連載小説
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狐娘、町に行く!
「おい狐娘、迎えに来たぞ」
 本日も実にいい天気で風もなく、昼寝には最高の日和だ。できることなら木陰でうたた寝をしたいところだが、今日はミーネと買い物に行く約束がある。
 本人は大丈夫だと言っていたが、その根拠を知らないルークはそこはかとない不安を感じる。なにしろ、あの娘はルークの予想の斜め上を平気で行くのだ。昨日のキノコ料理がそれを証明している。
 自分の目で確認しないことには安心できないと、ルークは再びミーネの家の扉をノックした。
「おいミーネ、まだ準備してんのか?」
 しかし、反応はなかった。普段なら即座に返事をしてくるはずなのに、これはどういうことだろう。
 少し怪訝な表情になって考え、嫌な予感が頭をよぎった。返事をしないのではなく、できない状況だったら。
「入るぞ」
 そう前置きすると、躊躇うことなくルークは家に入った。悪い想像をしたせいか、体が緊張していく。
 足早に廊下を進み、ダイニングを覗いてみるがそこにミーネの姿はない。これは本格的にやばいと思ったルークだが、続けて向かったリビングでミーネを発見し、盛大なため息をついた。
「寝てただけかよ……」
 人を心配させた元人間の狐娘は、リビングに置かれたソファでそれはそれは幸せそうに眠りこけていた。華奢な体を丸め、口からは少しばかり涎を垂らしている。ルークが心配したような状況とは無縁であると体言したかのような無防備ぶりだ。
 ルークは再びため息をつくと、ミーネを起こそうと体を揺する。
「おいミーネ、起きろ」
「キノコが一つ……。キノコが二つ……。キノコが三つ……。キノコがいっぱい……♪ えへへ……♪ こんなに食べられないよぅ♪ 幸せ〜♪」
 ……どうやら涎を垂らしている理由は、キノコを食べている夢を見ているかららしい。
「四個以上はいっぱいなのかよ……」
 寝言に突っ込みを入れつつ、ルークは再びミーネの体を強めに揺すった。
「おいバカ狐、起きろ!」
 少し強めに声を出すと、ミーネの目がうっすらと開いた。
「ん? ルーク……?」
 むくりと体を起こし、ミーネは寝起き特有のとろんとした目でルークを見つめるが、すぐに自分の状況が分かったらしい。
「あ、あれ? もしかして、わたし寝ちゃってた!?」
「ああ。涎を垂らしながらという間抜け面でな。しかも、聞いててため息しか出ない寝言のオマケ付きだったぞ」
 ばっとミーネが自分の口元に手をやる。そこに涎の後があったからだろう。その顔が瞬時に赤くなった。
「み、見ないで!」
 言ったと同時に廊下へ逃げて行った。
「今さら手遅れだろ……」
 呆れるようにため息をつくと、ソファにどっかりと座る。もちろん、涎の垂れていた部分は避けた。
 やがてミーネが戻ってきたが、ものすごく恥ずかしい姿を見られたからか、露骨に視線を逸らしている。
「え、えっと、さっきのは忘れてね……」
「まったく、買い物に行きたいって言ってきたのはお前なのに、いざ迎えに来たら昼寝中ってのはどうなんだ?」
 軽くいじめてやると、ミーネはぷうっとむくれた。
「ルークのせいだもん」
「は? なんでお前が昼寝をしてた原因が俺のせいになるんだよ。子守唄を歌った覚えはないぞ」
「夜、ルークが寝かせてくれなかった」
 予想すらしなかった返事がきた。
「待て待て待て! それは誰の話だ! 昨夜はお楽しみだったみたいに言うんじゃねぇよ! 俺はきちんと自分の部屋で寝たぞ!」
「今日、ルークと一緒に買い物するって考えたら、楽しみで昨夜は眠れなかったんだよ? だからルークのせいだもん」
 ぷいっと顔を逸らすミーネはルークのせいだと決めつけている。
「ガキだろ……」
 昨夜眠れなかった理由といい、今のミーネの仕草といい、まるで子供だ。見かけは十代半ばから後半のくせに、そんな仕草が似合っているから困る。付き合うと間違いなく疲れると判断したルークは、さっさと本題を切り出した。
「わかった、昼寝してたのはもういい。それより買い物に行くんだろ? さっさと準備してくれ」
「うん、わかった。じゃあ、ちょっと準備してくるね」
 買い物と聞いて機嫌が直ったのか、ミーネはぱたぱたとリビングから出て行った。
「しかし、どうするつもりなのかね……」
 フード付きのローブでも着るつもりなのだろうか。それなら耳も尻尾も隠せるが、どんなことがきっかけでばれるか分かったものではない。その辺りのことをミーネが理解しているかは怪しい。
 どんどん不安になっていくルークだったが、足音がしたので、とりあえず考えるのをやめてミーネの方を見た。
「じゃーん! どう? これなら問題ないでしょ?」
 得意げなミーネはルークの前まで来ると、嬉しそうに笑った。しかし、ルークは目を見開くだけで言葉が出てこない。ミーネにあるはずの狐の耳と尻尾がなかったのだ。いや、それは元々はないものだったから、元の姿に戻ったと言った方が正しいのかもしれない。つまり、今は人であった頃の姿ということになるが、ルークの目はミーネのある一点に奪われていた。
 ミーネの服装が変わっていたのだ。多分、買い物に行くということで着替えたのだろう。それはいい。問題は、腹周りが丸出しだということだ。きゅっと締まった腰や、白い肌のお腹が丸見え。こんな格好で町を出歩けば、目立つことこの上ない。癪だが、この狐娘、見かけはいいのだ。
 ルークが呆れて何も言えずに剥き出しの腹を凝視していると、ミーネもそれに気づいたようだ。慌てたように両手でお腹を隠した。
「ふ、太ってないよ? 余計なお肉なんて付いてないもん!」
「アホか! 肉なんかどうでもいい! それより、まともな格好に着替えてこい! そんな腹丸出しの格好で行くつもりかよ! 怖いものなしだな!」
「え……変かな?」
「ああ、変だ! もっとマシな格好にしてこい!」
「ルークがそう言うなら……」
 変だと言われ、素直にミーネはリビングから出ていく。それを見送ると、ルークは盛大なため息をついた。やはりミーネはどこかずれている。
「あれで本当に買い物に行くつもりかよ……」
 この調子では、またとんでもない格好で戻ってくるかもしれない。そうなってくると、買い物を中止することも検討した方がよさそうだ。近づいてくるミーネの足音を聞いて、ルークはそう思った。
「ルーク」
「なんだよ」
 戻ってきたミーネは先程の腹出し服のままだ。その両手には服が持たれている。
「えっとね、私が選ぶよりも、ルークに選んでもらった方が確実かなぁって思って」
「だから俺に選べと?」
 ミーネはこくりと頷いた。同時に、ルークの額に皺が寄る。女の着る服を選ぶのは、なんだかおかしいんじゃないかと。
「今度のは大丈夫だからっ!」
 そう言って、ミーネは目の前のテーブルに持ってきた二着の服を置く。見たところ、どちらも問題ない。
「確かに大丈夫そうだな。よし、これならいいぞ。好きな方を着ろ」
「ルークはどっちがいい?」
 ミーネが真顔で聞いてきた。
「お前の好きな方でいいぞ。その二つなら問題ないからな」
「ルークが選んだ方を着るよ。だから選んで」
 青い目がじっと見つめてくる。普段はおどおどしてばかりのくせに、なぜか今回は絶対に引かない雰囲気があった。
「……じゃあ、こっちな」
 町娘に見える方を選ぶと、ルークは目を逸らした。なぜか気恥ずかしくなったのだ。
「うん、わかった。こっちだね」
 選んでやると、ミーネは少し嬉しそうにそれを手に取り、着替えのために廊下へ去っていく。
「服くらい自分で選べよ……」
 そもそも、女が男に着る服を選んでもらう時点で問題だ。これではまるで恋人ではないか。
 そこまで考え、ルークはぶんぶん首を振った。ミーネは魔物だ。女として扱うことが間違っている。
「疲れてんだな。きっとそうだ」
 目を閉じて、再度頭を振る。そこで、近づいてくる足音を耳が捉えた。
「ルーク」
「なんだ。着替えはできたのか?」
 目を開けてミーネを見やるが、ルークに選ばせた服はまだ着ていない。そのミーネは何かを背中に隠している。
「えっとね、こっちも選んでもらおうと思って」
 至って普通な感じで、ミーネは選んでほしいというものをテーブルに置く。服の他に選ぶものなんてあったかと視線を向けるルークだったが、それが目に入った瞬間に凍りついた。
 テーブルの上にあったのは、色の種類とサイズが豊富にあり、女性だけが身に付ける、お椀上の形が二つ並んだ布切れ。女性専用の下着、通称ブラと呼ばれるものだ。それが二つ、テーブルの上に並べられていた。
 一つはひらひらとした感じが特徴の純白のもの。もう一つは空色で、デザインこそシンプルだが、それが逆に色っぽく見えるやつだ。
「なっ! お、お、おっ! おま、おまっ!」
 ソファから飛び跳ねると、ルークは今までの人生で最速の回れ右をしてテーブルに背を向ける。顔が燃えるように熱い。
「ルーク? どうしたの?」
「どうかしてんのはお前だ! 俺に何させようとしてんだ!」
「え? 服を選んでもらったから、今度は下着を……」
 そこでミーネの言葉が止まった。間髪入れずに「あ……」という小さな声。
「きゃああああっ!」
 バタバタと走って行く足音がした。どうやら自分がしようとしたことに気づいたらしい。
「わたし、何してるんだろ……」
 廊下の先で、そんな呟きが聞こえた。
「さ、さっさと着替えてこいっ!」
「そ、その、今のも忘れてね……。ちょっと、無意識にしちゃっただけだから……」
「忘れるから早く着替えてこい!」
「う、うんっ!」
 足音が遠ざかっていく。だが、少しもルークの心が落ち着くことはなかった。脳裏に白と空色の下着が鮮明に焼き付いているのだ。
「落ち着け……あいつは魔物、あいつは魔物……」
 白。空色。白。空色。白。空色。
 なんとか落ち着こうとすればするほど、二つの下着が頭にちらつく。
「あのバカ狐……! どうしてくれんだ……!」
「お待たせ〜♪」
 ルークが苛々していると、のん気な声とともにルークの精神に多大な被害を与えてくれた張本人が戻ってきた。先程は自分のしでかしたことに軽く半べそ状態だったくせに、早くも立ち直ったらしい。
「こんな感じだけど、どうかな……?」
 そして、照れた様子でルークの前に立ち、少し期待する感じでそう聞いてきた。その様子は純情な少女そのもので、ルークはあっさり毒気を抜かれてしまう。
「どうって、なんだよ……?」
「えっと、似合ってる……?」
 窺うような目がなんとも男心をくすぐってくる。それが腹立たしいやら恥ずかしいやらで、無視しようかとも思ったが、どうもそれをできる雰囲気ではなかった。
「……悪くないんじゃないか」
 顔が熱い。まさか、服を褒めるのがこんなにも恥ずかしいとは思わなかった。キースなどはよく行く酒場の娘に気安く「今日も可愛いね」などどほざいているが、あれはとんでもなく難易度の高い行為らしい。
「よかったぁ〜。じゃあ、さっそく行こうよ」
 ほっとした感じにため息をつくと、ミーネが腕を引っ張って急かしてくる。
「わかったわかった。しかし、本当にないのか? 見えないだけじゃなくて?」
 ルークの目は狐の耳がなくなったミーネの頭に向いている。その視線に気づいたミーネは、にっこりと笑った。
「本当にないよ。信じられないなら触ってみて?」
 そう言ってすっと頭を差し出してきた。そうまでされたら確認してやろうと、犬にそうするように、強めに頭を撫でる。
「ん……」
 ミーネが変な声を上げたが、ルークはそれに構わず頭を撫でるようにしつつ、狐の耳を探す。しかし、手が何かにぶつかることはなく、あるのはミーネの頭の感触だけだ。どうやら本当に消えているらしい。
「すげーな。これ、魔法か?」
「うん。人化の術っていうんだよ♪」
 魔法が便利なことはルークも知っている。騎士団でもそれは教えてもらえるし、簡単な痛み止めなんかは多くの団員が習得している。ちなみに、勉強嫌いなルークは一切魔法を使えない。
「参考までに聞くが、どれくらいその姿でいられるんだ?」
「えっと、わたし、あまり魔法は得意じゃないから、半日くらい、かな……。あはは……」
 つまり、日付が変わる頃までは大丈夫らしい。買い物に行って帰ってくるくらいなら十分だ。
「ま、それなら問題ないな。じゃ、行くか」
「あっ……」 
 ぱっと頭から手を離す。すると、ミーネが再び変な声を上げた。その目がルークの手を見つめてくる。
「なんだ?」
「えっと、なでなでをね……その、もう少しだけ……!」
 そう言ったミーネの頬は赤い。どうやら、もっと撫でてほしいらしい。犬や猫は撫でると喜ぶが、それは狐も同じようだ。
 ルークはペットの飼い主気分になりつつ、ミーネの頭に手を伸ばし、無言で撫でてやった。その際に、今日ここに来てから無駄に疲れさせられた腹いせとばかりに強めに撫でたのだが、ミーネは満足そうに撫でられるだけで、それに気づいた様子はなかった。
「そろそろ行くぞ」
 適当なところで撫でるのをやめ、玄関に向かおうとする。
「あ、ルーク、待って」
 本日、名前を呼ばれる度に精神的な攻撃を食らってきたルークは、ややげんなりしながらミーネを見た。
「今度はなんだ?」
「尻尾は確認しなくていいの?」
 くるりとミーネが後ろ姿を見せてくる。耳と同様、尻尾も触って確認しろとでも言いたいのだろうか。そこでルークは尻尾のあった位置を確認する。耳と違い、尻尾があったのは腰、それもほとんど尻に近い場所だ。そこを確認するように触っている自分を想像してみた。目つきの悪さに定評のあるルークが、見かけはいいミーネの尻の辺りに手を滑らせている。誰がどう見たって、完全に変態だ。
「いい。それより行くぞ」
 これ以上バカなことに付き合ってられるかとばかりに家を出ると、繋いであった馬の手綱を解き、その背に飛び乗る。遅れて出てきたミーネもすぐに近寄ってきて、不思議そうに見上げてきた。
「馬さんで行くの?」
「そうだ。ほら、乗れ」
 手を差し出してやると、ミーネはルークの顔と手とを見比べる。そして、おずおずといった感じに手を取って、力を込めて握り締めてきた。
 ルークはそのままミーネを引っ張り上げて自分の後ろに乗せる。
「ねえルーク、わたし、馬に乗るのは初めてなんだけど、どうすればいい?」
「落ちないように掴まってろ。んじゃ、行くぞ」
 素直にミーネがルークの体に両手を回してきた。背中から腰にかけて、ミーネの温もりが伝わってくる。同時にいい匂いもして、それがルークの鼻をくすぐってきた。これだけでも落ち着かない気分にさせられるというのに、もう一つ、ルークの心をこれでもかと揺さぶる要因があった。それは押し当てられた二つの柔らかな感触だ。普段はまったく気にしなかったが、実はしっかりと膨らんでいるようだ。華奢な体つきのくせに、出るとこは出てるらしい。
「おい、あまりくっつくな。手元が狂う」
「え? あ、うん」
 なんとか背中に感じる好ましい感触から意識を逸らそうと言ってみたが、ミーネはぎゅっと抱き付いていた腕から少し力を抜いただけで、押し付けられた幸福の弾力は少しも変化しなかった。
 こいつは魔物、こいつは魔物……。
 頭にそう言い聞かせるが、背中にぴったりと押し付けられている胸のせいで、まったく冷静になれない。
 結局、町に着くまでルークがミーネの無意識な精神攻撃から解放されることはなかった。
「疲れる……」
 厩に馬を戻したところで、ルークはため息をついた。背中には未だにミーネの温もりと胸の感触とが残っているのだ。そんなルークとは対照的に、犯人であるミーネは待ちきれない様子で目をきらきらさせている。
「ルーク、どうしたの? 早く行こうよ♪」
「はいはい。で、どんな店に行きたいんだ?」
「全部!」
 即答でふざけた返答が返ってきて、ルークは思わずミーネの頭をはたいていた。
「いたっ! お、女の子の頭を叩いちゃいけません!」
 涙目で抗議してくるミーネだが、そんなことしったこっちゃない。
「お前が叩かれても仕方ないことを言うからだ! とりあえず、これが買いたいとかあるだろう!」
「色々見たいんだもん!」
「いいか? 俺は療養しろってことで、午後は休みになってんだぞ。それなのに、町をふらついてたら」
 そこまで言ったところで、ルークはぴたりと口を閉ざした。
「ルーク? どうしたの?」
 ミーネは無視して、ルークは渋面になる。町をふらつくのはまあいい。騎士団きっての不良団員と名高いルークなので、療養中に町をほっつき歩いていたところで今更である。だが、そこにミーネが一緒となると、途端に問題が生じる。 
 騎士団の同僚達は今も仕事で絶賛見回り中だ。そんな彼らに、ルークがミーネと一緒に買い物をしているところを目撃されたらどうなるだろうか。
「ないな……」
 どう考えてもいい結果になりそうもない。そもそも、ミーネのことをどう説明すればいいかも分からない。騎士団への説明では、ルークを救ったのは人間嫌いの爺さんということになっているのだ。
 そんなことを考えもせずにこの町に連れてきたことを、ルークは今さらながらに激しく後悔した。
「ルーク?」
「ちょっとお前と俺の関係について考えてたんだよ。お前は俺の命の恩人だ。けど、お前は魔物だろ? それを誤魔化すために、騎士団には別の人に助けられたって話を通してあってな……」
「じゃあ、友達ってことでいいんじゃない?」
 ミーネはけろっとした様子で、なんでもないことのように言ってきた。ルークを助けたという事実が捻じ曲げられていることなど、少しも気にしていないらしい。
「あー、俺、ガラ悪いからな。女友達なんて一切いないと言っていい。よって、お前が友達ってのは少し無理があるな。つーか、お前、俺を助けたのは別の人ってことになってる点についてはなんとも思わないのか?」
「え? だって、それはルークがわたしのこと考えてそう言ってくれたんでしょ? だったら文句なんかないよ。それに、恩人になりたくてルークのことを助けたわけじゃないから」
 呆れるくらいに素直な言葉だ。だからこそ、それを正面から言われるルークはなんともいえない気持ちになり、視線を逸らすしかなかった。
「……まあ、お前がそう言うならいいけどな。しかし、どうすっかな。万が一同僚に見つかると説明が面倒だ。何かいい考えはないか?」
「むぅ……」
 珍しく難しそうな顔つきになって、ミーネが首を捻っている。だが、すぐにその顔がルークに向いた。
「えっと、ルークがわたしを助けてくれたっていうのはどうかな?」
「は? どういう意味だよ?」
「わたしは隣り町から来たんだけど、この町のことよく分からなくて迷ってて、悪い人に案内してやるって捕まっちゃって、困ってるの。そこにルークが来てわたしを助けてくれて、代わりに案内してるっていうのはどう?」
 ミーネにしては、えらくまともな考えが出てきた。ルークもその場面を想像してみるが、ミーネの容姿を考えると、あってもおかしくない出来事だ。
「悪くはないな。だが、お前はそれでいいのか? それだと、お前は俺を助けた恩人どころか、逆に助けられた立場になるんだが」
「うん、いいよ。それに、その方が物語っぽくていいと思わない?」
 なぜかミーネは嬉しそうだ。
「頭の悪い俺にはどこがいいのかさっぱり理解できないんだが」
「ほら、困ってるお姫様を騎士が助けてくれるお話ってよくあるでしょ。ああいうの、いいなぁって思うから。その……わたしはお姫様じゃないけど、ルークは騎士だから、似たような感じになるでしょ?」
 確かにルークは騎士だし、ミーネも容姿はいいからお姫様といえなくもない。だが現実は、ルークは騎士というより山賊、ミーネも姫ではなく狐の魔物と、ロマンもへったくれもない。それでもミーネが頬を赤らめつつも嬉しそうなのは、男には理解できない乙女心というやつだろうか。
「……まあ、お前がそれでいいなら、俺は文句ないけどな。んじゃ、俺達の関係も決まったところで、そろそろ行かないか?」
「うん♪」
 ものすごくご機嫌なミーネを連れ、とりあえずはと町の中央通りに向かう。
 中央の通りは町を訪れた旅人目当ての露店などが大量にあるので、見て歩く分には退屈しない場所だ。色々見たいと言っていたミーネを連れて行くにはちょうどいい。
「そういえば、ルークの仕事場所はどこなの?」
「ん? ああ、騎士団本部ならあれだ」
 中央通りに面した一角に、無駄に広い敷地を持った建物を指差す。その屋根には国旗と騎士団の旗とが翻っている。ルークにはなんの感慨も覚えない建物だが、ミーネは素直に感心していた。
「うわぁ、大きいね〜」
「ま、一応は国お抱えの騎士団だしな。規模もそれなりなんだよ。それより、そろそろ露店が見えてきたぞ。あんなつまらないもん見るのはその辺にしとけ」
「あ、なんかいい匂いがするね」
 それはルークも思っていた。特に強く鼻に香るのは焼き立てのパンの匂いだ。ルーク達見回り担当にとっては馴染みの香りで、つい今日はどんなパンにするかと品揃えを想像してしまう。
「そういや、まだ昼は食べてなかったな。お前は食ったのか?」
「ううん、まだ」
「だろうな。なにせ、昼寝してたもんな」
「あれはルークのせいだもん」
 惰眠を貪っていたのは、どうあってもルークのせいらしい。
「はいはい、俺が悪かったよ。お詫びに奢ってやるから、何が食いたい?」
「んー、あれ、かな」
 ミーネが指差したのはハチミツパンだ。ちょうど店主がパンにハチミツを垂らしているところで、細長いパンにハチミツの琥珀色が絡みついていく。
「んじゃ、とりあえず最初は腹ごしらえからいくか」
 昼だと並ばなくて買えないパンも、午後を回った今の時間ならすぐに買うことができた。ご希望通り、ミーネにハチミツパンを買い、自分の分に縦長のパンにソーセージを挟んだものを買う。
「ほれ」
「ありがとう」
 ハチミツパンを手渡してやると、ルークはさっそく自分のパンにかぶりつく。ミーネも小さい口をもごもごと動かして食べ始めた。
「さて、他には何にすっかな。お前、後は何がいい?」
 空腹も手伝って、ものの数秒でパンの半分を食べてしまったルークは、隣りでマイペースに食べるミーネに目を向ける。
「うぅ〜、そんなこと言われても、目移りしちゃうよ」
「じゃ、それ全部ってことで」
「えぇっ!? 全部はちょっと食べきれないかも……」
 どうやらかなり食べたいものがあるらしい。色気よりも食い気なミーネに、つい笑ってしまった。
「別に今日全部でなくてもいいだろ。残りは次の機会に回せよ」
「え……ルーク、また付き合ってくれるの……?」
「買い食いは得意技だからな。これなら俺もそれなりに楽しめるし、別にいいぞ」
「じゃ、じゃあ、食べきれないのは今度にするねっ。約束だよ」
「ああ、わかった。で、いつまでそれ食ってるつもりだ?」
 ルークは会話の合間にさっさと残りのパンを食べ終えてしまったが、ミーネは変わらずもぐもぐしている。
「あ、ま、待って。もうすぐ終わるから!」
「慌てなくても、食い物は逃げないから安心しろ」
 さて、次は何を食べるかと物色するルークだったが、不意に服の袖をくいくいと引っ張られた。
「なんだ?」
「えっとね、ルークのお勧めが食べたい」
 ハチミツパンを食べ終えたミーネがそんなことを言ってきた。
「俺のお勧めか。じゃ、串焼きだな」
 即答すると、すぐ近くの露店に向かう。腹を刺される前は昼飯にとしょっちゅう買いに行っていたからか、ルークが顔を見せると店主の親父はにかりと笑った。
「おー、ルークじゃねぇか。大怪我して午後からは療養という名の謹慎くらってるってキースから聞いたが、元気そうだな」
「生憎と、それしか取り柄がないからな。それより親父、串焼きを二本頼む」
「はいよ。で、どの肉だ?」
「一本は牛。もう一本は……お前、何がいい?」
 少し離れた位置に立っていたミーネに顔を向けると、ミーネはふらっとルークの傍にやってきた。それを見て、親父が信じられないものを見たとばかりに口をあんぐり開ける。
「親父、ただでさえ変な顔がものすごく変な顔になっているぞ」
「ルーク、この別嬪さんは誰だ?」
 ルークの軽口はまったく耳に入ってないらしく、親父はルークを見向きもしないままそんなことを言った。
「はじめまして。ミーネです」
 ぺこりと頭を下げるミーネに、親父は年甲斐もなく頬を赤らめている。どんなに歳をとっても男は男、美人には弱いものらしい。しかし、すぐにだらしない顔を商人のものに戻し、次いでニヤニヤとした笑みとともに、じろりとルークを見てきた。
「なんだ、ルークにもついに春が来たってことか。しかも、こんな美人とはな。そりゃ、謹慎中だろうと昼からいちゃつきたくもなるってわけか」
「え……美人って……」 
 アホなことをのたまう親父に、ミーネは顔を赤くして俯いている。ルークはといえば、呆れてため息をつくだけだ。
「バカなこと言ってんなよ。こいつ、この町は初めてで、おろおろしてたところをガラが悪いのに捕まってたから、追っ払ってやって、代わりに俺が案内してるってだけだ」
 事前に決めておいた二人の関係を、ルークは面倒そうに説明する。
「おいおい、自分のこと棚上げすんなよ。お前は間違ってもガラが悪いなんて、他人のこと言えないだろうが」
「ガラが悪くても騎士なんだよ。そんなわけで、謹慎中にも関わらず、仕事熱心な俺はこうして善良な市民様を案内中ってわけだ」
 冗談めかして言うと、親父はハエでも追い払うかのように手をひらひらさせる。
「相変わらず、口は達者だな。で、お嬢ちゃん、肉はどれにするかね? うちのはどれも新鮮だから美味いぞ」
「えっと、じゃあ、ルークと同じやつで」
「牛だな。じゃ、すぐに焼いてやろう」
 ニコニコと商売人の顔で、親父は手早く肉を串に刺し、それを焼いていく。途端に香ばしい匂いが漂ってきて、ルークはつい涎が出そうになる。ミーネもなんだかんだで期待しているらしく、親父の手元を凝視し、焼けるのを待っているようだ。
「へいお待ち。熱いから気をつけてくれ」
 二本の串をミーネに渡すと、親父の手がルークの前にずいっと突き出される。親父の中では、串焼き二本の代金はルーク持ちということになっているらしい。元よりそのつもりだったので、特に何も言わずに親父のごつい手に代金を置く。
「毎度。さて、お嬢ちゃん。ちょっといいかな」
 代金を確認して懐にしまうと、親父の顔がミーネに向く。
「あ、はい。なんですか?」
「こいつはおまけだ。持ってきな」
 そう言って、親父はもう一本串焼きをミーネに差し出した。
「え? いいんですか?」
「もちろん。お嬢ちゃんには特別にサービスだ。遠慮せずに持っていきな」
 にかりと笑う親父から差し出された串を受け取ると、ミーネも笑顔を返した。
「ありがとうございます♪」
「いいってことよ。またよろしくな」
「おい親父。俺、ほとんど常連と言っていいくらいにこの店に足を運んでいるが、未だにそんなサービスは一回もしてもらった覚えがないんだが」
 完全に無視されていたルークがようやくとばかりに口を挟むと、親父は実に白けた目でルークを見てきた。
「するわけないだろう。むさ苦しい男と別嬪さんを同じように扱うと思うのか?」
「すげーな。堂々と客を差別する宣言かよ」
 大げさに驚いてやると、親父はなんでもないことのように頷いた。
「そうとも。それに、こうしてサービスしておけば、次もまた来てくれるかもしれんだろう?」
 下心丸出しの発言だが、商売である以上、次も買いたいと思わせることは必要なのだろう。その対象が美人限定というのはどうかと思うが。
「だそうだ。まあ、親父はともかく、味はけっこういけるから、気が向いたらまた来てやれよ」
「うん。また来ますね♪」
「よろしく頼むよ」
 手をひらひらさせるミーネを連れて親父の露店前から離れると、串焼きをぱくつきながら、のんびりと通りを歩く。
「ルークはあのお店によく行くの?」
「ああ。やっぱ肉じゃないと食べた気がしなくてな」
「ルーク、お肉が好きなの?」
「ん? まあ、そうだろうな。魚よりは肉だな」
「そっか。明日から練習しとこっと」
 なにやら納得した様子で、ミーネは頷きながら串焼きを食べ始めた。ルークもさっそく肉を一切れ口に入れる。塩と胡椒の味付けはいつも通りほど良く、さくっと食べ終わってしまう。そこへミーネがもう一本の串焼きを刺し出してきた。
「ルーク。これも食べてくれない?」
「なんだ、口に合わなかったか?」
「ううん、とっても美味しいよ。ただ、他のも食べたいから、二本全部食べるとお腹にたまっちゃうでしょ? できれば、半分食べてほしいなぁ〜って……」
 つい笑ってしまうような理由だ。実際、我慢できず、ルークは吹き出していた。
「な、なんで笑うの!?」
「いや、笑うだろ。そこまでして色々食いたいか?」
「うぅ……。だって、お腹いっぱいになったら食べられないし……。も、もう! ルークのいじわるっ!」
 少し拗ねた感じでミーネは顔を逸らした。それでも串焼きはしっかりと差し出したままだ。ルークはそれを受け取ると、遠慮なく半分を一口で食べる。
「ほれ。後は自分で食え」
 串焼きを返すが、ミーネは頬を膨らませてルークとは逆方向を向いている。どうやら無視する態勢のようだ。それを見たルークは、膨らんでいる頬を遠慮なく指で突いた。
「ぷひっ!?」
「むくれてないで、さっさと食え。他のも食べるんだろ?」
 変な鳴き声を出したミーネに串焼きを返すと、ミーネはしぶしぶといった感じでそれを受け取る。そしてむぅと唸りながら、残りの肉を食べた。
「さて、とりあえず飲み物ってとこか?」
 肉を食べて喉が渇いてきたルークはミーネを連れて飲み物の露店に向かう。
 そこでもやはりミーネは容姿のおかげでサービスしてもらい、ミーネの分は無料だった。
「なんか納得いかねぇ……」
「あ、ルーク。あのお店、面白そうなもの置いてるよ! 行こ!」
 こんな調子で、その後は様々な店を回った。食べ物関係がほとんどだったが、服屋なんかにも寄り、なぜかルークがミーネの服を選ばされたりもした。
 その時に買った荷物を手に持ちつつ、ルークは夕陽が照らす通りをミーネと並んで歩いていた。隣りを歩くミーネは満足そうな様子で、ご機嫌であると顔に書いてある。尻尾があったら、間違いなく揺れていたことだろう。
「さて、そろそろ夜になるし、今日は切り上げるか」
「うん。今日は楽しかったね。それと、ご馳走様でした♪」
「お前が満足できたなら、それで十分だよ」
 命を救われた礼はこれで返せただろうと思い、ルークは苦笑する。いくら大量とはいえ、さすがに食糧を渡しただけで借りを相殺した気にはなれなかったからだ。
「うん♪ 大満足だよ♪」
「そりゃよかった。で、せっかくだから帰る前に夕飯でも食ってくか。まだ時間は大丈夫だろ?」
 人化の術という単語は省略したが、ミーネもルークの言いたいことは分かったらしい。
「うん。まだ大丈夫だよ」
「決まりだな。じゃ、食う場所はと……」
 ほとんど無意識のうちにいつもの酒場に歩きかけるルークだが、そこでふと足を止めた。あの酒場は騎士団の同僚達にも人気の場所だ。よって、今日も誰かしらはいることだろう。そこにミーネと一緒に行けばどうなるか。間違いなく面倒なことになる。
 そう直感したルークはぐるりと進む方向を変え、まったく逆方向に進んだ。
 向かった先は、見回りの時にたまたま発見した穴場の店だ。通りから路地へ少し入っていかないと見つからない上に店自体も小さく、いかにも一見さんお断りのような雰囲気を醸し出している。
「なんだか、雰囲気のあるお店だね」
 ミーネも同じように感じたらしく、ぽつりと呟いた。
「俺も入るのは初めてだ。ちょっとした冒険だな」
 それでも一見さんお断りの雰囲気に気圧されるルークではなく、躊躇うことなく扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
 低い声でカウンターにいたマスターらしき男が歓迎の言葉を発した。
 店内に客の姿はなく、しんと静まり返っている。酒場といったら馬鹿騒ぎできる店しか行ったことのないルークには新鮮だが、こういう店も悪くない。
「二人なんだが、席はどこでもいいか?」
 マスターが無言で頷いたので、ルークはミーネを連れて適当な席に着く。そこへマスターがすかさずメニューを持ってきた。
「へぇ……こりゃいい値段してるな」
「味は保証します」
 さっそくメニューを開くと、そこに記された品の値段はルークがいつも行く酒場よりも随分と高い。まあ、マスターがその分味は保証すると言っているのだから、値段相応であるのだろう。
「お前、何を飲む?」
 メニューをミーネに渡してやると、ミーネはじっとメニューを見つめるが、すぐに困り顔でルークに目を向けてきた。
「えっと、ルークのお勧めは?」
「初めて来た店でお勧めを聞かれても困るな。そういうわけだから、飲みたいものを頼め」
「飲みたいものって言われても、お酒って初めてだし……」
「あ? 初めてなのか?」
 意外に思って聞き返すと、ミーネはこくりと頷いた。
 考えてみれば、確かにミーネが酒を飲む機会はほとんどないだろう。そう思うと、なんだか急に不憫に感じた。
「あの美味さを知らないなんて、お前、今までの人生確実に損してるな」
「う〜ん、さすがにそこまで損してたとは思いたくないなぁ……」
「ま、飲んでみれば分かる。マスター、俺はぶどう酒、こいつには甘めの飲みやすいやつを頼む」
 軽く頭を下げてマスターが去っていく。そしてすぐに二つのジョッキを持って戻ってきた。
「ほら、人生初の酒だ。飲んでみろよ」
 目の前に置かれたジョッキを顎で示すと、ミーネは恐る恐るといった感じで口を付けた。そしてすぐにハッと目を見開く。
「どうだ? お味は」
「美味しい……」
「そりゃよかった」
 ルークも自分の酒に口を付ける。底が見えるほどに綺麗なぶどう酒はやはり味がよく、値段相応のようだ。普段飲んでいる安物とは違って飲みやすく、つい半分ほどを一息に飲んでしまった。
「ルーク、それは美味しいの?」
 好奇心の目をミーネが向けてきている。ルークは無言でジョッキをミーネの前に押してやった。それに少し戸惑った様子のミーネだったが、そっと口を付けて、こくりと飲む。
「わぁ、こっちも美味しいね。確かにちょっと損してたかも。これなら、もっと早めに飲んでみればよかったなぁ」
「ま、これからいくらでも機会はあるだろ。ただ、人生初の酒がこんなにいいやつだと、安物は飲めなくなるかもしれないがな」
「そうなの?」
「ああ。酷いのだと、薄めすぎて味がろくにしなかったり、すっぱくてとても飲めたものじゃなかったりするな」
 ミーネが興味を示したので、つまみとぶどう酒のお代わりを注文し、それらを口に運びつつ、自分が飲んだ中でも特に酷かった酒について話してやった。
 最初のうちはルークの話を笑いながら聞いていたミーネだが、次第に口数が少なくなり、最終的に船を漕ぎ出した。
「ルーク、なんだか眠くなってきちゃったよ……」
 声には元気がなく、表情もとろんとしている。
「眠くって、まだ一杯しか飲んでないだろ。疲れたのか?」
 しかしミーネは答えず、こてんとテーブルに突っ伏してしまった。続けて聞こえてくる規則正しい寝息。
「おいミーネ。起きろ」
 軽くつんつんしてみるが、無反応だ。どうやら完全に夢の世界に旅立ってしまったらしい。
 顔をしかめてミーネのジョッキを覗いてみると、中身はまだ半分ほど残っている。
「ジョッキ半分で酔い潰れたのかよ。冗談だろ……」
 思わず額に手を当てて天を仰ぎそうになった。とはいえこのままにしておくわけにもいかないので、代金を置くとミーネの腕を肩に回し、抱えるようにして店を出た。
 外に出ると、ルークは深いため息をついた。季節は秋であり、夜の空気は少し冷たかったが、ため息の理由はそんな生易しいものではない。全ては隣りの狐娘のせいだ。どう見たって起きる様子はなく、これでは馬に乗って帰ることもできそうにない。
「どうすんだ、これ……。まさか、一泊するのか……?」
 結論としてはそれしかない。では、どこならいいのか。
 ルーク達騎士の宿舎なら宿賃はかからないが、利用者は二人一組の相部屋な上に、女を連れ込んだとなれば、蜂の巣を突いたような騒ぎになる。よって対象外だ。
「宿しかないか……」
 確か、騎士団本部の近くにも一軒あったことだし、そこでいいだろう。
 仕方なくミーネを背負うルークだったが、すぐに顔をしかめることになった。予想はしていたが、密着具合が馬に乗っている時の比ではない今の状況では、背中に当たる好ましい二つの感触の破壊力が半端ではない。これだけでも理性が激しくぐらつくというのに、肩に乗せられたミーネの頭がルークの方を向いているせいで、寝息をする度に耳が刺激されるのだ。
「っ……」
 そんなルークの心境などお構いなしに眠るミーネを背負い、なんとか宿に着いたときには、精神が極限まですり減っていた。
 さっさとこの状況から解放されようと一人用の部屋を借り、ベッドにミーネの身体を横たえたところで、ルークは脱力して座り込んだ。
 密着していたおかげでミーネの甘い香りの残り香がするし、背中には温もりや柔らかい体の感触が生々しく残っている。
「疲れる……」
 ぼやきつつ、ミーネの靴を脱がし、毛布をかけてやる。まるで召使いにでもなった気分だ。恨み言の一つも言ってやりたくなるが、それは明日にしよう。今はさっさと寝たかった。
 覚えていろよとミーネを睨みつつ、部屋を出ようとするルークだったが、そこでぴたりと足を止めた。ふと明日のことを想像してしまったのだ。
 見知らぬ部屋で起きるミーネ。そこに宿の主人がやってきて扉をノックする。慌てたように扉を開けるミーネ。その時の姿は当然魔物に戻っているが、そんなことにも気づかずに扉を開け……。
 そこまで想像したところで、ルークは頭を振った。可能性が有りすぎる。ただでさえぼけっとしている娘なのだ。他にルークの想像もできないような行動に出ても、少しもおかしくない。
「あれ、もしかして、俺も泊まる必要があるのか……?」
 気づいてしまった最悪の事実に、ルークは呆然とする。ミーネのうっかりを防ぐには、それしか方法がない。
 振り向いてベッドを見れば、そこには無防備に眠るミーネの姿。どう見たって、自分の状況など少しも理解していないに違いない。よって、このまま放置すれば、明日の朝はきっと大騒ぎが起こる。そう断言できる。
 ルークは盛大なため息をつくと、扉の鍵を閉めて、なるべくベッドから離れた位置に体を横たえた。取ったのは一人用の部屋なので、ベッドは一つしかないのだ。
「俺、何か悪いことしたか……?」
 どうしてこうなったのかさっぱり分からず、つい独り言が出た。しかし、ルークのぼやきに答えたのは、ミーネの規則正しい寝息だけだった。
13/06/25 23:51更新 / エンプティ
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■作者メッセージ
最長、及びに少しサービス回でした。
なお、話の都合上、ミーネの日記はお休みです。
ちなみに、皆さんは白と空色、どちらを選んでいましたか?
作者は間違いなく白を選びます。
それでは、また次回で。

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