連載小説
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死地 / シリアス / 図鑑世界(中世)
 騎士団に入ってから三度目の遠征は山沿いの街で、話で聞くよりずっと過酷な遠路になった。
 特に厳しい気候は地獄も同然で、倒れる者も出た。
 昼は粘っこい暑さが体に絡みついて汗が吹き出し、鎧の下の肌着が纏わりつく。
 夜は打って変わって、冬のように冷えて凍える。

――――――ー

 出発前に隊長は剣の手入れをしながら、『今回の戦いこそ死地にふさわしい』と、いつもの口癖を言っていた。
 それは隊長のいつもの口癖だったが、もう二度と聞くことはない。
 まさしくその通りになったな、と仲間の一人が力なく笑っていた。

 伏兵に惑わされ、形勢を完全に崩された俺達の部隊は必死で山間に逃げ込んだ。しかしそれはその場凌ぎにしかならない撤退である。
 何故なら、山間の道を通って行ったその先には敵の同盟国があるからだ。俺達が逃げ切れたのではなく、そこに追い込まれた、と言う方が正しいだろう。
 前も後ろも退路はない。
 隊のほとんどを失った手負いの俺達に救援が来るとも思えない。もはや捨て駒だ。
 つまり、敵は焦ることなく俺達を追い詰めていけばいいだけのこと。

 逃げる途中に国でも把握していなかった小さな集落があり、なんとか拠点を構えられたのは幸いだったが、それもいつまで持つだろう。
 もしもの時は逃げ込めるよう森近くで陣取っているが、それは部隊としての構成を完全に無視し、個人の命を優先した結果だ。もう正面から戦ってどうにかなる物量差ではなくなっている。我が部隊はもはや兵士としての機能など成していない。
 だから、壊滅しても逃げ果せる事はできるように行動する――命あっての物種だと、おそらく皆がそう思っていた。
 俺以外は。






「レオ。気晴らしでもどうだ」

 月と星くずだけが浮かぶ夜の中。
 急ごしらえの小さなテントの中、一人で仮眠を取っていた俺に、代理である新隊長のフェイが声を掛けてきた。
 前任のあの人と違ってお堅い性格ではなく、今のような苦しい状況でも薄ら笑顔を見せていた。せめてもの士気を保つ為に適任だということだろう。

「酒は苦手だと前に言った」
「知ってるさ。だからその代わりだよ。女だ」
「……」

 こんな小さな集落に娼婦が居たのか、と問うのも面倒だった。どうりでこのテントにも人がいない訳だと納得する。
 もちろん俺達にも騎士団としての誇りがある、俺達の誰かが強姦のような行為に及んだりするとは思いたくない。とはいえ、死の瀬戸際となればそうはいかない。
 表向きは、こんな時に女を買って遊ぶなど言語道断だろうが、こんな状況では別だ。
 これは騎士団の名誉を守ると同時に、フェイならではの気遣い方なのだろう。

「そう睨むな、全員分の料金は払ってやった。
 お前も楽しんで来い」
「……悪いが今は動く元気もない。もう少し休ませてくれ」

 俺の返事は半分が事実で、もう半分は虚勢だった。
 動く気力もほとんどないのは確かだが何より、そんな気分になれなかった。
 
「そうか。まあ、気が向いたら来い」

 フェイもその辺りは察してくれているらしい、素直にテントから出ていった。
 
「……」

 俺が重苦しい鎧を脱ぎ、夜の山の空気に触れると、昼との温度差のせいかとても肌寒く感じる。
 今からでも敵が襲ってくる可能性はゼロではない、しかし、消耗した事が分かりきった俺達を敵がわざわざ闇討ちするとは思えない。するとしたら俺達だがその予定さえない。
 もはや俺達が出来るのは、死を覚悟するか、命を保つために逃げ惑うかだ。

 束の間の静けさが戻った後。
 俺は何をするつもりでもなく、テントから出て外へ行った。








「寒い」

 肌着だけではさすがに薄すぎたかと思ったが、取りに戻る気も起きない。
 俺達は集落から少し離れた場所にいくつかテントを張っていたが、テントのどこからもほとんど音がしない。驚くほど静かだった。
 という事は、他の皆は集落の方にいるのだろう。
 テントのある場所からは、転々と立った小さな家屋が見える。今頃は最後の夜だと割り切って楽しんでいるのだろうか。
 もちろん俺はそちらに行く気などなく、むしろ離れるように、森の方へ歩いて行く。 
 森は大きく切り立った斜面になっていて、そう簡単には登れない。重い装備や荷物を持ったままでは山を越えて逃げられない、ということだ。洞穴のようなものがいくつかあるのを見たが、まさか山の向こうまで繋がっているとは思えないし、そこを通れる保証もない。
 虫の音だけが聞こえる場所で、俺はその場にあった、大きな岩に寄りかかって座る。
 疲れている身体は気を抜くとすぐにでも眠ってしまいそうだ。

「おい」

 静けさの中に聞こえた声。俺はぱっと目を開けたが返事はしない。
 女性のような、けれど少し低めの声だった。
 俺は岩を背にしながらそっと音を立てないように立ち上がって、周りを見渡す。
 誰もいない。
 大きな声ではなかったし、近くで囁いたような声色だったのに。
 
 声がしたはずの方向へ慎重に歩いて行くが、細い木が何本かあるだけで、人の隠れられる場所は見当たらない。
 となるとあの洞窟の中か――と、後ろを振り向こうとした瞬間、

「動くなよ」

 と言う声。
 その声はさっきと同じ女性の声だ。

「誰だ?」

 俺は彼女の言うとおりにして、動くことも振り向くこともなく、そのまま言った。

「アタシの事はどうでもいい、こっちが質問してるんだ。
 まず、オマエは誰だ。それに、ついさっきまでこの辺りが騒がしかったけど何があった?」

 後ろから聞こえる口調は強く、別部隊にいた有名な女騎士を思い出すような声だ。

「……俺達は隣国から遠征している騎士団だ。
 ほんの数日だと思うが、ここの集落を拠点にさせてもらっている。
 騒がしかったというのは恐らくそのせいだ」
「ふうん。そりゃご苦労なこった」

 返事は、他人事のように興味のないような声だった。

「それで、何が目的だ」
「ん?」
「俺を殺すつもりならそれでもいい。そうでないなら、放っておいてくれ」
「はあ? 殺す? どうしてそうなるんだ」
「お前はあの集落に住んでいる人間じゃないのか?」
「……違ェよ。大体、なんであそこに住んでたら、それがお前を殺す理由になるんだ」
「さっきは拠点にするなんてぼかした言葉を使ったが、それはこの集落を戦争に巻き込むのと同じだ。
 恨みを買われる理由には十分すぎる」
「……ま、そうかもな。けどさっきも言ったが、アタシはあそこに住んでるワケじゃねえ。別にオマエを取って食おうなんて思ってないぜ」
「じゃあなぜ、俺を脅す?」
「脅すつもりなんかねえよ。『動くな』って言っただけだ」
「……なら、もう行っていいか」
「あー待て、お前、集落の奴らとはもう会ったのか?」

 女性の言葉に心の中で首を傾げる。
 彼女はあの集落に住んでいないと言ったのに、何故それを気にしているのか。

「? 俺は直接は会ってないが、どういうことだ?」
「ふーん、そうか……どうりでな。
 じゃあそろそろ教えてやるけどよ。アタシは、魔物だ」

 魔物、と聞いて俺は身を強ばらせた。
 姿すら見ていない俺には真偽が判断できないが、なぜか嘘ではないという気がする。

「魔物?」
「ああ、下手なことするとオマエを食っちまうかも、だぜ」

 女性は楽しそうにくつくつと笑う。
 
「しかし……こんな所に逃げ込んでくるってことは、随分手痛い目に合ってるんだな」

 話すまでもなく、此方の事情は察しているようだ。
 それについては彼女の言うとおりで言い返す言葉もない。

「それで、何がしたい?俺を食う気ならさっさとしろ」
「ああ?」
「別にもう命などどうでもいい。生き延びられたところで、もう戻るところもない」

 俺はそう言いながらくるりと振り返る。女性――というよりは少女のようなその姿。
 背は俺より低く、セミロングの黒髪。肌はシルクのように真っ白で、黒い固まりのような何かが胸や股間といった局部に張り付いている。
 ただどの特徴よりも顔にある目が一番、まさしく目を引く。
 
「お、おい。振り返るなって言ったろーが!」
 
 少女は慌てたように後ろへぴょんと下がり、そのまま宙に浮いた。
 すると、彼女の背中からずるりと触手のようなものが這い出てくる。その触手の先端には彼女の顔と同じ赤い眼球がくっついていて、青虫の腹にも似て波打った触手の部分には、白肌と同じような黒いゲルみたいな何かががべったりと張り付いていた。

「……。お前が魔物であろうと無かろうと関係はなかったが、本当に魔物だったとは」

 俺は素直に驚いていた。
 魔物がこんな澄んだ声をしていて、少女のような外見で話しかけてくるものだとは思っていなかったから。

「ふんっ。見ちまったもんは仕方ねえなあ」

 少女の赤い一つ目が俺を見つめる。
 その大きな瞳は人間とはあまりにも違いすぎていて奇妙な感覚を覚えた。だが恐怖までは感じない。

「ほおら、もっと見てもいいんだぜ、アタシの目をよ」
「……?」

 魔物が――いや少女というべき外見だが――何を言っているのかは分からないが、そう言われるともう少し見ていたいような気分になる。そんな欲望が生まれ始めている。

「……あんまり抵抗しないんだな?
 珍しい奴だな、死んだってイイとか言い出すし、フツーじゃないのはわかってたけどよ」
「ああ……」

 彼女とじっと目を合わせていると、頭の中がぼーっとする。無理矢理酒を飲まされた時のような気分だ。吐き気や嫌悪感はないが、視界と感覚がぼんやりしてくる。
 ずっとこのままこうしていたいようにさえ思う。

「なあ、オマエ――」

 くらくらする視界の中、彼女がそっと近づいてくるのが分かる。宙を浮くようにして、音もなく寄ってくる。

「アタシと……、してみないか?」

 彼女は確かに何かを言ったが、うまく俺には聞き取れない。それなのに俺は返事をしていた気がする。
 でもそんなことはどうでもいい。
 ただ目の前にいる少女が、とてつもなく愛おしい存在に思えてくる。

「ああ、でも、いいのか。こんな甲斐性なしで、」

 その言葉を続けようとする直後に口を塞がれる。彼女の唇で。

「アタシの目に狂いはないさ」

 そして俺と少女は草むらの中、交わい始めた。
 人間とは違う端正な白肌も赤く大きな一つ目も美しく、その肢体はどこまでも扇情的すぎた。
 
 これではテントで盛っている傭兵たちを笑えないな――と嘲ったのは、二人で絶頂を迎えたあとのことだった。










「――ああ、そろそろ戻らないと。これ以上は、一緒にいられない」

 もう日は沈み掛けていた。今日の夜にでも奇襲を仕掛けてくるかもしれないのに、こんな事をしてはいられない。
 俺は下敷きにしていた服を着直すと、少女に目を向ける。

「戻るって、あのテントの中にか」
「ああ」
「違う……違うだろ。オマエが戻るべき場所はそこじゃない」
「……」

 そうなのかもしれない、と俺は言いそうになった。

「だがあそこでまだ苦しんでいる兵士を放って逃げることなどできない。これまでの戦いで散っていった隊長に、友人達にどんな顔をして生きればいい?
 逃げられないんだ。そこからは」
「……バカ言うな! オマエ、ホントに死ぬぞ!
 アタシは向こうにいる軍の奴らまで見てきてる、あんな大軍お前らだけで相手にできるわけねえだろ!」
「分かってる。分かってるんだ……」

 分かっているけれど、もうそこからは逃げ出せない。

「けど、どうしようもない」

 俺は立ち上がる。すぐにでもテントに向かわなければ。 

「どうして……どうしてだよ……」

 枯れてしまいそうな声で少女がうつむく。
 俺はその顔に視線を合わせられず、俺が来た方向、つまりテントのある方を見ていた。

「今の俺には命よりも大事なものがある。 それだけだ」
「……」

 それ以上俺は何も言わなかった。言えなかった。

「……ならアタシにも、命より大事なことがある」

 ゆらりと、俺の視界の端で少女が動くのが見えた。
 そのままばっと飛びかかってくる――油断していた俺はそれを避けられず、そのまま俺と少女は地面に転がった。
 そしてごろごろと転がり続け、俺は地面に仰向けになり、少女に上からのし掛かられる。

「少しでも好きになったヤツは、アタシのもんにしてやるってな」

 ぐらり。
 少女と合わせた視線が、揺れる。
 さっきとは違う、世界全体が揺れ動いているのかと思うほど強い酩酊のような感覚。

「オマエを傷つけたっていい、オマエはもう、アタシのもんだ。
 逃がしてたまるかよ――」













 ああ、傭兵をやっていたのは昔の話だ。今じゃ甲斐性無しの農夫だよ。
 ま、つまらん男だがそれにしちゃ随分マシな人生を送ってこれたさ。
 口は悪くてへそ曲がりだけど、奥さんもいるからな……おっと、あいつには言わないでくれよ。

 おいおい、酒飲めないヤツに酒をおごれってのはおかしいだろう。
 お前にはポーカーでの貸しもあったろ。
 ったく……わかったわかった、絶対あいつには言うなよな。
 こんなこと言ってるのがばれたら、一体何されるか……、

「こんなトコに来て……楽しそうなハナシしてんじゃねえか。なあ、レオ?」

 ……。
 お、おい。後ろに来てるってんなら言ってくれてもいいだろう!
 待て、逃げるな――!

「たっぷりアタシの話を聞かせてもらおうじゃねえか。
 続きはベッドの上で、な……?」

15/05/04 23:04更新 / しおやき
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■作者メッセージ
死地に赴くところをむりやり連れて行かれたいぜ…

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