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第十話  震える山羊の、見つめる先に

〜〜〜〜〜〜

「ほほう……こんな所に、人がいるとはの……」

開け放たれた夜の窓から、声が響いてきた。
遊び盛りの無邪気さを孕んだ、明らかにこの場には不釣り合いな幼い声音。だというのに、そこからは不思議と老成された重みを感じてしまっていて。

それこそ----70を越えた年齢の私とさえ、比べものにならないと感じる程に。

「ふむ……お主、面白い魔力をしておるのぉ。巨大ではないが、淀みない流れ……魔女になるのに、中々ふさわしそうな才覚を持っておる」

くっく、と楽しそうに声の主は笑う。窓の縁に足をかけた、小さな影を私は見やる。

そこにいたのは、声音から想像される通りの見た目をした小さな女の子だった。
ただし、その子は身体のところどころに動物のようなパーツを持っていて……明らかに、人間ではなかったのだが。
彼女は、『魔物』と呼ばれる存在なのだろう。私達人間を取って食らう為に生まれた、人類の敵。その割に、見た目が可愛らしい事は驚きだったけれども。
それでも、そのにやついた表情を見ればただの子供ではない事だけはわかる。幼い顔に浮かぶそれは、まるで動物が獲物を追い詰めた時のような獰猛なもの……

……だからと言って、どうということもないのだけれど。

「……お主、何故全く反応せぬ。こういう時は『あなた、誰……!?』だの『ここは四階よ、どうやって入ってきたの!?』と言った反応が普通じゃろう」
「……えぇ、その通りね」

つまらなさそうに唇を尖らせて、彼女は言う。いつの間にか、先ほどまで纏っていた人ならざる雰囲気は消えていて。そこにいたのは、自分の思い通りにいかないことを拗ねる小さな子どもだった。
確かに、それが自然な事なのだろうとはわかる。けれど、人外の存在に非常識を説かれる日が来るなんてね……

人生の最後に面白いものが見れたな、と思う。

「ふむ……何か、勘違いしているようじゃな。儂は別に、老いたお主を殺しに来た死神などではない。勿論、この家に住まう他の人間もじゃ」
「あら、そうなの。では、何をしにこんな老人に会いにきたの?命以外に差し出せるもの、私にはないけど……」

改めて部屋を見回してみても、金品になりそうなものは一つもない。人間の食料だってないし、私を食べたりするつもりもこの口ぶりではなさそうだ。

そうなると、何をしに来たのかがさっぱりわからないのだ。

「あぁ、それなんじゃがの……」

よく聞いてくれた、とばかりに少女は顔をにやけさせて答える。それは、小さな子どもが浮かべるもののようにも、魔の者が浮かべる邪悪なものにも見えて――――



「お主……ちょっとばかし、人間を辞めぬか?」




――――それは、『私』が『エリーネラ=レンカート』の名前を与えられた日の記憶。



〜〜〜〜〜〜

エリーのサバトというのは、この街からならすぐにでも着く事ができるらしい。
そう聞かされた俺は、行く事が決まるや否やすぐにその場所へとエリーに案内される事になった。

サバトというのは、どういう場所なのだろう。
魔女が集まる場所なのだから、やはり子供向けの遊具などが散らばる建物なのだろうか。いや、まがりなりにも魔物娘が集う場所なのだから、やはり『そういう』雰囲気が漂っている空間というのも捨てがたい。

そんな想像を膨らませつつも、エリーの案内は無事終わった……の、だが。

「おい、どういう事だこれ……」

その場所というのは……俺がこの街において、拠点にしていた宿屋だったのだ。
それも、その建物が巨大だったりとか、魔物娘が好みそうな派手なデザインだったりとかならまだわかる。
しかし、そこはせいぜい二階建てで、部屋数も一階につき五フロアもないような……言ってしまえば、小さな安宿。
見た目も周囲に馴染んだ質素なデザインだし、とてもじゃないがサバトに使うような場所とは思えなかった。

思わず口をついて出た、俺の疑問。それに、エリーは表情を変えずに答える。

「すぐに分かるよ。えっと……あ、いたいた」

それだけ言って、エリーは宿屋の受付へと歩いて向かっていった。そこにいた従業員の男へと、慣れた口調で(まぁあいつはいつもあんな口調だが)話しかける。

「ねーねー!!」

歳はさほど俺と変わらなさそうな見た目の、優しそうな青年。彼はエリーの姿を見て、笑顔で応対する。

「はいはい、どうされましたか?」
「あのね、『みんなって今どこで遊んでるのかな?』」

それは一見心配するような言葉。だけれども、その割にエリーの喋り方にはあまり感情がこもっていなかった。

「あぁ……『みんなでしたら、201号室で楽しく遊んでますよ』」
「じゃあ、『お菓子も持っていっていい?』」

しかし、それを受付の男は気にする素振りもなく笑顔のままだ。会話は、淡々と進む。

「勿論です。『鍵は持ってますか?』」
「うん、これだよね!!」

エリーはポケットに手を突っ込み、中の物を取り出した。
それは、小さなプレートのように見えた。中央に山羊のような物が彫られているだけの、飾りのような鉄のプレート。

これが、鍵……?
しかし、それを確認した従業員は奥に引っ込み、少しして戻ってくる。
その手には、俺も見覚えがある物が握られていた。

「はいはい、確認しましたよ。それじゃあ……こちらが、204号室の鍵です」
「うん、ありがとう!!」

そう、それこそが正真正銘宿屋の鍵だ。
エリーはそれを礼を言って受け取ると、2階への階段を上がっていく。半分ぐらい登り切ったところで、俺をちょいちょいと手招きした。
俺もそれにならって、ついていく事にする。

「……なんかの合い言葉か、あれ?」
「うん、エリー達のサバト以外の人がうっかり入ってこないようにね。合い言葉の後にこれを見せないと、鍵をくれないようになってるの」

あの人もエリーのサバトの構成員なんだよ、と言いながら何気なくエリーが見せてきたのは、先ほどの小さなプレートだった。山羊の紋章が彫られている、小さいながらも立派なものだ。

……そういえば、サバトの長は山羊の魔物がやってるんだったか。

「それにしても、204号室がサバトって……ちっちゃくねぇか?」
「そういう訳じゃないよ。えっと、入ったら分かると思うんだけど……」

ガチャリ、とエリーは手慣れた仕草で鍵を捻って201号室へと入る。
しかし……中は、俺が泊まった部屋と変わらず、何の変哲もない宿屋の一室だった。

ベッドが一つに、家具はせいぜい帽子掛けぐらい。一人か二人が泊まるぐらいがちょうど良い、小さな部屋だ。

……明らかに、大人数の魔女が集まるような場所には見えない。

「さ、サバトってこんな所でやってんのか……?」
「違うよ、お兄ちゃん。よく見て、あの辺り……」
「んん……?」

素っ気ない表情でエリーが指差す辺りを、目を凝らして確認する。
その先にあるのは、部屋の隅っこだ。無論そこは、壁に囲まれた行き止まり。隣の窓に風に揺れるカーテンがあるぐらいで、何もおかしな事は……



ん。なんだ……?



あの辺り……陽炎か?よく見たら空気が揺らいで見える、ような……いや、見間違いレベルのような……?

「……んー。お兄ちゃん、エリーの手握ってて。多分、そっちの方が早いかな……」
「お、おぉ……」

俺がいくら見ていても何も言わない事に、どうやら焦れたらしい。エリーは少し困ったような顔をしながら、ぎゅっと俺の手を握ってきた。
……一応こいつの体には、色々な機会で多く触れてはいる。けど、こうやって落ち着いた気持ちで触れたのは初めてだと思う。
だからだろうか……こいつの手の感触を、やたらと意識してしまうのは。俺の手を握るその手は、子供だからかやたらと暖かい。だからと言ってそれが不快ではなく、それどころか何となく心地よい感じがして……

……いや、だからといって興奮はしていない。誓って、こんなガキに手を繋がれた程度で興奮はしていない。

「じゃあ、行くよ。エリーの手、離さないでね」
「お……おう」

エリーに引っ張られて、俺達は部屋の隅っこへと歩き出す。壁にぶつかりそうになってもなお、エリーは歩く速度を緩めなかった。
このままではぶつかりそうになる、と俺が思った直後。

エリーの腕から先が、突然『消え失せた』。

「はっ……!?」

理解できない光景に、思わず変な声が漏れる……これだけでは、驚きは終わらなかったのだが。
残った腕だけが、変わらない力で俺を引っ張ってきたのだ。突然の事に対応できなかった俺の体は引っ張られて、壁にぶつかりそうになり……

……瞬間、世界が暗転する。
壁を通り抜けたかのように、何も見えなくなったのだ。


なんだ、これ……周りの空気が歪むような、変な感じ……っ!?

「……なぁぁぁぁ!?」

妙な感覚を感じたのは、一瞬の事で。まばたきをするぐらいの間に、目に映る景色が完全に切り替わっていたのだ。
目の前に映るのは、明らかに街では見たことがない建物。
あちこちに施された十字架の意匠は、そこだけを見れば教会のようにも感じられる。しかし、その十字架には山羊のようなモチーフの髑髏が鎖と共に絡みついていた。エリーのプレートにも描かれていたそれは、今は全ての意匠を悪魔的なものへと変える存在となっていて……その鎖が、建物全体に絡みついている。
森の入り口のように見える場所に、その建物は鎮座していた。その目の前に、気がつけば俺は立っていたのだ。

「おぉぉ……すげぇな、こりゃ……」

間違いなく、ここはサバトなのだろう。どういう理屈かは知らんが恐らく魔術であろう、一瞬での移動。加えて初めて見る、建物の圧倒的な雰囲気……声に興奮が抑えられない自分がいた。
けれど、そんな気持ちを知ってか知らずか。俺の手が、エリーによってくいっと引っ張られる。

「ほら、早く行こうよお兄ちゃん。エリーについてきてくれるんでしょ?」
「あー、そうだったな。じゃあ、行くか」

立ち止まっていた俺を責めるでもなく、落ち着いた声で急かしてくるエリー。

……なんだ。今朝からどうも、コイツに違和感があるような……気のせいか……?

しかし、俺がその答えに気がつくよりもエリーの行動の方が早かった。
俺の手を引っ張っていき、建物の扉に力を込める。その扉の取っ手が、魔女に合わせてか低い位置にあるのが印象的だった。
重苦しい音を立てて、扉が開く。表の重厚な雰囲気とは対照的に、建物の中はシンプルなデザインだった。
たった今俺達のいる、ホールのように大きな部屋。それを中心に伸びている通路が何個かと、個室であろうドア……入り口にこそ絨毯は敷かれているが、見回す限りだとそれ以外はちょっと豪華な洋館ってとこか。しかし、外から見ているよりも中が広く感じるような気がするな。ここに来た技術のように、魔術的な何かが施されてるのだろうか。

自分の所属するサバトだから勝手知ったる場所なのだろう、エリーはすいすいと俺の手を握って歩を進め始める。

そういや手、さっきからコイツと繋いだままだが……まぁ、いいか。道がわからないのだから、引っ張ってもらった方が楽だ。
そんな事より……

「人は、いねぇのか……?」

これだけ広いのだからそれなりに人もいるのだろうと思ったのだが、通路を歩いていても他の誰かとすれ違う事は全くない。
ふと口をついて出た疑問に、エリーは素っ気なく答える。

「今の時間なら多分、みんなは黒ミサだと思うよ。ここの魔女、殆どみんなが相手いるもん」
「……なるほどな」

耳を澄まして聞いてみれば、どっかから「あぁぁぁん♪」なんて高い声が微かに聞こえてくる気がする。そりゃ、サバトに居る奴は黒ミサに全員集合してるんだろう……

そんな思いにふけりながら、ふっとエリーの顔へと目を向ける。こちらを振り向きすらもしないで真っ直ぐに目的地らしい場所へと歩くエリー。その顔は、感情らしい感情を感じられない無表情だ。
……あぁ、違和感の正体はこれか。

『この箒でね、ぴゅんって空を飛んできたの!!』
『ちーがーうー!!魔術と魔法は違うものなのー!!』
『そっか、魔力というくくりで丸ごと消してしまう事で……』

コイツ……今朝からちっとも、楽しそうに話してないんだ。

いつもは俺が何も言わなくても、嬉々として自分の知識を語り出すのがエリーだ。なのに、サバトの事に対しては俺が聞いてきた事を最低限答えるだけ。それを笑いもせず、淡々と……だから違和感があるのだ。
いくらコイツが魔術が大好きな奴だからとはいえ、これは……

コイツの態度に疑問を持ちながら、いくつかの通路を通り過ぎた時だった。

「え……エ、リー?」
「……ん?」

震えて、か細い声が後ろから聞こえてくる。
それがエリーを呼ぶ声だと気がついて、俺は足を止めて振り向いた。



……………………何だ、あれ。



『バフォメット』、という単語が真っ先に頭に浮かんだ。
エリーと同じかそれ以下の、小さな背丈。ツインテールになっている、赤い長髪。そこに乗っている、山羊のような角に髪と同色な耳。手を覆うふかふかの毛と明らかに少ない指の数。建物にされた意匠のように、髑髏を基調とした服装。
俺も話にしか聞いた事はないが、それは間違いなくバフォメットとしての特徴だろう。

いや、けど……バフォメットってあれだよな?数多くの魔女が所属するサバトを自分の手腕のみで束ねるリーダーで、魔物の中でも相当上位に位置する強さを誇る魔物だよな?
そりゃ、威厳がある奴だけじゃなく泣き虫な奴とか抜けてる奴とか個体差もあるだろうが……基本的には魔女よりも偉い立場の魔物だよな?



じゃあ、何であいつ……距離がある曲がり角の端から、ビクビクしながら顔だけ出してこっちの様子窺ってんの?



「ひ、ひさ、久しぶり、じゃな……げ、げげ、元気に、しておった、か……?」

体の震えが言葉にまで表れたかのような見事な吃音っぷりだった。
……第一印象で人(魔物)の全てを決めるのはいけないとわかっているのだが、これだけは言わせてもらいたい。

あいつ……威厳、微塵もねぇな……

とまぁ、俺は呆れながらも小さな山羊が必死に口を開く所を見守ろうとしていたのだが。

「と、とな、隣の男は、おお、お主の……その、旦那様、かの?よ、よかった、のぉ……わ、わしとして、も、」
「……うるさいよ」

冷たい声が、聞こえてきた。聞き慣れた声にもかかわらず、俺は思わず声の聞こえてきた方向を振り返っていた。
そこにいるのは間違いなく魔女、エリーだ。なのに、そいつは俺の見た事がないような表情でそこにいた。いつも馬鹿みてぇに、楽しそうな顔ばかりしていたエリーが……バフォメットへ対して、露骨な嫌悪感を浮かべた顔で。

「ユーミアには関係ないでしょ。じゃあね、エリー行くから……っ」

そのまま、有無を言わさぬ態度で歩こうとするエリー。
その手を、強く握って止める。

「お、お兄ちゃん……離して……」
「あんなぁ、事情はわかんねぇけどあいつはてめぇと話したがってんじゃねぇか。ちっとぐれぇ、話聞いてやってもいいんじゃねぇか?」
「い、いいの!!エリーには別に、用事なんかないもん!!」

いつもだったらこの辺りで大人しくなっているであろうエリーが、今日はやけに食い下がってくる。
けど、ろくな説明も無しにそんな事を言われた所で……当然、俺は納得できる訳もない。

「そういう問題じゃねぇだろ。どうしたんだよ、てめぇらしくも……あちっ!?

なんとか説得しようとしたところで、繋いだ手が急に燃えるように熱くなって。
思わず引っ込めて、元凶を睨む。
エリーがこの前のように、自分の手を熱くしたらしい……このガキ!!
向かい合うエリーは、それでも反省などする気配はないようで……必死な顔で、自分の主張を譲らない。

「いいからー!!お兄ちゃん、早く行こうよ!!さっさとこんなところから、離れ―――



――っ」

カクン、と動きを突然止めたその体が崩れ落ちる。
そのまま、床に倒れ込んだエリーは起き上がってはこなかった。

「エリー!?おいてめぇ、まさか……!!」

慌ててその身を抱き起こして、確認する。

「……すー……」

……やっぱりだ。また、急に寝ちまってやがるコイツ……!!
一体、何がどうなって……

「――何をしておる!!」

その怒声の勢いに、思わずビクリと肩が震え上がった。

「お、お主、エリーの伴侶、なのじゃろ!?なら、も、モタモタするでないわ!!お主は、エリーをこ奴のへ、部屋まで運ぶのじゃ!!」

それは、廊下の隅で俺達を震えて見ていた筈のバフォメットの声だった。
目をやれば、いつの間にかそいつ(ユーミア、ってエリーは言ってたか)は俺達のすぐ傍までやってきていた。さっきの態度からは考えられない程に力強く、俺達に指示を飛ばす。

「い、いや……俺は、伴侶じゃ……」
「何でも良いわ!!こ奴の部屋まではあ、案内する!!儂に、つ……ついて、来るのじゃ!!」
「お……おぉ!!」

確かに、伴侶がどうとか言っている場合じゃねぇ……か。
エリーを抱えて、俺は立ち上がった。さっさと歩き出してしまったバフォメットの後を、急いで追いかける。


ったく、ガキとはいえさすがに重く感じない訳じゃないな……







エリーの部屋は、非常に質素だった。机と本棚に本が数冊、ベッドは傍にある窓からの光に優しく照らされている。

……正直、ここに来るときに通った宿屋の一室と大差ねぇぞ、この質素さ。

「すぅ……すぅ……」

そのベッドにエリーを寝かせた俺達は、部屋にあったテーブルの側に腰掛けていた。テーブル越しに、お互いが向かい合う形だ。
……いや、少なくとも俺は向かい合うつもりで座ったんだけどな。

「あ、あの、あのあの……さ、さっきはど、怒鳴ったりし、て……済まなかった、のじゃ……」
「あぁ、あれか?別に気にしてねぇよ、てめぇも必死だったんだろ?」
「そ、そうか……そ、そう言ってもらえると、助かるの、じゃが……え、えっと……」

またしても、赤いバフォメットはこの調子なのだ。
言葉はしどろもどろで、緊張しているのか姿勢は正座。おまけに、目線はやたらめったらに泳いで、俺と目が合う事はない。
俺に対して叱咤していた時は、それこそ頼もしさを感じたものだが……エリーをベッドに寝かせ、無事だと確認した途端にこれである。
色々と大丈夫だろうか、コイツ……

「わ、儂は、このサバトのお、長をして、おる……ゆゆ、ユーミア……そ、べ……」
「……あんだって?ユユユーミア?」
「ち、違う、のじゃ!!ゆ、ユーミア……『ユーミア=ソーヴェング』……が、儂の、名じゃ……」

わざと挑発するように言ってやると、ようやく名前を告げたバフォメット改めユーミア。
……こう言ってはなんだが、じれったい事この上ない。

「そーかよ。俺は冒険者のルベルクス=リーク、呼ぶ時はルベルでいーぜ」
「そ、そうか……で、では、ルベル……お、お主、は……そそそ、その、え、エリーの……は、はん……」
「……っだぁ!!わかったから、さっさと喋れっての!!」
「ひぅっ!?」

これでも我慢しようと思っていたのだが、自分で思っていたよりも限界は早く来た。大声をあげながら、テーブルを強く手で叩きつけてしまう。
そこから我に返って見れば案の定、ユーミアは大声に身を縮こまらせてぶるぶると全身を振るわせていた。

「あ、す、済まぬ……済まぬ、のじゃ……き、気をつ、気をつけ、る、のじゃ……」
「……あー、いや。わりぃ、今のは俺が短気過ぎた」

泣き出す一歩手前に見える程怯えた表情になっていたので、慌てて手を突き出してそれを制止する。

「別に俺は焦ってねぇからよ。てめぇのペースで喋ってくれりゃあいいから、まずは落ち着け」
「あ、あう……す、済まぬ、のじゃ……」
「だーから、てめぇ謝る事がねぇっての……」

……なんつーか、あれだ。
悪い奴じゃないのはわかるんだが、エリーとはまた違った意味でめんどくさいなコイツ……こういう奴に会うのは始めてだから、どう扱ったらいいのか正直困る。

「し、しかし、じゃな……わ、儂だって分かっては、おるのじゃ……さ、サバトを預かる長としてこ、このような態度では、良くないと……」

とはいえ、コイツとしても自分の性格が面倒だと自覚はしてるようだ。とゆうかコイツ、こんなんでサバトの長としての仕事を今までどうしてたんだ……

「い、いや。今は、儂の話をし、してる場合では、ない、の……まずはお、お主の事、じゃ。る、ルベル、は……や、やはり、エリーの『お兄ちゃん』、なのかの?」

ここでようやく、ユーミアが話を本題へと切り替える。
ま、そりゃ魔女が男を連れてくれば普通はそう考えるだろうな。

「あー。それなんだがよ、コイツとはそういう関係じゃねぇ。成り行きで、一緒に行動せざるを得なくなっちまったってだけでな」
「な、なりゆ、き……?え、エリーと……何が、あったんじゃ?」

この様子だと、エリーがやってきた事については何も把握してなさそうだなコイツ。何も言わずに出てったのか……
……まぁ、じゃなきゃ通り魔なんぞできねぇか。こんだけ小心者な奴が、そんなのまず見逃さないだろうし。
ちらりと横目でエリーを見つつ、事情を言っていいものかどうかを一瞬考えるが……流石に、サバトの長であろう相手にコイツのやったことを黙っておくのはまずいか。

「……じゃあ、まずはそこから順を追って話す。コイツと出会ったのは、俺が依頼を終えて終わった帰りだったんだがよ……」

意を決して、俺はユーミアにエリーと出会ってからこれまでの事を全て話した。

勘違いから襲われた事。嫁と名乗って俺の家まで押し掛けて来た事。冒険者としての活動を通じて、エリーも冒険者に興味を持った事。そしてなんとか冒険者となって、初めての依頼で倒れてしまった事……

ユーミアはエリーが通り魔をしていた話を聞いた時には顔面蒼白になりながら「こ、こや、こやつ、が……あぁう、わ、儂が……み、見てなかった、ばっかりに……」などと慌てて謝ってきた。その後の事、主にエリーが冒険者を自分から始めようとした話を聞かせてやったら多少は落ち着いてくれたのだが。

「……んで、コイツがまたぶっ倒れないようにするからってここに来るのに、着いてこさせてもらったっつーわけだ。俺の話は、これで終わりだ」
「そ、そうか……お主は、それでここまで……」

俺の話を聞き終えたユーミアは、おずおずと口を開く。

「え、エリーの、世話を……お主はずっと、焼いてくれた、のじゃな。さ、サバト長として……感謝、するぞ」
「……別に、んな大した事じゃねぇよ」

深々と頭を下げられると、こっちとしてはこそばゆいものがある。

「そ、それでは……お主はえ、エリーの事を……詳しくは知らないと、言う事なのじゃな……」
「あぁ。そういう事になるな」
「そ、それで……わ、儂に、こ奴の話を、聞きたい。そ、そうなんじゃ、ろ……?」
「……あぁ。それも、察しの通りだ」

流石、話が早い。
どんなに喋るのが下手でも、魔物の中では有数の魔力と知能を持つバフォメットだけはあるな。

今ここに、間違いなく俺以上にエリーの事を知っている奴がいるのだ。魔術に詳しい上にサバトの長であるユーミアならきっと、エリーの腹に書かれた陣の事も……あいつがぶっ倒れた理由だって、知っているかもしれない。

それを見過ごすなんて、できる訳がない。

コイツにとっては、寝てる間に聞かれたくない話を知られるんだから……酷い話だと、思うが。

「わ、わかった、のじゃ。今度はわ、儂が知る限りの事を、話す……え、エリーはの……人間の頃の、あやつは……」










「……反魔物領の貴族か王族、だろ?大方、よっぽどの箱入り娘か?」
「へっ……!?」

……やっぱり、か。

「お、お主、さっき……エリーからは、聞いておらぬと……!!」
「直接聞いてはねぇよ。ただ……あいつの言動から、予想した」

とは言ったものの、予想ができたのはつい最近の事だ。

色々と常識が無いぐらいならば、引きこもってただけでも説明はつく。
けど、それだけだとソーラちゃんの家でシチューを食った時の綺麗すぎる礼儀作法については説明がつかない。極めつけが、ヤエコちゃんの馬車を始めて見た時の反応だ。

『なんで、こんなにちっちゃい馬車なの?』

あの時はヤエコちゃんなだめるのに必死で気付かなかったが……こんな台詞、大きな馬車しか見たことない奴じゃないとまず出てこない。
つまり、「常識をあまり知らず」「綺麗な食事作法が身につき」「大きな馬車しか乗らないような」女……思いついたのは、貴族ぐらいのものだった。

「……すごい、の。わ、儂は……エリーの事は、ほとんど……は、母上から聞いただ、だけ、しか、知らぬ……」

……いや、勝手に落ち込まれても困るんだが。
けど、それより気になる事言ったなコイツ。

「母上から?つー事は、あいつを魔女にしたのも……」
「そう、じゃ。わ、儂の母上はこのサバトの先代の長、でな。わ、儂はそれを、引き継いだのじゃが……エリーは儂がつ、継ぐより前から、いた魔女での」
「だとしても、あいつが貴族って事ぐれぇは聞いてたんだろ?だったら、教えてくれ。ユーミアが知ってる限りのあいつの事を」
「……う、うむ」

ユーミアが一瞬、顔を上げて俺にまっすぐ向き直る……や否や、「ひぅっ」と小さく悲鳴をあげて。結局、目線は逸らしてしまう。
多分、コイツなりに真剣になろうとした結果なのではないだろうか……あくまで、多分だが。

「お、お主は……エリーの事を、心配して、くれておるのじゃからな……今度は、儂が話す。わ、儂が、知る限りの……あやつの、全てを……」

ユーミアは、そうしてゆっくりと。

俺の知らないエリーの事を……語り出した。


16/06/19 15:21更新 / たんがん
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■作者メッセージ

【設定資料】
『メタサバト』

ユーミアの母、『レーミエ=ソーヴェング』によりスフィルラグ領に創設された「どこにでもあるサバト」。
スフィルラグ領のあちこちにサバト協力の宿屋があり、その部屋の一室をサバト前まで空間魔術で繋ぐ事で出入り口にしている。
なお、サバト自体が森の奥深くにある上に見てくれを擬態する結界で覆われており、外からの侵入はまず不可能。更に、宿屋の部屋には扉や窓が無理矢理開いた場合に警報が鳴り、即座にサバトに異常が伝わるようになっている。
信頼と安全のサバトクオリティ。



【後書き】

はじめましての方ははじめまして、お久しぶりの方はお久しぶりですたんがんです。
更新までに再び半年以上経ってしまい、つくづく連載の難しさを痛感しております。
リアルの方が中々片付かなかったのも遅れた理由なのですが、中々構想が固まらなかったというのもあり……とはいえ、長い時間の中でようやく構想もほぼ固まりました。

物語の方は次回、彼女の核心へと迫っていきます。
明かされるエリーの秘密と、ユーミアの想い。それを知り、ルベルの胸中に渦巻く感情は、何か。

次回の更新は、大体一週間後を予定。
期待してお待ちしていただけると、嬉しいです。

それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。
推敲を手伝ってくれた某氏と某氏には、本当に感謝。

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