読切小説
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科学の進歩
 科学の進歩とは、時として感情的なものである。
 いや、感情的な作用無く発展する科学など、あったであろうか。

 偉い学者が如何に高尚な理論を並べ立てても、清潔な実験室で魔法の様な化学反応を幾ら起こしてみせたとしても、怒り狂うと言う人類共通フォーマットの激発に比べれば、それはお上品な詩の朗読くらいでしかない。
 滾らせた感情こそが、人類を発展させるのだ。

「この浮気者! 浮気者ぉ!」
「な、ちょっ…まて、ごかい……ぶわっ!」
 一つ目の鬼が怒り狂い、一人の男を責め立てていた。
 そして、シャツにキスマークという古典的芸術品が、そこにはあった。
 おまけに乳臭い。
「どこのホルスタウロスと乳繰り合ってたのかしら? それとも、野趣溢れるミノタウロスかしら?」
 サイクロプスの彼女の、その目が笑っていなかった。
 彼女らの事を鬼と呼ぶ者もいるが、そんな鬼の目にも涙であった。
 夫婦のそれに代表される痴話喧嘩の王道と言えば、物の投げ合いである。
 その日のそれには、挙げ句に投石機が投入されて、家が半壊しようとしていた。

「私というものがありながら!」
「すまなかった、お前と言う乳がありながらぁ」
「黙れぇーっ」
 サイクロプスというと、一つ目という強すぎる個性で見落としがちであるが、彼女らは巨乳である。そしてそれはとても形が美しいのだ。そもそも彼女らは元々は神族であって、美しい肉体の持ち主であった。
 そしてどうしようもない事だが、彼女の同棲相手は乳ソムリエ(自称)だった。何故自称なのかと言うと、その趣味が巨乳に偏っているからだ。しかしソムリエたるもの全ての乳を味わい、理解し、表現できねばならない。だから、ナイチチも、ひんぬーも、ちいぱいも……と、つらつら大きくもない乳の話をすると苦しみだすような男が、真のソムリエであるはずも無い、という意味だ。誰が言ったかは知らぬが、正論である。
 ついでに言えば、彼は元勇者でもあった。
 勇者が元だったというのは、この世界ではさして珍しくもない。勇者というのは、無謀にも魔王城に突撃して、サキュバスの誰かのモノになる為の職業なのだ。それを理解していないのは教団の連中くらいなもので、幾度の失敗もめげず勇者を送り込んでは、サキュバスの恋人で元勇者というモノを量産している。一山幾らである。
 ただ彼の場合、その手前で任務を放り出してしまったのだが。
 魔王を斬り倒せるだけの業物を求めてサイクロプスである彼女の元を訪れ、そしてころっと、彼女に惚れてしまったのだ。
 サイクロプスはその勇者の為に誂えた剣の代金として子孫を、その子を宿す為の種を取引する。彼女もその為の一晩の関係を、彼と結ぼうとした。
 するりと羽織ものを床に落とし、裸体を晒した彼女を前に、彼は感嘆の声すらあげられなかったと言う。
 最初彼女は、自らの青い肌を気にしていた。
「ああ、トルコ石みたいで綺麗だ……い、いや、サファイヤかな?!」
 彼のうわずった声に、サイクロプスの価値が暴騰して行く。
 暗い部屋の中、暖炉の炎の揺らめきの中に表れた彼女の姿は、その柔からに揺れるその陰影を抱いてただただ美しいばかりであった。たしかに、肌の丘陵の柔らかに微睡むような青は、トルコ石であった。それでいて、光と影の境界線に透ける肌の透明感は、サファイヤそのものだった。肌理の中に煌めく光彩を放つ様は、オパールのようでもあった。宝石のカットや研磨の職人でも、この美しい陰影を描けまい。
 そして、その美しい乳房。
 巨乳でいて自らの重みで潰れずに美しいラインを保つだけの張りがあり、撫でれば春風のような心地良い湿り気を帯びつつも爽やかで滑らか、触ればもちっと絡まり、しかし揉めば取り留めも無くその指を受け入れて、まるで海へと漕ぎだす冒険者のように男の胸を高鳴らせる。ただ、深入りは許さない。神経は細やかで、僅かに触れただけでも、全身を震わせる。それでいて強い刺激は牛乳で浸したかようにまろやかにしてから彼女の脳へと伝え、それで小鳥のような美しい声で啼かす。渇望が息苦しさを伴う程、男の欲をかき立てる。彼女の胸は、彼女が打つ剣と同等それ以上の銘品であった。
 彼は乳ソムリエを自称しながら、彼女との事が始まれば、ただ彼女を味わい尽くす事だけに囚われて、講釈を垂れるどころか、肉を前にした獣の喘ぎ声しか出なかった。
 挙げ句、自分の全部その乳の上にぶちまけて、代金を踏み倒したと彼女に怒られる。
 彼曰く、唯一の敗北。
 至高故の甘受すべき完敗。
 そして彼は剣と一緒に、彼女をお持ち帰りした。
 魔王(既婚)? んなもん知るか!
 他人のものになった女の事など、どうでもいい彼であった。
 目の前に、手つかずの山(脂肪でできている)があるのだ。
 彼がどうして勇者になったかが伺える。

 そんな彼にお持ち帰りされてしまったサイクロプスは最初、困惑した。
 しかし、乳の事に偏っているとはいえ、自分の事をよく言ってくれる男を邪険にできず、そうするうちに、なんとなし関係が進展していった。
 そして今では、焼けた鉄よりも熱く愛し合うような仲になってしまった。
 もう彼無しでは生きてゆけない。
 一つ目という容姿でのコンプレックスを持つ彼女は、それに畏れる事無く自分と接し、尚そんな自分を、もっぱら乳の事とは言え、褒めまくる彼にすっかり虜になっていた。馬鹿の一念なんとかを砕いてしまったのである。

 彼を失うのなら……、
 世界を壊してしまっても、かまわない。
 彼の居ない世界なんぞに、値札を用意するほどの価値も無い。
 世界を吹っ飛ばすものなら、幾らでもアイディアと技術はある。あとは、必要かどうか、だけ。
 元は神族とあって、発想が大胆すぎである。
 ただ人類にとって幸いであったのは、今彼女が問題にしているのが、彼を世界諸共吹っ飛ばす事ではなく、今の所は自分の乳であった事だ。

「そんなに、あんなデカイだけで だらしなく垂れてる乳が良いんなら! 私もなってやるわよ!」
「なんだってぇ!」
 勿体ない!
 彼女がやると言ったら、それはやる。
 サイクロプスは技術に長け、人に精錬を伝え文明と科学の礎を与えた。その源である種族である。
 それだけの技術はあるし、無くても作る。それが彼女。
 放置すれば、ホルスタウロスもビックリ、爆乳垂れ乳のサイクロプスが誕生するだけである。
 それが他のサイクロプスであるならば良いが、だが今自分の目の前にいた彼女なら話は別だ。彼の最も愛する乳の持ち主なのだから。
 失って初めて解るモノの有り難味である。
 彼は、彼女を追った。
 家を出た瞬間、
「ぬぅべばらぁっ!」
 足元が吹き飛んだ。
 余談ながら、彼も盛大に吹っ飛んだ。
「お、俺を足止めするのか?!」
 元勇者の沽券にかけて、せめて綺麗に着地をしようとしたが、しかし無駄な努力だった。
 その着地点の尽くが吹っ飛び、彼は足を地に着く事が当分無理そうだった。
「こんな事もあろうかと、用意してたのよ!」
「待て! 待ってくれ! ハニー、いぃ?!」
 また吹っ飛ぶ。
 元勇者は、暫しお手玉のように宙を舞い続けた。

 こんな事もあろうかと、は、まだ続いた。
 元勇者をお手玉にした爆薬が尽き、それでも追いすがる彼に対してそれは、それはより過激に急成長を遂げていった。
 ある時、彼の踏み込もうとしたその先が、蜂の巣になった。
「……おい」
 後世に言う、機関銃による掃射という奴である。
 こんな事もあろうかと、こんなモノまで用意してんのかよ。
 サイクロプスは、技術に長ける種族である。にしても、これはちとやり過ぎでないか?
 思わず脚を止めてしまった彼の視界に、彼女の姿はまだ捉え切れていない。
 こうしている間にもその距離は広がり、そしてその分だけ踏破すべき「こんな事もあろうかと」の数は増え、更にその距離も長くなっていくのである。

「俺への迎撃が、どんどん厳しくなって来ている……」
 彼女の「こんな事もあろうかと」は、既に何度目であっただろうか。その言葉が重ねられる度に、彼に襲いかかる攻撃の破壊力は増してきている。そして何より、その科学技術の水準は飛躍的に上昇していた。
 一時間ほど前に一度、彼は彼女に追いついている。
 彼女は鞭のようなものに、等間隔に金属の円盤らしきもの括ったそれを、鞭のように扱って揮って来た。
 彼はそれを弾きもせず、ただ身をかわすのみですり抜けた。
 巻き付くべき相手を見失ったそれは、彼の背後にあった樹齢が三百年程の大木に絡み付く。
 その樹が消し飛んだ。
 爆発なり燃えるなりすれば、まだ納得がいった。しかしそれは、炭なり煙などに変化するのではなく、文字通り消えてしまっていた。
「こんな事もあろうかと、転移装置を仕込んだチェーンマインよ。言わば、チェーンリープ?」
「どーいう、"こんな事"だよ!」
「うーん、まだ転移範囲と動作条件が不安定」
「そんな恐ろしい事聞いてねぇーよ!」
 怖い事に、彼女の腰にはそのチェーンリープとやらが、もう一巻きしてあった。
「じゃあ、追わない事ね」
 それが一時間前。
 そして今さっきは、岩を蒸発させる光線だった。
 それすら、技術の高度さは兎も角、破壊力という点では限定的でまだ可愛げがある。
 既に幾つの山が、真っ平らになったか。
 次は、島でも吹っ飛ばすつもりだろうか。
 あと何手で、大陸を消し飛ばすくらいになるのであろうか。
 向こうに、銀色の見た事も無い鉄の塊が見えていた。そこから小さく静かだが、しかし聞いた事も無いような不気味な音が鳴っているのが聞こえていた。
 後で聞いた話だがそれは、あんな事もあろうかと用意中の"レーザー核融合炉(レーザー水爆数歩手前)"とかいうものだったらしい。
 その、名前を聞いただけではよく解らん代物が、どれほどの物で、如何様な物なのか、そもそも必要なのかすらも、彼には正確に把握する事はできなかった。
 ただ一つ、言える事があった。
「このままでは……世界は滅びる……!」
 世界は、サイクロプスの彼的に誤った想いを成就させる為に、それを阻止しようとする乳ソムリエの接近を阻む為に、こんな事もあろうかと、で滅びるのである。
 しかもそれが、乳の好みだどーのと言う、そんな理由であったなどとは、誰も想像はしないだろう。
 正直、知らずに滅んだ方が幸せというものなのであるが。
「やらねば、ならんかッ」
 彼は、元勇者であった。
 世界の危機は見過ごせない。
 魔王のそれは、実は"危機"ではなく"嬉々"なので、放置したが。
 ちなみに、彼が追わない分には世の中平和なのであるが、追撃(もうはや追跡ではない)を止めるという選択肢は、無しである。
 あの乳をみすみす逃すくらいなら、世界なんぞ滅べば良い、と、内容は兎も角、元は勇者らしく剛胆にも思ってみせる彼であった。
 それに、まだ戦いようはあるのだ。

「彼の動きが変わった」
 ただ単純に隠れて追跡するのではなく、あからさまに存在を誇示して彼女を誘い、追い込むような動き。
「本気、なのね」
 今までの脅し、それこそ、こんな事もあろうかと用意してあった、国一つ滅ぼすくらいの技術と破壊力を誇示しても、彼は追って来た。
 さすがは勇者なのか。
 ただそれでも、その威力には躊躇いが生じて、その足を遅滞させる事には成功していた。そのまま逃げ切るつもりだった。
 だが、彼が本気を出したというのなら、逃げ切るのは不可能だろう。
 彼女は足を止め、彼を迎え討つ事にした。

「さすがにお前の剣だ」
 彼は辿り着いた。
 彼女の前に。
 幾多もの、いや、そんなものでは効かない数の「こんな事もあろうかと」と言う、卑怯臭いオーパーツの数々を掻い潜り、数世紀ほど未来の疑似体験を強行突破し、ミレニアムの果てから彼女の眼前に辿り着いたのである。
 鎧はボロボロ、剣は刃こぼれしている。
「私の打った剣はぼろぼろなのに、それ、皮肉?」
「いや、こんなんになっても、俺の言う事を良く聞いてくれる。俺を裏切らない。最高の剣だ」
 何故……。
 彼はサイクロプスを注意深く見た。
 何故、彼女は剣を持っている。今まで嗾けた、とんでも科学技術のびっくりどっきりそのままぽっくりメカを出して来ない。
「……どうしても、するのか?」
 サイクロプスは問われるまでもなく、真紅の刃を持った剣を既に抜き放っていた。
 まるで剣での戦いを望むようだ。
「私の鍛えた剣がどこまでするのか、試してみたい」
 そういう事……なのか。
 ともかく、彼の目は、もう女の乳ばかりを追っている男のものではなかったのだ。
「お前のようなパーフェクトな乳が傍にいてくれるから、俺は安心して心置きなく、他の乳も揉むんだ!」
 他事も考えるが、やはりそこなのであるのだが。
「……死ね」
 彼女の刃が、血よりも紅い。

 剣の交わりは続いていた。
 鈴の音のような響きの鋼の音が、もう半刻は続いているだろうか。
 それまでの辺りを響かせていた轟音などに比べれば、その音は小さく単調であったが、旋律を奏でるように続くそれは、無秩序の爆音などよりは余程、美しい。
 もっとも、それを鑑賞している余裕など二人には無かったし、もしそれ以外の者がいても、先までの「こんかな事もあろうかと」で、あらかた吹っ飛んで逃げてしまったのだが。
 サイクロプスは手練であった。
 手練のように振る舞っていたといった方が正しいのか。
 剣士は剣を自分の身体の一部、腕の延長のように使う。だから強い。鍛冶であるサイクロプスも、重量配分を決めるのは自分の腕である。我が身の腕のようにそれを計り、彼女の感性で支配して仕上げる。つまり、彼女も自分の身体の一部、腕の延長で剣を持つ事ができた。
 それに、激しい。
 神族の肉は、力を揮うのでさえ美しい。力む肉の表情ですら破綻しない。そしてそれは激しいのではなく、それは相対した者が感じる勝手な感情であり、彼女は摂理を履行しているに過ぎない。
 だが、しかしそんな倒れるのが当然と圧する太刀筋を、彼はのらのりくらりと交わしていく。
「やはり、戦わねばならんのか?! 俺は本当にお前に惚れているのに、ああ今の貴女は本当に綺麗だ。それが、何故だ?!」
「では何故、他の女靡く?! 私が素晴らしいのであれば、貴男は私だけを見ていれば良いのよ!」
「俺は他の乳も知っているから、お前が最も愛おしいのだと解れるのに!」
「威張るかっ、そこでっ!」
 激昂して更に踏み込んで斬り掛かる。
 彼の口元が笑っていた。
 のせられた?!
 そう悟った刹那、彼女は腰に巻いていた予備のチェーンリープに手をかけた。
 だが、彼は躊躇わず踏み脚を、大胆に飛ばしてくる。
「さっきのチェーンなんたらとか言う奴で、俺がビビって踏み込みが浅くなるとでも思ってただろう?」
 踏み込みを浅くしても、助からないものは助からない。
 彼はそう割り切れるから強い。そしてそう大雑把に割り切っても、それに対応できる手段を瞬時に選択できるから、勇ましくいられる勇者でもある。
 一気に懐に入り、彼女に当て身を喰らわす。巨木に背を押し付け、彼女の動きを封じる。
 彼の剣で、彼女は持った剣をもう押し戻せない程まで押し込んだ。その真紅の刃は、彼ではなく自分の肌に宛てられている。
 そのまま押し込んで、
「降参しちまいなよ。俺はお前のその乳が大っ好きなんだぁ!」
 それは彼なりの、彼女への和解への言葉であったのかもしれない。すくなくとも、褒め言葉の部類のようであった。
 だが、他人が聞いてそう思うかは別である、というかそうは聞こえない。
「ぬぅああああああッ!」
 サイクロプスの、牙を剥く絶叫。
 大木を背に、彼に抑え込まれ、挟まれて身動きの取れなかったその真紅の刃が、ぐいぐいと、自分を蹂躙する彼の剣の刃を、押し戻し始めた。
「なんて女だ。力技で押し返しやがって……!」
 彼は彼女から離れ、剣を構え直す。
「あいつ……、やはり違うか、ただの魔物娘じゃあ無い。パワーも速さも!」
 神族であったサイクロプスを、舐めるな。
 彼女は彼の懐に、低く飛び込む。
「雑魚とは違うのよ、ザコとはっ!」
 青い肌をした一つ目の鬼は吠えて、彼を蹴り上げる。
 ……さすがに、堪える。
 彼は歯を食いしばって呻いたが、しかし、彼女が渾身の力を込めたそれが、その彼の身体を浮かす事は無かった。踏み持ち堪える。
「………え」
「ぬぅおあぁあぁつっ!」
 今度は彼が牙を剥いて吠える番だった。
 そして、鳩尾に叩き込まれたその重い一撃でも手放す事の無かった男の剣の切っ先が、彼女の剣を撥ね上げた。
 サイクロプスは、得物を失った。

 彼の剣の切っ先が、彼女の胸を突こうとする。
 そんな位置で静止していた。
 彼の愛して止まない乳房の、左側のその上だ。
 彼があと三ミリ突けば、それを血に染める事ができる。
 彼女の呼吸に揺れる乳の動きにまるで呼吸を共有するように、寸分違わず三ミリの合間を空けて、その切っ先は獲物を離さない。
 ある意味、なんという技量か。(無駄遣いだが)
 それが、彼の決意のような物を感じさせるようでもあった。
「見事だな……」
 さすがは、私の業物を揮うだけのある男だ、と。
 サイクロプスはその者が自らの業物を揮う事に高揚し、彼を賞讃した。
 だが、そんな妙技と業物のコンビネーションが、今の彼に対して仇となるのだ。

「固有振動数」
 サイクロプスは徐に、ある単語をひけらかしてきた。
「て、知ってる? 知らないわよね?」
「俺には、今日お前が繰り出して来たほとんどの物がわからねえよ。なんだよそれは?」
「物ってのはね、おおよそ決まった周期で震えているのよ。……剣を指で弾いて見なさい」
 きぃーん、と音が鳴った。
「その音がそれなの。音ってのはね、振動だから。その震え方っていうのかしらね。
 一定の時間に一定の数だけ振れているの。貴男、反復横跳びは何回できる?」
「俺は勇者だからな、凄くできるぞ!」
「じゃあ、十マイル程の間隔でそれして、それと同じ時間の間に同じ数だけ」
「おいおい……ああ、つまりは忙しなくなる訳だ」
「同じ振動を加えて、忙しなく振り回されたら、どうなると思う?」
「壊れる、か」
 彼は警戒した。
 しかし、ぴっ、とその胸の先三ミリで止められた切っ先は変わらず。
 彼女の言葉が、彼の剣を退かせる為のフェイクという可能性もある。
「それで、そのなんとやらで、この俺の剣を破壊する、か?」
「いや」
 サイクロプスは頭を横に振った。
「共振させるには、ただ波を当ててやれば良い。そんな事、声でも出来る。私を誰だと思っているの? サイクロプスよ。それだけの声を人間に浴びせる事は無理でも、それだけの声を別に用意する事なら、雑作も無い。
 ただ、
 剣を一本失った程度で、貴男の強さは変わらない。
 強さってのは、その者の意志や意図によって決定するわ。それは科学技術も同じ事。人の意志がなければ、どんな優れた技術でも、方向付けが無いただの現象に過ぎない。
 同じように、貴男の意志がある限り、腕力や暴力の代替は幾らでも出来る、作用を続ける。
 そう、貴男の剣一本砕いた所で、貴男は変わらない」
 彼女は、にやりと笑った。
「だから私は剣を抜いた。貴男に剣で戦わせる為に」
 壊すのではなく、壊させるのだ。
 ぷち……。
 糸が切れるような小さな音がした。
 サイクロプスの、その彼が愛して止まない"自選 この世で一番オッパイ"の辺りで聞こえた。
 彼は、その音を幸いと、その胸の膨らみに目を落とした。
 彼女の上着の、ちょうど剣を突きつけた辺りの糸が解れ、僅かな切れ目が出来ていた。徐々に引き千切られるように薄くなって行く向こうに、薄らと桜色の乳首の色が透けて見えた。
 ああ、見れそうで見れないっ。
 彼は失念していた。
 彼の目が釘付けになっている裂け目の辺りが、まるで氷が溶けていくように不自然に薄くなって行く事に。不可思議さ故に、それが麗しいおっぱいの上で起きている事に、ある種の神秘的な何かを発見したように、彼は魅入ってしまっていた。
「この服はね、貴男の剣の振動に共鳴しやすいのよ、壊れやすくできている」
 今、彼の剣と彼女の乳房とを僅かに隔てている上着は、特別製だ。
 こんな事もあろうかと、ある特定の衝撃に対して脆く、その上である一定方向に切り裂かれやすい構造になっている。
 一定の方向とは、横一文字である。
 特定の衝撃とは、彼に与えた剣の持つ固有振動数であった。
 それが一定の距離を保ち、それも僅か三ミリピッタリという無駄に精度が高い状態での至近、その一点に長時間に渡ってじわじわと、その振動を与えられれば、どうなるか。
 頃合いだろうか。今のは丁度良い長話であったか。

 彼女が不意に、その乳を揺らす。
 その優雅なたゆたいに見蕩れたのか、彼の剣の制御が疎かになった。
 その切っ先が、彼女の上着を、その乳房の上辺りをちょっと引っ掻いた。
 脆い周波数の振動を受けたそれは、
 ぴぴぃ……。
 避けた。
 胸の前、横一文字に。
 こんな事もあろうかと、彼女はブラはしていなかった。

 生まれ出る光景は素晴らしい。
 それが自分に向かって開かれる様は素敵だ。
 地を割り芽吹く大粒の豆の双葉のように、衣服と言う殻を破って、それは自分に開かれたのだ。

 美しく大きな、彼の愛して止まない彼女の乳房が。
 ……たゆん、と。
 彼好みの乳臭い巨乳が、横一文字に計画通り切り裂かれた隙間から、割れ現れた瞬間、
「これはっ……日の出かッ」
 彼は叫んでいた。
 両方の鼻腔から、紅いものが垂れ滴った。

 熱い吐息に震わされ、乾いた大地のようにひび割れて、その破片が一枚、そして一枚と剥がれてゆく。海のように深く澄んだ青い肌が現れて行く。
 海があふれるように。
 彼女という、女神が生まれる。
 正確には、彼女の乳という女神だが。
 そして女神に微笑みかけられ。
 ………なんと、耽美なッ。
 もう彼の精神は限界であった。
 不意であった。
 鼻からの血流は留まる所を知らず、流れ続けていた。
 ああ、目眩がする。それほどに、それほどにぃ……。
 剣が、その手から滑り落ちた。
 もう握っているだけの力が無い。
 そんな力も、もう要らない。俺の目の前には、もう……。
 彼は貧血で倒れ伏し、自らの血の池に沈んだ。

「……ふっ」
 サイクロプスは鼻先で笑った。そして、乳ばかりでなく美しくくびれた腰に手を当てて、そして胸を張って、乳をたゆんと震わした。
「科学は、勝つ」

 ところで、勝ったは良いが、と彼女は。
「そーいや、何の話だっけ?」
 こうして、美しい世界と、そして彼の愛するサイクロプスの美しい乳は護られた、らしい。
「悩殺した」
 サイクロプスは満足げであった。
 その満足感と引き換えに、彼女がやろうとしていた事諸々を忘れてくれるというのであれば、犠牲となった彼も本望であろう。世界は一向に構わない。救われたし、うまくすれば変態が一人減るのである。
 彼は、見事な奇襲攻撃により血の海に轟沈している。まだ生きていた点では、世界に貢献をし損ねた事になるが、勿論彼は、そんなものをするつもりなんてないのだが。

 元鞘と言う言葉もありまして、どちらが鞘でどちらが剣かは、意見の分かれる所らしいのだが、それはさておき。
 サイクロプスは勝利し、満足であった。対して敗者であるはずの彼ではあるが、彼は彼なりになんだかとってもヘブンだったらしい。二人は幸せな気分で家路についた。
 投石器と玄関前の連鎖爆発で、帰った家は半分以上吹っ飛んでいたが。
 瓦礫の片付けも程々に、二人はベッドに潜り込み、激しく剣を交えたバランスをとる様に、愛し合った。
 何度となく交わって、彼のその日の在庫の全てを取引した二人は、空の見えるベッドの上で緩むように大の字になって、重なって果てた。互いの呼吸で揺らし合いながら。 
「すてき…、だいすき、だいすき……」
 残った体力の全てで、彼女は彼の唇にむしゃぶりついた。
 人はサイクロプスの一つ目の顔にキスする事を恐がる。その大きな眼に沈んでしまう様な錯覚を、怖がる。それは理性ではどうにもならない、異質な物を拒絶する本能的なものなのだからしょうがないのだが。
 だけど彼は、そんな事はおかまいない。ただ鈍感なだけかもしれないが。彼女は唇を抉じ開けて入ってくる彼の舌で嬲られる感触に、掻き毟るように彼の厚い胸板を弄った。

 こんなにもたくさん……。
 男の精子が、注がれた口から溢れ出ていた。
 彼女はそれを撫で取ると、舐める。
 まだ濃い……。
 他の女に吐き出していないのかな……。
 彼は違うだの誤解だのと言っていたが。
 以前も浮気を問いつめたら、「俺の種はお前に売却済だ」とか言っていたけれど。
「それ以外……乳は揉むのね?」て言ってやったら、顔からがまの油を量産してたわね。
 ……でも、本当はどうなんだろう。
 乳を揉ませる女が、それ以上を求めないはずが無い。
 今度、嘘を見抜ける機械でも作ろうかしらん。

 いや、そんなもの……必要ない。
 彼は、嘘がへたくそだから。
 だからいらない。大丈夫。いらないものはいらない。
 そう言いきれるから私は、機械ではなくこの男を愛していると証明できる。

「子供ができれば、俺は用無しか?」
 不意にそんな事を彼は訊ねて来た。吐き出したものの充足感に予感したのであろうか。
 確かに、そういう契約で彼の剣を打った。
 しかし、それはもう、サイクロプスの本心では勿論無い。
 そんな彼女の一つ目の表情を見て、すると彼はそう訊ねてしかし、それを愚問と肩をすくめてみせた。
「いや、お前が何を言っても、俺は知らん。俺はお前を手放すつもりなど無い。どんな事があろうとも、未来のテクノロジーであろうと、今日のように俺はそれを排し、お前の元に駆け参じ、俺はお前の乳を揉むのさ」
「カッコ付けたつもりでしょうけど、ただの変態よ貴男」
 だが、その意志こそが正解なのだ。どんな術であろうと、それを用いろうとする意志こそが全てを決する。技術や手段は選択肢に過ぎない。どんなにも素晴らしい剣があっても、どんなにも高度な科学技術を弄べても、為すと言う意志がなければ意味が無い。
 例え逆に、この男がサイクロプスの元を離れると言い出しても、彼女はそんな事はさせない。あらゆる手段を講じる、技術を見つける、方法を探す。それは全ては自分の気持ちを貫く為だもの。
「それに子供ができれば、その美しい乳房から……ああどんな甘美な味なのだろうか、おまえのぼにゅ……」
 ごりゅ……。
 黙らせる。
「もう一度言う、この変態野郎」

 サイクロプスの拳でベッドが揺れた瞬間、どこからか、ぽろん、と乾いた安っぽい音を立てて、何かが落ちた。
 マッチ箱だった。
 そこに、いやぁん(はーと)なおねーちゃんがいるお店の名前が書いてある、それは古典である。
 ………ほンと、うそがへたくそ。
「あなた……」
「ちょ……」
 誤解だ。そもそも……。
 などと言う暇はあったが、そんな戯れ言を言う精神的な余裕など、彼女は彼には与えなかった。半眼となった一つ目の鬼は、ゆらりと立ち上がり彼を睨みつけていた。
 彼の運命が決まった。
「貴男との子供ができたら、用済み男は、ひんぬー魔物娘の巣に放り込むっ」
「っ!?」
 悪魔の発明品の品評会が始まった。

「こんな事もあろうかと、ひんぬーカリュブディスが隠れてるフジツボを貫通できる小型ドリルミサイルを用意。ちなみに貴男が乗るのよ。外装には、巨乳なスキュラ避けのタコスミ成分配合の塗料を使用。
 こんな事もあろうかと、ひんぬーバフォ様すら倒せる剣を用意。ちなみに自動運転で、相手の溢れ出る魔力を衝撃緩衝フィールド毎吸収し、貴男の勇者としての能力を限界にまで引き出して、勝手にバフォ様をぶち倒す。これで貴男もお兄ちゃん。
 こんな事もあろうかと、ひんぬーミミックの独自空間に勝手口を作っちゃう、どこでもミミックを用意。ちゃんと独身のミミックを選定できる魔界戸籍システムとリンクさせた高性能高精度なセンサー付き。あの箱の中に踏み込んだ男が出てこないって、本当なのよ。おしあわせに。
 こんな事もあろうかと、ひんぬープラックハーピーおよびカラス天狗も大好き、きらきら人体磁力メッキキット。これで貴男もさりげなくギンギラギンの魅力的な男(Bハーピー&カラス天狗限定)。同じく光り物好きなドラゴンに気に入られたら……まぁそん時は死んで。つーか、死んじゃえるように、ドラゴンを検知して無作為に自動再生されるドラゴンへの罵り言葉(このトカゲー)電子辞典を、今なら拒否権無しでセット。
 こんな事もあろうかと、ひんぬーリャナンシーちゃん好みの美味しい芸術品が作れちゃう、芸術脳に洗脳しちゃうヘッドギアを用意。妖精の国なりひんぬーの世界なりへの片道切符付き。
 こんな事もあろうかと、ひんぬーラージマウス飼育箱を用意。一人寂しくなったラージマウスが餌を前にどうなるか……ちなみに餌は貴男ね。餌の運命は解っているわよね?
 こんな事もあろうかと……」
「らめぇぇ!」
「らめ?」
 彼は未来語を話し始めた。何やら否定したがっているようだが、未来語なので解らない。翻訳機なんか、作ってやるものか。
「私だけを愛さない、貴男が悪いのよ」

 感情がそっぽを向けば、技術は無価値となる。
 科学は、人の心の赴くままに。




 後日の事である。
「え? 新しい剣だって」
 彼の前に来て、サイクロプスは一本の剣を差し出した。
「この前は、やりすぎた。だから……」
「まぁ確かに、なんたらとか言う機械でフェアリーサークルに放り込まれた時は、生きて返れる気がしなかったな……」
 生物的にはともかく、アイデンティティ的に死を覚悟した乳ソムリエ(自称)の彼であった。
 剣が刃こぼれしてボロボロになっている事より、そっちかよ。というサイクロプスのツッコミは、真新しい玩具を手にした子供のように、にかっと笑う彼を前に、無かった事にされた。
「あれも今となっては笑い話だ。ありがとよ」
「代金はいい。ずっと貴男がいてくれれば」
「おおっ、なかなか嬉しい言葉だねぇ」
 彼は彼女を左腕で抱き寄せながら、右手でそんな彼女の胸を揉もうとする。
 ぱちんと、その彼女に右手を叩かれる。
 誘うようで、なかなかつれない。
「この剣は、新たな貴男の為に打ち鍛えた。以前とは比べ物にならない程の逸品だ。私も、貴男と出会ってから随分と腕を上げた。貴男ならこの剣を使い熟せられる。貴男はこの前、凄く強かったから……」
 惚れ直した。
 だからこの剣には、あんな事があろうかと、という仕掛けが山としてある。
 ぬかりはない。

 科学は、人の心の赴くままに。どこまでも。
11/06/08 23:36更新 / 雑食ハイエナ

■作者メッセージ
この物語はフィクションであり、登場する団体・人物など、特に科学技術に関するもの名称やら実在やら仕組みやらはすべて架空とは言いませんがめんどくさいので色々と重要かつ根本的な事を無視している可能性があります。


一つの瞳は一途な証し、となんとなし思ったりするサイクロプスさん。
ならば、きっと好きになった相手には手段を選ばずまっしぐら。一つしか無い目で彼しか見ない。遠近感? 立体視? 何それ美味しいの? 彼が好きなのにそれは要らないと。
でも、相手は選ぼうねと思わないでも無いけれど、それはやっかみか。
ただ、手段は選ぼうね、というか、選んでください。

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