連載小説
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遺言が導く二人の未来
<<注意!>>この回では魔物娘要素が殆どありません。それをご了承の上でお読み下さい。

***

話は凱が瑞姫の家に電話する日の朝に遡る。

瑞姫は久しぶりに両親の元に戻っていた。
春休みだというのもあったが、医師から「とても元気が出てきている」と外泊を許可されたのだ。

しかし戻って四日後の朝、両親の顔は沈んでいた。
何事かと聞いてみた彼女は思いもよらぬ出来事を聞かされる事になった。
口を開いたのは父・信隆である。

「瑞姫、落ちついて聞きなさい」
「え? は、い…」
「凱君のお父さんが……亡くなったそうだ」
「ええ!?」
「お前が家に戻って来て間もなくの事だったらしい。話では、凱君は何とか死に目に立ち会えたそうだ…」
「どうして……、どうして……!」

死に目に会えたからとて、永遠の別れである事に変わりは無い。
凱が凄惨ないじめに遭っている事は、彼の父親を通じて知っていた。
余所者であるという、ただそれだけの下らない理由の為に…。

彼女の脳裏に最初の出会いがよぎる―――

***

瑞姫は幼い頃、凱に助けて貰った事があるのだ。

彼女自身が生まれつきのアルビノ体質であった為に、白い髪と赤い目を気味悪がられ、同級生から墨汁や絵具を塗りつけられたり、髪を切られかけたりするなどの陰湿な虐めを受けていた。
そこに偶然割り込み、男子も女子も関係無しに滅多打ちにした少年がいた。
自分より大きい身体の少年の動きは力強くしなやかで、まるで円を描くかのように…。

大丈夫?と声をかけられた瑞姫は少年に手を引かれ、彼の家に強引に連れて行かれてしまう。
彼も同じなのかと思った時、少年は言葉を発する。

「お家に電話するから、番号教えて。俺が電話するから、お風呂に入って汚れ落としてね」

その言葉に唖然としたのは言うまでも無い。
耳を疑うしかなく少し黙る瑞姫だったが、結局言われるがままに自分の家の電話番号を教えてしまった。
すぐに少年は瑞姫が教えた番号に電話をかけ、大まかな事情を話して電話は終わる。
電話に出たのは母親だったと言う。
場所を訊いてきたので、少年の家の住所をそのまま話したとも聞かされた。

暫くしてから、瑞姫の母親が呼び鈴をけたたましく鳴らしながら、大慌てで駆けつけて来た。

「娘は! 瑞姫はどこなの?!」

あまりの剣幕に少年はたじろいでしまうも答えた。

「よ、汚れが酷かったんで…、お風呂に、入ってもらって、ます」
「じゃあ、お邪魔するわね。お風呂が何処か案内して」
「え? あ、はい」

剣幕は相変わらずだ。
人の親、それも娘を持つ親からしてみれば、見ず知らずの者の家に連れられ風呂に入っているのだから、本来なら誘拐事件として警察に連絡するのが至極もっともな対応というもの。

少年が案内した風呂場ではシャワーの音が聞こえる。
母親はすかさず、声を上げた。

「瑞姫! 瑞姫、いるんでしょ!?」
「え?! おかあさん?」
「早く出なさい! 帰るわよ!」
「ま、まって! その、おにいさんにありがとうって、いって、ない…」
「え? どう言う事なの? って、あれ? ぼく? 何処なの?」

少年はその会話の最中、台所にいた。
少女の体が冷えると心配だと思い、ホットミルクを作っていたからだ。
ホットミルクが出来上がる頃、瑞姫はシャワーから出てきていた。
傍にあったバスタオルで母親に身体を拭かれながら、母親が事情を聞いて持参してきた新しい服を着る。

「……これ、飲んで」

台所から戻ってきた少年がそう言って出したのは、先程作ったホットミルク。
しかも熱過ぎないように少しぬる目にして作られている。
子供とは思えない手際の良さに、母親は思わず息を飲む。

瑞姫も瑞姫で、出されたホットミルクを何の抵抗もせずに飲んでしまう。
驚く母親を尻目にしながら…。

「おいしい……」
「よかったぁ。熱過ぎたらどうしようって思った……」

出会ったばかりの二人の余りにも自然なやり取りに、瑞姫の母親は呆然と見ているしか出来なかった。

「よ……、良かったわね、瑞姫。さ、お礼を言って、一緒に帰ろうね」
「うん。おにいさん、ありがとう」
「気を付けてね」
「あ、おにいさんのなまえ、きいて…なかった…」
「俺? 竜宮凱、だよ」
「竜宮君、あんまり突然な事はしないでね」
「? ……はい」

そうして瑞姫は母親に手を引かれて家路へと向かった。

しかし、瑞姫は凱と名乗った少年の事が脳裏から離れなくなっていた。

自分の為に作ってくれたホットミルクの味を忘れる事が出来ず、食事を拒む有様に困り果てた龍堂家は後日、凱の父に渡りを付け、双方の親同士で会う事になった。
事の次第を聞いていた唯一の人物である瑞姫の母親の証言から許嫁の話が決まったのだが、それを後に知った瑞姫は嬉しさのあまり大泣きしたと言う。

だが、凱と名乗ったこの少年はその後、間もなく受けた報復を皮切りに凄惨ないじめを五年間に渡って受ける破目になり、この一連の事は彼が遺書を読む時まで、記憶の彼方に押しやられてしまう―――

時に瑞姫8歳、凱13歳の出来事であった。

***

「……姫、瑞姫」
「え…? あ、はい!」
「思い出してたのか? 凱君の事を」
「…はい」
「彼はあれから長年に渡って、酷いいじめを受けていたそうだ」
「だから……、わたしの事を思い出してくれなかった、と……」
「そうだ。彼のお父さんが何か策を立ててくれれば、と願う他無い……」

父親として子供達の幼い頃の約束を、どんな姿であっても純粋に一人の異性を想い続ける愛娘の心を穢す事だけはすまい、と心に誓う。

誰よりも幸せになって欲しい、と――
更に母・紗裕美が言いにくそうに夫をせっつく。

「お父さん、もう一つあるでしょう…」
「あ、ああ…」

何ともバツの悪そうな顔をする紗裕美の目を見た信隆は仕方ないとばかりに溜息をつき、再び切り出した。

「それからもう一つ。お父さん、転勤する事になったんだ」
「……」

伏せ目がちにうつむく娘を見ながら、話は続く。

「今度は少し遠い。お前達の事を考えると、単身赴任と言う訳にはいかない。だから皆で引っ越す事に決めたんだ」
「お兄さんは……」
「ん?」
「お兄さんはどうなるの!?」
「問題はそこだ。実はな――」「そこから先は私が言いましょう」

紗裕美が夫の言葉を遮って切り出した。

「瑞姫。お母さん達も凱君のお父さんの所に行ったの。見る影も無い程痩せてしまった姿を見た時は、悲しかったわ……」
「お兄さんはどうなるの? 教えて! お父さん! お母さん!」
「……凱君をうちで引き取ろうって提案したの」
「え?」
「あの方もその事には驚いていたわ。でも、『自分が死んだら、息子は天涯孤独も同じ。その提案でお嬢さんが幸せになれるなら、きっとあの子も心を取り戻して幸せになってくれるでしょう。至らぬ息子ですが、どうぞよろしく頼みます』と応じてくれたの」
「……」

一通りの話を終えると、信隆が三度話を切り出す。

「だが一つだけ問題がある。引越し先の事だよ」

言い辛そうな表情を浮かべながらも言葉を紡ぐ。

「魔物娘、と言うのを知ってるだろう?」
「はい。病院でよく見かけるから、あんなのもいるんだなぁって…」
「お前の転校先が……、その魔物娘達が多く通う学校なんだ」
「……」
「お前はそこに行く意思はあるか?」
「お兄さんが一緒じゃないと……嫌」
「こればかりは凱君の状況と意思次第だ。我々は彼に来て欲しいと願ってるよ。連絡があるといいんだが」
「待ちましょう。私達に出来るのはそれしかないから」
「そうだな……」

歯切れの悪い会話の締め方ではあったが、親達にしてみれば娘の為に出来得る限りの事をしたいと思って止まなかった。
許嫁の身柄もそうだが、それ以上に娘の幸せを築いてあげたかったのだ。

その願いはこの12時間後に届く事になる――

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

夕食を終えた夜の事、龍堂家に一本の電話が入る。
受けたのは紗裕美だった。

「はい、龍堂でございます」
『夜分にすみません。私、竜宮と申しますが、ご主人様か奥様はおりますか?』
「…! 凱くん? 凱くんなのね!?」

その驚いた声に信隆と瑞姫が反応を示す。

『奥様でしたか。お久しぶりです』
「五年ぶりね。お父様の事は残念…だった、ね」
『気にしないでください。火葬も済ませてますから。父の遺言でそちらに電話するようにあったんですが…』
「そう。それじゃあ、明日の昼に来れるかな?」
『ええ、大丈夫です』
「分かったわ、待ってるわね」
『はい、では失礼します』

電話を終え、受話器を置いた紗裕美は安堵の息を漏らすと、信隆が確認の為に妻を問い質す。

「凱君から来たんだな?」
「ええ、でも……とても冷たい声だったわ。五年前に会った子とは思えなかった……」
「お兄さん、わたしの学校でもいじめの的になってる……」
「それは本当か、瑞姫?」
「クラスの子から聞いたの……。お兄さんの事をとてもバカにしてて、いじめれば先生も褒めてくれるから存分にやろう、って……」
「まずいな……。明日中に話をまとめないと面倒な事になるぞ」
「え? どうして?」
「お前の転校手続きもだが、凱君のような人を会社で見た事がある。散々ないじめに遭った末に会社を追い出され、その主犯を襲って大怪我を負わせたんだ」
「――!!」
「その人は事の経緯をノートに書き遺して自殺してしまった。主犯の方は右足と腰に後遺症を負い、下半身不随になって会社を辞めざるを得なかった。今は車椅子で生活をしながら、自殺した人の家族を訴えて裁判で真っ向から争っていると聞いた」
「お父さん、それじゃお兄さんは……!」
「そんな事はさせん。だからこそ我々で彼を家族に迎えてあげるんだ」
「元気付けてあげましょう。そうと決まれば支度ね」
「何を支度するんだ?」
「決まってるでしょう。あの子を迎えてあげるんだから、腕によりをかけてご飯作ってあげなきゃ」
「そうか。明日は休みだから、手伝おう」
「わたしも!」

龍堂家はその夜、にわかに活気づいた。
凱を犯罪者にしてはならぬ思いと彼の心を少しでも温めてあげたいと願っての事だから。

数時間後、全ての準備を終えた竜堂家は新たな家族を待ちながら眠りに就く。

翌日も龍堂家は朝から慌ただしかった。
朝食を軽めに済ませると、居間の掃除やセッティング、そして料理の仕上げと息つく暇が無かった。
用意されたのは手巻き寿司やローストビーフなど、ホームパーティーに最適なものだ。

支度を終える直前、凱から龍堂家に向かう旨の連絡が入った。
これを聞いた瑞姫は彼の到着を心待ちにしながら、逸る気持ちを抑える。
凱が龍堂家に到着するのは、それから30分後の事だった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

出発前、凱は不在間に連絡があるといけないと思い、北市の元に連絡を入れ、「遺言に関わる用事があるから、今日は家にいない」と伝える。
「頑張ってきなさい」と北市に励まされ、連絡を終えると一張羅に袖を通し、遺言に添えられていた白い封書を携えて家を出た。

冷たい街並みと冷たい人々――
商店街を横切れば忌々しく舌打ちされ、食堂を通れば店主が憎々しげな顔で塩を叩きつけるように撒きながら罵声も叩きつける。
忌まわしい思い出しか無いこの町に未練など何一つ無い。
その気になればそのまま町を出て行けるのだから。

開けずに渡せ、としたためられた封書には何が書いてあるのかは分からないものの、父の遺言は果たさなければならない。

全てはこの封書を渡してからだ、と思いながら歩く事30分、凱はマンションの入り口に到着していた。
父が遺していた住所に間違いが無いかをもう一度確かめ、オートロックのインターホンを鳴らす。
出たのは男の声だ。

『はい』
「竜宮と申しますが」
『おお、凱君、待っていたよ。今開けるから』

言い終えると同時に自動ドアが開き、凱はそのままエレベーターに乗って龍堂家の玄関前に立つ。
深呼吸して緊張を解し、玄関のインターホンを鳴らした。
すると「はーい!」という女の子の声が耳に届く。
解錠音が鳴り、玄関のドアを開いて現われたのは瑞姫だ。

「こんにちは、お兄さん!」
「…こんにちは」

心なしか重い返答に瑞姫は言い知れぬ不安を感じる。
会っていない僅かの期間で体は痩せ、その目は鉛色のように見えたのだから。

「上がって、下さい。お父さんもお母さんも待ってる……から」
「では、お邪魔致します」

催促する瑞姫の言葉を無理な笑顔で返す凱の表情は、あまりにも悲しげなものだった。
早く来るように手を引いてくる瑞姫のなすがまま、凱は居間へと引っ張られていく。

「やあ、凱君。いらっしゃい」
「五年ぶりね」
「あ、そうだ。これを……」

瑞姫の両親から歓迎のあいさつを受けた凱ではあったが、服の内ポケットに携えていた白い封書を信隆に手渡す。

「これは?」
「遺言状の中にあったものです。それを開けずに龍堂さんの御両親に渡すように、と」
「遺言状?!」

遺言状と聞いて、信隆は大慌てで封書の中身を開ける。
その中にあった物は記入済みの養子縁組届であり、添えられていた手紙にはこう記されていた。

――これを拝見する頃には、私はもうこの世の人では無いでしょう。
  息子に許嫁の件を直接話す事が叶わず、深くお詫び致します。
  養子縁組をお受けするにも息子の意思に委ねるしかありませんが、
  お嬢さんの幸せの為、息子が良き決断をしてくれる事を願うばかりです。
  龍堂家の皆様、どうか息子を、凱を宜しくお願い致します。――

「竜宮さん、あなたは……」
「父は何と……?」
「凱君、君を養子に迎えてあげて欲しい、と書いてあるよ」
「そう、ですか」
「凱くんの意思はどうなの?」
「お兄さん……」

瑞姫が上目遣いをしながら、凱を心配そうに見つめる。

手を取り合って、強く生きろ――父の遺言の意味と、自分と瑞姫が許嫁である事実。そこから導き出される答えは一つしかない。

「養子の件…、お受けします」

その一言に瑞姫の顔が一気に綻び、同時に大粒の涙が頬を伝って零れ落ちていく。

「えぐ……っ、ぅあああああああああ!」
「瑞姫、どうしたの急に!?」
「だって、ぐす、だっで、嬉じいんだもん! うええぇーーーん!」
「凱君、ありがとう。それと言っておかなければならん事もある。ああ、凱君に言う事があるから、瑞姫を頼む」

嬉し泣きが止まない瑞姫を妻に任せ、信隆は凱を促して別の部屋に入ると、話を切り出した。

「凱君、実は私は転勤が決まってね。少し遠方になるから妻と娘も一緒に連れて行くんだが、その転勤先が…魔物娘の多い地域なんだ」
「そうですか」
「その件で良い顔をしないかと思っていたんだが……」
「この町を離れられるなら、私は構いません。ずっと魔物娘に見向きされませんでしたから、その点は御心配無く」
「仕事はしていないのかね?」
「就職活動は全て学校に邪魔されてきたので、就職なんて出来ませんでしたよ」
「そう、か……。それなら、明日にでも荷物をここに持ってくると良い」
「私のはテレビとパソコンくらいしか無いので。マンションを解約して、残った物は全て処分して貰います」
「分かった。それは私が懇意にしている業者に頼もう。マンション解約も任せなさい」
「それで早く済むのなら」
「うむ。明日掛け合ってみる。仕事の斡旋も何とかしてみよう。さ、これ以上辛気臭い話は無用だ、戻ろう」

再び居間に戻ると、泣き腫らしながらも笑顔の瑞姫が凱を迎えている。

「こっちに座って、お兄さん」
「……うん」

言われるがままに座ると、瑞姫が傍に寄り添う。
目の前のテーブルには久しく見なかった豪華な料理の数々が並べられている。

「さあ、始めよう。新しい家族に乾杯!」
「「かんぱーい!」」

新しい家族となる人たちの歓声に、凱は戸惑いながらグラスを合わせる。
料理に舌鼓を打ち、家族団欒というものを久しぶりに実感しながら、やるべき事を模索するのだった――

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

凱が龍堂家の養子となったのと時を同じくした、とある場所――

立派な机や椅子が置かれた部屋で、そこに似つかわしく無いかのような少女の姿をした者がいる。
だが、彼女は人間では無かった。
頭に山羊のような角を生やし、ぬいぐるみのような手と蹄を有した足を持っていたのだから。

「――未だ厳しい現状です。誠に申し訳ありません」

大きな鏡に向かって謝罪する少女らしき者に、鏡から声が響く。

『そちらの世界では我々に対する監視が厳しいと聞き及んでおる。が、よもやそこまでとはな』
「……我が力が足りぬせいでございます……」
『そこまで己を卑下するでない。……賭けにはなるが、まだ手はある。追って書簡を送るから、詳しくはそれを見るが良い』
「ははっ」
『くれぐれも無理はするで無い。今は耐える時ぞ』

そう言うと同時に鏡からの声が途切れる。

溜息をつく少女らしき者は魔物娘だ。
そして彼女は後に、凱と瑞姫との運命的な出会いを果たす一人であった――
19/01/01 15:05更新 / rakshasa
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以前のものを加筆して、掲載させて頂きました。

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