連載小説
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都市と教団領の間にはかなりの距離がある、それも大部分が森林地帯や草原地帯であり、補給地点に利用できそうな箇所は無い。
その長い道程を教団の大隊は行軍していた。
そう、「親魔物派」への転向を宣言した都市に警告を言い渡すのが目的だ。兵士たちが軽装ではあるが武装しているのは魔物への警戒と共に都市に対する威圧の意味もある。
道のりが長いとは言え険しい地形は無く、魔物の出現例も少ないので準備を整えさえすれば目立った危険も無く辿り着けるはずだった。
しかし、楽なはずの道中にあって大隊長の表情は険しかった。
「一体どう言う事だこれは……」
「わ、わかりません」
困惑を浮かべながら副長が答える。
「地形的にも天候的にもこんな霧は有り得ないはずなんですが……」
異常が起こったのは行軍を開始してから二日目の事だった、広い中原に差し掛かったあたりで突然の濃霧に見舞われたのだ。
今まで見た事が無い程に濃い霧だった、目の前を歩いている兵士の背中が乳白色に霞む程だ。
方角を見失っては危険だと言う事で一旦行軍を中止して霧が晴れるまで待機する事にした、しかし待てど暮らせど一向にその濃霧は晴れる様子が無い。
「これは人為的に起こされたものか……?」
「恐らく間違いありませんね、この地帯でこのような霧が出た前例はありません、しかし……」
副長は額の汗を拭う、気温はそれ程高くないが装備の表面に水滴が付く程の湿度だ、いやがおうにも体力を消耗する。
「どうも魔法、とは違うようです、魔力が感じられない、感覚的には本当にただの自然現象なんですが」
「ふん、「不自然な自然現象」か……それはもしや……」
「……精霊使い、だとすると非常に厄介ですね、あの都市は非常に自然環境に恵まれています、その自然を味方に付ける事が出来るとなると」
「魔精霊か……ええい忌々しい」
大隊長は振り返ると伝令兵に伝える。
「輸送班の様子を見てきてくれ」
「はっ」
「輸送班、ですか?」
後方に駆けて行く伝令兵を見ながら副長が問う。
「下手をするとこのまま引き返さねばならん事になる」
「出発してまだ二日目ではありませんか」
「俺はひもじい行軍をするのは御免だからな」
「ひもじい?」
話している間に伝令兵が後方より戻って来た、その顔には焦りが浮かんでいる。
「報告します、保存食である穀類が軒並み湿気にやられております、現時点で日程分の食糧の約半分が駄目になっております」
報告を聞いた大隊長は舌打ちをした。
「出直しだ、引き返すぞ」
「現地調達をしては……」
「魔物領での食糧の現地調達は厳禁だ、なりたてであってもな」
「……」
副長もそれ以外の案が浮かばない様子で悔しげな表情をする。
「計画を練り直さねばならん、相手はただの農業都市では無いという事が分かった」




伝令が全軍に伝わり、兵士達は徒労感を覚えつつもぞろぞろと来た道を引き返し始める。
そうして自分達が去るのを待ち構えていたように晴れ始める霧を恨めしげに見上げた。




その教団兵達の位置から数キロ離れた場所に都市の警備隊は居た、教団の大隊に比べて数分の一という規模だ。
先頭にはイェンダが立っている。
白銀のエルフは両手をだらりと下げ、顔を伏せている。
口元を緩く結び、薄っすらと開かれた瞳は地面を見ている訳ではない、何か遥か彼方を見つめるような、何も見ていないような……知る人が見ればジパングの仏の像が浮かべる表情に似ていると感じただろう。
霧の中でその姿は蛍のような淡い光を放ち、銀色に見える色素の薄い金の髪とマントは水の中にあるようにゆっくりと浮き上がって揺れている。
元々ふくらはぎに届く程に豊かな髪なのでそれが空中に大きく広がり、エルフの姿を銀の糸で包み込むようだ。
乳白色の霞みの中で白く淡く光るその姿はとてもこの世の光景とは思えなかった。
カラン、コロン、と時折隊列の中から音が聞こえる。兵士たちが手から武器を取り落とす音だ、落とした兵士はその音で我に返って慌てて拾う。
目の前の光景の余りに現実離れした美しさに一瞬魂を持っていかれてしまったのだ。
やがて周囲を覆っていた霧に変化が起こる、先も見えない程に濃かった霧が次第に薄れ始めると同時にイェンダの目の前に小さくきらきらと光る大粒の水滴が浮き始める。
そしてその水滴に周囲の霧が吸い寄せられて水滴が大きくなっていき、水滴と言うよりは浮遊する水の塊になる。
その水は徐々に二本の細い棒状の形状を形作る、その二本の水の柱が柔らかな曲線を有する形へと整えられていく。
兵士達は気付く、それはどうやら人間の足の形らしい。
それがわかった瞬間、たおやかな曲線を描く太股、ヒップ、細く括れた腰、柔らかそうな乳房、華奢な肩、しなやかな腕、そして整った顔が次々形になって行く。
イェンダの前に美しい精霊の姿が現れた頃には周囲の霧はすっかり晴れ、先程までの濃霧が嘘のような青空になっていた。
「お疲れ様ですマスター……とりあえず教団の皆さんにはお引き取り願いました」
主に一言労いの言葉を掛けた後、ルフューイは警備の兵士達に向けて微笑んで見せた。
兵士達はただ唖然とする他無かった。





精霊使いが教団の部隊を接触すらしないままに退けたという一報に民衆が湧き立った日の翌日、コペルは領土内の森の見回りをしていた。
畑を荒らす害獣の痕跡が無いかなどを調べるのだ、地味な作業だが大事な事なのでコペルは定期的なこの作業を欠かさず行っている。
そうして巡回していると藪を掻き分けて森の奥に入った形跡を見つけた。しかも奥に続いているのは動物の足跡ではなく靴跡だ。
「……誰か入ったのか」
森の中に入り込む人間はたまにいるが、あまり歓迎できる人種でない場合が多い。
コペルは護身用の棍棒を握り締めると足跡を辿った。
(この先には確か川があった筈だが……)
姿勢を低くし、極力藪を揺らさないように進むと水の流れる音が耳に入って来る。
「……?」
ふと、傍らの木に何か白い物がぶら下がっているのが見えた、周囲に注意しながら近付いて見る。
服のようだ、それも女物。
木の麓に視線を落とすとマントや脛当て、膝当てなどの装備品も置かれている。どうも見覚えがある気がする装備品だ。
ちゃぷん
どう言う事なのかと考えを整理する前に川の流れる音に混じって何か水面で大きな動きがあったような音がした、反射的に川の方に視線を向ける。
エルフが水浴びをしていた。
一糸纏わぬ姿で腰まで流れに浸かり、じっと目を閉じている。
そのエルフの後ろには水の精霊が立っていた、豊かなエルフの髪を労わるように手櫛を通している。いや、彼女の場合は水櫛とでも言うべきか。
姉が妹にしてやるように優しく、丹念に。
意図しなかった事とは言え覗きに当たる行為なので普段のコペルならすぐさま目を逸らす所だが、それが出来なかった。
木漏れ日を浴びる二人のその姿にただただ目を奪われてしまったのだ、まるで芸術作品に魅入られるように。
ばさっ
コペルを正気に戻したのは自分の手から滑り落ちた棍棒の立てた音だった。
その音に気付き、二人の視線がこちらを向く。
「……っっすっすまない……!」
慌てて目を逸らし、二人の姿が見えなくなる場所まで退避する。
しかしそのまま立ち去ってしまうのも卑怯な気がしたので、ちゃんと謝るために二人が川から上がるのを待つ事にした。
暫しの間を置いて藪を掻き分けてエルフと精霊が出て来た。無論、ちゃんと服は着ている。
コペルは改めて二人に頭を下げた。
「申し訳ない」
「いいえ、こちらこそ勝手に川に入っちゃってごめんなさい」
「……ごめんなさい」
しっかり答えるのは水の精霊だ、エルフの方は相変わらず小さな声でぽそりと言う。
「……イェンダさんと、ルフューイさん、だったか……先日は街を守ってくれてありがとう、感謝する」
「いえいえ、お仕事ですから」
コペルは今度は感謝の意を込めて頭を下げた、ルフューイはぱたぱたと手を振る。
「何故ここで水浴びを?浴場ならば街に……」
「私、水の精霊ですからね、人工の浴場よりもここの方が力を蓄える事が出来るんです、ここの水とも同調しておきたいですしね」
そう言う物か、とコペルは思う。
「……コペルさん、ですね?」
コペルは頷く、あの議場でその場にいた全員は自己紹介をしている、まさか自分の名前が覚えられているとは思わなかったが。
と、唐突にルフューイはコペルの両手をがしっと握った。見た目のイメージ通りひんやりとした心地よい感触が伝わってくる。
「あのお芋さんを作った方なんですよね!?」
何やら目をきらきら輝かせながら興奮した様子で言う。
驚いたのはコペルだ、急に接触された上に熱烈な視線を向けられたのだ、精霊であっても見目麗しい女性にそんな事をされては動悸が激しくなってしまう。
「あの芋、というのは……」
「ステッド……えーと」
目を泳がせるルフューイ。
「スタッド・ハーベスト」
冷静にフォローするイェンダ。
「そう!スタッド・ハーベスト!」
「た、食べたんですか?」
「昨日の晩餐に振舞ってもらったんです、お肉もお野菜もどれも流石でしたけれども、特にあのお芋さんは感動しました!」
熱弁を振るうルフューイにイェンダもこくこくと同意を示している。
対してコペルは思う。
(……精霊も食事するのか……)
「愛です!作る方の愛と誠実さ無くしてあの味は出せません!言うなればコペルさんの努力と情熱の結晶です!感服です!ここに来てよかった!」
ルフューイのテンションはエスカレートし続け、手を握り締めたままずいずいとコペルに迫っていく、今にも押し倒しそうだ。
コペルは勢いに押されてよろよろとたたらを踏む。
「……こら」
と、そこでイェンダがぺしん、とルフューイの頭をはたく。
「ひゃん」と一声上げるとルフューイの姿がぽん、とちんまい姿に変わった。ちょっとあたまでっかちで可愛らしい姿だ。
それを見てコペルは目を丸くする。
「コペルさんが困ってる」
「す、すぃませぇん……」
小さくなったルフューイが頭を押さえて謝る。
「いいや、嬉しい、ありがとう、本当に……」
コペルは声を詰まらせてしまう、議会で表彰されるより何より、食べた人に美味しいと言ってもらう、それが生産者にとって一番嬉しいことだ。
「で、それでですね、出来ればお願いがあるんですけれども……」
小さくなったルフューイは指先をくるくるしながら言った。




千切りにしたじゃがいもに塩コショウと片栗粉を加え、よく混ぜ合わせる、それをフライパンの上で鉄板に押し付けるようにして焼く。
ジャガイモのガレットの作り方は至って単純だ、それだけに素材の味をシンプルに味わえる料理と言える。
コペルはフライ返しで片面がきつね色になったのを確認してからじゃがいもの固まりをひっくり返した、料理は得意では無いがこれだけはちょっとばかり自信がある。
しかし今回ばかりはその慣れた料理を作るのにもやたらと緊張してしまう。
ぐいぐいともう片面を焼き固めて皿の上に移し、乾燥させた香草を振る、これで出来上がりだ。
コペルは皿を持って異様にぎくしゃくした動きで食卓に向かった。
「……口に合うかはわからないが……」
そう言ってテーブルに皿を置く。
「ありがとうございます♪」
白銀のエルフはぺこりと会釈をする、にこやかにお礼を言ったのはその隣に座るルフューイである。今は元のサイズに戻っている。
青く透き通るその姿は何度見ても本当に不思議だ、そして精霊使いのエルフは何度見ても本当に美しい。
絵画の中からそのまま出て来たような美貌は近寄りがたい位だ。なのでその背景が見慣れた自分の家の一室である事に奇妙な違和感を感じる。
「……我儘を言って、すいません」
そのエルフ……イェンダは謝る、これより昼食なのだがあの芋をもう一度食べたい、とルフューイが熱望したのである。
「……お代は、払います」
「いらない」
目を逸らしてコペルは言う、自分でも愛想が無いと思うがこういった物言いになるのは性分なのでどうしようもない。
「えへへー、それではいただきます♪」
「いただきます」
二人は手を合わせてフォークでガレットを切り分け、口に運ぶ。
コペルは逸らしていた目をつい二人に戻す、やはり反応は気になる。
「う〜♪やっぱりおいしー♪」
「……おいし……」
二人は頬に手を当ててうっとりとした表情になる、そうしている所を見ると先程の近寄りがたい雰囲気は消え、年若い女の子達といった感じになる。
コペルは密かに顔を顰める、その二人の女の子らしい様子を見るとあのパーティーでの女の子達を思い出してしまう。
あの出来事には自分で思っていたよりも深く傷付いていたらしい。
「あの……すいません、やっぱりご迷惑でしたよね……?」
そんなコペルの様子に敏感に気付いたルフューイは申し訳なさそうに言う。
「いいや……迷惑などとは思っていない、本当だ」
コペルはその誤解を解こうと、いつもへの字に曲がっている口の端をどうにか引き上げて慣れない笑顔を浮かべようとする、やはりちょっと引き攣り気味な笑顔になってしまう。
「また食べたくなったらいつでも来てくれ、こんな物ぐらいしか出せないが」
「謙遜なさらないで下さい、美味しいですこれ、ほんと」
言いながらもルフューイのフォークは止まらない、少なくともそこは正直な感想のようだ。
「……お言葉に、甘えていいですか……?」
今まで殆ど口を開かなかったイェンダが言った、ルフューイと違ってゆったりとしたフォークの運びにはどことなく気品を感じる。
「あ、ああ、勿論だ」
たどたどしく答えるコペルをイェンダはじっと見る、明るい緑色の瞳は新緑を思わせる輝きを放ちながらも、どこかしら高貴さを感じさせる。
コペルはその強い目力にたまらず視線を逸らし、心の中で自嘲した。
(全く情けない男だ……)




コペルの家を後にした帰り道、ルフューイはイェンダの後ろに付き従って歩きながら口を開いた。
「マスター……頑張りましょうね」
「……ん、この街はいい街……」
「そっちもですけど、あっちも頑張りましょうね」
「……なんのこと」
「誤魔化しても駄目ですよ♪」
ルフューイはイェンダの正面に回り込むと後ろ歩きで歩きながらイェンダの顔を見て言う。
「私も、いいと思います」
「だから、なんのこと」
「んふふ」
意味深な笑みを浮かべるルフューイをイェンダは歩調を早めて追い抜く。
その背に笑みを向けながらルフューイは言う。
「マスターもやっぱりエルフさんなんですね、素直じゃないところとか」
「なんの話かわからない」
つかつかとさらに歩調を早めるイェンダの後をルフューイは微笑みながら追う。
その背に向ける眼差しは主に向ける物というより、家族に向けるような温かな眼差しだった。
12/09/30 18:52更新 / 雑兵
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