連載小説
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変わり者のエルフ
この所都市は雨続きだった、その雨天の下、コペルはひたすら畑でシャベルを振るっていた。
じゃがいもに過度の水分は厳禁だ、ただでさえデリケートな品種であるハーベストは特に水気には注意しなければならない。
極力畑から水が抜けるように周囲の溝を普段よりもう一段階深く掘り下げる、レインコートを着たコペルは雨に打たれながら黙々と土を掘り返していった。
数時間掛けてどうにか全ての畑の溝を掘り下げ終えた、後は運を天に任せるしかない。
「……うん?」
ふと、フードを叩く雨粒の音がしない事に気付いた、雨が止んだ訳ではない、周囲にはざあざあと降っている。
見上げてみると降り注ぐ雨粒がコペルだけを避けるように途中で軌道を変えているようだ、こんな芸当が出来るのは……。
「お仕事お疲れ様です」
ローブを着たルフューイと装備品を外した軽装のイェンダが傍に立っていた、二人共雨具の類は持っていない、というより必要無い。
イェンダはコペルにしているのと同じくルフューイが雨が避けるので傘をささずとも濡れる事が無いのだ。
「まだ、途中でしょうか?」
雨を避ける必要のないルフューイは体の表面に波紋を波打たせながら言った。
実の所纏っているローブも水の形状を変えてそう見せているだけなので本当は何も着ていないのと変わらない。
しかし一応、街の倫理的な問題もあって外に居る時は服を着ているように装っているのだ。
コペルにとっても精霊と言えど美しい女性が裸体を晒していると目のやりどころに困るので助かっている。
「いいや、今日は他にすることは無い」
コペルはそう言ってスコップを肩に担ぐと家への道を歩き始めた、二人もその後に続く。
必要が無い事に気付いてコペルは被っていたフードを外す、傘も何も持たずに雨の中を歩いているのに水滴に当たらないというのは不思議な感覚だ。
「私が天候に干渉できたならこんな大変なお仕事もせずに済むんですけどね……」
ルフューイは呟く、いかな水の精霊といえど雨はどうすることも出来ない。
「天候を人の都合に合わせようとするのは間違っている、空の気紛れに付き合うのも農家の仕事だ」
「なるほどー」
「それに、何でも予定通りでは面白くない」
「……ふふっ、その通りですね」
雨の道を歩きながらコペルとルフューイは話す、あれ以来この二人は足しげくコペルの元を訪れるようになった。
最初は緊張していたコペルも気さくなルフューイとは肩の力を抜いて会話できるようになってきたが……。
「……」
二人の後ろから付いて来るイェンダは相変わらず何処を見ているのかよく分からない目をしてしずしずと歩いている。
ルフューイとは打ち解けたコペルだが、殆ど喋らないイェンダの事は未だによく分からない。
こうして来てくれるのだから少なくとも自分の事が嫌いな訳ではないようだが……。




「あ、ちょっと待って下さい」
家につくと、ルフューイはコペルを呼び止めてそっと手をかざす。
さぁっと音がしたかと思うとずぶ濡れだったコペルの服が見る見る乾いていく、相変わらず便利だ。
「ありがとう、お礼に何か御馳走しよう」
「わーい♪」
二人がそんなやりとりをしている間にイェンダは暖炉に火を入れる、慣れたものだ。
警備隊との連携や演習で派遣された精霊使い達がそれ程暇な訳ではない事はコペルも知っている。
それでも合間を縫って家に来てくれる理由は正直コペルには分からない、食事にしても用意された住居の方が自分の作った物などよりいいものが出るはずなのだが……。
コペルが台所に向かう間、二人は暖炉の前でくつろいでいる。
ルフューイは暖炉に手をかざしてぼんやりとしている、彼女の体に暖炉の火のちらつきが映り込んで幻想的に美しい。
イェンダはどこからか取り出した本を開いている、最初の頃は彼女が自分の家の暖炉の前に座っている事に違和感を感じていたが最近では慣れて自然に感じるようになってきた。
その後、コペルの作ったじゃがいものスープで食事を済ませると三人で暖炉の前に座ってゆったりとする、日付が変わる前までそうしているのが二人が訪れた時のいつもの流れだ。
しかしその日はイェンダの様子がいつもと違った、ふと見てみると本に向かってこっくりこっくりと船を漕いでいるのだ。
「……イェンダさん?」
「……んっ」
声を掛けると顔を上げて文字を目で追い始めるのだが、すぐに瞼が落ちて来てゆらゆらと頭が揺れ始める。
常に浮世離れした雰囲気を醸している彼女にしては珍しい姿だ、口には出さなかったがコペルはその姿が可愛いと思った。
「疲れているのでは?」
「あー、最近夜間演習もしてますからね、マスター少し寝ちゃったらどうです?」
「……ん」
聞き分けのいい子供のように頷くとイェンダは本を閉じ、手すりにこてんと頭を預けて目を閉じてしまう。
その無防備そのものの姿をコペルはなんとなく見てはいけないもののように感じて視線を逸らしてしまう。
「……イェンダさんは、珍しい人だ」
「珍しい、ですか?」
ふと口を突いて出た言葉にルフューイが反応する、コペルは一瞬言っていいものかどうか俊回した後、口を開いた。
「エルフ、と言うのは基本的に人間に対していい感情を抱かないものだと聞いた事がある、それに……失礼に感じたらすまない、プライドの高い種族だとも聞いた」
ルフューイはその言葉に笑みを浮かべる。
「ふふっ、そうですね、マスターはエルフさんにしては変わり者ですね……本当はいいとこのお嬢さんなんですよ?」
「お嬢さん?」
「うーん、まあ、マスターが私のマスターになるまでには色々とありましてですね……」




「父様」
「何かね?イェンダ」
「どうして皆は人間の事を嫌うのですか?」
父にそんな質問を投げかけたのはまだほんの幼い頃だった。
イェンダはコルスタンテという古くから続くエルフの一族の長女として生を受けた。
当然、生まれた時から森と共に生きるエルフこそが最も優れた種族であると周囲からは聞かされて育ってきた。
しかし生まれつき好奇心の強かったイェンダは外界に興味を持ち、両親に内緒で密かに森から抜け出しては外の世界に少しずつ触れて来た。
そうして森の外の世界について詳しくなるごとにエルフ達の考えに疑問を抱くようになっていったのだ。
幼い彼女の疑問は日に日に大きくなり、ついに口を突いて出たのがその質問だった。
「イェンダ、前から薄々感じてはいた、お前は外の世界に毒されているな?、だからそのような愚かな問いを思いつくのだ」
「父様ごめんなさい、内緒で森から抜け出していた事は謝ります、だけどどうか教えて下さい、何故私達は人間達と分かり合う事が出来ないのですか?」
父は真っ直ぐな眼差しで問うてくる娘を見て頭を抱えた、それは長く続く由緒ある一族の長女の口から出てはいけない質問だった。
「それ以上父に愚かな問い掛けを繰り返すならばお前とは縁を切らねばならなくなる、この話は聞かなかった事にする、お前も忘れるのだ」
「父様、何故この問いは愚かなのですか?どうかお答え下さい、私達エルフは……」
「ええい!黙れ!ここに入って少しは頭を冷やすといい!」
イェンダが懲罰房に入れられたという事実は一族の名に傷を付ける出来事だ、父は隠蔽したが人の口に戸は立てられぬもので、森には密かに噂が立った。
「コルスタンテの一人娘、イェンダは魔力に侵され、魔物になる徴候が出ている」
この時代から既にエルフ達は「魔物化」の脅威に晒されており、外界と接触を持つ事に極端に過敏になっていた。
よってイェンダが外界と接触を持ち、何がしかの罰を受けたらしいという話は口伝いに伝わる中で、尾ひれが付き、イェンダは周囲から孤立する事になった。
事件が起こったのはそんな中での事だった。
森の川の水辺で遊んでいたエルフの子供が前日の雨で水量の増していた川の急流に流されたのだ。
それをたまたま見ていたのがイェンダだった。
イェンダは一瞬も迷わずに川に飛び込んだ、如何に泳ぎが得意な彼女であっても無謀な行いだった。
しかし流れに翻弄されながらもどうにか子供の元に泳ぎ着き、引っ張り、岸に押し上げる事に成功した。
それが限界だった。
子供を助けた所で力尽きたイェンダは流れに攫われ、下流に押し流されて行った。




「曖昧ですけど、そのあたりからなんです、私に「自我」と呼べるものが確立されたのが……」




川に宿る精霊は知っていた、幼いころからこの川で遊んでいたこのエルフの少女を、そして彼女の悩みも境遇も。
絶対に駄目だと思った、こんなにも心優しく、聡明な少女がこんな所で命を落としてしまうのは間違いだと思った。
激流に揉まれて意識を失った彼女と半ば強引に契約を結び、波を操り、川から救い出した。
イェンダに水を吐き出させながら精霊は気付いた、大きな自然の一部であった自分が一人の精霊としての自我を得た事に。
そしてその時から既にルフューイは女性の姿を形取っていた、つまり「魔精霊」となっていたのだ。
通常は魔精霊の前に「純精霊」の段階を踏むのだが、ルフューイはそれを飛ばした事になる。
はっきりとした原因は分からないが、あの時ルフューイは意識を失った相手と強引な契約を行い、性急に規模の大きい力を行使するために周囲から手当たり次第に水の力を集めた。
その時に普段とは違う川の下流……森の外に流れ出る部分にまで手を伸ばしたのが原因なのかもしれない。
もしくは外界との接触があったイェンダが知らずに魔力をその身に宿していたのかもしれない。
いずれにせよこの出来事によって意図せずして魔精霊使いとなったイェンダは当然の事ながらエルフの里に身を置く事は出来なくなる。
その処遇は「追放」ですらなく、「死亡扱い」だった。
工作を行ったのは父だった、由緒あるエルフの血筋から魔の者が出たなどと言う醜聞を公にする訳にはいかない。
彼女の無事を確認した者達に口止めをし、イェンダは川で子供を助けて命を落としたと言う事にした。
それならば美談として語られる最後であり、一族の名が地に堕ちる事も無いと言う訳だ。
死んだ事になったイェンダは誰に挨拶する事も出来ずに助かったその日の内に森を出る事になった。
ルフューイは泣いて後悔して謝った、自分のせいでイェンダの生涯を滅茶苦茶にしたも同然だ。
しかしイェンダは命の恩人であるルフューイを責める気は毛ほども無かった、むしろいい切っ掛けを作ってくれたと礼を言った。




「それから紆余曲折あって……魔王軍に拾われて在籍する事になったんです」
ルフューイは当時を思い出しているのか、遠い目をしていた。
紆余曲折と一言で纏めているが、二人がここまで辿り着くのにどれだけの困難を乗り越えて来たのかは想像に難くない。
森の外の世界を殆ど知らないエルフと精霊が二人ぼっちで放り出されたのだ。
「ふふっ、そんなに神妙な顔をしないで下さい、辛い事ばかりではなかったんですよ、本当に」
ルフューイはすやすやと寝息を立てるイェンダの方を見る。
「マスターは見た目よりもずっとしたたかで……何事も楽しめてしまう人ですから、私が切っ掛けを与えなくてもやがては一人で森を飛び出してしまっていたでしょうね」
コペルもつられてイェンダを見る、美人は眠っている姿も美しい、そして話に聞くとその神秘的な美しさからは想像もつかないバイタリティの持ち主だ。
「何より、森の中にいては出会えなかった人達と沢山出会えましたからね……最も、マスターはちょっと好みにうるさいみたいで「いいひと」は中々なんですけど」
「……「いいひと」と言うのは……」
「ふふふっ魔物ですもの、いいひとと言ったらいいひとですよ」
「あ、ああ」
コペルはなんとなく赤面してしまう。
「だけど……」
「……?」
ルフューイはじっとコペルの方を見た、コペルはその視線の意味がわからず戸惑う。
「最近になって、ようやくマスターのお眼鏡に叶う人が現れたんです」
「……この都市の人間か」
「そうです」
「そうか……その男は幸運だな、どんなやつなんだ?」
ルフューイは微笑みながら続ける。
「その方は農家を営んでいらして……」
「うん」
「とても生真面目な方なんです」
「うん」
「ちょっと口下手で無口で」
「うん」
「でも本当は心優しくて」
「うん」
「じゃがいも料理がお得意で」
「うん?」
「ちょっぴり身長が低いのを気にしてらっしゃるみたいなんです」
「……」




「ねえ、誰か声掛けてみなよ、絶対速効で落とせるわよ?」  「やだあ、何その罰ゲーム」




「……からかわないでくれ」
「はい?」
コペルは俯いてぼそりと呟いた、声が小さかった為ルフューイには聞き取れなかった。
聞き返したのには答えずにコペルは椅子から立ち上がるとおもむろに雨具を身に付け始めた。
「コペルさん?」
「畑の様子を見て来る、やはり心配だ」
「そ、それでしたら私が一緒に行けば雨避けに……」
「気にしなくていい、くつろいでいてくれ」
額面通りの言葉ではない事がルフューイには分かった、その背中からははっきりと拒絶の意思が伝わって来る。
「……気を付けて下さいね」
「うん」
コペルは一度も振り返らないまま雨の中に出て行った。




雨がフードを叩いている、コペルは家を出た後畑の傍らに行ったが手入れを始めるでもなく濡れた土手に腰を下ろしてじっと俯いていた。
自分でもどうしてこの寒空の下で雨に打たれながら自分のつま先を眺めているのかわからない。
「……」
畑に用事があるなどと言うのは嘘だ、二人に家の留守を頼んでいる状況なのだから早く帰らないといけない。
しかし帰りたくない、二人がいるあの家に。
「……怖い」
ぽつりと言葉が口を突いて出た。
「……俺は怖いんだ」
そうだ、コペルは怖かったのだ。
コペルいくらその手の事象に鈍いとはいえ先程のルフューイの台詞の意味を違えるほどではない、ルフューイの言葉によるとつまりイェンダは自分に好意を抱いているという事だ。
本来ならば嬉しい事のはずだ、しかしコペルは怖かった。
二人が、というよりも女性が怖かった、期待を抱いて裏切られるのが怖かった。
コペルはぴしゃぴしゃと自分の顔を叩いた、叩いた所で何も変わらなかった。自分がこんなに女々しい性格をしているとは思いもしなかった。
コペルは降りしきる雨の中でただ項垂れ続けた。


12/10/20 13:27更新 / 雑兵
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