連載小説
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period 4
 久しぶりの、一人での登校。
 居ると煩く感じる相方でも、居ないとなるとかくも寂しく感じるものなのか。いろはの表情は陰鬱で、そのの足取りもこころなしかいつもより重く見えた。
 その理由は簡単。傍らに、ミレニアが居ないためだった。
「ふぅ………」
 いろはは物憂げなため息と共に、校門を通過する。
 いつもなら賑やかないろはだが、一人ならこんなものだ。元より、あまり社交的な性格ではない。しかし、ミレニアが現れてからその性格に改善のきざしが見えていたのも確かだった。
 (悪い意味で)ちょっとした有名人であるいろはの異常に、周りの生徒達も口々に囁きを交わし始めた。
「おい……鷹崎が一人だぜ……?」
「まさか振られたとか……?」
「ミレニアさんはどこだッ!?」
 それらを一切無視して、いろはは昇降口に辿りつく。そのまま覇気の感じられない足取りで階段を上がろうと――
「いろは先輩!」
「ん……?」
 したところで声をかけられて、いろはは振り向いた。その視界に、こちらに駆けてくる少女を捉える。
「どうした、渚」
「どうした、じゃないですよ!」
 とにかくこっちへ、と渚に腕を引かれ、いろはは校舎の裏側へと連れて行かれた。その有無を言わせぬ力の強さに、いろはは戸惑いながら付いていく。
 はて、何かマズイことをやらかしたであろうか? わが身を振り返ったいろはには、思い当たる節は一つしかなかった。
 その彼が半ば引きずられるようにして連れてこられたのは、体育館脇の用具置き場。その不良じみたチョイスに、いろはは苦笑する。
「あのー、渚さん? まあ、落ちついて」
「私がどれだけ心配したか分かっていないから先輩はそんな事が言えるんです!」
 いきなり雷を落とされて、はいっ、といろはは背筋を伸ばす。
 それを聞いただけで、いろはは渚が何故こんなにも怒っているのかを完全に理解した。
「ただの高校生のくせに、一人で戦おうとなんてしないでください! 下手したら、あそこで死んでたかもしれないんですよ!?」
「あー、うん。ちゃんと勝算はあった。そこまで考えナシだった訳じゃない」
「……助けてくれた事には感謝してます。でも、あれはやりすぎです」
「悪かった。あの時は無我夢中だったんだ」
 まったくもう、と怒る渚に、ごめん、と頭を下げるいろは。
「あれで怪我した人とか、居なかったか? お前、一撃貰ってただろ」
「いいえ、誰も怪我はしてません。私も平気でした」
 誰にも怪我はない、と聞いて、いろはは胸を撫で下ろした。それでこそ、身体を張った甲斐があったというものだ。
「先輩、一つ、お尋ねしたいことがあります」
「何だ?」
「あの……タワーに来たのは……何だったんですか?」
「あー……答えにくい質問だな。お前は何だと思った?」
 思えば、渚の疑問ももっともである。いろはは夏休み、あれと似たような事態に巻き込まれている上、ミレニアや倉名というそちらに精通した知り合いがいるためにさほど混乱は無いが、普通はあのような事態に巻き込まれれば混乱するのが正常な反応というものだ。
 正直なところ、いろはは東京タワーで起きた事件についてかなり詳しいところまで説明できるだけの知識を持っている。しかし、それを説明するには夏休みの件やミレニアと倉名の事情にも触れざるを得ない。いろはの一存で話せる事ではなかった。
「実は、タワーから脱出した後、警察の関係者だという黒いスーツの男が脱出した人を集めたんです。その男が言うには、私たちは集団で幻覚を見ていたんだと……タワーの構造がひずんで、ガラスが突如として砕け散った恐怖でそんな事が起きたんだと説明されたんです」
「……へぇ」
「周りに警察の人もいましたし、その人の身分については信用できると思います。手帳も見せられました。でも……先輩とミレニア先輩はいなくなってて……」
「……済まん、渚。今は説明できない。それに少なくとも、俺が語れるのはそのスーツの男が言った話の十倍胡散臭いぞ」
 突発的な危機による恐慌に端を発する集団幻覚。似非科学の香りしかしないが、いろはが語れる真実は、異世界だの魔法だのドラゴンだのが目白押しだ。あちらが似非科学なら、こちらは既にファンタジーの域である。
「今の俺には、見たままを信じろ、としか言えん」
「じゃあ……あれは、夢じゃないんですね?」
「ああ。俺がその集団幻覚とやらを見てなければ、だが」
「良かった……あんな事があったのに、テレビにも新聞にも出て無くて、もしかしたら私の方がおかしいのかと……。でも、朝先輩を見たら、そんなの全部吹っ飛んじゃいました」
 無事で良かったです、と言う渚。
「心配かけて本当に悪かったよ……。でも、もう大丈夫だ」
「はい……。じゃあ、私はもう行きますね」
 ああ、といろはは答えた。
「先輩。あの時、とてもカッコよかったですよ」
 では、と駆け足で去っていく渚。彼女の去り際の一言に凍りついたいろはは、しばらくしてからやっと動き出した。
「……真っ赤な顔して言われても、どうしていいか分からねえよ……」
 そう嘯くいろはの耳もまた、紅葉のように赤く染まっているのであった。


 ◆◇◆◇◆


 ミレニアも倉名も居ない平和な学園生活を堪能した後、いろはは部活にも顔を出さずに帰途についていた。
 しかし、向かう先は家ではない。
 ぴんぽん、とその家のドアホンを鳴らすと、入れ、と返事が返ってくる。
「お邪魔します、と」
 高校から歩いて三十分程の、少し高くなったあたりに立つやや大きめの家。豪華と表現するには質素な作りだったが、その大きさは十分に一般的な家屋を凌駕していた。
 いろはは迷いの無い足取りで、玄関から向かって右側にあるドアを開ける。
「ようやく来たか。少年」
「これでも学校が終わってから真っ直ぐ来ましたが」
 いつもの軽口を応酬し合い、いろはは後ろ手にドアを閉める。
 今日もパジャマの上に白衣を羽織っただけという、彼女の人間性を疑いたくなるファッションを崩さない倉名は、いつもより更にぼさぼさになった髪を整えようとすらせずにこちらを見ていた。
 彼女の前の机には、鞘の無い一振りの刀が無造作に置かれている。
 それ自体は何の変哲もない刀だったが、その刀身は鉄の地肌を晒す隙間も無く謎めいた文字の書かれた札が貼り付けられていた。それでは、たとえ何かを斬りつけたとしても断ち切る事は難しいだろう。
「ミレニア嬢も、少しは裏方の私を慮って欲しいものだ。おかげでまた徹夜だよ。しかし、この程度の代償で竜の戦闘が見られるのならば安いものか」
 くっくっく、と不気味に笑う倉名の眼の下には、徹夜という言葉を証明するように濃い隈があった。
 ただ徹夜しただけではここまで濃い隈は出来ない。恐らく、今日に間に合わせるために本気で準備に取り組んだのだろう。
「先生……」
「気にするな。私は私の役割を果たしただけに過ぎんさ。そもそも、今日の戦いに君が勝てねば私との約束が果たされないだろう。そのための努力だと思えば良い」
 さて、こいつの使い方だが、と倉名は立ち上がり、机の上に置いてあった刀を手に取った。
「見ての通り打刀だ。これで切りつけて戦ってもらう。とはいえ、相手は空の王者たるドラゴンだ。並みの武器では歯が立たん。こちらの世界では、そうだな……ライフルでも持って来れば、もしかしたらなんとかなるかも知れんな。
「ライフルって……」
 呟きながら、同時にいろはは納得もしていた。
 前に一度相対した時、モップの柄越しにも何かとてつもなく硬い物を叩いてしまった感触があったのだ。普通、硬いものは脆くもある。だが、彼女らに常識が通用しないのは夏休みの一件で思い知った。
「その刀なら、切れるんですか?」
「切れるとも。折れぬ、曲がらぬ、朽ちぬ。竜を殺せる一振りだ」
 若干の不安を込めて聞いたいろはに、倉名が自慢げな笑みと共に答える。
「古来より竜を剣で切り裂くという神話は多い。材料には事欠かなかったぞ。しかし、こいつには欠点がある」
 ひゅん、と音をさせて倉名が手の中の得物を振るった。
「竜以外は斬れん。大根すら斬れん」
「………へ?」
 今言われた事をよく理解できずに、いろはは思わず問い返した。倉名はへらへらと笑いながら答える。
「相手がドラゴンであれば甲殻だろうと鱗だろうと構わず斬り飛ばす利剣だが、ドラゴン以外は何も切れない鈍刀というわけだ。ついでに言うと、恐らくこれを持って外を出歩けば銃刀法に引っかかる」
「……扱いにくくないですか?」
 倉名が差し出した刀を受け取ったいろはが言う。
「竜を害せるというだけで、本来ならば秘宝クラスだぞ? 名づけるなら天羽々斬剣といったところか。レベル10そこそこの少年に持たすにはもったいない武器だ」
 受け取った刀を、いろはは正眼に構えた。重くもなく、軽くもなく、確かに扱いやすいが……といろはは思う。
 刀としては扱いやすいが、武器としては落第点、といろはは判断した。
「あの、ドラゴンは飛ぶんですが……これ、投げたら絶対当たるとか手元に戻ってくるとか、そういった機能は無いんですか?」
「無いな。そんな神話級の武器が私のような田舎の魔術師もどきに作れてたまるか」
「じゃあ、どうやって戦えと?」
「ふむ。気合いと根性、あとは勇気や希望あたりを頼るのがベターだろうな」
 一瞬の遅滞もなくそう返してきた倉名は、相も変わらずにやにやとした笑みを浮かべている。
「まあ、冗談は置いておくとしても、それが私に用意できる最高の武器だ。後は君が上手くやるしかない。最悪君は死ぬだろうし、最悪君は殺すかもしれない。
 いや――最悪、ここら一帯は吹き飛ぶかもしれないな」
 珍しく、倉名が真顔で言った最悪のケース予想に、思わずいろははごくりと唾を呑んだ。
 何も知らない人たちが巻き込まれるのは、いろはとしては極力避けたい。
「こう言うとプレッシャーをかけるようだが……今や、この街の命運の一端は君が握っているようなものだ。この街であの竜に立ち向かえる者など、数えるほどしか居ない。
 少年………君はただの少年に過ぎないが、どうした運命か彼の竜と同じ土俵で相撲を取る権利と、その力を手にしている。それは、君にしかできない事だ」
「………」
「勝てよ。私と一日デートの約束、守るまでは死なせんからな」
「――ああ!」
 いろはが力強く答えると、倉名はその幼い顔一杯に純粋無垢な笑みを浮かべるのだった。


 ◆◇◆◇◆


「来たわね、イロハ。少しは寝ておいた?」
「ああ。仮眠程度だが、しっかり寝れたよ」
 夜十時、十分前。いろははとある解体途中の廃ビルへと足を運んだ。河と空き地に囲まれた、寂しい場所に建っている古い建物だ。解体途中だが、夏休みに謎の崩落事故があって以来、解体工事は中止になっているそうだ。
 そこでは、かつて敵として出会った時と全く変わらない装いのミレニアが待っていた。光を弾く銀色の髪に、心の底まで見とおすような血色の瞳。抜群のプロポーションの肢体を闇色の衣に包み、その手には紅の槍を携えている。闇の中にその異形はよく映え、既に慣れ親しんだはずのその姿に、いろはですら若干の畏怖を禁じ得ない。
 まだ互いの名すら知らず、各々の目的をぶつけ合った頃を懐かしく思う気持ちが、いろはの中に沸き起こる。そして、目の前の少女を愛おしく思う気持ちも、また。
 しかし、今から待っているのはあの日味わったのと同じ死線であり、死闘である。ミレニアの姿を見て緩みそうになる気持ちを、いろはは再び引きしめた。
「その珍しい形の剣……クラナが用意した武器ね」
 ミレニアがいろはの手に握られた武器を見て言った。こちらの世界で言うヨーロッパあたりと似通っているらしい彼女の故郷では、あまり馴染みがないのかもしれない。
 その上、この刀には長い帯のような札が幾重にも巻かれている。一見しただけでは、剣とは解らないだろう。
「ああ。打刀……切れ味の鋭い日本の武器だ。倉名の魔術で竜を殺す呪いがかけてあるらしい」
「ドラゴン……ニファを傷つける呪いね……滅多なものでは傷つかないドラゴンを傷つけるなんて、よほどのものに違いないわ」
 しかし、竜以外には全く歯も立たないなまくらなのだが。
 だが今それを明かして、不用意にこの少女を心配させる必要はない。
「イロハ。貴方の魂は私のもの。忘れていないでしょうね?」
 不意に、ミレニアがいろはに身体を近づけてきた。殆ど抱きつくようにいろはに顔を寄せるミレニアの瞳は、妖しい光を孕んでいた。
 黒い、生地の少ない衣のせいか、密着されるとその豊かな胸が否が応にもいろはに当たる。それと微かな甘さを孕んだ笑みには、男を籠絡せずにはおかない傾国の気が垣間見えた。
 それだけで、いろはにはミレニアの言いたい事がいっそ雄弁な程に解る。
「心配、してくれてるのか」
「ふふふ、言ったわよね? 私は貴方に私を捧げたの。貴方の死ぬときは私の死ぬときよ」
 いろはの今の服装は、学校の制服である半袖の白いシャツと黒いスラックス。対して、ミレニアは扇情的とも言える大胆なコスチュームだ。
 だが、形こそ違えどそれは共に戦装束。たとえ刀折れ矢尽きたとしても、敵の喉を食い破って勝利を掴む覚悟の表れだ。
「大丈夫だ。俺は死んだりしない」
「ええ。それでこそ私の愛した人」
 どちらともなく唇を重ねるだけのキスを交わし、二人は不敵な笑みを交換し合うのだった。


 ◆◇◆◇◆


 工事用に設置された足場を使い、廃ビルの屋上へとたどり着くと、そこには既に緑鱗の女人の姿があった。凛とした雰囲気を纏って、夜空に浮かぶ満月を見上げている。
 だが、いろはの気配に気づいたのか、いろはの到着と同時に静かに踵を返した。
 太陽の下では澄んだ青だった瞳が、闇にまぎれて深い群青となっていた。
「来たか、武士」
「……ああ」
「臆さずに来たのは褒めてやろう。竜を前にして怖気づかない戦士は稀有な存在だからな」
「そっちこそ、約束は守ってくれたようだな」
 ミレニアを通してとりつけた約束――いろはとの決闘まで、無関係な生き物や物に手を出さない――は忠実に履行された様だった。
「……今度こそ、全力が見たいものだ。あまり失望させてくれるなよ」
 いろはとニファ、両者が顔を合わせた時点で、既に戦いは始まっている。いろははニファの挑発には答えず、刀――倉名風に言うなら天羽々斬剣――を腰だめに構えた。
 それを見て、ニファの表情が変わる。揶揄するような笑みが、獰猛な捕食者の笑みに。それを見たいろはも、同じように笑い返した。
 機は熟した。次の瞬間、立会人であるミレニアの目の前で、人と竜の決闘の火蓋が切って落とされたのであった。
12/01/19 21:14更新 /
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■作者メッセージ
こんばんは、湖です。
長らくお待たせして申しわけありません。
出来るだけ面白いお話をお届け出来るように頑張りますので、今度ともよろしくお願いします。

では、ここまで読んで下さった皆様に、深い感謝を。

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