連載小説
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先輩と口唇
「ずっと前から気になってたんですけど」
「うん?」

 先輩が部室の戸棚からワインのボトルを取り出そうとして、俺の言葉に振り向く。
 短いスカートが今にもめくれ――そうになったりはしない。もさもさの尻尾は偉大だった。

「どうやってそんなとこにワインを収納してるんですか?どう見ても先輩が持ってる瓶とサイズが合わないと思うんですけど。縦にも横にも」
「ああ、そんなことか。簡単だよ」

 いつものようにワイングラスと瓶を両手に持って、戸棚を開けっ放しにしたまま机に戻ってくる。それらを置いて、先輩は再び戸棚の方に歩く。
 グラスは二つ。飲まないって毎日断ってるけど、それでも先輩は毎日グラスを二つ取り出す。

「魔法だ。転送門みたいなものだな。私の酒蔵やら実家やらに繋げてあるんだ」
「……魔法ですか。それ、大丈夫なんですか?学校の備品を私物化して」
「バレなきゃイカサマじゃない、ってのと同じことだよ。魔法は手品のようなものでありながら、手品のような種も仕掛けも必要ない。バレそうになったら消せば、あとには何も残らない」
「ものすごく倫理的にダメなこと言ってる気がする……」

 魔物娘に人間の倫理なんか通用しないんだけど。
 戸棚を閉めようと手をかけた先輩は、少し何か考えた後にまた戸棚の中に手を突っ込んだ。
 取り出したのは、ワインと違う形状のボトルだった。

「なんです、それ」
「エールだよ。実家の製品だ」
「へえ、ワインだけじゃないんですね。初耳でした」
「まあね。実家の主力はワインだし、まだ話してなかっただけさ。エールの原料の仕入先は魔界じゃないし、ほとんど父の趣味みたいなものだからね」
「てことは、それは魔界酒じゃないんですか」
「うん。後輩も飲むか?今日はワインじゃなくてもいいよ」

 魔界酒じゃないなら、飲んでみてもいいかもしれない。
 先輩から差し出されたボトルを受け取って、そのまま先輩を眺める。

「……栓抜きは?」
「あいにく私のポケットにはコルクスクリューしかない。さて、何も考えず取り出した私はどうすればいいと思う?」

 なにをドヤ顔で言ってるんだこの人は。
 呆れながら先輩にボトルを返して、先輩は一切躊躇うことなく栓を歯でこじ開けた。
 がきり、なんて小気味良い音がして、王冠をその辺に放り捨てる先輩の姿も男前で様になってて、それからやっと脳に理解が追いついた。

「ちょ、なにしてんですか」
「伝統的な開け方だろう。なにを驚いているんだ」
「いや、まあ、栓抜きないならそうするしかないかもですけど……そんな開け方したら歯とか顎とか痛くならないですか?大丈夫ですか?」
「魔物娘の頑丈さを侮ってもらっちゃ困るね。それに、私は元々このつもりで出したんだ」

 そう言うと、先輩は徐ろに瓶口に唇をつけて少し呑み、それからもう一度俺に差し出してきた。
 彼女は微笑み、ワインボトルを手に取る。まだ一緒に飲んだことのない物。

「間接キスの一つくらい、今のうちに味わっておかないと損だろう?」

 ……呑んでみたけど、エールの味はわからなかった。





「ペーストしてあれば大丈夫なんですけど、こういう栗って苦手なんですよね」
「え……それはつまり、私はクンニしてもらえないということか」
「ちょっと黙っててください」
「もごご」

 剥いた栗を先輩の口の中に押し込み、皮を剥く作業に戻る。
 お湯でアク抜きをしたのでいきなり食べると熱いだろうと思うけど、魔物娘は頑丈らしいから問題ないだろう。火傷したりはしないはずだし。たぶん。

「カレーに入ってるじゃがいもとかも、すごく煮込んでぐずぐずになってないと嫌で。フライドポテトは大丈夫なんですけど、茹でただけのじゃがいもはもうダメですね」
「んぐ。それはアレかな、ぱさぱさしたのが苦手なのか」
「そうですね。口の中の水分が取られるのが嫌、ってのはあると思います」
「好き嫌いは感覚的なものだからな。クッキーは大丈夫なのになぁ」

 確かに。クッキーこそパサパサしてるけど、なんでいけるんだろうか。

「捉え方の問題なのかもしれないな」
「……捉え方?っていうと、どういうことですか」
「昔からよく言うだろう、にんじんのケーキとかピーマンの肉詰めとかきゅうり味のコーラとか。ああいう感じで、苦手意識を別方向から治せばいいと思うんだ」
「最後のやつは違うと思うんですけど……」

 でも、まあそうだ。手法は安直だけど、安直だと思われるだけの効果があるものなんだろうし。王道は親しまれてるからこそ王道であるわけで。

「というわけで、ん。んー」

 先輩は剥いた栗を口に持っていき、唇で栗を保持した状態でこっちに迫ってくる。

「……ものすごいアホ面になってますよ、先輩」
「んむ。ちゅ」
「うわ。ちょ、キモいですって」

 人差し指で栗を押し込むと、今度は唇をすぼめて指に吸い付いてきた。なんだこの妖怪。
 指を吸う先輩の絵面が相当ヤバかったので、慌てて手を引っ込める。

「キモいとはなんだ、人の好意に生意気な」
「自分がキスしたいだけじゃないですか……」
「ふふ。ああ、さっきの私のフェラ顔はオナニーのオカズにしていいぞ。なんなら後輩の気が済むまで指をしゃぶってもいいし、手順を省略してきみのものをしゃぶっても」
「黙ってろ」
「むぎゅぐ」





 六時ともなれば、既に太陽は地平線の下だ。街灯が帰り道を照らしてくれるおかげで、暗いっていう雰囲気はない。雲がかかってるとはいえ、月も出てる。

「今日は満月だな。発情したワーウルフに襲われるなよ」
「気をつけておきます」
「よろしい。きみがいつも素直なら更にいいんだが」

 帰り道を共に歩いていると、どうしても先輩の横顔を名残惜しく眺めてしまう。
 今日の先輩もまた、とても綺麗だった。朧月の淡い光に照らされ、ブラウンの髪が儚く反射する。目も、唇も。
 唇か。先輩は薄い化粧しかしてないと言っていたけど、リップには何か付けてるのだろうか。つやつやと光る先輩の艶めかしい唇を見るからに、何もしてないということはなさそうだ。

「キス、してほしいのかな?」
「は……や、違います。考え事してただけですから」
「ふふふ。照れなくてもいいさ」

 先輩の唇を横目で見ていれば、先輩もこちらに気づくのは当たり前で。
 僅かに上気したように見える先輩の微笑み。ゆっくりと近づいてくる。そんなつもりじゃない、けど。でも、こういう雰囲気を醸し出してる先輩もまた、見惚れるくらいに素敵で。

「ちゅ、……んふ、わかってるよ。本音を言えば、私がしたかっただけだな」
「……」

 軽く唇が触れて、すぐに離れていく。
 たったそれだけで頭の中で考えてたことが吹っ飛んで、恥ずかしさに頭が下がる。

「どうにも、後輩の考えてることが一部分だけ察せるようになってきててね。きみが私のことを考えてくれてる時とか、私を大事にしようとしてる時とか」
「あの、……言ってて恥ずかしくないですか」
「ちょっと恥ずかしいな。だが、言わないのはフェアじゃないと思った。ついでに言うと、今日のラッキーアイテムは恋人の唇だそうだ。ふふ」

 それ絶対あのテレビのうさんくさい占いコーナーの話でしょ……とは思うものの、まあ、実際キスできるだけラッキーなのかもしれない。

「なあ、後輩」
「……なんですか」
「今日の残り六時間、出来る限り運を良くして過ごしたいとは思わないかな」
「――拒否権は?」

 先輩の笑みが深まり、俺の後頭部にそっと手が添えられる。
 そういえば、今日は満月だった。
16/09/30 20:19更新 / 鍵山白煙
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