去る者は追うのが魔物娘だもの」
魔王が朗らかな笑顔で宣言する通り、彼女は皇帝を帰す気はない。
「解っていただけるかしらお嬢ちゃん?」
『………』
皇帝を取り戻すのが最優先である以上、軍服の女は魔王と余計なおしゃべりをするつもりはない。
「あら?」
ボガールモンスは両手から強力な波動を放つ。すると、それが魔王に纏わりついて拘束してしまった。
「へぇ……私相手になかなかやるわね。褒めてあげる」
『………………』
『!』
魔王を足止めしつつ、彼女は皇帝に目配せをする。その意図を汲み取った魔王はその場から逃走しようとするもーー
「………………」
その途端、怪物が行く手を阻むかの如く立ちふさがる。
『鬱陶しいな』
顔をしかめる皇帝。
『御安心を。“彼等”にお任せくださいーーさぁ出番だよ“貪婪六獣士”!!!!』
『『『『『応!!!!』』』』』
ボガールモンスの呼びかけに応え、空間を叩き割り、五人の男達が現れる。
一人目は鼻先に角を持つ竜を模した黒い兜をかぶり、全身鋭い棘だらけの黒い鎧を纏った凶暴そうな面構えの巨漢。
二人目は一人目とは逆に醜悪な容姿をした肥満体で、上下に迷彩服を着た茶色い短髪で、あばた面の大男。
三人目は赤い袴に白い道着を羽織った、オールバックの金髪と屈強な肉体の男。その目付きは鋭く、全身から圧倒的な“悪の風格”を醸し出していた。
四人目は二人目同様の肥満体で、そして黄土色のショートパンツとブーツだけというほとんど裸同然の格好の男。しかし、生身の部分にはテニスボール大の不気味な肉塊が大量に張り付き、蠢いている。
最後の一人はボガールモンス、いやアークボガール以上に巨大な体躯であり、文字通りエンペラ帝国軍きっての“巨人”。普段着そのままと言えるほどの軽装だが、巨躯に相応しい筋肉が鎧の代わりとなり、滝の如き長い白髪と髭を生やしている。
いずれも隊長格と思わしき風格であると同時に、何者をも怖れぬ獰猛さを感じさせる。さらには魔王を目の当たりにしても全く欲情がない、恐るべき精神性を見せていた。
『ゲガガガガガガ! こりゃあたまげたな!! なんちゅう醜い魔物だぁ!!!!』
エンペラ帝国軍貪婪軍団・軍団長補佐・ギマイラ隊隊長
“霧の驪竜(りりょう)”ギマイラ・ドラギニャッツォ
『………………不味そう』
エンペラ帝国軍貪婪軍団・軍団長補佐・バルンガ隊隊長
“文明の天敵”バルンガ・シーピン
『いいではないか。これほどの大物ならば、さぞ断末魔も素晴らしかろう』
エンペラ帝国軍貪婪軍団・軍団長補佐・ウルフ隊隊長
“餓狼伝説”ウルフ・ミゼーア
『ヴォオォォオォオオ!!!! 確かになかなかデカイ! さぞ血ノ量も多かろウ!!』
エンペラ帝国軍貪婪軍団・軍団長補佐・オコリンボール隊隊長
“吸血型集束爆弾”オコリンボール・バタービーン
『グモモモモ………初めて見る魔物だからな。どういう味か楽しみだ』
エンペラ帝国軍貪婪軍団・軍団長補佐・バキューモン隊隊長
“暴食星雲”バキューモン・ネビュラ
『貴様等も来ていたか“六獣士”』
『『『『『はっ』』』』』
ボガールモンス、ギマイラ、バルンガ、ウルフ、オコリンボール、バキューモンーーアークボガール麾下の隊長達の中でも選りすぐりの六人“貪婪六獣士”。エンペラ帝国軍の中でも戦闘能力と残忍冷酷さは群を抜き、旧魔王軍からも現魔王軍からも怖れられた凶悪なる六人組である。
「……相当好き勝手をやってくれたみたいね」
拘束されながらも、珍しく嫌悪感に満ちた表情を見せる魔王。返り血と脂にまみれ、下卑た笑みを浮かべる彼等の姿をひと目見た途端、鷹揚にして慈悲深い魔王も一目で『更生不可能』であると直感したほどだった。
「ふんっ」
右手に持った【妖刀ゲッコウ】が妖しく輝くと、魔王の拘束が破壊される。
「貴方の相手はいくら私でも一人では骨が折れる」
皇帝はエドワードすら破ったほどの男。いくら魔王でも一人では骨が折れる相手である。
「だから、彼等の相手は任せていいかしら?」
故に、魔王は背後の怪物と組んで戦いたかったし、邪魔が入ることもこれ以上好まなかった。しかし、エンペラ帝国軍は当初の予想以上に大兵力であり、エンペラとエドワード達が戦っている最中、城に残していた精鋭達もその討伐へと向かわせてしまっており、今城内に残っている者はほとんどいない。
その最低限の人員の中で現在魔王の一番近くにおり、また実力の高い者はーー
「はい。お任せを」
クレアだった。
『『『『『『!』』』』』』
主の呼びかけに魔王城から飛び出し、一瞬でここまでやって来たベルゼブブ。その速さはエンペラ帝国軍の上位の実力者達である六獣士でさえ捉えきれぬものであった。
『ほう。速さだけならリリム以上か?』
その飛行速度には皇帝も感心した様子だった。
「彼女はね、魔王軍でも数少ない“ディーヴァ”の称号の持ち主よ」
「恐悦至極であります」
主君直々の紹介に照れて頬を染めるクレア。
『ゲガガガガ! 陛下、あの虫けらの始末は我々にお任せください!』
『ヴォオォォ! 下等生物風情ガ! 2分デ片付けてヤル!』
「へぇ〜〜、甘く見られたもんだね」
勇んで進み出たのはギマイラとオコリンボール。対するクレアだが、チェシャ猫以上にニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。
「ま、いいか。さっさとかかってきなよ」
『ゲガガガガガガ!』
高笑いを上げながら、ギマイラは口からミミズやヒドラにも似た、何十条にも枝分かれした巨大な触手状の舌をクレア目がけ射出する。
『ーーーーガッ!?』
高速で伸びた舌がベルゼブブを刺し貫いたーーかと思われたが、その瞬間クレアの姿が掻き消える。ギマイラが現状を認識する前に、既にクレアの右上段蹴りが彼の顎を捉え、兜越しに蹴り上げていた。
『ァ〜〜〜〜………………』
巨大な舌が仇となり、おもいきり噛んでしまったことで口から鮮血が噴き出す。さらには顎への蹴りのクリーンヒットが彼の脳を揺らし、頭骨内部で数千回にも渡って激突、脳震盪の症状を作り出した。
多くの魔物を殺戮し、世界中で怖れられ恨まれた男。しかしそんな彼も、一分も経たぬ内にたかがベルゼブブの蹴り一発で沈んだのだった。
『ギマイラ!? おのれハエめェヴォオォォオォ!!!!』
瞬殺された同僚の不甲斐なさに怒るも、同時にその雪辱を果たすべく、オコリンボールは王魔界中に散らばらせ、吸血させていた【チルドボール】を呼び寄せて集結させる。
血を吸って増えに増えた吸血ボールの数は最早空の色すら変えかねないほどだ。一個一個が人間も魔物も殺すに足るそれらが無数に集まるその光景は絶望そのものとさえ言えた。
『ヴォグゥ!!!!』
ーーもっとも、それらがクレアに向けられる前に、左踵落としが脳天目掛けて叩き込まれていたのだが。
世界中で大被害を出した吸血ボールの恐怖も、本体が失神して意識を失った今ここでは披露されることはなかった。
「ん!」
クレアの意識が肥満体の醜男に向いていたとはいえ、背後を取っていた男。そのまま右脚でローキックを繰り出すも、当然クレアは上に跳んであっさり躱す。
ーーが、男の蹴りはそもそもフェイント。クレアの意識をそちらに集中させ、また攻撃を躱して生まれた一瞬の油断と、“二撃目”を受けきれぬ位置と体勢にするのが狙いである。
『【烈風拳】!!』
「ーーーーッガァっ!?」
そうして、狙い通りの行動を取ってくれたクレア目がけ、男の左手から真っ直ぐに飛ぶ闘気の波が叩き込まれる。ベルゼブブはらしからぬ低い声で苦悶の悲鳴を上げ、よろめいた。
『良い悲鳴だ』
満足げに笑みを浮かべる三人目の刺客はウルフ・ミゼーア。
『だが、見た目の割に声に艶やかさというものがないな』
戦場でありながら武器を持たぬ素手、白い道着に赤い袴という姿は異彩を放つ。しかし、これこそがこの男の戦装束なのだ。
「……そういうサービスをするのは夫にだけだよ」
細身の体にまともに攻撃をくらうも余裕綽々、負けじと言い返すベルゼブブ。目立った外傷はない通り、クレアは見た目よりは遥かに頑丈であるが、それでも内臓にはある程度のダメージは受けていた。
『ふむ、そうか。ならば、せめて断末魔は素晴らしいものにしてくれよ?』
「いやいや、アンタの方が上げてくれるんでしょ?ーーソプラノの断末魔をさぁ!!」
先ほどとは逆に、一瞬でウルフの背後へと移動するクレア。
「っ!」
しかし、首を狙った右手刀は即座に振り返ったウルフによって掴み取られる。
「ふっ!」
『ぐっ!?』
だが、クレアは握られた手を中心に即座に魔力で体表に膜を作った。それで僅かに隙間を作ると共に、掴まれた手刀を軸に錐揉み回転して敵の手から滑らせ、拘束を強引に振りほどいた。
驚くのも束の間、回転を利用した変形の延髄斬りを後頭部に叩き込まれる。
『……!』
「ぐぅ!?」
ーーもウルフは気絶せず、まさに怒髪天を衝くという憤怒の形相でクレアを見据え、反撃の気刃を叩き込む。
『んんんんんー、許るさーん!!!!』
空中に浮き上がったベルゼブブの華奢な体に、
『【レイジングストーム】!!!!』
「うぁああ!!」
下方に闘気を叩きつけて発生させた狼の下顎を思わせる気の刃が喰らいつき、さらに跳ね上げた。
『とどめだ!!!! 無様な悲鳴を上げろ!!!!』
ウルフは自身も上空に跳び、両手に球状の気を溜めーー
『【羅生門】!!!!』
渾身の力でベルゼブブに叩きつけた。
『ーー!?』
ーーが、ベルゼブブの姿は既にそこにはなかった。
『残像!?』
「せいか〜い」
『っ!』
後ろの声に反応し、先ほどとは逆に自らが振り返り、右肘を叩き込むウルフ。
『がっ…!』
しかしそれが当たる前に、既にクレアの魔力を帯びた左爪が彼の後頭部に突き刺さっていた。金髪の餓狼の意識はその時点で刈り取られ、先の二人同様下界に落下していった。
『何たるザマだ。これが今の帝国軍の精鋭の実力か』
エンペラ帝国軍の精鋭の三人が立て続けに敗れたのを見て、失望しきった表情で吐き捨てるエンペラ一世。
「彼等が弱い者いじめばかりしていたからよ」
『………』
皇帝の落胆に対し、彼女らしからぬ冷淡な表情でそう告げる魔王。
「好んで弱者ばかりを踏み躙っていた卑怯者に、誰にも負けない強さなど身につきはしないわ」
『そんな卑怯者の代名詞が魔物だ。その親玉である貴様が、そう余に説教出来る立場だと思うのか?』
魔王の指摘は甚だ不愉快であったようで、皇帝は険しい顔で彼女を睨み、負けじと言い返した。
「私は事実を述べているだけ」
『フン…』
皇帝は不機嫌そうに鼻を鳴らすが、結局それ以上反論しなかった。
『六獣士!』
『は、はいっ!』
『たかがベルゼブブ一匹相手にこれ以上遅れを取ることは許さぬ。どんな手を使ってでも其奴を討ち取れ!』
『『『はっ!』』』
不甲斐ない六獣士に活を入れ、皇帝は再び魔王と怪物の方に向き直る。
『では、こちらも続きといくか』
「助けなくてイイの〜?」
『無用だ』
笑みを浮かべて答える皇帝。なんだかんだで部下は信用しているのだろう。
「なら、クレアさんの勝ちは決まったわね」
しかし、部下を信頼しているのはこちらも同じだ。皇帝の干渉が無いのなら、勝利するのはこちらの方だと魔王は断言する。
「さて、残りは三匹。早く片付けてゼットンとエッチしたいなぁ」
クレアの強さは圧倒的である。しかし、魔物娘である以上クレアが真に興味を持つのは戦いでなくエロ方面であった。
夫はまた姿をくらまし、主君は謎の怪物と共に敵の親玉と戦っているが、これらさえ終われば彼女は淫らな日常に戻る。愛する夫との淫行三昧の日々こそが彼女にとっての幸せであり、真に欲するものだ。
『グモモモモ………甘く見られたものだな』
『………………だが、確かに奴は強い』
『でも、私たちには勝てないよぉ〜!』
多少やる気に欠けるクレアとは逆に、残り三人はベルゼブブを仕留めることに全神経を集中させていた。これ以上皇帝の前で無様を曝せば、最悪処刑さえありえるからだ。
『さっさと殺って、喰っちゃいましょ!』
『『了解』』
「………………」
あっさり敗れはしたが、先の三人もまともに戦えば相当の苦戦は免れない相手だとクレアは理解している。だからこそ敵と同じ土俵に立つ気はない。
先手必勝。敵が本領発揮する前にことごとく潰してきたからこそ、彼女は常に勝利を収めてきた。
「……それはムリだね」
三人に対し、冷淡にそう言い放つクレア。彼女が速いのは飛行速度だけではない。三人が会話を交わした時点で、準備は既に整っていたのだ。
『! 貴様等そこから離れろ!!!!』
「余所見してていいの?」
『チィ!』
クレアの目論見に気づいた皇帝は部下達に警告するも、余所見した瞬間に魔王からは普段の王魔界の数百倍の濃密な魔力を帯びた淫毒霧とミラを上回る技量の幻術が撒かれ、さらには両者を取り囲む空間の重力までも滅茶苦茶にされてしまう。そんな苦況の中、妖刀ゲッコウからの斬撃の乱打が発せられ、皇帝を追い込む。
『『『!』』』
クレアの周囲を覆う白色の結界。しかし、それは『防護』結界ではない。精液の塊にも似た膜はクレアの視界さえ遮ってしまいそうなほどに濃く、その意図の不明さが不気味であった。
『っ!』
『グム……!』
『かっ………』
それからすぐバルンガとバキューモンは各々全身に何かを当てられた気がしたが、その時既に遅し。何故か急に全身が動かなくなり、意識を失って皆大地に落下していった。
「ふぅ…」
ため息をつくクレア。彼女は魔術が得意でないため、こういった術はあまり使いたがらないのだが、効果覿面であった。
「身長があんだけデカくても、脳が揺さぶられりゃ効果あるんだね。勉強になったよ、アリガト」
クレアが発したのは『超音波』ーー人間である以上、クジラ並の身長のバキューモンに対しても効果があった。しかし、普段は単に飛行時に羽から撒き散らされているだけで、そもそも人間の可聴域を超えているために誰にも聞こえない。けれども、普段は単なる聞こえない音でしかない超音波も、クレアが張った結界【メロンフィールド】を通すことで収束、人間を倒す威力を持った『音響兵器』と化す。
結界を通して放たれた超音波は指向性を持ち、命中した生物の全身の水分を揺さぶり、さらにその影響は脳まで及ぶほどの効果を発揮する。例えバキューモンほどの巨体であろうと全身に水分が含まれている以上効果があり、かつ超音波なので五感では捉えられない。また発生源である羽ばたきもベルゼブブの性質上常に行われているため違和感がない。
そして質の悪いことに、これ自体はそもそも魔術でもなんでもない『ただの音』のため、大抵の防護結界などもすり抜けてしまうのである。さらにはあらゆるエネルギーを吸い尽くす能力を持つバルンガも、彼が周囲の状況を確認するために音波は例外としていたのが仇となり、対処出来なかった。
『……超音波、か』
しかし指向性を持たせるため、普通の音波のように拡散せず、狙った場所でないと当たらない。皇帝の警告が功を奏したのかは不明だが、三人の内ボガールモンスだけは発射前に素早く移動していたことで当たらず、難を逃れていた。
「ふ〜ん。図体の割にはめっちゃ素早いじゃん」
自らの不意打ちを逃れたことに感心した様子でクレアは巨女を褒める。実際、その体格の割には動きが桁外れに素早く、またクレアの技の出だしを読んでいるなど、女ながら精鋭集団のリーダーを務めるだけのことはあり、単なる木偶の坊ではない。
『こっちも私以外はみんなやられちゃった。ベルゼブブなんてザコと思ってたけど、アンタは例外みたいだね〜』
「そりゃ当然。ディーヴァの称号は伊達じゃないよ」
クレアは自慢気に胸を張る。事実、ディーヴァの称号を得ることが出来るのは数多の強者ひしめく『王魔界格闘大会』において部門ごとの優勝者・準優勝者のみだ。かつて世界にその名を轟かせたエンペラ帝国軍の隊長相手だろうとその強さは引けを取らない。
『まぁ、アンタが何者かは私にはどうでもいい』
「………………」
『アンタがダレであろうと………………カンケーない!!!!』
「っ!」
ボガールモンスが目の前から姿を消す。その瞬間を目の当たりにしたクレアは己の直観に従って即座に超速で前進すると、一瞬遅れてベルゼブブの居た場所に『巨大な顎のようなもの』が現れ、噛みついていた。
(速い。でも、私みたいな高速移動じゃないーーーーゼットンと同じ空間移動か)
飛行に秀でているだけあって、クレアは一瞬で背後の女の特性を看破した。
『あらら、ざんね〜〜ん♥』
巨大な顎を形作っていたのはボガールモンスの髪の毛だった。
「何だいそりゃ……どっちが魔物なんだか……」
ただでさえ化け物じみた巨体なのに、攻撃方法まで人間らしからぬ様を見たクレアは呆れ顔でそう評する。
自身の身長よりも遥かに長く伸び、鰐の口にも似た凶悪な形へと変貌したそれは喰らいついた全てを噛み千切り、咀嚼し、呑み込む破壊力を誇る。そして喰われた哀れな犠牲者はそのままこの巨女の栄養へと変換され、その巨体を維持するために吸収されてしまう。
さらに悪いことに、この女は瞬間移動能力を持っている。単純な速度ならばクレアをも上回る速さで移動し、死角からその髪顎で喰い殺すのがこの女のお得意のやり方だった。
『ハアァァ!』
「!」
髪は自由自在に動かせる上、凄まじい長さまで伸長出来るらしい。ワームやサンドウォームをも上回る長さまで一瞬で伸ばしたかと思うと、クレアとの間の空間を丸ごと包み込むほどの大きさまで拡げた。
『これでもう逃げられないでしょぉ?』
「それはどうかな?」
勝ち誇るボガールモンスに、クレアは可愛らしい顔で意地悪く笑う。
『逃げれるモンなら逃げてみなよ!!!!』
その余裕ぶった態度が気に障ったボガールモンス。そのメッキを剥がすべく、クレアを周辺丸ごと包み込んだ髪は再び顎の形に変形すると、その上下の顎を閉じようとする。
『!?』
そうしてハエトリグサに捕まったハエの如く、そこでベルゼブブは捕食されるかと思われたーーが、顎を閉じきる前に凄まじい衝撃が生じる。
『な、何!? 何なの!?』
衝撃による反発は全方位に及び、髪顎は段々とその圧に押され、パンパンに膨らんでいく。
『くっ! このぉ! おとなしくしなよぉ!!』
捕らえてしまえば後はどのようにでも喰えると考えていた。しかし、それは間違いであった。
目の前のハエは顎に捕らえられて尚、大暴れし、呑み込むことが出来ない。
『あぁもう! こうなったらぁぁ!!!!』
激しい抵抗に苛立つボガールモンスは先ほど魔王さえ拘束したほどの念動力を放ったが、今度はそれを髪の毛の先から放つ。捕まえさえすれば後は一髪、いや一噛みで終わる。
「うっ!」
クレアは呑み込まれる寸前、全速力で狭い空間の中を飛び回り、それに伴うソニックブームを発し、髪顎を押し返していた。しかし、ただでさえ狭い空間で無茶な飛行をして疲労していた上、念動力は衝撃波では押し返せないため、為す術もなく囚われてしまった。
『アハハッ♪ つ〜かまえた♪』
自分以外の仲間を全滅させた挙げ句、自身にも激しい抵抗を見せたベルゼブブを捕まえ、ボガールモンスの気分は高揚する。
『エヘッ……ハァハァ………♥』
「……!」
途端、エンペラ帝国軍の中でも突出した残忍さを誇る貪婪軍団らしい気性が顔を出す。顔は紅潮し、息も荒くした姿は、魔物娘並に美人な彼女らしく一見色っぽいがーー狂気を帯びた双眸と涎を垂らす口、口元に浮かべた歪んだ笑みがそれを台無しにしている。
「きも……」
目の前の女の殺意、食欲、嗜虐心ーーその狂気を垣間見たクレアは戦慄し、嫌悪感と侮蔑を含んだ言葉を顔をしかめて口走った。だが、いくらクレアが嫌悪の感情を見せようが、今の絶体絶命の状況は好転するはずもない。
『アハハハハハハ』
敵からの侮蔑を気にしないのか気づいていないのか。巨女は笑い声と共に両顎をガチガチと打ち鳴らし、それに連動し、クレアの上で髪顎が打ち鳴らされる。
『それじゃーーーーいただきまーす♥』
ようやく食事にありつける。ベルゼブブ一匹、彼女の巨体からすれば大して腹の足しにもなりはしないし、味も大したことはないだろうが、ここまで自分達の顔に泥を塗った不愉快な輩を喰うとなれば、喜びも一入だ。
血に餓えた巨大な髪顎がベルゼブブの頭上からゆっくりと迫りーー
『ーーーーあ?』
ーーベルゼブブの上半身を呑み込みかけた瞬間、根本から大鎌で切断された。
『いっ………ぃぃだだぁぁあァァァァァァァァァァァァッッッッ!!!!????』
途端我を忘れ、絶叫を上げるボガールモンス。髪の毛とはいえ、自由自在に操れる関係で触覚・痛覚も持ってしまっている。それが丸ごと切り落とされたため、当然その痛みは半端なものではない。
「あ……」
変形が解かれた髪の毛から現れたクレアの目に映ったのは、巨大な黒い怪物であった。
『私の髪がァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ』
痛みのあまり錯乱するボガールモンス。背後の怪物を相手取る余裕どころか、そもそも存在すら認識していない。そんな有様の巨女目掛け、怪物はとどめとばかりに左の大鎌を振り下ろすがーー
「やめてよゼットン!」
敵の殺害を良しとしないクレアが制止し、大鎌がボガールモンスの頭上ギリギリの所で止まる。
「……?」
しかし、ここでクレアは我に返る。何故この怪物に対し、自分の夫の名を叫んで制止したのか?
「はっ!」
そして、聡明な彼女はここで真実に気づいてしまう。
「ゼットン、なの……?」
「………………」
直後、信じられないといった様子で頭上の巨大な怪物を見上げるベルゼブブ。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』
だが、怪物が問いに答える前に、怒り狂った巨女が空間移動で現れると、再び髪の毛を伸ばした顎で怪物の鎌に噛み付く。
『!?』
「あ〜あ……」
クレアが呆れる通り、巨女は狙う相手を間違えていた。鋼鉄をも噛み砕く髪顎も、怪物の鎌には文字通り歯が立たなかったのだ。せめてクレアの方を狙えば、負傷ぐらいはさせられたかもしれないのに。
『ギャッ!!!!』
態勢を立て直すべく、ボガールモンスは一旦別の場所に転移するも、なんと同じタイミングで怪物がそこに現れた。逃げ場がないと巨女が悟り、絶望した瞬間右鎌で叩かれ、他の五人同様地上へと落下していった。
「ご自慢の部下達は貴方の信頼に応えられなかったようね」
『………………』
魔王の妨害から脱出し、戦っていた皇帝だが、部下が瞬殺されたことを揶揄され、怒りの表情を浮かべる。
落下していった六人は王魔界の大地に満ちる魔力によって優しく受け止められ、転落死は免れていた。だが皇帝には何故生きているのかは知る由もない。
『あのハエと黒い化け物が想像以上だったというだけだ』
クレアと怪物の活躍を忌々しげに吐き捨てる皇帝。
「そんな子達がこの王魔界には大勢いるのよ?」
『その割には我が帝国軍に手こずっているようだな?』
負けじと言い返すが、威勢に反してエンペラはやや焦りつつあった。軍団長補佐級ですらベルゼブブ相手にあっさり沈むようでは、魔王相手では足止めすら不可能であるからだ。
いくら救世主の遺産が2つあったところで、王魔界で魔王を相手しながら逃げるのは皇帝でも非常に困難であった。
〈ビビビビー! ビビビビー!〉
『!』
「!」
〈陛下! 御無事ですか!?〉
皇帝が思案する中、突如けたたましく鳴り響く電子音。そして、彼の前に魔術による長方形の映像が投影される。
『その声はビーコンか』
〈はっ!〉
エンペラ帝国軍雷電軍団・ビーコン隊隊長
“怪奇映像”ビーコン・ティーヴィー
〈陛下、準備は整いました。早く脱出を!〉
『何だと?』
〈おい、そこの女! これを見るがいい!〉
ビーコンは魔王を指名し、彼女の前にも長方形の投影映像を出現させる。
「! これは!?」
魔王の前に出現した映像。そこに映るのはビーコン隊の面々と、捕らえられた幼い魔物娘達であった。
〈うわーん!〉
〈たすけてー!〉
皆少女、いや幼女と言えるほどに幼い。言葉は理解出来る年齢ではあるが、男を犯すことはおろか、まだ走り回るのも難しいほどに小さい子もいた。
〈貴様への我々の要求はただ一つ! 皇帝陛下の解放だ!〉
「すると思う?」
〈そうだな。貴様がそう簡単に陛下を解放するとは我々も思っていない。
……だが、この光景を見ても、貴様はそう言い続けていられるかな?〉
陰惨な笑みを浮かべたビーコンが右手の指をパチンと弾くと、縛り上げられた幼子達に隊員達が水をかける。
〈始めろ〉
〈はっ!〉
兵士達の手から電流が奔り、それが幼女達へと浴びせられる。
〈うわああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアア〉
〈いだいいよぉぉおぉぉぉぉぉぉ〉
「おやめなさい!!!!」
幼子達が電気ショックで拷問される映像に魔王は驚愕。やめるよう映像越しにビーコンに訴えるがーー
〈やめるか続けるか、それを決めるのは我々だ!〉
「……!」
「陛下! 早く場所を特定してください! 場所さえ分かればあいつらをすぐにブチのめして子供達を助けてきます!!」
ボガールモンスを打倒し、いつの間にか戻ってきていたクレアだが、目の前の惨劇が腹に据えかね、救出すると息巻いた。
〈今どれぐらいだ?〉
〈50ミリアンペアです。人間なら普通に心室細動を起こして死にますが、さすがは魔物。幼子なのに死ぬ気配が一向にありませんね〜〜〉
「うるさい!! それ以上喋るな!!!!」
激怒したクレアがまくしたてるがーー
〈ならば止めに来るか? それもいいだろう。だが、我々を止められても……〉
「「!!」」
魔王とクレアの前に一瞬で200以上もの大量の画面が空中に投影される。そのいずれでも幼子なり大人なりが囚えられた様子が映し出されていた。
〈エンペラ帝国軍は王魔界の各地に散っている。私達を潰しても、まだまだあるぞ?〉
雷電、爆炎、氷刃、貪婪、超獣ーーその全てが魔物娘と戦い、勝利したわけではないが、それでも魔王に躊躇わせるほどの“成果”を挙げていた。
〈解っていただけたかな? では、賢明な判断を期待している。
ああ、そうそう。魔術で居場所を特定したり、攻撃してきても別にかまわないが、それに対する備えは当然してあるからな。
無論、決断が遅くなればなるほど被害が拡大することもお忘れなく……〉
『ちと格好悪いやり方だったが………』
居城に戻ってきたエンペラ一世は居室で椅子に座り、浮遊島産の葉巻を燻らせながら、ひとりごちる。彼を最後に救ったのは己の実力でも、救世主の遺産でも、圧倒的な帝国軍の武力でもなく、人質というあまりにも卑劣過ぎる方法であった。
『仕方ないか』
非常時とはいえ、ああいう逃げ方ではさすがに皇帝も思うところはあった。しかしやり方はどうであれ、あの王魔界から脱出出来たのは事実。それを今更どうこう言っても仕方のないことだ。
自身の復活に対する隠された真実ーー縁もゆかりも無いはずの、目の前の巨大な怪物との関係。それらを告げた魔王の言葉は胡散臭いものであったにもかかわらず、エンペラは強く興味を惹かれた。
本国への帰還のためだけでなく、その真実を知るためにも魔王を倒そうとする。
「貴方が救世主とはいえ、私もズイブンと甘く見られたものね」
「………………」
エンペラの放言に目を細め、くすりと笑う魔王。同時に、背後の巨大な怪物が左右の鎌を合わせて研ぎ、火花を散らせる。
「まぁいいわ。“義理の息子”の言葉故、大目に見ましょう」
『何だと?』
皇帝はまさに苦虫を噛み潰したという表現が一番しっくりくる、極めて不愉快そうな顔で魔王を見た。
魔王の中ではエンペラ一世は47番目の娘、ミラの夫となることが決まっているらしい。もっとも、そのミラは惚れた男に拒絶され、破壊光線を浴びせられて焼き殺されかけたばかりである。
『いつ余が貴様の息子になった!!!!』
「ミラが貴方に惚れてからよ」
ミラは皇帝を見た瞬間、一目惚れをしてしまった。如何にエンペラが拒絶し、手ひどく扱われようとも、金輪際彼以外の男を愛することはないだろう。だからこそ、彼はミラの婿とならねばならないーーミラはもう、彼なしでは生きられないのだから。
「貴方も後ろの子と同じ、私の可愛い息子になるのよ」
『化け物を嫁に貰うつもりも、姑に持つつもりもない!!!!』
魔王の言葉が余程腹に据えかねたのか、皇帝は声を荒げて拒絶する。
「もう決まったこと。覆せないわ」
淡々としているが、同時に有無を言わさぬ口調でもあった。それこそ魔王らしい、傲慢で他者の事情など一切慮るつもりなどというようなものだった。
『やはり貴様らとは相容れぬな!!!!』
解っていたことではあるが、改めてそれを再認識する。魔物と会話をしたところで理解の出来ない返答が来るだけだ。
「今はそうでも、いずれ変わるわ。魔物と人間が一つとなり融け合えばこんな醜い争いなどない、愛と情欲に満ちた素晴らしい世界がやって来るのよ……♥」
神が定めた永劫不変の法則も、いずれ魔王の力が神々を上回れば変わる。彼女が恍惚の表情でその“希望的観測”を語る様に、皇帝は再び嫌悪感を覚えた。
『貴様の言う世界とやらを、何と呼ぶか知っておるか?』
「天国?」
『いいや、『地獄』だ』
魔王の狂気の野望を聞き、忌々しげに吐き捨てるエンペラ。旧時代の魔物しか知らぬ故に、皇帝には魔王の理想とする世界は絶望そのもの、この世の地獄に映った。
「残念ね。私の理想を理解していただけないとは」
頑なな態度の皇帝を見て嘆息する魔王。分かってはいたが、目の前の男の考えはやはり変わらない。
「けど、だからこそ理解のための“教育”のし甲斐はありそうね♥」
しかしここで気を取り直し、魔王はねっとりとした笑みを浮かべる。
『さすがは魔物(クズ)どもの親玉らしい傲慢さと身勝手さだな。貴様の理想など所詮は狂人の戯言以下、まだ路傍の石の方が役に立とう。
そんなものをこれ以上人類に押し付けられては迷惑だ。この不浄の地と貴様の命諸共、余がこの世から消し去ってくれるわ!!』
両者はここで議論を打ち切り、再び戦闘状態となった。
『ヴォォオ! 見えたゾ、あそこダ!』
『いた! いたいた! 陛下だよー!』
『………………』
『我等が一番乗りか』
『ゲガガガガ! 御無事だァ!』
『グモモモモ………いや待て!』
『ちょっ、何よ?』
『何ダ?』
『あぁ成程、お前が言いたいのはあの女だろう? 確かに凄まじい魔力の波動を感じる』
『グムム、その通り。恐らくは奴こそが……』
『魔王か!』
『………………どうする?』
『いくら私たちでも魔王相手にはどうしようもないよ〜〜』
『ゲガガ〜! だが、ここで退いては貪婪軍の名折れだ!』
『ヴォォオォォ! そうダ! 何をシにこんな場所まで来タと思ってるんダ!』
『我等は陛下と将軍方をお救いするため、ここまで来た』
『………………おめおめ帰ったところで他の連中に手柄を盗られるだけ』
『グムグム、ここまで来たのだ。今更命を惜しんでいる場合ではない』
『そっか、決まりだね。では貪婪軍らしく………』
『『『『『『喰って喰って喰い尽くす!!!!』』』』』』
『ん?』
「あら、お客さんのようね」
「………………」
皇帝と魔王、怪物の戦いが始まるかと思いきや、ここで皇帝側に加勢が入る。
『あぁ陛下! 御無事で!』
『ほう。一番乗りは貴様等か』
魔王城上空で戦う二人と一匹の前に現れたのは、皇帝の部下と思わしき灰白色の軍服と軍帽という格好の女。
『貪婪軍団・ボガールモンス隊隊長ボガールモンス・ディオーニド。陛下をお迎えにあがりました』
(あらあらまぁまぁ、ズイブン大きい子だこと!)
現れた女を見て魔王は驚く。この女は人間でありながら魔物娘にも劣らぬ若々しくて圧倒的な美貌だが、同時にゾウやシャチ並という凄まじい高身長で、一瞬騙し絵でも見たのかと錯覚するほどであったのだ。
そして全身に返り血を多量に浴びており、それは服が元は灰白色であったのか分からぬほどに変色させ、全身から血と脂の異臭を放っていた。このように色々な意味で人間離れしており、魔物娘よりも余程化け物じみている。
『陛下。ここは私に任せ、一刻も早い退避を』
『そうしたいところだが、あいにく余は人気者でな』
駆けつけた女にそう勧められるも、皇帝はうんざりした顔で魔王を右親指で差す。
『此奴等が帰してくれぬのだ』
「そうねぇ。来る者は拒まず、去る者は追うのが魔物娘だもの」
魔王が朗らかな笑顔で宣言する通り、彼女は皇帝を帰す気はない。
「解っていただけるかしらお嬢ちゃん?」
『………』
皇帝を取り戻すのが最優先である以上、軍服の女は魔王と余計なおしゃべりをするつもりはない。
「あら?」
ボガールモンスは両手から強力な波動を放つ。すると、それが魔王に纏わりついて拘束してしまった。
「へぇ……私相手になかなかやるわね。褒めてあげる」
『………………』
『!』
魔王を足止めしつつ、彼女は皇帝に目配せをする。その意図を汲み取った魔王はその場から逃走しようとするもーー
「………………」
その途端、怪物が行く手を阻むかの如く立ちふさがる。
『鬱陶しいな』
顔をしかめる皇帝。
『御安心を。“彼等”にお任せくださいーーさぁ出番だよ“貪婪六獣士”!!!!』
『『『『『応!!!!』』』』』
ボガールモンスの呼びかけに応え、空間を叩き割り、五人の男達が現れる。
一人目は鼻先に角を持つ竜を模した黒い兜をかぶり、全身鋭い棘だらけの黒い鎧を纏った凶暴そうな面構えの巨漢。
二人目は一人目とは逆に醜悪な容姿をした肥満体で、上下に迷彩服を着た茶色い短髪で、あばた面の大男。
三人目は赤い袴に白い道着を羽織った、オールバックの金髪と屈強な肉体の男。その目付きは鋭く、全身から圧倒的な“悪の風格”を醸し出していた。
四人目は二人目同様の肥満体で、そして黄土色のショートパンツとブーツだけというほとんど裸同然の格好の男。しかし、生身の部分にはテニスボール大の不気味な肉塊が大量に張り付き、蠢いている。
最後の一人はボガールモンス、いやアークボガール以上に巨大な体躯であり、文字通りエンペラ帝国軍きっての“巨人”。普段着そのままと言えるほどの軽装だが、巨躯に相応しい筋肉が鎧の代わりとなり、滝の如き長い白髪と髭を生やしている。
いずれも隊長格と思わしき風格であると同時に、何者をも怖れぬ獰猛さを感じさせる。さらには魔王を目の当たりにしても全く欲情がない、恐るべき精神性を見せていた。
『ゲガガガガガガ! こりゃあたまげたな!! なんちゅう醜い魔物だぁ!!!!』
エンペラ帝国軍貪婪軍団・軍団長補佐・ギマイラ隊隊長
“霧の驪竜(りりょう)”ギマイラ・ドラギニャッツォ
『………………不味そう』
エンペラ帝国軍貪婪軍団・軍団長補佐・バルンガ隊隊長
“文明の天敵”バルンガ・シーピン
『いいではないか。これほどの大物ならば、さぞ断末魔も素晴らしかろう』
エンペラ帝国軍貪婪軍団・軍団長補佐・ウルフ隊隊長
“餓狼伝説”ウルフ・ミゼーア
『ヴォオォォオォオオ!!!! 確かになかなかデカイ! さぞ血ノ量も多かろウ!!』
エンペラ帝国軍貪婪軍団・軍団長補佐・オコリンボール隊隊長
“吸血型集束爆弾”オコリンボール・バタービーン
『グモモモモ………初めて見る魔物だからな。どういう味か楽しみだ』
エンペラ帝国軍貪婪軍団・軍団長補佐・バキューモン隊隊長
“暴食星雲”バキューモン・ネビュラ
『貴様等も来ていたか“六獣士”』
『『『『『はっ』』』』』
ボガールモンス、ギマイラ、バルンガ、ウルフ、オコリンボール、バキューモンーーアークボガール麾下の隊長達の中でも選りすぐりの六人“貪婪六獣士”。エンペラ帝国軍の中でも戦闘能力と残忍冷酷さは群を抜き、旧魔王軍からも現魔王軍からも怖れられた凶悪なる六人組である。
「……相当好き勝手をやってくれたみたいね」
拘束されながらも、珍しく嫌悪感に満ちた表情を見せる魔王。返り血と脂にまみれ、下卑た笑みを浮かべる彼等の姿をひと目見た途端、鷹揚にして慈悲深い魔王も一目で『更生不可能』であると直感したほどだった。
「ふんっ」
右手に持った【妖刀ゲッコウ】が妖しく輝くと、魔王の拘束が破壊される。
「貴方の相手はいくら私でも一人では骨が折れる」
皇帝はエドワードすら破ったほどの男。いくら魔王でも一人では骨が折れる相手である。
「だから、彼等の相手は任せていいかしら?」
故に、魔王は背後の怪物と組んで戦いたかったし、邪魔が入ることもこれ以上好まなかった。しかし、エンペラ帝国軍は当初の予想以上に大兵力であり、エンペラとエドワード達が戦っている最中、城に残していた精鋭達もその討伐へと向かわせてしまっており、今城内に残っている者はほとんどいない。
その最低限の人員の中で現在魔王の一番近くにおり、また実力の高い者はーー
「はい。お任せを」
クレアだった。
『『『『『『!』』』』』』
主の呼びかけに魔王城から飛び出し、一瞬でここまでやって来たベルゼブブ。その速さはエンペラ帝国軍の上位の実力者達である六獣士でさえ捉えきれぬものであった。
『ほう。速さだけならリリム以上か?』
その飛行速度には皇帝も感心した様子だった。
「彼女はね、魔王軍でも数少ない“ディーヴァ”の称号の持ち主よ」
「恐悦至極であります」
主君直々の紹介に照れて頬を染めるクレア。
『ゲガガガガ! 陛下、あの虫けらの始末は我々にお任せください!』
『ヴォオォォ! 下等生物風情ガ! 2分デ片付けてヤル!』
「へぇ〜〜、甘く見られたもんだね」
勇んで進み出たのはギマイラとオコリンボール。対するクレアだが、チェシャ猫以上にニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。
「ま、いいか。さっさとかかってきなよ」
『ゲガガガガガガ!』
高笑いを上げながら、ギマイラは口からミミズやヒドラにも似た、何十条にも枝分かれした巨大な触手状の舌をクレア目がけ射出する。
『ーーーーガッ!?』
高速で伸びた舌がベルゼブブを刺し貫いたーーかと思われたが、その瞬間クレアの姿が掻き消える。ギマイラが現状を認識する前に、既にクレアの右上段蹴りが彼の顎を捉え、兜越しに蹴り上げていた。
『ァ〜〜〜〜………………』
巨大な舌が仇となり、おもいきり噛んでしまったことで口から鮮血が噴き出す。さらには顎への蹴りのクリーンヒットが彼の脳を揺らし、頭骨内部で数千回にも渡って激突、脳震盪の症状を作り出した。
多くの魔物を殺戮し、世界中で怖れられ恨まれた男。しかしそんな彼も、一分も経たぬ内にたかがベルゼブブの蹴り一発で沈んだのだった。
『ギマイラ!? おのれハエめェヴォオォォオォ!!!!』
瞬殺された同僚の不甲斐なさに怒るも、同時にその雪辱を果たすべく、オコリンボールは王魔界中に散らばらせ、吸血させていた【チルドボール】を呼び寄せて集結させる。
血を吸って増えに増えた吸血ボールの数は最早空の色すら変えかねないほどだ。一個一個が人間も魔物も殺すに足るそれらが無数に集まるその光景は絶望そのものとさえ言えた。
『ヴォグゥ!!!!』
ーーもっとも、それらがクレアに向けられる前に、左踵落としが脳天目掛けて叩き込まれていたのだが。
世界中で大被害を出した吸血ボールの恐怖も、本体が失神して意識を失った今ここでは披露されることはなかった。
「ん!」
クレアの意識が肥満体の醜男に向いていたとはいえ、背後を取っていた男。そのまま右脚でローキックを繰り出すも、当然クレアは上に跳んであっさり躱す。
ーーが、男の蹴りはそもそもフェイント。クレアの意識をそちらに集中させ、また攻撃を躱して生まれた一瞬の油断と、“二撃目”を受けきれぬ位置と体勢にするのが狙いである。
『【烈風拳】!!』
「ーーーーッガァっ!?」
そうして、狙い通りの行動を取ってくれたクレア目がけ、男の左手から真っ直ぐに飛ぶ闘気の波が叩き込まれる。ベルゼブブはらしからぬ低い声で苦悶の悲鳴を上げ、よろめいた。
『良い悲鳴だ』
満足げに笑みを浮かべる三人目の刺客はウルフ・ミゼーア。
『だが、見た目の割に声に艶やかさというものがないな』
戦場でありながら武器を持たぬ素手、白い道着に赤い袴という姿は異彩を放つ。しかし、これこそがこの男の戦装束なのだ。
「……そういうサービスをするのは夫にだけだよ」
細身の体にまともに攻撃をくらうも余裕綽々、負けじと言い返すベルゼブブ。目立った外傷はない通り、クレアは見た目よりは遥かに頑丈であるが、それでも内臓にはある程度のダメージは受けていた。
『ふむ、そうか。ならば、せめて断末魔は素晴らしいものにしてくれよ?』
「いやいや、アンタの方が上げてくれるんでしょ?ーーソプラノの断末魔をさぁ!!」
先ほどとは逆に、一瞬でウルフの背後へと移動するクレア。
「っ!」
しかし、首を狙った右手刀は即座に振り返ったウルフによって掴み取られる。
「ふっ!」
『ぐっ!?』
だが、クレアは握られた手を中心に即座に魔力で体表に膜を作った。それで僅かに隙間を作ると共に、掴まれた手刀を軸に錐揉み回転して敵の手から滑らせ、拘束を強引に振りほどいた。
驚くのも束の間、回転を利用した変形の延髄斬りを後頭部に叩き込まれる。
『……!』
「ぐぅ!?」
ーーもウルフは気絶せず、まさに怒髪天を衝くという憤怒の形相でクレアを見据え、反撃の気刃を叩き込む。
『んんんんんー、許るさーん!!!!』
空中に浮き上がったベルゼブブの華奢な体に、
『【レイジングストーム】!!!!』
「うぁああ!!」
下方に闘気を叩きつけて発生させた狼の下顎を思わせる気の刃が喰らいつき、さらに跳ね上げた。
『とどめだ!!!! 無様な悲鳴を上げろ!!!!』
ウルフは自身も上空に跳び、両手に球状の気を溜めーー
『【羅生門】!!!!』
渾身の力でベルゼブブに叩きつけた。
『ーー!?』
ーーが、ベルゼブブの姿は既にそこにはなかった。
『残像!?』
「せいか〜い」
『っ!』
後ろの声に反応し、先ほどとは逆に自らが振り返り、右肘を叩き込むウルフ。
『がっ…!』
しかしそれが当たる前に、既にクレアの魔力を帯びた左爪が彼の後頭部に突き刺さっていた。金髪の餓狼の意識はその時点で刈り取られ、先の二人同様下界に落下していった。
『何たるザマだ。これが今の帝国軍の精鋭の実力か』
エンペラ帝国軍の精鋭の三人が立て続けに敗れたのを見て、失望しきった表情で吐き捨てるエンペラ一世。
「彼等が弱い者いじめばかりしていたからよ」
『………』
皇帝の落胆に対し、彼女らしからぬ冷淡な表情でそう告げる魔王。
「好んで弱者ばかりを踏み躙っていた卑怯者に、誰にも負けない強さなど身につきはしないわ」
『そんな卑怯者の代名詞が魔物だ。その親玉である貴様が、そう余に説教出来る立場だと思うのか?』
魔王の指摘は甚だ不愉快であったようで、皇帝は険しい顔で彼女を睨み、負けじと言い返した。
「私は事実を述べているだけ」
『フン…』
皇帝は不機嫌そうに鼻を鳴らすが、結局それ以上反論しなかった。
『六獣士!』
『は、はいっ!』
『たかがベルゼブブ一匹相手にこれ以上遅れを取ることは許さぬ。どんな手を使ってでも其奴を討ち取れ!』
『『『はっ!』』』
不甲斐ない六獣士に活を入れ、皇帝は再び魔王と怪物の方に向き直る。
『では、こちらも続きといくか』
「助けなくてイイの〜?」
『無用だ』
笑みを浮かべて答える皇帝。なんだかんだで部下は信用しているのだろう。
「なら、クレアさんの勝ちは決まったわね」
しかし、部下を信頼しているのはこちらも同じだ。皇帝の干渉が無いのなら、勝利するのはこちらの方だと魔王は断言する。
「さて、残りは三匹。早く片付けてゼットンとエッチしたいなぁ」
クレアの強さは圧倒的である。しかし、魔物娘である以上クレアが真に興味を持つのは戦いでなくエロ方面であった。
夫はまた姿をくらまし、主君は謎の怪物と共に敵の親玉と戦っているが、これらさえ終われば彼女は淫らな日常に戻る。愛する夫との淫行三昧の日々こそが彼女にとっての幸せであり、真に欲するものだ。
『グモモモモ………甘く見られたものだな』
『………………だが、確かに奴は強い』
『でも、私たちには勝てないよぉ〜!』
多少やる気に欠けるクレアとは逆に、残り三人はベルゼブブを仕留めることに全神経を集中させていた。これ以上皇帝の前で無様を曝せば、最悪処刑さえありえるからだ。
『さっさと殺って、喰っちゃいましょ!』
『『了解』』
「………………」
あっさり敗れはしたが、先の三人もまともに戦えば相当の苦戦は免れない相手だとクレアは理解している。だからこそ敵と同じ土俵に立つ気はない。
先手必勝。敵が本領発揮する前にことごとく潰してきたからこそ、彼女は常に勝利を収めてきた。
「……それはムリだね」
三人に対し、冷淡にそう言い放つクレア。彼女が速いのは飛行速度だけではない。三人が会話を交わした時点で、準備は既に整っていたのだ。
『! 貴様等そこから離れろ!!!!』
「余所見してていいの?」
『チィ!』
クレアの目論見に気づいた皇帝は部下達に警告するも、余所見した瞬間に魔王からは普段の王魔界の数百倍の濃密な魔力を帯びた淫毒霧とミラを上回る技量の幻術が撒かれ、さらには両者を取り囲む空間の重力までも滅茶苦茶にされてしまう。そんな苦況の中、妖刀ゲッコウからの斬撃の乱打が発せられ、皇帝を追い込む。
『『『!』』』
クレアの周囲を覆う白色の結界。しかし、それは『防護』結界ではない。精液の塊にも似た膜はクレアの視界さえ遮ってしまいそうなほどに濃く、その意図の不明さが不気味であった。
『っ!』
『グム……!』
『かっ………』
それからすぐバルンガとバキューモンは各々全身に何かを当てられた気がしたが、その時既に遅し。何故か急に全身が動かなくなり、意識を失って皆大地に落下していった。
「ふぅ…」
ため息をつくクレア。彼女は魔術が得意でないため、こういった術はあまり使いたがらないのだが、効果覿面であった。
「身長があんだけデカくても、脳が揺さぶられりゃ効果あるんだね。勉強になったよ、アリガト」
クレアが発したのは『超音波』ーー人間である以上、クジラ並の身長のバキューモンに対しても効果があった。しかし、普段は単に飛行時に羽から撒き散らされているだけで、そもそも人間の可聴域を超えているために誰にも聞こえない。けれども、普段は単なる聞こえない音でしかない超音波も、クレアが張った結界【メロンフィールド】を通すことで収束、人間を倒す威力を持った『音響兵器』と化す。
結界を通して放たれた超音波は指向性を持ち、命中した生物の全身の水分を揺さぶり、さらにその影響は脳まで及ぶほどの効果を発揮する。例えバキューモンほどの巨体であろうと全身に水分が含まれている以上効果があり、かつ超音波なので五感では捉えられない。また発生源である羽ばたきもベルゼブブの性質上常に行われているため違和感がない。
そして質の悪いことに、これ自体はそもそも魔術でもなんでもない『ただの音』のため、大抵の防護結界などもすり抜けてしまうのである。さらにはあらゆるエネルギーを吸い尽くす能力を持つバルンガも、彼が周囲の状況を確認するために音波は例外としていたのが仇となり、対処出来なかった。
『……超音波、か』
しかし指向性を持たせるため、普通の音波のように拡散せず、狙った場所でないと当たらない。皇帝の警告が功を奏したのかは不明だが、三人の内ボガールモンスだけは発射前に素早く移動していたことで当たらず、難を逃れていた。
「ふ〜ん。図体の割にはめっちゃ素早いじゃん」
自らの不意打ちを逃れたことに感心した様子でクレアは巨女を褒める。実際、その体格の割には動きが桁外れに素早く、またクレアの技の出だしを読んでいるなど、女ながら精鋭集団のリーダーを務めるだけのことはあり、単なる木偶の坊ではない。
『こっちも私以外はみんなやられちゃった。ベルゼブブなんてザコと思ってたけど、アンタは例外みたいだね〜』
「そりゃ当然。ディーヴァの称号は伊達じゃないよ」
クレアは自慢気に胸を張る。事実、ディーヴァの称号を得ることが出来るのは数多の強者ひしめく『王魔界格闘大会』において部門ごとの優勝者・準優勝者のみだ。かつて世界にその名を轟かせたエンペラ帝国軍の隊長相手だろうとその強さは引けを取らない。
『まぁ、アンタが何者かは私にはどうでもいい』
「………………」
『アンタがダレであろうと………………カンケーない!!!!』
「っ!」
ボガールモンスが目の前から姿を消す。その瞬間を目の当たりにしたクレアは己の直観に従って即座に超速で前進すると、一瞬遅れてベルゼブブの居た場所に『巨大な顎のようなもの』が現れ、噛みついていた。
(速い。でも、私みたいな高速移動じゃないーーーーゼットンと同じ空間移動か)
飛行に秀でているだけあって、クレアは一瞬で背後の女の特性を看破した。
『あらら、ざんね〜〜ん♥』
巨大な顎を形作っていたのはボガールモンスの髪の毛だった。
「何だいそりゃ……どっちが魔物なんだか……」
ただでさえ化け物じみた巨体なのに、攻撃方法まで人間らしからぬ様を見たクレアは呆れ顔でそう評する。
自身の身長よりも遥かに長く伸び、鰐の口にも似た凶悪な形へと変貌したそれは喰らいついた全てを噛み千切り、咀嚼し、呑み込む破壊力を誇る。そして喰われた哀れな犠牲者はそのままこの巨女の栄養へと変換され、その巨体を維持するために吸収されてしまう。
さらに悪いことに、この女は瞬間移動能力を持っている。単純な速度ならばクレアをも上回る速さで移動し、死角からその髪顎で喰い殺すのがこの女のお得意のやり方だった。
『ハアァァ!』
「!」
髪は自由自在に動かせる上、凄まじい長さまで伸長出来るらしい。ワームやサンドウォームをも上回る長さまで一瞬で伸ばしたかと思うと、クレアとの間の空間を丸ごと包み込むほどの大きさまで拡げた。
『これでもう逃げられないでしょぉ?』
「それはどうかな?」
勝ち誇るボガールモンスに、クレアは可愛らしい顔で意地悪く笑う。
『逃げれるモンなら逃げてみなよ!!!!』
その余裕ぶった態度が気に障ったボガールモンス。そのメッキを剥がすべく、クレアを周辺丸ごと包み込んだ髪は再び顎の形に変形すると、その上下の顎を閉じようとする。
『!?』
そうしてハエトリグサに捕まったハエの如く、そこでベルゼブブは捕食されるかと思われたーーが、顎を閉じきる前に凄まじい衝撃が生じる。
『な、何!? 何なの!?』
衝撃による反発は全方位に及び、髪顎は段々とその圧に押され、パンパンに膨らんでいく。
『くっ! このぉ! おとなしくしなよぉ!!』
捕らえてしまえば後はどのようにでも喰えると考えていた。しかし、それは間違いであった。
目の前のハエは顎に捕らえられて尚、大暴れし、呑み込むことが出来ない。
『あぁもう! こうなったらぁぁ!!!!』
激しい抵抗に苛立つボガールモンスは先ほど魔王さえ拘束したほどの念動力を放ったが、今度はそれを髪の毛の先から放つ。捕まえさえすれば後は一髪、いや一噛みで終わる。
「うっ!」
クレアは呑み込まれる寸前、全速力で狭い空間の中を飛び回り、それに伴うソニックブームを発し、髪顎を押し返していた。しかし、ただでさえ狭い空間で無茶な飛行をして疲労していた上、念動力は衝撃波では押し返せないため、為す術もなく囚われてしまった。
『アハハッ♪ つ〜かまえた♪』
自分以外の仲間を全滅させた挙げ句、自身にも激しい抵抗を見せたベルゼブブを捕まえ、ボガールモンスの気分は高揚する。
『エヘッ……ハァハァ………♥』
「……!」
途端、エンペラ帝国軍の中でも突出した残忍さを誇る貪婪軍団らしい気性が顔を出す。顔は紅潮し、息も荒くした姿は、魔物娘並に美人な彼女らしく一見色っぽいがーー狂気を帯びた双眸と涎を垂らす口、口元に浮かべた歪んだ笑みがそれを台無しにしている。
「きも……」
目の前の女の殺意、食欲、嗜虐心ーーその狂気を垣間見たクレアは戦慄し、嫌悪感と侮蔑を含んだ言葉を顔をしかめて口走った。だが、いくらクレアが嫌悪の感情を見せようが、今の絶体絶命の状況は好転するはずもない。
『アハハハハハハ』
敵からの侮蔑を気にしないのか気づいていないのか。巨女は笑い声と共に両顎をガチガチと打ち鳴らし、それに連動し、クレアの上で髪顎が打ち鳴らされる。
『それじゃーーーーいただきまーす♥』
ようやく食事にありつける。ベルゼブブ一匹、彼女の巨体からすれば大して腹の足しにもなりはしないし、味も大したことはないだろうが、ここまで自分達の顔に泥を塗った不愉快な輩を喰うとなれば、喜びも一入だ。
血に餓えた巨大な髪顎がベルゼブブの頭上からゆっくりと迫りーー
『ーーーーあ?』
ーーベルゼブブの上半身を呑み込みかけた瞬間、根本から大鎌で切断された。
『いっ………ぃぃだだぁぁあァァァァァァァァァァァァッッッッ!!!!????』
途端我を忘れ、絶叫を上げるボガールモンス。髪の毛とはいえ、自由自在に操れる関係で触覚・痛覚も持ってしまっている。それが丸ごと切り落とされたため、当然その痛みは半端なものではない。
「あ……」
変形が解かれた髪の毛から現れたクレアの目に映ったのは、巨大な黒い怪物であった。
『私の髪がァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ』
痛みのあまり錯乱するボガールモンス。背後の怪物を相手取る余裕どころか、そもそも存在すら認識していない。そんな有様の巨女目掛け、怪物はとどめとばかりに左の大鎌を振り下ろすがーー
「やめてよゼットン!」
敵の殺害を良しとしないクレアが制止し、大鎌がボガールモンスの頭上ギリギリの所で止まる。
「……?」
しかし、ここでクレアは我に返る。何故この怪物に対し、自分の夫の名を叫んで制止したのか?
「はっ!」
そして、聡明な彼女はここで真実に気づいてしまう。
「ゼットン、なの……?」
「………………」
直後、信じられないといった様子で頭上の巨大な怪物を見上げるベルゼブブ。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』
だが、怪物が問いに答える前に、怒り狂った巨女が空間移動で現れると、再び髪の毛を伸ばした顎で怪物の鎌に噛み付く。
『!?』
「あ〜あ……」
クレアが呆れる通り、巨女は狙う相手を間違えていた。鋼鉄をも噛み砕く髪顎も、怪物の鎌には文字通り歯が立たなかったのだ。せめてクレアの方を狙えば、負傷ぐらいはさせられたかもしれないのに。
『ギャッ!!!!』
態勢を立て直すべく、ボガールモンスは一旦別の場所に転移するも、なんと同じタイミングで怪物がそこに現れた。逃げ場がないと巨女が悟り、絶望した瞬間右鎌で叩かれ、他の五人同様地上へと落下していった。
「ご自慢の部下達は貴方の信頼に応えられなかったようね」
『………………』
魔王の妨害から脱出し、戦っていた皇帝だが、部下が瞬殺されたことを揶揄され、怒りの表情を浮かべる。
落下していった六人は王魔界の大地に満ちる魔力によって優しく受け止められ、転落死は免れていた。だが皇帝には何故生きているのかは知る由もない。
『あのハエと黒い化け物が想像以上だったというだけだ』
クレアと怪物の活躍を忌々しげに吐き捨てる皇帝。
「そんな子達がこの王魔界には大勢いるのよ?」
『その割には我が帝国軍に手こずっているようだな?』
負けじと言い返すが、威勢に反してエンペラはやや焦りつつあった。軍団長補佐級ですらベルゼブブ相手にあっさり沈むようでは、魔王相手では足止めすら不可能であるからだ。
いくら救世主の遺産が2つあったところで、王魔界で魔王を相手しながら逃げるのは皇帝でも非常に困難であった。
〈ビビビビー! ビビビビー!〉
『!』
「!」
〈陛下! 御無事ですか!?〉
皇帝が思案する中、突如けたたましく鳴り響く電子音。そして、彼の前に魔術による長方形の映像が投影される。
『その声はビーコンか』
〈はっ!〉
エンペラ帝国軍雷電軍団・ビーコン隊隊長
“怪奇映像”ビーコン・ティーヴィー
〈陛下、準備は整いました。早く脱出を!〉
『何だと?』
〈おい、そこの女! これを見るがいい!〉
ビーコンは魔王を指名し、彼女の前にも長方形の投影映像を出現させる。
「! これは!?」
魔王の前に出現した映像。そこに映るのはビーコン隊の面々と、捕らえられた幼い魔物娘達であった。
〈うわーん!〉
〈たすけてー!〉
皆少女、いや幼女と言えるほどに幼い。言葉は理解出来る年齢ではあるが、男を犯すことはおろか、まだ走り回るのも難しいほどに小さい子もいた。
〈貴様への我々の要求はただ一つ! 皇帝陛下の解放だ!〉
「すると思う?」
〈そうだな。貴様がそう簡単に陛下を解放するとは我々も思っていない。
……だが、この光景を見ても、貴様はそう言い続けていられるかな?〉
陰惨な笑みを浮かべたビーコンが右手の指をパチンと弾くと、縛り上げられた幼子達に隊員達が水をかける。
〈始めろ〉
〈はっ!〉
兵士達の手から電流が奔り、それが幼女達へと浴びせられる。
〈うわああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアア〉
〈いだいいよぉぉおぉぉぉぉぉぉ〉
「おやめなさい!!!!」
幼子達が電気ショックで拷問される映像に魔王は驚愕。やめるよう映像越しにビーコンに訴えるがーー
〈やめるか続けるか、それを決めるのは我々だ!〉
「……!」
「陛下! 早く場所を特定してください! 場所さえ分かればあいつらをすぐにブチのめして子供達を助けてきます!!」
ボガールモンスを打倒し、いつの間にか戻ってきていたクレアだが、目の前の惨劇が腹に据えかね、救出すると息巻いた。
〈今どれぐらいだ?〉
〈50ミリアンペアです。人間なら普通に心室細動を起こして死にますが、さすがは魔物。幼子なのに死ぬ気配が一向にありませんね〜〜〉
「うるさい!! それ以上喋るな!!!!」
激怒したクレアがまくしたてるがーー
〈ならば止めに来るか? それもいいだろう。だが、我々を止められても……〉
「「!!」」
魔王とクレアの前に一瞬で200以上もの大量の画面が空中に投影される。そのいずれでも幼子なり大人なりが囚えられた様子が映し出されていた。
〈エンペラ帝国軍は王魔界の各地に散っている。私達を潰しても、まだまだあるぞ?〉
雷電、爆炎、氷刃、貪婪、超獣ーーその全てが魔物娘と戦い、勝利したわけではないが、それでも魔王に躊躇わせるほどの“成果”を挙げていた。
〈解っていただけたかな? では、賢明な判断を期待している。
ああ、そうそう。魔術で居場所を特定したり、攻撃してきても別にかまわないが、それに対する備えは当然してあるからな。
無論、決断が遅くなればなるほど被害が拡大することもお忘れなく……〉
『ちと格好悪いやり方だったが………』
居城に戻ってきたエンペラ一世は居室で椅子に座り、浮遊島産の葉巻を燻らせながら、ひとりごちる。彼を最後に救ったのは己の実力でも、救世主の遺産でも、圧倒的な帝国軍の武力でもなく、人質というあまりにも卑劣過ぎる方法であった。
『仕方ないか』
非常時とはいえ、ああいう逃げ方ではさすがに皇帝も思うところはあった。しかしやり方はどうであれ、あの王魔界から脱出出来たのは事実。それを今更どうこう言っても仕方のないことだ。
21/01/08 01:21更新 / フルメタル・ミサイル
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