連載小説
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芋青年
コペル・スタッドは農業を営む家の元に生まれた。
独自の品種改良を繰り返してきたスタッド家の野菜は評判が良く、特に「スタッド・ハーベスト」の銘柄がつけられたジャガイモはブランド食材として都からはるばる買いに来る客がいる程だった。
朝早くから畑に出ての仕事は厳しかったが、コペルは幼い頃からよく両親を手伝った。
「いいか、コペル、農業を軽んじる輩もいるだろう、しかし自信を持つんだ、この仕事は人々に幸福を届ける立派な仕事だ、命を掛けて民衆を守る兵士と同じくらいに素晴らしい仕事なんだ」
口癖のように農業の素晴らしさを語る父が好きだった、何より自分の仕事に誇りを持ちながら「兵士よりも」と言わずに「同じくらい」と言う謙虚さが好きだった。
自分も父のように働き者で謙虚な男になりたいと思った。
母の事も大好きだった、時には喧嘩をしながらも、誰よりも深く父を理解し、いつでも父の事を裏から支えていた。
自分も将来はそんな妻を持ちたいと願った。
そんな父と母との別れは思いの他早く訪れた。
流行病に父が倒れ、そのすぐ後に母も同じ病で倒れた、それから一週間もたたない内に二人共がほぼ同時に天に帰ってしまったのだ。
コペルがまだ少年期に入るか入らないか位の時期だった。
まだ甘えたい盛りの時期に両親が亡くなってしまったのは悲しかったが、それ以上に二人が頑張って育て上げて来た畑が自分の代で枯れてしまう事が耐えられなかった、まだ農業のいろはもほんの入り口しか教わっていないのだ。
コペルは諦めなかった、独学で農業を勉強し、父の遺した記録を元に試行錯誤を繰り返し、「スタッド・ハーベスト」の系譜が途絶えないように尽力した。
同年代の少年少女が思春期特有の悩みに頭を抱えたり異性にときめいたりしている間、コペルはひたすらに品種の研究と畑仕事に駆けずり回った。




丘の上に寄り添うように立つ二つの墓石の前にコペルは立っていた。
両親を亡くしてから月日は流れ、コペルもそろそろ二十歳に手が届こうかと言う年齢になっていた。
その丘の上からは陽光に照らされて青々と輝くジャガイモ畑が一望できる。
「スタッド・ハーベスト」は非常に手間の掛る品種であるため働き手を雇い入れても生産量に限りがある、一望できると言っても視界一杯の畑、と言う訳にはいかない。
しかし小規模であるとは言え、生産の難しい品種をこうして途絶える事無く存続させる事が出来たのは一重にコペルの努力の賜物と言える。
父が死んでから離れていた客層も徐々に戻りつつあるという状況だ、コペルにとって何よりも嬉しい事だ。
しかし墓前に立つコペルの表情は晴れやかとは言い難い、どちらかと言うと物悲しげな顔で両親の墓を見下ろしている。
その沈んだ表情のままコペルは墓に向けて語りかけた。
「……親父、じゃがいも達はこの通り元気だ、そこん所は俺なりに頑張れたと思う……」
そこで一旦言葉を切ると、コペルは視線を落とす。
「……それで、じゃがいも達はこうして世代を繋げる事が出来たんだが、その、何だ……」
溜息が出た。
「俺の……スタッド家の血筋は繋げる事が出来んかもしれん、すまん」
懺悔するように言葉を投げ掛けた。




それは先日の事だった、購入者のつてで知り合った数少ない友人の一人が訪ねて来てこう話したのだ。
「なあコペル、都の社交界に行ってみないか?いや、社交界って言っても貴族がやるような格式張ったものじゃないんだ、まあ、いわゆる「お見合いパーティー」ってとこだ。
独り身の男女がめかし込んでお相手を探そうってイベントさ。畑に心血注ぐのもいいけどお前もそろそろ自分の人生を充実させる事に目を向けてもいいんじゃないか?」
最初コペルは断ろうかと思ったのだがここで少し考えて了承した、考えてみれば確かに今までずっと農業一筋で生きて来た。
その事に後悔は無いが、その分他の事を疎かにしてきた感じは否めない、特に異性関係ともなると絶無と言える。
このままではスタッド家長男としての義務も果たせなくなると考えての答えだった。
そうして大きな不安と微かな期待を胸に唯一の一張羅を着て「社交界」に出掛けたのだ。
……予想は出来た事だったが、結論から言うと「社交界」は散々な結果に終わった。
女性と碌に口を聞いた事も無いコペルが着飾った若い娘達を相手に緊張しない訳も無く、口にした言葉と言ったら「ああ」「いや」「うん」「そうか」「そうだ」……。
自己紹介以外では三文字以上長い台詞を口にする事が出来なかった。
更に悪い事に、手洗いに行った先で娘達のこんな会話を耳にしてしまったのだ。
「ね、ね、いい人いた?」
「んー、なーんか皆いまいちって感じ」
「っていうかさ、何か変な人いたよね?」
「あー、いたいた、すっごく場から浮いてる人」
娘達はくすくすと笑いながら話し出す。
「あれでしょ、あれ、何かこう……じゃがいもみたいな人」
「あっははははは!ひどおい!」
「でも言えてるー!」
「小っさくてごろん、ってしてたもんね、つついたら転がりそうな」
「きゃはははははやだあ!想像しちゃった!」
「ね、噂に聞くとその人ってさあ、本当にじゃがいも作ってる人らしいよ」
どっと笑いが起こった。
「あははははは!おっかしーい!」
「農家の嫁になりたがる人とか今時いないよねー」
「ねえ、誰か声掛けてみなよ、絶対速効で落とせるわよ?」
「やだあ、何その罰ゲーム」
コペルは賑やかに会話を続ける娘達の傍から何も言わずに立ち去った。
自意識過剰でも何でもなく、間違いなく自分の事だった。
「……じゃがいも、か」
入った化粧室にある鏡で自分の姿を眺めた。
コペルは成人間近の男性としては明らかに背が低かった、それに比例して手足も短い、しかし子供のような体型かと言うとそうでも無く、厳しい農作業で鍛えられた体はがっしりとしていて腕も足も首も太い。手の平は大きく、分厚く、ごつごつとしている。
いつだったか友人に今では見掛けなくなった男ドワーフのようだ、と言われた事もある。
そのように背が低くてずんぐりした自分の体型を「じゃがいものようだ」と評したのだろう。
顔立ちはよく見てみると意外なほどに幼いのだが、それがずんぐりとした体型とはアンバランスな印象を与える。少なくとも世間一般に言う「美男」とは程遠い。
噂話をしていた娘達に対する怒りは浮かばなかった、改めて自分の容姿を鑑みると当然の評価だと思った。
むしろどこかしら浮かれた気持ちでふらふらと場違いなパーティーに参加した自分に腹が立った、自分はこのパーティーにどんな都合のいい期待をしていたんだろう。
肩を落として帰宅したコペルは次の日に両親の墓に謝りに行ったのだった。




そんな事があった日から数週間後、コペルは役場の会議場に居た。
見た事も無いような長いテーブルに飾り気が無いながらも高級な材質を使った立派な椅子、その椅子に腰かけるのは街の豪商や労働組合の会長等々……都市の有力な人物が軒並み集まっているようだった。
そしてテーブルの一番端に座るのが領主だ。
家に都市から通達があり、重要な会議があるので是非出席してもらいたいと呼び掛けられたのだが、正直コペルには自分がここにいる意味が分からなかった。
唯の農家の若造である自分がどうしてこんな顔ぶれの中に混じっているのか。
首を傾げるコペルを余所に顎鬚を撫でながら領主が口を開いた。
「皆、忙しい中ここに集まってもらったのは他でもない、この都市の方針について聞いてもらいたかったからだ」
「都市の方針、と、いいますと……?」
ちょび髭を蓄えた労働組合会長が尋ねると領主は答えた。
「この都市はずっと中立の立場を取って来た、しかしそろそろ頃合いではないかと思ってな」
中立、という言葉でその場にいた全員が今回の議題が何なのかという見当がついた。
「この都市も「親魔物派」を名乗ろうかと考えている」
ほう、と会議場の中を溜息のような声が満たした。
出席者に驚きの色は余り無かった、前々から噂には聞いていた話だ。
「すると、二つの問題点は解決されたのですかな?」
綺麗に禿げあがった頭を撫でながらこの街一番の豪商が聞いた。
魔物達の受け入れを公式に認めようと言う時に一番の障害になるのはやはり住民の倫理感だ、しかし教団の支配圏から遠いこの都市は早い内から魔物との交流があり、今の時代の魔物達は節度を持って接すれば大きな利益をもたらす相手である事を知っている。
時折節度を忘れて深入りし、めでたく人の道を踏み外す住民も結構な数に上っているがその中睦まじい様子から徐々にそういった生き方も受け入れられつつある。
「土壌問題、と、防衛問題、ですな……」
治安維持総監が呟いた。
他の親魔物領の実例を見るに、魔物達の数が増える事でその土地の自然環境に影響が出るのは明らかだ。農業を大きな柱としているこの都市において自然環境の変化は無視できない要素だ。
そしてもう一つが防衛の問題である。魔物派寄りの動きは教団に対する敵対行為に当たる、教団領から離れているとは言え侵攻を受けた時の防衛策は必須になる。
「うむ、その問題の一つの土壌問題なのだが……コペルくん?」
「は、はい?」
突然に話を振られて思わずどもる、他の人々の視線も一斉に集まるものだから心臓に悪い。
「大分前の話だが、サンプルに渡した魔物領の土はいかがだったかな?」
コペルはようやく自分がここに呼ばれた理由に思い当たった、そう、何年か前に領主に頼まれて魔物領の土が作物にどんな影響を与えるのかという実験を依頼されたのだった。
コペルは椅子から立ち上がって咳払いをした、背が低いので机の位置が高くてあまり様にならないのが悔やまれる。
「ええと、そう……ですね……まず、魔物領の土が作物に影響を与えるのは間違いありません……ただ……悪い影響かと言うとそうではなくて……その……」
コペルはまた一つ咳払いをした、いかにも口下手な様子が伺える。
「ええと……育ち自体は良好で……むしろ普通の土よりも大きく、早く、栄養価の高い物が育ちます……」
「いい事づくめではないか、つまり農業にはむしろ良い影響が出ると言う事かね?」
豪商が問うた、コペルは頭を掻いた。
「それが……確かに、いい物が出来るのですが、その……違う物が出来るんです……」
「違う物?」
議場の人々は顔を見合わせる。
「今まで見た事の無い形状の果物や、野菜が育ちます……多分……魔界の作物です……今までと同じように出荷する、というのは、無理……だと、思います」
コペルの報告に会場はざわついた、しかし領主がそれを鎮めて発言した。
「まあ、輸出先を魔物領にすれば問題なかろう」
「そんなに簡単に……」
「今までと違う生産形態が必要になりますぞ」
言い募る人々に領主は笑って見せる。
「輸出先のめぼしも大体ついている、そもそも大きな改変をするのに変化は避けられない事だ、それよりも……」
領主は表情を引き締めるとコペルに顔を向けた。
「「スタッド・ハーベスト」の生産にはどんな影響が出ると考えられるかな?」
そうか、それが本題か、とコペルは思った。
ブランド食材として名を馳せる「スタッド・ハーベスト」はこの都市の代名詞ともいえる農産品だ、それの生産への影響が領主の一番の関心所らしい。
「……同じように作る事は、できません……しかし、その……」
「……言いなさい」
口ごもるコペルを領主は穏やかな顔で促した。
「この土を使えばもっと……その、ハーベストを、より、いい物に、出来るかも……知れません」
「より良い品種に出来る、と言う事かな?」
「か、可能性、でしか、ないですけれど」
「君自身に自信はあるのかな?」
「はい」
俯きながらもそこだけははっきりと答えると、領主は満足気に頷いた。
「農業の方は何とかなりそうだ、次の世代にこういうのがいるのだからな」
議場の他の面々も納得した様子だった。
席に座ったコペルはこみ上げる物を噛み締めた、この言葉だけでいい、今までの苦労を見ていてくれた人々がいたのだ、それだけで自分はずっと頑張り続ける事が出来る。
「さて、防衛の件だが……住民達の反応は?」
治安維持総監が腰を上げて答える。
「やはり反発はありました、都市に魔王軍を駐屯させようという案には抵抗を感じるようです」
「致し方あるまい」
「しかし予想していた程ではありません、情勢を考えるならば止む無しという考えの人々も多いようです」
「ほう、それは嬉しい誤算だ」
「魔物に対する偏見が無い事も大きい要因のようですな、しかしやはり余り大人数を抱え込む事には難色を示しています」
「当然住民に負担がかかるようでは意味を成さない、そのあたりは考慮している」
情報に疎いコペルであっても知っている話だ、街に魔王軍を配備すると言う噂、事情を知っていてもやはり抵抗を感じる。
コペルもこの話の成り行きを緊張した面持ちで見守っていた。
「親魔物国家に打診して魔王軍から一つ部隊を派遣してもらった」
「どの程度の規模ですかな?」
「四人だ」
「よっ……」
総監は思わず絶句する、この都市はかなり大きな規模を誇る、それだけに万が一侵攻を受けた場合はそれ相応の規模の人数が必要になるはずだ。
「この程度の人数ならば居住区の確保も難しくあるまい」
「い、いえ、確かに住民からの苦情は出ないでしょうが……いや、それでは不安だと苦情が出るのでは……」
「ははっ、派遣されてくるのは魔物だぞ?人間基準で考えてはいけない」
「それにしても……」
領主は笑みを浮かべたまま言った。
「その魔物達全員が「精霊使い」だと言っても不安かね?」
「……!」
議場が一瞬静まり返った。
「成程、確かに「精霊使い」が四人も揃うならば街を守る戦力として十分でしょう」
「他に何か質問はあるかね?」
「ありません」
総監は短く言うと席に腰を降ろした。
「他の皆は?」
そう言って領主は議場を見回した、皆、納得した様子だ。
「うむ、それでは―――」
「す、すみません」
次に移ろうとした領主の言葉を控えめに遮ったのはコペルだった、実は領主が見回した時に手を上げていたのだが何しろ小柄なので目に止まらなかったようだ。
「失礼、何か質問かね?」
「その……「精霊使い」と、言うのは……?」
コペルは農業以外の方面には滅法疎く、先程の会話に出て来た「精霊使い」というのも初めて聞いた言葉だった。
たった四人いるだけで都市の防衛を任せられる存在というのは一体何なのか正直想像がつかない。
「ああ……精霊使い、というのはだね……まあ、大雑把に言うと自然の力を行使する事が出来る者達の総称だよ」
「自然の力……?」
「水、火、風、土……これらを司る精霊を従える者達だ」
総監が補足するように言葉を挟んだ。
「自然豊かなこの都市を拠点とするなら無類の強さを発揮するであろうな、軍隊を率いて戦うのだとしても……ある意味ではドラゴンよりも戦いたくない相手と言えよう」
「ド、ドラゴンより……?」
疎いコペルであっても流石にドラゴンの話ぐらいは知っている、伝説的な魔物であるドラゴンよりも恐れられる存在とは一体どんな者なんだろう。
「まあ、実際に会ってみるといい、実はもうこの場に部隊の一人に来てもらっているのだ」
「えっ」
ざわつく人々を尻目に領主は議場の入り口に声を掛けた。
「待たせてしまったね、どうぞ、入ってくれたまえ」
「……失礼します」
全員の視線が集まる中、扉の向こう側から声が聞こえ、開いた。
皮のマントと軽装の鎧を纏った女性が入って来た、特徴的な長い耳を見るとどうやらエルフらしい。
コペルはその姿に息を飲んだ。
怖い位整った顔立ちに新緑を思わせるライトグリーンの瞳、ふくらはぎにまで届く程の長い髪は一見すると白髪のように見えるがよく見てみると色素の薄い金髪である事が分かる。
美しかった。魔物ならば美しいのは当然と言えるが、コペルの今まで見た事のある魔物達は性的な魅力に溢れていた。
その女性はむしろ性的な匂いを一切感じさせなかった、宗教画の中から抜け出て来たかのように神聖で侵しがたい雰囲気を纏っていた。
入って来た瞬間に議場内の空気が一変したようすらに感じた。
その後ろに続いてもう一人の人物が入って来た。こちらはフード付きのローブを纏っており、その顔は伺えない。
領主が二人を紹介した。
「水の精霊「ウンディーネ」の契約者の……」
「イェンダ、です」
エルフの女性が名乗った。小さい声だったが、澄んだその声は不思議と耳に良く届いた。
続いて隣のローブの人物がフードを下ろした時、議場内に驚きが走った。
柔和な顔立ちをしたその女性は薄っすらと青く透き通る姿をしていた。一見するとスライム種のように見えるが彼女達とは発する雰囲気が一線を画している。
コペルは感じた、議場内に漂う「雨の匂い」を。
農家の感覚が察知する一雨来る前に感じるあれだ。室内で感じるはずのない匂いだった。
それが彼女がフードを下ろした瞬間に議場内に満ちたのだ。
それで分かった、恐らく彼女が……。
「はじめまして、マスター・イェンダの契約者、ルフューイです」
人に安心感を与えるような朗らかな笑顔と共にルフューイはローブの袖を摘まんで一礼した、想像していたよりもずっと人間的な動作だった。
隣に立つイェンダも一礼をした、しかしこちらは完全な無表情。
そのライトグリーンの瞳は誰にも向けられず、どこか遥か遠い所を眺めているような眼差しをしている。
振る舞いだけを比べるとルフューイよりもイェンダの方が何かの精霊のような印象を受ける。
議場に現れた二人を見てコペルは感じていた、変化だ、何かとても大きな変化が起きようとしている。
時代の流れとでも呼べる物かもしれない、それが都市に訪れようとしている。




神の身ならぬコペルは知る由も無い、その変化はコペルの人生にも大きな波紋を広げる事になるのだ。
12/09/16 14:06更新 / 雑兵
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